『ポケモン3。』 - ポケモン3。
「まあ、なんていうか……エリートトレーナーにも階級はあるってことなんだろうなぁ」
「でしょうね。階級……ええ、良い響きです」
「こんな時に、不謹慎じゃないでしょうか?」
「……まあ、皆さんそれぞれの意見は、個々に見ると、正しいんだと、思いますけれど……今は解決策を練るのが良さそうな気がしないでも、ないんですが……」
 ギンさん、青藍兄さん、晶さんの順に発言をして、その最後尾を、僕が引き受け、一巡した会話は、余韻と残響だけを生み、消えていく。
 ここは双子島。
 ずぶ濡れの四人組は、しかし、ずぶ濡れてはいるものの、大した被害も受けずに、その場に直立していた。
「良かったなぁ、運が良くて」
「運が良いのは良いことですけど」ギンさんの言葉に、僕は苦言を返す。「他のエリートトレーナーさんたちがどうなったのか、考えるとぞっとしませんよ。通常通りの双子島でも危険なのに、こんな状況で、生きていられるのか、とか」
「まあ、マチス少佐が身を挺して助けに向かったんだ。気にすることもないだろう。双子島において――いや、海において、マチス少佐ほど戦闘に向いている人はいない。その付き人であるあの人も、恐らく向いている……だろうな。それに、あの体付きなら、ポケモンがいなくても生き残れるだろうよ」
 ギンさんは素っ気なく――現状でそこまで落ち着けることに、ある意味尊敬すら憶えるが――そう状況を判断して、露出している岩肌に、腰を降ろした。濡れに濡れた洞窟内に腰を降ろすという行為はあまりよろしくないようにも思えたが、革製の服だから、防水効果が少しは望めるのかもしれない。まあそもそも、全身ずぶ濡れであるわけだが。
「とりあえず……計画を立てるまでは、無理して動かない方が得策のようですね。ハクロ君、タオル使う?」
「あ、どうも……」
 晶さんは荷物の中からタオル(なんと計画的なことだろう、防水のケースに入れられていた)を取りだして、片手で自分の頭を拭きながら、僕に別のタオルを手渡してくれた。流石に海水が体中に染み込んでいくのは避けたかったので、僕はそれを有り難く受け取り、顔面を容赦なく拭き殴った。

 ◇

 さて。
 何が起きたか、僕はそろそろ自分に分からせてあげないといけない。
 つい数分前の、惨劇を。
 少佐の運転するボートに乗り込んだ僕たち(エリートトレーナー六名、少佐、付き人、僕の合計九人)は、先生たちより先に双子島へと到着し、順当に入り口から深部へと向かって歩き始めた。道中現れる野生のポケモンたちは、豪気なエリートトレーナーの皆さん(屈強な船乗り然とした人たちばかりである)や、少佐が蹴散らしていた。その後ろを僕ら四人が続いて、さらにその後ろに、付き人の方が続いていた。
 僕、来なくて良かったのでは、と思いながら。
 僕は歩きづらい洞窟の中を、ひた歩いていた。
 ダークライを繰り出すことは愚か、モンスターボールに触れる機会すらない、空虚な時間。まあ戦わずに済むのならそれはそれでいいな、とも思っていたし、青藍兄さんは完全に戦意がなく、ギンさんは退屈していて、晶さんはただただ澄ましていた。退屈することにも飽いて、呆けることにも興味を失いつつあった。
 そんな折。
 ふとした違和感を感じて、僕は立ち止まった。
 それに呼応するかのように――或いは僕よりも俊敏に、敏感に――全ての動作を止め、立ち止まる者が四名。
 先頭を切っていた三人は気にせず(或いは気づかず)歩を進め、少佐の付き人は最後尾にいたお陰で、立ち止まった五人に倣い、歩を止めることが出来た。
「止まれ!」
 少佐の叫び。
 次の瞬間。
 濁流が、僕の一寸先の空間を飲み込んで、歩き続けていたエリートトレーナーたちを横殴りにし、海中へと引きずり込んだ。
 そして悲鳴が完全に消えるより先に、少佐とその付き人は海へと飛び込んだのだった。

