『ポケモン2。』 - ポケモン2。
「そうだなぁ……」
 姥目の森にある祠の近くで、僕と鉄さんは微かに垣間見える星空を見上げていた。
「悩み……なぁ」
「うん」
 一通りの愚痴を吐き出した僕は、すっかり、平穏を取り戻していた。
 いつものような、自分の中に押し込めるタイプでは無い、本当に安らかな平穏を。
「俺もまだガキだけど、お前は俺よりもガキだからな。そんなん、悩んで当然だと思うぞ? もっと悩め。悩まないガキとか、気持ち悪いだけだ」
「うん、そうなんだろうけどさ……ただ、悩み方がおかしいんじゃないのかな、とか思ったりして」
「悩み方? 別に普通だろ」
「弱くなりたい悩みって、おかしくない?」
「んなもん、悩みなんて全部理不尽なもんだ。金持ちでもまだ金を欲しがる奴だっているし、全て上手く行ってそうな奴だって、悩んでる」
「そうかなぁ……」
 にわかには信じられない話ではあったけれど。
 まあ、鉄さんが言うなら、そうなんだろう。
「死ぬまで悩むもんだ、人間なんてのはな。まだまだガキな俺でも、お前から見たら大人――いや、おっさんに見えるのかもな。けど俺も悩むし、オヤジだって悩んでるだろうよ」
「うーん……」
 何となく――何となくだけど、分からない話でもない。人間がみんな悩んでいるってのは、その通りなんだろう。考えるまでもなく。
 だから僕自身、僕だけが悩みを抱えていると思うのはただの驕りなんだとは思うけど――僕の場合、努力してどうにかなる類の悩みじゃない。強くなりたくて強さを求めるのと、弱くなりたくて何もしないのは、違う。圧倒的に違うし、後者は絶対的に無意味だ。
 僕が弱くなれない理由。生まれながらに、弱くなれない理由。
 何故か持ち合わせてしまった才能。
 何故か僕を守る、ポケモンに関する運。
 熱心なわけではないのに、環境のせいで発達してしまった、ポケモンに関する知識。衰えない記憶。
 そして――ダークライ。
 暗黒の眠り――なのか。
 それとも、黒々とした虚言なのか。
 ダーク、ライ。
 どちらにせよ――確かに、冗談みたいな強さだけど。冗談みたいに強くて、冗談みたいに正義。
 悪なのに。
 正義。
 むしろ悪であることが――嘘なのか。
 ……まあ、どっちだって、今の僕には関係ないんだけど。
「とにかく、あんま深く考えんな」
「うん……そうだね」
「溜め込み過ぎると爆発するからな、人間なんてのは。適度に吐き出して、いい感じに自分を整備しとけ」
「……うん、わかった」
「おっし、んじゃそろそろ帰るか。もう遅いしな」
 鉄さんは立ち上がりながら言う。僕はとりあえず今が何時なのかを確認しようとして――思いとどまる。
「鉄さん……今何時か分かる?」
「あ? お前ポケギア持ってねーのか?」
「いや……さっき、緑葉と電話したんだけどさ。僕の精神状態があんなだったから、そのまま電源切っちゃってて……」
「ああ、電源入れんの怖いのな。なるほど。まあ今日は多めに見てやるけど、緑葉にもちゃんと謝っとけよ? 女なんてな、男よりずっと我慢強いから、溜め込みやすいんだ」
 鉄さんは僕の頭を軽く小突きながら言って、ポケットから懐中時計を取り出し、ランプの灯りで確認した。
「ああ、丁度十時になるとこだな。良い子は寝る時間だ」
