10
例えば愛情の欠片とか、
例えば劣情の思惑とか、
例えば友情の星屑とか、
例えば感情の亀裂とか、
例えば強情の怠惰とか、
例えば温情の価値とか、
例えば同情の余地とか、
例えば無情の空想とか、
例えば余情の関与とか、
例えば私情の狭量とか、
例えば慕情の幽体とか、
例えば欲情の濁流とか。
何とも言えない現象が連なって、
何とでも言える現状が連なって、
出来上がっているとか。
作り上がっているとか。
途上の途中。
練習の修練。
試作の作成。
そんなものを続けて、人が生きて。
そんなものを続けて、彼は生きて。
そんなことをせずに、僕は生きる。
そんなことを、唐突に思う。
そんなことで、鬱々と泣く。
そんなことが、最高に嫌い。
そんなことは、分かってる。
でも、
だけど、
それでも、
僕はらそれを、受け入れる。
そんな世界設計で、僕らは生きてる。
◇
いつもより、一度に流れていく物語の期間、あるいは分量が長い気がしたけれど、そもそも物語が僕が生まれた時から始まっていて、死ぬまで続くのだとしたら、長いのはどちらかと言うと、その時に起きていた事件――あるいは現象、災害だということになるのだろうと、僕は思う。
それは果たしてどこから連なっているんだろう、とか。
そんなことを、考えてみる。
思い起こせば、小さい頃、五歳とか、そのくらいの頃、僕は檜皮で暮らしていた。初めて起きた事件らしい事件と言えばその頃の話で、緑葉と一緒に姥目の森を探索して、迷子になって、鉄さんが助けてくれたことがあった。そんなことも、ちゃんと事件という勘定の中に入れられるのなら、僕の人生は恐ろしく、事件事件している。毎日、何かしらの事件が起きていると言ったって、過言ではないくらいに。
そして、逆に最新から事件を遡れば、今回、ポケモン屋敷に来る前――そう、だから、青藍兄さんに連絡を貰った辺りから、この物語の序章は始まっていたような気がする。それを遡ると空白があって、檜皮に里帰りした時の、上都地方のジムリーダーたち、さらには『幻』との遭遇があった。そこからまた何ヶ月か、時間があって――緑葉と久しぶりにあった一週間があった。二つの事件に巻き込まれて、周囲の人たちの助けによって、なんとか生きながらえたり。
それより前の、大きな事件となると――
そこが、父さん母さんの消失か。
いや、消失なんて、希望的な言葉で片付けるつもりもないけれど。死んでいるとも、思いたくないという感情は、どこかでまだ燻っているようで。
まあ、なんというか……。
そう考えてみると、今年の春を皮切りに、明らかに面倒事に巻き込まれるまでの時間間隔が、短くなっているような気がした。緑葉が関東に来たのは春先だし、里帰りしたのは八月頃。で、今月が、九月の半ば……だもんなぁ……。
これでこのあと、僕が豊縁地方に行って、変なことに巻き込まれたらたまったもんじゃないよなぁ、とか、夢想する。
まあ、どうなるかなんて分からないけれど。
そんなことも、頭の片隅に置いておいて。
当面は――目先のことを考えないといけない、か。
「やけに静かだな、ハクロ」
波乗りコンビの流れでか、陸地に上がった僕たちは、青藍兄さんと晶さんが先を、僕とギンさんが後ろを歩いていた。そんなわけで、やけに静かな僕に、ギンさんが話しかけてくれる。大人の余裕というか、単純に面倒見がいいのかもしれない。
「静かですか、僕」生意気な口調だな、と、言ったあとで感じる。
「ああ。口調がガキっぽくなくて、話し方が冗長なガキだったはずなのに、陸地に降りた途端に静かになったからなぁ」全て正解であった。ていうか、本当に僕、いい加減正しい日本語とかマスターした方が良い気がしてきた。「さっきもそうだったし、船酔いでもしたんじゃねーのか、とか思ってな」ギンさんは人懐こい笑みを浮かべる。「ていうかマジな話、大丈夫か?」
「あ、ええ、まあ。船酔いって言うか……うーん、なんでしょう、船に対する嫌な思い出があるから、気分悪いのかもしれません。いや、船っていうか海ですかね」
「ああ、そうなのか。じゃあ拷問だな、今」
ギンさんは愉快そうに笑う。僕も自然と笑えた。なんというか、何も気にせず、何も知らない人といるというのは、存外、心地良いものだった。まったく、僕の事情をほとんど知らない人間と会うって経験は、中々出来なかったからなぁ……なんてことを、ぼんやりと思う。
事情を知らない人との出逢い。
最近でこそ増えてきたけれど、それまでは全然、有り得なかったことだから。
僕が塞ぎ込んでいたからかもしれないけれど。
そういう人との出逢いって、案外、貴重なものだ。
……ああ、ある意味、木賊がそうなのか。
そうか、だからこんなに、気に掛けてしまうんだろうか。
なーんて。
「ところで、どのくらいの所にいるんだ、今」
「あ、えーと……」ギンさんが、双子島の内部構造のことを聞いているんじゃないということくらいは、流石の僕にも分かった。「どのくらいですかね、ちょっと混線してるんですけど、でも、圧倒的な力に僕たちが近づいているってのは、感覚的に分かりますよ。ほんと、距離にすると数十メートルとか……そのくらいです」
「え、そんな近いのか? なら言えよ」
ギンさんが僕の肩を小突く。心地良い痛み。マゾではない。
