3
「……」
「……」
昔なじみの知り合いとか、緑葉が住んでた家のお隣さんとか、ポケモンセンターの女医さんとか、フレンドリィショップに就職した近所の兄ちゃんとか……まあ、檜皮に住む様々な人たちに、僕は軽い挨拶と雑談を済ませた。全ての人に声をかけ終わった頃には赤火が背中で寝息を立てていたので、僕は仕方なく、一旦家によって、赤火をお婆ちゃんに預けた。
「……」
「……」
挨拶回りの最中は、一緒に回っていた筑紫もみんなに紹介しておいた。僕が紹介するまでもなく、みんな筑紫のことは知ってはいたんだけれど、やっぱりポケモンジムってのは老人にとっては入りにくい場所だから、あまり筑紫と触れ合う機会がなくて困っていたそうだ。まあ今回のことでそれも解消され、一段と檜皮の住民と筑紫が仲良くなってくれればいいいなぁ、とか僕はそんなことを思った。
「……や、やあ」
「…………」
そんなこんなで、僕は赤火を先に家において、筑紫をジムまで見送っているところだった。筑紫はいいですと断ったが、僕が無理矢理連れ出したんだし、やって当然のことだ。
それから、「このままジムでバトルしませんか!」と嬉々として提案する筑紫をひらひらとかわしつつ、僕は筑紫と一緒に檜皮ジムに到着し、それじゃ挨拶だけして別れよう……と、していたのだ。
……が。
何故だろう。
僕はこんな未来、微塵にも予想していなかったのだけれど。
こんなところで知った顔を見るとは、思ってもいなかったわけで。
「……ひ、久しぶりだね」
「…………ああ」
トクサ少年。
朽葉ジムで叩きのめして以来……か。
「……ハクロさんじゃあ、ないですか」
くい、と帽子のつばを上げて、トクサ少年は笑みを浮かべながら、僕にそう告げる。
以前にも増して、視線が鋭くなっている気がする。もっともそれは、目つきが悪くなったとか、人を敵視しているという意味合いではなく、言い換えれば『覚悟のある』顔立ちのように、思えた。
たった三ヶ月……僕なんかこの三ヶ月、大して変化も起きてないって言うのに、トクサ少年は如実に成長していた。一瞬、他人かと思ったくらいだ。そんなトクサ少年は、檜皮ジムの壁に寄りかかり、僕と筑紫を見比べて――――嘆息した。
「……ジムリーダーがいないんで、どうしたかと思ってたんですよ。そしたらどうです、随分と、珍しい人がいるじゃないですか」
随分と、それこそ前回会った時よりも、驚くほどに会話に慣れて――まるで『旅慣れた』ような。久しぶりに出会った夢見る少年は、そんな性格に仕上がっていた。
流石の筑紫も、そんな危険な風貌をしたトクサ少年に怖じ気づいているのか、それともジムを無断で放り出したことに負い目を感じているのか……何も喋らずに、ただじっと、目の前の旅人を見ている。
「まあ、こうして再開出来たから、ジムリーダーが不在だったことなんて、どうでもいいんですけどね……」
言いながら、トクサ少年は立ち上がった。以前から帽子を目深に被っていて、風貌は愚か表情まで読めないような少年だったけれど……今は以前よりも数倍、『旅人らしい服装』になっている。腰巻きに、ポケットの多いパンツ、あちこち傷ついた外套、口元を隠すように巻かれたスカーフ……そして、頭には以前被っていたようなキャップ型の帽子ではなく、詩人が被るハットのような――そんな帽子が乗せられていた。
「ま、まあね、僕も再会出来て嬉しいよ。いやあしかし、随分と変わったねえ。僕なんか、三ヶ月前と全く代わり映えしてないってのにさ」
「そうですね」
「あはは……」
……くそう、やりにくいなぁ。
緑葉に敗れ、少佐に敗れ、そして最後に、僕に敗れたトクサ少年。
緑葉との対戦に至っては、敗北したあと気を失うという失態を犯したトクサ少年だ。少佐から聞いた話じゃ、ジム戦のあとも、控え室に向かってからまた気を失ったらしい。そんな、ただでさえ僕とトクサ少年の間に、友好的な印象は築けていないというのに。