「良い子じゃないけど……まあ、落ち着いたし、今日はもう帰って寝るよ。なんか疲れた」
「おう、帰って寝ろ。あと水飲めよ」
 落ち着いたとは言っても、僕は何一つとして解決なんてしてないんだけれど……まあ、それはこれから、ちょっとずつ解決していけばいいか。
 …………なんてことを、何年も思っている気もするけど。
「俺も早起きしないといけないからな。ああ、悪いけど、ランプ持って来てくれるか」
 鉄さんは言いながら、さっさと木の入った籠を背負って、カモネギと一緒に歩き出した。僕も遅れを取らないように、ランプを持って、鉄さんの後をつけることにする。
「……はー、お婆ちゃんに何か言われそうだなぁ」
「紫紺婆さんは千里眼人間だからなぁ、多分何も言わないでひっそりと微笑むくらいだろ」
「それもそれで気まずいなぁ……」
 と。
 立ち上がって、祠から離れようと、僕は足を踏み出した所で。
 ふと違和感に気づく。
 何処に在っただろう。
 違和感なんて、在ったっけ。
 鉄さんに愚痴を溢して、受け止めて貰って、抱きしめて貰って、それで、泣き言を散々言って、少しだけ人生を説いて貰って――
 最後の最後。
 本当に、ちょっとした違和感だった。
 今、何時って言ってたっけ。
『丁度十時になるとこ』――って、何が?
 僕が緑葉に電話をかけたのが、十時過ぎなんだけど。ってことは、それから少なくとも、一秒以上の時が経過しているはずで、それ以上、何時間経っていたって別にいいけど、巻き戻っている事なんて、あるはずなくて。
 えっと……。
「鉄さん?」
 僕は声をかける。
 僕より少しだけ先に出口に向かったであろう鉄さんに向けて、いつも通りの平坦さで声をかけた。昔みたいに、鉄兄ちゃんっていう呼び方ではなかったけれど、昔のような親しみを込めて。
 しかし、返事はない。
 ――あれ。
 何が起きてんだ。
 夢でも見てるんだろうか。
 緑葉とちょっとした気まずい会話をしてから、自暴自棄になった僕が、心のよりどころを求めて、鉄さんを幻視した? いや、有り得ない話じゃないかもしれない。こんな夜遅くに、鉄さんが木を切っているのも、考えにくいし。だとしたら、本当に、幻?
 ――――でも、あの暖かさは、本物だろう。あれで偽物なら、僕はよほど想像力に富んだ人間ということになる。でも、流石に、人を創り出すほどの想像力はないわけで――
 とりあえず、僕は歩き出す。
 多分、鉄さんに、声が届かないだけだ。
 鉄さんは足が速いから、早く追いかけないと。うん、早く追いかけて、追いつかなきゃ。で、鉄さんにランプを返して、家に帰って、寝て、起きて、墓参りに行って、夕方緑葉が来たら、ちゃんと謝らないといけないんだ。
 僕は祠から逃げ出すように、歩を進める。
 進めるつもりが――進まない。
 どうやら、進むべき方角を忘れたらしい。僕の目の前には、残念なことに、木々が生い茂っていた。ああ、ここは、さっき鉄さんが通った道じゃないのだろうか。鉄さんはこんなに生い茂った木々をすり抜けられるほどスリムじゃないし、そもそも人間であれば、このような木々はすり抜けることが出来ない。
 だとしたら――おかしい。おかしい。
 おかしい。
 祠を中心に。
 祠と僕等を中心に。
 森は途切れていた。

