非常事態宣言
彼は現在、田んぼのあぜ道を歩いている。先程、カフミは、
「こっちは先に準備してくるから、集合はめぐんちで」
と言い、駅で別れると先に行ってしまった。カフミはこういった事件物といったものに便乗するのが好きな性格である上、八日間もこもりっぱなしって言うこともあったのか、いつになくウキウキしてた。せっかちなことも作用していたのだろう。ちょっと気づかぬうちに、恵の視界にカフミがいることなかった。それで仕方なく今は一人で帰る羽目になった。
何気なく下を見ると、時間はまだ遅くないはずなのに、すっかり影が伸びていた。同時に、カフミの昨日の話も思い出した。気づけば、あれほど
鬱陶しかった攻撃するような日差しや、天地が砕けんばかりと、叫ぶように競い鳴きをしていた
蝉の声も今となってはすっかり恋しくなってしまった。
これが秋、これが
愁い、というものか、彼は盛りを終えた田んぼを見ながら思っていた。夏の暑さも、生命の猛りも、今ではゆっくりと穏やかに衰えるばかりである。そんなふうにありふれた事もぽっかりと無くなると、虚しいような、切ないような。どんな気持ちにも例え難い“愁い”、まさに“秋の心”であった。
そんなこんなで彼は駅に着いた。基本、人工物と認められるものは駅の建物や田んぼを除けば少し離れた所にある公園の遊具と、絵画にあるような白いシミのようにしか見えない遠くの住宅街ぐらいしかなかった。
次の電車が来るまであと30分ぐらい空いている。ちょっと暇つぶし程度にブランコで遊ぶことにした。もちろん揺れているだけである。それでも彼にとっては十分な暇つぶしにあった。ちなみにこの電車を逃すと昨日の電車と同じ時間帯になる。
どれくらい経ったであろう、そろそろ来る頃の時間になった。彼はほとんど柵のない形だけの公園の敷地を出ると、駅へ向かっていった。無人のホームにある精算機みたいな物(正式名称はわからない)の差込口に定期券を入れると、ピッ、と音がして定期券が出てきた。基本これだけで電車に乗れる。あと電車が来るのを待つだけだ。
にしてもカフミは準備だけなのにまだ来てないんだろう、彼は思っていると、ほどなくして一両編成の見慣れた車両が、プラットホームに滑り込んできた。彼がその車両に乗ると間も無くその車両はひとりでに動き出した。
彼は駅を出ると、目と鼻の先に白波を立てている海が見える駐輪場に出た。駐輪場といってもほんの二つ、三つぐらいしか自転車を止めてはいないが。そのうちの一つの自転車のハンドルを手に取ると、自転車に乗り、目の前にある左右二つにしか分かれていない道の左側へと漕ぎ出した。
彼の家路は駅の分かれ道以外、基本一本道である。その通りの中に浜辺の商店街や、少し外れたところに漁港、他にも棚田状の石垣の上になっていて、もうすぐ収穫期を迎える
蜜柑畑などがある。今回はその途中にある商店街で彼は道草を食っていた。
そういえば、と思いつつ、彼はいつもより活気がある商店街を自転車から降りて歩いていた。今この時期は、ハロウィンだの鮭の水揚げだの柿の収穫期だので多くの人(大都市と比べればかなり少ない方だが)で賑わっている。時折肌を刺すような風が吹くが、そんなことはねのけるように様々な客寄せの声が飛び交っていた。そんな中で、
「あれ、めぐちゃんじゃねーか」
突然、特有のだみ声で声をかけられた。
「あっ、“岩ちゃん”じゃん。どうしたの」
“岩ちゃん”と呼ばれた中高年の男性〜岩下 巌(いわした いわお)は、ここ地元の漁師である。どうやら荷物を運んでいる途中に出くわしたしたようである。すると、これだこれだ、とカートに山積みにされた発泡スチロールの箱から一つをとると、
「ちょいと誕生日祝いだ。こんなもんだけど受け取ってくれ」
「毎年、毎年すまないね。今年は早めだけど・・・って鮭!?しかも七匹って、大丈夫なの」
「平気だよ、うちの仲間に言ってあるから」
「『言ってあるから』とかじゃない。結構値が張るもんじゃないの?しかもこれ、一番鮭じゃん」
