粗い事と洗う事
今、恵は五年近く開かずの扉の中の
埃を被った品々を探っている。大体洗えそうな物はここに入っていると思っている。だが、見つかるのは洗剤ばっかりで、恵自身が思ったようなものはなかなか見つからない。
今探しているのは、くしやブラシの類だ。洗剤を使わないのは、たとえこっちの世界の生物にとってが無毒であったとしても、相手は意味不明な生き物、ポケモン。どんなアレルギーを持っているのかわからないのに、むやみやたらに使うと何があるか分からないので、せめて一番安全な水ならということで水洗いすることにした。
しかし、一向に見つからない。一通り探したが、出てくるのは硬いブラシばかりで、それらしいものは存在しなかった。結局この事は諦め、嫌がられると思われるが素手で洗うことにした。
サイズは中型犬位の桶でいいか、チビのイーブイは別に
水嵩を減らしてやればいいわけだし、と考えた。
後はバスタオル八枚分と、体温保護用にハンドタオルも八枚、それらと一緒に病棟の倉庫から持ってきた。これで道具の準備は終わりになった。
それで戻ってみるなり、漏れてきた声の中には、無能だの、変人だの、アホだの散々であった。先程までのビビリ様はどこへやら。でも、以外に自分に復讐とかの話はそういえば挙がっていない。
三つの意味を込めたため息をした後、再びポケモン達がいる部屋に戻るのであった。
部屋に入ってから、次の事を説明した。
「まず、洗い終わってないやつは外側で待機。待機って言っても、暇だったら遊んでてもいい。でも、中には入るんじゃねーぞ」
「はーい」
妙に忠実で、少し嫌な予感がしたが、そのまま続けた。
「次、なんか要望が有ったら言ってくれ。クレイジー、じゃなくてグレイシアがお湯が苦手とか前に聞いた事があったら、他のもありそうだからな。でも、無理な注文もあるからそこら辺は、な」
『そこら辺って、洗う最中に一発ギャグとかって、誰がやるって・・・、あ、いた』
恵が想定していたものが一瞬だけバカバカしいと思ったが、意外と的を射ていてまた感心をしていた。
「最後、終わったら水を散らかすな、ちゃんとタオルで拭くからそれまでおとなしくしてくれ。後は別に自由にしていい。いいよな?」
やはり何かを察するのか今度は無言でうなずいた。普通に考えてみれば、何事もなく動物と会話をしていること自体、本来ありえないことであり、とても背筋が凍ることであろう。
「じゃあ、ちょいと衝撃があるかもしれないけど、窓際まで運ぶぞ。後は自分で降りてくれ」
「降りてくれって、この高さ、ちょっと、いや、結構高くない?」
「別に平気だ」
動揺しているニンフィアもお構いなしに窓にリーフィア達が乗っている一番近いベッドを動かし始めた。他にも抗議が少し挙がったが、ここは恵メンタリティー(?)で押し切られてしまう。そのまま、窓際まで運ばれて、散らばったサンダルらしきものがある所すれすれにつけてきた。
「やっぱり高い、無理・・・、いやあっ!」
恵はベッドの下にあるストッパーみたいな物を蹴飛ばした。すると、そのままベッドが“落ちた”。その反動で少し体が浮かんだような感覚がした後に、衝撃でベッドにねじ伏せられた。
「な、平気だろ。思ったより衝撃が大きかったけど。まあ、何年も動かしてないからこんなにガッタンガッタンなのは忘れてただけだけど」
「衝撃ってそれ?ってか、わからないまんまで?」
発言したブースターを含め、あまりの酷さに二の句が継げないでいた。
「ん?ああ。まあ、とにかく外に出てくれ」
もういいよ、気にする気力が徐々に無くなってきた。
とにかく、コンクリートのような無機質な床を除き、久しぶりに地面を踏んだような気がした。本来なら走り回りたい気持ちで一杯なのに、やはりあいつが気になる。“遊んでいい”とは言われたものの、どうしてもその気になれない。結果、あまり動かず、本当に待機することになってしまった。
そんな事を横目に、足で折り畳められたベッドを横に蹴って端っこに追いやると、次のをまた引っ張り出した。窓際まで持ってきてまた同じくベッドを落とす、ことは無かった。下のストッパーを外すと手で支えながら、今度はゆっくりと降ろした。
「なあ、こいつはどうすんだ?そのまんま持ち上げてもいいのか?」
まだ上で寝ているブラッキーに目をやった。
「確かに。でも、気付かれなければいいんじゃない?」
さすがに存在を忘れてた、だなんて言えないので、適当にシャワーズは受け答えをした。
「その“気付かられなければ”、の話なんだよな。無理に起こすのも気の毒だろうし」
そんな中、ブラッキーが薄く目を開けたのを恵は見逃さなかった。
