日常〜後編
足早に校門を抜けると、さっき来た時とは逆の方向で戻っていく。昼時とはいえ未だに駅には沢山の人が出入りしていた。初めてここに来た時は本当にびっくりしていが、今ではれっきとした日常の一部になってしまった。
地元とは違いやたらと長い列車に乗ると、偶然空いていた席に座った。この列車の席が空く事はかなりラッキーな事であるため、ちょっとだけ彼は優越感に浸っていた。やがて、来る時は二つ目であった乗り換え駅に着いた。プラットホームに降り、階段を登って、機械化された改札にカードになった定期を
翳した。
行き交う人々を避けつつ三つ目の改札にも翳す頃にはだいぶ人の数も減ってきた。階段を降りると、待ちかまえていたようにすぐに列車がきた。ここはよく席が空く。だいぶ郊外に来たという印なのだろう。彼は席に着くと、流れだした景色を見ながら、眠りの世界へと引きずり込まれて行くのであった。
どれぐらい経ったのだろう、気がついたら、周りに乗ってる人は誰もいなくなっていた。乗り過ごしたか、と思ったが、アナウンスを聞いてほっとした。間も無くして列車から降りると駅の改札を抜け駅を出た。彼以外にも降りる人はいたが、本当に数えられるぐらいの数しかいない。
次の駅はここから二十分歩いた所にある。乗り換えと言っても、実質的にはまた長い距離を歩く事になる。ローカル線なので仕方ないことだ。都市部が便利すぎるだけなのだ。また、その帰り道の途中には、届けものの届け先がいる、家がある。
出口のロータリーには一つのコンビニと申し訳程度の植木があるだけで特にこれといった物は無い。何歩か歩くと、
「あれ、シカトかな?めぐ」
後から聞き覚えがある湿った声がした。振り向くと届け先である“彼女”が立っていた。“ラオウ”と、呼ばれていたには似つかわしくない丸々太った体つきと、キノコのような髪の毛、あまり好ましくない顔立ち、その中で唯一、あだ名に似つかわしいような巨大な体格、俗にポッチャリ、と呼ばれる彼女こそ、門倉 富美子(かどくら ふみこ)である。
「えっ、いたの?」
「いたよ、ちょっと前に来て出口の脇にずっと立っていました。男子はおろか、柔道部員にも間違えられるこのでかい体に、あんたは気づかないなんて、どんだけ鈍感なの」
「いや、気づかないよ、あんま人いないし」
「もし、あんたがここで襲われていたら金はもちろん、命すら無かった所なのに」
「いやいや、ここ日本国はそんなに物騒じゃないんで。それより物騒なのはカフミの方・・・」
「首根っこ掴んで今から線路の中に投げ込んでやろうか?」
「おお、これは恐縮恐縮」
勿論、ただの脅しと冗談だが、いざやろうと思えば、門倉〜カフミは出来なくは無いだろう。“ラオウ”と呼ばれる由来はその体格の見た目と生活環境からかけ離れた筋力や体力、
敏捷性、そして柔軟性を持つためである。無論、いざ体力テストをやれば、誰でもその結果に目を丸くするであろう。例えるものなら、握力はなかなかの筋力バカに匹敵し、持久力は同学年の男子の平均ほどだが、これはすごいことである。何しろ、百キロ以上の体重で走るのだから体には相当な負担である。それを支えるのは足という器官二つだけなので筋力や体力は、想像を絶するであう。俊敏さも、バスケ部員や卓球部員といったすばしっこいのが売りの人に匹敵し、その巨体で反復横とびをやっている様子は迫力満点で人によっては恐怖を感じるほどである。その中でも特に驚くのは想像し難いぐらいの柔軟性である。信じられないと思うが、簡単に言うとバレエ部女子と同じぐらいの記録だったという。恵自身、現場に立ち会ったことはないが、カフミの事を良く知っているので、あまり驚かなかったが、やはり、常人離れしていることには変わりはないだろう。
これだけでも、十分にすごいのだが、この“ラオウ”という通称が広まったのにはより決定的なあの、“食堂投げ飛ばし事件”がきっかけである。それは1年生の5月ごろまだ、入学して1ヶ月頃の話である。その時太っていて、目の前でのうのうとしているからという理由でカフミは三人の柄の悪い上級生に因縁(?)をつけられたらしい。最初は無視したらしいが、それが彼らの怒りを買い、カフミが食べてるものを投げ捨てたそうだ。それにはさすがにカフミも怒ったらしい。始めは口げんかだったが、徐々にヒートアップし最期に「やんのか、ゴルァ!」と言う言葉を聞いたらしいがその後、言葉らしい言葉は聞こず、叫び声だけが響いていたそうだ。騒ぎを聞きつけて恵も食堂に来ると一人の男が文字通り、窓へと“投げ飛ばされて”いた。その後まもなく、シュウゾウの熱く、勇敢な行動によってカフミの暴走は止められた。
