三章 世界の浄化
16話 生命の象徴
「お前、チェーンズって知ってる?」
「あー……確かねぇ……」
 アブソルは自分の記憶と目の前にいるメブキジカ達を照合していく。ひとしきり悩んだあと、口を開いた。
「よくわかんないや」
「ちょっと! チェーンズって言ったらアイドルでしょ!」
「そうよ! ポケトピアで影響力のあるグループで3番なのよ!」
「そんな私達を知らないなんて、あんたらおかしいわ!」
「CD攻撃をくらいなさい!」
 どこからともなく飛来した円盤5枚を見事キャッチして、同じ方向に投げ返す。
「影響力一番は私達ツヨイネだって、次いでレディースだってさ」
 アブソルがスマートフォンをいじりながらのほほんと笑顔で言った。
「お前、余裕ありまくりだな」
「だってイーブイが全部なんとかしてくれるんでしょ?」
「まあ、そうだけども……」
「ならいいじゃない。応援はしてあげるから」
 頑張れー、と適当に手を振るアブソル。彼女は応援をなんだと思っているのか。
 一応雌相手だから、首筋に峰打ちを叩き込んで倒す。
「ふふん、かかってきなさい!」
 自信満々にかかってこいと挑発をしてくる。
 ぐっと踏み込んで、神速並みのスタートをきる。爆発にも似た音と共にチェーンズの背後に回り込む。秋のメブキジカに回し蹴りを放つ。
「ぎゃッ!?」
 アイドルと言えど身体能力では大きく劣る彼女らが俺に対抗できるわけもなく、秒殺である。春の姿をしたメブキジカを倒し、アブソルの隣に戻る。
「あっけないもんだぜ」
「今さらだけどさ、カセットテープの声と彼女らの声は違ったよ」
「む、それならば本当の黒幕は他にいるのか」
「ええ、そうですとも」
 地に付したメブキジカ達の背後からテープの声の主が現れた。
 青い上半身に黒い下半身。細長い足はしなやかで、美しい。クリーム色の角が頭部から生え、そこから枝分かれしたカラフルな角もある。
「私はゼルネアス。生命の繋ぎ手です」
 彼女がふぅ、と息を吐くと気絶していたメブキジカ達が起き上がった。
「さあ、やってしまいなさい!」
 ゼルネアスは背中に乗せていた袋を落とした。中からは大量の青い球体が入っているのが見えた。
「まさか……!」
「そう、これで貴方達も野生化するのです!」
 冬のメブキジカが青玉を蹴った。勢いよく飛んできたそれは、俺の足元で弾けた。深い青色の液体が足下に広がる。
 続いて第2投第3投と、玉は休むことなく飛んでくる。そのうち足の踏み場が無くなり、絶対絶命の大ピンチ。
 アブソルは俺を庇って白かった体毛の殆どが青く染まっている。
 本人は落ちるかな、と心配していた。
「なぜ? なぜ貴女は野生化しないの!?」
「私は、この身に月の女神を宿していたスカイランドの者よ。抗体があるから野生化なんてしないの」
「なら、目をつぶすまでよ!」
 プロ顔負けの速度で放たれた玉は複雑なカーブを描いてアブソルの顔に命中した。飛び出た液体が彼女の目にかかり、顔をしかめる。
「アブソル!」
「目に入ったみたい……私の事はいいから……集中して……!」
 ふらふらとよろめき、なんとかこの場所から落ちないように踏ん張る。
「盾には消えてもらうわ」
 ゼルネアスの角が薄い銀色に輝き始めた。月のように煌めく球体は凄まじい速度でアブソルに命中する。悪タイプの彼女にフェアリータイプの技は効果抜群だ。
 視界の無いアブソルはくるくる回りながら、祭壇の下に落ちていった。途中でバキバキッと木に引っかかる音がした。
 ──無事だといいのだが……。
「余所見は、ダメよ!」
「しまっ──!」
 落下したアブソルに気をとられて、飛んでくる玉に気がつかなかった。足場の悪さでとっさの対応ができず、もろにくらう。
 視界が青色に染まり、力が抜ける。
 腹の底から咆哮のような唸りが込み上げてくる。必死に耐えて、野生化しまいと歯を食い縛る。
 しかし確実に、俺の心を蝕んでいく。無意識に爪が飛び出し、今にもゼルネアスをズタズタに切り裂いてしまいそうだ。
 どくんどくんと鼓動が大きくなり、いよいよ野生化の進行が早まる。もって後数秒。それまでに何かしら起こらなければ、俺も野生の仲間入りだ。
 さくっ、と肩に鋭い痛みが走る。牙を剥き出して、飛び掛かりたい衝動に駆られる。
「やれやれ、間に合ったよ」
