本来いない生き物と緊急処置
二人は暗黒の森の中を時々止まりながらも走っていた。
「もう、本当に何が起きているの!」
もうカフミは我慢の限界だった。今まで冷静にしてきたが、いろんなことが起きすぎて、ついに
堪忍袋の緒が切れたようだ。なだめるように、
「もう仕方がない、こっちだって訳が分からないんだ」
と、木を見ながら恵は言った。
「仕方がない、か。まあ、確かめないとわからないもんだし」
ついて来たカフミが答えた。憤慨していたのはさっきの一言だけで、今は冷静になっている。
「にしても凄いね、木の節や形だけで居場所が分かるなんて。本当にこの方向でいいの?」
カフミは、恵の後について来ながら驚いたいた。
「合ってる。一応は」
また木を見ながら恵は答えた。森の中で遊びながら育ってきたので、ほとんどの場所は恵の頭の中に入っているそうだ。木が成長していたり、切り倒されていたりと多少の変化はあったもののあまり支障にはきたさなかった。恵は続けて、
「えーと、マフィアだっけ。そいつらと会っても一応大丈夫ってことなんだっけ?」
と確認をしていた。今は木を見ては走る、また木を見ては走るの繰り返しである。明るければ、こういうことしなくても良いのだが、暗いと足場が分からなかったり、危険だったという場所もわからないので、木を見て判断しながら進んでいる。恵はもう、驚きを通り越してあきれ果てていた。そのため、ある意味冷静である。カフミは懐中電灯でわずかに闇を照らしながら、そのことに答えた。
「こっちは護身用の武器もあるし、そう簡単にはやられないと思う。けど、気を抜いたら終わり。わかるね」
ああ、ともうどうにでもなれといった感じで受け答えをすると、
「誰かがくる」
恵の一言で気づかれないようにカフミもすぐさま灯りを消した。緊張の糸を張り、太めの木の陰に隠れていると、何者かの足音と話し声が聞こえた。
「ほんとに手こずらしやがったな、チビの癖に。捕まる時はあっさり捕まりやがって」
「ほんとだよ。同情する。最後のギャーとかマジ
喧しかったし」
「そうやってガヤガヤ文句言っているお前らもな」
「あんたは呑気にしてるけど、ジュウはどうして・・・」
だいたいこれぐらいで、会話は聞こえなくなった。さっきの“ジュウ”とは神社の茂みから出てきたあの男であろう。顔や姿を見ることができなかったが、声の種類の数から推測すると三人はいるようだ。こいつらが怪しい、と目星をつけて恵達もその男達のあとについていくことにした。
男達のライトの灯りを頼りに尾行していると、その灯りの動きはある地点で止まった。まだ気付かれている様子は無いので、ここが男達の目的地のようだ。木の陰と夜の闇の中に潜みながら恵達は男達に近づいて行った。
近づいて行った場所は、森の中の開けた場所で、恵が見たところでは予想通り、男達は三人だった。男達のうち二人は切り株に腰をおろしていた。そして、残る一人は何かを持っていて、おとなしくしてろ、と声をかけると、草木でカモフラージュしてある檻のようなものに持っているものを投げ込んだ。その物はよく見えなかったが、多分小動物らしき物である。恵はこの一通りの出来事を見てから、
『作戦って?』
と書かれたメモ用紙をカフミにみせた。恵に夜光ペンとメモ用紙を渡した理由は、暗い時で、なおかつ声を出せない時にでも、コミニュケーションができるようにするためである。
『その一、まずは私が反対側に行く。
その二、私に向かって石を投げる。石は大きめにし、音を立てるだけで当てないように。
その三、全員が私の方向に振り向いたら一番近い男に襲いかかれ。首の筋にチョップいいから。残った二人はめぐに気を取られている隙に何とかする』
これでどう?と言ってるように首をかしげた。恵も無言で、何かを書き始めた。
『タイミングは?』
『行動を開始してから十秒後』
カフミのメモ用紙を見ると、恵はわかった、と言うように無言でうなずいた。恵のうなずきを見ると指でカウントダウンを始めた。一秒ごとに指を折りたたんで行き、やがてグーになると、ほとんど何も物音を立てずに、開けたところを回り込むようにして動き出した。