 ――――――――――――――――――――――。

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 え……。

 何これ。

 何コレ。

 頭が痛い。

 物理的に。

 何かが頭を刺すような痛み。

 面白くない……こんな冗談は、面白くなかった。僕にとって、こんなようなサプライズは必要ない。求めてない。これが自分勝手な被害者意識を作り上げてしまった僕への罰だとしても、受け取れない。
 あまりに突然すぎて、僕はよく分からなくなった。
「鉄さん!」
 僕は声を上げる。
 一人が不安で。
 声が出た気はしないけど。
「鉄さん!」
 僕は声を荒げる。
 孤独が不安で。
 声が出た気はしないけど。
 そして答えは、帰ってこない。
「…………マジかよ」
 唐突すぎて、わけが分からない。
 確かに、でも――それらしいような展開は、僕は感じてはいた。それらしい違和感。ここに来てからの、それらしい不安定さ。
 姥目の森が成長していることだとか。
 切ったはずの木がまた生えてることだとか。
 ……ファンタジーじゃないんだぞ。
 僕は現実に生きてる、ちょっとポケモンの才能がある少年ってだけで、ファンタジーの主人公になるような才能は持ち合わせていない。
 どころか、そんな非現実、嫌いなくらいだ。
 確かに冒険はしたいけれど。緑葉や、トクサ少年のように、ポケモンと一緒に旅に出たりしたいとは思っていたけれど。
 それでも僕は――平穏が一番だと分かっている。
 結局死なないためには、死なない行動を取るのが一番なんだ。死なないように、死なないべき生き方をする。だから僕は、緑葉のように旅に出ない。ただ家に籠もっているだけだ。刺激がなくても、耐えた。薄味の世界に慣れて、それで満足して、たまの刺激に、喜ぶだけ。
 それがこんなところで――
 正体不明の、わけの分からないことを――
「…………」
 有り体に言って、怖い。
 ただただ怖い。
 僕は臆病だから、怖い。夜一人で眠るのが怖いくらい、臆病だ。孤独が怖い。独りが怖い。両親が死んでからずっと、本当は、僕は孤独が怖い。
 そんな僕を取り囲むように、木々が生い茂る。
 祠があるから、僕自身が移動したわけではないのだろうと思う。だけれど、それじゃあ何で僕がこの場所に閉じこめられているのか、説明がつかない。
 木って、そんな急激に成長するものか?
 そんなはずはない。人間よりも長生きで、人間よりも成長が遅い。だったらこんな短時間で、成長するはずない。
 いや――成長すらも、してないのか?
 ただただ時間が――動いただけなのか?
 でも時間は不可逆で――ああいや、時間じゃなくて、僕自身が、時間を動いたのか?
 なぁんだ、それなら納得出来る。僕自身が、動いたのだとしたら。時間の中を、勝手に動いたのだとしたら。
 僕はランプを探す。
 けれどランプは僕の腰の辺りで、灯りを消して存在しているだけだった。
 腰の辺り?
 ああ、どうやら僕は、仰向けに倒れているらしい。
 木の中に頭を突っ込んで、倒れているのだろうか。それなら、僕の視界が木で覆われていることにも納得が行く。ああそうだ、その通りだ。
 僕は落ち着く。
 心が、とても簡単に落ち着いた。
 色々と疲れていたから、倒れてしまったんだろう。変に気負ったせいで疲れたものだから、僕は倒れた。そしてその結果、ランプを地面に落として、そのまま倒れた。倒れて、木の中に頭を突っ込んだ。そんで、僕の視界はジャックされた。
 それじゃ――何も問題なんてないのか。
 とんだ一人芝居だ。
 そう思って、僕は体を起こす。
 それだけ解決すれば、問題なんて全くない。鉄さんが確認した時間が午後十時だったのも、きっと鉄さんの時計が遅れてただけだろう。うん。ファンタジーじゃない。僕の世界は、いつも現実的だ。
 現実的過ぎるほどに、現実的だ。
 そして僕は、体を起こした。
 体を起こして、ポケットの中から、ポケギアを取りだした。
 色々言い聞かせてはみても、結局のところ不安だったから、時刻を確認したかった。自分を騙せない。確固とした証拠がないと、僕は僕を完全には騙せない。
 だから僕は、ポケギアの電源を入れた。
 着信は零件。緑葉から折り返しの電話はなかったらしい。だけどそんなのは、今はどうでもよかった。
 ポケギアに表示された現在時刻。
 午後九時五十二分。
「……あれ」
 ――――一日、寝てたかな?
 そういう、現実的な解答も、表示されている日付が打ち砕く。
「…………」
 ――――ああ、ポケギアが壊れたのかな。
 もしそうなら、それで解決出来る。
 修理に出さなきゃ。
 そう思って、ポケギアから視線を外して、僕は目の前に、何かを見つけた。
 祠だろうか。
 祠だった。
 だけど、祠の前に、何か薄く光る何かを、見つけた。
 妖精だった。