「何だ、起きたのか。虫の居所が悪いとか、なのか?」
「・・・、んあ?」
「まあいいや。寝起きですまんが、ここから降りてくれないか?」
しかし、いつまでたっても返事が無い。それどころか、寝息すら聞こえていた。つまり、また夢の中に戻っていったのである。気の毒と思うがここは失礼してもらう。ブラッキーの体をベッドの上からサッシの外側に置いた。
ベットを引き出すためにまた戻る恵、草むらとじゃれ付いているリーフィアを横目にシャワーズが、
「ねえ、何かしよう。リーフィアはあっちでなんかやってるけど、暇だし退屈だし」
退屈と言わずともわかるような声でブースターに絡んでた。
「何をするって?」
「んー・・・、かけっこ、とか」
「それは無理っぽい、確か自分らは体が弱ってるとかどうかって所だったし、と恵が考えていた事をちょっぴりエーフィから聞いた」
「じゃあ、寝る?」
「ってなると、なんか、それしか無いもんね。てかもう残りの二匹は寝ちゃってるし」
そうなるよね、やっぱり変化無し、暇だ。それがだるさと共に心の中に張り付き始める頃、耳をつんざく無機質な金切り音がした。犯人は恵が動かしているベッドだ。その音に驚いて、折角寝付けたイーブイとニンフィアが起きてしまったようだ。
「ストップ、何よこれ?凄いうるさい。何とかならないの?」
「これ位は我慢しろ。仕方無いし」
「じゃあ逆に聞くわ。これを持ち上げるとか何かしないのかしら?」
「面倒。別に音を消す為だけに重い物を持ち上げるのは、何か変だし。じゃあ動かすぞ」
この下衆野郎!とエーフィは言葉が汚いと思ったが正直思いっきり怒鳴りたかった。しかし、恵の“いやなおと”攻撃により、全く声を出せなかった。目的地にたどり着く頃には、みんなどれだけ顔色を悪くしていたことか。そして、ここには鈍感な恵メンタリティもさすがで、この音には何の物怖じもせず、まるで“ぼうおん”でもしてるのではないかと思った位、心は平常なままだった。
「まあこれで全員だな。後は、先に洗ってみたいとか、何か順番とか、そういうのは無いのか?」
「じゃあ私が。他に入りたいって言うのがいなかったから結果的になっちゃったんだけど」
出て来たのはシャワーズだった。
「そんならちょっと来い」
“普通”に呼び掛けに応じて恵の方へと歩いて来た。やっぱ何かおかしい。名を明かしたとしても、出会ってそこそこしか経っていない人間にあまり警戒しないなんて、裏がありそうと思っていた。
やはり、そこには反応する、何でだろう。さっきまでほぼ無神経だったのに、いきなり警戒の糸を張ってきた。そういえば、まだ自分自身以外は手の内を明かしていないんだっけ。そうともなれば、それが自然なのかもしれない。
恵はシャワーズを持ち上げると、そのまま足で扉を開けてから、その向こうへ消えて行った。
「思ったよりは苦しくなくて、けっこう楽にだったしこういう時は優しくしてくれたんだね」
風呂場に降ろされたシャワーズから、いきなり話しかけられた。
「何だ、皮肉か?」
「ううん、あの“エビ?じゃなくてエーフィ”が言った後に聞くとそう聞こえるけど、本当よ」
「そうか。でもさ、どんだけ名前を間違えた事に根を持っていだ?一体」
「いいや、ちょっとからかっただけ」
「違うって言っても五十歩百歩だが、いっか。じゃあ、水を掛けるけど、いいな?」
うん、とうなずき、水を浴びる体制なのだろう、なぜか上を向いて座った。その意味は良くわからなかったが、まずはシャワーで濡らす事にした。
でも、何かがおかしい。水を掛けた時の水より、体から流れ落ちる水の量の方が減っているように見えた。もちろん、たまった汚れ含む茶色の水はそのまま排水口へと吸い込まれて行く。しかし、良く見ると明らかに水量が釣り合わない。一旦水を掛ける方法を桶に切り替え、首元にヒレの様な首飾り(?)辺りから手もみで洗いながら、掛かった水の行方を詳しく見ていた。
するとどうだろう。薄い産毛しかないツルツルとしたの皮膚に付いた水滴が、徐々に肌へ取り込まれて行った。単純に蒸発した訳でも無く、本当にティッシュが水を吸収するように。それと同時にその体も心なしか少し、肉付きが良くなっている様にも見えた。
顔はどう洗おう、の背中のヒレはどうしようと、考えながらゆっくり腹をなでていると、
「どうかしたの?さっきからずっとおなかばっかりなんだけど」
「ああ、まあ。考えてた、このヒレってどうすりゃいいんだ?って」
「別に普通に洗ってもいいよ」
「その普通がだな、わからないんだって」
「えっ、ああ、ごめん。この所もさっきと同じようにしていい」
