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「ねえ、がんてつさん」
「ん? なんじゃ」
「どうしてモンスターボールは、ポケモンを捕まえられるの?」
「おお、難しい質問しよるな。……まあ簡単に言うたら、ポケモンも捕まりたい思っとる言うことじゃ」
「捕まりたいと思うの?」
「そうじゃな。ポケモンつーのは究極的には戦うことが好きな種族じゃ。せやから、自分を強く育ててくれそうな人間――っちゅうんはつまり、強いポケモンを持っとる人間に弱らせられたら、捕まってもええ、と思うんじゃ」
「ふーん……でも、お婆ちゃんは弱らせなくても捕まえられるよ? そういうボールがあるの?」
「紫紺か? ああ、あいつは特別じゃ。確かに一発で仕留められるボールもあるらしいけど、わしは好かんな。紫紺ならきっと、凡栗使うてでも一発で捕まえられるやろ」
「どうして?」
「そらお前、紫紺はポケモンを育てる天才やからな」
「それだとどうなるの?」
「ポケモンが、自分も育てて欲しくて、自分から進んで捕まりに行くんじゃ」
◇
というわけで。
ポケギアで時間を調べると、現在時刻は午後十一時。いい加減時間感覚が狂ってきている僕だけれど、実際にこうして渦中にいる分には、困りもしないというものだ。
檜皮に来てからの一日が妙に長いと思ったら――とどのつまり、実際檜皮の時間感覚が狂っているということだ。関東から上都に来るまでと、黄金で自転車を借りた時間を比べてみて、恐ろしい程に、檜皮にいる時間は密度が濃い。
これはもう――本当に、ただただ乱暴に、時間が狂っている……のだと、思う。
時渡り、ね。
いたずらに使っていいような能力じゃ、ないよなぁ。
「まあ、だから治してやるんだけどさ」
自分に活を入れてから、僕は実家の戸を開いてみる。
トクサ少年や筑紫には――出来れば関わって欲しくない出来事だ。彼らが何の役にも立たない、と思っているわけでは決してないけれど、ただ単純に、巻き込みたくないし、力を借りたくないから。
赤火に至っては――きっと何も知らないんだろうな。何も知らないし、そのまま知らずに一生過ぎてもいいような事柄だ。だから赤火が寝ている間に――恐らくは日常より遙かに長い夜の間に、全てを終わらせておきたい。
終わらせるためには――色々と、人の力を借りないとね。
「お婆ちゃん、いる?」
控えめな声で、僕はほんのりと灯りが点いている部屋の障子戸を開けて、お婆ちゃんを呼んだ。
「おや、ハクちゃん。随分長い事だったけど、何処まで行ってたんだい?」
「うん、ちょっと……まあ、森の方まで」
「そうかい。気分は晴れたかい?」
「いや……全然晴れてないや」
流石はお婆ちゃん、と言った所だろうか。
何もかもお見通しのようだ。
「他の二人は?」
「ハクちゃんの部屋で寝てるよ。今日は疲れたんだろうねぇ」
穏やかに、なんてことなく言うお婆ちゃん。疲れたってのは、きっと昼間のバトルの事だろう。それを当然のように、お婆ちゃんは知っている。
――いよいよ、怖いくらいだな。お婆ちゃんの性格は。
「さて、赤火ちゃんも寝付いたし、こっちにおいで」
お婆ちゃんは立ち上がると、僕の方に歩いてきて、僕を通り過ぎて仏間に向かう。
「あの……お婆ちゃん?」
「なんだい?」
「えっと……僕はまだ、何も言ってないんだけど?」
お婆ちゃんという、今の僕においては唯一の家族である人物に対して、僕はなみなみならぬ恐怖を抱いている。
何だか恐ろしい。
人間じゃないみたいで――
「うん? 何がだい?」
「いや……えっと、何でそっちに行くのかな、って」
「ああ、そうだねぇ、久しぶりだったから、忘れてるかもしれないねぇ。悪いことをしたら、お爺さんに叱ってもらうって約束だろう?」
お爺ちゃん。