「いやぁ……でも、確信が持てないんですよね。生憎と、僕もフリーザーと対面した経験はないので」
「まあなぁ。いくら天才少年でも、それは無理か」
「天才ではないです」速攻否定。
「じゃあ奇跡の少年だな」瞬時に返答される。
それをからかうようでも、羨むようでも、妬むようでもなく、淡々と端的に言うから、僕も反論の余地がない。同様に、不満感も抱かないのだけれど……まあそれにしても、って感じで。
「どうでしょう、でも、寒くないですか?」僕は口にする。「奥地に近づくにつれて、冷えてきてますよね。これが、フリーザーのいる証拠なのかなぁ、なんて思ってますけど」
「んー……ちょっとな。革だし、中はあったか素材からまだマシだけど、それにしても、だな。さっきので、水分吸ってるし」
「ですよねぇ……ほんと、なんで僕パーカー一丁で来てるんでしょうね」
「さあ……深奥生まれだからじゃねえの?」
「いや、上都の生まれです。育ちはそうですけど」
「あ、そうなんだ。ふうん……じゃあ名前、漢字なのか?」
「あ、ええ、まあ」
「へえ、ハクロで漢字か……なんだろう、俺も一応、ちょっとは漢字は囓ってるんだけどな」
「別に、日常的に使うような文字の組み合わせですよ。読み方はちょっと、特殊ですけど」
「うーん……ハクロハクロ。日常――」
刹那。
瞬間。
一瞬。
瞬時。
そんな言葉が頭を駆けめぐる。電気信号となって、言葉ではなく、信号として、伝達した。その瞬間には僕は右手をポケットの中に突っ込んで、中にある存在の確認をしていた。周囲を見渡すと、晶さんが僕と同じような体勢を取っていた。青藍兄さんとギンさんが、それでも一秒の半分ほどの速度を置いて、同じような体勢を取った。否、ギンさんに至ってはすでにモンスターボールを投擲しよう、と考えているようだった。選んだポケモンは、リザードン。それは、月が満ち、欠けることと同じように、当たり前の選択だった。そう、この場において、水ポケモンが大量に犇めく双子島内部において、炎タイプのリザードンを投擲しよう、と考えるその精神。一瞬のうちなのか、それとも何時間も前からシミュレーションしていたのか、とにもかくにも、冷静な判断。
「ハクロ、いるか」
「いる」青藍兄さんの声に、僕は答える。それは、僕の安否と存在と、強大なポケモンの存在を確かめるための問いかけだった。「前方だ」
「動くな」忠告のための発言。
「誰も動いてない」僕は答える。
「賢明な判断だ」青藍兄さんは呟いた。「晶さん、ギンさん、いますよね」自分で確認しようとなどしない。視線は、前方をただひたすら捉えていた。
「ああ……」
「ええ」
二人は答える。
僕は、三人を交互に見渡した。
みんないる。
全員が全員、悪寒を感じていた。
殺意、と言い換えてもいい。
死。
そんな言葉を、僕は感じた。
いや、初めて知った。
そんな恐ろしさ。
禍々しい、雰囲気を。
伝説とはそういうものだ。
空気がそう告げているような。
死ぬかと思った、という言葉の概念を、初めて理解した。
「大丈夫、みたいだな」青藍兄さんが言う。この四人の中でもっとも冷静で、もっとも剣呑だった。「どうやら、俺たちに向けられた殺意じゃないらしい……」
「ポケモン同士、なのかな」僕は右手を解いて、モンスターボールをポケットの中に落とした。「今のは凄かったね。自然災害の方がもっと優しい気がする」
「確かにな」青藍兄さんも、モンスターボールを元の位置に収納した。
「ああ……危なかった。あいつらを目の前にして正気でいられるような人間がいたら、そいつは人間じゃねぇな」ギンさんはモンスターボールをしまう。「いや、それにしても、強大だった。今の、本当にポケモンなのか?」
「どうなんでしょう……」晶さんも、同様に構えを解く。意外にも、冷静だった。「この種の視線の中でも、攻撃的な感情は、あまり馴染みがないので」
その言葉を、他の二人がどう感じ取ったのかは分からないけれど、僕には違和感でしかなかった。否、晶さんという人間が、普通のトレーナーでないことの証左とでも言うべきか。
僕たちは、立ち止まったままだった。
「どうする……? 思ってたより、ヤバそうじゃないか?」ギンさんが、いつもの調子で言う。「あっちは野生だからな。ルールもへったくれもなく、人間を攻撃してくることだってある。それを考えると……ぞっとしねぇな」
「まあ、有り得るでしょうね……」青藍兄さんも、腕を組んで、頷いた。「でも、逃げられます?」
青藍兄さんは振り返り、ギンさんに問う。
ギンさんは静かに首を振った。
口元には、笑みを携えている。
……そう、逃げられるはずがなかった。
こんな強大な力を目の前にして、怖じ気づくようだったら、そいつはポケモントレーナーであることを諦めた方がいいだろう。
そのくらいに、強大なもの。
そのくらいに、絶大なもの。
「とりあえず、決戦前に、準備をしておかないといけないだろうな」ギンさんが言う。「先陣を切るヤツも決めないといけないしな」
まるでゲームだ、と僕は思う。
大戦の前に、休憩、準備とか。
まあ、それを判断出来る才能、感覚がなければ、そんなことも出来ないんだろうけれども。
そう、一歩進んだら大戦になる、という判断力。
それは、現実世界においては、案外、出来なかったりするものだ。それを出来る人間が、決断をしていくんだろう。