カフミが行動を始めると、男達の雑談をよそに、恵も心の中で一秒づつ数え始めた。十秒を数えると、足元にあった大きめの石をカフミがいるであろう方向に投げた。投げた石は闇の中で音を起こすと、案の定、
「何者だ!」
「ジュウ、なのか」
と男達は思いを口にしながら、音のした方向に近づいていった。作戦通り、まだ、恵の存在に気付いていない。
完全に音がした所に気をとられている所に、恵はできるだけ音を立てないように一番近くにいた男に忍び寄った。そして、手刀を男の首筋に、としようとした瞬間、気付かれた。が、恵のがむしゃらな攻撃が一歩早く、一人の男が倒れた。
「な、何だ!・・・あがっ・・・」
動揺している中で出した声も虚しく、その隙を狙っていたカフミにあっという間に、やられてしまった。
「なんか、意外とあっさりだった。カフミがほとんどやったけどな」
今まで消していた灯りを点けながら、恵は感想を述べた。
「本当に期待外れもいいとこよ。あんな豪華に武器をしっかりと支給されて、あのへっぴり腰。一人の丸腰の人間にいたぶれただけで『うわぁ』って。本当にシャレにならない。無駄に警戒していたのが馬鹿馬鹿しいぐらい。やっぱりチンピラにもならないザコだったのかな。こういう意味でも日本は平和なんだねって思った」
カフミは愚痴のような感じの感想を述べた。そもそもこんな事が起きる事自体おかしいと、冷静になった今になって、思っていた。恵は、地面の上に寝ている男達を見ながら、
「こいつらどうする?」
「普通にさっきと同じようにする」
そう言うとカフミは三人を木にひとまとめにしてから、同じように懐から全て引っ張り出した。作業が一通り終わると、
「さあ、ここからが本題。あの中には一体何が入っているのかなー?」
先ほどまでの緊張感もどこへやら、と言わんばかりにわざと語尾を上げて、どっかにありそうな司会者みたいな感じでカフミが喋った。よほどこの瞬間を楽しみにしていたのだろう。そんな茶番も無視して、恵が勝手にかぶせてある木の枝や葉っぱを取り除こうとすると、
「ちょっと、記念みたいなもんだからさ、一緒に開けてみようよ」
「そうする必要あるのか?別にいい」
「別にいいならさ、一緒にやってもいいんじゃないの?」
「はいはい、わかりました」
そんな
大袈裟にしなくても、と心のなかで思いつつもカフミと一緒に開ける羽目になった。すべての葉っぱを取り払うと、非常に重厚感のある金属製の檻の蓋が顔をのぞかせた。その脇には鍵穴があり、その鍵穴に男達からひったくった見慣れない形の鍵を差し込んだ。音がしてから、カフミはいかにも楽しそうに、
「そもそも鍵がないと開けられないのをわかってて先走ってたの?ま、今となってはどうでもいい事だけど」
さっきのことを注意してた。恵は、事の進み具合が悪いと思いながらも、
「そうでした。じゃあ、開けるぞ」
軽く受け流すことにした。カフミはテンションがなぜかMAXだったが、やっと開ける気になったようだ。冷たい鉄板を持つと、
「なんか奴らが良くわからないことを言ってたけど、別にいっか。行くよー。せーの・・・」
そこまでは、明るいムードだった。しかし、次の光景で、一気にあの神社の時と同じ、いや、それ以上のわけのわからないあの恐怖に陥れられるのであった。
音は重さの割には大きくなかった。ある程度上がったところで落下防止用のロックが掛かった。すぐさま懐中電灯の光の筋を狭い暗闇に向けると、
「・・・嘘、でしょ、何がどうなって・・・」
それを見てカフミは絶句した。現場理解できずいる横では、また別のある強い感情、というより、過去の忌まわしい記憶が渦巻いていた。
目の前で助けられたはずなのに、助けられなかった命。自分の未熟さによって殺してしまったあの命。ほかにも思い出したくないものはたくさんあるのに、今この瞬間だけはさっきのことが鮮明に脳内で蘇った。
彼の医者としての本能は恵にそのこと以外、選択の余地を与えなかった。今、目の前にある、消えかかった命を助ける。もう二度と過ちを犯したくない。その考えが、意思も思考回路も乗っ取る位に大きく働いていた。それだからほとんど、今の状況を把握せず、対象もクソも関係なくただ助けようとしていた。現実ではいないはずで、さらに恵は全く知らないとも言えよう“ポケモン”を。
