8
目が覚めると。
僕は布団の上に寝ていた。
周りには誰もいないけれど、景色とか、雰囲気とか、目の先の天井の染みとか。
どれをとっても、
「実家か……」
お婆ちゃんの家。
すなわち僕の実家だった。
「……なんか、最近気を失ってばっかりだなぁ」
僕、精神的に弱い子なんだろうか。
でも、気を失った後に布団で目覚めるなんて、初めての経験かもしれない。
そういう意味では、良い経験……なのかな?
「まあでも、無事で何よりだ」
僕自身が。
それとも、姥目が、だろうか。
何でもいいか。
ともかく。
「誰もいないのかなぁ」
寝起きに一人というのは慣れているけど、気絶から回復して一人ぼっちなのは、少し寂しい。僕は誰かいないものかと、起き上がって調べようとするけれど、それが無理だと言う事を瞬時に悟り、腹筋を活動させる前に瀕死に陥る。
「え、嘘だろ……」
起き上がろうとして、気付く。
びっくりするほど、動けない。
上体を起こせないのはおろか、腕を持ち上げる事すら不可能だ。かろうじて両手十本の指は数ミリ程度稼働するけれど、それ以外は本当に、麻痺でもしたんじゃないかと思うくらいに、停止を余儀なくされている。
「血ぃ流しすぎたか……?」
いや、でも鼻血で出たくらいだし、そんなにドバッと出血した覚えはない。痛みを感じる場所はないから、切り傷を作ったとも考えられないし……となると、原因は何だろう。日頃の運動不足が僕をこんな状態に追い込んだとでも言うのだろうか。それなら面白い話だ。筋肉痛が全体にこんなに早く行き渡るなんて、若い証拠だよなぁ、とか、何とか。
「ていうか、そもそも今いつだ」
昨日から数えて何日目なんだろう。生憎とこの位置からでは障子の向こうが晴れなのか雨なのか、そもそも朝なのか夜なのかも分からない。時計もかかっていないから時間すら分からないし、ポケギアなんてもっての他。こんなに不安感の募る状況も珍しい。これなら身動きの取れない状態で見知らぬ土地に放り出されていた方が、いくらか無茶が出来るってもんだ。
……しかし、本当にどうしよう。困ったことに、僕は本気の本気で動けない。冗談抜きで。体をちょっとずつ揺らして、反動を上手く利用して仰向けからうつ伏せになるくらいは出来そうだけど、そうしたところで首の向きが上下反転するだけだから障子の向こう側を見る事は出来ないし、息苦しさが増すだけだ。
こういう場合は、どうするのが正しいんだろう。
大声を出して助けを求める……とか?
「いや、恥ずかしいよなー……」
もう少し待ってれば、誰か帰ってくるだろうし。
そうだそうだ、そうに決まってる。せっかく体が動かないのなら、体が動かなくても出来ることをして時間を潰せばいい。大変効率の良い選択だな僕。さて、何をしよう……って、やっぱり体を動かさないとなると、頭で考えるか、言葉を発するか、二つに一つになるかな。後者は恥ずかしいのでパスだから、必然的に前者が選ばれるわけだ。
昨日のことでも……考えるか。
結局どんな繋がりか分からなかったとは言え、トクサ少年の知り合いだった浅葱ジムリーダーの蜜柑と会話出来たことで、ひとまず、セレビィの時空歪めちゃいました事件は解決……した、のだろう。セレビィがその後どうなったかは分からないけど、究極的には僕は檜皮と姥目の時間軸がぶれてしまわなければいいのだから、冷めた言い方をすれば、セレビィがその能力を発揮できない=動けない=死んでいても別に構わないわけだ。まあ心は痛むけれど、別段困るってわけではないわけで。
ダークライがダークホールでセレビィを永久の闇に堕として、その中で悪夢を吸い取り、同時に精神力も奪って、体力は減少。外傷はないけれど、酷く辛い状況になっているのは目に見えている。もしかしたらあのまま死んでしまったかもしれないけれど、僕がここにいるって言うことはトクサ少年か誰かが僕を発見したってことだから、セレビィも一緒に発見されていることだろう。
そうなると他に大して問題になることはないのかな。僕はこうして生きている……はずだし、このまま植物人間になってしまうってことはないだろう。実際指は動くし、声も出るし。ま、今僕が見ている現実が夢か幻だとするならば、これは残念なことに、妄想世界ということになってしまうけれど、それはなさそうだ。何故なら、妄想ならもうちょっと僕の融通が利いても良さそうだし、そもそも妄想なのに身動き取れないって、卑怯だよなぁ、とか。
……。
……。
うーん……?
