崖の底の抜ける時
恵は再三の装備品の点検やらリュックの荷物の偏りやらを直している最中に、こんなことを考えていた。
こいつらをどうするか。
シャワーズがさっき自分のことに突っ込んできたのは、恵という人間は自分達をどうするつもりかを探ってきた暗示なのかもしれない。
「将来、か・・・」
誰にも気付かれなかった。そもそも、言葉を発している部類に入れられるかも怪しい、ホコリのように吹き流されるのがオチのような独り言だった。
そう気付いてから、殆ど踏み入れていなかった領域に自然と思考が展開し始めていた。
わずらわしくて迷惑ばっかりだとしても、こいつらに幸せになってもらいたい気持ちは無い訳でもなかった。
でも、こいつらに愛情みたいなものを注げる自信も、資格すらもない、と真っ向から恵は思っている。その為、他の人にこいつらを引き受けてもらいたいのを優先して考えていた。
他人に預けたりあげたりする。それが理想なのだが、思い付く限りの人間はどれも合わない。
例えば、カフミは家がどうのこうので絶対に無理だろう。たけ爺は近所だが、歳もかなり食っていて、こいつらのおかしさで参って多分無理、若くても、ウジも同上。シュウゾウは行けそうだが、交渉の段階で熱くなり過ぎて、こいつらが逃げて振り出しに、岩ちゃんは遠洋漁業の漁師だからもちろん駄目、テポドンもこいつらがアレルギーを発症しているらしいので、これもリバースされる。保健所?自分でもこいつらもこれだけにまっぴらごめんだ。始めよそよそしくても解剖の話とかに絶対なる。生物学の権威が来てどうのこうの、挙句の果てに能力を武器に応用してみたいな、ロシアのイルカ爆弾計画の騒ぎの二の舞になられたらどうすんだって話だ。そもそも、こいつらの存在が世間に知れ渡ること自体がまずい。企みは、暗礁に乗り上げてしまった。
そもそも、世界じゅうのどの人間の視点ですら型破りになりそうな疫病神を、わざわざ引き受けるのか考えれば、結論は火どころか大陽を見るよりも明らかだった。
そう未来の話をすると、自然と過去も気になってしまう。
どんなに過酷な過去を身に焼き付けていても、それが推測としか自分の感覚にならないのが一番腹立たしい。例え信頼出来るほどの関係になっていなくても、捨てられたらどんだけ辛いか。どんだけ自分がただの飾り物、もしくは置物だと気付かされた時の思いは悲しいか、憎しいか。同じ人間として復讐したい気持ちはどんだけ強いのか。そしてどんだけ歯をくいしばってその思いを耐えているか。正直、自分に対しての軽く迷惑するぐらいの同情も、シャワーズの過去を明かされた時、その何倍も慰めてあげたかった。
それに、さっきのゴタゴタが起きていた時の様子を見ると、意見が分かれること自体に全員が動揺しているように見えた。つまり、ケンカするほどの議論をこの匹数ですらしていないのなら、それだけ生きることに必死だったのだろう。それゆえに、自分の意見をぶつけられる暇も無くて、とても肩身の狭い思いをして縛り続けられていて、爆発したらしたでその後の対処の仕方が分からず、変な方向に向かったのだろう。
その為だけに培ってきた結束力だけでは、それぞれが羽を伸ばした時に必ず歪みが出る。まだまだ、これからもすったもんだは起きるだろう。もし、その矛先が自分に向かったら。
不思議でおかしなことが起こって、死ぬ死なないの話で収まらない事態になるだろう。
他の奴らも、軽かろうが重かろうがなんらかの十字架を背負ってきたと思うと、いい加減望み通りの幸せな生活を送っても良いのではないかと、もうきっつい道のりはいいだろうと、強く念じていた。
例え、変な能力が思わぬ足かせであったとしても、そんなものは関係ない。
それでも、恵はこいつらと一緒に生活することに自信がないことに、変わりはなかった。
なぜ、人間が嫌いだと言うのにその文化を重んじて、日本語を巧みに操り、そして人間並の知能を携えているのか。聞いてもどうせ当り前だと、ありきたりで返されてしまうだろう。だが、そうするのが一番いい。深追いして無駄に問題を掘り起こしてしまうより、そっとして置くのが妥当だろう。
でも、気になることが気になるのは、避けては通れないのか。自分の性格に、少し落胆した。
しばらくして、頭の考えのちらかりも、リュックサックの中の偏りも無くなった所で、
「お前ら、準備はいいか?」
背中にひょいと背負いながら、どこかでマンネリ化していそうな言葉を恵はみんなに向けて放った。しかし、聞いていないものや、聞いていても返事を返してこなかったりと、結果的にはいくつかの声も滝の
轟音で掻き消されて恵には聞こえていなかった。
