イタズラな紙切れ
対をなすように置かれた紙切れとメモ用紙を見ながら、恵は悩んでいた。
まさか、本当にこうなるとは予想していなかったからだ。それは昨日のことである。
日が沈みかけて、激しく赤く燃えている頃、いつものように彼は家に帰ると珍しくたけ爺が外にいなかった。自分の家にある看板は、彼を迎えるようにいつも通りたたずんでいる。自転車から降り、壁に立てかけると、不自然なことにポストに“手紙”が刺っていた。しかも、しっかりと見えるように。
正月の年賀状や誕生日カードといったもの以外に手紙と言った物が届くのは今回が初めてだった。押し売りのチラシやパンフレットが時々来ることがあっても、本物の手紙は来ることはなかった。やはり誕生日カードかな、と最初は思ったが誕生日にしては早すぎるので、やはり誰かから送られてきた手紙なのかな、と確信した。
「にしても誰だろう」
彼は思わず疑問を口にだしてまった。助けを求めるように赤みがかった家の看板を見上げていた。本当にどう考えても心当たりがないのだ。封筒には差出人も宛先も何も書いていないのでとりあえず、中身を見るために茶色い封筒の封を切った。
「ん?なんだこれ?ええと・・・、『しょご、する、ので、もじ、したの、うら、かき、もどし、いれて、ください、じゅじ、まで』どういう意味だ?これ・・・、あれ、まだ下がある・・・、えっと、『ラ、プ、ラ・・・、』中途半端に切れてて最後わかんねえ、ス?フ?どっちだよ。てかこれイタズラ?」
彼は再び口に疑問を出してしまった。中の紙切れには意味不明な暗号が書かれてあった。外で考えてもらちがあかないので、ひとまず家の中に入ることにした。謎解きは後にしておき、まずは朝の食器の洗い物を終えることにした。洗い物が終わると次は風呂に入る。一日分の汚れを落としてから風呂から出ると、すっかり外は真っ暗になっていた。唯、虫のしとやかな声が、冷えた空気を送り込む、じっとりとした闇の不気味さを打ち消していた。
本来ならこの後に夕食を食べるのだが、中途半端な時間に山盛りのパスタを食べたことが
祟ったのか、全く食欲がなかったので、暇つぶしも兼ねて謎解きを再開した。逆さまから読んでみたり、文節の区切り方を変えたり、文字の入れ替えをしたり、読む順序をかえたり、と、色々していき、解読した結果は、
『照合をするので下の文字を(紙の)裏に書いて(ポストに)戻し入れて下さい。十時までに』
と、確証はないがこんな感じになった。とにかく要旨は下に書いてあることをこの紙の裏に書いて照合しろ、とのことだ。にしても最後の“下半分が消えた文字”は未だに決着がついていない。本文からまたヒント探そうとしたが、結局進展はなく、よくわからない状態のままになっていた。
でも希望は完全に消え失せたわけでは無い。確定要素は低いが、『ラ、プ、ラ』が入っている単語を探しでそれを当てはめると方法があった。そうだ、辞書を引こう、とどこかの旅行パンフレットのキャッチフレーズにあったような言葉をひとりでに言うと三年前の誕生日プレゼントにもらった電子辞書を使うことにした。まずは『ラプラ“ス”』を辞書の検索機能で検索すると、
『ラプラス【Simon Laplace】 1749〜1827
フランスの天文、数学者。太陽系の星雲説を発表・・・』
とあった。正直、こんな名前聞いたことがないが確かにいること間違いないようだ。念のため『ラプラ“フ”』と、辞書で検索しようとすると、タイミング悪く洗濯物が終わった事を知らせる音が鳴った。検索ボタンだけを押してから、洗濯物をハンガーに干すとそれらを束ねて、漆黒の闇とかすかな歌声だけが支配するベランダの外に出た。物干し竿に二日分の洗濯物をかけた何本ものハンガーをフックを掛け、明が灯った部屋に戻ると、
『該当する候補はありません』
と出いた。どうやら、『ラプラス』で理論上、合っているようだ。確定要素はないが。
しかし、いざ実行しようとすると彼の中では二つの好奇心がせめぎあっていた。戻すか戻さないか、この二つに一つの選択肢、唯、イタズラみたいなものに軽い気持ちで暇つぶし程度に付き合っているだけなのになぜか、言葉では表すことができない混沌とした感情が、彼の心の中でほとんどの面積を占めていた。