本当に誰も来ない。もしかして、今は真夜中とかなんだろうか。実は僕が倒れてから一時間と経っていませんでした! とかいうアレだろうか。いやいや、でも一時間も経っていないのなら、誰かがつきっきりで看病してくれていても良さそうな気がする。お婆ちゃんは面倒見が良いし、トクサ少年も、部屋の隅でむすっとしながらも、ずっと見ていてくれそうだ。だけどそれがないと言うことは、きっとみんな、僕の看病に眠ってしまっているのだろう。そうだそうだ。そうに違いない。きっと一日中寝ていたんだな、僕ってばお茶目さんだ。
だけど……そうに違いないとは思うけど、違いなかったら逆にそれは問題なんじゃないだろうか。真夜中が始まったばかりだとするならば、僕はこれからもう少しの間孤独を味あわなければいけないわけだ。ん、味あわせるって、誤用だっけ。味わわせるが正しい言い方なんだったかな。でも、味わわせるって、違和感あるよなぁ。わが連続しても良いことなんて一つもないと思うけど。連続してもいいのは幸運くらいで、大体のものが連続しても割に合わない結果しか生まないと思うわけで。
……。
……。
うーん……。
これからどうしよう。っていうか、ここまで放置されてるのって、少し悲しいなぁ。別にみんなに愛されて箱入りにされたいと思っているわけじゃ全然ないけれど、それにしたって、気絶した人間をまるまる放置しておくってのは、ちょっとどうかと思う。なんか悲しいし寂しいし、酷く傷ついている。僕の精神力って、あんまりタフじゃないし。それに、僕はこういう時他人に怒りをぶつけられる性格じゃないから、僕がみんなに適当な相づちを打っていたから、そのしわ寄せがここに来たんだろうなぁ、なんて、自分に悲しい想像を張り巡らしてしまう。
いや、きっとそうなんだな。僕は本当は、みんなに愛されていない人間だったんだ。そして何故愛されていないかと言えば、僕が人を愛せてないから。緑葉以外の人間の命がかかっている場面でも、僕は命を落とさないんだろうな、なんてことを思ったし。そのしわ寄せだ。僕はそうしてみんなに嫌われて、こうして今のような状況に置かれてしまうんだ。分かっていたんだ。僕はきっと分かっていた。いつかこうなるんだろうなんてことを、ね。そして結果、こうなってしまった。
悲しいなぁ。
悲しいよ。
みんなで仲良く喋っていると、ついついみんながみんなを愛していて、僕自身すらも、みんなのことが好きなんじゃないかな、なんて風に錯覚してしまうけれど。その実、僕は誰にも愛されていなくて、誰も愛していないのかもしれないのでした。という、そんなオチすらも、頭の片隅に浮かんでくる始末だ。
……参ってんなぁ、精神。
あーそうだ。そういや緑葉と喧嘩したままだ。やばいやばい。どんどん精神が負の方向に向かっていく。ダメだなぁ、体が弱っていると、心まで弱ってしまう。心が弱って体が弱ったら、強気でいられるのは、夢だけだよ。本当に。
夢……或いは、望みか。
希望。
目的。
未来。
幸福。
不安な場所に立てば立つほど。
微妙な位置を歩けば歩くほど。
危険な日々を送れば送るほど。
堕落な自分を見れば見るほど。
募る希望に増幅する夢。
体が弱って心が弱って。
此処の自分が弱れば弱るほど、
其処の夢幻が膨れてしまう。
期待に縋るとか、そういうことなんだろうか。僕がダメだから、明日の僕に託そう、とか。明日や未来の僕は、ちゃんとやってくれるよ、とか。やらなきゃいけないことを、未来に押しつける、とか。じゃあその押しつけたやらなきゃいけないことを生み出したのは誰かと言えばそれは僕で、さらに僕は、間の悪い事に、過去の僕が押しつけて来た問題を、右から左に、過去から未来に、垂れ流しているだけなんだ。
そんな人生で……どうなるんだろう。
結構、考えてみりゃ、瀕死の状況に、送り込まれているんだしなぁ。
三ヶ月で、二度。
昏睡状態、とか。
骨折、とか。
ま、骨は一日や二日で、ほとんど治ったようなもんだったけど……なんて、そんな言葉も、結局のところ、自分の過去を改ざんしたいがための、強がりか。
今だって、痛むもんなぁ。
足も心も。
その他諸々。
「あー……」
どうなんだろうなぁ。
なんなんだろうなぁ。
一人はよくない。ほんと、いいことなんてあるはずがない。
毎日のように一人で生活している僕だから、そんなことが言える。そんなことを、真実として、告げられる。僕は毎日を、こんな独白染みた思考で塗りたくって送っているから、悲しいとか、寂しいとか、言えるんだ。
だから怖いよ。
誰かと一緒に居る時くらい、みんなに構って欲しい。誰かと一緒に居られる時くらい、みんなに側に居て欲しい。
今回だって、僕はずっと誰かと一緒に居たのにな。
最後の最後は、一人だったけど。