こうして会話している時間だけでも、あっという間に表面の水気が無くなってしまう。この不思議な体質が気になったが、このことは後に置いておき、また桶で水をかけてあげた。
さっきと同じように、とは?と思いつつもできるだけ普段通りの犬の洗い方で試してみた。その反応は見た所、大丈夫な様だった。尻尾の尾ビレまでしっかり手で洗い、頭の部分も洗い終え、後は四肢だけになった時、ねえ、と声を掛けられた。
「この体の事、もうそろそろ気になってるんじゃない?」
「まあな、よくわかんねーけど水が吸い込まれて、なんか太り始めてって。一体なんだ?」
「知らないと思うけど、これは"ちょすい"ってやつなの。簡単に言うと受けた水を自分の物にしちゃう"とくせい"ってやつ。分かる?」
そういえば、特性とかそんな物があったな、カフミがよくそんな事を言っていたなと、思い出していた。
「変な物だな。別に水を溜めた所で、水不足にならないだけで、直接的な栄養にはならないのに。左脚持つぞ」
「あいよっと。あんまり栄養にとかに使わないね、まあ水なんか口からでもいいし」
「じゃあ、使い道が他にあるのか?後、ちょっと失礼して」
今度は右前脚を洗いながら、更に聞いた。
「戦いで、仲間の身代わりになるって所かな。ブースターみたいに水が弱点になっているポケモンをかばったり、そのまま溜めた水を相手に返したりと、色々出来るの」
「なるほど、よくわかんないけど、そうなんだ」
どっちよ?とシャワーズは思った。こうとなれば多分、お世辞でも“分かった”と、言っておいた方がいいとでも思ったのだろう。思いやりと言うべきか、大きなお世話と言うべきか、やっぱり変な人間だな、と再認識した。
「あと、原理ってどんな感じ?」
「さすがにどんな風に水を吸うってのはわからない。感覚で言うなら、染み込んでくるって所、かな」
さっきと同じくやっぱり原理とか詳しい所は知らないのようだ。
でも、もう一つ、疑問はある。後ろ脚の裏の肉球をもみ洗いしながら聞いてみる事にした。
「あのさ、人間にこうやってふれ合うのって嫌じゃないのか?」
「他の連中はどうかわからないけど、私は別に何も思って無い。人間って確かに嫌だけど恵って言ってたよね、あんただと不思議とそういうのが無いの。形格好は人間なのに私らを何も知らないってなんか新鮮で憎めないし、むしろ愛着が湧くから。とにかくそんな感じよ」
愛着が湧くのは少し違うと思う、こっち側からだと迷惑だと思っていた。しかし、これで自分を襲うつもりは白い紙のわずかな染みを気している位の物だと分かった。
「そう。まあ、ざっとこんな感じだろ。次の連中がまだ沢山いるし、とっとと終わりにした方がお前もいいだろ。多分仲間とお喋りでもするんだろうし」
「そうね、出来ればもう少し隠し芸みたいな事をしたかったけど」
「ごめん、そういう事はもうこりごりだ」
まだやるつもりだったのか、並の人間なら普通に心臓が月までぶっ飛ぶ位の出来事が朝のうちに何度も起きているのに、この事がまだ沢山あるのか、とにかくこのポケモンと言う生き物、本当にやりたい放題以外の何物でも無い。恵は全く違う次元でこいつらが暮らしていた事を改めて再認識した。
充分に水を吸ったシャワーズは水を拭き取る必要は無く、一枚のバスタオルが無駄になってしまった。結局意味を成さなかった布の山を見ながら、
「あと、念のために言っておくけど、こうした能力を持っているのは私以外いないからね」
「そうですか」
シャワーズが助言をしてきたが、恵は返せる言葉はそれだけだった。
二人(正しくは一人と一匹)は風呂場から出ると、それ以降、目立った会話も無いまま、それぞれの目的に向かって縁側へと向かって行った。
戻って来て、再び外側に目をやると、
「ありゃ、誰もいないじゃん」
「どうせ遊びに行くとかでどっかに行ったんだろ。あんま遠くに行ってなけりゃいいが」
二匹を除き、きれいさっぱりいなくなっていた。
「こいつはまあ、あれだから、ひとまずはアスパラガスに擬態しているのか知らないけどあいつに聞いてみよう」
「そうね。そういえばどうして何でもかんでも“あいつ”“そいつ”“こいつ”でオスもメスも一緒に呼んでいるの?まさか、まだ名前を覚えていないとかは無いよね」
「何で分かった?」
「いつもの事じゃないの?」
どうせそうですよ、と心の中に響かせながら、
「なるほどね。じゃあ、あいつに聞いてみるか」
「リーフィアに、ね。あと、私も一緒に行かせて」
恵はきつくなったサンダルを履き、なぜか私も行くとか言って、連れて行く事になったシャワーズを抱えて庭に出るのであった。