 ◇

「いやーしかし、これじゃ大損害だな」
 ギンさんは胡座をかきながら、腕に嵌めたポケッチを操作していたが、船内で聞いたような電子音は聞こえてこなかった。どうやら、先ほどの濁流を受けて、使い物にならなくなってしまったらしい。当然のように僕のポケギアも水浸しになっているし、外部との連絡は完全に断たれたと考えるのが正解のようだ。
「伝説と天秤にかけても、ですか?」青藍兄さんが、茶化すように言って、僕がつ買ったタオルで顔を拭いている。
「ちゃんと見られるようなら文句はないけどな」
「私なら、私財を全て投げ打ってでも見たいですけどね、伝説のポケモン。まあ、ポケッチも値が張りますから、お気持ちは分かりますけど」
「僕だってそうだ。だけどまあ、確証がないようじゃ、買ったばっかのコイツの方が価値がある」
 ギンさんと青藍兄さんは、何となく打ち解けた会話をしていた。性格は合ってないようだけど、馬は合うようだ。青藍兄さんが年上に対する礼節を知っている、というところか、それともギンさんが誰とでも打ち解けられる空気であるからなのか。
 何はともあれ、打ち解けるのが早いのは良いことだ。
 僕はふいに、視線を晶さんに移す。
 晶さんは、海水に濡れた髪の毛を乾かすためか、髪留めを解いて、綺麗な長髪をおろしていた。凜としたその光景に見とれる程度には、この空間にそれ以上に魅力的なものは存在していないらしい。
 双子島。
 洞窟内部。
 淡泊な色合いで、装飾されている。
「私のもダメですね。どうやら通信器機はやられてしまっているようです」晶さんがポケギアを操作しながら、眉間に皺を寄せながら呟く。「困りました」
「こんなことなら防水機能のついたのでも買っておくんだったなぁ」
 引き続きタオルで顔を拭きながら、青藍兄さんがぼんやりと言う。
 双子島という、孤島。
 その中で、さらに孤立する。
 ……まあそもそも、洞窟内で電波が通じるのかどうかという疑問が、前提としてあるにはあるんだけど。
「さーて、じゃあ、どうするか」
 立ち上がり、服についた水滴に手で払いながら、ギンさんは僕たちを見渡した。そのどうするか、という問いかけは、現状を打破するためにはどうするか、ではなく、この状況を一番効率良く楽しむにはどうすればいいかという、期待の意味合いが色濃く表れているように感じられた。
「どうします? ダブルバトルでもしましょうか?」
「兄さん、この状況を楽しんでるのは分かるけどさ……」一応突っ込みを入れておくことにした。自由な人が多すぎて、突っ込みが追いつかないんだけど。
「考えるまでもなく選択肢は三つですよね?」晶さんが三本の指を立てる。「退くか、進むか、留まるか。それ以外の選択は、ナンセンスです」
 全員が全員冷静で冷徹なおかげで、別段悪くもない空気が、一触即発のそれに見えて仕方がない。息苦しいのは、潮風だけが原因ではないように思えるのだけれど、その実どうなのだろうか。
 晶さんはそれなりに水分を拭き取れたらしく、長い長い黒髪を一つに纏め上げた。所謂ポニーテール、か。凜の一文字が、よく似合う。
「ここまで来たら、退くより進むが面白い。留まるより駆け出すが心地良い。座談するより、雑談しながら歩こうじゃないか。なあ、ハクロ」
「なんで僕に振るんですか」と、ギンさんに一応突っ込んでみた。やっぱり突っ込み要員が足りない。
「なんでって……今は僕チームと私チームで別れてるだろ?」さも当然、と言ったふうにギンさんが言う。分かれてねーよ。「まあ、どうせ退いたところで、安全ではあるがそれ以外に恩恵があるわけじゃないんだしな。どうせなら突き進んで、経験値を得ようぜ」
「まあ確かに、僕もどっちかって言われたら、進んだ方が気は楽ですけど……一人でも異論をお持ちの方がいるようなら、それを一考するのも、いいんじゃないかとか」
「異論? そんなもの唱えてるヤツ、いないだろ?」メンバーを見回しながら、ギンさんが言う。
「私はポケモンに狂ってますからね。異論があろうがなかろうが、一人でも進みますよ」
「私はどちらでも構いません。それにこの状況なら、一人で帰るより、全員で進んだ方が、安全ですしね」
 青藍兄さんも晶さんも、決して好戦的という性格ではないように思えるけれど、しかし冷めているわけでもない。どころか、エリートトレーナーになるような人たちだ。ポケモンに関して、無関心でいられるはずがない、のだろう。
 最悪、この中で一番無関心で、無興味なのが、僕だ。
 ダークライ以外のポケモンは、『ポケモン』であって、それ以上でも、以下でもない。
 一期一会の、ただそれだけの存在。
 二度会ったら、その時に思い出すだけ。
 想い続けるような要素では、決してない。
「まあ、僕も晶さんの意見に程近いですね。一人になるくらいなら、皆さんと一緒にいた方が、安全だし、安心出来るでしょうし」
「それじゃ決まりだな」ギンさんは大きく手を打ち鳴らして、話を纏め上げる。「先頭は……どうする? ギャグじゃねーけど、戦闘することになるヤツが必要だ」
「ギンさんでいいのでは?」頭を掻きながら、興味なさげに青藍兄さんが言う。「この中で一番まともに先頭に立てるのは、恐らく最年長のギンさんでしょう? その方が、まとまりはありますし」
 青藍兄さんの発言に、「異論ないです」と僕は呟いておいた。どちらかと言えば、賛成だ。
「私も異論はないですけど……意見なら」
 しかし晶さんだけが小さく手を上げた。
「どうぞ。何の因果か一行になれたんだ。言いたいことは言っておこうぜ」
「そうですね。では――反論ではなく、一応、訂正という形になるんですが……最年長なのは、私ということになると思います。すみません、どうでもいいことで」
「……あ、そうなんですか」青藍兄さんは、頭を人差し指で掻きながら、申し訳なさそうに頭を垂れた。「女性にそんなことを言わせてしまって申し訳ない。年齢に関する話題なんて、振らない方が良かったですね」
「いえ、そんな、気になさらないでください。ただ、勘違いしたままいるのも居心地が悪いですし、私が気になるだけですから。とにかく、先頭は、ギンさんにお任せしますね」
「了解。まあ、僕は年齢なんざどうでもいいんだけどな。キャラ的に年長者っぽければ、それでいい」
 僕も年齢なんざどうでもいい、と思ったけれど、ギンさんが二十六歳で、少なくとも晶さんが二十七歳以上だということを考えると、それについては少しだけ気になるってのも、正直なところだった。ああ、そうなると、晶さんは実は、枝梨花さんと同年代くらい、なのだろうか。その落ち着き振りたるや、有り得ない話ではなさそうだ。って、なんだかんだで年齢のことについて気にしてしまっている僕が存在しているようだった。
 誕生日だからかな。
 少し、敏感なのかもしれない。
 結局僕たちは、ギンさんを先頭に、戦闘行為の一切を任せて、進んでいた。ギンさん、青藍兄さん、晶さん、僕という順番で歩いていたので、必然的に会話は前二人と後ろ二人が別々に行うことになり、僕は得意でも苦手でもないタイプの、年上の女性と、他愛もない会話をすることと相成った。
 日頃、木蘭さんとよく話しているし、年上の女性の知り合いは何故か多いし(というか、それは単純に僕の年齢が低いからなんだろうけれど)、気に病むことはなかったけれど、なんとなく枝梨花さんを想像して、禁句を言ったりしないだろうかと不安になったりも、しないでもなかった。
 恋人はいるんですか?
 結婚はされてるんですか?
 お住まいはどちらに?
 などという話は、いくら僕がガキで世間知らずだというフィルターがかかっているとは言え、触れてはならない話題だろう。
「……じゃあ、その彼女さんは、何も知らずにポケモン屋敷で寝ているわけなんですね」
「はぁ……」
 なのに何故、僕はそういう話題を振られて、律儀に答えているのだろうか。
 いや、まあ、年上に逆らわないということは、大切なことだとは思うんだけど……何故僕はこうも、押しに弱いのだろうか。意味が分からない。
「夜中に目が醒めたりしたら、大変でしょうね。いえ、宿泊客の確認とかで、既に連絡は行ってるかもしれませんね……帰ったら、彼女さんに怒られるんじゃないですか?」
「あの、だから彼女ではないんですが……」何度目かになる訂正を試みるけれど、晶さんはにこやかな笑顔を返すだけだ。「まあ、多分……いえ、確実に怒られますね。かと言って、今から戻っても同じことですから、それならやることやってから帰ろうかな、という」
「男の子はそのくらい無鉄砲でいいと思いますけど、待たされる女の子からすれば、そうは思えないでしょうね」
 晶さんはそう言って、優しく微笑む。なんだか出来た女性だ、と思うと同時に、晶さんも過去に同じような経験をしてるんじゃないだろうか、という疑念が浮かんだ。
 風貌も、容姿も、性格も。決して緑葉と似通っているわけではないのだけれど、晶さんの姿から、何故か僕は緑葉のことを連想して止まないのだった。それが何故なのかは、いまいち理解仕切れていないが、空気――或いは雰囲気と言ったようなものが、緑葉と似通っているのかもしれなかった。
 どこか、清々しい。
 清涼感のある女性。
「心配をかけすぎるのはいけませんよ」
「はい……肝に銘じておきます」
 晶さんは笑顔で人に意見出来る人なのだろう。僕はそもそも他人に意見すること自体が出来ないタイプの人間なので、晶さんのように出来た人間には、憧れに似た感情を抱く。不穏にならないように、欠点を指摘出来る才能。或いは、幸せそうに、他人の傷口を癒せる才能。
 ポケモンセンターでいつも静かに笑っている鴇さんなんかも、似たような性質の人間なのかもしれない。
 いつも笑顔を絶やさずに、当たり前のように他人の深部に触れる。
 こういうのは、男には無理なことなのかなぁ。
「お、分かれ道だ」
 前を歩いていた男二人が立ち止まり、僕と晶さんもそれに倣う。ギンさんの発言通り、目の前には左右に分かれる、分かれ道然とした分かれ道が存在していた。
「んー……今まで適当に歩いてきたけど、僕は別に双子島の内部を知り尽くしてるわけじゃねえからなぁ。こうなるとお手上げだ」
「確かに、面倒ですね。おいハクロ、お前、どっちに強いポケモンがいそうか分かるか? 右か、左か」
「兄さんは僕をポケモンセンサーか何かと勘違いしてんの?」否定しきれないところが悲しいところなんだけど。「……まあ、一応、その程度のことなら分からんでもないけどさ。でもそれがフリーザーかどうかなんて、僕には見当も付かないよ。見たことないポケモンの力量は、全く測れないんだから」
 とは言いながらも、それなりにどの方角に、方向に、フリーザー――或いは伝説が――生息し、暴れ、守っているのかは、感覚的に、理解出来ていた。生まれ持っての才能なのか、生まれついての罪に対する、罰なのか。それはダークライと出会った時に感じたものと、似た感覚。
 強大な力。
 雄大な命。
 その感覚。
「こっち側が怪しいんだけどなぁ……」
「ふうん、やっぱりお前、恵まれた側の人間か」ギンさんは振り返り、僕を見ながら、値踏みでもするかのような視線で嘗め回す。「この歳になるともう嫉妬もしないが、珍しいとは思うもんだなぁ」
「恵まれてる……んですかねぇ」
 恵まれてるようには、思えないんだけど。
「恵まれてるさ。いや、それを恵みと取るかどうかは人に寄るか……僕たちはただ、ない物ねだりをしているに過ぎないわけだしな」
「持っていない者が勝手を言って、持っているものは謙虚であるべきもの。それが才能でしょうかね」
 青藍兄さんは溜め息混じりに呟く。けれどこの感じ、なんとなく、それとなく、そこはかとなく、居心地が悪い。ギンさんの視線と青藍兄さんの視線が、上手に絡み合って、いやらしさを増幅させているからだろうか。
 助けを求めるように晶さんを見ると、晶さんは朗らかな笑顔を見せながら、小首を傾げた。その仕草は一般的には可愛らしさを誇張するためのものだけれど、ことこの瞬間に限っては、「間違っても私に助けを求めたりしないでね?」という訴えにしか、見えなかった。
 ふう。
 ……いや、まあ、慣れたと言えば慣れたけども。
 年上にからかわれることも、才能に言及されることも。
 だけど未だに、心は癒えないわけで。
「それで、結局どっちにいそうなんだ? 伝説さんは」
「んー……まあ、多分、だけど、こっちだと思うよ」と、左側を指差しながら、僕は青藍兄さんに応じる。「単純に強いポケモンの気配がするし、それとは違う、別格の気配もする。まあ、さっきも言った通り、一度も出会ったことのないポケモンなんだから詳しくは分からないけど――懐かしい感じは、するよ」
「懐かしい? お前言ってること矛盾してるぞ」
「いやなんていうか……まあいいや、あんま気にしないで」説明しても、多分分からない気がする。「とにかく、こっちだと思います、ギンさん」
 青藍兄さんの言及に応じようかとも思ったけれど、話すと長くなることは必死だ。懐かしい、という気持ち。それはつまり、深奥地方で育った僕が――或いは、先生との想い出が連想される感覚だったから。
 氷鳥だからか。
 強大だからか。
 そこには恐らく、ダークライと出会ったときの感覚も、含まれているのかもしれないけれど。

