11話 絶壁の東地区
「よし、次はルカリオとゾロアークね」
西地区への穴を閉じたエル。彼がもう一度手を振ると、別の穴が現れた。
「じゃ、行ってきまーす」
ルカリオとゾロアークが並んで穴を通った。これで家の前にはエルとブラッキー、ニンフィアだけになった。
「うわぁ……高いなぁ」
ルカリオは空高くそびえる壁を見上げながら呟く。空を飛べるならまだしも自力で頂上まで行くとなると辛すぎる。
「…………」
「ゾロアーク?」
ゾロアークがきゅっとルカリオの腕を握った。彼女の体が小刻みに震えているのに気がついた。
「寒いの?」
「ち、違う……怖いの……」
「それって、高所恐怖症ってやつ?」
こくりと頷き、さらに強く握る。ルカリオがその肩に手を回して引き寄せる。
「僕が君を背負って登るから。安心してよ」
「む、無理しなくて大丈夫よ。私、重いし……」
「大丈夫さ! ゾロアークを重いだなんて一度も思ったことないよ!」
「る、ルカリオ……」
「ねえ、水を差すようで悪いんだけどさ、早く進みなよ」
穴の縁で頬杖をつきながら二匹の様子を眺めていたエルが言った。せっかくいい雰囲気になっていたところを邪魔されたゾロアークのこめかみに青筋が現れた。
本能的に不味いと察したエルは急いで穴を閉じる。
「帰ったら血祭りね」
「そ、それはエーフィと戦うことになるよ?」
「私は悪タイプよ! エスパーなんて一撃よ!」
──とばっちりが来そうだなぁ、と不安に思うルカリオであった。
「さあ、行きましょう!」
「ほら、おんぶしてあげるよ」
「ありがとう」
ゾロアークの尻に手を回し、落ちないようにしっかり自分の背に押し付ける。
「しっかり掴まっててよ!」
ぐっと踏み込んだルカリオは近くの出っ張った岩に飛び乗った。本来の登山道をまるっきり無視して進むようだ。
「ひぇぇええええ!」
なんの躊躇いもなくひょいひょい飛び移るルカリオの首にがっちりしがみついて目を瞑る。しかし浮遊感は拭えないもので、自分が高い所に浮いているという感覚がはっきりある。
「これで、最後!」
広い場所に着地を決め、満足そうに鼻を鳴らす。
「どうだいゾロアーク? すごいだろ? ……あれ? ゾロアーク?」
一向に返事を返さない彼女を背中から下ろしてみる。涙を流し、白目を向いているゾロアークがそこにいた。
「おーい、気絶しちゃったの?」
ぴたぴたと頬を叩きながら名を呼び続けるが反応が無い。仕方なくカバンから取り出した水筒の水を顔にぶちまける。
「っ!? ぶぁっ!?」
「あ、起きた?」
かかった水を拭いながら起き上がり、辺りを見回す。
「……ここは、頂上?」
「そだよ。ほら、見てごらんよ」
ゾロアークが落ちないようにしっかり抱えて崖の下を見せる。
風が唸りを上げ、二匹の頬を撫でる。遥か遠くに微かに見える地面を見たゾロアークは再び気を失った。
かくん、と落ちたゾロアークを地面に寝かせてもう一度水をぶっかける。
「ぶふぁっ!?」
「大丈夫?」
「立ちたくないわ……」
テコでも動かないかのような力で大岩に抱きつく。
「はぁー……今度はお姫様抱っこなんてどうかな?」
「…………」
見つめあうこと数秒。先に目を反らしたのはゾロアークだった。
「わ、わかったわよ……」
「うん、それじゃあ行こうか!」
膝裏と首裏に手を入れ、持ち上げる。ゾロアークはがっちりとルカリオの胴体にしがみついて離そうとしない。
「……ねえ、こんな場所にポケモンなんているの?」
「え? 知らないよ。 エルがここに飛ばしたから登ったんだけど……」
「えー!? ここには何もないかもしれないってこと!?」
「まあ、そうなるね……。でも降りる時もちゃんと運ぶから」
「そ、それならいいけど……」
カップルで仲良く会話をしていたところ、ピクッとルカリオの耳が動いた。
「どうしたの?」
「……そこにいるのは、誰?」
岩影に気配を察したルカリオは嫌がるゾロアークを無理に降ろして、自分の後ろに立たせる。
「ば、バレちゃいました?」
現れたのは、メブキジカだった。秋の姿をしていて、申し訳なさそうに笑っている。
「だ、誰ですか?」
「あ、私はアイドルのメブキジカです! 名刺をどうぞ!」
「あ、どうもご丁寧に」
──チェーンズ・秋の位置、アキシカ
「アイドルの方がなぜこんな所に?」
「観光を兼ねたトレーニングです。ここからの景色は素晴らしいんですよ」
アキシカの歩く方についていこうとすると、ゾロアークが尻尾を引っ張った。
「いててて!」
「怖いから……行かないで……」
うるうると目に涙を浮かべ、嫌々と首を横に振る。
