14話 お帰り
輸血が完了すると、ジャローダの頬に血の気が戻った。
「よーし、実験……じゃなくて治療再開するぞー!」
注射器で薬液を吸い取り、マニューラの首に刺す。ゆっくりと注入する。
その間、マニューラは苦しそうに呻き、逃げようともがく。
だがミミロップに押さえつけられてまともに動けない。俺に助けを求めるような目をしてきたが、動けなかった。
ミミロップが嬉々として注射する姿に怯えてしまったのだ。
「あ、戻っていいよ。輸血のご協力どーも!」
突然振り向いくミミロップ。ビクッと尻尾が立ち、驚いたのを誤魔化すように左右に振る。
「あ、ああ。戻らせてもらうよ……」
リビングに戻り、ソファに身を投げる。小さいからだがポスンと収まり、疲れがどっと襲いかかってきた。
精神的疲労のせいで動く気力が無くなった。ジャローダ達の衰弱っぷり。彼女らを実験対象としか見ていないミミロップへの恐れ。
とにかく、いろんなものがこの15歳の未成熟な精神にダメージを与えた。
「…………」
しばらく天井を見つめていたが、眩しくなって目を瞑ると、いつの間にか眠っていた。
夢の中では、玄関の前でうろうろしているだけだった。周りに誰かがいるわけでもないし、俺が出ていくわけでもない。
ただ、うろうろと行ったり来たりを繰り返すだけだ。そのうち、何かが燃えるような匂いがした。
足を止めずに、鼻を引くつかせて発信源を辿る。ドアを見ると、中心から火が拡がり始めていた。跳ねた火の粉が俺の毛に引火し、火だるまにねる。
「ぐわっ!?」
そこで目が覚め、跳ね起きる。汗をびっしょりかいて毛が体に張り付き気味だ。
「なんちゅー夢だ……」
ほっ、と一息つくと、夢の中と同じ臭いが鼻腔をついた。ドアに目を向けると、中心から燃え始めていた。
「うわあああっ!!」
何を思ったのか、落ち着いて時間を戻せば良いだけなのに飛び蹴りでドアを彼方に吹き飛ばした。
「予知夢、ってか?」
深呼吸をして周りを見渡す。放火した奴がいないか確認するが、玄関にはロコンしかいない。焼け落ちた扉の一部にぶつかったのか、煤で真っ黒になっている。
「お、お前なにやってんだ!?」
少し前の悲鳴を聞き付けた師匠とミミロップ、アブソルが玄関前に集まった。
「な、何事よ?」
師匠が目を丸くして真っ黒になったロコンを見つめる。
突然ロコンが俺に抱きついてきた。しっかりと師匠を見据えながら頬を擦り寄せる。
「あーあー、2匹とも煤まみれじゃない! 風呂に入ってきなさい」
「えー?」
不満の声を上げると、ミミロップに襟首を掴まれて風呂場まで連れていかれた。その手つきは、まるで汚いものに触れるかのような感じだった。
──まあ、実際に汚れて汚いが。
「はぁー、どうしたんだよ。突然ドア燃やしたりしてさ?」
蛇口を捻ってお湯を出し、ある程度の煤を落とす。その間にロコンに問いかける。
しかし、彼女は液体石鹸のボトルをパタパタ倒して遊んでいる。時折元に戻しているが、また倒す。
「おちょくってんのか?」
ロコンならなんとなくやりそうな事だから敢えて放っておく。
全身泡まみれになり、蛇口を回して石鹸を洗い流す。石鹸を落としきり、ぶるるっと身を振るって乾かす。
「ぎゅえっ!」
と、ロコンがすっとんきょうな声を出した。驚いてそちらを向くと、なんと石鹸を口に含んでいたのだ。
「ば、ばかっ! 何してんだよ!」
石鹸に足を滑らせて素早くロコンの隣に駆け寄る。シャワーを掴み、彼女の口の中に水を流し込む。ブクブクと泡が膨れ上がり、一気に流れていく。
しばらくの間口に流しては休ませ、口に流しては休ませと繰り返し、ロコンが落ち着いた頃には周りの泡も排水溝に流れきっていた。
「どうしちまったんだよロコン?」
「きゅう……」
「きゅう?」
「きゅう! きゅきゅきゅう!」
「え……? お前、ふざけてんのか?」
彼女は首を横に振るわけでも、縦にも振らず首を傾げた。まるで、何を言われたのか理解出来ていない。そんな表情。
「し、ししょーっ! ミミロップでも誰でもいいから来てくれー!」