 ◇

「やっぱり厳しいなぁ」
 笑いながら、ギンさんはリザードンに再度、「だが火炎放射だ」と、指示を送った。指示を受けたリザードンは、少しだけ躊躇うそぶりを見せたが――主人の言いつけを忠実に守り、目の前にいるパルシェンに向かって、火炎の息を、放射した。
 これで三度目。
 パルシェンは――尚も、命を繋いでいる。
 パルシェンは抵抗せずに、殻に籠もった。
「三度やっても、倒れない。が、目に見えて、疲労している……となれば、あとはこれしかないな」
 独り言を呟いて、ギンさんはモンスターボールを取り出すと、「交代だ」とリザードンに告げて、回収する。そしてすぐに、別のモンスターボールを投げた。
 現れたのは――ウツボット。
「眠り粉だ、ウツボット」
 現れて早々、不機嫌そうな表情で、ウツボットは頭上――という言い方が正しいのかどうか定かではないけれど――にある口から、粒子を噴出させた。パルシェンはその粒子をモロに浴びて、数秒後に、目を閉じ――口と殻はだらしなく、開いた。
 ギンさんはその様子を見届けると、満足したように、新しいモンスターボールを取り出して、パルシェンに向かって投げつけた。一瞬でモンスターボールに飲み込まれたパルシェンは、モンスターボールの中で抵抗しているのか、何度かボールを揺らしたが、結局、抵抗虚しく、捕獲されてしまったようだった。
 ポケモンゲットの瞬間。
 久しぶりに、僕はその光景を見た。
「いやー、ラッキーラッキー。これでまた図鑑が増えた」ギンさんはほくほくとした表情で、モンスターボールをポケットにしまった。「あ、時間食わせて悪かったな」
「いえ、私は別に構いません。おめでとうございます」と、晶さんは上品に微笑む。「火炎放射ばかり続けるものですから、どうしたのかな、とは思いましたけれど」
「トレーナーとしての性ですね」
「まあなぁ」
 青藍兄さんの発言に、ギンさんは素っ気なく頷いた。
 僕ら一行は、フリーザーのいるであろう深部を目指して、ひた歩いていた。出てくるポケモンたちは、蹴散らすなり、今のように捕獲するなりして、どうにか対処をしていた。ギンさんはポケモントレーナーとして、様々なところに興味を示していたが、脇道に逸れる、というところまでは、不真面目でもない様子だ。
「で、ハクロ、道はこっちでいいんだな」段々と増えてきた分かれ道に差し掛かり、ギンさんは僕に尋ねる。「お前がいないと迷子になりそうだなぁ、この洞窟」
「大丈夫だと思います」自信なげに、僕は答えた。
「ハクロ君は、双子島は初めてですか?」歩きながら、晶さんはそんな話題を振った。「私は何年か前に一度、双子島に滞在したことがあるので、それなりに内観は記憶しているんですが……以前はここまで荒れていなかったですし、心なしか、気温も低い気がします。同じくらいの季節だったはずなんですけれど……」
「へえ、そうなんですか……って、滞在? 滞在って、寝泊まりとかって意味ですか?」僕は思わず訊ねた。「まさか、この地面に寝てた、とか、そういう……」
 僕は足下に視線を向ける。足下はうっすらと凍り付き、気を付けなければ滑ってしまいそうだ。特に今は、海が荒れているおかげで、海水が岩場にかかる。溶けかかっている氷が一番危険だということは、雪の多い街で暮らしていた僕には説明の必要がないほど当たり前のことだった。
「そうですね、寝間着にくるまって……当時は今ほどトレーナーとしての実力もなかったので、何日もかけて探索していましたけど。途中、道具も尽きて、帰れないかもしれない……と思ったんですが、色々あって、なんとか生きていた、というわけです」
 話し終え、晶さんが笑みを浮かべたので、笑うところだろうかとも思ったが、僕はその話を、「今は昔よりも危険な状態であるのだ」という風に、捉えた。謙遜してはいるけれど、双子島に滞在して、それでもポケモン全員を瀕死状態にさせることもなく、無事生還するようなトレーナーのレベルなら、十分な実力を持っていると見て、間違いないはずだ。
 だから、そんな晶さんでも、移動に苦しむ洞窟。
 双子島。
 エリートトレーナー三人と、僕がいても、あなどってはいけない場所なのだろう。
「まあ、当時は予防策も張っていなかったので、寝泊まりなんてすることになったんですけどね。当時はまだ、私も若かったから」と、晶さんは少しだけ茶化すような口調で言った。
「予防策って……えーと、多分、それのことですよね」僕は晶さんとギンさんが腰のベルトにカラビナで通して巻き付けている紐を指差し、言った。「穴抜けの紐、でしたっけ」
「そうですね。さっきの人たちみたいに、海に飲まれたらどうしようもないし、逆に危険だから、多分自力で外したとは思いますけど……こうやって洞窟内を移動するだけなら、持っていた方がいいですね。もちろん、簡単だったり、洞窟自体が小さければ、必要はないと思いますけど」
「習慣なんだよ」いつから聞いていたのか、ギンさんは僕たちの会話に割り込む。「特に僕たちみたいに、基本的に旅を続けてるトレーナーはな」
 自分から延びている紐を振り回しながら、ギンさんは僕に言った。確かにああして、入り口から一本の紐を伸ばしていれば迷うことなく出口に辿り着けることだろう。しかしなんというか、デジタルなものが普及している昨今にしては、アナクロな道具だと思わずにはいられなかった。
「つまり俺たちは、この二人から離れないようにしなきゃいけないってことだ」青藍兄さんは、僕に近寄って、僕にだけ聞こえるような声で言った。「俺はああいうのが苦手でな、持ってはいても、結局パソコンに預けっぱなしだ」
「まあ、兄さんらしいとは思うけどね」
「俺にはデジタルの方が似合うだろ?」
 青藍兄さんはもっともなことを言って、再びギンさんの隣で、歩調を合わせた。
 しばらく、周囲の警戒を怠らないままに行進が続き、出没したキングラーをギンさんのウツボットが一撃で葬り去るというイベントがあったものの、その後は何事もなく道なりに歩き続け――僕らは行き止まりにぶち当たった。
「さて」ギンさんは溜め息混じりに呟いた。「どうやら徒歩ではここまでが限界らしいな」
「の、ようですね」青藍兄さんは、岩場の限界まで向かって、海を覗き込む。激しい水流が、今にも襲いかかってきそうだった。「しかしこうも流れが激しいと、波に乗るわけにもいきませんしねぇ。船もない、ポケモンで低空飛行も不可能……となると」
 しばらく四人は見つめ合ったが、最終的には「せき止めるしかありませんね」と、晶さんが静かに提案した。
「フリーザーが生息するのは、双子島でも深部の深部……陸続きの場所ではない、と聞いています。繁殖期の今、少しは出て来ているとは言え……この海を渡らずに辿り着くことは、不可能でしょうね」
「確かにそうですね」晶さんの発言を、青藍兄さんが引き継いだ。「フリーザーの巣は、人間が立ち入ることが出来ない場所にある。それが通説です。しかし、いくら伝説のポケモンと言えど、繁殖期には人前に姿を現す……しかし人間が近寄りづらい――或いはポケモンも近寄りづらい場所で、警戒をするはず」
「つーことはつまり、この激流を止めなきゃ話になんないってわけか」
「みたい……ですね」
 僕はようやく、それだけ言うことが出来た。
 でも、どうやって?
 そんな疑問が、僕の頭を過ぎる。
 どうしてこんな流れが生み出されているのか、それは分からないけれど、間違いなく、人間やポケモンの力でどうにか出来そうなものではないということは、分かる。
