ポケモントークL錠
「勝者、マリルリ!」
やられた。相手は水タイプだから有利だと思って油断したのかもしれない。スマホのランキングシステムが、私の順位が下がったことを告げた。ワールドチャンピオンシップのランキングに登録してから3ヶ月ほど経とうとしている。10000位を割とあっさり超えられたから自分には才能がある方だと思っていたけれど、そこからずっと上に上がれない。今負けたことによって、9000位代から転落してまた5桁の世界に逆戻りである。相棒のレントラーが足下にすり寄ってきた。苛ついているのを察したのかもしれない。いつもレントラーには頑張ってもらったり気を遣わせたりしてばかりで申し訳なくなってくる。
そんなある日、私の住むコトブキシティでテレビコトブキ主催のお祭りが行われた。最近バトルばっかりだったから、気分転換にレントラーと行ってみることにした。大きなステージで踊るミミロップ達を横目に、わた飴やヨーヨー釣りなどの屋台が立ち並ぶ通りへと入っていく。レントラーに鯛焼きをあげると、嬉しそうに頬張っていた。そうして町をうろついていると、通りの一番端の屋台に目がとまった。食べ物も遊びもない、簡素で暗い屋台だった。何となくそちらを見ていると、中の店主と目が合ってしまった。
「こんにちは、お嬢さん」
挨拶された手前、無視して通り過ぎるなんて出来なかった。恐る恐る挨拶をすると、店主は更に話を進めてきた。
「私は占いをしている者でして。何となくあなたに受難の相が見えたので声をかけさせていただいたのですよ」
なるほど、占い屋ならこの暗めの雰囲気も様になっているのかもしれない。サービスするからと言われ占いを承諾すると、店主は水晶玉を取り出し呪文を唱え始めた後、私に尋ねてきた。
「最近相棒のレントラーの事でお悩みではないですか?」
言い当てられた。バトルが上手くいかなくなって、レントラーをどうやったら勝たせてあげられるか分からなくなっていた。ランキングも下がるばかりでイライラしているとレントラーに余計に気を遣わせてしまい、余計に落ち込んでしまう。そんな悪循環にはまり込んでいることを、いつの間にか自然と話してしまっていた。
「それは大変ですね……。そうだ、あなたにぴったりな物を最近手に入れたのですよ。普通は何かあげたりなんてしないんですが、まぁこれはサービスと言うことで……」
そう言いながら差し出されたのは、錠剤の詰まった瓶だった。ラベルには「ポケモントークL錠」と書かれていた。
「これを飲めばポケモンの言葉が分かるようになり、人間同士と変わらないレベルで会話することが出来るようになります。1錠飲めば10分間効果がありますよ。ただし、1回飲んだら必ず半日は開けてくださいね」
まるで薬局の受付かのように説明されたが、内容はとても信じられなかった。そんな変な物もらえないと言ったが、まぁ使ってみてくださいと押し切られ、とりあえず持って帰ることになった。早く帰ろうと屋台を去った私に、店主がもう一度声をかけてきた。
「そうだ、薬の用法、用量は必ず守ってくださいね! でないと大変なことになるので!」
最後の最後まで言っていることがよく分からない。私は足早に自宅へと帰って行った。
帰ってきて、ベッドの上でもらった瓶を眺めていた。あんなおかしな話を鵜呑みにするほど馬鹿じゃ無い。だけど、もしあの話が本当なら、今の状況を打開出来るきっかけになるかもしれない。そうしてしばらく悩んでいるうちに、藁に縋ってでも現状を打開したいという思いの方が強くなってきた。意を決して瓶を開け、錠剤を一粒取り出す。コップに水を入れ、一緒に飲み干した。飲んだ瞬間には、特に何か変わった感覚はない。
「ねぇ、レントラー」
「ん? 何だ?」
私の足下でゴロゴロしていたレントラーが返事を返してきた。聞き間違いだろうか。これだけ短文なら偶然かもしれない。確かめるには、もっと話してみるしかない。
「最近バトルが上手くいってなくてごめんね」
「あんまり気にするなよ。俺だって完璧に戦えてるわけじゃないんだからさ」
確かにレントラーが人間の言葉を喋っている。これまで聞いていた鳴き声ではなく、はっきり流暢な言葉として聞こえる。何だか奇妙に思い言葉に詰まっていると、レントラーの方が話を続けてきた。
「ただまぁ、お前は搦め手にこだわりすぎるところがあるよな。物理メインの相手にまで光の壁使ったりとかさ」
私の戦術に話が及ぶとは思っていなかった。確かにいつも光の壁とか影分身をしっかりしてから攻めようとするけれど、それにレントラーが違和感を覚えていることは初めて知った。
「相性が有利なら速攻をかけてさっさと倒したりとかしても良いと思うぞ」