「本当に良いのか?」
別にこいつらの調子は良いのだが、獣医としての本能みたいなものがあって、それが確認したい思いが胸の奥をくすぐって、押し出される感じで自然と二度目の点呼のような呼び掛けを、更に大きい声を出して行った。
「ってかさ、何をするの?それだけを先に言われても何を覚悟するのかも分からない」
リーフィアが文句を言うように遠くから返してきた。恵は聴き直したいような感じの返事をすると、
「戻るんだろ、自分の家に。さっきの飯もどうせ物足りない様子だったしな。それとも、ここら辺にずっと居座り続けるって言うのか?」
軽い冗談を入れて全員に行き渡るぐらいの声の大きさで伝えた。あえて“帰る”という言葉を使わなかったのは、恵がその時に思い浮かべた言葉をあまり考えもせずそのまま放ったのか、それとも帰るべき場所は恵の家ではないことは素直に暗示しているのか。答えは恵と思考を読めたエーフィにしか分からなかった。
「そう」
リーフィアは珍しく納得したようで、そのまま短く返事を返してきただけだった。
話だけはしっかり聞いているようで、無言でぼちぼちと言った具合で集まってきた。
ただ、シャワーズだけ、まだ物思いにふけっていた。
なんだろう、この変な感覚。
今まで閉鎖されていた深く暗い海底から目を覚まされるような、浮上するかのような、そして開けた視界がまぶしくて、新鮮な空間に出会えた喜びで心か震えているような。
まではなんとなく分かったのだが、問題はそこからなのだ。
人間らしくない。この言葉が何百、いや、何万週、シャワーズの考えているアンダーワールドを駆け巡ってきたか。気にしないよう務めても気になってしまう。意識していない内でも気になってしまう。気にするともちろん気になってしまう。どうしよう、何か押し潰されそうな感覚に陥ってしまう。
エーフィに考えていることは筒抜けになっているようだが、何故まだ心か会話をして言いふらすことをしてこないのかも、疑問に思っていた。まだみんなとのギクシャクが残っていて話しにくい状況であることと考えるのは、あれだけサンダースとかと話し込んでいたのに、という所がある。
深層心理の答えは殆ど出たはず。なのに口出しをいまだにしないのは、まだ足りないピースでもあるのだろうか。多分そうだろうと、シャワーズなりに疑問を処理した。
でも、頭の中で不気味に居座っている謎はこれだけではない。
恵がどれほどの苦労をしてきたのか計り知れないので、気に障りそうな言動を避けることは杞憂なのか。少なくとも、グレイシアの脚を診ようとたその一回ぐらいしか覚えはないが、言ったとかその場面を再現するようなまねとかの自発的なもので、それが引き金になったのは見たところ一回もない。深い意味に漬け込もうとしない性格なのか、それとも、感情を抑えているのか。分からない。
人間と対等になれ、と言われてもどうすれば良いのかも殆ど考えておらず、今になって思えば、すっごい不慣れなことをさせらてれいるとも受け取れる。何故なら、シャワーズを含め、メンバー全員は人間と同じ立場で付き合ったことがない、それどころか、そんな考え方自体も新鮮なものと思う、更にはその言葉そのものすら初めて耳に入れる仲間もいるような、自分らには余りにも未知すぎる領域でもあるのだ。そこまでしないと首を縦に振ってくれない恵は何の目的があるのだろう。
自分が感じたのは親近感、イーブイが感じたのは違和感。この違いは何なのか。これからも、悩み事は増える一方なのか。
うーん・・・
私の頭じゃ無理。ため息が出て、それで集中力が切れてしまった。
もう少しあとになってからまた考えよう。
シャワーズは目を開けた。
気が付くと、自分は置いてきぼりになっていた。シャワーズは慌てることはしなかったものの、少し迷惑をかけてしまった思いはあった。
集まっていることにやっと気付いたらしく、恵の方へと寄ってきた。
「ごめんごめん、もう行くんだよね。かなり待たせちゃったかな?」
明るい感じの口調だが、少し申し訳なさも感じられるような、そんないつものような感じだった。
「全然。シャワーズも色々悩み事があるんだ、って私達もさっきまでずっと見てたんだし、どっちもどっちだから平気よ」
サンダースもグレイシアの後に続いた。
「独りで悩んでいるところに勝手に首を突っ込むのは良くねえって、それでずっと黙っていたんだ。なんか気持ち悪いことだったら・・・」
「いやいや、平気だよ。普通なら立場は逆なのに」
遠慮がちな性格が反応して、言葉を切られてしまった。サンダースは、また空気を読まずにやってしまったと心で嘆いていた。
