ポケモン3。
 お菓子を食べたり、ジュースを飲んだり。スーツを着てみたり、髪型を整えてみたり。持ち物の準備とか、色々、当日になって慌てないようにと――まあ既に一日しか残されていないので慌てるも何もないのだけれど――確認をしたあと。様々な押し問答を繰り返した結果、以前と同じく、僕と緑葉は同じベッドで寝ることとなった。
 ……正直言って、色々な欲望が渦巻いていた僕は、こんなことならもう一つベッドを買った方がいいんじゃないだろうか、いやいや、でも、年に何回あるかどうかのシチュエーションだし、そこまで気張る必要もないよな……うわー、緑葉の方を見たら僕は駄目になってしまう気がする。もう、天井だけ見よう。いっそ眠ってしまおう。死んでしまえばいいんだ僕は。あああ頼むダークライ! 僕を奈落の底へ落としてくれ! 行け、今だ、ダークホールだ! …………とか、眠れずに、考えていた。
 そんな感じで一夜を過ごした僕だったけれど。
 なんとか理性を保ったまま、明け方近くに就寝出来たらしく、緑葉に揺り動かされて起きた時には、安堵の溜め息を漏らしたものだった。
「お寝坊さんだなぁハクロは」
 緑葉からの、控えめな叱責。
 誰のせいだと思ってるんだ。
 元凶は今すぐに口を噤め!
「いや……ていうか緑葉さ、君も女の子ならもうちょっとこう……いや、やっぱなんでもない」
「なにさ」
「言ったら言ったで、墓穴を掘りそうだ」
 ある意味二重罠だよなぁ。
 なんで男ってこんなに悲しい生き物なんだろう。
 結局の所、女の子がどんな行動を取った所で、男が我慢すれば全ては解決するんだけどさ……。
 誘惑に対する取り締まりもキチンとしてほしいよなぁ、とか。
 そんなことを考えながら、僕は顔を洗い、ちょろっと寝癖を直して、リビングへと向かった。
 親しき仲にも礼儀あり。
 そんなわけで。
「改めて、おはよう」
「おはー」
 時刻はまだ午前七時である。まあ、昨日はなんだかんだで、朝弱いとか、起きるの遅いとか、言ったけれど……それでも一般人に比べたら、それこそ僕は老人並に起きるのは早い。けれど、僕の周囲にいる人間は、朝六時には完全に起き切っているのがデフォルトな人間ばかりなので、そういう意味では、やっぱり、僕は遅い部類なんだろう、と思う。
 まあそんな邪念も、食卓に用意された朝食によって振り払われて、僕の胃袋は胃液を流し始める。
 朝食……ね。
 日頃から基本的に、お菓子に分類されるパンとかしか食べていないから、こうした食卓は嬉しいものだったりする。
「朝から味噌汁とか、数年ぶりだよ」
 食卓について、僕は思った通りに口にしてみる。
「そう? この前来た時は何作ったっけ?」
「この前は……パンだったかな。前日にカレー食ったから、米も炊いてなかったんだよね、確か。ていうか、一人だとそもそも米を炊くっていう習慣が、あんまりないからね。カレーも夕飯で全部終わっちゃったし」
「そういえばそうだったね。まー、私はご飯自体あんまり食べないけどねー」
 ああ、そりゃそうか。
 いくら旅のトレーナーさんとは言え、呑気に飯ごう炊さんなんて、やってる場合じゃないだろうし。
「それにしても、これ、昨日の刺身のツマだよな……よく味噌汁に入れようと思ったね」
 味噌汁を飲みながら、具材となっている細切れの大根について感想を漏らす。魚臭さはないけれど、形状から言って、昨日の残り物である。
「美味しくなかった?」
「いや、全然美味いけど。入れるっていう発想がね。僕なら多分、捨てちゃうところだ」
「うーん、長年のもったいないなーっていう思考の賜かもしれないね」
 もったいない……とはまさにその通りか。緑葉の場合、いつでも何かを食べられるっていう状況じゃなさそうだしな。
 旅のトレーナーにも種類はあるけれど、緑葉みたいに自炊スキルの高い子なら、ガスバーナーとかでお湯沸かしたり、その上にフライパンを乗せて調理をしたりと言ったアウトドア生活が出来そうなものだ。けど、やっぱりそれには材料が必要だし、そうなると残り物を再調理するスキルも問われるのだろう。もったいないスキルとでも言うべきか。
 まあ、上級者レベルになると、そこら辺に生っている木の実を、ポケモンの扱う炎――緑葉で言えばキュウコンか――で調理してしまうらしいけれど、いやはやそれは流石に、噂話であると思いたいところだ。
 それに、ポケモンが使う炎は、現象としての『火』とは別の存在だからな……まあ、そうじゃなきゃ、口内から火を噴いて無傷でいられるなんて、信じられないところだし。そもそも、火を吐かれてそれを攻撃として食らい、無事に生きている生物なんて、この世にいるとは思えない。まあ、ごく稀に、そういう耐久性の高い生物もいるけれど。
 まあ……ポケモンが吐き出す『水』が、人間には飲めないのと同じか。
「完全に、自然界とは別物だよなぁ、ポケモンって」
「なにが?」
「いやさ、昨日言ってた『雷』の話もそうだけど……『炎』も、『水』も。『草』だって、自然界のものとは別物なわけじゃん」
「そうだね、分かりやすいからそう言われてるけど」
「そう考えると、ポケモンってほんと、何者なのかなぁって思うよなぁ……謎だらけっていうかね」
「それを言ったら、私たち人間もそうなんじゃない?」
 もっともな意見だった。
 よく、人間は何処から来て何処へ行くのかとか言われるけれど……それは全てのものに通ずる疑問なんだろうなぁ。僕は何処から来て何処へ行くのか。緑葉は何処から来て何処へ行くのか。ポケモンは何処から来て、何処へ消え行くのか……。
「まあ、考えても詮のないことか」
「そうだね」
「それにそういうのは、青藍兄さんの領域だろうしな」
 それに、朝飯時に難しい話もないだろう。
 朝は幸せで満たされているべきだ。
「それで、ハクロさ」
「ん?」
 想像以上に美味しい味噌汁に舌鼓を打ちながら、喉だけで発音して応じる。
「昨日の話、どうにかなりそう?」
「え? あー……服、か」
