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豊縁にいるらしい知り合いから手紙が来た。来週、関東に遊びに来るとのことだ。
「ハクロくーん……」
豊縁と言えば日本最南端にある島国のことで、それはそれはとてもとても良い場所であるらしい。まあ実を言うと僕はあまり詳しくないのだけれど、様々な情報源から収集した情報によれば、総合的に見ても、自然という観点から言えば、上都地方を遥かに上回るということのようだった。
観光地としても、居住地としても、かなりの人気があるようだ。民宿なんかを営みながら、晩年は豊縁に居を構えてゆったりと過ごす、と言うのが、大多数の人類の夢であったりするとかなんとか。まあだから、簡単に言えば、すごく良いところらしいというわけだ……けれど、行ったことがないので、色々言っても、結局のところ、僕はよく知らない場所である。
ちなみに、あまり知らないけれど、縁のある場所ではある。
豊縁だけに。
面白くない。
「あの、えっと、今日は本当は非番なんだけど……」
食の面では、海の幸が豊富であるとか。でも、まだまだ食べ盛りの僕には、魚介類の魅力はピンとこないところがある。まあしかし、やはり歳を重ねるごとに肉より魚に嗜好が変わっていくもののようだから、そういう所を考えてみても、やはり豊縁は大人にとっては素晴らしい場所なのだろう。きっと、それは、歳を取れば僕にも分かる魅力なのだと思う。
「いや、えっと、その、非番だからこそ、ここに来てるんだけど……」
難点を挙げるとすれば、少々、時代に取り残されている感があることと、年中気温が真夏並というところだろうか。まあ、生まれが上都の檜皮という、恐ろしいほどの田舎であった僕にとってみれば、時代遅れな点は全く問題ないし、少年期を深奥で過ごしていたという事実を考慮してみても、寒いのに比べたら年中真夏の方がよっぽどマシだろ、ってなもんである。
きっと。
多分。
おそらく。
……逆なら年中真冬の方がマシだとか言っているのかもしれないけれど。
まあとにかく、そういうわけだ。
話を落とすとするならば、食事の面はともかく、気温の観点から言えば、今僕が住んでいる関東は最高の立地条件なのだろうということ。きっと、特色がないのが、最高の特色だったりするのだろう。普通が一番。変に偏ってないからこそ、安定するのだと思う。
でも、そういう結論をつけてみたところで、それは僕一人の意見でしかないのだから、やはり偏りをなくすためには、他人の意見を取り入れることも重要だ。
いい加減僕の無反応ぶりに意気消沈してしまった、玄関先で項垂れている女性に、僕は声をかけてみることにする。
「木蘭さん」
「は、はい! ちゃんと起きてたんだね、ハクロくん」
「暑いのと寒いの、どっちがマシですか?」
僕はさっきからぶつくさと何かを言っていた木蘭さんに、適当なことを尋ねてみることにした。
「う、うぇ? 暑いのと寒いのかぁ。えーっと、えっと……私はどっちかって言えば、寒い方がいいかなー。雪とかもあって、なんだか神秘的だし――」
「なるほど、ありがとうございました。それじゃ、二度寝します」
ガチャリとドアを閉めて、寝室まで歩き、僕は再び、夢の世界に旅立つ準備を始める。木蘭さんとは、どうやら趣味が合わないようだ。まあ、関東も上都に比べたら暑い地方に分類されるだろうしな。
ふう。
やれやれ。
ふうやれやれである。
……そんなわけで、突然であるが、僕こと堕落人間であるところのハクロは、めでたいことに、そろそろ、十六歳を迎える。そろそろ……というか、もっと正確に言えば、今週末に、誕生日を迎える。夏を少し過ぎたあたりに生まれた僕であるので、夏男というイメージとはキャラ的にもほど遠い。かと言って、秋男という感じでもない。いや、僕に合う季節なんて、そもそも存在していないのかもしれないけれど――とにかく何の特色もない平凡な日に、僕は生まれたわけだ。