――ああ、そうか。そういや、そんなしきたりもあったっけ。
なんだ……てっきり僕の行動が、全て見透かされているのか思った。考えすぎだ。ちょっと心が落ち着いていないらしい。
お婆ちゃんは仏間に入ると、仏壇の蝋燭に火を灯し、僕をその前に座らせる。僕はこんな事しに来たんじゃ無いんだけど……と思いながらも、その前に座って、両手を合わせて、お爺ちゃんに謝る。
「えーと……すぐ帰ると言いながらも、一時間近く散歩していました。ごめんなさい。あと、お婆ちゃんや赤火や筑紫やトクサ少年に心配をかけて、ごめんなさい」
十五歳にもなって、僕は一体何やってるんだろう……と思いながらも、実際にやってみると、それはそれで何だか心落ち着く行為だった。
「これでお爺さんも許してくれるからね」
「……うん」
「でも、それだけじゃないだろう?」
「え?」
突然のお婆ちゃんの言葉に、僕は明らかに動揺した声を上げた。
「何だかハクちゃん、帰ってきてから顔が沈んでるからねぇ。何かあったんじゃないのかい?」
「あー……あったっちゃぁあったかも。でも別に、それはお爺ちゃんに謝るようなことじゃないよ」
「そうかい? それならいいんだけどねぇ」
お婆ちゃんは僕の横に正座して、同じように仏壇を眺める。
「ハクちゃんは昔から頭の良い子だったから、どんなことでも一人で解決しようとするのよ。私はそれが心配でねぇ。だけど、今日まで良い子に育って来てくれたよ」
遠い目をしながら、僕が隣に居ると言うのに、まるでお婆ちゃんはお爺ちゃんと二人きりで会話をしているかのように、喋り続ける。
「それでもたまに、今みたいな顔をするのよ。その度に不安に思ったものだけれど、そういう時はいつも緑葉ちゃんが、ハクちゃんを元気付けてくれてねぇ」
「あの……お婆ちゃん?」
緑葉、というキーワードに、僕はこの上なくいたたまれない気分になる。本当にこのお婆ちゃん、何でも知ってるんじゃないのか? 地獄耳とか、そういうレベルじゃなく――千里眼とか、そのくらいに。
「なんだいハクちゃん」
「えっと、そういう話は置いておいて、だ。聞きたいことがあるんだ」
無理矢理話題を逸らすように、僕は本題を持ち出す。ていうかそもそもそれを聞きに来たんだった。緑葉の件も大事だけれど、それは明日になって気持ちが落ち着いたら、誠心誠意謝ればいいことで。
……とにかく。
僕はダークライのモンスターボールの横にある、巌鐵さんに貰った金銀の球体を取り外して、お婆ちゃんに見せる。
「これ、何だか分かる?」
「……さあ、何だろうねぇ。見るのは初めてだよ」
意外な事に、お婆ちゃんも知らないらしい。
何でも知っているかと思いきや――当然、知らないこともあるわけか。
「檜皮と姥目の森で、何かおかしなことが起こってるかな……と思ってさ。お婆ちゃんも知ってるんでしょ? 森の神様が、何かやってること」
「ああ、そうねぇ。ここのところずーっと、何かおかしなことが起きてるねぇ」
「それを――まあ、治せるかどうかは別として、僕は治してやろうと思ってさ。今奔走中なのさ」
「あらまぁ。ハクちゃんが?」
「うん……意外そうだね」
「だってハクちゃんたら、ポケモンにはすっかり無関心なもんだから、気づいても何もしないもんだと思っていたのよ」
お婆ちゃんはそう言って、少し微笑んだ。なんだ、やっぱりお婆ちゃんも知っていたのか。
それに――僕がポケモンにあまり関心がないことも、よく分かっていたらしい。
関心はないのに……才能はある、とか何とか。
「まあ、大した問題はないんだけどさ。散歩方々森に行ったら、その神様に会ったもんだから」
「あら、やっぱりお婆ちゃんの孫だわねぇ。普通の人には、見えないものなのに」
どうやら僕の考えていた通りのようだ。そして、お婆ちゃんの口ぶりからしたら――当然、お婆ちゃんもその神様を――セレビィを――見ているということになる。