ああ――――――――――うん。
一人だったけど。
独りじゃないとか、そういうありきたりな話か。
一人と、一匹。
ダークライは、そうか。
一緒にいるのにな。
ずっと話さないし。
ずっと放せないけど。
ずっと放せないから、こそ、か。
ポケモンが居て。
それで――旅に出ているトレーナーが、寂しくないのは。
寂しい……のかもしれないけれど。
それでもそれを、自分に偽れるのは。
ポケモンが一緒にいるから。
僕とは違って。
ポケモンと……一緒に、『居る』から。
寂しくないのかな。
僕は……僕は。
まだまだ、寂しい。
ダークライと一緒に居るのが、不満じゃないけど。
何故かダークライと一緒に居ても、満たされない。
満たされないなら不満なんだろうか。
でも、そこまで悪意のある気持ちはない。
「ダークライ……」
何処にあるんだろ。
モンスターボール、腰についてない感じだし。
今すぐ会いたいなんて全然思ってないけど、居なくなったら居なくなったで、すごく寂しいし。
はぁ。
うん。
結局、何もできねぇや。
不憫なもんだなぁ。
だから人間とポケモンは仲良しなのかな、とか、思ったり、思わなかったりしつつ。
「……助けてくれー」
結局。
僕は助けを呼ぶ。
割と切実に。
感傷的になったからとかではない、全うな救済要請を、僕のおりこうな頭で導き出された結果によると、すぐ近くにいるのであろう人に向けて。
喉乾いたし。
頭あっついし。
「おねえちゃーん」
「はいはーい」
ガラリと戸が開いて、見知った顔が覗く。
正座で待機していたらしく、障子戸を少し開けて僕から見える情景が、少しだけ艶っぽかったりなんかして。
「お久しぶりです」
動けない状態のまま、まあ言葉だけは上手く使えるので、僕は緑葉に告げてみた。
「お久しぶりです」
そのままオウム返しを受けて、僕は首を横から上に向ける。
「残念なことに、動けないんだ」
「知ってるよ」
「そう? 知ってるなら、助けてくれたら良かったのに」
「助けてあげるよ? ちゃんと頼ってくれたらね」
怒って……ないのかなぁ。
いや、別に怒らせたわけじゃないんだっけ。
昨日の電話は、ただ、僕が一方的に、愚痴を零しただけ……な、はずだし。
でも、なぁ。
「緑葉」
「んー?」
「昨日、ごめんね」
「……うん」
ある意味、様々な意味で緑葉の上を行ってしまっている僕が謝るというのは、酷く失礼な行為なのかもしれないけれど。
「ハクロがそういうこと言うなんて珍しいから、今回は特別に許してあげようかな」
緑葉はそんな風に、僕の額に冷たいタオルを乗せながら、軽い口調で、僕を許してくれた。
「まぁ、びっくりはしたけどね」
「びっくり?」
「うん、ハクロが急にぐちぐち言うから」
ぐぅ……。
やっぱり、どう考えても、キャラじゃないもんなぁ。弱音を吐く僕って。
口から弱音を吐く。
……ダメだ、頭が上手く回ってない。
なんて伝わりにくいネタだよ。
「それにしてもハクロ」
「ん、何」
僕の顔の横でちょこんと足を崩して座っている緑葉。久しぶりだからか、弱っているからか、定かではないけど、どうにもこうにもこの至近距離はドキドキしてしまうものだ。
「私、前に無茶しちゃダメって、言わなかったかな」
「ぐ……そんな事、聞いたような気もする」
一人で突っ走るなとか。
一人で全部解決しようとするなとか。
まあ、知ったこっちゃないって感じだったけど。
実際こうして実害を被ると、その言葉の重みも、少しは感じるようなもので。
「じゃあ何で無茶しちゃったんだろうね」
緑葉が怖い。
怖いよう。
「ごめん……なさい」
と、なんとか笑いに出来ないものかと思うけど。
「謝っても済まないこともあるんだよ」
「……うん、マジでごめん」
茶化すつもりじゃなかったけど、そう聞こえてしまったのかもしれないな。僕って結構、軽薄だし。
緑葉の前だと、だけど。
「別に怒ってるわけじゃないけど、あんまり無茶が過ぎると、色んな人に迷惑かけちゃうしね」
「まあ、ね。でも緑葉が怒ってることは、事実でしょ」
「怒ってないよ」
「怒ってるって」
「怒ってない」
そのいつもより固い口調が、怒ってる証明なんだけどなぁ。
ま、いいか。
「それでさ、緑葉」
「なに?」
「聞きたいことがありすぎて、どれから聞こうか迷ってるんだけど」
「うん?」
本当に、山ほどあって、選択に困る。例えば今日は何日なの? とか、今って朝? 夜? とか、緑葉っていつ来たの? とか、他の人って何処? とか、今回出番少なかったけど怒ってない? ……なんて、まあ、そんな変なことは置いておいて。
とりあえず、聞きたいこと。
「セレビィ、どうなったか分かる?」
「あー……」
と。
歯切れの悪い返事。
……マジ?