「遠慮せんでいいよ、年に一度の誕生日なんだからこれぐらいのもんじゃないとふさわしくないだろ。・・・おお、そうだ、こうしないと、だな」
岩ちゃんは自分自身のクーラーボックスからビニールひもを取り出すと、恵の自転車の後部座席に鮭が入った発泡スチロールの箱をそのひもでくくりつけた。ちょっと左に寄ってから恵は自転車を押しながら、岩ちゃんはカートを押しながら会話をしていた。
「ありがとう、で、なんでこんな早い時期に?」
「漁で丸一ヵ月帰ってこれないからな。ちょうど明後日出港だったからな。ま、会えて良かった。そういえば、めぐちゃんは“あそこ”に行くのかね?」
まあ、と恵は返した。岩ちゃんが言っていた“あそこ“とは恵とは違うもう一人の青年がいる場所である。ちなみにこの地域で青年と呼べるものは、恵を含めて二人だけである。
「まあ、お人好しなところがめぐちゃんらしいけどな。あとはあそこの爺さんところによろしく言っといてな。こっちは商売に戻る。元気でな」
「岩ちゃんこそ一ヶ月の遠出、気をつけてね」
そう言って別れると岩ちゃんはカートの向きを変え、店の中に入っていった。恵もさっきまで押していた自転車に乗り、ペダルを漕ぎ始めた。いつもよりペダルが重いと感じながらも、まだざわついている商店街を彼は一陣の風となって突き抜けた。
「おう、めぐ。おかえり」
「ただいま、たけ爺」
今回はいつものようにあの老人が立っていた。
「その荷物、どうしたんじゃ?」
「岩ちゃんにもらった。誕生日祝いとかで」
「今は無理かのう、わしもあるんじゃが」
「一旦家の中の冷蔵庫にしまってからまた来る。ちょっと待ってて」
そう言って彼は自転車の荷物のビニールひもを解くと、頭に乗せてから玄関を開け、部屋の中に持っていって行った。
しばらくして、彼が玄関から出てきた。すると老人はたくさんの椎茸を乗せたざると、一つの発泡スチロール箱持ってきて、近寄ってきた。
「これじゃ、わしの
榾木で育てた椎茸。それと・・・」
ちなみに、この老人の本業は、椎茸を育てる農家である。そのため、この時期になると彼の誕生日プレゼント(?)も兼ねて、おすそ分けしてくれるのである。ちなみに榾木というのはきのこを育てるための丸木である。
ただ、それとは別の発泡スチロールの箱の中身を見て彼は不意にあ、と声を漏らしてしまった。
「今日商店街で買ってきた鮭じゃが、なんじゃい?」
「これって・・・、ちょっと言いにくいんだけど、さっきももらったやつなんだけど」
「そうか、なんかすまんのう・・・。同じものばっかりで」
「いやいや、これはたまたま同じものだったから大丈夫だって。充分嬉しいわけだしそんなに落ち込まないで、たけ爺」
彼はそう老人をなだめた。
「そうか、おぬしが嬉しいと思ってくれたならそれで何よりじゃ」
彼の弁解も効果があったのか、老人は気を取り戻した様子だった。
「それにしても、おぬしも、気が付けば十七か。時が経つのが早いのう」
老人は今までの記憶を頭の中でなぞるように、恵の今の姿と照らし合わせつつ、思い返していた。そんな事をよそに、彼は切り出した。
「ところでたけ爺、何で昨日はいなかったの?」
「昨日か?昨日は将棋大会だったからのう。長引いて長引いて結局終わったのは夜中だったわい。心配させてすまんのう」
「まあ、理由もわかったからこんなもんでいいか。じゃあたけ爺、椎茸と鮭、ありがとね」
いなかった理由もわかり、ほかに話す話題もないので彼は家に帰ることにした。笑みをたたえている老人に背を向けると、やや重い荷物を頭に乗せてから自分の家の中に入っていった。
彼はさっき貰ったものを冷蔵庫の中に一通りしまうと、それからは後は何をするかを考えていた。もちろん、貰った物で料理をして、カフミをもてなすのもいいだろう。しかしカフミのことである。何かしら食べてきてからこっちに来るということも可能性はあることも、そもそも自分の身を案じて、遠慮して食べてくれないということもあり得るので、結局、自分の分だけを作っておくということになった。念の為だが、カフミの分も一応作ってある。多分明日の朝のおかずになってしまうが。
