56話 エル、頑張る
「うわっ!」
エルは投げられた岩石を横に飛んで回避する。
レジキガスは目があるのか無いのかは分からないが、エルが移動する方向に必ず向く。
「見よう見まねだけど!」
エルを捕まえようと伸ばされた巨大な手の上に乗り、亜空切断を放つ。
エル自身が媒介となり、亜空間を出現させる。呑み込まれたレジキガスの左腕は亜空間に消えた場所からざっくりと消滅した。
パルキアが独自に編み出した技を、彼は再現して見せたのだ。しかし、伝説のポケモンが使うのだから疲労は並大抵のものじゃない。
レジキガスはいずこへと消えた左腕を探してぐるぐると回り始めた。
「無駄だよ。……君の左腕は異次元に消えて無くなった」
荒くなった呼吸を整えながら言う。
「ウゴォォオオオアアア!!」
意味を理解したのか、化け物じみた咆哮を撒き散らしながら殴りかかってきた。
初動の遅れたエルは僅かながらに避けたものの、大きな手のひらからは逃れられずに弾き飛ばされた。
彼の小さい体は地面を跳ね、巨岩にぶつかって漸く止まった。先刻の一撃で、体は擦り傷だらけ、肋の一、二本は折れているだろう。
ズキン。
立ち上がると同時に、胸部に激痛が走った。
「最高だね……」
皮肉混じりの笑いをする。
「ウゴァアアアアアッ!!」
レジキガスは残った右腕で、近くにある岩を投げた。
「くッ……!」
瞬時に《空間回廊》を開き、大岩を投げた本人の頭の天辺に返却する。鈍い音を響かせて岩は砕け散った。
──僕だけじゃ倒せないのか!?
エルは逃げ回りながら考える。
──いや、僕だけでも! 先輩や、イーブイの力なんかなくても!
「オオオオオッ!!」
肋骨の痛みを、吠え声で無理矢理掻き消す。
伸ばされた右腕に飛び乗り、頭に向かって駆け抜ける。
「これで終わりだよ」
頭に手を乗せて、亜空切断を発動させる。エネルギーの奔流に耐えながら、範囲を広げていく。
視界がが黒、白、と眼球の奥でスパークする。喉から熱いものが込み上がってきた。
エルは勢いよく吐血した。どろどろの血液が、白い体表を染める。
異空間に通じる穴が、レジキガスの巨大な頭を包み込んだ。
小さな敵を払い除けようと必死に頭を振ったり、手を伸ばすが、頭は異空間に突っ込まれていて意味をなさず、腕の方は短くてギリギリ届かない。
「ゴァアアオオオオッ!!」
レジキガスの悲痛な叫び声が、亜空間に木霊する。誰に聞こえることもなく。
そして、胴体と切り離された頭は、次第に思考、判断能力を失い、二度と唸ることはなかった。
体の方も命令を出す脳を失って生命活動を停止する──はずだが、方膝をつくどころか、倒れもしない。
「え?」
ギギギギ、と不協和音を鳴らしながら、レジキガスがエルに襲いかかった。
二発目の亜空切断に全力を使い果たした彼は、動くことすらままならずに呆気なく捕らえられてしまった。
「くそッ! 離せ! 離せよ!」
じたばたと暴れるが、本気を出せないエルの攻撃は赤ん坊に叩かれるのと同じようなものだった。
「ぐ……ぁあ……ああ……」
エルを握る手に力が籠る。先刻よりも派手に血を吐き出す。
彼の脳内に走馬灯が走った。
初めてイーブイに会ったこと。ツヨイネに入隊したこと。エーフィとキスしたこと。
様々な記憶の中に、一際輝くものがあった。
ツヨイネに入って数日後のこと、イーブイと大喧嘩した、あの日。
喧嘩の原因はダンジョン内での進む方向に関してだった。
イーブイは右と言い、エルは左と言った。結局のところ、階段は上方向という、てんで違う場所にあった。
──ああ、あの時はボロ雑巾並のやられっぷりだったな。
エルの口の端に笑みが浮かんだ。
それ以来、イーブイと本気で殺り合ったことは一度としてない。
──このまま、イーブイ勝てずに終わるのか。
「諦めてんじゃねえ!!」
薄れ行く意識の中、誰かが僕を呼んでいる、そう感じた彼はゆっくりと瞼を閉じた。
最後に、エーフィのキスがほしかったな、とエルは思った。