もし、このまま無視をしたらこの後はどうなるんだろうか、たとえ書いてポストに入れたとして、果たしてどうなのか、そもそも言葉が合っているのだろうか、そんなものは何もわからない。その中で唯一わかるのは実行するかしないか、それだけである。
「いつまで考えても、きりがねえからな・・・。ここは恒例のやつで決めるか」
彼はモヤモヤした気持ちと決別するように言い放った
「10が出たら“やる”。平等院鳳凰堂が出たら“やらない”。これでいこう」
彼は財布の中から硬貨を取り出すと白い天井に向かって、二つの運命を乗せたそれを投げた。カツンと音を鳴らしてから、思ったより早く落ちた十円玉はーーーー
「そして、この
様だと」
昨日のことを回想するとため息の代わりにこの言葉が出た。結局、さらに意味不明な文章を呼ぶことになった。中身をほとんど、やっと全て覚えた小学一年生のような平仮名で、時々文字が左右反対である上、単語ごとに所々順番が入れ替わっているなど、苦戦を強いられたが一応解読はした。ある単語以外は。
今朝、昨日の分が残っていて料理をする手間をはぶけたので、ポストを覗きに行った。彼はまさかだろう、と思いながらもその中覗き込んだら“案の定”、入っていた。彼も覗き込んだ瞬間、ありえないはずのことが起きていたので、硬直してしまった。今まで彼の余裕の気持ちや、いつもの感覚もすっかり消し飛んでしまった。その瞬間、あまりの異常現象に彼の心の中は消し飛んだ分以上に恐怖が入ってきた。ちなみにもともとあった手紙は入れ替わったように今の手持ちにはない。
その手紙の内容は、
『あなたにとっては、何にも関わりはないでしょう。見知らぬあなたも、私(僕)たちには何の関係もありません。唯、これだけはいえます。私(僕)たち、“ズイブ”は生命の危機に瀕しています。あなたは何にも知らないかもしれません。でも、もし助けてくれるのなら、助けて欲しいのです。もちろん、あなたが助け無くても、あなたの人生には何一つ影響ありません。でも、助けてくれるなら・・・、未来予知なら薮蔓神社の神木で』
と、だいたいこんな意味の文章であった。藪蔓(やずる)神社は近所にあるのですぐにわかるが、唯一片仮名で書かれたこの“ズイブ”というのは未だにわからない。辞書で検索しても、随分としか出なかった。ン、の書き忘れと予想してみたものの、どうしても文章がおかしくなってしまう。入れ替えたところでも、それらしい名詞も見つからなかった。『未来予知なら藪蔓神社の神木で』といった宣伝のような文章も正直よくわかっていない。もちろん、解読の仕方が間違っているということも視野に入れている。そのため、学校に持って行き、また新しい情報を収集する予定である。
気がつけば、出発までにあと五分になっていた。日もだいぶ上がってきている。彼は大急ぎで準備を終えると、足早に玄関を目指した。
外に出て、壁に掛けてある自転車を起こすと、
「恵や、おはよう。今日の朝も、ちゃんと食ったか」
「まあ、ちゃんと食ったよ、たけ爺さん。きのうとほとんど同じだけど」
いつものように、老人は笑みを返した。
「昨日の続きじゃが、わしなんかおぬしとは違ってうちの女房に『あんたも寝転がってないでちょっとは料理と掃除を手伝え』と言われとんじゃ。それでいざ手伝うとな、そこがこーだあれがこーだでいちいち言われるんじゃよ。恵、わしなんかよりよっぽどお利口さんじゃ」
「お利口さんって、自分ももう子供じゃないんだから」
「わしから見れば、おぬしほどの
齢なんぞみんな子供じゃよ」
実際、彼の生活を下支えしてきたのもこの老夫婦である。たけ爺、そう呼ばれた老人には恵が息子のように見えるのも無理は無い。現在、彼の実質的な保護者もこの老夫婦である。
「まあ、身内話もこれぐらいにして、気をつけるんじゃぞ」
「それじゃ、行ってきます」
彼は老人に背を向けると
颯爽と走り去って行った。老人も恵の姿が見えなくなるまで見届けてから、自分の持ち場に戻ると、朝の日課である掃除を始めるのであった。
学校に着くと、いつもより騒音が少ない教室にカフミはいた。