 緑葉が着ていく服……まあ、いざとなれば、木蘭さんとか、その辺の女性の知り合いは何人かいるし、あり合わせのものでもそれなりのクオリティは出せそうなものだけれど、やっぱ、凄い人が集まる機会でもあるし、ちゃんとした服装をするべきだろうという結論になり。
 結局、僕は数少ない頼りになる人間であるところの少佐に連絡してみたのだが――
「とりあえず、午前中に少佐の所に来るように、だってさ」
「ふーん……なんか、マチスさんにはお世話になりっぱなしで、申し訳ない感じ」
 味噌汁のお椀を持ちながら、緑葉が小さく呟く。
「うーん、まあいいんじゃない? 少佐も好きでやってるんだと思うよ、女の子好きだし」
 特に緑葉は――女の子であることを抜きにしても、少佐の好みのタイプなんだろうと思う。
 努力家で、卑屈じゃなくて、前向きで……まあ、僕が緑葉みたいな性格だったら、それはそれで少佐とこういう関係にはなれなかったんだろうけど――色々抜きにしても、やっぱり緑葉は、年上からモテるタイプなんだろう。
 若者然とした、若者。
 僕ですら羨むような、そんな存在。
「とりあえずはまぁ、食べてちょっとしたら行こうかと思ってるところ。朝のうちは暇だって言ってたし」
「うん。……なーんか、今回は何の目的もないし、結構ゆっくりだねー」
「そうだね。この前は少佐に挑戦する手前、色々詰め詰めだったけど……今回はただの観光だし。それに今週は、っていうか、今日かな? 山吹ジムでジム戦だったかな。そんで明日が石竹らしいけど……緑葉、今回は行く気ないんでしょ?」
「うん、関東でバッジを取るなら、次は玉虫ジムにするつもりだから」
「あー……そっかそっか」
 グレーバッジ、ブルーバッジ、オレンジバッジを持っている緑葉の、次なるジム。
 レインボーバッジ。
 ……順当に、か。
 鈍ジム、縹ジム、朽葉ジム、玉虫ジム、石竹ジム、山吹ジム、紅蓮ジム、常葉ジム……。
 僕は都市部周辺でしか行動しないから、鈍や縹、石竹や常葉には詳しくはない。だから……どういう順序で、この流れが組まれているのか、僕には分からない。
 強さに順序はない。
 タイプの優劣もない。
 何処に挑戦しても、そのトレーナーに見合うポケモンで、ジムリーダーは応じてくる。
 だからその順序は、一種の迷信のようなもので、特に意味はないのかもしれないけれど……何故かまことしやかに、その順列は、語り継がれている。
 とは言え、常葉が最後ってのは、流石の僕でも分かるけどね。
 あそこのジムリーダーは、ジムリーダーの中でも、異色らしいからなぁ。
 前ジムリーダーこと、某組織の犯罪者の後釜ってんだから、異色じゃないと勤まらないのかもしれないけど。
 ……それに、噂だけど。
 現常葉ジムリーダー、どうやらあの『レッド』の、ライバルだったとか、そうじゃないとか……そんな噂も、まことしやかに、流れている。
「それに、玉虫ジムは大体朽葉ジムと同じ週にやるみたいだから……」ぼんやりとした知識を引っ張り出して、緑葉との会話を続ける。「この前玉虫ジムに行った時はゆっくりしてたし、ジム戦は来週とかになるのかな?」
「あ、ハクロ、玉虫ジム行ったんだ」
「ん、ああ、見学にね」と、何か変な地雷を踏んだ気がした。「丁度少佐も覗き見してたからね……ほら、僕、元々観戦するのが好きなんだって。朽葉ジムの試合も、結構見てるし」
「それは分かるんだけど、ジム戦じゃなかったんでしょ? ハクロがわざわざ玉虫まで行くのが、珍しいなーって思って」
 ん。
 確かに僕、おかしなことを言ってるような……。
「あー……まあ、たまの休みに買い物行っただけだけどね。丁度時間が空いたから、見学行っただけ。ゲーセンとか、興味ないし」
 って、なんで僕は言い訳じみたことをしているんだろう。
 ……やっぱりどこかで、後ろめたいとか思ってるのかなぁ。別段、言ってる本人としては、そういうつもりは欠片もないんだけど。
「まあでも、最近はどこもジムらしくなってるよね。僕のイメージだと、ジムって変に特色を強くしようとして、自滅してるケースが多い感じだったけど」
「そうだねー……深奥とかは未だにそうだけどね。改装に改装を重ねて、要塞みたいになってるところとかあるよね。ジムリーダーの所に行くまでで一苦労」
「あれ、何の意味あるんだろうね、ほんと……トレーナーの知恵でも測ってるんだろうか」
「それもあるかもね。今はある程度頭も良くないと、ポケモントレーナーもやっていけないって感じ」
「大変だねぇ……」
 人事だから、そんなおざなりな感想を述べてみた。
「がんばるけどねー……」
 是非ともがんばって欲しい、と思うばかりだ。
 僕はがんばらなくても、何とかなってしまうし。
 それは流石に、口には出さないけれど。

 ◇

「というわけで、だ」


 玉虫ジム。
 何日ぶりだろう……確か、五日ぶり、か。その程度の期間しか空いていないけれど、僕は再び、このジムに来ていた。以前のメンバーである少佐に加え、此度は緑葉も連れてきている。何故玉虫ジムに来ているのか? 理由は数あれど、少なくともバトルが目的というわけではない。いや、そういう話も、あったのだけれど……準備が出来ていないと言い訳して、バトルすることは、避けてもらった。
 要するに、アテである。
 緑葉が着る服を貸して貰う、アテ。
「ようこそいらっしゃいましたね、ハクロ様」
「どうも……数日ぶりです」
 萎縮しながら、頭を下げて、返事をしてみた。
「直々にバトルのお願いをしていただけるなんて、光栄ですわ」
「いや……まあ、はい、そういうことになっちゃったみたい……ですね?」
「うふふ」
 少佐に一杯食わされたのか、それとも、上手いこと一杯食わせていただいたのか……。
 流石の少佐でも、緑葉サイズの女の子(子どもサイズと言えば、子どもサイズである)が着る服を、一日で用意しろと言われて、出来るはずがないようだった。そもそも少佐は男なのだ。ジムの職員の皆さんも筋肉質な男性ばかりだし、それも当然、と言ったところだった。