「じゃあ科学の勉強だ、ハクロ」
 青藍兄さんは僕を手招きし、岩場の端に呼んだ。僕は大人しくそれに従い、激しい水流を目の当たりにする。僕はそんなにバカに見えるんだろうかとか思ったりもするんだけど。
「近くで見るとなんかすごいね」
「だな。さて、これだけの激しい流れをせき止めるには、どういう行動を起こすのがいいだろうか」
「いいだろうか、って言われても……」分からないものは分からないっていうか、僕は基本的に、頭が悪いし。「こんな場面に出くわしたことないしね」
「じゃあ、机の上でコップを倒したらどうする?」
「普通に雑巾で拭」頭にチョップを頂いた。「ぐぅ……まあ、目下は床に零れ落ちないように手で止めるよ。そういうこと?」
「まあそういうことだ。つまりはこの水流を、どこかで、何かで、止めればいい。それはこの水に流されない程度の重量と質量があれば、まあいいだろう。理想的なのは、岩……かな」
「岩? 岩くらいなら流しそうなもんだけど」
「じゃあお前は今何に立ってるんだ?」
 言われて、僕は足場を見る。
 いや、まあ、確かにこれも岩には違いないけど……。
 青藍兄さんは立ち上がり、ギンさんと晶さんの元に戻ると、「怪力」だとか「波乗り」だとか、そういう話をし始めた。ポケモンに詳しくない僕は、そんな三人の会話を端から眺め、あの輪にトレーナーとして溶け込むのは難しいだろうなぁ、なんて考えていた。
 と。
 瞬間。
 背後で、なんだか寂しくなるような鳴き声を、聞いたような気がした。
 気のせい、だろうか。
 気のせい――なのだろう。
 或いは、洞窟を風がすり抜けるような――
「ハクロ、お前の持ち場が決まったぞ」
 青藍兄さんに言われ、僕は背後を気にしながらも、三人の元に向かう。先ほどの鳴き声が聞こえるなんて、恐らく嘘だったんだと思うほど、洞窟内は、水流の音で満たされていた。
「持ち場って?」僕は訊ねる。
「簡単な計画を立てた。あれを見ろ」青藍兄さんは、頭上を指差す。僕らが立っている位置から少し離れた場所に、大きな穴が開いていた。「この双子島の洞窟内は、いくつかの層になっている。俺とギンさんはあそこから上に上って、岩を探してくる。ハクロと晶さんは、この階で探して貰うことになった」
「あー、せき止める岩をね。ん、で、それを見つけて、どうするわけ?」
「まあ、この流れを止めるくらいの岩だからな、人間の力で動かすのは無理だろう。そこでポケモンの力を借りる。『怪力』って、知ってるだろ?」
「枝梨花さんとこのバッジで使えるようになる、秘伝技、だよね」あまり馴染みはなかったけれど、それなりの知識だけは、持ち合わせていた。「それを使う、と」
「日常生活で使うことなんて、引っ越しとか、荷物運びとか、改築とかくらいだろうけど……まあ悪用すれば人なんか簡単に殺せちまうような技だから、使用に制限があるわけだ。そして、このお二人は、それぞれ必要なバッジと、そのポケモンを所持していたというわけだ」
「へえ……やっぱ、エリートトレーナーさんって感じですね」僕は二人を見ながら、そんな感想を持った。「頼りになるというか、なんというか」
「僕の場合は、ただ持ってないと移動に不便な局面が出てくるから、仕方なくってだけどな」
「私も似たようなものですね」
 ギンさんと晶さんはそう言って、すぐにモンスターボールを取りだし、それを放った。素早く行動に移そう、というつもりなのだろう。
 ギンさんが繰り出したのは――ニドキング。なんだかギンさんのポケモンは、僕からすると、馴染みのないポケモンばかりだった。それは、恐らく、関東地方でよく見かけるポケモンだからだろうか――上都出身、深奥育ちの僕からすると、未だに「他地方の生物」という認識が抜けないポケモンたちだ。発見された順番としては、若い方なのだろうけれど。
 一方、晶さんが繰り出したのは、リングマ、だった。出て来て早々、腹を掻きながら、あくびを一つ。呑気というか、悠長というか、まるで今の双子島の空気を察していない――空気を読めていない、そんな姿だった。周囲を見渡して晶さんを見つけると、のそのそと近づいて、背後にぴたりと張り付いた。
 主人を守るように。
 なんだか見ていて微笑ましい感じがする。
「変な言い方ですけど、普通のポケモンより、仲良いように見えますね」
 僕は気づけば口にしていた。
「分かりますか?」
「ええ、なんていうか……なんでしょうね? ポケモンとトレーナーの共鳴って言うか、よく分かりませんけど」なんだか、緑葉とキュウコンを見ているような、そんな感覚がしたのだった。「パートナーなのかな、と、ふと思っただけです」
「……本物なんだ」
 晶さんは短く呟いた。
 本物とはどういう意味か、分からなかったが、別段その真意を聞くつもりもなかった。
「とりあえず、私たちは二階に向かいましょう」青藍兄さんは歩き出し、ギンさんを誘導する。「実は私も双子島に来た経験があるので、大体の道のりは分かります。まだ残されているようなら、近くに梯子もあるはずです」
「おう。じゃあハクロたち、とりあえずあの穴を目指してみるからよ」ギンさんは天井に空いた穴を指差して歩き出した。「その近辺にいてくれ。声が届くくらいの場所にな」
「分かりました。気を付けてくださいね」
「こっちのセリフだ」
 ギンさんは笑いながら言うと、青藍兄さんを追いかける形で、走っていった。取り残された僕と、晶さんと、リングマは――互いに見合って、三者三様、首を傾げた。
「とりあえず……どうしましょう。岩でも探しましょうか? って、僕は何も出来ませんけど」
「でもあまり離れない方が良さそうですから、周辺を見て回りましょうか。壁のように道を塞いでいる岩も、どれかは動かせるかもしれないですし」
 晶さんはリングマに目配せをしたあと、僕に向かって「行きましょう」と呟いた。僕は大人しく、晶さんのリングマに続く形で、歩くことにした。
 洞窟の中は――不思議な感覚が続いていた。静まっているのに、どこからともなく、ポケモンの気配がする。そして唐突に現れては、僕らの前に、立ちはだかる。その突然の出現は、まるでその場に生み出されるかのように、予知出来ないもの。殺意とか、そういう類のものがなければ、感知出来ないのかもしれない。こればかりは、いくら僕がポケモン関連の才能に恵まれていたとしても――察知出来ない。
「ところで、ハクロ君」
「はい?」
「あなたがポケモンの気配を敏感に感じ取れたりするのは、よく分かったんですが……」晶さんは歩みを緩めて、僕に振り返る。「青藍さん……あの人も、似たような感覚を持っているのでしょうか。そんな気がしたんですけど、気のせいですか?」
「兄さんが? 意外な意見ですね」いや、意外というか――どうして、という意味合いの方が強いか。晶さんがどういう経緯で、そういう結論に至ったのか、分からないが――「そんな風に、見えました?」
「見えたというか、感じたというか……どうかしら。私自身も、確証はないんですけど、青藍さんはハクロ君に先導させておいて、でも最初からどっちに行けばいいかは分かっているみたいだったので。気のせいかもしれませんけれど」