風呂場のドアを開け放って叫ぶ。家中で木霊し、誰かは来てくれるはずだ。
「な、何よ何よ」
慌てた様子で師匠が目の前に現れた。次に息を切らしたアブソルが入ってきた。
「何があったのよ」
「ロコンが野生化してるんだ」
つい先程起こった事を細かく話す。その間にロコンは再び石鹸を口に入れてゲーゲーやっている。
俺の証言とロコンの行動を確認した2匹は頷いた。だが、疑問があるようだ。
「野生化したロコンは、なぜ私達を襲ってこないの?」
アブソルが俺とロコンを交互に見ながら訊く。俺はロコンに何もしていない。
手懐けるように調教したとか、催眠術で従わせているとか、そんなことは断じてない。
「たぶん、スカイランドでの事じゃないかしら?」
「あ……ああ! へんな木の実食った奴か!」
「あれも野生化と似たような状態だったし、その時の記憶が甦ったんじゃない?」
「あり得なくもないな。そんで、元に戻すのに使ったのがモドリ草。英雄の島に生えてる草。あれなら野生化も治せるんじゃないか?」
「まだ飛行船は壊してなかったよな?」
「ええ、地下にしまってあるってミミロップが言ってたわ」
俺と師匠は顔を見合わせて頷き、ミミロップの部屋に向かう。取り残されたアブソルは風呂で溺れそうなロコンの救助をしていた。
「ミミロップ! 飛行船だして!」
「飛行船? ああ、あれなら売ったよ」
「は? 師匠は地下にあるって……」
「それ言ったの先月だよ? とっくに資金になってるよ」
がっくりと肩を落とし、リビングに戻った。ソファではロコンがアブソルの頭にしがみつき、角を齧っている。
鬱陶しそうなアブソルは角から滴り落ちる唾液をティッシュで拭き取っていた。
「うわっ、何これ!」
玄関から声がした。慌てて向かうと、ゾロアークと一部青くなっているルカリオが玄関に立っていた。2匹は砂まみれで、毛が絡まって痛そうだ。
「おかえり」
「あ、ミミロップいるかい?」
ルカリオは鞄から何か球状のものが入った袋を取り出した。
「敵の使った武器が入ってるよ。投擲系のがね」
「たぶんこれで野生化するはずなんだけど、ルカリオは発症しなかったのよ」
不思議そうにゾロアークが言った。
「単に運が良かったとか?」
「いやぁ、がっつり当たっちゃったよ」
「うーん……不思議だな……まあ、いいや。ミミロップに届けといてくれよ」
「わかった」
「私はお風呂に入ってるから」
「わかった、僕もすぐに行くから」
ゾロアークは風呂場に、ルカリオは研究室にそれぞれ向かった。
その場に立って、飛行船が無いならばどうするべきかを考えていると、涼しい風が吹き込んできた。
「そうか……ドア無いんだったな……」
風は次第に強まり、俺の軽い体はずずっと後方に押される。
「な、なんなんだ!?」
風が吹く場所から脇にそれ、窓から状況を確認する。
なんとルギアが家の前に着陸しようとしていた。その背中にはサンダース兄ちゃんとリーフィアな乗っていた。
「ありがとうルギア!」
降り際にリーフィアが笑顔で礼を述べる。
「どういたしまして。それでは頑張るのですよ」
2匹に微笑んだ彼女は、大きな羽音と共に、快晴の空に消えていった。
「ただいま!」
リーフィアは無いドアを気にせず家に入る。サンダースは修理代が……と小声で言った。
「地区が違うのに何で君達は一緒に帰ってきたんだ?」
「西地区でシャワーズお姉ちゃんが野生化してギリギリルギアの背に乗って逃げてて来たの。途中でお兄ちゃんがペリッパー便で帰ろうとしてたからついでで連れてきたの」
シャワーズが野生化した、と言われても驚かないサンダースはルギアに搭乗時に聞かされたのだろう。
「でね、お兄ちゃんゴミ箱に落ちたから臭いのよ!」
「風呂行ってくる」
「でも中には……」
──ゾロアークとルカリオがいるぞ、と忠告したかったのだが。
「俺はさっさと体を洗いたいんだ!」
鼻を鳴らして、サンダースは風呂に行った。そして彼が驚いた声を上げたのは言うまでもなかった。