 けれど、少佐は人脈が広く、応用が利く。だから結局は、誰かから『借りる』という結論に至ったそうだ。何故そこまで尽力してくださったかと言えば、理由の大半が『面白いから』であり、残りが『嬢ちゃん相手だから』ということだった。少佐がバカで良かったと僕は心から思った。
 僕としては、何故自力で『貸し出し』という発想に至らなかったのかが不思議で仕方ないけれど、とにかく、『貸し出し』してもらうことにより、一日だけ、緑葉に見合った服を見繕えば良いのだった。そして、それが結果として、汚したりなんなりして買い取りになったとしても、あまり大きな声では言えない僕の財力にしてみれば、大した損失にはならない。緑葉と一緒に紅蓮島に行ける方が、よっぽど価値がある。
 だから、少佐の口から「服を貸し出してもらう」という言葉を聞いた時、僕は思わず、少佐に感謝の意を述べ、やっぱ大人は頼りになるぜ! と思った。
 そして僕と緑葉を引き連れ、少佐が玉虫に向かっている時も、何の違和感も感じていなかった。ただ、玉虫に、そういった類の店があるのだろうと、その程度にしか考えていなかった。
 けれど。
 連れてこられたのは、玉虫ジムであり……。
「初めまして。私、玉虫ジムリーダーの枝梨花と申します」
「はっ、は、ハジメマシテ……ぽぽ、ポケモントレーナーの、緑葉、です!」
「リョクハ様、ですか。どういう字をお書きになるのかしら。教えていただけます?」
「えっと、色の緑に、葉っぱの葉です……」
「まあ! なんて素敵なお名前なんでしょう!」
 着物の似合いそうな(要するに華奢というか、何と言うか、平べったいというか、いや平べったいわけでは決してないのだけれど、そこまで凹凸が激しいわけではないというか、そういう感じの)緑葉を見た枝梨花さんは、緑葉の名前も含めて大層気に入ったらしく(玉虫ジムにはこの上なく似合う名前だろう)、今現在は、緑葉を連れて、奥の部屋へと籠もってしまっているのである。
 いやー。
 あはは。
 大変なことになった。


「というわけで、だ」
「というわけでじゃねえよ」
 少ない回想を経て。
 話は冒頭に戻る。
「別にいいじゃねーか。日本人なら着物だろ、フツー。違うか?」
 男二人、玉虫ジムのメインホール――と呼んで良いのか分からないけれど、とにかくそんな場所。四つのバトルリングが設置されている、必要以上に天井の高い場所で、僕と少佐は、緑葉の着付けが終わるのを、待っていた。
 ジムトレーナーの皆さんは、いない。
 今日は休館日であるようだ。
「少佐はアメリカ人じゃないですか……まあ、調達出来たことには、ほんと、掛け値なしに、心から感謝しているんですけどね……」
「まーな。お前が枝梨花と戦うだけでタダで借りられるんだから、破格の条件だろ。それに、あのくらいの歳なら、変に露出度の高いドレスとか着ない方が良いと思うぞ? 背伸びしすぎても、見ている側は面白くねぇしな。青臭いガキがお洒落してると、親の脳を疑う」
「まあ……ごもっとも、ですけどね」
 着物かぁ。
 むしろ、ある意味では最高の背伸びだけど。
 その選択肢は、完全に眼中になかった。
 まあ、少佐の言う通り、日本人なら着物がもっともフォーマルな服装なのだろう。普通に考えたら、最上級の礼儀である。特に緑葉は上都の出身だからな……和装というものが、最的確であるような気もする。
 それは僕にも言えることだけど。
 でも、男の服装なんて、誰も気にしないだろう。
「ま、枝梨花さんと戦うのはいいんですけどね。日時も指定されてはいないみたいですし、気が楽と言えば楽ですよ」
「まあな。枝梨花にしてみりゃ、約束が出来れば、それでいいんだ。弱みを握る、とも言うな。あいつのスタンダードだよ」
「しかしなんで僕と戦いたがるんですかね……そんなに大したもんじゃないでしょうに、僕の存在なんて」
 というか、ジムリーダーの休日を(正確に休日と呼べる日がジムリーダーにあるのかは不明だけれど)潰すのに、僕が一回戦えば良いというのは、いくらなんでも、破格すぎやしないだろうか。
「いやいや、お前は地味に人気なんだぞ? 一般にはもちろん知られちゃいねーだろうが……俺といい、筑紫といい、サシで、しかも本気でやって勝ってるんだからな」
「でも、いないことはないんですよね、道場破りっていう形式でジムリーダーを倒すトレーナー。まあ、あの『レッド』レベルの人は中々いないと思いますけど……」
「それもあるが、お前の魅力は、無名なところだな。誰も知らないのに、強い。それだけで十分な知名度になるし……まあ、使用ポケモンが一匹ってのも、知れたら知れたで、要素の一つにはなるだろう。それに……お前、柳さんの弟子なんだってな? 世間に知れたら、大問題だぞ。これはまあ、良識的な大人の意見として、だ」
「です、よね。波乱を呼ぶから、間違っても言わないでください……あの頃は無知だったんです。これはマジで、お願いします」
「責任はお前じゃなくて柳さんにあるんだけどな」
 確かに、波乱どころか――先生がジムリーダーを追放される可能性すら出てくる。まあ、先生のことだから、追放されたとしても、「肩の荷が降りた」とか、笑って言いそうだけど。
 あの人は、あれはあれで、アウトローなんだよなあ。
 そこが格好いいってのもあるんだけれど。
「まあ大丈夫だ、柳さんの面子を潰すようなことは言わねーよ。言っても身内だけだ」と、少佐はさらりと恐ろしいことを口にする。「まあとにかく、お前は異常なんだよ。そこんとこは肝に銘じとけ。自分がどれほど、世界的に見て稀少かってことをな」
「稀少……幻のポケモンか何かですか、僕は」
「世間の目は似たようなもんだ。まあでも光栄じゃねえか、ジムリーダーの方からバトルを懇願されるなんて。世のトレーナーなら憎まれるレベルだな」
「光栄っちゃ、光栄ですけどね…………でも、重荷でもありますよ。特に、緑葉とか、木賊とか、そういうのと知り合いである身としては、自分だけ特別扱いっていうか……どうです?」
