初恋チョコレート
僕は初めて恋をした。最近近くに引っ越してきた人が連れているハリマロンに。
僕の家に挨拶に来たときに出会って、一目で引き込まれた。思わず背中から炎が漏れて、ちょっと驚かせてしまったほどだ。その場では、驚かせてごめんとしか言えなかった。何せ普段からコップが机から落っこちたくらいで飛び上がるくらいのびびりだから、このときも頭が真っ白になって何も出来なかった。固まっているうちに、彼女は帰ってしまった。その日から、彼女の事で頭がいっぱいになった。広場で会うと、胸がどきどきする。バトルに集中しろと何度も怒られた。頭で分かっても、実際にはそんなことは到底出来そうにもなかった。
僕の他の友達も、彼女によく話しかけていた。彼女の周りにはいつも誰かしらポケモン達が集まっていた。彼女は誰とでも笑顔でしゃべっていた。僕とも、他のポケモン達と同じような話はしてくれた。だけど、僕のちょっと特別な思いを伝えるには、あと一歩何かが足りない気がしていた。
そんなある日の朝のこと、休日はいつも昼まで寝ているようなご主人が、珍しく朝早く起きてきた。僕もつられて早く起きてしまった。大きなあくびが2回連続で出た。一体何があるのか知らないけど、いい迷惑だ。そんなことを考えていると、ご主人は僕のモンスターボールを乱暴にポケットに突っ込んで走って行った。ご主人が立ち止まったところで、僕はボールをつついた。すぐに気づいてくれたようで、僕はボールから出ることが出来た。あんな勢いで走って行ったから、結構遠くまで行ったのかと思いきや、僕がいたのは家のキッチンだった。ご主人がシンクでガチャガチャ音を立てている。なんとかご主人の体をよじ登って肩に乗ってみると、見慣れない道具が散らばっていた。ふと横を見ると、そこにはいつもご主人が食べているチョコレートがあった。さらにその横では、鍋の中で何かが温められている。何が始まるのか全く想像もつかない。僕が不思議そうに一声鳴くと、ご主人は僕をなでながら話してくれた。
「今日はね、バレンタインデーっていうんだ。好きな人のために、チョコを作って渡すの」
そういうと、ご主人はチョコを開けて細かく刻み始めた。目の前にチョコがあるのに作るという意味は今ひとつ分からなかったが、それでも僕はどきっとした。もしかして、僕もチョコを持って行けば、彼女に思いを伝えられるかもしれない。でも、ご主人の邪魔をするわけにはいかないから、何も出来なかった。刻み終わったチョコを大きな器に入れた。そこに、さっき鍋の中にあったクリームのような物を流し込んだ。すると、中のチョコが少しずつ溶け始めた。甘い香りも、それに伴って広がっていく。そのまま食べてしまいたいと思ったが、間違いなくご主人に怒られるので我慢するしか無かった。ご主人は溶けたチョコレートを素早く混ぜていく。みるみるうちにクリーム状になり、チョコレートはすっかり溶けてしまった。それを平たい器に流し込むと、そのまま冷蔵庫に入れた。
「これでだいたいは終わりかな! また1時間くらいしたら戻ってくるから、ヒノアラシ、触っちゃダメよ!」
そういうと、ご主人は僕を下ろしてキッチンから出て行った。僕はさっきチョコレートが入っていた器を見た。少しくらい残っているかと思ったが、予想に反して中身はきれいに無くなっていた。でも、どうしても彼女にチョコを渡したい。それなら自分で作るしかないとすぐに気づいた。幸い、溶かす前のチョコはまだ残っている。なんとか包み紙を開けたはいいが、この大きさでは持ち上げられない。それに、この量はさすがに多すぎる。小さくしようとして火を吹くと、チョコは真っ黒になってしまった。ご主人がチョコを直接火にかけなかった理由が、やっと分かった。少し遅かった気もするが、まだ焦げたのはほんの一部分だ。気を取り直して今度は上から飛び乗ってみた。チョコはびくともしない。その後も近くにある物で叩いてみたりしたが、どれもこれもうまくいかない。ばたばたしているうちに、お皿を一枚落っことして割ってしまった。ご主人が来ないかとビクビクしたが、少し経ってもだれも来なかった。もう大きいのを分けるのは諦めて、全部溶かすことにした。だけど、さっきみたいに火を噴いたら焦げてしまう。考えた結果、上に火の粉を吹けばそこまで熱い炎にならずにすむという結論になった。早速やってみた。降ってきた火の粉はほとんどチョコにかからずに脇にそれてしまう。さらに、横にあったチョコがもともと入っていた箱に引火してしまった。あわてて箱をシンクの中につっこんだ。焦げ臭いにおいが辺りに漂った。僕はもうどうしていいか分からなくなって、近くにある物を手当たり次第に投げつけてみた。カランカランと大きな音が響く。少し経って、休憩中に耳をすますと、何か足音が近づいてくるのが分かった。
