1
基本的に登録している件数が少ないがために電話がかかってこず(非登録番号からの着信は拒否する設定にしている)、常に沈黙を続ける僕のポケギアが珍しく振動したのは、木蘭さんとのお買い物も一段落して、「あ、あの、お昼でも、食べませんか?」「え? ああ、お腹空きましたね、そういえば。結構歩きましたし」「そ、そうだよね」「んー、じゃあどうしましょう。木蘭さん、何か食べたいものとかあります?」「あ、うん、よく行く店があるから、そこがいいかな……」「そうなんですか。了解しました。じゃあ、そこに行きましょう」と、木蘭さんに連れられるままに、玉虫にある、僕もよく知っているお店で料理を注文し終えたあとだった。
木蘭さんはなんかお洒落な名前のパスタの大盛りを注文していたけれど、僕は例によって、ラーメンを食べることになった。というか、注文する前に、店長に「お前はラーメンで、木蘭は?」と、既に注文が決められていた。他に食べたい物があるわけじゃなかったし、別にいいんだけど、店のシステムとして、その身勝手さはどうなんだろう。
まあ、反論したら店長に殺されるかもしれないので何も言わないけどさ。
ここの店長、こえーし。
「んじゃ、これを登録しておけばいいわけですね」
注文のあと、何の因果か、僕と木蘭さんは、電話番号を交換しあっていた。ていうか、木蘭さんに控えめに交換を迫られて、僕はうっかり「今まで交換していなかったのか……」と思ったほどである。
僕はワン切りされた電話番号を、「モクラン」の名前で登録した。木蘭さんはそれを見て、何故かほくほく顔だ。まあ確かに、ポケギアを取り押さえてしまえば、郵便配達の時に、根気よくドアをノックする必要もないもんな。まあ、そういう理由で。「ハクロ君に配達する時、呼び出しやすいから」という理由で、懇願されて、電話番号を交換したんだけど……いや待て待て待て待て。そもそもポストに入れれば済む問題じゃないのか、郵便物って。
完全に一杯食わされてるぞ、僕。
何を食わされたかは不明だけども。
何か胃の底が重たいような気が……。
「あ、ありがとー。へへ」
はにかみがちな笑顔でそう言われたので、僕は反論の機会を失った。うう……まあ別に良いと言えば良いんだけどさ。出たくない時は出なければ済む話だし、電源を切ってしまえばいいことで。
「電話番号ごとき、まあ別にいいですよ」
「それもそうなんだけど、今日、付き合ってもらって……ありがとね、って」
「ああ、全然気にしてませんから。ご心配なく」
それに、僕の用事も、済ますことが出来たし。
連れ出してもらって感謝感謝、といったところだ。
「そっか……」
「ええ」
「……」
会話が長続きしないのは、多分僕のせいじゃないと思う。僕は結構、他人に気を遣う人間だから、年上相手となれば、それなりに会話は盛り上がるのだ。盛り上げる仕組みを、体で理解している。
「……」
「……」
はずなのに。
何故だか盛り上がらない会話。これは明らかに、木蘭さんに問題があると思うなぁ……話しかけても、数回の往復で、言葉が途切れてしまうし。
「あー……そういえば木蘭さん、今日はどうしてまた、突然?」
しかし黙っているのも気が重いので、仕方なく、僕から会話を振る。何故僕は、いつもの数倍、気を遣っているんだろう。小心者だからかな。それとも年下だからだろうか。
「えっと、非番だったから……かな」
「非番って、お休みってことですよね。えーと……お仕事って、結構毎日キツキツなんですか。僕、働いたことないんで、よく分からないんですけど」
「うんと、週二回はちゃんとお休みだよ。でも、今日は特別なお休みなの。だから、なんていうか雰囲気的に、非番って感じで……」
「はぁ……なんか、じゃあ余計に、そんな日に誘ってもらって、すいませんね」
「ううん、いや、ていうか、私が誘ったんだし……」
こうして尻すぼみになってしまって、会話は途切れてしまうのだ。まあ逆に言えば、そこを盛り上げてしまえば会話は途切れない、ということだから、僕は追撃を行うことにする。
「まあ、不健康なので、誘ってもらえて助かってますけどね」
なんとか会話が途切れないうちに、僕は言葉と言葉を繋げておく。
「ほんと?」
「ええ。僕はほとんど、家にいますしねぇ」
「じゃ、じゃあさ、道場に戻ってくればいいんじゃないかな?」
ここぞとばかりに嬉々とした表情で木蘭さんは言った。けれど、
「それは、遠慮します」
と、僕は拒絶する。
むしろ、それだけは、遠慮します。
面倒臭いし。
「そっか……」
しょんぼり。
と、擬音が展開されそうなほどに、木蘭さんは落ち込んでしまった。ぐう……だって、道場、行きたくないもん。あれはあれで結構辛いし。
「ハクロ君が戻ってきたら、楽しいのになぁ」
「木蘭さん、日中は仕事してるじゃないですか」
「毎日、仕事終わりは顔出してるんだよ?」と、さも当たり前だと言うように、木蘭さんは反論した。「って言っても、家に帰るついでに寄るってだけなんだけど」
「へー……そうなんですか。大変ですね」
「だからハクロ君も一緒に、ね?」
「いや」何がだからなんだ、と思いながら、「いいです」と明確に拒絶の意を示しておく。
ここばかりは譲ってはならない。
「むむむ……」
「…………なあ、痴話喧嘩はよそでやったらいいんじゃないかと思うぞクズども。おら、ラーメンとアラビアータだ」
客に言っちゃいけないセリフと共に、どんどん、と店長が僕らのテーブルに料理を運んで来た。今日は以前、緑葉と来たときとは違って、僕と木蘭さんは向かい合うように、テーブル席についている。なので、店長がわざわざ厨房から運んで来たわけだ。
しかし、いつ来ても、ちらほらと人がいるよなぁこの店……しかも何頼んでも大抵のものが食えるし。メニューにないもの頼めるってどんな店だよ。冷蔵庫には何が入ってんだ。店長はどれだけいい腕してんだ。
「ありがとうございます……それと、僕たちは別に痴話喧嘩とかするような仲じゃないですから」
一応誤解を招かぬよう、僕は店長に反論しておく。
「お前、この前緑葉と来てただろ? なんだこの体たらくは。同じ男として悲しいと思うぞ俺は」
「……いや、来てましたけど」
それは関係ないじゃないですか、とはもちろん言えず。だって店長、顔怖いし。チンピラかよ。
「まあ、お前も若いんだから好き放題やればいいと思うけどな、面倒なことはやめとけよ。ああでも、お前ももう、今週末には十六か……」
言いながら、店長は厨房に戻っていく。って、なんで店長が僕のバースデイを知ってんだ?
…………。
……。
ああ! 少佐繋がりか!
あの野郎!