「特別なんだから仕方ないだろ。嬢ちゃんには伏せておくから、安心しとけ」
「……お願いします」
 そこのところは、本気でお願いしたいところだ。
 そうでなくても、緑葉には常日頃から、何か原因不明の引け目を感じているのだから。
「……ま、本当のことを言えば、色々含めて、良かったと言えば、良かったんですけどね」
「服が間に合ったことか?」
「ええ、それもあるんですけど……どちらかと言えば、枝梨花さんと戦う理由が出来たことですかね。どうも僕は、二つか三つ以上の理由がないと、それを実行に移せない人間らしいので。特に自分から行動しないので、その理由が出来にくいんですよ」
「ほう」愉快そうに、少佐は眉を上げた。「じゃあ、他の理由ってのはなんなんだ?」
「今回の場合は……秘伝技を使うためにバッジが欲しいこと、代償として戦うこと、そして――枝梨花さんと会って、単純に『戦いたい』と思った。以上の三つが理由ですね」
「ふうん。俺なら三つ目の理由だけで十分だけどな」
「少佐はそうでしょうね。見てて分かります」
「だろうなぁ」
 楽観的なのか、自分に素直なのか。
 まあ、僕の場合、緑葉や木賊に引け目を感じているという負の理由があるから……それを打ち消すために、必要以上に理由を欲しているところがあるのかもしれないけれど。
 ふと視線を感じて、少佐を見遣る。
 しかし少佐は何処か遠くを見ていて、僕を見てはいなかった。話も……変に途切れてしまったし。何となく、話を再開する気にもなれない。
 なんか最近……めまぐるしく世界が変化している気がするな。いや、そんなこと、今に始まったことじゃあないんだけど。正確に言えば、緑葉を取り巻いて、世界が変化しているだけか。元々、緑葉と会っていなかった二年の間にも、僕は変化していたはずだし。変化していたと、願いたい所だし……まあ、めぼしい変化があったのかと問われれば、それに答える事は出来ないけれど。それでも少しずつ、僕は変化していたのだと、そう思いたい。
 身長だって、伸びていたし。
 他にも、色々……成長していたはずだ。
「あー……暇だし、バトルでもすっかー」
「しませんよ」
 少佐が切り出した言葉を、僕は一瞬で切り落とした。
「着付けとやらに、えらい時間かかってるしよぉ、勝手に使っても怒られねーだろ別に。な? 今日こそ本気のバトルをしようぜ。実を言やあ、俺はお前に負けたことで、結構凹んでんだ」
「いや、そういう時間敵な問題じゃなくて、ただ僕がやりたくないって話です。基本的に苦手なんですって。特に、知人と対戦するのは……」
「なんだよ、理由が足りねーか?」
「……ま、そんなとこですかね」
 と言うよりは、僕は緑葉の近くでは、ポケモンバトルという行為をしたくないという感じだろうか。別に、何か問題があるとは、思わないけれど……それでも何となく、緑葉の前で、本気にはなりたくなかった。
 じゃあ本気で戦わなければ? というのは、違う気がする。
 本気じゃないと、僕は戦えないので。
「んー……じゃあ、しりとりでもすっか!」
「ガキですか」ていうか一気にランクが下がったな。「まあ僕もガキなんで、いいですけど。やりましょうよ、しりとり」
「おっし! んじゃ、サンダァ」
 少佐らしい切り口だ。
 サンダァ、サンダァ……。
「えーと……い、い、稲妻」
「グレィト」
「また『い』ですか……ていうか、このしりとり終わりませんね」
「お前が稲妻なんて答えるからだろ」
「そのまま空気を読んで続行するのもどうかと思いますよ?」
「じゃあ次は日本語とフランス語しりとりな」
「しませんよ」
 ていうか、男二人が集まって、仲良くしりとりやるってどうなんだろう。しかもかたやジムリーダーなのに……威厳とか、マジで欠片もないよなぁ。
「まあ、お前が参加する気になったのは、良いことだよな」少佐は呟きながら、ポケットに両手を突っ込んで、天井を見上げる。「俺も嬉しい」
「パーティですか?」僕も少佐と同じポーズを取ってみた。「そりゃあ行きますよ。先生に呼ばれましたからね」
「それもいくつかある理由のうちの一つなんだろ?」
「まあ、そうですね……美味いもん食いたいってのもありますし、興味あるってのもありますけど……父の代わりってのも、悪くない感じはしますからね」
「お前も大変だな」
 少佐は少し、翳りながら言った。
 同情とは違う、そんなニュアンス。
「少佐ほどじゃないと思いますよ」
「俺がお前くらいの時は、何も考えないでポケモンと一緒にいたなぁ……軍隊でしごかれて、ポケモンと遊んで、軍の仲間と戦って……まあ、その後色々あって、日本に来たけどな。俺の少年期に比べたら、お前は大変そうだ」
「ま……そうなんですかね」
 実感はわかないけど。
 実態はわからないけど。
「悩み多き、青少年期ですかね」
 青年なのか、少年なのか。
 その境界線すら曖昧だもんな。
「まあ、好きなようにやったらいいんじゃねえか。誰も止められないんだし」
「ですね」
 誰も止めないんじゃなくて、止められない。
 まあ、本当に何かをしたいヤツのことは、誰も止められないからな……それが正しいことだとしても、正しくないことだとしても。
 それが犯罪だとしても。
 それが悪だとしても。
 実行する気のあるやつは、止められない。
 なんとか抑えて、裁くことしか出来ないのだろう。
 処分を下す――あるいは、処罰を下す。
 数年前に、ロケット団のリーダーである榊が、ポケモンリーグから追放されたように。
 後手後手に回って、処罰を与えるしかないのだろう。
 事前に食い止めることは、出来ないのだ。
 否、榊の場合は、『レッド』が事前に止めたのかもしれないけれど――――
 なんだか締まりの悪い事実だけれど、しかし実際は、それが適当なんだろう。
 と。
 珍しく、僕に似合わない真面目なことを考えていたところで。
「お待たせいたしました」
 しなやかな声色と共に、いつも通り、清楚な着物に身を包んだ枝梨花さんが、僕らの方にやってきた。