「まああの人の場合、何が起きても、どんな感覚を持っていても、今更驚かないっていうのが正直なところなんですが」むしろ、フリーザーの登場を紅蓮島に来る前から知っていたとしても、不思議じゃないし。「でも、晶さんに分かるってことは、相当挙動不審だったってことですかね。いえ、晶さんの注意力を甘く見ていたとか、そういう話ではないんですが……」
「気にしなくていいですよ。私がそう思ったのは、青藍さんが私と同じような仕草をしているな……と気づいたからなので」晶さんは微笑む。「似たような人と会えて、嬉しいなと思っていたところです」
 ん。
 似たような、って……。
 それはつまり、晶さんも青藍兄さん程度の察知能力を身につけているという発言なのだろうか。
 察知能力――或いは共感覚……とでも言うのだろうか。
 ポケモンの位置を把握してしまうような。
 必然的に、感じ取ってしまうもの。
 僕がダークライに出会った時がそうだったように。
 以前、セレビィに会った時もそうだった。
 或いは、強いポケモントレーナーと出会った時の、絶対的な強者の匂いを、ポケモンを通じて感じ取るような――
「晶さんも、そのようなものを?」
 僕は控えめに訊ねる。
「程度の低いものなら」
 晶さんは控えめに言った。
 けれど。
 程度が低いも何も、そういう感覚を持ってるだけで、十分に、恐ろしいもんだと、僕なんかは思うんだが――まあ、僕が言ったところで、意味なんてないのだろう。その感覚の上位種――希少種とも呼べる物を持っている、僕なんかでは。
「さて、これなんかどうでしょう。少々心許ないかもしれないですけれど」
 晶さんはいつの間にか立ち止まって、岩を物色していた。そこにあるのは、今僕たちが歩いている岩場とは大本から違う、『個体』としての、岩。押せば何とか転がりそうな形状も、している。いや、転がすよりは、そのまま引きずったり、押したりした方が、移動させやすいのかもしれない。底面が若干平らなのか、角は目立たないけれど、球体というよりは、立方体に近い。
「どうなんでしょう。でも――」僕の身長よりも背丈のありそうな岩を見て、肩を竦めてみた。「これ、移動させられるんでしょうか? 僕だったら百パーセント無理だろうなとは断言出来ますけど」
「そうですね。私やハクロ君が動かせたら浮岩かしら。もっともそれだと、本来の目的は達せないですね」晶さんはリングマの腹部に手を当てて、「これ、押せる?」と、リングマに尋ねていた。僕らと接するときとはまるで違う、親しみ深い口調。リングマはその言葉を受けて、小さく、しかし良く響く低音で、吠えた。
「動かせるみたいですね」
 リングマは岩を前にして、二、三度咆吼を響かせたあと――両手を打ち付け、岩とがっぷりよつに組み合った。岩は遅いとも速いとも判別のつかない、一定のスピードで、座標をずれる。それは動かすというよりは、滑らせるという表現が正しいような移動だった。
「重量もそこそこありそうですね。これなら止められるかもしれない」晶さんは少しだけ声を弾ませる。「とりあえず穴のところまで持っていって、二人からの連絡を待ちましょう」
「ですね」
 と、返事はしてみたものの。
 なんというか、全く仕事のない僕だった。
 一応は、青藍兄さんのボディガードとして――或いは最終的な戦力として、のこのことついてきたは良いけれど、はっきり言って、恐ろしいほどに、役に立たない存在になっていた。出来ることと言えば、晶さんの発言に、相づちを打つことぐらい。それだって、満足にこなせているのかと言えば、怪しいところだけど……。
 リングマが岩を少しずつ押して、僕と晶さんは、その後ろをついていく。天井を目で追っていくと、少しずつ、岩は目的地へと近づいていくようだった。
「そういえば、ハクロ君はエリートトレーナーじゃないって、船の上で言っていましたけど」晶さんはリングマの大きな背中を見つめたままで、口を開いた。「それなら何故ここにいるんだろう、と考えていたんです。双子島に来てすぐは、その才能があるから、先導役としてここにいるのかな、と思ったんですけれど、どうやらそうでもなさそうですし。これ以上何か隠していることがあるんですか?」
 と、僕を責め立てるように、晶さんは尋ねる。
 いやらしい尋ね方だ。
 淡水晶さん。
 緑葉の話をしていたときもそうだったけれど、なんというか、えらく他人の話を聞きたがるような――好奇心に溢れた女性だということが、分かってきた。
 ていうかあれか。
 好奇心があろうとなかろうと、僕みたいなガキが、エリートトレーナー集団の中に混じっていることが、おかしいのか。
 そうかそうか。
 好奇の対象なんだろう。
 ……いや僕もおかしいとは思うんだけどさ。
「僕は……なんていうか、なんでしょうね?」自分でもよく分かっていないところが、回答をさらに不明瞭なものにする。「一応は、臨時の戦力としてここにいるんですけど、これだけ強いトレーナーさんがいれば、僕はここにいる必要はないんじゃないか、と思い始めているところです」
「戦力……戦力ですか。確かにハクロ君、何だか強そうな気がしますね。強いと言っても、私やギンさん、青藍さんとはまた違った種類のもののように思えますけど」
「……そういうのも、分かるものなんですか?」
 茶化すように、僕は尋ねた。
「これでもエリートトレーナーですから。目を見れば分かる――とまでは言わないものの、雰囲気を見れば、それなりの判断はつきますよ」
 晶さんは上品に微笑んだが……それはエリートトレーナーだから出来るというものではないように思える。僕は昔から、道行くトレーナーたちに、弱そうとか、戦う価値なしとか、こいつはポケモントレーナーじゃないとか思われて生きてきたのだ。少なくとも、僕を見て強そうと思う人間は、総じて、どこかしらに強者を嗅ぎ分けるセンサーが働いていると見て、間違いないだろう。
 ジムリーダーの面々だって――嗅ぎ分けられていない人が、何人もいたのだから。
 少佐も、先生も、最初は僕を何とも思っていなかったのだから。
「さて」
 晶さんはリングマの尻尾を軽く握って、リングマの行進を止めた。リングマは今まで運んできた岩にもたれかかるようにして、息を吐く。こうして見るとまるで人間のようだ。僕の家でこいつがソファに寝そべっていても、多分違和感を感じないだろう。
 晶さんは、岩に寄りかかるリングマにさらに寄りかかる形で、僕と対面する形を取った。後ろ手に手を組み、リングマのもふもふとした体毛に、包まれる。そのもっふもふさは実に羨ましい代わってくれ! と思ったけれどもちろん口には出さない。
 うちのダークライはもふもふしてないからなぁ。
 夢見も悪そうだし。
 いや、ある意味最高に寝付きは早そうだけど。
 晶さんはリングマとじゃれ合い、何も言わなかったので、僕も何も言わずに、その場に立ちつくしていた。パーカーのポケットに無理矢理突っ込んでいる、青藍兄さんから貰った回復の薬も、使い時がなさそうだし、もういっそ帰ったら緑葉にあげようかな……なんてことを思ったら、急に緑葉が心配になった。もし万が一、緑葉が目を覚ましていて、僕がいないことに気づいて、騒ぎに気づいたとしたら――今度こそ、何を言われるか、分かったもんじゃなかった。一度ならず二度ならず、これで緑葉に内緒で無理をするのは、三度目だ。姥目の森の一件では、かなりこっぴどく叱られたと言うのに、それで懲りないとなったら……怒られるだけならいいけれど、見放されるとかは、本当に、勘弁して欲しいと、思わずにはいられない。
 愛想を尽かされないだろうか。