カフミが珍しく腰を抜かしているのもお構いなしに、
「とにかく、タオルでも布類ならなんでもいい。体温を保護できるものを!」
「えっ?ああ、ちょっと待って」
自分が指示される事は何年ぶりだろう、と思っていたが、恵の凄まじい剣幕に押され、なぜか、あまり変なことを考える気にはならなかった。恵の目、あれは確かにいつもと違っていた。そんなことが真面目に考えられた唯一の事だった。ポケモン達は全員かなり太い首輪をしていて気を失っている。ただ今はバスタオルなどをリュックの中から出して恵に渡す事しかしてなかった。恵も小さいやつから順に、タオルに巻いてるようで、尻尾を出す形で巻かれていた。特に小柄な“イーブイ”と見られる小動物は丁寧に分厚く包まれていた。しかし、最悪なことに、リュックの中にある物で使えそうなものはもうない。仕方がないと思いながら、聞いてみた。
「ねえ、おっさん達のやつでもいい?」
無言でうなずいた。話を聞きながらも、全く目の焦点をずらしていなかった。その目はまさに、“獣医の目”の様で、あまり詳しくなくても雰囲気でカフミは感づいていた。あまり良いのはみつらなかったが、無いよりはマシだろうと思って恵に渡した。丁度、足りた様だが、最後の一匹、ヒレがある“シャワーズ”のおかしな体の形に苦戦したが、全員包み終わったようだ。すぐに、
「重傷が三匹いる。入れられる大きめの袋は?」
「このリュックでなんとかなる?」
「確かに入りそうだけそれじゃ全員分の気道が確保できない。何か他のある?」
するとまた、気にくくりつけてある男達をみて、
「あれでも大丈夫?てか、あれしかないけど」
恨まないでね、と心の中で思いつつ背負っていたカバンを力の無い肩から取り上げた。カフミのリュックに重傷と診断された三匹を慎重に入れ、取り上げたカバンに二匹ずつ入れると、
「簡単な手当はこれまでしかできない。後は色々機材が揃えてある家に行こう」
数年前に営業を止めていても、そこそこ使える物はまだ沢山残っている。そこでより良い治療が出来ると思い、恵はカフミのリュックを、カフミはカバン三つを二つは両手に、一つは首にそれぞれ持って、急いで走って家に戻る事にした。
今は一刻を争う事態なのはカフミも分かっている。しかし、恵の方が荷物の重さが軽いはずなのにペースが少し遅い。中の生き物を心配しているのだろう。そう恵のペースに合わせていながらも、意外と早く家に着いた。
恵は、普段は入らない病院の入り口を開けると、すぐに、
「患者用のベッドが入って右側の前から五番目の部屋に入っているから三つ出しておいて」
そう今までにない緊張感のある早口で言い、恵は待合室の椅子にリュックを置いた後、すぐに別の部屋に入って行った。カフミも負けじと言われたことをこなしていた。
三つのベッドを運び終えたのと恵が本気モードで戻ってきたのはほぼ同じタイミングであった。さっきとは別人に等しい位の身の変わり様の恵は、
「重傷の三匹はこっちで対処する。残りの六匹は、三匹づつ寝かせておいてくれ」
と言い、リュックから三匹〜ピンク色で二股の尻尾が特徴の“エーフィ”と黄色でヤマアラシみたいな(その時は毛並みが荒れててそう見えなかったが)体毛の“サンダース”、あと一匹はわからなかったが、ベッドに横向きに寝かせたあと、
「あと、くるんでる布類はそのままじゃなくて解いて、上にかぶせるようにして。終わったらこっちに来て。そうだ、出来ればその重々しい首輪も外しちゃってくれ。かなり体の負担になると思うから」
と矢継ぎ早に指示を出した。雑に見える包み方も、実際にはそう簡単にはほどけにくく、しっかりと全身を包んでいて、それでもって苦しくないようにゆったりしてある形で、ある意味その職業を目指してるだけの実力がある様に見えた。同じように見えるものもほどいてみれば、大小様々な布が継ぎ足して形を成しているので、“様に”みたいな推測ではなく、“である”と言った断定に、見方を変えた。
布を被せてある六匹を乗せたベッドと一緒に、カフミは恵がいるオペ室(のような所)に向った。そこでは、