本当にそのまま待ちぼうけていても何も起きないので、時間的にかなり早いが風呂に入ることにした。実際、風呂から上がってもカフミはまだ来ていなかった。あとは外に出ることを予想してジャンバーなどの類の上着を着て、その他の軽い準備を済ませると、カフミを待つばかりになった。
どれくらい待ったであろう、気づけば外の風景は深い赤を通り越して夜の不気味さ放ち始めた紫色になっていた。そんな時、やっと待っていたあの、ドアをノックする乾いた音がした。
やっと来たか、と思いつつすっかり暗くなった廊下を早足で抜け、玄関を開けると、
「フャッ!?」
彼は、自分自身が聞きなれない声を出してしまった。突然に、というより気がついたら、目の前に握り拳があったといえばいいだろう。その距離はまさに“寸止め”と言ったぐらいで、計算しつくされているような感じであった。次に、拳を顔から離してから、わざと耳に聞こえるような大きなため息が聞こえてから、
「やっぱダメね、田舎だから仕方ないけど。これから“イタズラ”に付き合う身っていうのに、あんたがそんな無警戒で無防備じゃ、どうなっても知らないわよ」
「・・・はいはい、次から気をつけます」
「『次から』じゃあ遅いの。次からじゃ。こうやって体で覚えさせないとダメっぽいし。どうせ、昼間の話も忘れてるんでしょ、ブイズとか、覚えているの?」
「えーと、サンダースと、ブラッキーと、あとは、ハンデンシュウジュノホウと、コンデンエイネンシザイホ・・・」
「あんた、いい加減調子に乗ってると本気でぶっ飛ばすからね」
「はい、すみませんでした」
ため息をして、一つ間を取ってから、
「とにかく、茶番もここまでにして、今からその藪蔓神社だっけ、そこに行くよ」
「カフミ、そんなにせっかちにならないで、ちょっとは家に上がったら?」
そう?と言いながらも結局、カフミは家に上がることにした。その巨体に隠されて今まで気が付かなかったが、背負っているリュックにはかなりの荷物が入っているようだ。
「なんか食いなよ、家に上がらせておいて何も無いじゃちょっとね」
恵はあまり期待していないが、本当に何もしないではシャレにならないので、念のために聞いてみたら、
「別に大丈夫だから」
と予想通りの答えが返ってきた。それからしばしの間、カフミのリュックの物音だけが流れたが、突然、
「にしてもさあ、一旦家の中に入る意味あったの?まあ、荷物関係のやつならあるけど」
と痛いたいことついてきた。恵の心情をよそに、カフミはリュックの中身をごそごそとかき回しながら聞いてきた。
「準備はどれぐらいやってきている?」
「一応暗くなってきたから懐中電灯は持ってくつもり」
「でもさ、その懐中電灯って本当に点くの?めぐの事だからありそうだけどいざという時に使えないなんて勘弁してよ」
恵はそんなバカな、と言いながらも、その懐中電灯をつけてみると、カフミの“予想通り”、全く点かなかった。あはは、とはぐらかす恵に、
「ほんとに何やってんの?どっかの十年前位のギャグ漫画の展開じゃあないんだから。ここは現実よ。わかってる?・・・仕方がないから予備のやつ使って。念を押して持ってきた事に感謝しなさい」
と、あまりの間抜けさに呆れ返ってているものの、持ってきたもう一つの懐中電灯を恵に渡した。渡すと今度は自分のリュックからいくつかのものを取り出した。中には小型ノートパソコンや非常食、さらに命綱など明らかに雰囲気の違うものもいくつか混ざっていた。
「えーと、全部あるね。んじゃ、出発する?」
どうやら持ち物の確認のようであった。カフミはこれで準備万端のようで、再びリュックに戻すと、今度はまた別のものを渡した。
「これはヌンチャク。もしものことがあったとき、これで戦って」
「あの・・・、わかった」
また同じことを言おうとしたが、結局意味も無いので、素直に受け取った。恵は特にこれといったものもないので、もらったヌンチャクをジャンバーのポケットにしまうと、一通り戸締り確認から、カフミと一緒に家を出た。