 昔と違って今の僕は素直だから、こうして冷静になった時に電話の一つでもいれられるんだけれど――そんなポケギアも水浸しで、使い物にならないし。
 ……なんでこうも、タイミングが悪いのだろう。
 結局電子器機なんて、自然の前では無力なのだろうか。
「足音がしますね」
 僕が勝手に葛藤していると、いつの間にかリングマから離れていた晶さんが呟いた。言われて耳を澄ますと、確かに足音と――それに呼応するように、摩擦音が響く。鈍い振動で、あまり耳にはよろしくない音だった。
「岩……向こうも見つかったみたいですね」
「どうやらそのようですね。まあ、見つかったのか、作りだしたのか、曖昧なところですけれど」晶さんの目にも、ギンさんと青藍兄さんのコンビは、無茶をしそうだというように映っていたようだ。「落ちてきますから、離れていた方がいいですよ」
「そうですね……いやそうですねって、落ちてくるって、岩がですか?」
「ええ。砕けないといいですけど」
 晶さんは微笑みを絶やさないが、そういうセリフはあまり笑顔で言わない方が良さそうだと僕は思った。なんだか、逆に怖い感じだ。もう少しこう、心配した表情で言っていただきたい、という気がする。
 足音と摩擦音が、水の音よりも大きくなってきた頃。ようやくギンさんと青藍兄さんの声も聞こえるようになっていた。「兄さん」と少し大きめの声で叫ぶと、頭上から「あったかー?」と声が聞こえてきた。多分、岩のことだろう。
「見つかったよ」
「二メートル弱の大きさの岩がありました。近くまで持ってきてあります」
「大体こっちと同じくらいだな」今度はギンさんの声だ。「今からそっちに落とすけど、問題ないか? 直撃したら、即死するぞー」
 だからそういうことはもうちょっと心配した口調で言ってくれないか……と思ったが、僕は口を噤んだ。多分、こういう冗談が通じる世界で、この人たちは生きているのだろう。一歩間違えば死に、一瞬の判断で生き延びているような、そんな環境で。
「よし、落とす……ぞ!」
 ギンさんの掛け声がしてから、一秒後。
 僕と晶さん、リングマの数メートル先に、リングマが運んできた岩と似たサイズの岩が、落下してきた。地面にあった小さな石や岩が一瞬で崩れ、その欠片が僕らの足下まで転がってきたが、落下してきた岩そのものは、砕けることなく、そこに存在していた。
「どうだー?」
「大丈夫みたい。割れてもいないし、このまま使えるんじゃない?」
「そうか。じゃあ俺も降りるぞ」と、言うが早いか、青藍兄さんは岩を落とした穴から落下し、その岩の上に飛び乗った。「よっ……と。んー、上の方が多少暖気があったな」
 青藍兄さんが岩からどくと、今度はギンさんが無言で降り立った。二人とも、運動神経は良いようだ。僕がやったら間違いなく尻餅必死だろうと、何故かネガティブなことばかり考える。
 主人公のはずだけどなぁ……。
 自分の人生という意味では。
 って誰でもそうだけど。
「はぐれ研究員さんよ、見た感じ、行けそうか?」
 ギンさんに言われ、青藍兄さんは二つの岩を見比べ、視線を海へと向ける。
 腕を組み、天井を見上げてしばらく沈黙したあと、「小石かなんかでさらに塞いでしまえば最高なんでしょうけれど、あんまり詰めても水の流れが遮断されてしまって、決壊する恐れもありますからね……このくらいのサイズが二つで、勢いは収まりそうです」と、冷静に告げた。その後もギンさんと晶さんに詳しい説明をしていたけれど、僕にはよく分からない話だった。
 まあ要は、勢いが落ちれば、それでいいのだろう。
 多少の荒波だって、ポケモンは渡っていける。
 上都に住んでいた頃、誰かまでは覚えていないけれど、大人の人に、よくポケモンの背中に乗せてもらったものだった。もしかしたら、緑葉のお父さんの、緑青さんだったかもしれない。海の男だし……そのくらいのことは、しそうだ。まあその頃は、嵐の中を連れ出されるという無茶を体験したこともあったから、行けないことはないだろう。
「じゃ、お願いします」青藍兄さんはそう言って、僕の所に来る。岩の移動は、『怪力』持ちのポケモンと、そのトレーナーに任せたらしい。
「なんか、本当に役に立ってないよ、僕」
 気になったので、青藍兄さんにだけ聞こえる声量で僕は言った。別に、世界の役に立てないことには慣れているけれど、役に立つと言われて来た場所で役に立てないことほど、心の痛むことはない。
「まだ時期じゃないだけさ」青藍兄さんはしかし、僕の発言を軽くあしらった。「二十四時間年中無休で役に立つ人間なんていないんだ。お前はお前の役割が来た時に、しっかりと役に立て」
 そうは言われましても、って感じで。
 なんだか納得の行かない話だった。
 僕は二人のエリートトレーナーが、大きな岩石をポケモンに押させる姿を、間接的に、傍観していた。僕が見ているトレーナーたちだって、本当の意味では、何もしていないのかもしれない。ポケモンに指示を送るだけの、司令塔。にも関わらず、ああしたポケモンたちの功績は、トレーナーの手柄に、なってしまう。
 なんで突然こんなことを思うのだろう?
 自分の思考が、上手く制御出来ていないのだろう。
 例えばジムリーダー、例えば四天王、例えば、『レッド』…………彼らは何も、人間として、性能が良いわけでも、才能があるわけでもない。ただポケモンを扱うのが、上手だっただけ。他の生物を扱うのが、上手だっただけ――なのに、彼らは讃えられる。一方で、ポケモンたちは、歴史の闇の中。或いはとっかえひっかえ、扱われる。
 一人に六匹じゃあ、割に合わない。
 だから、なかなか、人間一人に一匹のポケモンを定着させるのは、難しい。様々なポケモンを扱うトレーナーなら、尚更。メインのポケモンなんて、あまりに無意味な立ち位置だ。
 しかし、それでも――
「よっし」
 ニドキングは、岩を海の中へと、押し込んだ。岩は水流に押され、少しだけ位置を不安定にしたけれど、結局は岩場の突起に引っ掛かったのか、安定する。そしてリングマが移動させた岩も、同様に、並ぶように、海の中に九割ほど、埋まった。
 水流は――確かに弱まる。
「上出来だな」
「そのようですね」
 仕事を終えたポケモンたちを回収し、ギンさんと晶さんは、僕たちの元へと、帰ってくる。この図式を見て――まるで晶さんもギンさんも、青藍兄さんの駒のように扱われているというような、不埒な思考が、一瞬だけ、芽生えた。
 送り出し、回収する。
 ポケモンバトルの図式。
 それと同じように。
 そんなはずないんだけれど。
 人間とポケモンの関係が、この世の縮図のようにも、思えてしまったから。
「お疲れ様です」
 僕はせめて、年長者たちを労った。これくらいしか、することがなかったという面もあるのだろうけれど……まあなんていうか、すごくみじめな、僕だった。
 僕らしくないなぁ。
 と、すごく思う。
 双子島に来てからというもの、状況把握、傍観、話し相手くらいで、僕らしいことが、全くと言うほど、出来ていない。この場において、恐ろしいほどに、無力。
 なんだろう。
 この感じ。
 ……なんだか段々、疼いてきたような。
「さて、次のステップだ」
 ギンさんはこの状況を思い切り楽しんでいるように、宣言した。
 僕もそのくらい楽しめたら、いいんだろうけれど。
 生憎と僕は、こうした面倒な下準備が、嫌いなようだ。
 努力が嫌いな――そんな人種なのだろう。

