5話 補食の頂点
周囲を見回すとこの小部屋は湖のようになっていた。おそらく、ここは野良 ポケ達の水分補給場所なのだろう。
そして、目の届く範囲には何も見えない。
「……?」
この何もない小部屋で、師匠は何を感知したのだろうか?
エスパータイプの彼女ならば俺とミミロップから見えない所の敵意を感じとることができるのだろう。
「……見えない敵意?」
「どうしたのよ、突然」
「もしかしてさ、この辺りに野良がいないってことはさ」
「水中に何かがいるって言いたいの?」
後を引き継いだミミロップに頷き返し、サンダースオリジナルの《雷槍》を手に出す。それを湖の中心に向かって投擲。
しかし、槍の先端が水面に触れる寸前、黒くて太くて長いものが水飛沫を上げながら飛び出してきた。
「な、なんだ!?」
「サーナイト!」
弾き飛ばされそうになった師匠をミミロップが押し倒して回避する。巨大なポケモンが俺の前に立ちはだかった。
これで俺達は半分に分断されてしまった。
「お前は誰だ?」
水から上がったことから察するに水タイプ、またはそれに準ずるものと見ていいだろう。なので再び《雷槍》を出現させる。
「私は……ミロカロス」
「……言葉を発した!?」
「そりゃそうよ。私はこのダンジョンの者では無いのだから」
長い鎌首をもたげてミロカロスは舌舐めずりした。
「なんであんたはここにいるんだ?」
「そうねぇ……ここは私の隠れ家みたいなものよ。追っ手から逃げるためのね。ここには野良と探検隊以外だーれも来ないんだから」
──おれは、こいつを。このミロカロスをどこかで見たことがある気がする。
そう、何かのポスターか何かで。
「待てよ……追っ手、隠れ家……あっ!」
脳内の電球に光が灯った。
「お前、指名手配中のミロカロスだろ!」
「ご名答。如何にも私がミロカロスだ。十年前の幼児行方不明事件、あれの犯人が私だ」
「知ってるぜ、俺は五歳だったから姉ちゃんと一緒にニュース見て覚えたんだ。お前は幼稚園生を誘拐し、殺害し、どこかに埋めた。そうだろ?」
「ふむ、54点をあげよう。正確には誘拐し、呑み込んだんだよ。だから遺体も見つかってないんだ」
「呑み込んだ……?」
「そう、頭から、足からごくり、とね」
俺がなぜ、こんなことをしたのか尋ねようとする直前、師匠が呻き声をあげた。
「うー……あれ、ミミロップ……何してんの?」
「師匠!」
師匠が正気に戻ってホッとしたのも束の間、ミロカロスから意識を外したためにあっけなく巻き付かれてしまった。
「15歳だっけ? 戦闘中に敵から意識を外すなんてあり得ないことだよ?」
「このまま絞め殺すつもりか?」
俺の小さな体にギリギリと食い込むミロカロスの体。ミシリと、骨が嫌な音をたてた気がした。
「イーブイ!」
ミミロップが飛び膝蹴りの構えをとると、ミロカロスはニヤニヤ笑って彼女を見据えた。
「そんな物騒なことしない方がいいよ。イーブイくんに当たっちゃうかもしれないからねぇ」
くつくつと喉の奥で笑う。
「うーん……やっぱり我慢できないや!」
「は?」
翳った頭上を見上げると、ミロカロスが大口開けて俺の頭にかぶりついた。
「んんんんッ!?」
生温かく、ねっとりとした感触が頭部を包む。これが命に関わることじゃなければ割りと楽しめる気持ちよさだ。
「ううううう!!」
首、胸、腹、太股、足、と次第に呑み込まれて口の中にすっぽり収まってしまった。口の中で飴玉のように転がされ、喉の奥に運ばれていった。
柔らかいが、筋肉質の肉壁に挟まれて思うように体が動かない。
心なしか、足先がヒリヒリしてきた気がする。
──どーやって逃げ出すか……。
息苦しい密室で、如何にして脱出するのか。まだ検討もつかない。