「え、ハクロ君、お誕生日?」
「そして木蘭さんは知らなかったのか……!」
「うん?」
「いや、気にしないでください。つい言葉に出してしまっただけです。ていうか、てっきり、誕生日付近だから誘われたのかと思ってましたよ……いや、別にそういう意味で言ったんじゃないんですけどね? 自意識過剰ですね、今の発言」
「うん? というか……ハクロ君も、店長さんの知り合いなの? 店長さんのことだから、一回覚えたら忘れないだけだと思うけど……誕生日って、なかなか話題にならないよね。そういうお話したことあったの?」
「いや、前に一回来ただけなんですけどね……直接会ったのは、以前に二回かな。今日で三度目です。ほんと、ずば抜けて記憶力良いですよね、あの人。まあ、僕の誕生日も、どっかで耳に挟んだだけだと思いますけど……。一度たりとも生誕についておもしろ可笑しい話題を提供した覚えはありませんしね」
「キャラ濃いよね、店長さん」
「ですよねー。絶対記憶人間ですもんね」
「うっせーぞガキども」
「おまけに地獄耳か……」
遠くから店長の突っ込みが届いた。他にお客さんもいるのに、フリーダムな人だなぁ……それが人気の秘訣なのだとしたら、関東の住人は結構な割合で頭が可哀想だということになる。
「でも、ハクロ君のお誕生日、知らなかったなぁ……ちゃんと記録しておこう」
言いながら、木蘭さんはポケギアをぽちぽちと操作し始める。やめてくださいと頼んでも強行されると思うので、止めもせずに、僕はラーメンを食べることにした。
ていうか、やっぱ、量多いだろこれ。
絶対に容器が鍋だし。
「よーし……登録、完了」
「お疲れ様です」
「ありがとうございます。あ……ハクロ君、ちゃんといただきますってしないとダメだよ?」
ラーメンを今まさに口に運ぼうとした刹那、木蘭さんにすごくお姉さんっぽいセリフを言われてしまった。けど、正論なので従っておく。
「ああ……そうですね、すみません。いただきます。ていうか、もはやすごくいただいてます」
「うん。じゃあ、私もいただきまーす」
なんだか、木蘭さんのテンションがすごく上がっているような気がする。おかしいな、木蘭さんを変えてしまうようなイベントって、何か起きたっけ……? 店長の登場かな? じゃあ、木蘭さんはもしかして店長のことが好きだから玉虫まで買い物に来たのか! なあんだ、早く言ってくれればいいのに! というところまで妄想を膨らませながら僕がラーメンをすすっていると、厨房の方から何故か鋭い視線を感じたので、即刻中断した。僕だって本気で思ってるわけじゃない。
「でも、ハクロ君がお誕生日なら、誕生日プレゼントとか……」嘗め回すような視線で僕を見上げ、木蘭さんは呟く。「あげたい、なぁ……」
「いや、だから、いいんですって。そういうつもりで言ったんじゃないんですから……それに、僕、大して物欲とかないですし。欲しいものは、大体持ってますから。……って、嫌な言い方だなぁ今の」
「誕生日プレゼントは、あげる人があげたい物をあげるものなんだよぉ……」
「ああ、そういうもんなんですか……?」
しかし、人に物を貰うのは苦手だしな……いや、でも僕も、緑葉に勝手に誕生日プレゼントあげたりしてるか……そう考えると、貰わないのも貰わないで、失礼なのかもしれない。と、言うか、僕の立場で考えてみると、緑葉が受け取ってくれなかったら、結構、悲しいものがある。
木蘭さんは、僕に何を買ってあげよう、とか思っているに違いない笑顔で、アラビアータとやらを食べている。パスタは真っ赤で、凄く辛そうだし、よく考えると、木蘭さん、大盛りで注文していたから……パスタの盛られている皿が、皿と呼んでいいのか分からないサイズだ。なんか、普通のサイズのパスタ皿をそのまま二回りくらい拡大したようなサイズ。これ、ちゃんと食い切れるのかよ……と、僕が不安になったところで、机の上に置いていた僕のポケギアが、振動を始めたのだった。
――そこで話は、ようやく冒頭に戻る。
珍しく、ポケギアが振動したのだ。
木蘭さんか? と一瞬思ったけれど、そんなはずはない。今現在、木蘭さんは、美味しそうに超大盛りアラビアータを食べているのだ。んじゃ誰だよこんな飯時に……ということで、僕はポケギアを手にとって、液晶画面を見てみることにした。
表示されている名前は、アオイ。
やべぇ、上都で知らない人はいない、かの超人気ラジオパーソナリティからだ!
…………なんてことがあるわけはなく、僕の知り合い、というか、なんというか、非常に説明しにくい間柄の人物からの、着信だった。
この人からの連絡は、珍しいにも程がある。
その珍しいのが、これで二度目。
つまり、さっきこの人から手紙が来てたわけなんだけれど……まさか、もう関東についたとかいうわけじゃないよなぁ。有り得そうで困るんだけど。
何ヶ月か前の、緑葉の二の舞か?
「すいません、電話してきます」
「ふぁい」
小動物系統の生物がよくやる、頬袋に食べ物詰め込んじゃうぜ! を実践している木蘭さんに許可を頂いて、僕は席を立つ。店の隅に向かい、震え続けるポケギアを停止させて、耳元に近づけた。
「なんですか」
気軽なノリで、会話を始めた。
「お、ハクロー、久しぶりー、お兄ちゃんだよー」
「……僕、一人っ子なんだけどなぁ」
「俺も一人っ子だぜ」
「知ってるけど」
「なんだよ、そんな『用件は何ですか?』みたいな顔して」
「してねぇし」
ちょっと語気を強めてしまったので、背後を振り返る。が……誰も見ていないようだ。店長だけは、なんだか不機嫌そうな顔をしていたけれど。料理が冷める前に食え、ってなところだろうか。
「まあ、実際用件は何ですか、って感じだけども」
「あー……手紙送っただろ?」
……。
……。
手紙、は……来たけれども。
僕の脳内には、何ヶ月か前、緑葉が突然僕の家に遊びに来たときのことが、フラッシュバックしていた。手紙の到着する時間を考慮に入れずに、手紙の到着と共に、来たんだっけな……まさか、こっちも本当にそうだとは、思いたくないけど。
「どうしたー?」
「いや、届いたけどさ」
「だろ? んーで、関東に行こうかと思ったんだけど、やめた」
「うん」
えーと……。
ん?
「は?」
「いや、手紙送ってさぁ、そのままのノリで旅支度して、手紙の到着と共に行こうとしたんだよ」
故意に緑葉と同じ行動に出るつもりだったのか……! 本気でやめてくれよ!