なら話は早い。
「単刀直入に、お婆ちゃんはセレビィについて、何か知ってる?」
「そうねぇ。これでも若い頃は、筑紫君やトクサ君みたいにポケモントレーナーだったからねぇ。特にお婆ちゃんは集めるのが好きだったから、色々調べたものよ」
「それで……セレビィについては?」
「本当はお爺さんが詳しいんだけどねぇ……でも、セレビィっていうポケモンは、自分の都合で何かするようなポケモンではないはずなのよ。だから……お婆ちゃんからは何も言えないかねぇ」
「……そっか」
てっきり、お婆ちゃんこそ全てを知っているものだと思っていたけれど。
やっぱりお婆ちゃんは何処まで行っても人間で――全てを知っている全知全能の神様ではない。
そんなのは、当然のことだ。
「まあ、いいや。それならそれで、何とかするよ」
「ごめんねぇ、お婆ちゃん、何も知らなくて」
「いや、いいよ。僕が勝手にやってることだし……っと、そうだ。これからまた出かけるけど、心配しないでね。朝までには、多分帰ってくるから」
「そうかい? 気をつけてね、ハクちゃん」
「うん、大丈夫。無茶はしないつもりだし」
人一倍、死ぬことが怖い人間だし。
「んじゃ……まあ、いいや。直接ぶつかってこようかな。フレンドリィショップって、まだ開いてるかな?」
「開いてるんじゃないかねぇ。お婆ちゃん、夜はもう、外に出ないもんだから」
「そりゃそうか。まあ……いざとなったら、巌鐵さんに頼めばいいか」
「何か買うのかい?」
「うん、モンスターボール」
僕はそう言って、立ち上がる。
他に話を聞けそうな人は――いない、かな。鉄さんに話をすると、何だかややこしくなりそうだし、オヤジさんは入院してるって言うし。檜皮の住人じゃあ――そんなところだろう。
「それじゃお婆ちゃん、おやすみ」
「気をつけるんだよ」
「うん、ほどほどにやってくる」
お婆ちゃんから金銀のボールを返してもらって、ベルトに括り付け、僕は仏間を出る。
「……ま、ポケモン相手なら、捕まえるのが一番だよな」
幸い僕には、ポケモンを捕まえるのに最適なポケモンがいるわけだし。
みんなを起こさないように静かに廊下を歩いて、灯りの無い玄関で自分の靴を探し出して適当につっかけて、僕は家から出る。月明かりがある分、外は室内よりもいくらか明るいようだ。
「さーて……ひとまずは、ボールの調達か」
お金はあるし、こだわりはないからどんなボールでもいいし。とにかく量を買って……使わなかった奴は、トクサ少年とか筑紫にあげればいいか。
まあ、僕のような人間がポケモンを捕まえた所でポケモンも嬉しくないだろうし、出来れば他の方法があれば良かったんだけど……どうにもそれしか方法は見つからないし、手っ取り早く、捕まえてしまおう。
と。
僕は歩きだそうとして。
何となく――既視感を覚えた。
「……」
「……」
何となく。どころじゃない。
ものすごく、既視感。
「こんな夜更けに、何処に行くんですか?」
「…………何で」
君が、と言おうとしたのに、僕の声帯は活動を停止した。
絶句。
まさにそんな感じで。
「セレビィって、幻のポケモンの名前ですよね」
「いつからどうやってどこで聞いてたんだ君は……」
「こんな時間に眠れるわけないですからね、青少年である所の僕は」
トクサ少年はポケモンセンターの壁に寄りかかりながら、自分のモンスターボールを人差し指で回転させて、僕に言う。
「さあ、夜の散歩と洒落込みましょうよ」
「……男二人で?」
「ええ、それもそれで、乙なもんですよ」
強引な感じで、トクサ少年は僕に歩み寄って、不敵に笑う。
ここで一喝してしまうことも、年長者である僕には可能性として存在していたのだけれど。
ふいに浮かんだのは――セレビィを捕獲する役目を、彼に押しつけてしまおうという、邪な考えだった。