「やっぱ、やばかった?」
「うーと……なんて言えばいいのかな」
「ありのまま言ってくれれば、それでいいけど」
覚悟は出来てるし。
「うん、じゃあありのまま言うね」
「あいよ」
「みんなでポケモンセンターに行ってセレビィの回復を待ってるけど、中々目を覚まさないから、つきっきり。でも、置き去りにされたハクロは可哀想だから、私が看護してあげているのです」
「ほー……?」
生きては、いるのか。
「あ、でもみんなって事は、トクサ少年も?」
「うーんと、私が来た時にはトクサ君はいなかったかなぁ。お婆ちゃんと赤火と、ちっちゃい子がいたよ?」
ちっちゃい子。
筑紫、ね。
ジムリーダーって言ったら、緑葉はどんな反応するんだろう。トクサ少年みたいに、驚きを隠せなかったりするんだろうか。
……まあいいや。面白いから、黙っておこう。
これで僕に一の利だ。
「それで、緑葉は一人僕なんかの面倒を見ている……と」
「そ。ハクロが可哀想だからねー」
なんだかなぁ。
甘く見られてるのか、好かれているのか。
よくわからないや……。
あ、でも、さっき沈んでいた時に比べたら、心が随分楽だな。
やっぱ……心の底から、安心しきっているんだろうなぁ、僕。
緑葉。
心の底から、参っているのかもしれない。
「だからハクロは、何でも言ってくれていいからねー」
「うーむ……何でも言いたいところだけど、何か言ったところで、僕は動けないんだよね」
「ふーん、それ、そんなに酷いんだ」
「うん、本当に……」
って。
あれ、僕は緑葉に、この旨を伝えていただろうか。
過去の情報を再検索。
あ、最初に動けないって言ってるか。
でも、言ったあと、知ってるよって、言われてるけど。
「……うーん?」
なんで知ってんだ?
「緑葉さん」
「どした?」
いつも通り。
いつも通りすぎて……何かがおかしいような、そんなやりとりをして。
「一つ、お訪ねしたいことが」
「うむ、なにかね」
「僕って、なんで動けないんだろう。別に貧血持ちとか、持病があるとかじゃ無いはずなんだけど」
「うん、そうだね。昔からの付き合いだし、知ってるよ」
そりゃそうですよねー。
僕は緑葉以上に近しい人間、いないですもの。
「……」
嫌な予感がする。
ていうか。
嫌な予感しか、しない。
「緑葉さ」
「うぃ?」
「嘘ついてるだろ、僕に……」
なんかおかしいと思ってましたよ僕は薄々と。
非現実的過ぎるだろ……。
まあ、そんくらいじゃないと、僕らしく無いけどさ……。
「ネタバレ終わったかー?」
野太い声で。
野太いと言うよりは……男前?
いやいや。
んなこと言ってる場合じゃねえ。
「終わってませんけど気付いてるみたいですー」
緑葉がそんなことを言いまして。
ガラリと障子戸が開きました。
と。
「おっす!」
久しぶりだな! 的な。
そんな具合で。
「……仕事しろよ」
元軍人がいた。
ハーフパンツに半袖シャツという、この上ないラフな格好で。
……少佐のくせに、職務怠慢か。
ていうかそもそもジムリーダーのくせに……って、今日平日か。
「はっはー、この嬢ちゃんとお前を二人きりにするのは気が引けるからな、妨害させてもらったぜ」
ていうか。
緑葉の前では、キャラ作りしないんだ……。
「これ、少佐の仕業ですか」
「ん?」
「体の痺れ」
「ああ、うん。非合法だから詳細は聞くな」
「ふざけんなよ」
「ハクロは動けると無茶するからって言ってね、お願いしたの。感謝しないとダメだよ?」
最低。
最低だよ……。
緑葉も少佐も……!