「そんで、でもまぁ、俺は別に関東好きじゃないじゃん?」
「知らんけど」
「だからさぁ、ハクロ、お前が遊びに来いよ」
「はい?」
「豊縁に」
「…………いやいやいやいや、行かない行かない。なんで僕がわざわざそっちに行かないといけないわけさ」
「えー? だって俺、研究で忙しいし」
ぶち殺したい……。
……いや、落ち着け僕。話が通じる相手じゃないなんてこと、ずっと昔から、知ってたじゃないか。いや、昔っても、三年程度の昔だけどさ。
「ていうか、研究で忙しいなら、なんで関東に来ようと思ったわけさ」
「いや? なんか、夏を過ぎたとは言え、豊縁はあっちーし、最近ハクロに会ってねーし、そろそろお前は誕生日だし、なんか関東来ないかって誘われてたし、良い機会じゃねーかってことでさ」
「……や、マジで、いいって。来なくていいし、僕も行かない。電話でお祝いしてくれればそれでいいから」
「おいおいマジかよ弟よ、薄情じゃないか」
「僕は十六歳からは薄情キャラで行こうと思ってるんだ」
「えー、そんなのつまんな――」
で、僕は、電話を、切った。
ついでに、電源も、落とした。
そして、二、三度深呼吸をしてから、ポケギアをポケットにぶちこんで、テーブルに戻った。木蘭さんの食べているアラビアータとやらは、まだ半分以上残っている。僕のラーメンに至っては、九割以上まだ残っている。……ていうか、増えてないか? 気のせいかな? 気のせいだよな。店長のいたずらとかじゃ、ないよね。うんうん。ないない。
「お帰りなさい」
「お待たせしました。いやー、間違い電話でしたよ」
それにしては長かったね、という突っ込みを期待したけれど、木蘭さんのスキルには望めない突っ込みだったらしく、突っ込みはおあずけだった。代わりに「そうなんだー、大変だね」とほわほわとした返事が返ってきた。木蘭さん、もう少し人を疑いましょうよ、と、思わずにはいられなかったとかなんとか。
「あ、それでね、私、考えたんだけど……このあとは、ハクロ君の誕生日プレゼントを買いに行きます」
「いや、本当に大丈夫ですから。気にしないでくださいよ」
「……お姉さん命令ですから、絶対です」
「ぐぁ……」
初めて受けた命令だけれど、何故か逆らってはいけない気がする……! これが年下の宿命か!
「分かりました?」
「う……はい」
素直に頷く以外に、為す術がなかった。
……んー、まあ、それにしても、今日の木蘭さん、えらく押してくるな……いや、そもそも何度お断りしても根気良くお誘いしてくださるってことは、それだけで根気強い性格ってことでもあるのか。見誤っていたな、木蘭さんのポテンシャルを……僕なんかが敵う相手ではなかったのかもしれない。
「まあ……お姉さん命令であれば従いますけど、あんまり気を遣っていただかなくても結構ですよ、本当に。既にいくらか、お金使ってらっしゃるでしょうし」
「ハクロ君こそ、気にしないでいいよ。それに私、社会人だしね」
本気でお金の面での心配をしているわけではなかったのだけれども、木蘭さんはそう取ったようだった。けれど、それを否定するとそれはそれで面倒なことになりそうだったので、スルーしておく。「まあ、祝ってもらえるのは、単純に嬉しいです」とフォローを入れつつ、なんか終わりが見えないラーメンを食べる。
美味しいんだけど……やっぱ多いよなぁ。
幸せは隠し味と同じで、少量の方が良いって、昔お婆ちゃんが言っていたけれど、あれは多分事実だ。
「ハクロ君、さ……」
「うい?」
珍しく木蘭さんから話しかけてきたので、ちょっと意外ながらも、応える。
「今年で、十六歳になるんだよね」
「ああ、そうですね。まあ、実感はありませんし……十六歳って、何の節目でもありませんからね、どうでもいいと言えば、どうでもいいんですけど」
「そっか、男の子はそうだね……」
木蘭さんはそう言いながら、何やら頬を紅潮させていた。男の子はってことは、女の子には何やら感慨があるんだろうか。しかし、男の僕がそれを知る由もないわけで。
「木蘭さんは……十九歳ですっけ」
言ってから、女性に年齢を尋ねるのはいかがなものなのだろう、と思ったけれど、木蘭さんは意に介した様子もなく、「うん! そう、あのね、私とハクロ君って、三歳しか違わないんだよね」と言ってきた。何故そんなに勢いづいているのだろう。三歳だろうが三十歳だろうが、別に良いのだけれども。少佐と僕なんて、父と子ほど離れているのだ。
「三歳……まあ、正確には、四歳ですけど」
「あ、そっか……まだ、十五歳だもんね、ハクロ君」
「ですね。木蘭さんって、誕生日、いつなんですか?」
「わ、私? 私は……ふ、冬なんだけど」
「なるほど。ということは、少なくとも半年ぐらいは、僕と木蘭さんは三歳差ってことですね。一年のうち半分三歳差なら、まあ三歳差で問題ないですかね」
「う、うん……」
冬か。
冬と言えば、緑葉の誕生日も、季節的には冬だったよな……小さい頃は、僕の誕生日から、緑葉の誕生日までの何ヶ月間、僕の方がお兄さんだとか言いながらからかったものだけれど……年上や年下という人種と多く付き合うにつれて、同世代という感覚は根強くなる。数ヶ月年齢が違うとは言え、年上年下といった感覚には陥らないもんだ。
「まあ、お祝いしてもらえるようなので、冬になったら……木蘭さんのバースデイでもお祝いしますよ。大人ですもんね、今年で」
「あ、うん……期待してるね」
そんな、本当に期待しているような目で見られると、僕も困ってしまう。僕は返事を返せないまま、俯いて、ラーメンを食べることに集中する。
「ねえ、ハクロ君」
「なんでしょう」
レンゲを利用してミニラーメンを作っている僕に、木蘭さんが再び問いかけてくる。
「今、楽しいですか……?」
「……そりゃ、楽しいですよ?」
何と比較して、木蘭さんは言っているんだろう。
僕はそれについて、深く考え、一つの可能性に思い当たったけれど、結局、その答えは導き出さないままにして、ミニラーメンを口に運ぶことにした。
◇
「あの、今思ったんだけど、その……こ、ここで待っててくれるかな」
「うい?」
再び、玉虫デパートの敷地に足を踏み入れていた僕と木蘭さんは、一階のエレベーターの前で、そんな言葉を交わした。
「何故でしょう……?」
尋ねてから、もしやトイレか、と思い当たったけれど、木蘭さんは異性と一緒でも気軽にお手洗いに向かえる勇気ある女性だし、その可能性は潰えるだろう。では他に何があるだろう、と考えてみても、非力な僕では、思い当たらない。