 ◇

 上都は歴史のある地方ってだけあって、言い伝えってものがたくさんある。深奥も同じような感じだけれど、上都の場合は、史実というよりは、昔話、御伽話という類の言い伝えが多い。
 例えば、黄金に輝く鳥が空を舞うとか、そのポケモンが転生させた三匹のポケモンが上都の世界を守っているとか――本当、様々なものがある。
 そのうちの一つが、ここ檜皮を舞台としたお話。
 曰く、姥目の森を司る神様が存在するというもの。
 檜皮出身の僕にとって、その昔話は耳馴染み深いものだった。まあ、昔話ってのは総じて諸説あるものだから真実なんてさっぱりだったんだけれど、とにかく共通しているのは、『神様は子どものような大きさで、妖精のような格好をしている』というものだった。
 子どものような大きさで。
 妖精のような格好をしている。
「……マジか」
 呆れたような。
 というか……呆けたような。
 そんな感じだった。
 あぐらをかいて座っている僕よりも小さくて、二本の足で立っているのかと思いきや、よく見ると数センチだけではあるけれど、浮遊しているような妖精さん。森を司る神様は神様らしく、地に足なんてつけないって感じなんだろうか。
「……はあ」
 一体何だっていうんだ。
 目の前にいる妖精は、現実なんだろうか。
 薄く緑色に発光するその生命体は、背中に生えているらしい羽らしきものを優雅にはためかせて、浮遊していた。
 そして僕を見つめながら、可愛く首を傾げる。
「……うーん」
 信じられない。
 と言うよりは、なんだかバカバカしい……。
 僕は割と漫画や小説を読む人間だけれど、それはファンタジーがファンタジーとして成り立っていて、そういうものだという約束がされているから楽しめるものだ。
 だけれど実際、現実に。
 現実で。
 そういう事が起きると――それはそれで、少しばかり、気持ち悪いもんだ。
「とは言っても、現実なんだろうけどさ」
 現実感を失わないように、僕は声に出してみる。
「妖精さん……名前は、何てったっけ」
 目の前の妖精は、僕の言語が理解出来ないのか、再び首を傾げる。
 上都の草木を司る、時渡りの妖精。
「セレビィ……だったかな」
 草木。
 時渡り。
 その二つのキーワードが繋ぐ事実を、僕は上都に来てから何度か体験していたはずだ。
 だから実際にこうして出会っても別段驚いたりしないのは、心の何処かで、そうかもしれないという予想を立てていたからなのかもしれない。
「とは言ったって……それは迷信みたいなもんだしなぁ」
 猫が顔を洗ったら、次の日に雨が降るとか。
 夜に蜘蛛を殺すと、親の死に目に会えないとか。
 ――後者は嘘みたいだけど。
「とにかく……どうしよう。どうするべきなんだろう」
 あぐらをかいた姿勢のまま、僕は姥目の森を見回してみる。
 さっきと何も変わらない。
 ずっと同じ状態のまま。
 森は全てが、同じ状態。
 いや――正確に言うなら、さっきじゃないか。
 上都に来た時から。
 いや――上都に来る前から。
 僕がこの場所を訪れるよりもっと前から。
 おそらくは――全く同じ。
 全く同じ。
 全て同じ。
 何も変わらないで、この姥目の森と檜皮は、この妖精の力で、留まっているんだろう。
 何となく――感覚で分かる。
 物的証拠を出せと言われてもそんなものはないのだけれど……いや、あるにはあるのか。僕が自転車で鉄さんに突っ込んだ際に自転車で傷つけた森の草木は……当然のように、再生されている。
 再生されているのか――繰り返しているのかは、分からないけれど。
「でも何となく……お前がやってるんだろうってことは、分かるよ」
 伝わらない言語で、僕は目の前にいる妖精に声をかけてみる。
 考えてみれば、そもそもおかしな話だったのかもしれない。最初から、鉄さんは言っていた。木炭用の木をいくら伐っても減らないと。それに、実際に僕は筑紫が切断した細木が再生しているのを見ている。それに対して筑紫は何の感想も漏らさなかったけれど、僕は明らかにおかしいと、気づいていたはずだ。
 気づいていたはずなのに――別にいいやと思っていたのは、何でだろう。
 木が再生する?
 有り得ない。
 そんな有り得ない事柄を、有り得る事柄として。有り得てもいい事柄として――どうして認識出来たのだろう。おかしな話なんだ。どう考えても、おかしな話で、あっちゃいけないことなんだ。
 植物の生長が、驚く程に早い事。
 それもポケモンに関する事だけ――例えば木の実の苗や、凡栗の育つ木が。
 ほぼ一日という短期間で、すぐに新しい実を付ける。何年もかけないと、普通の木は生まれないのに。普通の草木ですらそれらと同じスピードなら、今頃地球は森で溢れかえる。
 でも僕らはそれを当たり前の事として認識している。木の実、凡栗。それらは一日経てば新しく実を付ける植物だとして。
 普通に考えれば、何かの力が介入しているはずなんだ。そしてその何かの力と言うのが――草木を統べるポケモンの中でも、さらに力の強いポケモン。伝説や幻と称される、存在が不確かなポケモン達が使う能力。
 それがこの目の前にいる妖精の力なのかは、定かではないのだけれど――
 少なくとも、姥目の森近辺で起きているこの現象は、ここにいる妖精の力によるものなのだろう。
「……と、推理してみたところで」
 どうなるってわけじゃないんだけどね。
 僕にはそれを止める力も理由もない。むしろ、木々が進んで再生すると言うのなら、それを止めるのはある意味森林破壊。せっかく潤っているのなら、それはそれとして留めておくのが良いんじゃないのかと、僕は思う。
 面倒事は出来るだけ避けるように、と、僕は自分にルールを敷いている。
 だから妖精は見なかった事にして、家に帰って、緑葉に言ってしまった事や鉄さんに吐き出した事を思い返して少し悔いて、明日は笑って墓参りして、スルーしようと思う。
 思う……のに、無駄に色々と考えてしまう僕は、おかしな事をも、考えついてしまう。
 お婆ちゃん、若いよな。
 鉄さんも、若々しい。
 筑紫なんて、赤火と同じくらいの外見だ。
 なんで?
 どうして?
 それがもし、時空の歪みと関係するなら?