しかも……僕との対戦の後で、二日ほど昏睡状態に陥ったらしいからなぁ。
いくら緑葉と少佐に聞こえないようにしたとは言え、対戦後、僕は彼にあまりにキツい言葉を放ってしまったのだろうか。僕個人としては助言のつもりだったんだけど……今考えてみれば、人生を考え直すような言葉だった気もするしなぁ。
「とにかく……僕はハクロさんのおかげで、目が覚めましたよ。今じゃ気を失うことだって滅多にない……まあ、そもそも負けること自体、少なくなってきましたけどね」
そう、以前のように強気な発言をするトクサ少年だったけれど、そこにあるのは不明瞭な自信ではなく、培った事実だった。
見た目から、強くなっているオーラがばしばしと感じ取れる。視線も、相手を威嚇するものから、相手を見定めるものへと変わっているし。やっぱり、一回ぶっ壊したのが功を奏したんだろうか。
僕のおかげで変わったとは思っちゃいないけれど……それでも事実、僕のせいで変わってしまったというのなら、それもそれで、面白い。
「えっと……お知り合い、ですか?」
そんな風に、僕とトクサ少年が会話の少ないやりとりをしていたところでようやく、筑紫が口を開いた。なんだか自分の発言の機会をうかがっていた、とでも言うようなタイミングだ。流石の筑紫でも、目の前のトクサ少年は恐怖の対象に映るのだろうか。
……いや、でもそういえば、このミニサイズの筑紫と、下手をすれば僕よりも年上に見えそうなトクサ少年は、同年代くらいなのか……トクサ少年、年齢の割には背がでかいしなぁ。同年代なのにびびられるって、トクサ少年はどれほどまで恐ろしい人間なんだ。
「まあ、一応知り合いってとこだよ。過去に一度、お手合わせをしたことがある程度の仲だけど。ねえ? トクサ少年」
「何を言いますかね。僕とあなたは、ただならぬ仲でしょう? 僕の人生は、貴方に壊されたんだから」
あはは。
……ちくしょう。
いいキャラになりやがって。
「そうなんですか。えっと、はじめまして、僕――」
「ともかく僕は、あのあと修行に入ったんですよ。もちろん、今までだって修行はしてたんですけど、それ以上に、ストイックに――でも暴力的ではない修行を。そして、自分でもある程度納得が行ったところで……こうして、上都に渡って来たんです」
目の前の少年など眼中に入らない、とでも言うように、筑紫の発言を遮って、トクサ少年は僕に語り続ける。
独特の間を持つトクサ少年の言葉を遮るのは、どうやら筑紫の機関銃のような喋りを遮るより難しいらしい。
「とりあえず、トレーナーの間で言われている『順番』に従って、上都のジムを制覇しようと思いましてね。まずは一番弱いって言われている、桔梗のジムに向かいました。まあ、驕るつもりはないですが、戦ってみて実際に、自分の実力を感じましたね。ハクロさんに挑んだ時とは全く違う手応えが、自分の中にありましたよ」
「へえ……そりゃ、良かったね」
「ええ、三ヶ月前の僕が恨めしいくらいです。そして……僕は次のジムへと挑戦するために、ここ、檜皮に来たんです。虫ポケモン使いのジムリーダーがいるって話で、実際楽しみにしてたんですよ。だけど……何故か誰もいない。まあ、歩き疲れてましたし、ジムリーダーが帰ってくるまで休んでようと思ってたんですけどね……そうしたらハクロさん、あなたがいるじゃないですか」
言って、トクサ少年は腰巻きを取り外す。
腰のベルトには――三つの、モンスターボール。
一匹で戦わなければいけないという呪縛からは――どうやら、抜けられたらしい。
「……へえ、仲間が増えたんだね」
従者ではなく、仲間が。
「ええ。プライドが捨てられたことには、単純に感謝してます」
三つという増え方は、本当に増えるべくして増えた、という増え方だ。ポケモンの数が足りなくて弱くても、ただ数を増やせばいいというものではない。きっちりと育成されたポケモンを、徐々に増やして行って、それが六匹になるのが理想だ。最初から六匹連れ歩いたところで、ろくな育成などは出来ないし、弱さが並行していくだけだ。