〜☆★☆★〜
「イーブイっ!」
ミミロップとサーナイトは同時に絶叫した。
ミロカロスの喉がぷくっと膨らみ、それがだんだんと降りていく。
「ふふ、この柔らかくもなく、堅くもないお肉。それに汗がいい塩味を出してるわ」
ぺろりと口の端を舐めてうっとりとした表情をする。
「さて、次は貴女達を食べちゃいますか」
「こんなことして、何が目的なのよ?」
「食うか食われるかの弱肉強食。勝てば食事にありつけ、負ければ死する。私は苦労してここの生態系の頂点に立ったのよ」
「何が……言いたいのかしら?」
科学者としてサイコパスの異常思考に惹かれ始めたミミロップは矢継ぎ早に質問を繰り出す。
「私は元は地上のポケモン。五歳の幼児を口にした日から罪人。運よくこのダンジョンに逃げ込んだ。ギルドに入りたての私はすぐに指名手配。ダンジョン内に留まってもバッジのおかげで野生化してないわ。でも、時々穴抜けの玉を使って日の光を浴びるのよ」
「なぜ、ポケモン……というか子供を食べるんだい?」
「美味しいからよ。それも、外のポケモンはね。ダンジョンのポケモンは呑まれても暴れて鳴くだけ。これも面白いんだけど、外のポケモンは泣き叫び、私に頭を垂れて助けてくれと、食わないでくれと喚く……無駄なのにねぇ」
目を細めて笑うミロカロスは、いつでもサーナイトとミミロップに飛びかかれるように構えた。
「泣き叫ぶ声が、最高の味付けになるのよ。イーブイくんはあんまり恐がらなかったみたいだけど……貴女達はどうかしらね?」
ミロカロスが動き出そうと身を縮めると、彼女は顔をしかめてうずくまった。
「え……?」
二匹は顔を見合わせて身構えながら近づく。ミロカロスは額に脂汗、目には涙を浮かべてのたうち回っている。
腹部の膨らみが喉に向かって逆流していく。痛みにのたうち回るミロカロスは吐き気を催したらしく、えづきはじめた。
ぷくう、と喉が膨らみきるとミロカロスは唾液と胃液まみれになった物体を吐き出した。約四十センチ程度の茶色い固まりは、よろよろと起き上がった。
「うおっ!」
ぬるぬるとした胃液に足をとられて転んでしまったのは、呑まれたはずのイーブイだった。
「イーブイ!」
二匹は駆け寄って彼を抱き締めようとする。しかし、異様な臭いを放っていることに気づくと、三歩ほど後退った。
「なんだよぅ……奇跡の生還なんだからハグしてくれてもいいじゃないかぁ」
「あんた臭いのよ!」
サーナイトから発せられた『臭い』はイーブイの心を傷つけた。と、同時に、サーナイトへの仕打ちを考え始めた。
「やっぱり、抱きつくのが一番でしょう!」
「いやあああああっ!」
イーブイとミミロップな初めて聞くサーナイトの雌っぽい声。しかし声は雌らしくとも、行動が雄っぽかった。
首に腕を回して胃液を擦り付けようとするイーブイの側面に強烈なハイキックが叩き込まれた。地面の上をボールのように跳ね、ミロカロスが現れた湖に飛び込んだ。
「あー……いててて……」
蹴られた本人はいたって無傷な様子で水面から顔を出した。
「ちゃ、ちゃんとそこで洗い落とすのよ!」
「はいはい、わかりましたよ」
「そういえばミロカロスはどこへ消えたの?」
体を洗いながらイーブイが周りを見渡す。サーナイトとミミロップもそれにならってキョロキョロする。
しかしあの白い巨体は跡形もなく消えていた。唯一の手がかりは地面が濡れていてそれが湖まで続いている事ぐらいだ。
「逃げたな」
「逃げたね」
「そうね、逃げたわ」
「じゃ、さっさと階段探しましょうか」
どうせまたどこかでミロカロスが出てくるんだろうな、と胸に不安を残しながら一行は階段目指して歩き始めた。