この“食堂投げ飛ばし事件”の話は瞬く間に全校はおろか、付近の中学校や高校にまで広がったそうだ。相当懲りたのだろう。唯の女デブ(ただものではなかったが)に散々痛め付けられ、挙げ句の果てに投げ飛ばされたことがいい薬になったのかその後、三人組はすっかり大人しくなったそうだ。この事件を機に一躍時の人となったカフミは上級生や近くのヤンキーにも恐れられ、“怒らせたら死ぬ”と言ったような噂も蔓延してたらしい。やがて、不登校の引籠りであることや、かなりのゲーマーで、ネット廃人の上にお金持ちのボンボンであることも分かると、学校の世論はとても混乱したそうだ。そのうち、気づいた頃にはいろんな意味を込めて“ラオウ”というあだ名がついたようだ。
ここで話を戻そう。
恵はカフミと幼稚園辺りからの付き合いなので何でもないが、事前情報を知っている人は怖くなって逃げ出すだろう。作ったような笑顔をしてカフミの恐喝めいた冗談を軽く受け流すと、
「そういえば、今日の朝、ウジがシュウゾウの餌食になっていたぞ、朝に」
「どうせ、エロい漫画でも読んで、ハアハアしてて、ばれたんじゃない?」
「ちげーよ、レポートを出し忘れたから。まあ、そうゆうイメージがあるけど」
「何だ、つまんねー。でも朝だから結構苦労したでしょ、めぐ」
おかげさまで、と恵は皮肉混じりに言うとあの疑問をぶつけた。
「結局、六日、というより八日も部屋に籠って何をしていた?ズル?」
「サーバーPCのメンテ。
方から見れば修理だけど」
「メンテナンスだけで八日?あの数的に確かに長くなりそうだけどそんな時間がかかるか?」
「まあ、ちょっとごたついて。ウイルスとかのちょっとした攻撃のせいでめんどくなった」
「PCウイルスって、結構やばい代物だったような。結局大丈夫だったのか?」
おかげさまで、とカフミは返した。
うちに寄る?とカフミは誘ってきたので恵は誘いに乗ることにした。移動中、しばらく沈黙が続いたが沈黙を破ったのは恵だった。
「今更なんだけど、メンテって学校の帰りのにすれば良かったんじゃね?」
「それで済まなかったから六日も休んだんだろうに。何せ、PCウィルスにかかったんだだから。ま、無理は無い、か」
こんな田舎者に説明しても意味はないかと、詳しい話を打ち切ると再び沈黙が戻ってきた。
しばらく歩くと大層ご立派な屋敷が彼らを出迎えた。これがカフミの住む家である。だが、実際には十分の一、ほどしか彼女は使っていない。もったいないと思うが、カフミは生きるにはそれで良いと思っている。専用のカードキーを門の脇にある差込口に差し、カフミの指を置いて指紋照合すると、ガシャンという音たてて無駄に大きな門は開き始めた。
お邪魔します、と言いながらカフミ邸の敷地に足を踏み入れた。後ろの門が自動的に閉ると同時に、一人のメイドが出てきた。メイドといえどもほとんど掃除のおばちゃんみたいな雰囲気である。
「富美子様、またですか、勝手に。あら、そちらは東様ですか、また遊びに来てくれたのですね、毎度ながら富美子様にはお世話になっています」
「いえいえ、こちらこそ」
恵はそれぐらいしか、言うことがなかった。
「まんまちゃん、めぐは敬語が苦手なんだから、ちょっと控えて」
正直、メイドという職業上、無茶な願いであった。困惑する顔もお構いなしに、
「んで、あの“ウンゲロクソババア”は?」
「また・・・、はあ・・・。和代様はいま、丁度、買い物に出られました」
“ウンゲロクソババア”、それは、カフミの母親をさしていた。なぜここまでひどい扱いなのかはまた別の機会で分かる。
「なら良かった。あれがいないから今日は、ゆっくりしていっていいよ」
カフミはメイドに下がってていいよ、と言うと、恵を建物の中へ誘った。建物の中は凄いの一言に尽きるものであった。全面大理石張りの玄関から上がると、大きなシャンデリアが飾ってある吹き抜けの応接間があった。天井が高く、とても開放感がある。何度も来ているのに、どうしてもその眩しい位の豪華さには圧倒されてしまう。そんなところを無視するよう誘導されながら吹き抜けの脇の階段を上ると、左右に長い廊下に出る。その一番左側の奥にカフミの部屋がある。