言われてみれば、相手の状況が整う前に一気に押し切るのも場合によってはありかもしれない。すっかり忘れていたことを指摘されてしまった。それもレントラーから直接。とても異質な体験であることは間違いない。
「分かった、ありがとう。私もちゃんと相手を見て考えてみるよ」
「あぁ、――レェン!」
聞き慣れた鳴き声に戻ってしまった。もう10分経ったのか。ただ、この間にバトルについて忘れていた事を相棒から直接指摘されるという不思議かつ有意義な経験をした。どういう原理なのか、冷静になってみるとよく分からないが、今間違いなく話せていたのでどうでも良くなった。私はレントラーをわしゃわしゃと撫で回す。何か言っているようだが、今は鳴き声にしか聞こえないので分からなかった。
翌日、早速トレーナーとバトルすることにした。相手が繰り出したのはビークイン。飛行タイプが入っているので電気技が有効だということを頭の中で反復しながら、レントラーにスパークを指示した。綺麗にヒットしたが、相手は回復指令により体力を回復してきた。ここで補助を固めようとするとまた押し切られる。昨日のレントラーとの会話を思い出して、連続で攻撃を仕掛けていく。相手は子供の蜂を使って守備を固めようとするが、電撃に散らされて思うように動けないようだった。相手が攻撃に転じて向かってきたところに、渾身のスパークを叩き込む。大きな土煙が上がった後、その場にはビークインが倒れていた。久しぶりの勝利である。戻ってきたレントラーはどや顔で目をキラキラさせている。私は彼を思いっきり撫で回した。
家に戻ってから、私はあの薬をまた一粒飲んだ。新しい戦法に気づかせてくれたこと、そしてその戦法を頑張って実行してくれたことのお礼を言いたくなったからである。
「レントラー、お疲れ様。今日はありがとね」
「なぁに、ご主人が思い切って新しいことしてくれたからこそよ」
相棒同士なら言葉が無くとも通じ合えるとはよく言われるけれど、やっぱり実際に言葉になっている方が何倍も伝わっている感覚が強い。その後に続くたわいもない話も、相棒と話せているという感覚が嬉しくて、あっという間に時間が経ってしまった。すぐに薬を飲み直したくなったが、占い師の忠告を思い出し思いとどまる。半日空けずに飲むとどうなるかは聞かされていなかったが、止められていることをわがままで実行する勇気は無かった。
それから毎晩、一錠飲んでレントラーと会話することが日課になった。作戦会議、雑談、そして昔話など、話題は多岐に渡った。そんなある日、早朝にレントラーと散歩していると、ギンガ団に絡まれている少年を見つけた。
「おまえのムックルが、俺の可愛ーい可愛いドグロッグちゃんにぶつかってきたのが悪いんだろぉ?」
そんな言いかがりを見過ごすことが出来ず、私は衝動的にバトルを挑んだ。連続でスパークという、シンプルながら攻撃的な戦法で攻める。ここ最近上手くいっている戦法だ。攻撃の命中率は上々で、確実に相手の体力は削れている、はずだった。確かに攻撃は当たっているのに、相手は疲れる素振りさえ見せない。こちらは反撃を全て躱せているわけではないため、徐々に疲れが見え始めてきている。まだ毒を食らっていないのがせめてもの救いだろう。
「ほらほらぁ、さっきまでの威勢はどうしたんだよ!」
相手の挑発が心に刺さる。ここで冷静さを失ってはいけない、だけどこのままでは一方的に押し負けてしまう。これは普通のトレーナーとのバトルとは違う。ギンガ団相手に負けてしまえば、さっきの少年も私も無事ではすまないかもしれない。どうやって打開しようか。そんな私の頭によぎったのが、あの薬だった。瓶から一錠出して、ペットボトルの水と共に飲み干した。
「レントラー、大丈夫!?」
「あぁ! それよりあいつ、他のポケモンから回復を受けてる!」
思いも寄らない情報が飛び込んできた。レントラーは透視能力を持っている。その能力により、草むらの陰から癒しの波動を飛ばしているポケモンを見つけたというのだ。相手に悟られぬよう角度を合わせて、その草むらのポケモン目がけてドグロッグを突き飛ばした。ドグロッグの声に混じって、別のポケモンの高めの声も聞こえてきた。
「あっ、おめぇ! キルリアに何すんだ!」
明らかに狼狽えている。そこをついて一気にドグロッグを撃破した。ギンガ団はドグロッグとキルリアをボールに戻し、一目散に去って行った。
「ありがとう! これ、その子に使ってあげて」