 いつからか、時を繰り返しているのなら?

 それは――それは、どうなんだろう。
 お婆ちゃんが実年齢とは思えないほど若く見えるのが、実際に、肉体が毎秒を、刹那を、繰り返しているのなら。見た目の割に口調が妙に落ち着いている事が、精神だけは平凡な毎日を送っているのだとしたら。
 それは――良いことなのか、悪いことなのか。僕にはそれが、判断出来ない。人が肉体を残して心だけ先に成長してしまう事が、良いことなのか、悪いことなのか。何も動かずに、何にも動けずに。そうして大人びてしまうことは、良いことなのか、悪いことなのか。
「――あ、そうだ」
 そう言えば、ここに見本があるじゃないか。
 肉体より先に、心が成長してしまった人間が。
 いや――僕の場合、心なんて成長してない。
 頭だけが、ただでっかくなっていっただけか。
 まあそれでも、同じように僕は頭が先にでかくなって、妙に大人びた――と言うよりは、ただの生意気な人間になった。十歳くらいの時から、面白いくらいに世界に対して、興味が薄らいだ。
 頭でっかち。
 それでもそんな自分を僕は嫌いじゃなかったから、もしそうなら、体と心がかけ離れてしまうことも、大した問題ではないのかもしれない。
 しれない、からと言って――
「治せる病気が目の前にあるんだよな……」
 治せる異常が目の前にある。
 誰も困ってない。
 誰も頼んでない。
 誰も望んでない。
 だけど治したい。
 誰も傷ついてなくて、誰も嘆いてなくて。

 誰も気づいてない。

 年を取らないということ。
 漫画や小説で多用される、不可思議な現象。一年経っても、四季が巡っても、誰も年を取らない。誰も老いたりしない。永遠にその季節を繰り返す。
 それが実際に――この町で、この森で、起こっているとしたら……。
 それはどれだけ恐ろしいことなんだろう。
 そしてそれに、誰も気づいていないのだとしたら。
 気づけないのだとしたら。
 頼んでないのに、何故だか僕が、この妖精に気づけたのだとしたら――――
「……治さなきゃ」
 セレビィ。
 その小さな妖精の選別基準なんて、僕には分からない。
 たまたま僕が、この森の現象に違和感を持ったからかもしれない。たまたま僕が、祠の近くに居たからかもしれない。たまたま僕が、涙を流していたからかもしれない。たまたま僕が――彼らと出会える才能を、持っていたからかもしれない。
 どうなのかは分からない。
 それでもせっかく、そうした者に、何となくでも、選ばれたのなら。
 ……治さなきゃ。
「――才能を持った者は、それを有効的に活用すべき、か」
 何処で聞いたんだっけ。
 本当はちゃんと覚えているけど。
「――あなたの名前は、気持ちがいい、ね」
 何処で聞いたんだったかな。
 本当はちゃんと覚えているけど。
「――ハクロはもっと、私に頼っていいよ……とか、ね」
 言われたけれど。
 夜も遅いし、きっと寝てるし。
 ひとまず今回は、自分だけで、やれるとこまでやってみようかな。
 ……その結果また怒られるのは嫌だけど。
「……君は、治して欲しいの?」
 僕は目の前の妖精に、伝わらない言葉で尋ねてみる。
 そして妖精は、コクリと頷いた。
 それがただ、頭を垂れて、考え込んだだけのポーズだったとしても、僕にそう見えたのなら、どうでもいい。
「それじゃ、準備してくるよ」
 治し方なんて知らないし、何処がスタートで何処がクリアなのかも分からないから、その条件もサッパリだけども。
 普通、そういうもんだし。
 相手が幻で、御伽話の存在だとしても、ポケモンだとするならば――
 ポケモンの事は、専門家に聞くのが一番だ。
「叩き起こしても、怒られれば済むだけだし」
 僕は妖精を祠に残したまま、立ち上がり、檜皮に帰ることにする。
 普通の神経をしたポケモントレーナーなら、戦ったり、捕まえたりしようとするんだろうか。
 でも生憎、僕は戦いは好きじゃないし。
 モンスターボールなんて持ってないから。
「また後で来るよ」
 僕はそう言い残して、姥目の森を後にした。