ともかくそんなわけで、最近は色んな人から、僕は声をかけられたりする。引きこもってばかりいる割には、何気に顔見知りが多かったりするから困ったものだ。他にも、遠くにいる知り合いから手紙が届いたり、割と近所にいる人から贈り物が届いたり……気遣ってもらわない方が、胃が痛くならなくて助かるんだけどなぁ、とそんな心配をしてしまうほどには、色んな人から厚意を頂いているのである。
「ハクロくーん……」
なんて、そんな思考をベッドの上でしていたら、扉を破壊しかねん程の威力で、ドンドンドン、と三回ほど重量感のあるノックが響いた。そして木蘭さんの声がそれに続く。なんだろう、手紙は受け取ったはずだったけれど、何か取りこぼしでもあったのだろうか……なんて、現実逃避をしてみたり。
関東の、山吹市と朽葉市を基本巡回ルートとしながら郵便を配達する、郵便屋さんの木蘭さん。
今日は非番であるとかで、いつも通りの制服ではなく、お洒落な私服を着てきていることから、何となく、こんな鈍感人間である僕にも、うちを訪ねてきた用件は分かりそうなもんだった。でも、非番なのにうちへの手紙を持ってきてくれていたし、そういう観点から言えば今日も仕事だったのだろう、という理由で、僕は僕自身を騙して、木蘭さんの誘いに無視を決め込むことも出来そうな気がしたけれど……ここまで気合い入ってたら、無碍に断るのも、あまりに非道だろうか。木蘭さんを嫌っているわけではないのだけれど、なんとなく、木蘭さんと親密な関係になることを、僕は恐れているのだ。理由は、まあ、色々あるんだけど。
「年上の女性は……得意じゃないんだけどなぁ」
まあそれは、特定の女性が僕に対して並々ならぬ恐怖のトラウマを植え付けたせいだと、理解しているし、未だに消えないトラウマであるけれど。
寝転がっていたベッドからごろりと転がり落ちて起き上がり、仕方なく、僕は玄関に向かった。
そして、一度だけ、深呼吸。
はー。
ふう。
ドアノブを、捻る。
「はい……何でしょうか」
根負けして、僕は玄関から顔を出し、木蘭さんと対面する。見れば今日はアブソルも連れていないようだし、よくよく見れば、服装は僕の想像以上のお洒落さんで、郵便屋さんのイメージは一掃された。説明しにくいけれど、なんというか、お洒落さん。服装のセンスがないので、無難に白黒で(決して自分のカラーに染まっているわけではないけれど)統一している僕とは、天と地ほども差のあるカラーバリエーションだった。まあそうは言っても、木蘭さんの性格に似てか、色彩もかなり控えめではあるようだけど……。
とは言え、控えめのくせにところどころ地味に露出が多いので、じっくり見るには適さない服装である。年頃の少年に、女性の肌は危険である。誘惑というものほど危険な要素は、この世には存在しないだろう。格言を作るなら、「年頃の少年に与えてはいけないのは、余裕と女性の肌である」ってところだろうか。
「あ、ハクロ君、あのね……」
「はい、なんでしょう」頬を掻きながら、ぼんやりとした返答。
「あの、せ、せっかくの非番なので、お買い、物とかに、付き合って欲しいんだけどー……と思って」と言いながら、後ろ手を組んで、僕を見上げる形を取る木蘭さん。「ね?」
ね? じゃねえ。
なんてあざといんだ。
恐るべし、年上の女性。
「お買い物、ですか」
お買い物……。
お買い物、イコール、散財。
そんなイメージが、一瞬僕の脳を掠める。
まさか木蘭さん……ぼ、僕の財産を狙っているんじゃないだろうな! いや、しかし、僕の家に有り余るほどの蓄えがあることは、少佐くらいしか知らないはずだけど――って、まあ働かないガキが一人で暮らしてたら、誰でも気づくか!