「まず、どうするかを決めないといけませんよね」青藍兄さんが言う。既に落ち着いていた。近くにフリーザーがいるというだけで怯えている僕とは、大違い。「伝説を倒すのか、捕まえるのか、会うだけ会って図鑑に登録して、逃げ出すのか」
「そりゃお前、ポケモントレーナーとしては、是非にでもゲットしたいところだが……」ギンさんは周囲を見渡す。「どうだろうなぁ、四人もいたら、戦争になるな。フリーザーとの戦いの方が、スマートな争いだよ」
「あ、僕は早速離脱します」僕は手を上げた。捕まえるつもりどころか、空のモンスターボールすら持ち合わせていなかった。「一匹で手一杯なんで」
「そうか? んじゃ遠慮なく、ハクロからは捕獲権を剥奪しよう」
「私は、フリーザーを目の前にしたらどうなるかは分かりませんけど、ハクロ君と同じように、今のところは捕まえる気はありませんね」晶さんも、控えめに挙手していた。「彼と同じように、今の手持ちの育成だけでも、手一杯という感じがありますし、あとで図鑑に登録だけさせていただければ……という感じです。持て余すでしょうし」
「なるほど。で、青藍は当然……」
「早い者勝ちですよね?」青藍兄さんが答える。
どちらも目がギラギラしていた。
まあ、分からないでもないけれど。
ポケモントレーナーって人種は、そもそもがそうした集団だ。
珍しいポケモンは手に入れなければ気が済まない。
むしろ、伝説を目の前にして、抜け駆けしようとしない青藍兄さんとギンさんの紳士っぷりに、僕としては驚いていた。
僕の知っているポケモントレーナー――緑葉、木賊、筑紫。その三人だったら、我先にと空のモンスターボールを手に取って伝説に向かっていく姿が、容易に想像出来た。そして返り討ちになりそうな予感も。
――ギンさんと、青藍兄さんにあるものは何なのだろう。
そこにあるのは、余裕なのか。
それとも……それすら計算の上に成り立っている行動なのか。
考えてはみたけれど、そんなことが、ポケモンに興味のないことでお馴染みの僕に分かるはずもなかった。
「とりあえず、道具を配置換えしておこう。いつでも回復出来るようにな」ギンさんは体中についているポケットの中から、道具を出して、収納して、と繰り返している。モンスターボールを一番取り出しやすい位置に納める辺り、流石だと思った。「どうする、二人がかりで行くか?」
「ダブルバトル……まあセオリーに反してはいませんけど」青藍兄さんが答えている。僕と晶さんは、実に静かだ。「相手も二匹出て来たら、恐ろしいですね」
「ああ、そうか、そういうこともあるのか……」
「二匹って?」僕は訊ねる。
「うん、つまり……フリーザーの子どもを守るために、今、親のフリーザーが暴れているという状態なわけだ。そうなると、子どもが勝負をしかけてくる可能性もあるだろ?」
「でも、子どもでしょ? 未熟なわけだし」
「だが伝説だ」
まるでその言葉が、強さの証明であるかのように、青藍兄さんは言う。それは、天才とか、絶対とか、そういう言葉と程近い単語に聞き取れた。
絶対的な力の在処。
強いから伝説なのか。
伝説だから強いのか。
そんな疑問も、湧いてくる。
「とりあえず、消去法で、僕と青藍が先陣を切ることにしよう」ギンさんが言う。やはり僕という一人称が、未だに馴染めない。「晶さんとハクロは、まあ……僕らが死にそうになったら、援護してくれ」
「そうですね」晶さんは何でもないように頷いた。
「まあ、それはいいんですけど……少佐たちを待たなくていいもんなんでしょうか。今更ですけど」
「待ってもいいが、分母が大きくなるだろ?」
伝説を捕獲する権利について言っているらしかった。
これだからポケモントレーナーって連中は、分からない。いや、分からないでも、ないのかもしれないけど。でも、分かりたくない。そんな矛盾。
分かるからこそ、分かりたくないのかもしれない。
そんな、自分の命より、スリル満点の冒険にロマンを感じてしまうような体質、性質、僕は感じ取りたくなかった。
いつだって、命あっての人生だろう。
そう思っているのに。
「さて……青藍、準備は?」
「私はこの通りです」
青藍兄さんはまるで変化してなかったが、明らかに左人差し指が僕をさしていた。いやいやいやいや。おかしすぎる。けど、確かに僕、青藍兄さんからボディガード役として連れてこられてるんだよな……そんな設定、うっかり忘れてしまいそうだったけど。
「僕は戦わないよ? 最後まで」
「いるだけでいいんだよ」
まあ、何とかなるのかなぁ。
「まあ、ハクロがいるし大丈夫だろ」
「いや、ギンさんも、なんか僕のこと過大評価しすぎてません? ていうか、ポケモン一回も出してないじゃないですか、僕」
「ん、あー……あのな、すぐポケモンに頼らないようなヤツが、一番恐ろしいんだよ」
ギンさんは、呑気な口調で言う。
「良い刀持ってるヤツほど、鞘から抜かないもんだ」
そう言って、ギンさんは、洞窟の奥地へと視線を向けた。そこには、フリーザーがいるのかもしれない。違うかもしれない。だけれど、明らかすぎるまでの強大な力が潜んでいることは、確かだった。
「じゃ、先陣を切ります」
青藍兄さんが、晶さんに振り返り、そう告げる。
「ええ、じゃあ、護衛を担当しますね」
晶さんは笑顔でそう言ってから、すぐ横にいる僕に視線を向けた。そして――