「おんぶするからさ、ね?」
「……しょ、しょうがないわね」
ゾロアークを背に乗せ、アキシカの隣に立つ。
「うわぁ……」
そこからの光景は、言葉では表せないほどに壮大だった。
青空、山、海、川、それか幾つもの町。とにかく沢山の物を一望して、ルカリオはしばし心を奪われた。高所恐怖症のゾロアークもこの間だけは恐怖を忘れて景色を楽しんでいた。
「……ん?」
風の音とは違う、何かの音がルカリオの耳に届いた。下を覗いた瞬間に反射で一歩下がった──と同時に銃声が響き渡った。
「ちっ、避けられたか」
「下手くそ。音もなく飛んでやったんだから仕留めろよな!」
崖から姿を現したのは、ニューラを背に乗せたピジョットだった。
ニューラはライフル銃のような物を持っていて、弾を詰めている。
「……なんなんだお前らは!」
「俺達か?」
「俺らは──」
「俺らは世界を原点に還す者だ!」
「おい! 俺の台詞をとるんじゃねえ!」
ニューラとピジョットは内輪揉めを始め、ルカリオが動いたのに気がつかなかった。隙をついた波導弾は、見事ライフル銃に命中した。
「あぁッ!」
「バカ! 手投げタイプのを使え!」
ピジョットが上空へ飛び立ち、ニューラが袋から青いゴルフボールような玉を取り出した。
「あ、アキシカさん!」
逃げるならば彼女も一緒に、と思ったルカリオは周囲を見回す。だが、彼女の姿はどかにもなかった。
先に逃げたか、崖から落ちたか。前者ならばいいが後者は考えたくもない。
「今は一刻も早く逃げなきゃ! ゾロアーク! ちゃんと掴まっててよ!」
雨のように降ってくる青玉を躱しながら自分が登ってきた岩から、その前に使った岩に飛び移った。
登った時とは逆の順番で降り続けるルカリオ。
激しく上下に揺れるこの場で強い吐き気に襲われたゾロアーク。
ゾロアークの吐瀉物が全身にかかるか、先に降りきって身を隠せるか。時間の問題だ。
「る、ルカリオぉ……は、吐きそう……っ!」
「あ、あとちょっとだから我慢して!」
最後の二段をすっ飛ばして地面に着地。ジーンと足が痺れたがそれ以外は問題無かった。
痺れた足に負担をかけながらも、目の前の茂みに転がり込む。ゾロアークを背から降ろし、顔を覗き込む。
彼女の顔は真っ青でとても具合が悪いようだ。
「だ、大丈夫?」
心配そうに背中を擦ると、ゾロアークはその手をはね除けた。
「こ、こっち見ないで……」
よろよろと這って移動し、木の根元で盛大に吐き散らした。ツンと酸っぱい臭いがルカリオの鼻をついた。
「ほら、水飲みなよ」
受け取った水筒で口元を洗い、口に含んでうがいする。
しばらくしゃがんでいると、だいぶ落ち着いたようで顔色も戻ってきた。
「世界を原点に還すって、どういう意味なんだろう……」
「きっと全てのポケモンを野生化させようとしているんでしょうね」
「なんで?」
「太古の時代、我々ポケモンは武力が全てだった。強き者は優遇され、弱き者は衰退していった。そこでアルセウスが我らに言語と、話し合いをする落ち着きを与えた」
歴史の授業を突然展開させ始めたゾロアーク。ここまで元気に話せるということは完全に回復したようだ。
「でもそんないい世界ができる訳じゃなく、歪みも生まれた。それがダンジョン。世界の想像主であるアルセウスもダンジョンを消そうとしたわ」
自分の説明を語るあまり、声が大きくなっていく。
「何回か消したけど、その度に必ずどこかに異変が起きたのよ。でもスカイランドだけはダンジョンの完全削除に成功したみたい。それでアルセウスは諦めてダンジョンを残したっ──」
「危ないっ!」
ルカリオがゾロアークを押し倒し、ニューラの攻撃から庇う。だが縺れ合った状態ではうまく動けず、手投げ型の青玉がルカリオの背中に当たった。
玉は割れ、中の液体がドロリとルカリオの背を伝う。
「ははははははっ! これで貴様も野生の仲間入りだ!」
「ルカリオ! 大丈夫!?」
「え? うん、別に。ひんやりしてるぐらいだよ?」
「な、なにっ!?」
驚愕の表情の二匹に、ルカリオの波導弾が叩き込まれた。後方に強く吹き飛び、岩肌に激突した。ニューラに至っては四倍弱点で、当分起き上がることはないだろう。
ルカリオはニューラのポーチをもぎ取って中身を確認する。
「うん、これが証拠になるね! さっさと帰って、イーブイに報せよう」
「それは良いけど、どうやって帰るの?」
「え? そりゃぁ、徒歩?」
「何日かかると思ってるのよ」
「途中で町が見つかればペリッパー航空とかラプラス便があるかもしれないよ」
「そうね……行きましょう」