「このような感じになりましたが、いかがでしょうか」
「うー……」
 そんな枝梨花さんに連れられてやってきたのは。
 …………。
 …………。
 おおぅ。
「フゥ」
 と、少佐が素で感心する程度には、美しく着付けられた緑葉の姿。当然僕も、その姿には魅了された。幼い頃から緑葉を知っているというのもあるし、何よりも、緑葉に対して並々ならぬ恋情を抱いているからだろうけれど、きっとそうでなくとも、その艶やかな姿には、魅了せざるを得なかっただろうと、そう思った。
「お綺麗ですわ、緑葉様」
「あ、ありがとうございます……」
 当の緑葉は、どうやら緊張と羞恥で固まってしまっているようだった。まあ、初対面のジムリーダーに着付けてもらって、しかもそれを僕と少佐に見られるというのは、かなり精神的に来るものがあるんだろう。まるで見せ物……という感じなんだろうなぁ、緑葉からしてみたら。
「ど……どうかな」はにかみながら、緑葉が問う。
「うん……似合ってる、と思う。いや、似合ってる」
「えへへ……」
 実際、それは似合っていた。
 小さい頃、両親に連れられて、僕は上都は槐にある踊り場に、何度か行ったおとがあったけれど――その時に見た舞妓さんたちのような、浮世離れした着姿ではなくて、緑葉のそれは、何と言うか……日常に溶け込んだような、そんな着姿だった。
 日常的。
 日常的な、特別性を含んでいた。
 とは言え、この姿で関東を往来していたら、それはそれで、不審の目を向けられるかもしれないけれど、そこにあるのは侮蔑ではなく、奇異の視線でもなく、好奇の視線なのだろうと思う。
 それに、枝梨花さんと並んで歩けば、その違和感は感心へと昇華されることだろうし――
「無理に作法で縛っても大変ですから、着物以外はそのままですけど」
 と、枝梨花さんは言った。
 それはつまり、髪型とか、化粧とか、そういうことなのだろう。
 まあ、枝梨花さんはそんなことを言っているけれど、僕からしてみれば、むしろよくやってくださいました! 枝梨花さん最高! って感じである。枝梨花さんみたいに、日常的に着物を着ていて、それを堅苦しく重んじていない人間の方が、何というか、粋だよなぁと、そんなことを思う。
 粋。
 日本人にもっとも必要なスキル。
 粋、である。
 そういうものは、自分で自分という存在を認めている人間にこそ宿るスキルなんだろう。そして、だからこそ、枝梨花さんは、毎日着物を着ていられるのだ。着物を特別だと思っておらず、着物に執着していないからこそ、日常的に着こなせる。
 僕らが私服に執着せず、日常的に着るように。
 俗世に縛られることなく。
 着ている。
 まあ、少佐も普段着が軍服だし、そういう意味では、似た人種なのかもしれない。
 他者に縛られない。
 他意に縛られない。
 ……そう考えると、ジムリーダーってのは、結構変な普段着の人間が多いのかもしれないな。
 それはそのまま、粋に直結するのかもしれないけれど。つまりは他人の縛られない人たちの、集まりなのだろう。
「んー、助かったぜ枝梨花。すまんな」
 しばらく堪能してから、少佐は大きく手を叩き、言った。随分とご満悦のご様子だ。
「いえいえ。とにかく、こんな感じでよろしいでしょうか? ハクロ様」穏やかな笑顔で、枝梨花さんは言う。「他に何かご要望があれば、お聞きしますけれど」
「あ、いえ。これで完璧だと思います。何も言うことはありません」
 視線を向けられ、慌ただしく、僕は首を縦に振った。というかむしろ、それは御礼のようにも見えたかもしれない。着付けて下さってありがとうございました! 緑葉を可愛くしてくれてありがとうございました! 感謝しきれません! ……というような、感謝の意を込めての。
 横にいる緑葉も、しきりに頭を下げている。
「それでは、明日……でしたね。朝のうちに、またお越し下さい。今日のところは、お試しですから。明日また、ちゃんと着付けましょう。色々、お話しておきたいこともありますから」
 そう言って、枝梨花さんは、完全に沈黙してしまっている緑葉を連れて、奥の方へと、舞い戻っていった。なんだか……口調も、以前会った時よりも砕けているような気がするのは、気のせいではないように思える。今日はジムトレーナーがいないからだろうか。それとも、緑葉を自分色に染められたからかな……? まあ、なんだか超人っぽく見えていた枝梨花さんの、人間らしい一面を垣間見た感じであった。
「うーん、ありゃいい女になるなぁ、本当に」
 緑葉が消えていった扉を眺めながら、少佐は真剣な声色で呟いた。
「ギリギリの発言ですよ、それ。特に僕の前で言うのは」
「どんな民族であろうと、その地の民族衣装が似合う女ってのは、いい女の条件としちゃあ最高に正しいと思うがな。その国の型にはまるっつーなら、それは変にいじくってねーって意味で、自然体って意味だ」
「変にいじくる……まあ、それもそうですかね?」
 髪の毛を染めているだとか、日本なら、ピアスを開けているとか……そういう人は、着物、似合いそうにないしな。まあ、いい女の定義にしたって、人それぞれ、人種それぞれなんだろうけど……。でも、日本人で黒以外に染髪して似合っている人って、ほとんど見かけないし。大体の人間は、地毛が一番似合っていると、そう思う。
 特に着物は、黒髪じゃないと、似合わないだろうし。
 ああでも、日本人じゃないけど、筑紫は甚平とか着たら似合いそうだなぁ……甚平着て、お面をつけて、綿飴持って……いやまあ、それは例外か。
「まあこれで不安も解消ってとこだな」
「ですかね。いやぁ……毎回波乱万丈ってのも飽きてきましたからね。今回はもっと、ゆったりしてたいですよ。ゆったりまったり、観光をですね」
「ここ最近忙しかったからな……まあ、紅蓮島に行って、飯食って、挨拶して終わりだ。お前らは途中で抜け出したりすればいいだろうしな。嬢ちゃんとしっぽりデートでもしてこい」