……なーんて、まあ、木蘭さんがそんなあくどい考えを起こすはずがなく、単純に買い物に誘ってくれているであろうことは理解しているんだけど。
「何か、欲しいものでもあるんですか?」それとなく探りを入れつつ、僕は訊ねる。「弟さんの誕生日プレゼント……って木蘭さん一人っ子ですよね」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……なんとなく、お買い物……玉虫とかまで、どうかなー……って……ど、どうかな? 暇だし、一緒に行く人もいないしー……」
「はぁ……いや、僕が行っても、役に立ちませんけど、いいんですか?」どうやら他の人と休みが合わなかったから僕を誘った、ということらしい。「まあ、流石に、荷物を持つくらいの筋力はありますけど、基本的に無口ですからね、僕」
まあつまりは、そういうことなんだろう。
暇そうで、付き合ってくれそうなのが僕だったという、単純にして明解な理由。
いくらなんでも、「僕と出かけたがっている」というところまでは、長年の木蘭さんの言動から流石の僕でも理解出来たけれど……木蘭さん、友達いないんだろうか。いやいや、木蘭さんには無二の親友がいたはずだが……ああ、その人の仕事が忙しくて、一緒に行けないとかか? でも何故僕? …………ああ、なるほど、僕はいつも暇してるからだ。そんな論法で、僕はこの結論に辿り着いた。
「他には……ああ、ある程度ならお金も貸せますけど……あんまり、仲の良い人にお金を貸すのは苦手なんですよね。それくらいならむしろ、上げちゃった方が気楽っていうか」
「あ、別にそういうことを期待してるわけじゃなくて。ていうか私の方がお金持ってるし」それはない、と言おうとしてやめた。「……何て言うか、その……」
そのまま木蘭さんの声のトーンは降下して行き、消え入ってしまった。もともと口べたな人だけど、今日はいつにも増して、ひどい有様である。
「んー……まあ、理由はよく分かんないですけど、まあ暇なんで、お誘いとあらば行きますよ。別に用事があるわけじゃないので。家にいても、寝るだけですし」
「あ……ほ、ほんと?」
木蘭さんからのお誘いは、日頃から常に(眠たかったので)断り続けていたし、たまにはお付き合いさせていただくのも、一興かもしれない。
それに、最近は誕生日も間近だから来客も多いし……これを口実に玉虫に姿を消すのも、ありっちゃあ、ありだろう。僕もいくつか買いたいものがあると思っていたところだし、好都合と言えば、好都合。夕飯の材料とか、買っておきたい。
「ま、そういうことなら早速行きましょうか。今日は幸い、あんまり眠くもないですし……さて、じゃあ、ちょっくら準備してくるので、少々お待ちください」と、僕は家の中に引き返そうとして、思い当たる。「……あ、上がります? ジュースとかありますけど。いやー、最近暑いですしね。もう夏も佳境だってのに。リビング、扇風機くらいなら回りますから」
「あ、うん。それじゃ、お邪魔します……」
炎天下――と言うほどじゃあ、全然、なかったけれど。流石に大人のお姉さんを外で待たせるほど紳士道に反するつもりはなかった。いや、紳士道なんて、元々持ってないか。僕はどう足掻いても、ジェントルマンになれる気はしない。良くて大人のお兄さんだろう。
「じゃ、適当に着替えるんで、適当に座っててください」
「あ、はい……」
恐縮しまくりの木蘭さんをリビングに置いて、僕は寝室に向かった。もう九月だと言うのに、この気温は何なのだろう。まあ、先月の檜皮に比べたら、幾分か過ごしやすいわけだけど……。
パジャマ代わりのスウェットを脱ぎ捨てて、七分丈だか何だかの黒いズボンを穿く。ん、ズボンって言い方、もしかして古いんだろうか。まあいいか。次に白いTシャツ。これもそのうち古い言い方になるのかな。なんてことを思いつつ、超簡単に着替えを終了させて、僕はリビングに戻った。あまりに簡素すぎる。もうちょっと気をつかった方が良いきもするが、残念、気をつかえる服を僕は持っていなかった。