「んっと、えっと、せっかくだから、帰ってから開けてもらいたいから、選んでいるところを見られたくないと言うか……何というか……」
「ああ……そんなら、別に、今日買う必要はないんじゃないですか……? 僕の誕生日、来週ですし」
「でも、そうしたら、ハクロ君、会ってくれなくなるでしょ?」
「……ソンナコトナイデスヨ?」
「嘘」
……ちゃんと否定しろよ僕。
いやでも、事実だしな。
気を遣わせたくないがために、誕生日プレゼント云々ということを、うやむやにしてしまいそうな気がする。その辺を理解しているあたり、木蘭さんも、伊達に問題児の郵便担当をしてないということか。
「というわけで、後で連絡するから……電源、入れておいてね?」
「うぃ……了解しました」
そんなところで、タイミング良くエレベーターのカゴが降りてきて、扉が開いた。乗ったのは木蘭さんだけ。僕はと言えば、それを見送るだけだった。二手に別れるか……かと言って、僕が店内をうろついているのも、木蘭さんの商品選びに、何かと支障を来しそうだから、店を見回るのは得策ではなさそうだ。
……ま、せっかく祝ってくれているのだし、大人しく従うべきだろうな……なんてことを考えて、僕は仕方なく、一旦、玉虫デパートをあとにした。一応、ポケギアの電源も入れて、復活させておく。
「さーてと」
九月初旬。
玉虫市。
山吹と違って、都会と呼べるほどの地域ではない。だから、それほど面白い物が乱立している場所ではないわけだが……デパートを除いても、ゲーセンとか、会社とか、あるにはある。でも、僕はギャンブル、あんまり好きじゃないし……ゲーム会社も玉虫市にあるらしいけれど、あんまりゲームもしないから、僕は興味はないしな。
そんな僕が興味を持つ建物となると……。
「……ジムにでも、行ってみるかぁ」
もう先月……になるのかな。
檜皮ジムリーダー、筑紫との戦闘を機に、自称ポケモントレーナーとなった僕だけど、ジムバッジの数は、多くはない。ていうか有り体に言って少ない。朽葉のバッジと、檜皮のバッジ。二つだけ持っている。オレンジバッジと、インセクトバッジ、か。一応、ポケモントレーナーを自称するにあたって、二つとも財布に忍ばせているけれど……全く、トレーナーって感じじゃないよなぁ。木賊なんかは、ちゃんとバッジケースを持ち歩いていたみたいだったけど……あれ、たくさん種類があって、結構値段するし、買う気にはならない。
でも、まあ、一応僕もトレーナーであるわけだし、ジムを覗きに行くくらい、どうってことないだろう。それに、玉虫ジムは日頃から「ジム」としての顔と、「華道教室」としての顔を併せ持っているみたいだから、一般人も多く出入りしているようだし……何より、ジムリーダーの枝梨花さんが人格者だからな。憩いの場としても、人気があるんだろう。まあ、今日がジムの顔なのか華道教室の顔なのかは、定かではないけれど、暇つぶしには、丁度良いはずだ。
僕は玉虫市を南下して、垣根を越え、草木に囲まれた道を進み、玉虫ジムへと向かう。この玉虫ジム、遠方からの覗きを防止するだとかいう目的で、草木に囲まれて建設されたようだけれど、そういう下心全開の趣味がない人間からしてみたら、この配置は、面倒の一言に尽きる。垣根からジムまで、結構遠いし……と、歩いているところで、僕は遠方に、人影を発見した。
ジムの入り口側にある窓ガラスを熱心に見ている、背の高い、金髪の、何やら軍人っぽい服装の………………。
うーん、見覚えがあるなぁ。
見覚えというか、なんというかなぁ……。
窓ガラスの向こうに広がるエデンに夢中らしい金髪を放置して、僕はジムの扉に、手をかけた。が、当然のように、声をかけられ、動きを止められる。
「久しぶりだなぁハクロ」
「初めまして、軍人さん」
「久しぶりだなぁハクロ」
「リピートしないでください怖いですから」
観念して、僕は扉から手を離し、少佐の方に向き直る。少佐は、手で双眼鏡を作るようにして、窓ガラスを見つめたまま、僕と会話をしている。ていうかこっち向けよ。
「なんでまた今日はお出かけしてんだ? 引きこもりのくせによ」
「いや……ちょっとした野暮用ですよ。日光を浴びて二酸化炭素を酸素に変えないといけないですからね、僕は」溜め息を吐きながら答える。「世界的な大役を担っているんですよ」
「環境に優しいなぁ、俺には優しくないのに」
「無視してないだけ優しさに溢れてますよ僕は」
ていうか、無視しないでちゃんと付き合っているあたり、僕は薄情キャラにはほど遠い位置づけなのかもしれない。
「そうだな……まあ、お前も難しい年頃だもんな」
「知りませんけど……とりあえず、今日は僕、少佐には用事ないんで。普通に玉虫ジムを見学に来ただけですから」
「なんだ、俺目当てじゃないのか。うっかりしてたぜ」どこまで本気か分からない口調で、少佐は笑い声を上げた。
「どういう勘違いですか……ていうか、少佐もこんなところから覗いてないで、普通に入ったらいいじゃないですか。あ、もしかして今日って、休館とかなんですか?」
「いや、度重なる訪問に対して、枝梨花から出入り禁止を食らった」
「ですよねー!」
ていうか、予想の上を行ってるなー!
覗きだから楽しいんじゃねえか、とか言われることを覚悟していたのになぁ。さすがは少佐だとしか言えないよほんと。逆に嬉しくなった。
「いや、待てよ……」しかし僕の喜びようとは裏腹に、神妙な口調の少佐。と思いきや急に晴れ晴れとした声色になり、「そうだ! お前と一緒なら入れるんじゃないか? ハクロ、お前玉虫ジム初めてだろ! 俺が案内してやる!」と、何か秘策を思いついたようで、少佐はようやく窓から目を離し、僕を見た。瞳が輝いているので、抵抗しにくい。
「え? いや、まあ……確かに入ったことはないですけどね。少佐から結構、話は聞いたことありますけど」
「だよな。よし、お前を案内しに来たという名目で、中に入ろう。どうせ時間あるんだろ、お前。入ろう入ろう。お前なら行ける。俺ならやれる」
「いや、時間、あることはありますけど、持て余しているというほどでは……」
「うるせぇ!」
「ひっ」
ひどい言いようだった。
僕は少佐の丸太のような腕にがっちりと捕獲されて、玉虫ジムに連れられることとなった。いつポケギアが鳴るかと不安ではあったけれど、多少のタイムロスぐらい、大目に見てもらえるだろう……少佐絡みなら、仕方ないと、誰でも納得してくれるはずだ。
少佐の本質を知っていれば、だけど。
木蘭さんは……どうだったかな?
「オー! 失礼シマース!」
ハイテンション。
というか、絶好調?