「もうちょっと待ってろ、自然と痺れは取れるから。あと十分もしねえうちにな」
「……まあ、いいですけど」
人工的な束縛なら、逆に安心だ。
ちゃんとこれからも、生きられそうだし。
「じゃ、緑葉ちゃん。こいつは放っておいて、おじさんと向こう行こうか」
「え、そんな……」
「お前らどっか行けよ」
いつから喜劇だよ。
とか、まあそんな感じで。
とりあえず、痺れが回復するまでは、僕は身動きが取れないから。
「緑葉、もう一個だけお願い」
「なに?」
「なんか飲ませて」
喉がカラカラで大変だったのでした。
「口移しかー、お前も大胆だなー」
「もう帰れよ」
少佐に茶化されて、心の底から、僕はそう思ったし。
心の底から。
……愛されているんだとも、ちゃんと分かった。
◇
さて。
簡単に、ことの顛末をまとめよう。
結局、僕が目を覚ました時間というのは、セレビィ騒動が起きてから半日以上が経過した、午後三時の事だった。
緑葉は夕方に来る、と言っていたみたいだけれど、実際、午前中にはもう檜皮に着いていたらしい。そのことについて、緑葉も多少、到着時間が早すぎて不思議がっていたけれど、それは明らかに、磁場の乱れとか時空の歪みとか、そういうのが関係してくるんだろうと、門外漢ながら思った。
まあ……僕だって、黄金から檜皮に到着するまで、一時間かかってないんだよなぁ、実際。
お婆ちゃんに連絡を入れた後で自転車を借りる事を思いついたわけで、そのせいで早く到着したんだろう、なんて自分を騙しておいたけど。その実、どっかでやっぱり、時間の関係がおかしくなっているわけだ。
ま、あそこで気付って方が無理だけど。
それ以前から、時間の歪みは始まってたわけだ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私、ハクロ君の住む朽葉でジムリーダーを務めさせて頂いている、マチスと申します」
「まぁまぁ、これはご丁寧に」
つまりは僕は十二時間以上、昏睡状態に陥っていたわけだ。まあ、でも、その辺も、檜皮にいることで、『時間』を生きてはいないとは言え、『時間』を体感しているのだから、進んでいなくても、その何時間かをループしていることから考えて、睡眠不足になってると言うのは、簡単に導き出せる結論だろう。とは言っても、元からそんなSFちっくなこと、僕は全然信じていないから、ただ単に寝不足だったんだろうっていう結論に繋げるけれど。
ファンタジーもフィクションも、好きではない。
他に気になること……と言えば、セレビィと、ダークライか。
結論から言って、ダークライの安否は――よく分からない。その理由は、ダークライはまだ姥目の森に存在しているから、だ。上手く説明することが出来ないけれど、何が起きたのか、ダークライの奴、僕のモンスターボールに戻ろうとしないのである。
経験の長い少佐が言うには、「嫉妬だろ、嫉妬」とのこと。特に僕みたいに、長年一匹のポケモンを連れ添っているトレーナーにはよくあることらしい。トクサ少年にも出来れば意見を聞きたいところだったのだけれど、生憎と今は消息が掴めてないので難しい。
うーん、僕がセレビィを捕まえようとしてる……って思ったのかなぁ。
まあ、ほとぼりが冷めれば元通りになるらしいので、ダークライのことは、あまり気に掛けていないけれど。
冷めていると言うよりは、僕的には、ものすごく信頼した上での対応なんだけどね。
「ハクちゃん、こんな立派な方とお知り合いだったのねぇ」
「いえいえ、私の方こそ、ハクロ君に不慣れな日本について、色々と教えてもらっているんですよ」
「お上手ですこと」
そしてセレビィだけど。
依然、治療中、ということらしい。
檜皮のポケモンセンターは、お世辞にも設備が整っているとは言えないので、黄金のポケモンセンターで治療を受けさせるのが妥当な流れだと思うのだけれど、そういうのはやっぱり子どもの浅知恵らしく、少佐が言うには、