「安心してください、私もそれなりに、戦えますから」
と、静かな口調で言った。
どういう意図かは分からなかったけれど。
その笑顔の下に、僕の知らない種類の力があるような、そんな気がした。
◇
氷。
冷。
凍、寒、雪、青、水、羽、翼、嘴、尾、線、流。
そんな言葉が次々と浮かんでは消えて、僕の目の前は、白と青に染まった。
氷の飛礫。
雪の幼体。
青の衝撃。
白の偶発。
まるで光に包まれているような、氷に閉ざされているような、そんな錯覚が、目の前で浮かんだ。
そしてすぐに、弾ける。
夢のような。
現のような。
理想のような――幻想のような。
虚実のような――現実のような。
絶対的な、配下の元で。
「行くぞ!」誰かが言った。男の声だ。ギンさんかもしれない、青藍兄さんかもしれない。僕だろうか? 晶さんでは、少なくとも「青藍!」ないようだギンさんが青藍兄さんを呼んでいる声が聞こえ「俺も行きます!」た青藍兄さんが返事をする僕は右手をモンスター「ハクロ君、目を逸らさないでね」ボールを手に逸らすはずがないじゃないですか「そうね、でも、私も逸らせないから、ハクロ君を見てられないの」持っていたそうですよね僕も釘付けで誰かを見ている余裕なんてな「リザードン!」いわけ「サンダース!」だからまあ仕方ないよなというか青藍兄さんサンダースなんて持っ「私たちは、ひとまず様子を「リザードン、火炎放射!」「サンダース、影分身だ!」見ていた方が良さそうね」てたんだというか行動早いな二人とも。
……一瞬だけ、目を閉じる。
……緑葉の顔を、思い出す。
元気にしてるかな。
寝てるかな。
元気にしていて、
気にしてなければ、
一番いいけれど。
…………………………よし。
再起動完了。
目を開いた。
「あれ……なんか、大丈夫ですね」
僕はそんな言葉を漏らした。
「何が?」晶さんは尋ねる。
「あ、えっと、思ってたより普通でした」
「だから、何が?」晶さんは、少し笑う。
「伝説が、ですね」
僕は目の前の光景を、分析する。
そこまで神々しいというわけではない立地条件。陸地と、海辺。その二者に属さない場所に、伝説は――フリーザーは、存在していた。対峙してすぐに、両翼を左右に広げ、無警戒にも僕たち人間に視線を向けずに、洞窟の上部に向けて、雄叫びを上げていた。本能的な恐怖だろうか。野生のポケモンたちのような、攻撃的な気持ちがあるわけではない。捕獲し、服従させるつもりだという気持ちで満たされた人間たちが、フリーザーを観察している。その視線を受けきれずに、困惑しているのかもしれない。
雄叫びを上げて、警戒していた。
そして、すぐに、両翼を下げた。
蹲るような体勢に変化する。
その行動は……意外。あるいは、予想外だった。
それはもしかしたら、僕らの力量を把握して、威嚇行動をやめたのかもしれない。
威嚇だけでは、追い払えない、と思ったのか。
それとも――威嚇する必要性すらないと、感じたのか。
そしてリザードンは、火炎放射を発した。
フリーザーは、先手を取らない。
どころか、行動すらも、起こさなかった。
「効いてんのか! これ!」ギンさんが大声を上げた。リザードンの火炎放射を受けても、微動だにしないフリーザーに対しての発言のようだった。「くっそ! 流石に違うな!」
……どう聞いても、楽しそうだなぁ。
強者を求めて生きている人間にとっては、これほど楽しい野生バトルも、ないのかもしれない。
「なあハクロ、どのくらい強いのか、お前に分かるか!」青藍兄さんの声だった。「サンダース、もう一度影分身だ!」
「すごい強いよ! この一帯に強いポケモンがいすぎて、感覚が鈍ってるけど、でも少なくとも、ギンさんと青藍兄さんのポケモンたちよりは強い! 八割は熟成してる!」
「はぁ! そいつは傑作だな!」
ギンさんが笑い声を上げた。
「青藍! お前、ポケモンの数は!」
何故だろう、全員が全員、声を張り上げていた。
フリーザーが断続的に鳴くからかもしれない。
何匹いるのか分からないような錯覚をするほど、轟音で、尚かつ、洞窟内に反響し、木霊する。
僕らは単純に、声を張り上げていないと、立っていられない。
「全部で四匹です!」
「俺がさっき捕まえたパルシェンも頭数に入れると、五匹。晶さんは!」
「私は三匹です」大声ではないのに、よく通る声だった。
「ハクロは!」
「一匹です……!」
「そうか!」
強調する部分を間違えた気がしたけれど、そのまま突っ切ることにした。いやだって仕方ないよね! それ以外にポケモン持ってないんだし! ていうかさっきもこの確認した気がする!
「全員合わせて十三匹」ギンさんがフリーザーを睨み付けながら言う。「まあなんとかなるだろう。リザードン、懲りずに火炎放射だ!」
リザードンが、口の中から炎を漏らす。サンダースは既に行動を始めていて、僕にはうっすらと残像が見えている程度だった。
影分身。
サンダースがいる部分だけ、視界が破壊されているような錯覚。あるいは、順当に、錯覚なのかもしれない。
瞬間――フリーザーが動いた。
その場にいた四人の人間全員が、身構える。
命令を下されたリザードンすら、伝説の挙動に、絶対である主からの指令を行わなかった。否、行えなかったと言った方が正しいのかもしれない。
――――――――!
