君がいないだけの日々
君がいないだけの日々
 ギルドの部屋に、聞き慣れた大声が響き渡った。
「おーい! 朝だぞー!」
ドゴーム先輩のいつもの目覚ましだ。慌てて寝ぼけ顔だけ引き締めて、いつもの朝礼へと向かう。
「ひとつ! 仕事は絶対サボらない! ふたつ! 脱走したらお仕置きだ! みっつ! みんな明るく楽しいギルド!
「今日も頑張るぞ!」
「おー!」
朝礼を終えて、ギルドのメンバー達は思い思いの場所へと散らばっていく。今日も一緒に頑張ろうね、と言いかけて、横に誰もいないことに気づく。
「ナエトル、どうしたでゲス? 気分が悪いなら無理しちゃダメでゲスよ」
ビッパ先輩の声で我に帰る。どのくらいぼーっとしてたのかは分からないが、大丈夫とだけ伝えてすぐに上の階へと向かった。
今日やることもいつもと同じ。依頼を選んで、ダンジョンで依頼をこなす。いつもと、今までと同じなんだ。そう言い聞かせて掲示板から依頼の紙を剥ぎ取り、そのままダンジョンへと向かった。

 かつて私は、「ポケダンズ」という探検隊として活動していた。相棒のヒコザルと共に。クラブ達の泡が浮かぶ海岸で出会った彼は、元々は人間であったといきなり言い出して、始めは変わり者だと思った。だからこそ、仲良くできるかもしれないと思えた。そして話しているうちに、共に探検隊をやることになったのである。元はと言えば私から持ちかけた話だったが、彼の方がしっかりしていたのもあっていつも間にか彼がリーダーのようになっていた。私の方からも頼ることが多かった。1匹では踏み出せなかった夢だったから、最初から頼る気でいたのかもしれない。
 始めは些細な夢から始まったことであったが、私たちの冒険はいつしか、世界の存亡を賭けた戦いへと変わっていった。「星の停止」と呼ばれる、世界中の時が止まってしまう現象を防ぐために、未来にまで行ったりもした。世界なんて言われると実感が湧かなかったが、ヒコザルは元々この未来を変えるためにやってきたと知ると、自然と協力しようと思えたのだった。そして、幻の大地にて闇に染まったディアルガを打ち倒し、時の歯車を使って星の停止をなんとか阻止したのであった。
 これでまた、ヒコザルと共に純粋に探検を楽しむ日々に戻ることが出来る、解決直後にはそう思っていた。しかし、帰り道で彼は突然光に包まれて消えてしまった。未来を変えたことにより、存在しないことになってしまったと言われた。突然のことに理解が追い付かないまま、泣く間も無く彼は目の前からいなくなってしまった。
帰り道、自身の望みが叶わなかったことに胸が押しつぶされそうになっていた。だけども、彼がいなくても、しっかりやっていかなければいけないと自分に言い聞かせた。もし彼がどこからか見ているとしたら、情けなく落ち込んでる私なんて、見たくないだろうから。
 トレジャータウンのみんなには、1匹で帰ってきた事を心配されたが、大丈夫だと言って、幻の大地での一部始終を伝えたのだった。そして、街のみんなにも星の停止事件の全貌を伝え、それが解決した事を告げた。それだけやれば、あとは自分が一匹で、いつも通りの探検生活に戻るだけ、そう思っていた。

 今日の依頼は海のダンジョンであった。元々草タイプの自分であれば、特に苦戦することはないであろう場所だ。依頼の場所も10Fとそこまで深くない。一つ息を吐き出すと、奥に向かって歩き出した。
襲いかかってくるポケモン達を、自慢の葉っぱカッターで切り払っていく。元々タイプ相性で有利な上に近づけさせないようにすれば、危なげなく突破出来ると思っていた。やがて、特に大きなつまずきもなく10Fに到達した。依頼主のところへ急ごうとして、自然と早足になる。その時だった。大勢のポケモンが、突然部屋の中に現れた。モンスターハウスである。
まずは慌てずにしばりだまを使い、あとは各個撃破しながら奥に進む。後ろは任せて、自分は前へ。……任せるって、誰に? それに気づいた時には、通路から新たな敵が入ってきていた。そのキャモメが高速移動を始める。動きを止めていた敵が一斉に、これまで以上の速度で動き出した。とっさにワープのたねを頬張って、別の部屋へワープする。偶然にも依頼人のすぐそばにワープ出来た私は、依頼人と共に大急ぎでダンジョンを脱出した。