「仮にこいつがモンスターボールに入っていれば、別段問題はない。だけどこいつは生身だろ? そんな姿で黄金市街をうろついて、人目に晒したらどうなる。珍しいポケモンってのは、とかく面倒に巻き込まれやすい。そこに悪意がなくても、だ」
という、何とも大人な、視界の広い考え方だったので、檜皮のポケモンセンターで治療を受けているのだ。
幸い、檜皮に住む老人連中は、紫紺お婆ちゃんの息がかかっている(と言うと何だかお婆ちゃんが悪者のようにも思えるが)ので、きちんと理由を説明して、口を閉ざしてもらうように頼んでおいた。まあ、とは言っても、元々檜皮の人たちにも違和感を抱いていた人がいたようなので、そんなに大騒ぎになるということはなかったけど。
それに、当然一番大騒ぎしていたのは緑葉だった。
「あ、うわ、うわぁ……すごい、本物さんだぁ……」
と言いながら、ポケモン図鑑を取り出して、セレビィの記録をせっせと取り込んでいた。
命に別状はないみたいだし、ポケモン図鑑の取り込みで体に負担がかかることはないようだったので、誰も止めなかったけど。流石に空のモンスターボールに手をかけ始めた時には、止めに入った。
どんだけ子どもなんだよ。
まあ、セレビィは男の子より、女の子に人気のありそうなポケモンではあるけどね。
――いや、幻のポケモンは、総じてそうなのかな。
「そうだ。これ、故郷の名物なんですが、良かったら食べてください。お口に合うか分かりませんが……」
「まあ、クッキーですか。私ねぇ、こう見えて向こうのお菓子って好きなんですよ。有り難く頂戴しますねぇ」
「それは良かった!」
あとは……少佐か。
ていうか、少佐か。一番気になる人物は。
何でも少佐、昨日の昼の段階で僕が家にいないことを察して、そこかしこに手を回していたらしい。何故手を回したかと言えば、無論、暇な平日の遊び相手がいなくて寂しいから、というのが本心だろうが、表向きは『テロ組織に拉致された少年の保護』という名目だそうだ。ああ、余談だけど、以前僕をかっさらおうとしたテロ組織。何とか団っていう、名前があるらしい。基本的に人に危害を加えない集団らしいんだけど、時折無茶をする過激な奴らがいて、そういうのは大体、日本のお国事情を知らない人だったりするとか。
……いや、別に海外批判なんてしてないよ?
僕少佐大好きだし。
いや、それは流石に嘘だけど。
ともかく、そんな嘘をでっちあげて、少佐は単身上都に乗り込んで来たらしい。まあ、それまでに色々と踏む必要のある手順があったから到着が遅れたとのことだったけれど、およそ二十四時間でここまで乗り込んでくるのは、大した行動力だと思う。僕を保護する名目だけじゃなくて、他にも『以前犯行グループが乗り込んだ定期船がある浅葱市の調査』とか、『他地方のジムリーダーと親交を深める』とか、様々な理由をでっち上げたそうだ。『被害にあった少年のご家族への謝罪訪問』とかとか。まあ、急いでここに来るためには、それくらいの理由をでっちあげなければいけなかったんだろう。それでいて、その全ての用事をちゃんと片付けるから、少佐っていう人間は、末恐ろしいのだけれど。
「後でお茶でもいかがかしら? 向こうでのハクちゃんの様子を聞かせていただけると有り難いんですけどねぇ」
「ええ、喜んでお邪魔させていただきます。私も、ハクロ君の事について色々とお聞きしたいことがありますので」
他に気になることと言えば……トクサ少年と、蜜柑の関係、か。
まあ、僕だってバカじゃない。トクサ少年と蜜柑の関連性と言えば、『鋼ポケモン』の一言に尽きる。の……だけれど、何かそう一筋縄で行きそうにはないのも、分かる。
だから仮定の話をするならば。
ポケモントレーナーってのは、得てして憧れを持ちやすいものだと、僕は思っている。
僕が万が一の可能性として少佐にベタ惚れしてしまった場合、きっと電気タイプのポケモンを扱うトレーナーになることだろう。現に、そういう酔狂な皆さんがいるからこそ、あの朽葉ジムはジムとしてなりたっている。ジムリーダーがあんななのに、だ。