「先輩にメッセージ書くだけなのになんであんなに緊張するんだろう…… って、ヒノアラシ! 何やってるのよ!」
あちゃ−。見つかってしまった。とにかく頭を下げることしか出来ない。ご主人はなにやらぶつぶつ言いながら僕が散らかした物を片付けている。一通り片付けて終わると、冷蔵庫の中を見て長い息を吐いた。
「冷蔵庫の中は触らなかったみたいだね。で、一体何がしたかったの?」
僕はちょっと焦げたり欠けたりしているチョコを指さした。こうゆう時に言葉が通じないのは困る。だけど、ご主人は何となく察してくれたようだった。
「あー、なるほどね。あんたも私が作ったチョコが食べたかったんだね」
違うよ! やっぱり期待して損した。なんとか伝えようとしたが、もうご主人は聞いて居ないようだった。さっき冷蔵庫に入れておいたチョコを、手頃な大きさに切り分けている。そのチョコを箱に詰めていく途中で、ご主人はあちゃー、と声を上げた。
「チョコ、作り過ぎちゃったみたい。入らないわ。ちょうどいいや、ヒノアラシ、これあげる!」
結局勘違いしたままなのだが、僕はもう何も言わなかった。ご主人は、小さなハート型の箱を持ってきて、そこにチョコを入れ、リボンを付けた。それを僕に渡してくれた。
「はい! こうゆうのを友チョコっていうんだ! バレンタインは恋人だけのイベントじゃないんだよ!」
ご主人が珍しくいい仕事をしてくれた。これだけきれいにラッピングされていれば、彼女にそのまま渡せるなぁ。ちょっと見直したような、そうでもないような感じだ。僕が食べないと分かったら、ご主人がどんな顔をするかは想像したくないが。
お昼になって、僕とご主人はいつもの広場に行った。僕はチョコを隠しながら、他のポケモン達が集まっている中に入っていった。ポケモンにチョコを持たせた人は少なかったらしく、皆いつもと同じような会話で盛り上がっていた。彼女もいつもと変わらない笑顔で皆と話している。
さて、どうやって渡そうか。みんなが見てる前で、なんて出来るわけが無い。どうにかして二人きりになりたい。そう思っていると、普段通りのじゃれ合いが始まった。彼女はまだ巻き込まれていない。これはチャンスだ。
「あ、あの…… 話が、あるんだけど…… い、一緒に、来て、く、くれるかな……?」
やばい、緊張で噛みまくってる。
「うん、いいよ」
意外にもあっさりと応じてくれた。僕は広場の端にある塀の近くまでやってきた。
「あ、あの…… このチョコ、あげる!」
もうちょっと気の利いた事を言いたいのに、いつものびびり癖のせいで頭が真っ白だ。彼女も目を丸くして驚いている。
「あ、ありがとう! でも、どうして……?」
「じ、実は、その…… あの……」
しっかりしろ自分!
そんなことをしている内に、彼女は早速チョコの箱を開けていた。そして中を見てクスクスと笑い始めた。
「チョコが溶けちゃってるわよ。あなたって分かりやすいのね。ずーっと握りしめてたんでしょ? 面白いわね」
あーあ、最後の最後でやっちゃったな。そう思ってうなだれたところで、彼女が言葉を続けた。
「でも、こうゆうの初めてだから、なんだか嬉しいな。ありがとう! それに、うっかりチョコを溶かしちゃうお茶目な所も、何だか可愛いなぁ、って」
これは、うまくいってるのか? 急に顔が真っ赤になった。こっちからも何か言わなければ。頭のわずかに動いている部分を総動員して言葉を出そうとするが、口に出す前に消えてしまう。そんな事をしている内に、僕らに影がかかった。
「ヒノアラシ−。こんな隅っこで何してるのさ?」
ご主人だ。どうして空気を読まずに割り込んでくるんだ! 思わず火炎放射してしまいそうなのを、ぎりぎりでこらえた。
「あー! それ私があげたチョコやん! ん? ……ふーん、なるほど、そうゆうことかぁ」
いらないこと言わないでよ! にやついているご主人に頭突きをかましてやった。何するんや! と怒っている。あまりの必死さに僕は思わず吹き出してしまった。彼女も笑っている。結局、こうして二人きりで話せただけでも満足できた。チョコやご主人も、なんだかんだで少しずついい仕事をしてくれた。これから、彼女にもっと思いを伝えて行けたらいいな。
そういえば、ご主人の方はどうだったんだろう。見てみると、箱はまだご主人の手の中にあった。向こうを見てみると、細身のカッコイイ男の人が大勢の女の人に囲まれていた。なるほど、そういうことか。とすると、僕は嫉妬されているのかもしれない。相変わらずご主人らしいな、とさらに笑った。げんこつをもらった。