――! ――――!
――――――――、――――。―――――――――! ――! ――! ――!
まるで音ではないような、フリーザーの鳴き声。そのすぐあとに、世界を白が襲った。どこか、懐かしい記憶すら、甦る。
吹雪。
鋒での、吹雪なのか。
それとも、先生との修行の中でのものなのか。
「――か! ハク――」遠くに、幽かに、青藍兄さんの声らしき音が、存在しているような気がした。「――りゃ、――えな!」恐らくギンさんの声。
「外野でもこれだものね……!」
吹き飛ばされないようになのか、それとも僕を守っているのか、晶さんは僕の肩を掴んでいた。自然、距離が近くなり、声もよく聞こえた。
「これを直接受けているポケモンたちは、どれだけ頑丈なんだ、って思いますね、ホント」
「本当に……というか、ハクロ君、よく無事ですね」
「あ、ええ、まあ」僕は簡単に頷く。一応、踏ん張ってはいるのだけれど、それでも余裕があった。「深奥の山奥に住んでたんで、この程度だったら、慣れてます。床が濡れてるのがちょっと不安ですけど、雪原に比べたら、まあ、安定してますよ」
「……頼もしいですね」
晶さんは微笑む。しかし僕の肩を掴んだままだった。どうやら、こうした冷たい風に対する耐性が、あまり高くない様子だ。
まあ……僕だって、何も深奥地方に生きていたから、こうした風に慣れているというわけではない。
ポケモンが巻き起こす吹雪。そういうもの自体に、僕は馴染みがあった。今現在、ギンさんと青藍兄さんがいる位置――ポケモントレーナーとしての、ポケモンにもっとも近い位置――に、僕は小さい頃、何度も立っていた。そしてその度に、同じような現象に、巻き込まれていた。
冬の柳。
生まれたことが切なくなるほど、冷たく、寂しく、苦しい。
それでも、この距離で食らう程度では、先生のポケモンが繰り出すそれに比べたら、僕にとっては、そよ風のようなものだった。
「……止んだか」
ギンさんが発言した。見れば――戦闘開始直後、勇んで火炎放射を放ったリザードンは、無惨にも崩れ落ちていた。それも当然だった。リザードンは、炎タイプと飛行タイプを有す、珍種であった。氷タイプに対しては、その特異さが顕著だった。
炎は、氷タイプの弱点である。
がしかし、氷タイプは、飛行タイプの弱点でもある。その要因は、恐らく飛行をするために軽量化された翼が受ける低温でのダメージが、あまりに効率よく、吸収されてしまうからだろう。
そんな、表裏一体さ。
自分の攻撃を効率よく与える一方で、相手の攻撃を効率よく受けてしまう関係性。ギンさんは、そこまで愚かではない。何しろエリートトレーナーで、尚かつ、今まで接してきた短時間の中だけでも、その特徴的なトレーナーの勘は、ビシビシと、感じ取れていた。にも関わらずリザードンの選抜し、その結果、吹雪の一撃でリザードンは力尽きていた。
単純な、力量差だった。
そう、圧倒的な、力量差。
「そもそも、飛行じゃなくても一撃でやられてたんじゃねーのかこれ!」ギンさんはしかし、楽しそうだった。「リザードンちょっと待っててくれよ! よし次、エレブー!」
セオリー通りの選択。
否、単純とも言える。
氷タイプであると同時に、三鳥と呼ばれることから推測されるように、恐らく飛行タイプであるフリーザーに対して、ギンさんは、雷タイプのエレブーをけしかけた。
青藍兄さんも、恐らくはその読み方をしているのだろう。
戦場には、二匹の雷ポケモン。
そして、伝説が一匹。
「サンダースは無事みたいだな」ギンさんが言う。
「ええ、大丈夫です。行きましょう」
「よし、エレブー、雷パンチだ!」
「サンダース、十万ボルト!」
流石というか、何というか。
青藍兄さんのポケモンの技構成は、明らかに常識的ではなかった。どちらも、サンダースが自然と覚える技ではないはずである。青藍兄さんは、本当に、戦闘に対して冷徹だった。否、勝つために、生きるために、楽しむために、必死なのかもしれない。
技マシンだって、安価じゃないだろうに。
それを惜しむことなく、つぎ込んでいるのだろう。
「いいですね」晶さんが言う。「青藍さんは理知的だし、ギンさんは情熱的なバトルをしてる。素敵」
笑っているようだった。
この状況下で。
それだけで、ただ者ではないことは、十二分に理解出来る。いや、むしろギンさんや青藍兄さんよりも優れているのではないかと、僕の本能が告げているレベルだった。
そして再び――――吹雪。
錯覚なのかもしれない。けれど、一度目のそれよりも遥かに白さが増した吹雪が、この時、舞った。もう誰も、口を開こうと試みるものはいない。ただじっと、吹雪の猛攻を耐えようと、目を閉じ、終わりを待っていた。
しかし生憎なのか、それとも運良くなのか、あるいはサンダースの場合においては、当然の如く、とでも言うべきなのか――
二匹のポケモンは、その雪の網をかいくぐり、フリーザー自身へと、到達する。
ダメージを、一切受けぬまま。
大戦では、こうした奇跡が、頻繁に起こる。
「よし、いいぞ!」ギンさんは、拳を握っていた。今まさに、エレブーが腕を引き、それを繰りだそう、というところだった。
しかし直前に、サンダースによる十万ボルトの電流が放出される。実際のところ、何ボルトの電流なのかは分からないけれど、それでも、人間が食らったらタダでは済まない攻撃であることは、見ているだけでも、十分に理解出来る。
フリーザーに電流が走り、攻撃を受けて光り出す。
刹那、目前の光景が、さらに光った。
そして、追撃。
鈍い音が炸裂し、スパーク!