それだから考えられるのが。
……トクサ少年って、上都の出身なんじゃないだろうか。
これもトクサ少年の消息が分からないから聞けないけれど、まあ大体そんなもんだろう、って気はしている。そもそも、本名が漢名という人間の方が、少ないのだ。僕の周囲にはそういう人が多いけれど、筑紫だって海外国籍だって言ってるしなあ。
ま、上都に住むなら漢名の方が過ごしやすいし。
そもそも豊縁とか関東には『苗字』っていう概念がないらしいから、何処へ行っても名前だけの人が多いけれど、上都が開放的になったお陰で、国際色豊かになっているわけだ。
うちの父さんだって、元々は苗字なかったもんなぁ。だから苗字があって漢名の人は、上都出身か、もしくは上都に縁のある人物として間違いないわけだ。
「お婆ちゃんとお兄ちゃんの言うことちゃんと聞いてた?」
「うん!」
「本当かなぁ?」
だから、トクサ少年のように、『数崎木賊』という正式名称がある人は、上都の出身と見てほぼ間違いない……と、思う。もちろん、トクサ少年の名前が偽名だって可能性もあるけれど、風呂場でその辺の知識について饒舌に語っていたところを見ると、きっと本名なんだろう。
上都の出身で。
鋼ポケモン使い。
蜜柑の素性や過去が明らかにならない限り、断定することは難しいけれど……分かりやすい関係とすれば、幼なじみのお姉さん、とか、そんな感じだろうな。
流石に生き別れた姉と弟は、やりすぎだもんなぁ……。
「えっとね、お兄ちゃんとお風呂に入ろうとしたけど、ダメって言われたよ」
「そうだねー。赤火はお姉ちゃんと一緒にお風呂入ろうか」
「えー、お兄ちゃんがいいなぁ」
「それは絶対にダメ」
ともかく、トクサ少年については、帰ってきてから直接問いただせばいいか。
どこほっつき歩いているのか知らないけど、僕を運んでくれたのはトクサ少年らしいから、突然消息が途絶えたわけじゃないしね。
ってなると……未解決なのは、ダークライと、セレビィと、トクサ少年、か。気分的にはエンディングだったけど、残念ながら、まだ姥目の森の一騒動は続くらしい。
「ハクロさん!」
「んあ?」
一人でベンチに座って悶々と思考を続けていた僕に、ついに話しかける人物が現れた。六人いて二人余ってたら、もう少し早く会話に移行しても良さそうなものだけれど。
って、別に寂しいわけじゃないんだよ僕。
本当に。
「あの、蜜柑さんが関係してるって話を、小耳に挟んだのですけど……」
「ん、どのタイミングで小耳に挟んだんだい?」
「マチスさんが、さっきぽろっと溢してました」
「なるほど」
少佐のことだからドジっ子なんじゃなくて、意図的なんだろうけど、果たしてどんな意図があるのやら。
「何か気になるの?」
「いえ……なんと言うか、全然悪気があって言うわけじゃないんですけど、蜜柑さんって、その……」
「うん?」
「上都のジムリーダーの中でも、特に浮いているって言うか……」
「ああ」
まあ、確かにそんな印象は受けるかな。
ほわほわしていて、今にも何処かに飛んで行きそうな。それでいて、芯があるから、ガードが固いって印象はあるけど。
流石はスチールバッジを扱ってるだけあるな。
……全然面白くねぇや。
「で、それが何か気になった?」
「えっと……僕も蜜柑さんのことをジムリーダーとして尊敬していて、だから、あまりこういう憶測を立てるのは、失礼になるのかもしれないんですけど」
「うん、まあ、その気持ちは分かるよ」
「蜜柑さんって、見ず知らずの他人のために何かをするような人には、思えないんです」
他人のために。
それは言い換えると――自分本位、と言う事だろうか。
あるいは、極限られたネットワーク内での、助け合い。
「ハクロさんは――すいません、失礼な言い方かもしれませんけど、自虐心の強い人ですよね」
「む……まあ、確かに当たってるよ。よく言われるしね。自虐心と言うよりは、自己犠牲だけど」
「はい。それで、蜜柑さんはそれと対極にいるような人なんです」
対極ねぇ。
他者犠牲、か?