だからトクサ少年は――全く、楽しいくらい素敵に、『僕好み』な少年に、成長していた。
人間としても――トレーナーとしても。
「それじゃ――戦って、くれますよね?」
当たり前のように、あなたは僕と対峙する。
そうとでも言うつもりなのか、トクサ少年は後ろに数歩距離を取って、腰から一つ、モンスターボールを外して、サイズを戻した。
取り出したのは――以前立ち会ったルカリオでは無いようだ。同じ鋼タイプの雰囲気を感じるが、それよりも大きくて、野性的な力強さ――
――――ボスゴドラ、か。
「なるほどね」
僕はそして、久しぶりに再会してすぐさま戦闘にかこつけようとする、随分と僕好みに狂ってしまったトクサ少年の申し入れを――しかし快く、拒む。
「お断りだね」
「なっ――」
「いやまあ、戦いたくないわけじゃあないけどさ、物事には順番ってものがある。そうだろ?」
僕は自己紹介を遮断されて、少々呆気にとられているらしい筑紫に視線を向ける。どうやら、普段機関銃のようにまくし立てる人間である筑紫は、そんな自分の発言を何でもないように遮断した存在に、驚いているらしい。きっと初めての経験なんだろう。
……まあ、こんな少年の言葉を遮るなんて、よほどの覚悟がない限り、出来ないもんなぁ。泣き出されでもしたら、敵わないし。
「そもそも僕との実力の差なんて、身をもって体感してるでしょ? それに、ジムに来たんなら、まずはこっちだよ。ね?」
僕は筑紫に、発言権を譲る。
「――あ、はい。そうですね」
「……ハクロさん、そのガキがどうかしたんですか」
君も僕も十分ガキなんだけどね、と、思いながらも、口には出さない。まあ、彼から見たら、筑紫は十分ガキな風貌だけど。
「まあ、聞けば分かるよ。もう一回、自己紹介したら?」
義理やら順序やら。出来ればそういうものは守りたい僕は、少々強引ではあったけれど、筑紫に自己紹介をさせる。僕が言っちゃあ、何かと面白くないしね。
「えっと、じゃあ、もう一度自己紹介しますね。僕、柳染筑紫って言います。本当は植物の土筆って書くんですけど、仕事上は『筑紫』で通ってます」
トクサ少年は、そんな筑紫の自己紹介を聞くと、驚いたようにジムの看板と筑紫を見比べる。
「つ……筑紫? ジムリーダーの、筑紫?」
トクサ少年は混乱している。
わけもわからず自分の頬をつねった。
「はい。あの……告知もなしにジムを閉めてしまって、申し訳ありませんでした。宜しければ、今からでもバトルの用意をしますけれど、どうしましょうか?」
「あのね、僕が無理言って、この子を連れ出したんだ。まさか道場破りがこんな平日に来るとは思ってもみなかったからさ。だから、僕に免じて許してくれると助かるなあ」
「あ……ジム、リーダー…………檜皮ジム……虫ポケモン……」
また気でも失うか、と思ったけれど、精神力はいくらか成長しているようだった。トクサ少年は、『俺よりガキのくせに……?』とか、『こんな歳でジムリーダー……?』とか、そんな感じで程よい混乱を味わっているようである。まあ、そうだろうなぁ。ポケモンリーグに所属したくて、売り込みまでしてるトクサ少年なのだ。自分より年下(か、もしくは同い年)の少年がジムリーダーになっていれば、落ち込むのも分からないじゃない。
「というわけで、僕の本分は観戦だし、せっかくなら二人で戦ってよ。ジャッジは僕がするから」
とまあ、上手いこと言いながら僕はトクサ少年とも筑紫とも戦わずに、何とか事をまとめようとしてるだけなのだけれど――実際、トクサ少年がどれほどまで強くなったのかも、興味があるところだ。それに、なんだかんだで筑紫のポケモンも見ていなかったことだし。
「というわけで、とりあえずジムに入りましょう! ジムの中は入り組んでいるので、ご案内します」
