夏を一つだけ
生い茂る緑。澄み渡る青空。虫ポケモン達の鳴き声もたくさん聞こえてくる。僕は窓際の机に座って、親に送ってもらったばかりのスイカをかじっていた。
「チリーン?」
天井にぶら下がっていたチリーンが、寂しそうな声を出しながら僕の方に降りてきた。僕がスイカを口元へ持って行ってやると、にこにこと嬉しそうにかじり始めた。
ここのところ、チリーンの音が暗い。音を出す回数も少なくなっているように思う。その理由は何となく分かる。ずっと留守番続きだからだ。例年なら、夏休みのこの時期はチリーンといろんな場所に遊びに行っていた。だが、今年から実家を離れることになり、忙しい時間が増えた。今後の事を考えると、この大学が休みの時期に稼いでおかないと厳しくなる。そんな理由で、僕はバイトに明け暮れ、家に帰ったらすぐに寝てしまうような夏休みを過ごしたのだった。気づけば、風も少しずつ冷たくなってきてるし、虫ポケモン達の声もだんだんコロボーシやコロトック達のものに変わってきている。友達から、来週にはもう学校だと愚痴るメールも来た。
スイカを食べ終えたチリーンが、遊んで欲しそうにすり寄ってくる。今までの実家暮らしとは違うんだから仕方ない、と突っぱねようとして、僕は思いとどまってカレンダーを見た。今日から学校が始まるまでは、何も印が付いていない。特にやっておくべき課題もない。それなら、ちょっとくらいどこか遊びに連れて行ってもいいんじゃないだろうか。遊びに行くかとチリーンに尋ねると、嬉しそうに体を揺らした。チリンチリンと軽快な音が響く。チリーンはお得意の念力で、花火大会のパンフレットを持ってきた。だが、もう開催の日付は過ぎてしまっている。僕はパソコンを立ち上げて、これから行われる花火大会を調べようとした。10分ほどのネットサーフィンの末、僕は何の収穫も得ること無く電源を切った。チリーンが僕の横で首をかしげる。僕が首を横に振ると、小さくて暗い音を鳴らして離れていった。結局その日はそれ以後、家から出ることは無かった。
翌朝、僕は近くの店に買い出しに行った。木の実や野菜を気まぐれにかごに放り込んでいると、店内の一角に「夏の終わりセール!」と書かれた場所を見つけた。見てみると、そこにはたくさんの手持ち花火が売られていた。同じ花火という名が付いているんだから、チリーンはこれでも満足してくれないだろうか。そんなことを少し考えた後、一袋をかごに突っ込んでレジへ向かった。
家の扉を開けると、風鈴の音が聞こえた。いつも通り、チリーンのお出迎えだ。僕は早速買ったばかりの花火を見せてみる。チリーンはふわふわと飛び回りながら、食い入るように見つめている。ただ、嬉しいのかどうかははっきり分からない。もしかしたら、よく分かってないのかもしれない。今晩、近所の河原に行ってみるかと聞くと、チリンと景気のいい音を立てた。
すっかり日も沈みきった時間に、二人で河原に向かった。バケツで水をすくって置いておき、手頃な石にろうそくを立て、ライターで火を付けた。チリーンがほのおタイプの技を使えたらなぁ、なんて理想を思い浮かべても、当の本人は気ままに飛び回っている。僕は一番長くて太い花火を持って、ゆっくりとろうそくに近づけた。先っぽに火が付いた。そのすぐ後、黄色い火花が音を立てて勢いよく飛び出してきた。チリーンが体を何度も鳴らしながら笑っている。チリーンに同じ花火を差し出すと、器用に念力で持って火を付けた。火花が飛び出すと、嬉しそうに動き回る。それに合わせて花火も動く。危ない危ない、落ち着きなさい。
一袋しか買ってなかったから、花火はあっという間に残りわずかになってしまった。チリーンは途中からすっかり見る専門になっている。こうやって花火をしたのは何年ぶりだろうか。小学校の頃は毎年家の庭でやっていたが、中学に入ってからはやってなかった気がする。まさか大学に入ってから花火をするなんて、思ってもいなかった。だが、いざやってみると意外と悪くない。子供の頃に戻ったような気がして良いものだ。チリーンとしっかり時間を取って遊んだのも、いつぶりだろうか。大学やバイトの事ばかり考えていて、すっかりおざなりになっていた。
残すは線香花火だけになった。チリーンはリンリンと透き通った音を響かせている。よく聞いてみると、何となくメロディーになっている気がした。そうか。チリーンは歌っているんだな。僕らが楽しいときに鼻歌を歌うのと同じように。たまに風に乱されながら、気ままな旋律を奏でている。楽しそうでいいな。そうだ、これからは、チリーンと遊ぶ時間も、しっかり作ってあげよう。僕が実家から連れてきた唯一の家族なんだから。それに、チリーンと遊んでいる間だけでも、日常のせわしなさを紛らわせることが出来るかもしれない。しょうもない事に一生懸命になるのもたまにはいいだろう。
僕は最後の線香花火をどれだけ長持ちさせられるか、挑戦してみることにした。ゆっくり近づけて火を付ける。じっと注意を払っていたが、5秒ほどであっさり落ちてしまった。冷たい風が、ろうそくの火も吹き消していった。