 ◇

「ほーう」
 バカにしたような口調で、僕は言葉を返された。
「そうか」
「……はい」
 何故か僕は、畳の上に正座している。
 強制されているわけじゃないけれど……単純に、この人の前では正座を余儀なくされる。
 巌鐵さん。
 凡栗を使った捕獲玉職人。
 何と言うか……檜皮の『ヌシ』のような人だ。
「話は分かった。そんで、わしに何の用じゃ」
「えっと……まあ、巌鐵さんなら何か知ってるかなと思って」
 あらかたの説明を終えた僕は、終始緊張気味なまま、巌鐵さんを見る。
 厳格そうな顔つきに、職人特有の鋭い目つき。
 嫌いではないし、苦手と言うわけでも無いけれど――何だろう、巌鐵さんと一緒にいるのは、何か落ち着かない。
 小さい頃に、何度も叱られたからかなぁ。
「妖精か」
 巌鐵さんは小さく呟いてから、腕を組んで斜めに天井を見上げる。
「姥目の森には神様がおる言うてのぉ。わしはガキの頃から檜皮におるが、あの祠はもうずっと昔からある」
「まあ……見た感じ、相当古いですしね」
「そうじゃな。そしてわしらはあの祠に神様を祀っとる。祀っとるからには、それを管理する人間もおるっちゅうわけじゃが、歳から考えて、今はわしが管理をしておる」
 独自の訛った口調で巌鐵さんは話す。僕はこの口調が、やはりどこか落ち着かない。自分の故郷で、自分を良く知る人間なのに、何故だか僕は、巌鐵さんの前で落ち着けない。
 何故なんだろう。
 それは鉄さんにも似たようなものだけれど、どうにも申し訳ないような気分になる。
「お前、聞いとるんか」
「ああ、はい、完璧に聞いてます」
「ほぉか。まあ、そういうわけでな、わしはもちろん、木炭親父も、お前んとこの紫紺も、檜皮に住んどる古い連中は、みんな祠のことも神様のことも、よーく知っとる」
「そっか、良かった……じゃあ、何とかなるんですか? どうしたら妖精さん――じゃない。神様の奇行……っていうか、この変な現象が止められ――」
「のうハクロ」
 遮るように。
 巌鉄さんは僕の名前を呼ぶ。
「お前はなんじゃ」
「……はい?」
「ああいや、難しいことを聞いとるわけやない。ただな、お前という人間は、何なのかっちゅーことじゃ」
「僕?」
 僕が何か。
 巌鉄さんが何を訊いているのかということは、完全には分からないまでも、ある程度の理解を、僕はすることが出来る。つまりは僕という存在は何によって証明されているのか、ということだろう。
 そして実際に僕が何なのかと言うことは――どうだろう、僕は分かっているんだろうか。
 名前、ハクロ。漢字で白黒。十五歳。男。身長おおよそ百六十五センチ。体重は五十キロ台。格闘技経験有り。両親無し。家族有り。才能有り。自信有り。平和主義。性格悪し。生意気。大人びている。興味の無い方面については知識不足。同年代の友達、一人。
 思い人有り。
 絶賛喧嘩中――
「……まあ、人間ですね」
 でも、答えとすれば、そんなものだろう。
 ちょっと珍しい名前で、ちょっと珍しい才能を持っていて、ちょっと珍しい人生を送っていて、当たり前の感情を持っていること。
 それらを全て合わせて、じゃあ何なのかと言うなら。
 そりゃあ――人間、という結論に至る。
「そうじゃ」
 巌鉄さんはうっすらと笑みを浮かべて、僕の答えに頷いた。
「ほいじゃ、わしらが住んどるここは?」
「檜皮……です」
「もっとでかく言ったらなんじゃ」
「……地球」
 地球、だよな。僕らが住んでるのは。
「そうじゃ。しかしな、お前は今、檜皮や姥目がおかしくなっとると言う。それは本当か?」
「……はい。証拠はないけど、おかしいですよ」
 何を言われているのか、分からないまでも。
 僕は今、何か遠回しに、間違いを訂正されている気がしている。
「お前はおかしいんか?」
「…………僕?」
「ハクロ。もう十五か。十五言うたら、もう一人前の男じゃ。ほいじゃあ聞くが、お前は真人間か?」
「真人間……と問われたら、全然、真人間じゃないです」
 十五歳だし。
 仕事してないし。
 毎日暇を殺しているだけだし。
「じゃあお前の住んどるこの地球は、正しいんか?」
「……」