 ダンジョンから戻ったら、またギルドのメンバーと夕飯を食べ、部屋に戻って眠り明日に備える。藁ベッドは2つあるが、今部屋にいるのは自分一人。静かな部屋の中で、これまでずっと隣にいた相棒の存在をつい思い浮かべていた。多少のトラブルは探検にはつきものだが、今回は結構肝を冷やした。こうしたトラブルについては、帰って反省したり、笑い話にしたり、とにかく眠る前の話のネタになったりする。だけど、ここ最近はずっと、寝室は静かなままだ。何となく独り言として口をついて言葉が出てくるが、それに返事が返ってくることはない。
 そうして似たような日々が過ぎていく。今日もドゴーム先輩に起こされて朝礼へと向かう。
「おー!」
適当に依頼を見繕った後に、街の方へと向かう。いつもお世話になっているカクレオンさんのお店へ行くと、聞き慣れた明るい挨拶で出迎えられる。
「いらっしゃーい! どれにします?」
「リンゴと、しばりだまと、それから……なんか頭痛に効きそうなものないかな?」
ここ数日、ダンジョンの中でさえ続く頭痛に悩まされることが増えてきた。熱はなさそうなので風邪などではないと思うのだが。
「うーん、薬じゃないですが、それっぽいものなら、このいやしのタネなんか効くんじゃないですかー?」
「じゃあそれも! ありがとう!」
「あんまり効かないならちゃんと診てもらってくださいねー!」
店を離れてすぐにいやしのタネを頬張る。少しだけマシになった気がする。とりあえずこれなら大丈夫と、私はそのままダンジョンへと向かった。
 ギルドに帰ってご飯を食べ、また部屋で1匹になった。夜眠る前はどうしても静かになる。そして、その静けさの中で、ヒコザルと一緒にいた時の思い出が、勝手に頭の中を駆け巡り始める。目を閉じていると、余計に鮮明な映像として浮かび上がってくる。彼が突然目の前からいなくなってから、どれだけ経っただろうか。具体的な日数は数えても気が滅入るだけだからと、カレンダーを剥がしてしまっていた。藁のベッドの上で寝返りをうっても、隣には誰もいない。
「一緒にいられたら、今頃どんな感じだったんだろう……」
そんな言葉が頭の中でループする。様々なもしもが浮かぶにつれて、次第に胸を締め付けるような感覚が湧き上がってきた。そしてそれが強くなると耐え切れず咳き込み始める。呼吸が荒くなり、目の前が揺れているような感覚になってくる。そのまま倒れ込み、起き上がろうにも手足に力が入らない。
「な、何かありましたか!?」
隣の部屋からチリーンが駆けつけてきた。その時には、咳き込みがひどくて話す事もままならなかった。
いつの間にかほとんどのギルドメンバーが集まり、彼らの看病によってどうにか話せるほどには落ち着いた。だが、自分でもどうしてこうなったのか分からないままであった。
「帰ってきてすぐは平気かと思ったが、やはりしばらく休んだ方がいいだろう」
私の過呼吸が落ち着いたところで、ペラップが私に言った。ペラップの見立てによると、どうやら私は神経衰弱とやらになっているという。恐らくヒコザルが居なくなったショックが大きいのだろう、とのことだった。確かに彼がいなくなったことの影響はゼロではないが、それよりも、彼がいなくとも立ち止まってはいけない、その思いの方が強いはずだった。思わぬところでブレーキを踏まれたような感覚で、再び胸の奥がざわざわと苦しくなってくる。
「とにかく、しばらくはダンジョン探険しないこと。朝礼も無理に出なくていいから、しっかり治すんだよ」
そんなことしてる場合じゃない。そう思っても、体の方は言うことを聞いてくれそうもない。仕方なく、ベッドに横になって目を閉じた。
いくら世界を救った英雄ともてはやされても、探検隊としてのメインの活動はこれまでと変わらない。依頼をこなしたり、新しいダンジョンを開拓したりする。そして、大きな危機の去った世界で、2匹一緒に過ごしていけると信じていた。実際に訪れた日常はほとんど予想通り、やる事に大きな変化はなかった。朝礼・依頼・探検、それは見習い時代から変わらない。ただ一つ違うところ、それは君がいない事だった。それだけだけど、一番大きな違いだった。