何故なら僕は、これ以上ポケモンを大事に出来ないからだ。
◇
「やっぱ閉まってるか……」
都市部では二十四時間営業が当然であるフレンドリィショップだったのだが、田舎であるということが作用してか、普通にシャッターを下ろしていた。
しかもあろうことか、頼りにしていたポケモンセンターまでもが閉まっている。
これが田舎の弊害か……。
地味に都会な朽葉に住んでいる僕にとって、この不自由さは大問題だ。
「黄金まで行きますか?」
「いや……そこまで体力ないや。森が舞台だし、往復する元気はない」
「しっかりしてくださいよ」
「いやいや。現実問題、黄金まで行ったら、そこで根を張りそうだしさ」
僕はシャッターの下りたフレンドリィショップの前で、どうするべきか思案する。
やっぱり巌鐵さんに頼んで捕獲玉でも作ってもらうか……そうするのが一番のような気がする。でもよく考えたら、僕は材料の凡栗なんて持ってないし、職人気質の巌鐵さんだから、中途半端な仕事はしないだろうから――時間はかかるだろうなあ。事情が事情だからと言って譲歩してくれるような人じゃないし。
「あー……結局巌鐵さんには頼れないじゃないか」
「誰ですか巌鐵って」
「ああそうか、えっと……向こうの屋敷に住んでる、捕獲玉制作職人のおじいさん」
「ああ……なんだ、ハクロさん、モンスターボールを買おうとしてるんですか」
「うん? ああ、そうそう。トクサ少年には言ってなかったか」
というか、何の話もしてないのに、よくトクサ少年は僕の後をつけたりするよなぁ。好奇心旺盛というか、後先考えないと言うか……って、まだまだガキな僕が言えた義理じゃあないか。
「モンスターボールだったら、僕も色々と持ってますよ」
「ん、トクサ少年、モンスターボール持ってんの?」
「そりゃあ……トレーナーの嗜みですからね。ていうか、トレーナーじゃなくても一つや二つ持ってるでしょう。ハクロさんが異常なだけですよ」
言われてみれば……まあそうか。てっきりトクサ少年も僕と同じように、他のポケモンを捕まえる気のない人間だと思っていたから、未使用のモンスターボールなんて持っていないもんだと当たりをつけていた。
まあでも……今は三匹連れてるわけだし、前回会った時とは、色々変わってるんだろうな。
「それで……何のボールが必要ですか?」
「ん、別に何でもいいよ。捕まえられれば」
「……捕まえられればって、何を捕まえる気でいるんですかあなたは。セレビィは、安物のボールで捕まるような相手じゃないと思いますけど」
呆れたように……というか、バカにしたようにトクサ少年は僕に言う。
安物のボールと言われても、実際僕はモンスターボールの性能に違いについてほとんど知識がない。だからそんな僕がセレビィを捕まえるのに適したボールを知っているはずなんてない。
だからと言って別に腹が立つわけではないけれど、そのくらいは僕の無能さから導き出して欲しいものだ。
「うーん、じゃあ適当に良さそうなのを見繕ってくれない? ていうか、トクサ少年が捕まえてくれると楽だなぁ」
「僕が? 嫌ですよそんな。育てるつもりのないポケモンなんて、例え幻のポケモンだとしても、捕まえるつもりはありません」
「……うん、そこについては、僕も全くの同意見だ」
育てるつもりのないポケモンなんて。
例え幻のポケモンだとしても、捕まえるつもりはない。
ない――のになぁ。何で僕は、ダークライを捕まえたんだっけ。別にダークライが幻のポケモンかどうかは、僕は知らないけれど。
「とにかく、僕はセレビィをこの目で見ることが出来れば、それでいいんです」
「なるほど、興味本位ってことね」
「しかも面倒なことはハクロさんに任せて、です」
卑怯だなぁ。
僕も出来れば、その位置に居たいものだけれど。
「まあいいや。で、どのボールがいいわけ?」