「藪蔓神社ってここだったんだ」
階段を上がってきたカフミは懐かしむように漆黒の鳥居を見上げていた。藪蔓神社は恵の家から歩いて五分ほどの近い距離にある。一緒に遊んだ時に来た事は何度かあるものの神社そのものの名前は気にしていなかったのでカフミは初めて名前をその時知った。十数段の石の階段を上ると、ずいぶんと年季の入った神殿が目の前にあった。その神殿の左脇に立っている、というより座っていると言った方が正しいだろう。それぐらい幹が太く樹齢何百年もありそうな立派なミズナラの木がこの神社の神木である。そのドングリがたくさん散らばっている巨大な樹木の下で二人は“イタズラ”の犯人を待つことにした。
「まあ、これからは動揺することが最大の敵だから、気を引締めてね」
「そこまで本気にならなくても・・・、」
こんな状況でもカフミは相変わらずといった調子である。すっかり真っ暗になりながらも樹木の葉っぱを懐中電灯で照らして眺めてみたり、どこかに落とし穴がないか偵察したりして、暇をつぶしてみたが、まだ何も変化はなかった。
「なんか・・・来ないね。どれぐらい経った?」
しびれを切らしてように、カフミが話しかけてきた。
「まだ十分ぐらいしか経ってないと思うけど」
と、恵が返した。
「そう?三十分ぐらい経ってるんじゃない」
「三十分はないと思うけど、やっぱり、ガセだったんじゃない?」
「そうと思うけど・・・。もうちょっと粘ってみる?どうせ家に帰ったとしても何もないわけだし」
「そうだね・・・、ん?」
話していると突然、後から何かが近づいてくる物音がしたように思えた。恵は耳がいいので、カフミには聞こえないほど小さな音も聞こえるらしい。カフミも恵の異変に気付いたらしく、すぐさま今までの雰囲気を捨て、ヌンチャクを手に持ち、懐中電灯の光の筋を茂みに向けて臨戦態勢に入った。恵がやっと聞こえる最低限の声で、何?と聞いてきた。その頃には音も大きくなりその思いこみも確信へと変わった。恵も小さい声で、
「何かがわからないけどこっちに来る」
と答えた。やがてその物音ははっきりと聞こえるまでになていった。多分茂みから襲ってきても距離は十分にあるので、平常心を装っておいて不意打ちを喰らわす方が良いとカフミは判断した。恵にそのことを耳打ちした直後、一人の男が杉林の間から出て来た。その見知らぬ男は
躊躇なく二人にこう話しかけてきた。
「なあ、この辺りで“イーブイを見かけなかった”か?」
「いえ、見ませんでしたが」
冷静に聞けば明らかにおかしい質問に恵は他人事のように答えた。とにかくカフミの指示どおり、できるだけ平常心を偽った。するとそのよく見れば手袋だの色んな装備だのを着けている男は、
「チッ・・・、別の連中が見つけてくれればいいが」
と礼もせず、グチのようなこと言いながら別のところに行こうとして背を向けた瞬間、カフミは、
『今からアタックしてくる』
と指で合図をしてした。その合図を見届けた直後、駆け足でキョロキョロしている男に下に落ち葉があるにもかかわらず猫のように無音で近づいて、次の瞬間、ヌンチャクを男の首に目にもとまらな速さで掛けると、隙も与えず太く強靭な足で細い男の足首を素早く蹴飛ばし、転ばせて倒れ込ませると、上から自分の巨大をのしかからせ、身動きを取らせないようにすると、
「てめえ!人に物事を聞いておいて、礼もせずに舌打ちとは何様だゴルァ!それでもって要は済んだらそのままスルーとは上等じゃね・・・、ってあれ?」
既に男は気絶していた。いきなり突然、鬼の形相で、しかも押さえつけられて上に怒鳴りつけられたので気絶してしまうのも無理はない。ゆすって起こそうとしても意識を取り戻す事はなかった。
「あーあ。情報聞きそびれちゃったけどどうするこいつ?」
そう言いながらも、カフミは手掛かりを探す為に、男の体を物色している。すると、何かを見つけたのか、カフミが手招きをしていた。しかし、カフミにしては珍しく表情が曇っていた。