 久しぶりに、何に起こされるでもなく目が覚めた。昨晩の出来事が悪い夢であるように願いながら部屋を出るが、既に他のメンバーは探検に出たとペラップから聞かされたことで、あれは事実だったのだと思い知らされた。私は何をしたらいいんだろう。そんな思いが心をチクりと刺激する。何をしたらいいか分からないまま、とりあえずリンゴをかじって空腹を満たす。あまり味はしなかった。そのまま部屋で横になって、その一日は終わった。
 しばらくは、空白が続く日々だった。探検のことは一旦忘れるようにと言われたが、そう言われて簡単に忘れられるものではない。気持ちは前に前に出るのに、体がついて来そうにない。このまま戻れなかったら、何もかも、昔の臆病だった時に逆戻りしてしまうのではないか。そんな思いが余計に心を焦らせた。
 ギルドのメンバーにも助けられながら療養の日々を過ごしていくうちに、晴れた日なら動ける時も出てきた。そんな時は体を動かした方がいいとチリーンも言うので、時々街に出ることにしていた。この調子で少しずつ慣らしていけば、そのうちきっと復帰できると、皆励ましてくれた。夜は日替わりで誰かしら話に来てくれるようにもなって、みんなの気遣いがすごく感じられた。この想いに応えるためにも、早く元気になろう。そう思うと、少しだけ穏やかな気持ちになれた。
 それから更に月日は流れる。次第に外に出られる頻度も増え、そろそろ探検家に復帰しても良いかなと思えるようになってきた。今日も、少しだけでも散歩しておこう。そう思ったときに、ふと思い出した場所があった。私は日が傾いてきた夕方頃に、ギルドの外に出た。
「あれ? ナエトル、お出かけでゲスか?」
「うん、ちょっと散歩にね」
ギルドを出てすぐにビッパ先輩とすれ違った。もうすぐご飯だと言われたが、そこまで遅くはならないと思っていた。
 向かった先は南の海岸。海岸線に沈む夕日が砂浜を照らす。そこに、クラブ達の泡がたくさん浮かんでいた。久しぶりに見たこの海の景色は、やっぱりいいものだ。ギルドに入ってから忙しかったから、前に見てからずいぶん日が空いているように思えた。前に見たのは、いつだっただろうか。少し考えて、思い出す。あれはヒコザルと、初めて出会った日だった。あの日も同じように泡が飛んでいた。そして、ヒコザルが倒れていた場所を今でも覚えている。ここから私たちの冒険は始まったんだ。
 一度思い出してしまったら、連鎖的に記憶が蘇ってくる。探検隊をやろうと、勇気を出して伝えたこと。強大な敵にも、協力して立ち向かったこと。きれいな景色を一緒に見たこと。そうした思い出が、一気にあふれ出してきた。今まで見ないようにしてきた、ヒコザルがいなくなってしまったという事実が、一気に心に押し寄せてくる。それに伴って、涙も無意識のうちにあふれ出していた。泣き声が、海岸に響いている。
「だ、大丈夫でゲスか!?」
ビッパが様子を見に来たことにも、声をかけられるまで気がつかなかった。
「帰りが遅かったから心配で見に来たんでゲスが……」
私はまともな言葉を紡ぐことも出来ず、ただただビッパにすがりつき泣き叫んだ。
「わわっ、本当にどうしたんでゲスか!?」
質問を受けても、今は何も答えられなかった。そんな私を見て、ビッパ先輩はそれ以上何も言わず、ただただ受け止めてくれていた。
 どれくらい時間が経っただろうか。私が泣き疲れてきたときに、突然ビッパ先輩が大きな声を出した。
「あ、あれはなんでゲスか!?」
先輩の声につられて振り返る。そこには光の塊があった。その光は徐々にバラバラになり、中から何かが現れた。
「えっ……?」
そこにいたのはヒコザル。共に旅をし、幻の大地で別れた大切なパートナーだ。何度か目をこすってみても、やはり見間違いや幻影などではなさそうだった。ヒコザルは今まで見てきたのと変わらない、優しい笑顔で私を見ていた。
「ただいま」
私は何も言えないまま、ヒコザルへと抱きついた。さっきまでで枯れたはずの涙が、また私の頬を濡らした。
 一度は失われて、無理にでも諦めようとした私の夢。だけど、捨て切っていなくて良かった。こうしてまた出会えたんだから。なぜヒコザルが戻ってきたのか。それは分からないけれど、分からなくても大丈夫。さぁ、これからどこに行こう、何をしよう。私たちの旅が終わらなくて良かった。
 これからもずっと、よろしくね。


BoB ( 2019/06/02(日) 23:00 )