それでさ、とシャワーズは一旦話題を変えて、恵に目を向けた。
「恵君は、今から何をするの?」
「とりあえず家に戻る、それで集まっているだけだ」
「そうなんだ・・・」
もう帰るのかと思うと、自然と今までの騒動の映像が部分部分途切れて、早送りな感じで流れていった。
自由になる望みを絶たれて、次に目を覚ませばそこには若い人間の男、恵と名乗る人物がいた。自分達のことには殆ど知識を持っていなくて、何か言えばおかしいだろの連発。加えて勝手に突っ込み待ちのようなヘンテコなあだ名を付けたり、逆に本当の名前を今でも覚えられてなかったり、何でもないところに妙に気にしたり、時に肝心なところで鈍感だったりと、違う意味で、今までより色々酷い人間だった。
でも、一方的に悪いいつもの人間ではなく、リーフィアが息を詰まらせた時には助けてくれたし、余計なお代わりにもちゃんと応えてくれたり、体を洗っている時はとても丁寧だったり、終始嫌々だったけど、エーフィ達の捜索の手伝いをしてくれたり、サンダースにも少し手当をしたりと、優しい面もそれなりにあった。
リーフィアと探しに行くか行かないかの議論をしている時に、ふとしたことから恵が悲惨な過去を打ち明け、少しだけ人間への見方が変わったこともあった。その流れで自分も過去の話をして、恵にもう寂しい想いをさせたくない一心から、結局付いていくことを決めたことに落ち着いて、それが一番の大きな出来事だったのかもしれない。
恵という人間に付いていく。それが引き金のような感じで意見がはっきりと別れてケンカして、そのままは初めての仲間割れを経験した。その後暴力的になりながらも、素直になってくれた時に話してくれたことは、苦しみや焦りとかの負の部分。エーフィが怖かった気持ちを漏らしたら、本当に泣き崩れてしまったのも正直驚いた。これも初めてだった。でも、エーフィが仲間想いだったゆえに、本当はとっても守りたい思いが空回りして、このようになっただけだったので、本当にみんなを嫌いになったとかは無くてよかった。
無理をさせていたとしてシャワーズも謝って、なんだかんだで仲直りして良かったけど、これまでにない量の悩み事も出来て、不安な要素も沢山ある。でも、悩むことがどことなく楽しく感じられるような、不思議な現象が起きるようになっていた。
思い出すと、これら全部が一日で起こった出来事だなんて、聞き手にとっては信じられないと思えるぐらい、沢山の出来事があった一日だったのだと、軽く驚いていた。
「どうかしたの?」
「まあ、今日のことを思い出していただけ。なんとなく」
また固まっていたのでニンフィアが聞いてきたが、短く正直に答えた。
それがきっかけでシャワーズは何かに気付いたようで、恵の後ろの方を見上げながら、恵の名前を呼んだ。
「何だ?」
「この崖をまた登るの?大丈夫?」
家に戻るには、必ず目の前にそびえ立つ、この壁の上に登らないといけない。さもなければ、日が落ちて一帯は暗黒の谷間になるだろう。改めて見上げてみると、この高さを指し示すように、頂上は全く見えなかった。力強く根付くはずの木々も、殆ど垂直に近い岩肌に寄せ付けていないことも、より険しさを強調している。
「よくよく考えたらすんごい所に来ちゃったんだね」
「ああ・・・」
サンダースに関してはそれだけしか言わなかった。グレイシアのボソッと言った言葉はそのまま今の居場所だった。自分はこんな所から飛び降りたのだと思うと、シャワーズは背中と尾ビレを軽く震わせた。
そうみんなが不安な面々を見せながら眺めている中、恵は、
「そんなことしたいなんか思っていたら、ここまで余裕でいられるのかってことだ」
突然遠回りの言い方をした。すぐに意味を飲み込めたのはなんだ、と胸を撫で下ろし、頭の回りが悪いのは未だに何だ?と言った感じの表情だった。
「むしろお前らを置いて行く方が早い。その能力使えって話だな」
「さすがに、この見た目なのに『そらをとぶ』を使えるのはどう見てもこの中にはいない。エーフィのねんりきで浮かせるのもこの高さじゃあ無理だと思うし」
グレイシアの返しが思ったより違ったようで、恵はそうなのか、と少しだけ嬉しい誤算のように一瞬思えた、が、それでも異様であることは変わりないと考え直した。
「え?じゃあ、どうするの?」
何かしら画期的な方法でもあるのかと、子供が注目する時のような反応で、シャワーズは聞いてみたが、
「そっから周って崖が緩くなる所があるからそこを登っていく。そうすればある程度は楽になるだろ」
え?みたいなことしか返せなかった。そんなことあったの?