カフミの部屋に入ると今までのはなんだったのかと言うほど、ベッドを除くほとんどの場所に文明の利器が所狭しと並べられていた。多分初めて来た人はこの位ギャップがあると軽く混乱するかもしれない。優雅な雰囲気から来てそれらを一気に否定するかのようにぶち壊す大量のディスプレイや乱雑に散らばったゲーム攻略本、しまいにはカセットコンロなどなど、全く似つかわしくないどころかほぼ対象的な雰囲気であるカフミの部屋は、まるでここから切り離されたような異次元のような状態であった。
「あと、昼飯まだ食っていないだっけ、あるから食って行きなよ」
するとカフミはラップに包まれたパスタや電子レンジをディスプレイの間から“出現”させると、その“出現”させたパスタを電子レンジで温めるのであった。パスタを温め終わるなり次は割り箸を“出現”させた。どういう原理だかわからないが、この空間では、大体の任意ものはディスプレイの間から“出現する”のである。そういえば、と思い出し、温まったパスタと届け物である提出物の封筒を交換すると、
「それではお言葉に甘えさせて、いただきます」
その後、恵がパスタを食べている最中、カフミは周りの機器をいじくり回しながら、恵にこう聞いた。
「そのパスタ、どう?」
「まあまあ、いい感じだけど」
「はあ、あんたに泡を吹かせる時が来るのはいつなんだろう。まずいとも言わず、いっつもどっちつかずといった反応で、全然おもしろくない。めぐが、おいしいと感じるものって一体何なの?これでもちょっとずつ料理の腕を上げているのに」
さあ、と恵は首をかしげると、カフミはいつの間に“現れた”キーボードを打ちながらも少しだけ落胆していた。気がつけば、さっき渡した封筒はなく、いくつかのディスプレイに光が灯っていた。恵はパスタを食べ終えたらしく、手の平を合わせていた。
そこに置いといて、とカフミは指を差した。
「思ったんだけどそんなにうまい料理を作りたいなら、セレブ御用達の高級食材とやらを使えばよかったんじゃないの。トリュフとかベーコンとかみたいな」
「あれはチート。あんなもん使ってたらいつも料理が美味しくて料理した実感がほとんど無い。それなんかより庶民的な食材を組み合わせて、また違ったものも作ってみて、味はいまいちでも、自分なりに試行錯誤してやった方がずっと楽しいし、また新しい発見もあるから、全てが全てやたら値段の高い食材をちりばめればいいってもんじゃない。あと、そこはベーコンじゃなくてフォアグラとかキャビアでしょ」
カフミは語り終えると、DSとかと言ったゲーム機を出すと、
「それじゃ、“バトル” 、始めよっか」
バトルというのはポケモンバトルの事である。カフミと恵がバトルするのではなく、カフミがオンラインで、バトルするのを恵が傍から見ているのである。レート戦と言われ、Wi-Fiと呼ばれるネットで世界中の相手と対戦するものである。
カフミは俗に“ポケモン廃人”と呼ばれる、ポケモンゲームを相当やりこんでいる人である。
このポケットモンスターというゲーム、ゲームなのになぜ学校で習う数学まがいのことをしなくてはならないのか、五年前の恵には訳がわからなかった。説明なのに“努力値”やら“個体値”やらと関数とかで出てきそうなモノや、“6V”とか“16n+1調整”と明らかに文字式あたりでありそうなモノなど、初めて話を聞いた時はなぜ数学の復習みたいなことを聞かないとならないのか、そもそも楽しむ概念も忘れているのではないかと純粋に疑問に思った。今となってはだいぶ理解できるようになったが、まだ“だいぶ”である。概念は分かるがまだ、本格的なところは正直あまり分かっていない。
さらに、このポケモンというゲームは700を超える数のキャラがいたり、18もあるタイプとその相性、ほかにも特性というものやその効果、技の種類もおびただしい数である。カフミはそれらを全て把握しているのだという。この記憶力を暗記科目に回せばどれぐらい成績が良くなっていたのだろう。
だが、カフミ曰く、それだからこそ面白いと言う。様々な組み合わせの戦術があり、その数は無数にある。しかし、必ず最強なものはなく、必ずどこか弱点がある。それだから極め切れないものもあるのだが、そこが面白いのだと言う。恵にはそういった類には興味がないの(苦手)だが、自分の将来の夢への情熱と似たものがそこにはあった。