「ふーん……なるほどね。似てない人ほど馬が合うって言うし、僕は案外仲良くなれるかもね。でも、それは別段、気になることじゃないんじゃない?」
「気にならないと言えば、全く気になるようなことではいんですけど……」
言葉を探すように、筑紫は語尾を落として、眉をひそめる。
ふむ。
確かに違和感を感じるところは、あるか。僕が蜜柑をよく知らないからピンと来ないけれど、例えば少佐に置き換えるのなら、深奥で起きた事件をテレビで見ながら「大変そうだなぁ」なんて言うのは、少佐らしくない。
そんな少佐はいやだ。
だから、ありのままを言えば――気持ち悪い、なんだろうか。自分のことにしか興味のない人間が、自分に利のないことをする、という行為そのものが。
いや、むしろ。
厚意そのものが、か。
「まあでも、トクサ少年の知り合いみたいだし、悪い人には見えないけどね。自分勝手っぽそうだけど。まあ、ある意味それも美徳だと思うよ」
「はい。本当に、とても良い人なんです。優しくて、強くて、ジムリーダーとしては、僕なんて足下にも及ばない程の人だと思うんです……でも」
随分と煮え切らない言葉。
まー……気持ちは分かるけど、ね。
そういう違和感を突き詰めて、僕も結局、セレビィという原因を突き止めたわけだし。
……ていうか、他人のために何かしてしまうという僕の性質を知っていながら、蜜柑の違和感について僕に言い聞かせるってのは、暗に手伝えって言ってるんだろうか。
やめてくれよなぁ。
手伝いたくなっちゃうじゃんか。
「ま、後で直接聞いてみればいいよ。トクサ少年にも、聞きたい事はあるしさ」
「それも……そう、ですね」
「そうそう。自分本位な人間なんて、他にいくらでもいるし。それに、たまには世界を救おうとしても、別に問題ないんじゃない?」
「そう……です、よね」
腑に落ちない様子だけど。
腑に落ちない事なんて、世の中にはいっぱいあるよ。
「さて、それじゃそろそろ、僕らもあの穏やかな輪に入れて貰おうよ」
実はまだ痺れが抜けきっていない腕を上げて、僕は男一対女三の集団を指差す。ていうか少佐はこうやって見ると、やっぱ背でかいなー。百九十くらいあるんじゃないかあのおっさん。さっきから随分と腰は低いけど。
「そうですね。考えていても仕方ないですもんね」
筑紫は作り笑いを浮かべて、立ち上がった僕と共に、和気藹々とした輪に参加する。
さて、後はこれでセレビィの安否が――死ぬにせよ、生きるにせよ、確認されて。それで僕のダークライが戻ってくれば、一件落着。
あとはトクサ少年に蜜柑との関係を根掘り葉掘り聞き出して……ってそれじゃあ少佐と同じか。まあ、聞けるとこまで聞いてみて、筑紫にも納得させて、それで墓参りに行って、上都の騒動は終わりだ。
今回も、僕の面倒な口調で、長々とお疲れ様でした、とかね。
誰に言ってるわけじゃあないけど。
それからしばらく、僕は集団の中に入って、五人の幸せそうな会話に聞き耳を立てていた。が、筑紫同様、僕はさっきから変な違和感を感じていたので、それについて、一番頭の良さそうな人物に、訊ねてみることにする。
「少佐」
「ん、なんだいハクロ君」
「やめてください気持ち悪い」
少佐の腕を引いて、集団から抜けさせて内緒話に興じる。
「なんか、遅くないですかね」
「遅いって、何が」
「セレビィについての報告ですよ。意識が戻らないにせよ、何にせよ、報告くらいあっても良さそうなもんですけど」
「んー……確かに妙だな。話込んでて忘れてたが、俺たちはそいつの報告を待ってるんだもんな」
少佐は腕に巻かれた時計を確認して、「二十分……は、見過ごせる時間じゃないな」と呟く。
「必至に救命措置をしていてうっかりしてました、っていうオチが理想的だがな」
「僕もそう思います」
いや、「僕もそう願います」、か。
そんな未来は、全然思っちゃいないし。
僕と少佐は待合い場から少し離れた場所にある部屋に向かう。当然、そこにセレビィが存在していて、今頃は女医さんの必至の救命措置を受けて、生と死の狭間を彷徨っている――はず、だった。
部屋の中には。
部屋の中には。
部屋の中には。
倒れた女医さんが一人、いるだけだった。
セレビィの姿はまるでない。
幸いにして、その部屋の窓は開け放されたままだったから、密室なんていう、バカげた現象は起きなかったみたいだけれど……。
「少佐」
うーん。
唐突すぎやしないか?
まあ、いつだって事件なんてもんは、唐突にしか起こらないけどさ。
「なあハクロ。お前、あいつらに嘘つくのと、窓枠飛び越えるの、どっちがいい?」
「どっちも良くないですけど、嘘つく方が、いやですね」
出来ればこれ以上は。
緑葉に怒られるの、嫌だし。
「ちょっと走って、行ってこい」
「分かりました」
まだエンディングじゃねぇのかよ。
随分とまぁ、面白くなってきたもんだ。