「ですね」それもいいなぁ、なんてことを思いながら、しかし、「……でも僕ら、その後、豊縁行きなんですけどね」そんなことを思い出した。
「えー! マジかよ。いいなぁ、俺も行こうかな」
「少佐は仕事あるんじゃないんですか」
「そうなんだよ」心底悔しそうに、少佐は顔を歪める。「来週はジム戦だからなぁ。今回ばかりはストーカー出来そうにねえなあ」
 やっぱり来週だったのか。
 となると、枝梨花さんが暇そうにしてるのも、その辺の影響なのかな……いや、暇と言い切ってしまっていいかは、微妙な線になるけれど。
「さーてと」一通り悔しがったあと、少佐は軽く屈伸運動をして、「んじゃ、俺はこのあと仕事だから先に帰るわ」と、あっさりとそんなことを言った。
「あ、はい。すいませんでした、休日に付き合わせて。ありがとうございます。お礼はまたいつか」
「んー、まあいいもん見られたし、いいだろ。それよりも、明日、遅れるなよ? 俺は先に行かにゃならんので、お前らを連れていけないんだ」
「へえ……お仕事ですか?」
「有名人だから人目につかないように行動しないとな」
「じゃあ普段から意識した行動してくださいよ」
「いやそれは冗談としてだ」少佐は少しだけ、険しい表情を作る。「ちょっと警戒にな。一般人は気にしなくていいことだから、忘れてくれていいが、一緒に行けないってことだけ含んでおいてくれ。先に柳さんたちと、小さいボートで行くつもりだからよ」
「警戒、ですか……? まあ、気にしなくていいことなら、気にしませんけど」
 警戒、警戒……パーティがあるから、悪巧みをする人間が出ないように、パトロールでもするんだろうか。まあ、少佐が大丈夫と言うなら、大丈夫なんだろうけど。少佐の言う「大丈夫」ほど、大丈夫なことはこの世にはない。
「おう。んじゃ、悪いけどそろそろ帰る。枝梨花によろしく言っといてくれ」
「分かりました」
 快活に言いながら、少佐は玉虫ジムを後にする……けど、よく考えたら、僕も結構不躾なことしてるよなぁ。忙しい人間捕まえて、個人的なお願いをするとか。まあ、それが子どもの力なのかもしれないけれど、いい加減、子どもだと分かっていながらそれを悪用するには、年を重ねているわけだし。
 それに、明日で、十六歳になるわけだし……。
「なんでも少佐に頼るには、やめた方が良さそうだ」
 少佐はそんなことないって言うんだろうけど。
 結局のところ、僕は自分一人じゃ何も出来ない人間なんだよな。生きる上でも、生き抜く上でも。例えお金があっても、それを受け取ってくれる人間がいなければ、そんなのは無価値でしかないわけだし。
 相互関係で成り立つ――あるいは、総合関係で、成り立つのかな。人間同士の。
「生物同士の、か」
 ポケモン同士の、かもしれない。
 なんにせよ、頼りにはしても、寄りかかるのだけは、やめておきたいところだけど。

 ◇

 そして久々に、僕は野外で行われる、トレーナー同士のバトルを、見遣っていた。
 玉虫からの、帰り道。昼食を例の食堂で食べるかどうか、という、緑葉との相談の末、明日はパーティがあるんだし――という、意味不明な理由によって、昼飯は適当に済ます(という場合、大体食べないことが多いのだけれど)ことにして、僕と緑葉は、朽葉へと、足を向けていた。
 そんなところで。
 ……青藍兄さんは、結局、たまの休みだからという理由で、ホテルにこもりきりだった。まあ、用件は電話で伝えられることだから、別に良いか、ということにはなったんだけれど――明日、ちゃんと来るんだろうか。まあ、来ないなら来ないで、僕が困ることではないから、良いと言えば、良いんだけれど……でも、きっと休みとか言いながらも、ホテルで仕事をしているんだろう。青藍兄さんは、そういう人だということを、僕は知っているはずだ。
 だから僕と緑葉は、結局、山吹のホテルには寄らずに、玉虫、山吹、朽葉というルートを、通っていた。
 そんな折りに。
 ……枝梨花さんもパーティには参加するらしく、結局僕らは、明日の朝は玉虫には寄らず、家で待っているよう、言われてしまった。どうにもこうにも、枝梨花さんが僕の家まで着物を持ってきて、着付けをしてくれるというのだった。もちろん緑葉はそれを拒んだし、僕も緩やかに反対の意見を投じたのだけれど、聞く耳持たず……というか、「それが一番効率が良いですし、私もジムを開けなくて楽ですから。年上の言うことには従っておくものですよ」と微笑んで、枝梨花さんは、結局僕らの話を聞かなかった。なんだか、上都に住んでいた時によく遭遇した、お節介なおばさんを思い出したりした。ああいう、枝梨花さんみたいな人が、将来若者の意見を聞かずに世話を焼いていくのだろう、と、僕は思ったとか、思わなかったとか。まあ、実際、苦痛ではないし、むしろどうせ枝梨花さんも朽葉まで来るのだから、確かに効率が良いと言えば、効率は良いのだけれど……年上にそこまでしてもらうということに対して、何も感じない僕らではないんだけどなぁ。まあ、枝梨花さんからしたら、僕らはまだガキんちょに見えるのだろう。ガキにはガキなりの意地もあったけれど、ガキんちょの世話をしてやるお姉さんにとっては、そんな意地屁でもない……と言ったところか。
 だから僕らは、そんな重荷も背負いながら、山吹の連絡路を抜け、朽葉へ向けて、南下していたのだけれど……。
 そんな場面で。
「こんにちは!」
「お二人さん!」
 二人のトレーナーに、声をかけられた。
 所謂、ダブルバトル、というやつの申し込みだった。
「こんにちはー……?」と、緑葉。
「……どうも」と、元気なさげに、僕。
 見た感じ、カップルのような二人組が――いや、男女の組み合わせというだけでカップルと呼ぶのは早計かもしれないけれど――どころか、僕と緑葉も、端から見ればカップルに見えるのかもしれないけれど――声をかけてきたのであった。
「僕らと一緒に、ポケモンバトルとか、どうでしょう」
「せっかく二人ずついるんだし、どうでしょう!」