いや……ただ単に最高潮なのか。
とにかくそんな感じで、少佐は扉を開けて、玉虫ジムに入った。
そういえば少佐って、人前では口調、こんなんだったっけな……最近本性しか見ていないから、設定を忘れるところだった。
「あら…………マチス様ではありませんか」
玉虫ジム。
その室内。
男子禁制……というのは、ジムに配備されるトレーナーが、という意味で、当然男子トレーナーがバッジを取るためにジムに入ることは、必要不可欠な行為なのだから、男子トレーナーが入っていけないわけでは、全然、ない。だから僕も少佐も、玉虫ジムにお邪魔することに対して、さしたる問題があるわけではないのだけれど……しかしやっぱり、目前に広がる花園を見ると、僕は人生を間違ってしまったのではないのか、という錯覚を覚えずにはいられなかった。
見渡す限りの、女、女、女、女、女――
男成分がほとんどない。ていうか有り体に言って男が一人もいない。まあ、女性目当てに華道をする男というのも、あまりいないだろうし、今日がジム戦の日程でないとするならば、男子がいないことは、明白なのかもしれないけれど。
「公的な訪問以外では、お出入りを遠慮していただくようにと仰ったはずですが……」
ジムの中は、筑紫の本拠地である檜皮ジムほどまでとは行かずとも、草木で溢れていた。地面はところどころがリノリウム……だっただろうか、なんかそんな感じの、ツルツルした床だった。いかにも施設、という雰囲気だ。
ジム内にはバトルリングが四つあり、その三つが、今現在、使用されている。使用しているのは女性だけ。ジムにいるのは女性だけで七人おり、そのうち一人――入り口から直線で向かった先に、枝梨花さんがいた。少し高台になっている場所に、畳を敷いて、正座している。周囲にあるのは――植物ではありそうだが、華ではなさそうだった。
「マチス様、聞こえていますか?」
「聞こえてマース。ベリーリッスン!」
よもや少佐は英語を忘れているのではないかと思うほどの幼稚な発言をしている。きっと、枝梨花さんは少佐の本性を知っているんだろうから……無理してエセ米国人を気取っているのは、他のジムトレーナーを考慮しているからこそだろう。
少佐は僕を引き連れたまま、枝梨花さんに近づいていく。その際、幾つもの視線が僕を突き刺していったけれど、僕はなるべく、その視線に応じないようにした。この軍人と知り合いだとは思われたくなかった。
「よう枝梨花、久しぶりだな。これが例のハクロだ。連れて来てやったぞ」
「これ呼ばわりですか……ていうか、え?」
バトルリングから少し離れた、枝梨花さんのために存在するような畳の一室。そこに連れて行かれて、少佐は小声で、僕を紹介した。枝梨花さんは驚いたような、好奇の視線で、僕を見ている。何というか……こうもまじまじと見たのは初めてだけど、なんというか、枝梨花さん、『和』っぽい人だ。
少佐情報だとそろそろ三十代だと言っていたから、実年齢を考慮するとものすごく若いとは言えないけれど、見た目だけでは、間違いなく美人だろうな、と思う。うーん……でもやっぱり、僕にはまだ分からない世界だ。そもそも僕は、一筋な男であることだし。
「ハクロ様……ですか」
「あ、どうも初めまして……」少佐から逃れ、僕は精一杯の誠意を込めて、頭を下げた。「ハクロです」
「まぁ、これはご丁寧に」
綺麗な角度でお辞儀、という後手を打たれたので、僕はそれに倣って、立ったままではあったが、さらに深々と頭を下げた。
「お噂はかねがね」
「あ、そうなんですか……いやいや、少佐、何を話したんですか」
後半を少佐の耳元で呟く。が、返ってきたのは「四天王レベルの素人がいるって言ったー」という、完全に棒読みの抑揚のない返事だった。
ふざけやがって……どれだけ僕のハードルを上げれが気が済むんだこいつ……。
「マチス様の言葉が行きすぎている、というのは承知しておりますので、ご安心ください」
「あ、ですよね。良かったー」
安堵の溜め息を漏らす。
「ですが、あながち的外れな表現だとも思っておりません。ハクロ様のご活躍は、色々と、耳にしておりますよ」
「……」
僕は無言で少佐を睨み付ける。
少佐はそっぽを向いた!
バッジ不足か……!
「ですから私も、いずれはお手合わせ願いたいと思っておりますの」
「いや、そんな、僕全然強くないですから……」
「ご謙遜を」微笑みながら、枝梨花さんは言う。
「いやいやマジです……」
「ふふ……」
何を言っても躱されるタイプの人らしい……僕の苦手なタイプの人だ。それに、年上だし、初対面だし、あまり強くは出られないし……突っ込みとか、完全に間に合わないし。
「……ですが、ハクロ様は、今日は戦いに来たという様子ではありませんのね」僕を見ながら、枝梨花さんは首を傾げた。「でしょう?」
「あ、そうなんですよね。やっぱ分かります? 雰囲気ですかね。枝梨花さんくらいになると、分かっちゃうもんなんでしょうか」
「見れば分かります。随分と、軽装のようですし、その……」
と言いながら、枝梨花さんは僕の腰元を見た。ベルトに引っかけられた、モンスターボール。一つだけだから……軽装、という意味合いだろうか。それならば、僕はそれを否定しなければならないのだけど……せっかく勘違いしてくれているのだから、スルーしても良いだろう。理由は違えど、戦うつもりがないのは、本当なのだし。
それに、一匹だけで戦っていますなんて言えば――それこそ、気に入られてしまいそうだ。
強い人ほど、そんな姿勢を、気に入る。
一匹で負けていては、ダメなのだけれど。
「それに、マチス様は……あの様子では、ハクロ様を連れてきたようには見えませんもの」
あの様子、と言われて、隣にいるはずだった少佐を見やると、そこに少佐の姿はなかった。そのまま視線をずらして、背後にぐるりと向ける。と、ジムトレーナー同士のバトルを、なんか腕を組んで観戦していた。いや……あれは観戦じゃなくて、観覧か。ジムトレーナーを、見ている。
バカじゃねえのか。
本気で。
「……ほんとすいません」
「ハクロ様が謝ることではありませんわ」
ほほほ、と擬音が聞こえそうなような仕草で、枝梨花さんは口元を押さえた。僕はそれに倣って、苦笑いを浮かべておく。本当にあの男、しょうもねえな、とも思いながら。
「ともかく、理由はともあれ、お知り合いになれたことは素直に嬉しい限りです」
「ああ、いえ、こちらこそ……」
「ですので、バッジがご入り用になりましたら、いつでもお越し下さいね」
「ああ……そう、ですね。バッジ、ですか」
バッジ。
バッジ……ね。
玉虫ジムのバッジは……レインボーバッジか。少佐にもらったオレンジバッジが「そらをとぶ」のに必要なバッジで、筑紫から貰ったインセクトバッジが「いあいぎり」をするのに必要……で、レインボーバッジは「かいりき」の用途、だったかな。
まあ、本来なら、順当に――公式ではないにせよ、トレーナー同士が定める「順当」なジムの攻略方法に則れば――鈍ジムのバッジから取るのが良いんだろうけれど……あいにく、僕は四天王とぶつかりあうつもりはないし。一応、秘伝マシンを使える程度のバッジ数だけ、手に入れられればそれでいい。
そう言えば、上都で「かいりき」を使えるのは、黄金ジムのレギュラーバッジだったかな……確か、あそこも女の園だった気がする。
怪力なんていう無骨な技を統制しているのが、何故に女の園なのか。
そこにはどんな意図があるのだろう。
…………うーん、ギャップのかな?
……ギャップ萌え? なのか?