まるで落雷したかのような――轟音。
「よし、いいぞエレブー!」ギンさんが大声を張り上げた。「一旦引いて、もう一度雷パンチだ!」
「タイプの相性が良くても、二匹で相手にしていても、成熟した野生のポケモンは、どうにもなりませんね!」青藍兄さんは後ろを振り返った。「サンダース、高速移動! ハクロ! お前、何が分かる!」
「大体は分かる!」僕は言った。「ようやくちゃんと見えてきたからね。フリーザーは、人智を超えてるよ! 普通の人間が到達出来るようなレベルじゃない!」
「だろうな! だからこそ、俺はコイツが欲しい!」
ギンさんは叫んでいる。
隣で晶さんが、息を漏らしたような気がした。
仕方のない人たちだ、とでも言うように。
「流石の僕でも、こいつがどんな技を使うのかは分からないけど、どうだろう、体力の六分の一……いや、五分の一は削れたんじゃないかな!」
「分かった!」
青藍兄さんはそれだけ言った。
既に、フリーザーと対峙している。
エレブーはギンさんに指示された通り、一度、フリーザーから距離をとった。普通のポケモンならどんなものでも取る行動だが、あまりに強大なポケモンの手前、エレブーもギンさんも、緊張していたのだろう。着実な意思疎通が、重要のようだった。
対して青藍兄さんとサンダースのコンビは――晶さんが評価した通り、理知的に、あくまで理論的に、戦闘を進めているように見えた。回避率を上げ、ダメージの推移を覗う。そして今度は、先手を取るために、高速移動を行う――つまりそれは、次回からの攻撃を素早く行うための、スタート設定。人間で言うところの、クラウチングスタートの体勢を取るような行動だった。
もしこの戦いがターン制だとするなら――
初回、何の行動もしなかった、あるいは鳴き声を上げただけだと思われるフリーザーが、初手を取った。敵意を示している人間たちに対して、攻撃するでもなく、威嚇をするでもなく、初手、伝説はただひっそりと耐えていた。あるいはそれがカウンター攻撃の前兆かとも予見出来たけれど、今のところ、その反応は見られない。
サンダースは影分身を行い、リザードンは、火炎放射を放った。
それが、一ターン目。
そして次に、フリーザーが一発目の吹雪を放った。これが二ターン目のことだ。サンダースは同様に影分身をして回避率を高め、吹雪を回避。リザードンは直撃を受け、沈んでいく。
三ターン目。
フリーザーの吹雪をかいくぐり、エレブーとサンダースの攻撃がヒットした。劇的な変化。あるいは、ここで攻め入る手段が確実なものとなった。合計し、リザードンの火炎放射、エレブーの雷パンチ、サンダースの十万ボルトの三つを合計して――ようやく、フリーザーの体力の五分の一を減らせたに過ぎない。
にも関わらず。
フリーザーは、今までと違った行動を取った。
一瞬、その場にいた四人が、違和感を感じる。
――――吹雪が、起きなかった。
フリーザーが動き出す瞬間、反射的に、目を瞑っていた。しかし寒さを感じない。おかしい。異常だ。そう思って、順次、目を開けていく。
フリーザーがどんな行動を起こしたのか、僕らは全く、視界に入れていなかった。
そこにあったのは――――
「これは……」
無色透明の、壁。
あるいは、領域。
「リフレクターか、光の壁か……判断がつかないな」青藍兄さんが、ポツリと言った。「ギンさん、分かります?」
「いや……遠距離攻撃と近距離攻撃を同時に行ったからな……見た感じは、リフレクターに近いとは思うんだが……晶さんは?」
「ええ、リフレクターじゃないですか?」晶さんはさも当然と言った様子だった。「明度で大体、分かります。洞窟内なので、少し不安ですけど……恐らく、そうです。特殊攻撃をメインにした方が良さそうですね」
「とは言っても……なぁ!」ギンさんが叫び声を上げた時には、既にエレブーは行動を始めていた。右手を引き、疾走。「まあいいや! 急所狙え!」
フリーザーはその壁に介して、エレブーの雷を帯びた拳を受けた。差し込む光が、その壁で屈折している。拳が壁にめり込み、光の反射が変化する。
「リフレクターで良かったみたいね」
晶さんが隣で微笑んだ。
何も好転はしていないけれど。
「まあ、状況を判断出来ているうちは、問題はないのかもなぁ」
なんてことを、僕は独りごちる。
程よい緊張感と、限りない他人事の狭間。
僕の立ち位置は、割と居心地が良かった。
「冷静ですね」隣の晶さんが、呟く。「それとも、うずうずしていて、不安が消え去ったとかですか?」
「まさか、そんなことないです」
僕は嘘をついた。
「そう? 私は、変わってもらいたいくらいですけど」
晶さんはそう言って、視線をフリーザーに戻す。
誰かに似ているような気がした。
当然、こんな状況で思い出せるはずがない。
「エレブー、雷だ!」
「サンダース、電磁波!」
青藍兄さんが命令を下すと同時に、サンダースは地面を蹴り――まさに電気のような速度で――フリーザーに近づいた。直接的な攻撃ではなかった。自身が纏った電気エネルギーを、放出している。本来、生き物に対して悪影響を与えるような現象ではない。ポケギアだって、テレビだってラジオだって、それの恩恵を受けている。
そんな、一般的な『電磁波』とは一線を画す攻撃。
電波でもなく、赤外線や、紫外線とも違う。
直接触れ合わずに、相手を電波によって束縛する。
その俗称を得ているに過ぎないのだろう。
「よくやった!」青藍兄さんが吠える。攻撃が成功したようだった。
超高速で動く生物へと変貌しているサンダース。
影分身、高速移動、十万ボルト、電磁波。
何となく、技が出揃ったことを確認してしまう。
フリーザーは電磁波を浴び――動きを鈍くする。
麻痺だった。
睡眠に比べて、拘束力の劣る状態異常ではあるが――それでも、動きを鈍らせ、時には攻撃の発生をも封じる、効果的な状態異常。
「サンキューサンダース!」次にギンさんが大声を上げた。ダブルバトルでの、醍醐味と言えた。「よし行けエレブー! 雷だ!」
地鳴りを起こすかのような足踏みをして、エレブーの頭部で、電流が交錯する。分厚いゴムを思い切り引き延ばして、引きちぎったかのような音。それが何度も何度も、響いていた。
思わず、耳を塞ぐ。
その直後の――落雷!