 服装からして、ボーイスカウトと、ガールスカウトかな……どうも僕は、この手の連中と馬が合わないところがある。もちろん、スカウト運動について否定的な考えは持っていないし、こういった優れた青年を育成する団体について、何か嫌悪感を抱いているわけではないのだけれど……なんだろう、何か、集団活動をすることで、内なる欲求を抑えなければならないんじゃないかという疑念が僕を駆るせいで、彼らに対して、友好的な感情を向けることが出来ないでいる。
 偏見だけど。
「ああ……」と、僕。
「はい……」と、緑葉。
 ていうか、ボーイスカウトとガールスカウトって、母体が違うはずだけど……一緒にいていいのかな? まあ、僕がボーイスカウト及びガールスカウトに対して抱く違和感を的確に表現するなら、僕という人間があまりにも卑屈であるので、彼らに対して顔向け出来ないというのが、彼らと馬が合わない主な理由なんだけど……。
「頑張ってー、ヤミカラス! ユキワラシ!」
 とにかくはまぁ、戦っているのは、緑葉だけだった。
 僕は静かに、休戦中だった。
 あるいは休憩中、かな。
 サボりという表現が、一番正しいかもしれない。
「行け! カメール!」
「ライチュウ! がんばれ!」
 ボーイスカウトが繰り出したのは、カメール。そしてガールスカウトが繰り出したのは、ライチュウだった。
 まあ……誘われた手前、僕も別に、戦っても良いのだけれど、緑葉とタッグを組んで、僕一人で倒してしまうというのも、あまりに酷いし……タッグバトルは、ダークホールが真価を発揮する場面と言えば、確かにそうなんだけれども、それはほとんど僕一人がやってしまうことだから、緑葉とタッグという意味合いではなくなってしまう。
 それに本来、ダークライの真価はどうあれ、僕の真価は、観戦している時にこそ発揮される……と、思いたい。先生の、得手は上手になりにくいという言葉を改変するのなら、趣味は上手になりやすい、ということなんだろうと、そう思う。あくまで、趣味の領域ではあるけれど。
 それが僕らしさに伴ってくれるのなら、それが一番であるわけだ。
 一応は、戦闘嫌いという設定で行きたいのだし。
「ヤミカラス、空を飛ぶ! ユキワラシ、氷の牙!」
 さて。
 ともかく開戦早々、良い戦い方のようだった。
 見た所――互いのポケモンの成長度合いに関しては、同レベル、と言ったところか。四匹の中では、カメールだけが微妙に育っているが、それも微々たる差……まあ、その微々たる差が、戦況に大いなる異変をもたらすのがポケモンバトルなのだから、軽く見るべきではない情報ではある、か。
 まあそんな初歩的なことは、緑葉なら見るともなしに、理解出来ているはずだ。
 むしろ、ポケモンの成長について、一切の感覚を持たない緑葉だからこそ、ポケモンバトルは慎重になれる。
 生半可に――僕のように――相手とのレベル差を知って油断した方が、真剣勝負は、負けやすいのだ。
「カメール、守る!」
「ライチュウ、十万ボルト!」
 タイプの有利不利は、ガールスカウトのライチュウと、緑葉のヤミカラスの関係だけ、ということになる。そしてそれは、圧倒的に緑葉が不利……とは言っても、一体ずつしかポケモンを有していないらしいボーイスカウトとガールスカウトを見れば、デンリュウを含めて六匹保持している緑葉の方が、どう考えても、有利ではあるのわけだ……まあ、それでも勝負をしかけてくるとなると、彼らは案外、場数を踏んでいるのかもしれない。それとも、絶対の自信があるから、なのか。
「それとも、負けたがりなのかな」と、僕は呟く。
 世にはそういう、特殊な性癖の人もいるからなぁ。
 手持ちがコイキング六匹とかいう、愚かな人も。
 さておき、持ち前の愛くるしさから、はたまた、かの天才ポケモントレーナー『レッド』が連れていたことが理由でか、一時期から特に脚光を浴びたピカチュウだけれど……未だに、戦場では現役であるらしい。まあ、今回の場合はライチュウだけれど、ライチュウを手持ちに加える理由は、ピカチュウの持っている要素が前提にあると考えて、間違いないだろう。
 あまり育っていないうちにライチュウに進化させるのは無謀だと少佐は言っていたけれど、果たしてこのライチュウはどうなのか――
「クァー!」
 そして、電流が空を穿った。
 素早さの観点から言って、一番最初に動いたのはライチュウだった。電気が空を食い荒らし、蠢きながらヤミカラスの肉片を削ぎ落とそうとする。
 しかし、流石に中堅レベル同士の戦い――タイプの有利不利があるとは言え、一撃で葬り去られるというようなことはなかったようだ。
 素早さにおいて次点であるヤミカラスは、焦げた羽をはためかせ、大空へと舞い上がり、攻撃へと移行する。
 そして、最後に動いたのはユキワラシ。
 小さいながらも凶暴なユキワラシの牙が抉り取ったのは――カメールではなく、ライチュウの腕だった。
 カメールの『守る』は、不発に終わる。
 水タイプのカメールではなく、電気タイプのライチュウに、氷タイプの攻撃をする緑葉の判断は、当然と言えば、当然の行動。
 カメールの『守る』は、その存在を知らしめるための布石なのか――それともただの、
「もう、しっかりしてよ!」
「うーん、読み誤った」
 二人の反応を見る限り、ただの失敗だったようだ。
 ガールスカウトの叱責を、ボーイスカウトが受け止める……まあ、ダブルバトルをしかけてくるだけあって、彼らは顔見知り――というよりは、やっぱり、カップルなんだろう。見ただけでも、そんな印象が感じ取れる。戦闘中の小言さえ、のろけに見えるから、不思議だ。
「今度はちゃんとやってよね」
「分かってるって」
 頭を小突いたりなんかして、スキンシップを取り合っている。うーん……こういうの、バカップルって言っていいんだろうか。確実に、僕と緑葉の関係性の三歩四歩先を行っている。
 憎たらしい、と言うほどじゃあないけど。
「ユキワラシ、守る!」
 ……でもまあ、そんな邪心を持っている僕とは違って、緑葉の目には、二人はバトル相手としか映っていないのだろう。二人のいちゃつきっぷりに目もくれず、緑葉は的確な指示を、ユキワラシに下した。