「どうしよう、体温が上がらない。もうそろそろ35度台に戻るはずなのに。あっ、カフミ、手伝ってくれ。残りの六匹、てか全員は飢餓状態だけど、そっちのは呼吸も体温も安定しているから大丈夫だと思う。気を失っているのは麻酔を打たれているからだと思う。まず、とにかくこいつ何なの?」
恵が手当をしているのは、全体的に水色で、足と尻尾の先と背中にあるひし形の深い青がトレードマークの“グレイシア”だった。残りの二匹は既に手当が終わっており、横に寝かしてある。しかし、その光景にカフミはあっ、となった。なんと、“氷タイプ”をお湯で温めていた。それに気づき速攻で白衣姿の恵を突き飛ばし、ポケモンをお湯から出てあげた。後ろで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている恵に、
「あんた!何やってんのよ!」
と、久しぶりに本気で怒鳴った。
「いやあ、低体温症だから温め・・・」
「そこ!グレイシアちゃんは氷タイプ、分かってる?」
「えっ?ああ・・・、ってはあ?」
恵の頭の中では完全に訳の分からない事が起きて、パニックになっていた。
「ちょっと待って、30度でさ、えっ、どゆこと?・・・おかしい、絶対に変だ。おかしすぎる、普通にありえないんですけど。・・・」
だんだん声が小さくなり、最後のほうは、口でパクパクしてるだけになった。カフミは、
「今までの医学的な発想じゃ、ついて行けないんじゃない?」
「今までの発想じゃついて行けない?どう説明しろと?わかんないや・・・、あはは、あははは・・・」
恵の理解の許容範囲を飛越え、ついにぶっ壊れてしまったようだ。この様子じゃ、何を話しても無駄であろうと思ったカフミは、そういえばと思い出し、近くにいたエーフィから外す作業を始めた。この首輪、明らかに逃亡防止用の重さがありそうだ。もちろん辛そうなので、とっとと楽にしてあげようと、首輪の境目に手を伸ばした。
しかし、外そうとしたその首輪には、
『pass word ****』
と、1〜9までの数字が書かれたボタンがあった。どんだけ厳重にしてあるのよ、と心の中で思いつつ、
「シャーない、ハッキング、始めるか」
と面倒臭そうに独り言を言った。一度、待合室に戻り、普通だったら使わないはずの、ノートパソコンとぺンチ二本をリュックから出した。パソコンを開き起動させ、首輪をペンチでいじくった。やがて、首輪から引きずり出した何本かの導線をパソコンに繋ぎ、またパソコンをいじると、
「楽勝ね」
という彼女の言葉とカチャ、と言う音が同時にした。どうやら鍵が空いたようだ。首輪は変わった開き方で、例えるようなら、折り畳み傘を円の様にした様にして開いて、最終的には元の大きさの六分の一まで小さくなった。
他のも同様にして次々と開けていった。中には首輪以外にも、ニンフィアのあのリボンの様な物をボビンに似た形の物に巻き付けられてあったりもした。ちなみにそれもロックが掛けてあった。
外せる物を全て外して、パソコンなどをリュックに戻し、存在を忘れていた恵をふと見ると、口を大きく開けて座ったままとんでもない格好のまま寝ていた。野山を走り回った上に、今までにない集中力を使い、肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまったのだろう。
「だらしないわね」
そう呟きながらも、結局、寝るであろう部屋(この病院と恵の生活スペースは繋がっている)に運び込んだ。起きた時の為にイーブイらを寝かせているベッドも近くに移動させておいた。
彼女は忘れ物がないかと荷物を整理していた。気がつけば夜の十時を回っていた。さすがに恵の家に無断で泊めて貰うのはまずいので、闇の中を帰ることにした。
大丈夫かしら、とため息をしつつも恵の家を後にした。
しかし、カフミは重大なものを三つ忘れていることに、電車に乗ってる中、今更ながらに思い出した。
一つはひ弱な男達を忘れていた事。もう一つは恵がポケモンの知識に皆無であった事。
そして最後は、これから何が起きるかわからない、恐怖と付き合っていくことになる事を。