僕はトクサ少年に責任を押しつけることを諦めて、ボールについて尋ねてみる。
責任を押しつけられないのに来るなと言えないのは……何だろう、僕が優柔不断だからだろうか。
それとも単純に、寂しいからだろうか。
「まあ……妥当なのはハイパーボールでしょうね。単純な捕獲能力が高いです」
「捕獲能力、ね。僕は捕獲の構造については熟知してるんだけど、何故捕獲能力が高いかについては、全く知らないんだよね」
というかモンスターボールは、開いて捕まえて書き込んで――というプロセスを踏むだけで、それ以外に改良の余地はないのではないかと僕は思うわけだけれど。
何故こんなにもモンスターボールの種類があるのかは、僕にはさっぱりである。
「僕も詳しくはないですけど……まあ、スピードの違いですかね。捕まえるってことは、ポケモン毎に情報を書き込むわけじゃないですか。その書き込みスピードが速いってことですよ。……ああ、『リピートボール』っていう、一度捕まえたポケモンを捕まえやすくするボールがありますけど、そのボールはそういう技術の応用らしいですよ」
「リピートボール……ね。名前も聞いたことないや。知らない間に、時代は進んでるんだねぇ」
まあ、本当は名前くらいは知っていたけれど、無知を決め込んだ方が僕らしい。
とは言っても、リピートボールについては、実際に目にしたことはなかった……かな。他のボールは割と目にしているけれど。
「ちょっとは勉強しましょうよハクロさん」
「そうね、朽葉に帰ったら猛勉強するよ」
とか、会話を軽く流して。
「で、そのハイパーボールってのはどんなやつなの?」
「ちょっと待ってくださいね。僕もどれだけ持ってたか……」
トクサ少年は肩に提げたバッグを探りながら、ぶつぶつと何かを呟いている。それが僕への愚痴でないことを祈るばかりだ。
「あー……十個ですかね」
「十個か。まあそれだけあれば、何とかなるかな。全部売ってください」
「……ハクロさん、一つ聞きますけど」
トクサ少年は、バッグからハイパーボール(黒と黄色の、まるでハチのような色合いのボール)を取り出しながら、呆れたような口調で僕に尋ねる。
「ポケモンを捕まえた経験って、何度ありますか?」
「二度ほど」
一度目はダークライを捕まえるという、命賭けの捕獲。
二度目は知り合いに頼まれて、人の手伝いをした時の捕獲。
「二度、って……」
その両方ともが、戦わずして、ボールを投げただけだけど。
だから僕は、ポケモンを捕まえるという行為に対して、苦労や、大変そうだなという感想すらも持ち合わせていないし、むしろ簡単に成功する類の作業だと、何となしに認識していた。
「……まあ、何も言いません。あなたは普通じゃないですからね」
その発言に悪意がないことは分かっていたけれど、僕は何となく、心に刺すような痛みを感じていた。
「とりあえず、十個分ですか」
「うん、ありがとう。一個いくら?」
「えーと……ああ、後払いでいいですよ。今は正確な値段が分からないので」
「オッケー。……そんじゃ、早速行こうか」
「行こうかって、そういえば場所は何処ですか?」
「何処って……って、そうか。トクサ少年は本当に何も知らないんだっけ」
知らないのによく付いて来る気になったな、って感じだけれど。
「なんか、森にセレビィが居てさ。だから捕まえようかと思って」
「……絶対嘘ですよね、それ。バカにしてるんですか」
「何言ってんだよトクサ少年。僕が君をバカにするはずないだろ!」
面倒だったので、少し大袈裟に言ってみる。大袈裟に言いながら、トクサ少年の肩を組んでみたり。
……とにかくはまあ、説明するのが面倒なわけだ。
「分かりました、分かりました……事情は聞きませんよ。もとより僕は、セレビィが見られればいいだけですから」