「まあ……しばらく怪力を使って力仕事をしようって予定はありませんけど、気が向いたら、お邪魔したいと思います。一応、ゆくゆくは秘伝マシン用のバッジは全部揃えたいと思ってるので」
「まあ、前向きですね。ええ、いつでもお待ちしておりますわ。正規の日程でなくとも、ハクロ様であれば歓迎いたします」
「はは……」
正規の日程。
公式ジム戦。
それでなくても良いというのは――裏を返せば、道場破りをしてくれ、という意味合い、か。むしろ、ジムリーダーとしては、本気で戦えるという意味では、イレギュラーな対戦者こそ望まれるものだ……と、少佐が以前、溢していた。
つまりかかってこい、と。
そう言っているわけだ。
まあ、そういう理由ではないにしろ、人目に付くのが嫌だから、僕はきっと、公式的なジム戦では戦わないんだろう。
他の二つも、そうだったし。
それに、本気で戦ってくれた方が、気が楽だ。
後腐れがない。
「それじゃ……今日のところは、僕は、失礼します。あのろくでなしも、一緒に回収していきますので」
「まあ、ありがとうございます。マチス様の動向には、ジムリーダー同士でも、頭を悩ませているもので」
「はは……自由ですからね、少佐は」
「先月も、単身上都に渡ってしまったり……だったかしら? ハクロ様はご存じでしたか?」
否――ご存じでしたよね。
とでも言うように、枝梨花さんは言った。
……ぐぅ。
僕が関与していることは……枝梨花さんにはバレていないはずだけど、何故か枝梨花さんの口調は、怪しいところにある。
「ふふ。それでは、またお会い出来る日を楽しみにしておりますわ、ハクロ様」
「あはは……光栄です」
綺麗な花でも毒はある……というほどではないんだろうけれど。
玉虫ジムリーダー枝梨花さん。
……何とも、恐ろしい人だ。
石竹ジムの二代目ジムリーダーは……なんて言ったかな。凶さんの娘とか言う話だったけど。とにかく、ああいう、毒使いですと名言されている方が、扱い易いような気がする。人が使うポケモンのタイプというのは、その人の性格に影響されることが、多々ある。
だから枝梨花さんのように、草で毒を覆い被せたタイプは……ついつい、見誤る。
実力も、人柄も。
そして何より、相性を。
草タイプだからといって毒を仕込んでも、意味がないのだ。だから枝梨花さんに、含みは通用しない。
「それでは、また来ます」
「ええ、お待ちしております」
したたかな人、というのはこういう人のことを言うのだろうか。
奥ゆかしさ、とはまた違うような。
強かさ。
強さ。
それの意味するところが同じなら、枝梨花さんは間違いなく、強者ということになるんだろうけれど。
――まあ、強さの意味合いなんて、十人十色……それこそ、指紋のように、人ごとに違うのだろう。と……僕は何となく、思う。
緑葉のような、努力する強さ。
木賊のような、成長する強さ。
筑紫のような、変貌する強さ。
少佐のような、俯瞰する強さ。
そして僕は――――強いのか、弱いのか。
まあ、それを知るのは、
きっと、強くなってからなんだろうけど。
◇
そして再び、僕のポケギアは、震え出した。
「この勝負が終わるまでで良いんだ、頼む」
「僕じゃなくて枝梨花さんに頼んでくださいよ」
「だってよー、枝梨花のやつ、最近一対一だと口も聞いてくれないんだぜ? ひどいよなー、いじめだぜいじめ。ジムリーダー同士でいじめかよ。そりゃ子どもがいじめられるわけだ」
「……なんか、ジムリーダーの関係って、本当に学生みたいですよね。まあ、僕はあんまり学生の経験はないですけど」
「あー、ノリはそんなもんだぞ。関東組は、特に仲良しだからな。基本的にみんなガキだし。つっても俺も、ちゃんとした学校行ってないけどな」
「その関東ジムリーダー学級の中でも年長者の少佐は、何故だか威厳がなく、ハブられている、と」
「そうなんだよなぁ。霞も棗も酷いんだぜ? 女は怖いよな。まあ、凶の娘は可愛いもんだけどな……全く、俺と話が合うのは桂ぐらいだな。他もよく遊んだりはするけどよ」
「少佐と桂さん……? ああ、なるほど、エロオヤジ同盟ですか」
「命名すんなよ」
と、小声で会話をしながら、少佐がジムトレーナーのあの子のスカートの中を覘き、僕がその子の繰り出したラフレシアを物珍しそうに眺めている時。ポケットの中で、僕を呼び出すための着信が、振動に変換されたのだった。
「あ……すいません、活動限界です。そろそろ帰りますよ」振動音が少佐にも聞こえたのか、少佐もポケットに視線を向けている。「呼び出しです」
「ん、分かった。じゃ、また今度な」
「ええ、また今度……いや、少佐も出るんですよ。枝梨花さんに怒られますってば」
「マジかよ……くそ……都合の悪い人生だ。シット!」
世界に対してもっとも都合の悪い人間は少佐なんだろうなぁ、と思いながら、僕はあっさりとミニスカートから目を離した少佐を引き連れて、玉虫ジムを後にする。本当に、なんでこの人は捕まらないんだろうと本気で悩む時がある。
玉虫ジムを引き返す道中、やっぱりバトルリング上から幾多もの視線を浴びたけれど、気にしないことにする。麦わら帽子が目立ってるんだろうか。ていうか室内で帽子ぐらい取っておくべきだったか。顔は隠せて良かったけれど。
「さて、それではここでお別れです」
玉虫ジムから出たところで、僕は少佐に、別れを告げた。ここから先は、僕の管轄外だろうし。
「おう。んじゃ、またなんかあったらな」
「了解しました。それでは」
「おう」
そう言って、少佐はまた、入り口前の窓ガラスに食いついた。
……もうホント、この男は死ねば良いのでないかという疑念に駆られたけれど、木蘭さんを待たせるのも気が引けるので、少佐のお守りは断念する。
出来れば一生、断念したいけど。
……さて。
電話、かけ直すか。
ジム内を歩いている最中に振動は途絶えてしまっていたので、僕は玉虫デパートに向かいながら、木蘭さんに折り返し、電話をかける。何度かコール音が鳴り響いてから、雑踏の中にいると思われる木蘭さんから、返答。
「あ、もしもし? ハクロ君? 何?」
「はい? あれ?」
「あれ? ……待ちくたびれた、かな……?」
二、三言交わしただけで分かる感覚。
何やら話が噛み合っていない雰囲気。
「あ、いや……木蘭さん、今、僕に電話しませんでした?」
「ううん? してないけど……ごめんね、すっごく迷い始めて、もう何を選んだら良いか分からなくなっちゃって……思考を全部リセットしたところなの」
「いや……別に、ホント、何でも良いですから。気にしないで適当に選んでください」
「うん、ごめんね……決まったらまた電話するから……」
「了解しました」
ふむ。
ふむ?