 ◇

「楽しいなぁ、ハクロ」
「いやぁ、実を言うとあんまり楽しくはないんですけどね?」
 ギンさんの背中にガッチリと掴まりながら、震えながら、僕は答える。
 ニドキングの、背中の上。
 突起がいくつかあって、座る位置を誤ると、毒の棘に蝕まれてしまうという、いっそアトラクションと呼んでいい程度に危険な、波乗りポケモン。僕はそんな背中の上で、揺り落とされないように、必死だった。落ちれば流され、下手をすれば毒を浴び――まあ、マスターであるギンさんが乗っている以上、毒は抑えているはずだろうけれども――どちらに転んでも、地獄だった。
「楽しいさ。お前が楽しいと言っても楽しくないと言っても、言葉なんて大した意味を持たないんだからなぁ」ギンさんはそんな暴言を、愉快そうに吐いている。「心の中では楽しいと思ってる。家に帰ったら、楽しかったと思う」
「そんなもんですか」
「そんなもんだよ、嵐の中にいるときのことなんて」
 ギンさんの革ジャケットに手を回しながら、ふと過去のことを思い出してみた。
 例えば姥目の森。
 例えば朽葉港。
 例えば――深奥の、鋒。
 どれも体験している当時は、地獄のように思えていた気がする。けれど、結果的に僕は生きていて、思い返せば、そこまで地獄でもなかったような気がしないでもない。普段平凡な日々を送っているばかりに、過剰な刺激に、過剰に反応してしまうのかもしれない。
「じゃあ、ギンさんは、今、楽しいんですか?」
「楽しいわけねーだろ」
「ねーんですか」
 思わず突っ込んだ。
 十歳も年上なのに。
「いや、僕はな、大変な目に遭ってるときとか、面倒なことに巻き込まれてるときとか、そういうときは、そう思うことにしてんだ。いや、元々は楽しむつもりでここに来てるんだぜ? 別に僕らエリートトレーナーは、避難していいんだからな。協力するのは義務じゃない、権利だ。だけど面白そうだと思ったから――あとあと良い経験になると踏んだから、僕はここにいる。面倒な仕事を任されていても、それでいいと思う。僕は未来のために、今を犠牲にしてるんだ」
「はぁ……」
 上手く飲み込めないけれど、そういうことのようだった。
「まあでも、そういうのはあれだ、大人になってから分かるもんなんじゃねーかな。子供のうちは、嫌々経験させられて、そのうちに気づくんだと思うぞ。僕がハクロくらいの頃なんて、あと一歩で不登校児になるとこだったしなぁ」後ろを振り返りながら、ギンさんが言う。前見て運転してください、と言おうと思ったが、運転も何もなかった。「大人になると嫌々経験させてくれる人もいなくなるから、頑張って自分から首を突っ込むしかないわけだ。今回みたいにな」
「はぁ……となると、僕は今まさに、嫌々経験させられているというわけですね」
「まあそういうことになるな」
「嫌だなぁ」と、実際に声に出してみる。が、ギンさんが言った通り、言うほど嫌ではないから、言葉なんて大した意味を持っていないのかもしれなかった。
 ふと視線をずらせば、すぐ近くで、青藍兄さんが所有するラプラスの背中に、青藍兄さんと晶さんが、座っていた。あっちはもの凄く座り心地、乗り心地の良さそうな背中である。
 ラプラス。
 青藍兄さんが所持しているとは――意外だった。
 元々知能が高く、人懐こい種族で、それ故か人間の言葉を理解出来るようになったラプラス。大きな背中に人を乗せ、海を泳ぐのが楽しいらしく、人間との関わり合いが特に顕著なポケモンとしても、有名だった。
 そんなラプラスだけど――そんなラプラスだからこそ、か。乱獲されることで、繁栄の機会を失い、今や絶滅を危惧されるポケモンの一つだ。とは言っても、まあ残り数が三桁を切ったとかいう話こそ聞かないし、未だに卵が発見されることもあるようだから、そこまで大袈裟ではないのかもしれないけれど――
 まあとにかく、そんなラプラス。
 青藍兄さんがどういう入手経路を利用したのかは分からないけれど、それなりに強くあり、青藍兄さんに、懐いているようだった。
「それにしても……」
 せっかく広いんだから、もう少し離れて座れよ。
 あれじゃまるで、青藍兄さんが晶さんを口説いているようにしか見えない。まあその実、その通りなのかもしれないけれど……兄貴のそんな姿は、出来れば見たくないものだ。
 本物じゃないけれど。
 義理でもないけれど。
「ところでさ、ハクロ」ギンさんは前を向いたまま、呟く。「お前、フリーザーに会って、どうするつもりだ?」
「どうするつもりって……別段どうするつもりでも、ないですけど。ただなんか、なんでしょう、心惹かれるものがあるなーって感じですね。それでここまで来た……というか。まあなんでしょう、好奇心で来ただけなんで、会ってどうしようとか、考えてませんよ」
「そうなのか。ふうん……」
 ギンさんは思わせぶりに、僕に視線を寄越した。けれどそれ以上は何も言わず、再び視線を、進行方向へと戻す。僕も何も語ろうとはしなかった。
 フリーザーと会って。
 何をする……か。
 青藍兄さんはきっと、伝説のポケモンを目の当たりにすることや、図鑑を埋めること、さらには研究者としての好奇心が、動機だろう。己に忠実。自分勝手。わがまま。だけど何故か孤独にならず、嫌悪されず、疎まれない。不思議な存在だと、改めて思う。ていうか青藍兄さんはハイスペックすぎて、色々ずるい。
 ……いや、僕が言うのもおかしいな。
 どこかに注目すれば、人類皆ハイスペックか。
 水面に視線を投げかける。
 そういえば、少佐とエリートトレーナーさんたちは、どうなってしまったのだろう。去り際に、僕に一瞬だけ不安げな視線を投げかけた、少佐。夏――晩夏だとは言え、双子島は一定して、寒い。深奥で育った僕だって、あまり長居をしたいとは思わないほどに、冷えている。紅蓮島と双子島を繋ぐ海とは比べものにならない――或いはここだけ、別世界。そんな海中に飲み込まれ、飛び込み、少佐や彼らは無事なのだろうかと……不安になる。
 あとは……別便も。
 先生たちは、無事に向かっているのだろうか。
 姿も、気配も、全く見えない。
 弟子が師匠の実を案じるなんて、まったくもって荒唐無稽、あっちゃいけないようなことなんだろうけど……それでもまあ、なんというか、気にせずにはいられないというところだ。
 いや、どっちかって言うと、いたら心強いなあなんて思ってるのかもしれないけれど。
 ポケモンのタイプ的には、相対する――氷と水、或いは水と氷だけれど。
 雪山や、氷洞には、先生の姿が安心出来る。
 不思議な感覚だけれど。
 多分、正しい場所に、正しい物が収まっているという感覚が、素晴らしいと思えるのだろう。
 あるべき場所に、あるものが。
 収まりが良いとでも、言うべきなのか。
「まあ何はともあれ、連絡が取れないのは、少し不安にならないでもないなぁ……」
「独り言か? 俺に反応して欲しいのか?」
「あ、いえ、すみません……独り言です」
 思わせぶりな口調だっただろうか。
 ていうかまあ、僕はいつもこんなだけど。
「まあハクロの言うことも分かるけどな。気持ちは分かるけど、しかし世の中はそういうもんだし、旅に慣れてくると、外部と連絡が取れないなんてことはしょっちゅうある。だから、自分の力を信じるしかないんだよなぁ……」ギンさんは明るく喋っていたが、ギンさん自身も、別段楽しいと思って話しているわけではないらしい。「ああいや、信じるのは自分の力じゃないな。こいつらだった」
 ギンさんはそう言って、ニドキングの背中を撫でた。
 まあ……確かに、普通はそうだろうな。
 自分の力を頼ったところで、人間の力量なんてものは、ほんの些細なレベルでしかないのだし。過信したところで、能力なんてものは発揮されない。
 人間に出来ることは――いかに効率よく、何かを利用するか、ということだろう。
 それはポケモンだったり、他人だったり。
 様々だけれど。
 生物の本能力を百パーセント発揮出来るのは、必ずしも、自分自身とは限らない。或いは、他者こそが、その生き物の能力を、解放させてやれるのかもしれない。
 先生がそうしたように。
 或いは――僕がそうしているように。
「さて、一旦降りるぞ」
 ギンさんに言われ、僕は我に返る。というか、現実に戻ってきた。青藍兄さんと晶さんが既に陸地に降り立っていて、僕はギンさんに手を引かれる形になって、ニドキングの背中から降りた。
「道案内のお前がしっかりしないと分からないんだけどなぁ」ギンさんは少し、呆れた表情だった。心が痛む。「つーか、気分でも悪くなったのか? 口数も少ないし」
「あ、いえ、大丈夫です。すいません……」
「そうか? ならいいんだけどな」
 ギンさんはジャケットのポケットに両手を突っ込んで、ニドキングを回収せずに、そのまま歩いていく。僕はその後ろをさらについていく形で、仕方なく――無理矢理足を動かしていた。
 なんだか考えがまとまらない。
 いつものことなんだろうけれど。
 たまにポケモンと人間の関係性に疑問を感じてしまうと、僕はもう、冷静でいられないし、楽観的でも、いられなくなってしまう。多分、きっと、ポケモンたちが奴隷のように扱われていると――そんな幻を、信じ込んでしまうからなのだろう。
 あるわけないのに。

              あるわけないのか?

 ポケモンと一緒にいるのは楽しい。

          僕らだけなんじゃないのか?

 誰もそんな疑問は抱かない。

         抱きたくないだけじゃなくて?