少年が傷薬をくれた。受け取ろうと手が近づいたときに、パチリと静電気が走った。レントラーの電気がうつったかな、と冗談を言いながら、少年を見送った。そこで思い出した。昨晩薬を飲んでから半日空けずにまた飲んでしまったことを。ただ、実際大した不都合は起こっていなかった。もらったときには飲み方を守れと言われたが、いざ超過してみると案外何ともない。それ以上に、バトル中も言葉が通じるメリットの大きさを強く感じたのだった。
それ以降、バトル中も苦戦した場合は薬を飲むようになった。たまに何をしてるか聞かれても、持病の薬だと言い訳すればそれ以上に怪しまれる事は無かった。自分だけでなく、レントラーから見える戦況も加味してバトルが出来ることは、想像以上に勝率に影響してきた。4桁代に戻れたのはもちろん、かつて突破できなかった9000位を大きく飛び越えて順位を伸ばすことが出来た。たまに私の事を知っているというトレーナーも現れ始めて、少し話題になっている事も感じられた。少し困っている事といえば、試合終了後に握手するといつも静電気が起こってしまう事くらいだろうか。電気タイプを相棒にしているだけあるねと肯定的に受け取られることがほとんどであるため、ちょっと痛い以外は問題になっていないのだけれど。
そんなある日、お風呂に入ろうとして服を脱ぐとお腹に青い毛が生えているのを見つけた。お腹の一部分だけではあるものの、もふもふとした青い毛が普通では有り得ないものであることはすぐに分かった。驚きに思わず声が出たが、すぐに口を押さえて押し殺す。
「レェン?」
さっきの声に反応してレントラーがやってきた。とっさに毛を隠して、何でもないよと言った。それにしてもこれは何だろうか。何かの病気だとしても、こんな症状は聞いたことがない。そんな状態が知られて、誰かに言いふらされでもしたら大変なことになる。この部分なら服を着てれば分からないから、後で剃っておけば大丈夫だろうと自分に言い聞かせた。
「さっき風呂場で何してたんだ?」
薬を飲んで話し始めると、早速質問された。何でもないよごまかした。
ランキングが上がって相手が強くなるに連れて、薬を飲む頻度もどんどん上がっていった。一日に何試合もする場合は、その回数だけ飲んでいる。ランキングは順調に上がっていき、2000位代にまで突入した。ここまで来ると、雑誌やテレビが取材にやってくるようになった。最近特に急激に順位を上げている注目のトレーナーとして特集が組まれているらしい。自分の写真が表紙やページの一面を飾っている様子を見て、少し悦に浸っている事もあった。
バトルが絶好調な裏で、体に毛が生える異常はどんどん進行していた。お腹のみならず腕や脚にも青や黒のもふっとした毛が生えてくる。剃っても次に見る頃にはすっかり生えそろっている様は不気味でさえあった。季節はこれから春になろうとしているのに、その毛があるので半袖には出来ない。歩いていて暑くなっても、長袖の上着を着たまま我慢するしかなかった。
「ご主人、この毛なんだ? なんか俺の毛とそっくりな気がするけど……」
レントラーにも隠し通せなくなった。観念して正直に見せる。
「俺が出来ることは思いつかないが……。無茶しないでくれよ」
大丈夫だから、と言うのが精一杯だった。ただ、この毛がいつか隠せない場所にまで生えてきたらと思うと憂鬱であった。
私が上位に行くに連れ、世間からの注目は更に高まっていった。私のランキングを聞きつけて他の地方から勝負に来る人が現れたり、ジムリーダーとのエキシビションマッチが企画されたりと、まごう事なき有名人となりつつあった。もちろん、どのバトルも薬を飲んで臨んだ。今更言葉が通じないまま戦っても上手くいく気がしなかった。それに、注目が高まれば高まるほど、失敗も許されなくなってくる。元々教わっていた量を超過していることは分かっていながら、今更止めるなんて考えられなかった。
そうした日々が続く中、とうとう顔に青い毛が生えてきてしまった。口周りをぐるっと覆うように生えたその毛は、さすがに放置するわけには行かない。外出時はマスクを付けるようになった。花粉対策といえば誤魔化せる、そう思っていたが、取材がそれを許してくれなかった。こんな毛が生えた顔を紙面やニュースに載せられるわけにはいかない。取材を断ったら断ったで雑誌やニュースは『人気トレーナーに異変!?』といった見出しで私を記事にする。そしてバトルを申し込んでくる人は更に増えていく。おかしな事になっていて止まらない身体を隠したいのに、周りはどんどん私の周りに集まってきて暴こうとする。ランキングは1000位を突破したが、もはやそんなことは私にとってどうでも良くなっていた。