しかし――
「くそ!」
命中しない。
サンダースによる十万ボルトや、電気ショック、あるいは先ほどの電磁波――並びに様々な電気タイプの攻撃があるが、中でも雷のように、自身から直接相手に向けて放出するタイプではないものは、命中率が、極端に低い。
上空から、相手に落とす。
空から地への一線だからこそ、その攻撃の精度は低い。
「いいさ、失敗は今は忘れろ、もう一度だ!」ギンさんは叫ぶ。「当たるまで繰り返せ!」
躍起になっている――わけではない。
セオリー通り。エレブーの技構成までは分からないけれど、リフレクターで打撃攻撃を防がれたのなら、一度外れても、二回目で雷が当たれば、そちらの方が、効果的であるはずだ。もっとも、エレブーの育成の仕方にもよるだろうけれど――
「サンダース、十万ボルト」
青藍兄さんはあくまでも冷静に、指令を告げる。僕はサンダースとフリーザーに焦点を合わせ、その光景を眺めていた。
麻痺により、動きが鈍くなっているフリーザー。攻撃することは愚か、素早さの点で勝っていても、先手を取ることすら出来なくなっている。
一方で、高速移動、体勢を整えることによって瞬発力、行動力を跳ね上げたサンダースは、脱兎の如く――サンダースはウサギじゃないかもしれないけれど――駆け出し、跳ね、直接的な攻撃ではないまでも、十万ボルトを、フリーザーに放出した。
結合していたものを、分離させるような。
そんな激しい音が、炸裂する。
「難しいですね」僕と同じく、サンダースとフリーザーの戦闘を眺めていた晶さんが言う。「どうなると思います? ハクロ君は」
「勝敗ですか? いや、なんていうか、この状態は辛いですよね。こう……こっちは捕獲する気で、倒せないから、判断が鈍る。一方で、向こうは倒す気満々なわけですから……本気ですもんね」
「ええ。でも、こちらも本気でかからないといけませんよね。本気を出さずに敵う相手ではない……と思いますよ、見たところ」
それは、晶さんがギンさんと青藍兄さんの力量を見ての発言なのかもしれなかった。
ただ状況を判断しているだけなのか、それとも、晶さん本人と比べての発言なのか――それは分からなかったけれど。
僕は視線を、サンダース、フリーザー、晶さんへと向けたあと、次に行動を起こすであろうエレブーへと移した。
瞬間――
何が起きているのかを理解するのに、
一瞬だけ、
思考回路が、
誤作動を起こしていた。
目の前に見えた問題を解決するために、おかしな方向へと、処理が行われる。否、有り得ない。え、何が? 何が有り得ない? そう。うん。そうだ。様々な憶測。つまり……、だから。ダメージを受けていた、天候。空を見上げる。霰。降っていない。そう、ならばサンダースもダメージを受けているはず。じゃあ、何が起きたのか。こんなことは、起こり得るのか。こんなことって? だから――
ギンさんと、目が合う。
「お前、見てたか?」控えめな声。でも、僕には届いた。
「いや、見てませんでした」僕は言う。
「何が分かる?」ギンさんが言う。僕を測定器と勘違いしている可能性もある。
「ダメージを、受けているということは」
僕は言う。
エレブーが、ダメージを受けていた。
どこからか、攻撃を、受けていた。
それは何故?