 いやでも、そんなはず――

           ――ないはず、ないだろ?

「ハクロ、どうした」
「え?」
 何が?
 別に。
 何も。
 おかしくなんて、なっていないけど。
「え? じゃなくて、どうした、って聞いてんだ」
「ああ、ごめん……ぼーっとしてた」
 青藍兄さんの呼びかけだったということに、僕はそこでようやく気づいた。珍しく、なのか、晶さんとギンさんは何か会話をしながら、先を行っている。
「近いのか?」
「え?」
「伝説が、だよ」
 どん、と、青藍兄さんに背中を叩かれる。気付けのつもりなのだろう、少し強めに叩かれて、ちょっと痛い。
「ん……そう、なのかな。いや、今のどんよりはそういうのじゃないんだけど」
「忘れ物でもしたのか?」言いながら、青藍兄さんは歩き出す。僕もそれに続く。
「忘れてたことを思い出してしまったって意味では、似た感じだけど」
「大事じゃないなら今は忘れておけよ。そんで、家に帰ってゆっくり確かめたらいい。今はそれどころじゃないんだからな……分かってるだろ?」
「分かってる……んだけどねぇ」
 分かってるつもりなだけかもしれない。
 分かってるふりしてるだけかもしれない。
 つーか本当は分かってないのかもしれないけど。
「まあ一旦置いておこう。どうせ答えなんてないし。なんだろなぁ、僕らしくないんだよね。こういう状況。だから気になったっていうか……まあ、置いておくことにするよ」
「そうしろ」
 僕と青藍兄さんは、少し早足になって二人のエリートトレーナーを追いかけた。彼らは静かではあるが、二、三言葉を交わしながら、情報交換をし合っているようだった。
「そういえば、兄さんラプラスなんて持ってたんだね。さっきまで知らなかったよ」
「なんだ、気づいてたと思ってたけどな」
「まさかな、とは思ってたけど、確証がなかったし。それに、あんまり見る機会がなかったから」負け惜しみではないけれど、実際、紅蓮島に来てすぐポケモンセンターに寄った時、その雰囲気は察知出来ていた。今、真横にいると、青藍兄さんの手持ちのポケモンが何なのかは、手に取るように理解出来る。「それも輸入品? それとも誰かに貰ったの?」
「いや、こいつはわざわざ捕まえに行ったんだ、どうしても欲しかったからな。ほら、上都の……お前が住んでたとこ、なんだっけ」
「檜皮ね」
「そうそう。あの辺の洞窟にラプラスが生息してるっつー噂を聞いたもんだから、時間をかけて捕まえに行ったわけだ」
「へえ、そうだったんだ。いつ頃の話?」
「ん……お前と会って、そのあとすぐだな」
 ……ああ。
 なるほどね。
「そっか」
 ラプラス。
 泳ぎが得意で、昔はよく、海で溺れそうになっている、人間や他のポケモンを救う姿が、日常的な光景として、見られたらしい。今でも、水泳を楽しむ人や、ほぼ一日中海水に浸かっているような海好きな人も――何かが起きた時に困らないよう、ラプラスを連れている人は、多いらしい。もちろん種族自体が少ないから、その割合も、少ないけれど。
 まあ、あまり付き合い自体は、長いわけでもないのか。ラプラスと、青藍兄さん。仲は良さそうだけれど……実質一緒にいる期間は、三年ってとこか。
 僕と青藍兄さんが出会った、三年前。
 僕と青藍兄さんが孤独になった、三年前――
「まあ、今度乗せてやるよ。乗り心地がいいんだよな、こいつ」
「みたいだね。つーか、出来れば今乗せて欲しいんだけどね」
「まあ、紳士なら我慢しろ」
 そう言って、青藍兄さんは、僕と距離を置いて、前を行くエリートトレーナーたちに混ざった。幸い道は一本道で、道を聞かれることはなく、僕はまた、役立たずのままでいる。
「……紳士ねぇ」
 まあ、晶さんは水ポケモンを持っていないと言っていたから、ニドキングかラプラスのどちらかに乗るしかないし、となれば、女性には乗り心地のよいポケモンを譲るのが、普通だろう。
 そもそも乗せて貰ってる分際で、選択権も何もないだろうし、晶さんはリングマの『怪力』でお世話になっていたから、これが当然の筋のはずだ。
 借りがある……というほどではないけれど、色々進んでやってもらっているし、双子島に来た経験があるだけあって、洞窟内にも詳しいし、かなり頼りになる人だ。経験豊富、知識豊富、人当たりも素晴らしく良い。
 だから……というわけなのかは、分からないけれど。
 しかしなんというか。
 ちょっと気になることが、あったりもする。
 船の中で、僕は確かに、晶さんから、『水ポケモン』の雰囲気を……感覚を。或いは絶対的な『匂い』を、察知していた。感じていた。キャッチしていた。これは紛れもなく、事実だ。
 そんな晶さんが、「私は水ポケモンを所持していないものですから」と言ったことが、僕にはどうにも、上手く処理出来ていなかった。
「波乗りを使えるポケモンがいない」
 ――ではなく。
「波乗りのジムバッジを持っていない」
 ――でもなく。
「水ポケモンを所持していない」
 と、晶さんは言った。
 しかし、僕は言い切ることが出来る。それは嘘だ、と。晶さんは絶対に、確実に、百パーセント、水ポケモンを、所持していた。僕は自分の才能を、疎ましく思い、恨むこともあるし、憎むこともあるだろうが――それを疑うことだけは、絶対にない。
 僕の才能は、本物だ。逆説的に、本物だからこそ、これほどまでに、疎ましいのかもしれないけれど――とにかく、晶さんは、嘘をついていた。
 何のために?
 裏表のない性格のように、僕には見える。
 とは言え、僕にポケモンを見る目はあっても、人を見る目は恐ろしくないのだけれど……。
「なんだかなぁ」
 少しだけ、腑に落ちない感覚だった。
 だけれど――そんな、人当たりが良く、正当な晶さんだからこそ、僕はそんな晶さんの発言を見過ごして、聞かなかったことにした。聞き間違いだったことに――或いは、聞き流すことに、した。今のこの状況で、そんなことを言う必要があるようには感じられなかったし、そんなどうでもいい嘘を責め立てたところで……僕に利益は、ない。
 ないのだから、それでいい。
 気にしないことだ。
 ただ、僕の感じたことのない――或いは種族として知らない――水ポケモンだったことだけが、少しだけ、気に掛かった。
「また海だ」
 ギンさんが言う。僕は大人しくギンさんの後ろについて、ニドキングの背中を、忌々しい視線で、見つめた。
「もう少しで会えそうですか?」
 晶さんは、今までと同じような口調と、表情で、僕に尋ねる。
「そうですね……なんとなく、近くにいるんじゃないかなって感じはします。ていうか、そうじゃなくても強そうなポケモンの感じがどこからともなくしてるので、混濁してるんですけど、どっちにしろ、近づいてはいますよ」
「そう……一応スプレーは使っておいたから、そこまで強力なポケモンは寄ってこないようにはしているんだけど」
 晶さんはなんでもないように言った。
 ああ、どうも野生のポケモンが出てこないと思っていたら、そういうことだったのか。
 ……まあ、それは逆に、僕のすぐ近くにいる晶さんのポケモンがあまりに強大すぎて、僕の受信を、混線させているという証左なのだけれど。
「まあいいさ。行けば分かるんだ」
 ギンさんはぶっきらぼうに言って、ニドキングを海に沈めた。
「じゃあ、また、お願いします」
「おう。気を付けて乗れよ。毒食らうからな」
「回復の薬って人間にも効くんですかねぇ」
 まあなんだろう。
 楽しいわけではないし、かといって、極限まで嫌だってわけでもない、いつもより数倍気楽な、冒険のはずだったんだけれど。
 なんだか少しだけ、種類の違う嫌な気持ちに、襲われていた。
 なんでこんなにネガティブなんだろう。
 別に何が起きたというわけでもないんだけれど。
「……考えすぎなだけ、なのかなぁ」
 今日はそもそも、パーティだったはずなんだけどなぁ。
 難しいことは、考えないって約束、緑葉としたはずなんだけどなぁ……。

戯村影木 ( 2013/05/03(金) 13:03 )