「ちゃんときたよー」
「おはよう」
ちなみに、恵の席の左隣に、カフミの席が有る。
「期待通りで悪かった?あんまいけない顔してるけど」
「まあ、昨日今日変な事あって」
「なにそれ、ありんこ一匹でると大騒ぎなる位何一つない田舎村でなにが起きた?」
「ひとまず、その
比喩表現は無い。いくらなんでもありんこ位は普通にいるぞ。まあ、単純に言えばイタズラみたいなことがあって・・・」
「お前らな、そんなのんきに・・・」
「お前はいつも通りエロマンガでも観てろ」
言い終わる前に首を突っ込んできたウジにすぐさまカフミは返した。
「いっつも、てか普通に見てねえし」
「はいはい、わかりました。んでその“イタズラみたいな”ことって・・・」
「みんな、おはよう!!!」
「もう、次から次へと」
いろんな妨害にあうカフミは不意に不満をさらけ出ししまった。そのことが、
「何だ、その口の聞き方は!」
と、シュウゾウの怒りを買ってしまったようだ。
「六日も休んでおいて、なんだその態度!こっちはどんだけ心配したんだと思っているんだ!」
「ああもう、うるさいわよ。だったら“催眠術”でも食らって寝てろ!」
もう、堪忍袋の緒が切れたようで、そう言うと動揺する顔もお構いなしにカフミは手刀を作り構えた。やがて、ものすごい勢いで手刀がシュウゾウの首筋に命中すると、ぐほっ、と呻いてからシュウゾウの体は床に倒れ込んだまま動かなくなった。そんなシュウゾウを無視して、教壇の上に上がると、
「こいつが起きないうちにとっとと会を終わらせるわよ。まず、出席・・・、矢沢がいないだけね。次、・・・」
「富美子ちゃん、シュウゾウ先生は・・・」
と、疑問の声が上がったが、
「あ、大丈夫。とりあえず、“死んで”はいないから。で、次は係からの連絡、だっけ?」
何事もなかったかのようにシュウゾウが行うよりもよりも簡単に淡々と朝の会を進めた。普通は10分以上かかるものをカフミは一分もかからないうちに会を終わらせた。すると、
「いてて・・・、ん?何があった?」
シュウゾウは首を手にあてながら起き上がった。
「教室入った瞬間、寝ました。バタッと倒れて。起きなかったので進めておきました」
「そうか。んー、あんまり記憶がないからな、ええと、朝来てから・・・、わからん!」
今の瞬間、カフミは心の中で思いっきりガッツポーズをした。平常心を装って自席に戻ると、
「とにかく、朝、色々迷惑をかけて申し訳ありませんでした!!!」
シュウゾウはどでかい声で尻が見えんばかりと深々とお辞儀をした。しかし、そんなことを記憶に止めた人はあまり多くなかった。ただ彼らの心の中ではある一文が共鳴していた。
『お前ら、人間じゃねぇ!』
と。
その後、一時限目は情報(コンピューター)、二、三時限目は体育、四時限目は地学と珍しくほとんど教室に居ない一日であった。そのため、カフミが実際に恵と会話が出来る時間は無いに等しかった。結局、昼はおごるからということで、恵を誘うしか方法が無かった。
授業が終わり、会も終わると恵とカフミは食堂へ向かって行った。
食堂で食事をしながら、恵はカフミに昨日と今朝のことを話した。正直言って、この学食に来るのはかの“食堂投げ飛ばし事件”と、去年の誕生日サプライズ以来、約一年ぶりである。昨日の手紙の事、そしてその暗号の事、さらに、今日、入っていた手紙の事や念のために藪蔓(やずる)神社の事も全て話すと、
「んで、その手紙っつーのは?」
と、聞かれたので恵は教科書やらノートやらが雑にぶちまけてあるカバンのをまさぐると、中からできたメモ用紙と紙切れをカフミに渡した。オリジナルの紙切れと訳が書かれたメモ用紙を見比べながらうなずくと、オリジナルの紙切れを裏返しにして光をすかしながらこう言った。
「あんたが疑問を持っていたこの“ズイブ”ていう単語があるじゃん」
元々は全て反転されて、唯一片仮名で書かれている“ズイブ”という文字を指差しながら、カフミは続けた。
「でもこうすると、“ブイズ”ってなっているよね」
「ま、まあ。でもそんな単語、辞書で調べても出てこなかったぞ」