 僕はその問いに答えられない。
 正しい……正しいって、一体何だろう。正しいの基準が、僕には分からない。
 正しいと思えるもの。
 一人、二人、三人。
 僕は正しくないから、僕の知っている人間が、三人分。彼らの言うことは、きっと正しいと思える。
 けれどそれだって、本当に正しいのかどうかは、分からない。
 正しいの基準って何だ。
「もう一つ聞く」
 巌鉄さんは、正解の出ない僕を追い込むように、さらに問いを重ねる。
「ポケモンって生命体がおるな」
「……居ますね」
「ありゃなんじゃ」
 生まれた時から、今の今まで、ポケモンと一緒に生まれ育って、檜皮東方にある井戸に生息するヤドンを、まるで息子達のように大事にしている巌鉄さんが、ふいにそんなことを、さも当然の疑問のように口にした。
「わしは学問はサッパリじゃから自分で確かめたことはないが、動物の生まれ育ちっつーのは解明されとるらしいのう」
「らしい……ですね」
「ほいじゃが、ポケモンは未だに解明されとらんらしい。ありゃ何でじゃ? それに、未だに進化を続けとるらしい。わしにはそれが分からん。分からんが、いるんだから、仕方ないと思っとる」
 物事の核心ばかり、知り尽くしたような。
 知り尽くしたのに、何もしないような。
 そんな人生を――
「わしに出来ることは、凡栗を細工することと、孫が幸せになれる人生を考えること、そして家族を守ることぐらいじゃ。それだけでええ。それがわしの正義じゃ。だから檜皮や姥目でおかしなことが起きとることも、その原因が祠にあることも……まあ、実を言えば知ってはいたが、見て見ぬフリをしとった」
「……」
 淡々と。
 端然と。
「人間なんてそんなもんじゃ。森林破壊されとる言うても、人は紙を使う。家具を買う。何もせん。増長させるだけじゃ。しかし、わしはそれを悪いとは思わん。各々が、己の正義に従って生きとるだけじゃからな」
 世界を収束するかのように、巌鉄さんは言葉を紡いだ。
 世界を収縮するかのように、巌鉄さんは正義を貫いた。
「その結果として」
 その結果として――
「わしは、檜皮で起きた事象に目を瞑った」
「そう……だったんですか」
 まあ、考えてみれば、当然のことか。
 当事者達が知り得ないなんてことは、あるわけないんだし。
「しかし若い連中は、きっと知ってすらおらん。まだ世界の定義が出来とらんからな。何よりこの村で育った連中は、外の世界をよく知らん。一方で、紫紺と木炭親父は、わしと同じように、見届けることを選んだ」
「……それが一番、平和だからですか?」
「いやそうじゃない。わしらみたいな凡人は、それが当然のことだと思っとるからじゃ」
 当然のこと。
 僕にとって、世界の大事件が、対岸の火事であることと同じように。巌鉄さんにとって、檜皮の事件は、対岸の火事であるのだろう。
 そこまでの器じゃない――とか。
 檜皮に人間が襲いかかってきて、そいつらからポケモンを守るという男気を見せた巌鉄さんにとって、しかし神様を相手にすると言うことは――対岸の火事。
「ハクロ。凡という字は、ありふれたっちゅう意味や、おおよそなんて意味と共に、全部っちゅう意味がある」
「はい?」
 突然変わった話題の矛先に、僕は一瞬戸惑う。
「凡人だか凡栗だか、まあ色々あるわ。とは言っても全部が同じかと言ったら、全然違うやろ。……なあハクロ、わしがお前にこういう話しとるんは、お前を止めようとしとるからじゃあないんじゃ」
「じゃあ……どういうことですか」
「お前は、お前がしなくてもええことを、しようとしとる。それを胸に刻んでおいて欲しいっちゅうことじゃ」
 しなくてもいいこと。
 それをしようとしている。
 ……僕が?
「しなくても良いことなんですか?」
「もっと言うたら、良かれと思って動いた結果、非難を浴びることもあるかもしれん。人間はな、目立つ人間にだけ非難を浴びさす生きもんじゃ。気づいても気づかぬフリしといたら、平穏に生きられるんじゃ」
 平穏――そういう意味では、確かに平穏か。
 戦わなければ、敗北感にうちひしがれることはない。旅立たなければ、故郷を思って泣くこともない。僕がこの出来事に首を突っ込まなければ――後で何かあった時に、悔いることもないわけだ。