「そんなことがあるんだったら早く言ってよ!あの苦労は何だったの?」
みんなが心の中で言ったのとほぼ同じ事を、リーフィア一匹が代表するように怒鳴りつけた。いきなり怒鳴られて、恵も少し顔を歪めた。あの崖下りは相当嫌だったらしく、かなり怒っているようだ。恵も言い訳する。
「あの時はお前が速くしたいって言うからそうしただけだろ。今は違うんだ。さすがのお前らもくたくただろうし、自分も同じだ」
また始まったようだ。もう当り前過ぎて、何一つ陰りみたいなものを感じることはなかった。
それにしても良く淡々と言葉を続けられるよな、とサンダースが左前足でシャワーズを小突いた。あれもなんかの特性じゃない?と冗談めいたことで返した。てかさ、誰か止めないの?とグレイシアが割って入ったが、全然、と。こんな口喧嘩も、なんか慣れちゃって、怖くなくなったね、とニンフィアがあとに続いた。慣れって怖い、ブースターが最後に付け足して、舞台裏の会話は終わったが、そんな一幕もお構い無く、口論は加速していく。
「じゃあなんであの時そのこと言わなかったの?その時の私でも時間がかなり掛かるけど安全だ、って言われたらそうした」
「あの様子を見せられてそんなこと思えるって言うのか?」
「それは・・・」
恵にその時のことを言われると、思い出していくうちに言葉が詰まった。ふと、助けを求めるようにイーブイの方に目線を向けた。確かに、色々言いつけてしまい、恵に対して殆ど考える時間を与えることをしなかった。その後更にケチを付けてぶら下がらせたまま、イーブイを背中のバッグに移動させるという困難なことをさせたのも、イーブイもそうだが、紛れもなく自身だ。
返そうにも返せないもどかしさがあったが、ここはちゃんと責任ぐらいは取ろう。リーフィアは自身の非を認めようと、
「分かった。その事とイーブイが挑発するみたいな事を言ったのはきちんと私から謝る」
「いや、そうじゃなくてな・・・」
負けを認めてみたものの、いきなり話の食い違い。思わず、あ?と声が出てしまった。そして、次に出た言葉は、
「無駄に害した気持ちの分返せ!もう!」
さっきとは正反対の恨みのこもった
罵声だった。普通なら、この流れからのぶり返しは誰でも驚くのだが、
「じゃあお前は何言っていたんだ?」
このとぼけである。リーフィアは素直に呆れた。
これだよ、と今度はシャワーズが隣のサンダースを小突いた。どうやらシャワーズもこの流れの被害者らしい。
「で、恵は何を思って言った?」
そのリーフィアの声にはすっかり気力がなく、とりあえずやっとけばいいみたいな、ただ言わされているような言い方だった。しかし、無気力状態はすぐに恵によって解けた。
「あ?ちっこい奴にわーんわーんってやっててさ・・・」
「それ言っちゃ駄目!本当に恥ずかしいんだから!」
完全に失っていたと思っていた闘志を再び呼び覚まされるほどの不意打ちだった。このことを恵に見られた時点で十分まずいが、それを更に拡散されるのももっとまずい。一気に窮地に立たされてしまった。
「言ったらダメなのか?」
「そう」
ここで面倒くささや鈍感さを発動させれば、この場をしのげる。そんなリーフィアの解決策も、
「じゃあ、えーんえーんって・・・」
恵によって脆くも崩されてしまった。
「止めろって言ってんだろうが!ってか言っているところそこじゃない!」
ムキになり、ついつい男が出ちゃった。後で口調を修正しても時既に遅し。恵はいつもの様子に全く気に留めることはしなかったが、あ、と残りのみんなはその時の会話が一度中断してしまうほど驚き、リーフィアにくぎ付けになっていた。まだ何か言おうとしているが、動揺のあまり声が出ず、魚のように口をパクパクするだけに見えていた。
やっぱり、かたわらでただ見ているだけでは尽きぬ水掛け論なので、
「もういいよ。リーフィアも少し落ち着いて」
それを見かねたイーブイが珍しく間に入って、やっと我にかえった。
これ以上道草を食っていても、辺りは暗くなる一方。変な粘着性にこれ以上構わず、少々強引だったが、
「行くぞ」
それだけ言って、妙にふらつく重い腰を上げた。
この後、リーフィアにそのことを問い詰めるのが殺到したが、恵は無視していた。