「そりゃ当然でしょう。まあ、そんなに寂れた村の村人は知らないでしょうに。ま、私はご存知ですか」
えっ、知ってんの、と食らいつく恵に、
「“ブイズ”って、“イーブイズ”の略称なんだけど、ここまで言えばわかるかな」
カフミは優しい口調で言った。しかしそれとは裏腹に、恵は何かものすごく難しいこと考えるように(恵からすれば考えてた)顔をしかめながら、悩んでいるような口調で、
「えっと・・・、イーブイって、確かいろんなものに化けるような・・・。でも、ん?・・・あっ、そーゆーことか。つまりは、イーブイの進化系だっけ、多分」
恵の『化ける』という単語がちょっと耳に障ったが、大体合ってることを答えてくれたので、今回はよしとした。
「ま、そゆこと。一応、全部で、シャワーズ、サンダース、ブースター、エーフィ、ブラッキー、リーフィア、グレイシア、ニンフィア、それとイーブイを加えて九種類いるの。ま、おわかり?」
恵にはあまりよくわかっていないようで、少し頭を傾げながら、
「まー、なんとなく。歴史の重要用語とかで何か出てきそう。
中大兄皇子みたいな、そんな感じ」
「あのね、
班田収授法とか、
墾田永年私財法とかと同じカテゴリーに一緒にしないでくれる?あと、先程の八匹、全部言えるかな?イーブイ以外で」
長い歴史用語を軽く言い合いながら、どうせだろ、という期待を込めながら、恵に話をちゃんと聞いたか確かめた。
「えー、サンダースと、ブラッキー、だっけ?後は、知らん。そんな九種類も長ったらしいカタカナ語なんか覚えてられっかっつーの」
「五文字が四文字だけですけど」
期待通りの答えで、カフミはある意味、ほっとした。
「でさ、その“ブイズ”ってどんなもんなの」
「はあ、そこからかい」
心のなかで言うはずの言葉を不意に出しながらも、カフミは スマホをカバンの中から取り出し、画面をなぞると、恵に画面を見せつけた。
「うわぁ、いっぱいいる・・・」
「あのね、いっぱいいるってたかが九匹。あんただってその、なんだ、アスパルテームKとかみたいな、そんな感じの医学用語よりはまだマシよ。まあ、これがブースターで・・・」
なんでこんなこと説明しなきゃいけないのか、本当に田舎者は手が掛かるとカフミは説明しながらも、心の中でため息をついていた。恵はというと、なんだこいつら、ぐらいにしか思っていなかった。ニンフィアの説明も終わり、スマホをカバンに戻すとカフミから話を戻した。
「まあ、今までの話を整理すると、
まず、この手紙の差出人は不明である、という事。
次に、その“イタズラ”の目的も不明。
最後に、その藪蔓神社だっけ、まあそこに行け的な事が唯一分かる事。ちなみに未来予知っつーのはポケモンの技で、“ブイズ”ではエーフィが覚えるって事になってる。こんな感じ、かな」
まあ大体そんなもんだ、と空になった皿にフォークを置きながら恵は相槌を打った。
「で、これからどうする?てかカフミの爪痕がまだ残ってんだ」
いくつもある食堂の窓ガラスの中に一つだけ霞みの少ない窓ガラスを見ながら言った。去年、カフミが上級生を投げ飛ばしたときの窓ガラスだった。
「何?その話題の振り方。犯人探しに手伝って欲しいなら付き合うけど、てか私が行きたいぐらいなんだけどね。こういう“イタズラ”をやってる奴の正体を暴いて、ボッコボコにして返り討ちにしてみるのもいいんじゃないかなって」
やっぱり何とも物騒だ、と恵は口には出さなかったものの、心の中で思っていた。
「まず、あんた一人でどうなるかってもあるし、万が一の事もある訳。ま、一緒に帰るか」
「だから、日本という国はそんなに物騒じゃない。とにかく、一緒に来るってことなんだろう」
そう、とカフミは頷くと、
「で、いきなりなんだけど、ウジは誘えなかったの?ウチが思うにはエロマンガ読んでるだけで、何も役立たずだから誘わなかったと思うけど」
「ちげーよ、今日面談があるって昨日言ってたから、無理なんじゃね、って事で」
そうなんだ、とカフミは再び頷くと、
「それじゃ、ウジのご冥福の祈りの分も含めて合掌」
「ごちそうさまでした」
二人は食べ終わった食器を返却口に返すと、人がちらほらとしか見えない食堂を後にした。