 ないんだけれど……それでいいのかな。
 このまま放置しておいて、もっと先の未来で、後悔することは、本当にないんだろうか。
 家族のいる場所で起こった悲劇を、例えば僕が動くことで回避出来るとしたら。
 ――別に、それならそれで、失わなくて済むのなら、動いた方がいいんじゃないのかな。
「ハクロ」
 考え込む僕に、巌鐵さんの声が降りかかる。
「損得勘定しろっちゅうんは、大人の考えじゃ。例えばお前が神様を止めたとして、木炭親父には被害が出るやろな。筑紫坊主にしたって、あのでかい屋敷が簡素な建物になるかもしれん。あれはあれで、虫たちにとって良い環境になっとるわけじゃ」
「……確かに」
 木炭の材料が伐採出来なくなるのは困るだろうし、筑紫のジムに生えている草木は――どう考えても、妖精さんの仕業だろう。
「でもそれは損得勘定じゃ。深く考えた上で、お前が一番正しいと思うことをしろ。別にええんじゃ。損したら損したでええ。損しても得しても、そんな金や物なんてのは墓まで持って行けんからな。お前が迷惑かけたとしても、木炭親父も筑紫坊主も、気にせんかもしれん。怒ったとしたって、いつかはお前を許してくれる日も来る」
 しかし――と、巌鐵さんは、僕の両肩を掴んで、僕自身に刻み込むように、言う。
「何もせんお前は誰も責めんから、お前は一生誰にも許されんわけじゃ」
 例えば巌鐵さんは、やらなくていいことをやらなくていいこととして認識しているから、そこに自分への罪悪感は生まれないのだろう。
 だけど僕は――何故だか、やらなきゃいけないという使命感を、背負ってしまっているから……ここでやらなければ、自分を自分で、責め続けるのかもしれない。
 その後、一人で自分を許せるんだろうか。
 責められなかった自分は、自分で許せるんだろうか。
 どちらに転んで、どちらに動いても、結局同じことになるのかもしれない。どちらに動いても、僕は僕を責めるのかもしれない。
 ――まあ、でも、それはまだ分かんないか。
「分かんないけど」
 巌鐵さんの両手を掴み返して、僕は告げる。
「治したいから治す」
 誰が困ってるから治したいんじゃないし、誰かを困らせたくて治すんじゃない。直感的に、おかしいと思うから。ただただ純粋に、異変だと思うから。
 だから御伽話に首を突っ込んでやろうとしてるんだ。
「それだけです」
「……そうか、分かった」
 巌鐵さんは強く頷くと、痛いくらいの力で僕の肩を揉みしだいてから、立ち上がって部屋の奥に向かい、そこにあった大きな箪笥に手をかけた。
「おうハクロ、祠を治すんなら、それなりのこと教えといたるわ」
 急に年上の貫禄がなくなった巌鐵さんは、まるで同い年の友達を呼ぶような気軽さで、僕を呼んだ。僕は言われるがままに部屋の奥――つまりは巌鐵さんの仕事場――に向かい、巌鐵さんの背後から、箪笥の引き出しの中身を覗き込む。
「……何ですかこれ」
「三年くらい前に、お前くらいの歳の奴から預かったもんじゃ」
 そう言って、巌鐵さんは僕にその球体を手渡した。
 モンスターボールを少し大きくしたような、その球体。半分が金色で、半分が銀色。見た所ボタンはないので、モンスターボールではないようで、本当に――ただの球体。
「これが……何ですか?」
「知らん。知らんけどわしがこいつを持って祠に行ったら森がおかしくなったから、きっと大切なもんなんじゃろ」
 巌鐵さんはそんな適当なことを言って、盛大に笑った。
 辛気くさい話が終わって、気が抜けたのか。僕の目の前で、夜中だと言うのに大声で笑う巌鐵さんは、本当に迷いがない人生を送って来たんだろうと、何となく思った。
 僕もそれにつられて、笑ってみた。
 けれど全然、綺麗に笑えない。
 今からでも、正しいことばかりしていれば、巌鐵さんみたいに笑えるんだろうか。
 ――ああ、そうか。
 筑紫も、トクサ少年も、鉄さんも、巌鐵さんも――緑葉すらも。
 一緒にいて落ち着かないのは、僕が綺麗に笑えないからだ。

戯村影木 ( 2013/05/01(水) 22:39 )