「お待たせしました」
「あ、いえ……今来たところです」
ずっといただろ! と思ったけど、当然僕は年上に対してそんな言葉遣いを披露したりはしない。
一応、礼儀は弁えているのだ。
表面上は。
「それじゃ、早速、行きましょうか」
「あ、ハクロ君、帽子とか被った方が良いかもだよ? ずっと歩きだし、ハクロ君、髪の毛真っ黒だし……」
「ああ……そっか、暑いですもんね、外」
見れば木蘭さんは、桃色のリボンがついた白い帽子を手に持っていた。流石に歩きで玉虫まで行くとなると、結構な距離になるもんなぁ。空を飛べるわけでも、またがれるほどでかいポケモンもいないし……。
木蘭さんが言った髪の毛が黒いってのは、日光を吸収しやすいって意味なんだろうけど、あんまり関係ない気もする。
僕は再び寝室に戻って、適当な帽子を探した。日頃からあまり帽子を被るという習慣がないので、どこにしまったかさっぱりだったが……部屋のクローゼットをひっくり返すと、なんとか、一つだけ、発見することが出来た。けれど、これを被って行くのは、僕的には、どうなんだろうと思う。見た目、すごくアホっぽくなるよなぁ……でも、夏のアイテムとしては、申し分ないし。もうほとんど夏じゃないけど。いやぁ、でも、黒いキャップを被るよりは、ずっと機能的なのか? まあ、僕にお洒落のセンスなんてないから、極悪なファッションセンスになってしまっていたとしても、別にいいか。伊達の薄着とは無縁でいたいのが、十五歳の僕。せめて十六歳までは、大人にならずにいたいものだ。
なーんて思いながら。
「お待たせしました……っと」
結局僕は帽子を被って、リビングに顔を出した。木蘭さんはそんな僕を見て、固まっていた。
……やべ、外した?
そんなに酷い有様だとは、思わないけれど。
「わ……なんかハクロ君、お洒落だね」
しかし木蘭さんから返ってきたのは、意外な返答だった。
「……マジで言ってますか、それ」
「うん、なんか、びっくり……ハクロ君も、お年頃? みたいな感じで……あ、えっと、今どきではないんだけど、ハクロ君は誂えたように麦わら帽子が似合うなぁ、って思ったものだから」
自分の姿を想像してみる。恐らく外に出る時に履くであろうサンダル、七分丈のズボン(ポケットが沢山で機能的)、白地のTシャツ(左胸に小さく白黒のモンスターボールの刺繍)、頭には――非常に機能的な、麦わら帽子。
お洒落……か?
いや、僕の中では、機能的な虫捕り少年って感じか。
まあ、ダサいと言われるよりは、全然マシだけど。
「お年頃……とは違いますけど、まあ、せっかく女性とお出かけですから、お洒落ならお洒落で、良かったなぁ、って感じですかね」
「うん、なんか、嬉しいです……」
「そうですか……?」
なんで木蘭さんが嬉しがるんだ?
なんて無粋なことは声に出さずに、僕と木蘭さんは、さっそく、玉虫に向けて出発することにした。お金は……ある、かな。いつ下したか記憶にないけど、まあまあ持っていた気がする。
持ち物は、ポケギアと、財布と、モンスターボールと……暑いだろうってことで扇子も持って行こうとしたけれど、木蘭さんは持っていないだろうし不公平になりそうだったので、置いていくことにする。飲み物とかは、道中で買えば良いだろう。
麦わら帽子とか扇子とか、今は着てないけど浴衣とか。意外にも、日本文化が我が家には溢れている。
檜皮に住んでるお婆ちゃんが送ってくるから、なんだけどね。
「それじゃ、行きましょうか」
「あ、うん、よろしくお願いします」
何をお願いされたんだろう。荷物持ちかな?
まあ、何はともあれ。
ハクロ君の休日、始まり始まり、である。
いや、毎日休日っちゃあ、休日なんだけどね。