 ヤミカラスが降りて来ない限り、ヤミカラスは攻撃の対象にはならない。つまりは、素早さにおいて勝っているライチュウの攻撃――ヤミカラスにとっての脅威――は、このターン、ヤミカラスにも、ユキワラシにも、当たらないということになる。
「ライチュウ、影分身」
「カメール、殻に籠もる」
 対する二人の対応は、冷ややかなもの。宣言としては、緑葉より数瞬遅れた程度だったので、緑葉の指示を受けてからの技選びだとは思えないけれど……どちらにせよ、防戦主体のトレーナーであることは間違いないようだった。
 誰も動かない、防御だらけの戦い。
 ……僕は好かない戦い方だなぁ。
 片方だけ動かないから、楽しいのに。
 しかしまあ、ラッキーと言うべきか、当然と言うべきか。影分身を行ったとは言え、既にヤミカラスに狙いを定められていたライチュウは、その攻撃を回避することなく、普通にダメージを受けていた。
 ライチュウを先に沈める……というのが、緑葉の流れなのだろう。
 カメールを残しても、大した脅威には、ならないのだし。
「ああもう! ライチュウ、十万ボルト!」
「カメール、水の波動!」
「ヤミカラス……黒い霧! ユキワラシ、氷の牙!」
 自分ばかり狙われてやけになっているガールスカウト、それをおっかなびっくりな表情で見つめるボーイスカウト、好戦的な緑葉……と、まあ、二対一というバトル形式は、見ている側としては、結構面白いもんだったりするのかもしれない。
 見ている側としては……。
 いや、やっている側も、面白いのかな。
「……ていうか、やっぱり、盛り上がるよなぁ、ポケモンバトルって」
 観戦者は、そんな独り言を漏らした。
 ポケモンバトル。
 骨肉の争いなのに。
 よくもこんなに、盛り上がるもんだよなぁ。
「クァーッ!」
 絶叫。
 雷鳴。
 そして――二撃目の雷撃を、ヤミカラスは受けた。
 絶命……は、しない。
 けれど、戦闘続行は難しい程度の傷を、ヤミカラスは負ってしまう。俗に言う、瀕死状態。
 ヤミカラスはふわふわと漂っていたけれど、結局は失墜し、力なく地面に倒れる。
 ポケモンの数が、二対二だからか。
 あるいは、僕の神経が、集中されていないからか。
 バトルの進行は、とてつもなく、スピーディだ。
「……お疲れ様」
 黒い霧の不発が大ダメージと言うわけではないんだろうけれど、一体のポケモンを失って、緑葉の気持ちは落ちたようだった……とは言っても、ポケモンセンターに行けば回復するのだから、そこまで悲観する必要はないけれど。
「ユキワラシ、がんばってね」
 ダブルバトルの性質上、そのターン中は、ポケモンの入れ替えが出来ない――だから、ヤミカラスはその場で力なく倒れるだけだ。見ていてシュールな絵だとは思うけれど、何が出来るわけでもないのだ。
 だからうだうだ言うよりも、そのターンを早く終わらせることが、最善の策。
「ルール上、僕が出て行く幕でもないしな……」
 見ているだけっていうのも、たまに心苦しい時がある。
 ヤミカラスを墜としたライチュウに、ユキワラシは静かに歩み寄り――まるで暗殺者のような、気配のない足取りだ――ライチュウの足を食い千切って行く。グロテスク、なのだろうか。いや、争いなのだから、これぐらいが、丁度良いリアルなんだろう。
 指示が行き届いてから、その行動が実行されるまでの感覚は、非常に短いのだけれど……ぼーっと見ている側としては、多少遅いぐらいに感じてしまう。僕の思考だけが暴走しているのか、それとも、戦っている最中だけ、やけに考えなしになってしまうのか、それは分からないけれど。
「ギァ」
 異色な叫び声を上げて、ユキワラシは数メートル、後方に吹き飛ばされる。
 ライチュウに噛み付いて、数瞬後。
 カメールによる攻撃が、ユキワラシに届いた瞬間だった。
 水の波動は――混乱、の副作用があったんだったかな。
 水中で溺れると、上下の判断が出来なくなるのと同じ原理……なのかもしれない。
 水中で溺れる……ね。
 まあ、あまり、深く思い出すことはないか。昼間っから鬱になっていても仕方がない。
「ヤミカラス、ごめんねー」
 ターンが終わって、緑葉のモンスターボールが、ヤミカラスを回収する。一応、モンスターボール内で生命維持機能は働くから、少しの間放っておいても、ヤミカラスは大丈夫だろう。
 ポケモンバトルでポケモンが死ぬ、というような例は、あるにはあるけれど、奇跡レベルのものしかないのだし。そもそもにして、ポケモンという種族は、僕ら人間よりも、遙かにしぶといのだ。
「よーし、ワタッコ、がんばれ!」
 そしてヤミカラスと交代で、明らか過ぎるレベル差と、緑葉らしい、タイプの有利を取ったポケモンが、選択された。
 カメールには有効で、ライチュウには、耐性。
 否――耐性と優勢が働いて、結果的には優劣なし、か。
 ……緑葉の戦い方は本当に、王道と言うか、セオリー通りと言うか……。
「まあ、見習うべき王道なんだろうけどなぁ」
 僕は草むらに寝そべって、遠巻きに、ダブルバトルを観覧する。
 なんだかもう、盛り上がりどころは終わってしまった気がするし。
 ワタッコの出現によって出来てしまった力の差。ワタッコとライチュウで見比べれば、実に二倍以上か。
 カメールもライチュウも、きっとワタッコに葬られてしまうのだろう……。
 可哀想に、と思う反面、つまんねぇや、とも思ったり。
 まあ、言ってしまえば、ある程度の実力以上のバトルじゃないと、面白くないんだけどね……。
 それに、僕のダークライと比べたら、カメールもライチュウも、五倍以上の力量差があるわけだし。
 最初から、面白いバトルにはならなかったのかもしれない。
「まあ、どうでもいいかぁ」
 つまらないバトルは、見るのもやるのも、つまらないのかもしれないなと、僕は思ったのだった。

戯村影木 ( 2013/05/02(木) 22:04 )