「そう、助かるよ。ま、大した問題じゃないんだけどね」
僕はそんな風に軽く言いながら、十個分のハイパーボールを体中のポケットに詰め込んで、姥目の森に向かう。何だろう、立て続けに年上の人間と話をしたせいか、トクサ少年との会話はすごく楽だ。僕自身年上が嫌いというわけではないのだけれど、適当に切り抜けられる相手というのは、精神的な負担が少ないのだろう。
あとはまぁ……年下相手に秀でていても、気負わなくていい、とか。
「しかし静かですね、檜皮」
男二人という最悪な散歩の中で、トクサ少年は呟く。
「そうなの? 僕には野宿経験がないから、夜の音ってのはサッパリだ」
「昨日は道路で寝ましたけど……まあ、僕らトレーナーは夜中でも平気でバトルしますからね。こういう、戦いのない場所ってのは、静かなんですよ」
「へぇ……そういうもんなのか」
僕は自分の知らない世界の話に興味を抱く。
「その分、死んだみたいにも思いますけどね」
トクサ少年は微笑むように、そんな言葉を口にする。
「死んだってのは……町が?」
「いや、自分がです」
自分が死んだように思う。
町が静かだから……?
「本当に自分はこんな所で安らいでいていいのかな、とか……まあ、そういうことを思いますね。たまにはそういうのもいいんでしょうけれど、まだ起きていられるなら、早く次の町まで歩いた方が良いんじゃないか、とか」
「……そう」
僕はそんな言葉をトクサ少年に言うことしか出来ない。何しろ僕は焦りを感じていないし、やらなきゃいけないことも、やるべき目的すらも持っていないからだ。
ポケモンリーグに行きたい、とトクサ少年は思っているんだろう。
それなのに、僕はポケモンリーグから呼び出しを受けているような身だ。
行こうと思えば、何の労力も持たずに、何の費用も掛けずに、ただただ流されるようにポケモンリーグに向かうことが出来る。
だからそんな、トクサ少年や緑葉の努力が――ただただ、僕の心を刺していく。
「……まあ、それはそれ、か」
「何ですか?」
「いや、気にしないで」
ここでトクサ少年に愚痴ったところで、それは彼にとって辛い言葉にしかならないし、僕にとっても、辛い経験にしかならないことは、火を見るより明らかだ。
「とにかく、早く終わらせようよ、色々と。明日はお墓参りするっていう予定が入ってるし、緑葉も来るって行ってたからさ」
「あ……緑葉さん、来るんですね」
少し躊躇いを秘めた反応をトクサ少年がしたことに、僕は並々ならぬ奇異を感じる。そういやトクサ少年、以前会った時に緑葉に対して……いや、いやいや、違うだろう。そんなはずはないはずだ。トクサ少年は緑葉に対してトレーナーの先輩としての感情を……抱いているだけだと思うのだけれどどうなのだろう。それを確認したことはないし……ああ、うん、でも緑葉と僕は――いや、それって実際、どうなんだ。あれ? 僕は緑葉に答えをもらったんだっけ……こちら側から提案を申し出た所までは記憶にあるけれど、実際に明確な返事を貰ったのかどうかは――
「ハクロさん?」
「うおっ」
肩に手を置かれた事で、僕は並々ならぬ動揺をする。
「ど……どうしたんですか」
「あ――いや、ごめん、なんでもない」
「なんでもないってことはないでしょう。明らかにおかしかったですよ」
僕は動揺したまま姥目の森への引き戸を開けて、トクサ少年と共に姥目の森に侵入する。
「いや……ほんと、全然何でもないから。心配したら駄目だから」
「口調がおかしいですよ。僕何かしましたっけ」
「いや、うん……ああそう、全然関係ない話していいかな!」
「……ええ、いいですけど?」
これからセレビィに会いに行こうなんて言うのに、僕は全く関係のないことに対して心を燃やしている気がする。どうなんだろう、青少年として。
「トクサ少年ってさ――その、好きな女の子とか、いないの?」
は?