 狭まった視界が急速に開ける。世界がクリアに見え、攻撃しようとしていた対象の顔がわかった。
「エル……!」
 微笑した未来の警察官は俺の肩から注射器を抜き取った。
「お前、野生化したんじゃないのかよ……」
 ふらふらしながら、エルに尋ねる。倒れそうになる体をエルが支えてくれる。
「まっさかぁ、僕が野生化するとでも? とっさに《空間回廊》を開いて逃げたのさ」
「じゃあ、なんでさっさと帰ってこなかったんだよ」
「いやぁ、変な所に行っちゃって。帰るのに苦労したよ。で、家に帰ったらルカリオとフライゴンがぐったりしてて、サーナイトに薬を渡されてここに来たんだ」
「どーやって来たんだ? パルキアに頼んだのか?」
「まさか。イベルタルに運んでもらったんだよ」
 おーい、とエルが呼ぶと、赤と黒の体色をした、アルファベットのYの形をしたポケモンが現れた。
「イベルタル! なぜいつも私の邪魔をするのですか!」
 苦虫を噛み潰したような表情をしたゼルネアスが叫ぶ。
「お前は生を司り、俺は死を司る。今、生死のバランスが崩れている。これ以上続けるとジガルデに怒られるぞ」
 いつの間にか、メブキジカ達はいなくなっていた。イベルタルを見て逃げたか、俺が野生化して殺されかねないと思って逃走したのか。真実はわからない。
「……今のうちにアブソルの所に行こう」
 階段を早足で駆け降りる。最後の十数段はジャンプして飛ばす。着地と同時にジーンとした感覚が足に伝わる。
 それを我慢してアブソルの落ちた場所へ駆けつける。
「……あそこだ」
 白い物体が木の根本で丸まっていた。うまいこと木の葉がクッションになったようだ。
 彼女の首に手を入れ、毛皮の奥の皮膚に触れる。脈を測って生きていることを確認する。
「よかった……生きてるぜ」
「でも、背骨が折れてるね。あと、右足が複雑骨折だよ」
「なんでわかるんだ?」
「おいおい、僕は空間の使い手だよ? X線検査なんてお手のものだよ」
「そうか。じゃあ、10分巻き戻せば治るかね」
 アブソルの胸に手を当て、力を込める。無限の宇宙から送られる時間をねじ曲げ、巻き戻す。耳元で時計の秒針がけたましくカチカチ鳴っている気がする。
「ふ……んぐぐぅあ! ……どーだこの野郎!」
「骨がパズルみたいに組合わさるのを初めて見たよ」
「おいおい、俺は時間の使い手だよ? 時間溯行なんてお手のものだよ」
 アブソルを木の傍に寝かせ、もう一度階段を登る。
「おい、あのイベルタルとか言うのは何タイプだ?」
「悪だよ」
「ゼルネアスはフェアリーだ。下手したら死んでるぞ」
 エルの表情に焦りが浮かんだ。小さな体で何段も飛ばして頂上を目指す。
「イベルタル!」
 俺より先に登りきったエルは空を見上げていた。彼の視線の先を俺も見つめる。
「なーんだ、まけてないじゃん」
 祭壇の端でイベルタルにムーンフォースを放っている。しかし彼は空中を華麗に舞って、返しの飛行技をお見舞いする。
 ゼルネアスの皮膚が切れて血が噴き出す。
「なあ、不意打ちって卑怯かな?」
「時と場合によるんじゃないかな?」
「今はどうだ?」
「あー……」
 エルが思案に暮れていると、ゼルネアスの体が淡いピンク色のオーラに包まれ始めた。大地の恵みが全てそこに集結したかのような強大な力の奔流が俺の毛皮を貫いてくる。
「これは、叩き潰さないと不味いんじゃないか?」
「同感だね、うなじをアイアンテールで叩こう!」
 言い終わらない内に走り出す。彼我の距離が5メートル程になったあたりでジャンプする。空中で体を捻り、尻尾に力を溜める。
「くらえええいっ!」
 うなじに届く寸前、ゼルネアスの解放した力の流れに吹き飛ばされた俺達は硬い地面に叩きつけられる。
「……いってぇ」
「諦めなさい。ジオコントロールが発動しました。貴殿方に勝ち目はありません」
「ジオ……コントロール?」
「私の力を高める技です。ただ、発動に時間がかかるのが問題点ですね」
 ふふふと笑ったゼルネアスは、空中を旋回するイベルタルにムーンフォースを撃ち出した。白銀に輝く豪速球は彼の腹部に激突した。凄まじい爆発と共にイベルタルは森のどこかに撃墜したようだ。
「降参するなら、痛め付けないであげましょう」
 ゼルネアスが優しく、俺たちに微笑んだ。
 ──降伏しろと。


だんご3 ( 2018/10/10(水) 00:31 )