そんなゲームの観戦をしていると気がつけば、午後四時を回っていた。戦績は五分五分といった感じである。もうそろそろ帰らなくちゃ、と恵は言うと、百キロはあろう巨体をカフミは持ち上げ、
「送っていくよ。あと、これ」
カフミは十数万円の札束を“出現”させると、恵に渡した。
「いつもすまないね」
「いや、なんかすまないのはこっちの方だし。めぐがどうしても惨めに見えちゃうんだもん。あと少しで誕生日だって言うのに、祝ってあげられる人が二、三人しかいないなんて、本当に残酷よ。めぐは人のそういう所を嫌というほど見てきているから慣れっこだってあんたは言うけど、ほとんど一人で生きているから他の人と比べると・・・」
「やっぱり、そう思・・・ってあっ!時間!」
「あ、そうだ!結構やばいかも」
恵の孤独さに感傷しているとすっかり時間が過ぎていた。軽く荷物まとめ、カフミの自室を出ると一瞬で優雅な空間に引き戻されたが、そんなことを気にしている暇はなかった。少しこけそうになりながらも、慌ててで階段を駆け下りると、 メイドとは違う一人の年配気味の女性がいた。
「富美子、いい加減学校に行きなさい。あら、東くん、今日は遊・・・」
「どけ、クソババア」
恵の前にいたカフミは話を途中で切ると軽々と突き飛ばした。うぐ、っとうなっている声の主に恵はお邪魔しました、と短めに声をかけると足早に玄関を抜けた。庭を駆け抜け、門の前に着くと、ゆっくりとひとりでに開き始めた。
「ほんと、ここは開くのがおっせーんだよ。なんでこんなものつけたのかなあ。ほんとイミフ」
開くのが遅いことにしびれを切らしたのか、カフミは愚痴をこぼしながら自動で開くはずの門を引き剥がすようにこじ開けた。ひどく
軋む音がしたがそんなこと気にしている暇ははない。門の自動開閉装置が壊れていないことを祈りながら、二人は(太った)人が通れるほどの隙間ができると、隙間を抜け、駅に向かって走り出した。
メイドに車出してもらえばいいのではないかと思うが、ここら辺は一方通行の道が多く、車で行くとかなりの遠回りをしなければいけないので早歩きの方が早い時間で着く。ちょっと不便だが、そんなことを気にせず二人は右に左に道を曲り、走りながら駅を目指していた。
「やっぱ、こういう時に、カフミはせっかちになるのかな」
そう息を切らしながら恵は言った。どうやら駅に着いたようだ。が、期待を裏切りまだ10分以上も時間が余っていた。今までの時間感覚に慣れてしまい、中途半端な時間に着いてまったようだ。送るどころか、先導していたカフミは恵を急がせていたため、無駄にエネルギーを消費してしまった事に恵は不満だった。
「はいはい、せっかちですいませんでしたね」
まだ疲れが見えない顔からふてくさたような声で言った。近くのベンチに座り、夕焼けを見ながら、
「にしても、ずいぶん日が落ちるのが早くなったと思わない?」
「そうだな」
カフミは話の話題を作ろうとしたが、あっさりと話を切られてしまった。それからは焼けるような田んぼや畑とそのあぜ道、黒く見える森、遠くにちらついて見える黄ばんだ住宅街を見ながらただベンチに座っているという沈黙が続いた。それから、大分息が整った頃に恵は、
「そろそろ時間かな。ま、明日、学校来いよ。PCのメンテナンスも終わったんだし、あとは特に用事もないんでしょ」
「まあね、六日だか八日ぶりだっけ、学校」
「まあ、そんぐらいになるんじゃないの。あっ、そういえば、シュウゾウはどうなるんだろう」
「さあ。首を洗って待っていろ、とのことじゃないの」
「そうかもな。んじゃ、また明日ということで、じゃあねー」
「こっちも、さようなら、ということで」
恵が立ち上がると、誰もいない無人の改札へと歩き出した。カフミも立ち上がり、無言で手を振った。今日初めて見送りらしい見送りをしたと彼女は思った。そのうち一両編成の電車が来ると、恵を乗せ、線路の地平線の遥か彼方までへ消えるのを、見届け終わるまで、彼女はその場から動かなかった。
一人になると、体の中身全部を吐き出すかのように、深いため息をした。
しかしこの後、彼らの運命をも揺るがすようなことが起きることを、しぶしぶ自宅へ帰る彼女には知る由もなかった。