僕……。
僕は何を言ってるんだ。
おい僕。おい僕! どうした僕!
「……何ですか、突然」
そりゃそうだろう、僕にも分からない!
「いやー、中々トクサ少年とはそういう話をする機会がないだろ? こういう時に話しておこうと思ってさ」
何を少佐みたいなことをしているんだろう僕は。不思議だ。不思議と言うか……え? 僕どうしちゃったんだろう。二人目の僕が心の中から出て来たようだ。
「中々って……まあ、知り合いなんてもんがいない身ですからハクロさんとは仲良くしてもらってますけど、実際会って一週間と共に過ごしてない関係ですからね」
「そりゃそうだ。そりゃそうなんだけども……いや、男の子同士らしくね、そういう話もいいもんだと思って」
「はぁ、まあいいですけど……セオリー通りに行くなら、そういうのは言い出しっぺが先に言うもんじゃないんですか?」
てっきり一蹴されるかと思いきや、トクサ少年は地味に食いついてきた。しかも僕から聞きだそうとしている。……何だよ。スルーしてくれたらいいのに。ていうかそもそもは僕がそんなことを言い出さなければ良かったのか。
ああああ……。
取り返しの付かないことを……。
「ぼ、僕は……ていうか、まあ、ご覧の通りと言うか、ご存じの通り? うん……きっとトクサ少年にも伝わっていることだろうと思うんだけど」
「ああ、はい、でしょうね。感じから分かりますよ。両思いってやつですか」
冷酷な目でトクサ少年は僕を見る。冷酷と言うよりはこれは――呆れた目か。何を当然のことを、とか。そんなような……恥ずかしい物を見る目つき。
「あ…………うん、なんかごめん」
顔面温度が著しく上昇する。
顔でフレアドライブが出来そうだ……。
「それで……ていうか、それじゃあトクサ少年は……?」
「何を心配しているのか知りませんけど、緑葉さんにいらぬ感情は抱いてませんよ。確かにああいう女性は素敵だと思いますけど、ハクロさんに恨まれたら、冗談抜きで、殺されそうですからね」
「あ、あはは……」
あははじゃねえよ。
どんだけ顔に出てるんだ僕……。
「まあ僕の場合、出会いは多かれ知り合う人は少ないですからね」
「でも……トクサ少年はモテそうじゃん。精悍な顔付きに、年齢の割に背高いし」
「女の子には『怖い』って言われますけど……まあ、別にいいでしょう、僕の想い人なんて。知った所で、ハクロさんは何の得もしないんですから」
「うん……それを言っちゃあ身も蓋もないけど、事実その通りだね……」
知った所で、トクサ少年は旅人で、僕と会う機会も少ないわけだし。
それはつまり、応援も手助けも何も出来ないわけだから。本当に何の得もしなければ、損もしないわけか。
「まあ、緑葉さん以外の女性なので、ご安心ください」
「うん……なんだよこれ、僕が恥かいただけじゃないか」
顔が熱い。姥目の森の涼しい風を受けても、森自体の気温を上げているような気すらする。
「まあ恋敵が出て来ても、お二人なら大丈夫でしょう」
「大丈夫……でしょうか。……実は僕、喧嘩してるんですけど」
「大丈夫ですよ。想い合っていない限り、ちゃんとした喧嘩なんて出来ないですからね」
トクサ少年は、寂しそうに呟いた。
確かに――僕は緑葉以外と、喧嘩なんてしそうにないや。
こちらが折れれば丸く収まるんだろうと思うから。
「……で、セレビィとやらにはまだ会えないんですか?」