ふむふむ……。
うっかり木蘭さんからだと思っていたけれど、どうやらまだ商品を選んでいる最中だったようだ。ということは……一体誰だ? 僕に電話かけてくる人なんて、そうそういないとは思うけれど。
通話を切ってから、一旦、思考を洗浄。冷静になって、着信履歴を漁ってみることにする。やはり確認は大事だなぁ……なんて思いながら、一番新しい着信を見ると、そこに表示されていたのは、「アオイ」の文字。
超人気パーソ……なりてぃなんかではない。
ていうか、あのラジオ番組、番組内のコーナーでゲット出来るポイントを限界まで溜めると、パーソナリティである葵さんの私用の電話番号がゲット出来るという謎の噂があるけれど……それ、真実なのだろうか。まあ、どのみち関東圏では聞けない放送だから、僕が悩んでも仕方ないんだけれど……と、思いながら、さてどうするべきかと、僕は考える。
かけ直すか、かけ直さないべきか……いや、さっき話を(強制的に)終えたのにまだかけ直してくるということは、もしかしなくても、またかけ直してくるつもりなんだろう。あの人、結構しつこいからな……嫌いなタイプのしつこさではないけれど。
幸い時間もあるし、僕は玉虫ジムの垣根を越えて、ゲーセン付近の日陰に場所を移してから、電話をかけ直すことにした。
コール音を聞く間もなく、すぐに通話が開始された。
「おーいおいおい。ハクロぉ、お兄ちゃんは悲しいぞーぅ」
「誰が」
のっけからテンション高いなぁ。
木蘭さんの爪の垢を煎じて口に塗ればいいと思う。
「とにかくさ、閃いたから、電話したんだけど」
「はぁ」嫌な予感をひしひしと感じる。
「緑葉ちゃんって、実家は豊縁だろ? んで、俺も今は豊縁に住んでるじゃん?」
「そうだね」
雲行きが怪しい気がするのは、この人の口から緑葉の名前が出て来たからだろう。この人から緑葉の名前が出て、良いことが起きた試しがない。
「だからさ、今、緑葉ちゃんの実家に電話したわけ。近々ハクロを連れてきますけどいいですかって。そしたらさー、電話越しにロリ声がきゃっきゃ言うからさー、多分オッケーなんだと思うんだわぁ」
「……待て待てそれ赤火だろ絶対。あの子に梔子家のお家事情に関して、決定権はないぞ」
とは言ったところで、あの母あっての赤火だから、どうせオッケーなことには変わりないんだろうけども……。
「いや、割とちゃんとした対応してたぞ? 赤火ちゃん。なんか、ポケモンの世話についても教えて欲しいんだと」そう言う青藍兄さんの声に疑惑の色合いは見られなかったので、赤火がどんなポケモンを連れ歩いているかはまだ知らないようだ。「そういうわけで、お前は豊縁に旅行することに決まりました。はい、拍手ー」
電話越しに、何故か拍手が聞こえる。しかも、一人分の拍手ではない。これ……研究所の研究員の皆さんか!
ノリ良いなー、豊縁の人は。
「ていうか、拍手の中悪いけど、行かないってば。人の都合も考えろって」
「あれあれー? そんなこと言っていいのかなー? 緑葉ちゃんが悲しむぞー?」
「…………いや、でも緑葉は今、上都にいるじゃん。そうそう都合良く豊縁に帰るわけないし」
「だからー、俺が上都まで行ってー、緑葉ちゃん連れて関東行ってー、そんでお前を連れて豊縁まで行こうかなー、と思ってー」
「……何その壮大な計画」
ていうか忙しいんじゃないのかよ。
「まぁ、よくよく考えたら、俺が関東行こうとしてた理由はさ、親父の代わりの顔出しなんだよ。ほら、紅蓮の屋敷。何つったっけな?」
「ああ……」ふと思考を巡らせる。紅蓮の屋敷――「ポケモン屋敷、だっけ? ……でもあれ、何年か前に、噴火で壊れたんじゃなかったっけ。跡地に何か用事でもあんの?」
「そうそうそれ、ポケモン屋敷。でもまぁ、あの屋敷って元々、貴族のサロンみたいな場所だったらしくてさ。道楽者が作った屋敷らしいんだわ。まあその後、研究者に貸したらヘマして、ポケモンが溢れかえったらしいけど……噴火の時に屋敷ごと吹っ飛んだのは、お前も知ってるみたいだな」
「うん。でも、へえ、そんな歴史があったんだ」
ポケモン屋敷……僕が関東に来てすぐくらいに、紅蓮島で大噴火があって、ほとんどの施設と共に、破壊されてしまった屋敷。まあもちろんポケモン屋敷というのは、ポケモンが生息するようになってから付けられた名称で、元々は由緒正しき名前がついていたそうだけれど。
どうやらその屋敷、かなり著名な研究者が、研究所として使っていた挙げ句、何かの実験に失敗して、ポケモンの巣窟となってしまった場所らしい……けれど、元々は、そういう背景が、あったわけか。確かに、何かの写真で見た限りでは、研究所としては場違いなほど豪華な造りだったような気もする。
「で、面倒くせーことに、俺はそこに顔を出さないといけないわけ」
「うん、そこが良く分からないんだけど。なんでポケモン屋敷に用事なんてあるわけ? ていうか、正確には跡地、だけど」
「んー……あれ、お前んとこには連絡行ってないか? お前も関係してる話だぞ、これ」
連絡。
紅蓮島から……?