「これを見て。どういう事を意味しているか分かる?」
「どれどれ、ん?なんだこれ?鎖と、これは・・・」
「あんたが触ったらアカン!」
興味本位に触ろうとする恵の腕をカフミは素早く捕らえた。
「どういう代物だか分かってる?」
「いや、よくわからないけど、もしかして危険があるとかそうゆうやつ?」
その答えに、そうよ、とカフミは言った。手を離した後、更に続けて、
「これはスタンガンと言ってね、高圧の電流を放電して相手を攻撃する物なの」
「触るとびりびり、ってなるやつ?骨が透けて見えるとか」
「あのね、そんな生ぬるいドッキリとかのおふざけ用とかじゃないから。下手したら人を殺せる物なのよ。しかも本来は法律上、持ってはいけない物。なのに所持しているってことは、最悪の場合、マフィアとかヤクザとかのヤバい筋の人の可能性もあるってこと」
「えっ?どういう事?」
話の展開が急過ぎて付いていけずに困惑している恵に、更に追い打ちをかけるように話を続けた。
「めぐはもうこれ以上話しても余計に訳がわからなくなるから結論から言っておく。今は、非常事態なの。いきなりだけど」
カフミが思ったとおり、恵は今の状況をほとんど飲み込めていない。カフミ自身も、自分で言ったのに動揺している。そんな中、恵は今まで触れていなかった話題を恐る恐る聞いてみた。
「あのさ、ずっと気になってる事があるんだけど・・・」
「何?」
「“イーブイ”ってさ、ゲーム上のキャラクターだよね。何でさっき『見かけなかったか?』って聞いてきたんだろう」
今も倒れている男を見ながら疑問を言ってみた。カフミは下ろしていた腰を起こして、
「そうよね、気づいてたけど深く気に止めていなかった。けど、やっぱり私も気になる。あと、こいつ、やっぱり完全にマフィア辺りの人間だった。これを見て普通の人間に見える?」
カフミは手に拳銃を持っていた。
「さっき中身をばらしてみたけど、本物よ。証拠に実弾もある。もしかしたら・・・、言わずとも分かるよね」
恵は完全に固まっていた。カフミがなぜそんな事が分かるのか、の前にメディアを通してしか見た事がない物が目の前にあるという事実、そして今さっき、本当は殺されるかどうかの瀬戸際であった事実を受け止められない方が先であった。
「ちょっと待って、単なる“イタズラ”じゃなかったの?いきなり生きる死ぬのレベルになって・・・」
「とにかく一旦冷静になろう。さっき聞こえてだと思うけど、こいつの他にも仲間がいるし、何人いるかもこっちは分ってないの。そのうちこいつの仲間の奴らにこの事を気付かれるのは時間の問題。今ある選択肢は二つ。今から逃げるか、さらに深追いするか」
多分この状況でいちばん自分の感情を押し殺していうのはカフミであろう。カフミ自身もこの状況は初めてのことなので、あと少しでパニックになりそうだった。恵も言われた通り冷静になろうとするが、どうしてもあまりの急な展開に対応しきれずにいた。
「ま、まず、この男をどうしよう」
「ひもを切れそうな物を全部懐から引っ張り出して、木にくくりつける。これでどう?」
言ったそばから恵の了解も得ずにとっとと終わらせてしまった。背負っているリュックから取り出した太い縄で近くの木の幹に意識のない男を動けないように縛り上げると、出てきた武器は手の届かないところに放り投げておいた。
「それじゃどうする?これは一応持っておいて。護身用に」
男から剥ぎ取ったスタンガンを渡しながら恵に聞いた。
「じゃあ、とっとと逃げ・・・」
「ピギャー・・・」
恵が言おうとした時、音こそは小さかったものの何かの鳴き声のような、叫び声とも聞こえる音がはっきりと二人に耳に聞こえた。
「今度は何?鹿?熊?猪?」
「違う、・・・聞いたことがない、本当に。多分、この森にいる生き物の鳴き声じゃない」
「どうする?確かめに行く?」
「出来るだけしたくないけど・・・やっぱ行く。方向は、山の方から聞こえたから行ってみよう」
そしてその鳴き声はまさに今の状況ー非常事態宣言のようなものであった。