僕に助け船を出したのか、トクサ少年は話題を急転換してくれる。
「ああ、もうすぐだよ。そこ左に曲がれば、祠があるから」
「はぁ……実は姥目の森って初めて入ったものですからね、方向感覚が狂ってるんですよ」
そんなことを言い合いながら、僕らは祠に向かう。
本来の目的を取り戻しながら、僕は体中のポケットに入れたハイパーボールを確認して、ダークライがいるかどうかも、しっかりと確認する。僕の手持ちポケモンにしてしまえば、セレビィもおかしな事は出来ないだろう。
「ああ、ここを左にまがっ――」
て、と言おうとしたところで、突然森の中に電子音が鳴り響いた。僕はすぐに脳裏に『緑葉』というワードを浮かべるが、確か時刻確認した後は電源を落としたはずだし、僕じゃない……はず。実際に取り出して見ても電源は入っていない。
ということは――消去法でトクサ少年。
「うわ、なんだこんな時間に」
トクサ少年も焦った様子で、電子音を鳴らし続けるポケギアを取り出し、画面を見る。と、すぐに驚いた表情を作って、薄ら笑いを浮かべ、すぐに泣き出しそうな顔になる。僕にはその表情の変化が、サッパリ分からない。
「すみません……電話です」
「うん……だと思った」
言うが早いかトクサ少年は僕から少し距離を取って、会話をし始めた。
距離的に会話を聞き取れないこともなさそうだけれど、他人の会話を盗み聞くような趣味は僕にはないので、僕は姥目の森に腰を下ろすと、木々の間からうっすらと――本当に少しだけ覗える夜空を眺めることにした。
大きなもんだ。
地球とか、空とか、月とか。
巌鐵さんの言っていた通り、姥目の森と檜皮で起きている現象は、本当に放って置いても問題ないような、些細なことでしかないのかもしれない。
「それでもまぁ……今更やめたりはしないけどさ」
夜空に小さく呟いて、地面に控えめに溜め息をついた。
捕まえて……その後は、どうしようか。
真剣にトレーナーをやってみるのも、悪くないかもしれない。それこそダークライと同様に、稀にしか活躍出来なくなるかもしれないけれど、もとより神様である所のセレビィには活躍の場があるとは思えないから、ずっとモンスターボールに納められていることも、同じようなことなのかもしれない。
どうなのかは分からないけど。
それでも僕が捕まえたら……そうなるしかないよな。
或いは――ダークライによって、瀕死状態に追い込んでしまうというのも、一つの手ではあるのか。
捕獲するだけが、手じゃないわけだし――
「お待たせしました」
草木を踏みしめる音と共に、トクサ少年が近づいて来る。
「お帰り」
「すごくどうでもいい電話でした。早くセレビィに会いましょう」
トクサ少年は何だかぎこちない様子で僕に告げると、祠の方に向かって歩いて行く。一体全体どんな相手とどんな会話をしたのか。トクサ少年の様子に少しだけ興味を持ったけれど、今の所は、まあ放置しておくべき事柄だろう。
「そうだね、早く解決して、早めに寝ようか」
「そうしましょう」
僕とトクサ少年は、森の神様が祀られている祠に向かって、緊張感も恐怖もないままに、歩を進める。
神様と対峙するには、些か失礼に当たるかもしれない僕等だけれど――まあ、それが僕等なのだから、仕方がない。
無理した所で、良い結果が出るとは思えないし。
自分に似合わない行動は、失敗を招くだけだろうし。