おかしな変化、世間の注目、両方に疲れた私は家の中に閉じこもった。何度もインターホンが鳴るが相手にしない。もう、謎の毛は体中に生えそろってきていた。手のひらまで黒い毛に覆われて、否が応でも変化を見せつけられる。胸の奥が痛くなってきた。レントラーが寄ってくる。そうだ、レントラーと話そう。私が不安なときだって、彼はいつだって相談に乗ってくれた。体を起こして、薬を取りに行こうとする。それを、レントラーは前足で私を押さえて止めてきた。
「無理すんなよご主人! すごい辛そうだぞ……!」
あれ、もう薬飲んでたっけ? レントラーの言葉が分かる。10分前を思い出してみるが、間違いなく飲んでいない。ベッドに居たはずだ。じゃあなんでレントラーが喋ってるんだろうか。
「どうしたんだよ、もう毛むくじゃらじゃないか……!」
レントラーがパジャマをめくって私の身体を見てくる。もふもふの毛を触られると妙にくすぐったい。
「どうしてこんなになるまで……。他の人間に相談すれば良かったのに……」
「こんな状況なの知られたらどうなるか、すごく怖かったから……」
「俺が何とかしてやれれば……!」
やっぱり、またレントラーに迷惑をかけてしまって申し訳なくなってくる。その瞬間、強烈な頭痛が走った。そこから身体中が痛くなってくる。
「おい! ご主人! どうしたんだ!?」
もう返事をする余裕も無い。あまりの痛みに、私の意識はだんだんと遠のいていった。
気がついたとき、一番に聞こえてきたのはレントラーの声だった。
「ご主人、しっかりしろ! おい! なぁ……」
目の前に写った景色は気絶する前とあまり変わらなかった。まだ頭がズキズキする。起き上がろうとするが、身体の感覚がおぼつかずにまた倒れてしまう。
「良かった、気がついた……! って、大丈夫か!?」
相変わらずレントラーの言葉は分かるみたいだ。レントラーが部屋の電気を付けてくれた。すると、目の前には元々の私の手とはかけ離れた形の、前足と呼ぶほかないような形状のものが生えていた。お腹の方を見ると青い毛に覆われ、その先の足はまっすぐではなく90度近く曲がっていた。お尻の方で毛がもさもさして、これまで無かった尻尾の感覚があった。
「一度身体の力を抜いてくれ。俺が起こしてやる」
レントラーの助けを借りて体を起こし、ベッドから降りる。そして、部屋の姿見を見た。そこにはレントラーが二匹映っていた。片方は、私が目線を動かすと同じ動きをする。にわかに信じがたいが、私はレントラーになってしまったのだろうか……?
「まさかご主人が俺と同じ姿になってしまうなんて……。信じられないぞ……」
相棒も相当に戸惑っている。これが夢で無ければ何なのだろうという位に、荒唐無稽である。
インターホンが鳴った。当然、こんな状況で出られるはずもない。無視していると、ドアの前の人物はお構いなしに話し始めた。
「やっぱり、私が見た受難の相は当たっていたようですねぇ」
ずいぶん前に一度聞いたきりの声。でも思い出せない。
「あいつ、昔変な屋台で薬渡してきたやつだ!」
相棒が目を光らせて言った。私もレントラーの姿なら透視能力で見えるかもしれないと思ったが、やり方が分からなかった。
「あなたの事はずっと水晶玉越しに見えていましたよ。災難でしたねぇ」
お前のせいじゃないかと吠えた。言葉として伝わったかどうかは分からないが。
「心外ですねぇ。私は正しい使い方もお教えしたではありませんか。あなたがよっぽどレントラーと話してみたかったから、忠告を無視してあんな使い方をしていたのでしょう? もう今頃、薬無しでもレントラーの言葉が分かるようになっているはず。夢が叶ってむしろ感謝するべきなのでは?」
強く言い返すことは出来なかった。間違った使い方をしても大したことないと思って油断し、好き放題薬を飲んだのは事実だった。
「まぁ、私が取って食ったりはしませんよ。新たな人生……いえ、ポケ生、楽しんでくださいね」
足音が遠ざかっていく。帰って行ったようだ。私は何も言うことが出来ず、下を見て呆然としていた。
「……ご主人。俺、何でも手伝うよ。同じレントラーだから、体の動かし方も、必要なら技の出し方も、きっと教えられる。だからさ、その……、一緒に頑張ろう」
私にとっての味方は、きっと今目の前にいる相棒しかいない。どうなるか分からないけれど、とにかくついて行くしかない。
「私の方こそ、わがままでこんなことになっちゃってごめん……。その好意に甘えても、許してくれるかな……?」
言葉の代わりに、相棒は私の頭を撫でてくれた。いつも私が撫でる側だったのに、逆になると不思議な気分だ。だけど、相棒のもふもふな手は温かくて優しかった。
「ありがとう……」
「気にするな。まずは歩き方を覚えて、余裕が出てきたら元に戻る方法も探しにいこう、な?」
私は大きく頷いた。