「ポケモンリーグから、封書が届いてるはずだ。多分、お前も親父さん関係だと思うけどな」
「父さんが……?」
それはまた、随分珍しい方向から攻めてくるなぁ。
父さんとポケモンリーグ……うーん、結びつきが分からない。
「分からない」僕は素直に認める。
「簡単に話すとだ。うちもそうだけど、お前んとこも、その設立時の道楽者の一派だったそうだぞ。だから、復興に関して、結構な援助をしてたとか、してなかったとか」
「どっちだよ」
ああでも、援助とかなら、関係しているかもしれないなぁ……父さんも、母さんも、そういうの、結構好きだったみたいだし。別段良いとこの生まれだったわけじゃないから(お婆ちゃんが檜皮の寒村で暮らしているのを考えれば分かりそうなものだが)、社交界には頻繁に顔を出して、人脈を増やしていたらしいし……。
「とにかくまぁ、多分、お前にも、顔出せっていう連絡が行ってると思うぞ。俺は直接は関係ないから蹴ろうと思ってたんだけど、せっかく関東行くなら、親父の義理ぐらいは果たしておくかと思ってさ」
「はぁ……いや、ぜんっぜん話が飲み込めない。結局……えーと、つまり、ポケモン屋敷の復興に、お金出してたってこと?」
「早い話がそうなるのか? 改築の予定は何年も前からあったみたいだしな。んで、建設された記念のパーティみたいなものに出席しませんか、っつー話だ」
「ああ……」
記念ポーリーね。
小さい頃は、そういう社交界的な場所に、結構行ってたけどなぁ……。
「それで、俺はお前と緑葉ちゃんを豊縁に回収するついでに、ちょっと顔出して、美味いもん食って、桂さんとちょろっと話をしようかと思ってるわけ。でそのあと豊縁に行きます」
「へぇ……それはいいけど」よくもないんだけど。「なんで桂さん?」
「あの人は異色の研究者だからなー。結構な有名人なんだぜ。ていうか、正確には論文渡したいだけなんだけどな。直接渡せば、もしかしたら目通してもらえるかなー、みたいなもくろみよ」
ほう……桂さん、一度少佐繋がりでお会いした時は、なぞなぞ一筋の変態かと思っていたけれど……研究者としての一面も、あるわけか。
まあ、確かに紅蓮島は……火山の噴火に遭うまでは、研究者の集う孤島としての面があったらしいし。そういう意味で言えば、桂さんが研究者であることは、おかしくもなんともないわけか。
化石の研究とか、盛んって聞いたことあるし。
「まあそういうわけで、近いうちに緑葉ちゃんを連れて関東行くから。よろしく頼むわ」
「いや、僕はそのなんとかパーティに出るって決めたわけじゃないけど」
「はぁ? せっかくだから出ようぜ、タダ飯食い放題だぞ? 食わないとかおかしくね?」
「……まぁ、面倒事がないなら、出たくないってわけでもないけどさ」
頭が痛くなりそうな会話をなんとか成立させながら、こめかみを押さえる。
「その辺は俺が何とかするって。つーか、誰もお前なんか目にも留めないだろ。緑葉ちゃんと一緒に飯食ってれば、どっかのご子息にしか見えねーよ」
「それ、行く意味あるのかなぁ」
「理由だけあれば十分だろ。主催に一度、親父の代理って話通しておけばいいさ。んじゃ、早速準備するわ。着いたら連絡する」
烈火の如く言い終えて、電話は切られた。
元気だなぁ、と思う反面、空元気なんじゃないかな、とも、思わなくもない。もともとこんなに、元気な人じゃないから、多分徹夜明けかなんかだろう。
僕と同じような境遇の、僕を弟と認識している、赤の他人の、お兄さん。
名前は、青藍。
年齢的には、木蘭さんとほとんど変わらないくらい……いや、もう少し上なのか。その割には、ガキっぽい面もあれば、大人っぽい面もあって……堂々とした、青年らしい青年なのかな。
鉄さんとは違う意味での、大人。
まあ、強さの定義と一緒で、大人の定義も、人それぞれなのかもしれないけれど。
「パーティね……」
場慣れはしてるから、苦手じゃないけど、好きではないよなぁ……。もっとも、それだけ大袈裟なパーティとなると立食だろうから、気楽と言えば、気楽だけど。はぁ……父さんも、面倒なところに首を突っ込んでいたもんだ。
まあ、ともかく。
青藍兄さんの面倒事も、パーティ云々も後回しにして……今日は、今日しなければならないことを、キチンと終わらせておこう。
流石にそろそろ、木蘭さんも何か目星をつけている頃だと思うし……せっかくだから、僕からも、木蘭さんに何か、プレゼントをしておこうかと、思いつく。もらいっぱなしというのも、性に合わないし……別に、今日のことを今日で清算し終えるなんていうつもりは、ないけれど。
玉虫デパートに向かいながら、それでも僕は、青藍兄さんのことについて、考えを巡らせてしまう。
緑葉のやつ、本当に青藍兄さんに連れてこられるつもりなんだろうか……でも、緑葉のことだから、ノリノリで来そうな気もするな……なんだかんだで、神出鬼没だし、紅蓮島に行けると知れば、桂さんに挑戦するという理由も、出来そうなものか。紅蓮島は、行くだけで大変だから、招待という目的なら、船くらい出るだろうし。
……。
船……か。
まあ、それも意味ではなくて理由だけど――どちらにしたって、切っ掛けになるなら、それで良いとは思うけどね。
日差しを麦わら帽子でシャットアウトしながら、玉虫市内を練り歩き、僕は玉虫デパートへと戻ってきた。
プレゼントとなれば……四階の、『ワイズマン・ギフトショップ』ということになるのだろうか。なんだか懐かしいような気が、しないでもない。
木蘭さん、アブソルを連れているし、一応はポケモントレーナーという括りにはなるけれど、バトルしてるところなんて見たことないし……トレーナー関係の道具なんて、欲しくないだろう。とは言っても、年上の女性の好みなんて、僕に分かるはずもない。緑葉ならポケモン関連、赤火ならお人形とかで良いんだろうけれども……ふーむ、食べ物を買うってのも、無粋だよなぁ。とか何とか思いつつ、エレベーターに乗って、僕は四階を目指す。
僕だけを運んだエレベーターが停止して、僕は店内へと、足を踏み出した。
……四ヶ月ぐらい前になるのかな。緑葉とここに来た時は、少佐と出会ったんだっけ。ていうか、少佐、玉虫での出現率が高いよなぁ。少佐がポケモン図鑑に登録されたら、きっと朽葉と玉虫に分布されるんだろう。なーんてどうでも良いことを考えながら、僕は色々と、物色を始める。
前回来た時は、緑葉に便箋を買ったんだったか。ふむ……郵便屋さんだし、便箋もアリかな、と思ったけれど、プライベートにまで仕事関連のことを持ち出すのも、ちょっとナンセンスかもしれない。
まあ、あまり気負わせたくないし、僕自身、気遣ってもらいたくないからこういうことをしているわけだから……と、僕の足りないセンスで、木蘭さんへの贈り物は、あまり考えずに、小さな缶に入った、紅茶の葉にしてみた。
紅茶の葉。
……その商品を選ぶ際に、赤火と緑葉を足して二で割ったようなアイテムだな、とか考えたことは、記憶から消去。まあ飲み終わったら小物入れにでも使えるだろう、という機能面を考慮しての選択であった。価格は六百二十円。高いのか安いのか。まあ、僕的には妥当な値段である。
レジに並んで、千円札と引き替えに、商品とお釣りをいただく。と、図ったようなタイミングで、ポケギアが振動し始めた。今度はちゃんと、発信者の名前を確認する。
正真正銘、木蘭さんだった。
「はい、どうも」
「ど、どうもでーす……今一階にいるんだけど、ハクロ君、帰ったりしてないよね……?」
「そりゃ、まあ、流石に帰りませんよ……んーじゃ、僕も一階に向かいますんで、落ち合いましょう」
「あ、はい。待ってまーす……」
さて……と。
まあ、誕生日プレゼントを貰って、それにお返しして、というのは、別段不自然じゃないだろう。
今日、外に出してもらったお礼とか、日頃の感謝を込めてとか……そういう名目なら、結構自然だ。
それに、仕事であるとは言え、毎回毎回、郵便渡してもらったりしているし、色々と、気遣ってもらったりしているし。
それに……道場に通っている時から、お世話になってはいたしな。
渡したところで、変には思われないだろう。
……多分、僕と同じように、恐縮するんだろうけれど。
やっぱり、似たもの同士は、付き合い辛いんだよなぁ。
僕が木蘭さんを苦手だと思っているのは、年上だからじゃなくて、何処か、似通っているからなんだろうな……。