理解は出来ない。
「何が起きてる?」ギンさんは戸惑っている。しかしその間にも、エレブーは頭上で電力を上げ、攻撃体勢を完了させ、それを行動に移していた。「いや、とにかくエレブー、雷だ! 惑うな!」
エレブーは、行動する。
しかしエレブー――どう見ても。
致命傷を、受けていた。
霰や、持続効果のある攻撃からのダメージであるのなら、致命傷に成り得るはずがない。
否、この場合では、致命傷であることこそが、信じられない。違和感の正体と言っても、過言ではなかった。
つまり、レベル差から言って、フリーザーの攻撃がエレブーにヒットしていたとするならば――当然フリーザーは行動してはいないのだけれど――一撃で即死していておかしくはない。否、即死していなければ、おかしいのだ。無論、一撃を耐えるだけの道具を持っていたり、そうした行動を予め取っていれば、生き残ることもおかしくはない。しかし、当のトレーナーであるギンさんが、驚いている。それが何よりもの、証拠。
考えている間にも、エレブーは行動を遂行する。
雷が起こる。
轟音。
それが――今度は、直撃した。
二回で一度のヒットでも、その効果は、強大。
「よし」ギンさんは拳を上げた。しかし、声に張りがない。今しがた起きた現象に、理解を示しきれていない。「エレブー、よくやった。ハクロ、どうだ」
「………………あ、ええ」ギンさんの質問を理解するのに手間取る。脳の速度が足りない。「結構、食らってはいるみたいです。ですけど、なんか、なんか……なんか、おかしくありません?」僕は訊かずにはいられない。「エレブー、攻撃されました? え、されてませんよね? 見てました? フリーザー、動いてませんよね」
「いや……」ギンさんは首を振る。「何か、食らったような気がするんだが、それが分からない。一瞬、頭の中が真っ白になりかけた」
「何をですか?」
「分からない、サンダースが攻撃するよりも前に、何か――」
瞬間、時間が凍結した。
「サンダース!」
青藍兄さんの叫び声が上がった。
世界中の時間が溶け出す。
僕の視線が動く。眼球が動いたのが確認出来た。
限りない稼働。暗い洞窟内にて、淡く発光している、黄色い四足歩行の動物を探す。それを視界に捕らえ/既に/僕は視る/凍結/凍結/凍結/凍結/凍結/凍結/凍結/、/、/、/、/、/。/。/。/。/。
サンダース――
力尽きていた。
否、凍結していた。
氷状態、などという、生やさしい状態ではない。
地面に横たわって、身動きを取れずにいた。
何が――
起きた?
「サンダース」僕は口に出している。「え、どうして」ギンさんを見る。その目は倒れたサンダースを捉えている。エレブーはダメージを受けているが、生きている。「晶さん」僕は視線を晶さんに向ける。晶さんも、サンダースを見ていた。
フリーザーを見た。
麻痺をしているが、しかし。
何かを、行っていた。何かを、行ったあとだった。既に、行動を終了していた。倒れたサンダースに視線を向けたまま、何かをしたあとのポーズのまま、止まっていた。
「晶さん」
「見てた、今の」
「見てませんでした」
「何が起きたと思う」晶さんは、口調が変化していた。否、それが自然体だとでも言うように。視線も、体も、硬直したまま、口だけが別の生き物のように、稼働している。「今、フリーザーが攻撃したの」
「だと思います」
「絶対零度」
晶さんが、口にした。
絶対零度。
聞き覚えのある、言葉。
「知ってる?」
「え、ええ、それは……」絶対零度。知っていた。それは、僕がポケモントレーナーたちと多く関わっているから、というだけの理由ではない。先生が氷ポケモンの使い手であり、その人に、何度も何度も、教えを賜ってきたからだった。「でも、確かに氷タイプだから使えるとしたって――え、今、食らったんですか? サンダースが?」
「ええ、そうでしょうね」
「一撃で?」
「当たる時は、当たるでしょうけれど……」
晶さんが頷く。
頭脳が理解を放棄し、混乱を始める。
一度目を瞑った。
働け、僕の頭。
このターンのことを考えた。戦闘が始まってから、行動の回数を考えれば――今は、五ターン目だった。サンダースは、素早い。トレーナーに育てられていると考えれば、十分に育ってもいる。相手とのレベル差があるとは言え――麻痺をさせ、高速移動による速度の上昇もしているのだから、先手を取れて当然だろう。だから僕は、一番先に動くであろうサンダースに、焦点を合わせていた。
そしてサンダースが動き、十万ボルトを、麻痺によって弱っているフリーザーに浴びせた。それよる体力の減少を見届けたあと、僕は視線を、エレブーに移した。麻痺をしているとは言え、フリーザーが先手を取るかもしれないとは思えたが、経験則から、そちらに視線を移動した。
その時既に、エレブーはダメージを受けていた。
ここが、違和感の始まり。
否、違和感はもう少し前に、起きていた。
もう少し前? 違う、最初から、違和感だらけだった。
エレブーはそして、雷を起こした。
フリーザーは、それを食らった。
そして、絶対零度を起こした――の、だろうか。
いや、当然、確率の低い、命中率の恐ろしく低い――あるいは雷よりも命中率が低くても――技であったとしても、百パーセント外れる、というわけではないのだから、当たったとしても、不思議ではない。麻痺の状態であろうと、影分身による回避率向上効果があったとしても、そんなものは関係がない。絶対零度は、そもそも、相手を狙って行う行動ではないのだから、個体の回避率、及び命中率の高さなど、考慮すべき問題ではない。先生に、教えられた記憶が甦る。
絶対零度が凍結するのは、個体ではない。
空間座標、そのものである。
だから――フリーザーが凍結した場所に、サンダースが運悪く存在していたのだとするならば、その命中も、起き得て当然のことであったはずだ。しかし、その一つ前に起きた、エレブーに対する攻撃、開戦当初の無意味な行動、幾度とあった違和感。
それらを考慮した上での判断。
――可能性が、一つだけあった。
「兄さん!」僕は思わず、叫んでいた。「勘違いだ! ごめん、全然分からなかった。全く同じなんだ! 雰囲気も、空気も、そのポケモンが持ってる印象も――全部一緒だった」
青藍兄さんは僕を見て、頷いた。
「別に、謝らなくていい」
「だけど、今やっと分かった。ようやく気づいた」僕は弁解するように、言葉にしていた。「これ、二対一なんかじゃない」
「ああ、どうやら、同じのがもう一匹いるな」
そして、青藍兄さんは、不敵に笑った。