展開が早いのはいいことだなぁ、なんて、誰に言うでもなく思いながら、僕は放心したトクサ少年の手を引いて、筑紫に続く。
旅人、ジムリーダー、凡人。
随分おかしな組み合わせだなぁ、と思いながら、僕はぶつぶつと呪詛を呟くトクサ少年を引きずって、再び、檜皮ジムへと入っていった。
◇
秘伝技の居合い斬りを多様しつつ、筑紫がジム内へと侵入していく中、僕とトクサ少年は、双方怯えながら、歩を進めていた。
トクサ少年は初めて見た異様なジムの内装に怯えていたようだけれど……しかし僕の場合、怯えている理由は違った。何しろこのジム、外装も恐ろしいんだけど、それ以上に恐ろしい事実を、知ってしまったのだ。
何が恐ろしいって、さっき――僕と赤火が来た時――に切ったはずの木が、また同じ場所に、同じ程度の長さで生えていることである。
同じ場所に、同じ長さで。
少佐のジムにも一本だけ、侵入者用の試練とかで細い木が生えているけれど、あれは毎回少佐が自ら植え直しているらしい(少佐は地味な仕事が好きだなあと思う)ので、不思議はない。
しかしここの場合は勝手が違う。僕は筑紫があそこの木を破壊してからずっと一緒にいたけれど、筑紫が木を植え直すなんて行為は一度だって見ていないし、そもそも自分で何度も切るんなら、植え直す必要性がない。
だから単純に、戻っている。
全く同じ状況に。
「……どうしましたか」
そんな僕の疑問が顔に出ていたのか、すっかり精神的余裕を取り戻したらいしトクサ少年が尋ねてきた。顔はまだ怯えたままだけれど。
「んーとさ、今、あそこに木があったでしょ? 筑紫君が斬ったやつ」
「ああ……はい。細長いやつですよね」
「あれさ、さっきも見た気がするんだけど」
「さっきも……ですか」
明らかに僕を信じていない目で、トクサ少年は僕を見る。
信じて欲しい所なのですが。
「僕の頭はおかしくなってないはずだけど」
「ええ、まあ、そうなんでしょうけど。同じ木が二本あるなんて、信じがたい話じゃないですか。だから、似た木なんじゃないですか? そもそも僕には、どれがどれかなんて、分かりませんよ」
「そう言われればそうなんだけどさぁ……まあ、見間違いかなぁ。常識的に考えたら、時間が戻るわけないし」
そもそも僕って、どっかどうかおかしなところあるから、間違っているのは僕って定義づけたほうが、いくらか正しい気すらする。
というか、そう信じ込んでおいた方が、僕としても不必要な恐怖を感じなくていいから、楽なんだけど。
「暗いところはいいけど……怪奇現象とか、得意じゃないしな」
「何か言いました?」
「うん、独り言」
言いながら、僕たちは筑紫がばったばったと細い木を斬り倒して行く先へと向かっていく。
ジムって元々大きい建物だけれど、植物が生い茂っているだけで、こんなにも現実感がなくなるとは……ちょっと、精神的にまいる所があるなぁ。
こんな場所でポケモンバトルなんて、それだけで不利って感じもするけれど。
「つきました!」
ドサドサ、と何本か木が倒れる音と同時に、前方から筑紫の声が上がる。どうやらバトルリングのある場所に到着したらしい。
「今日はお手伝いの人がいないので、ちょっと準備してきますね。ここで待っててください」
「ああ、うん。僕は何かすることある?」
「いえ、お仕事ですから、大丈夫です!」
元気に言いながら、筑紫は奥の方へと向かって行った。はあ……まあ、確かに仕事なんだろうけど、筑紫だけに準備をさせるってのは、流石に心が痛むなぁ。
手伝ったとしても、どうせ足手まといになるだけなんだろうけど。それでも少しくらい、お兄さんしたいところだ。
「……ああ、そういえば」
「ん? どうかした?」
バッグの中をごそごそと探りながら、トクサ少年が僕に聞いてくる。
「いえ、これは公式戦……ってことでいいのかな、と思いまして」
「ああ、公式戦でいいんじゃないかな? 道場破りって立場だから、手加減はしてもらえないと思うけど……それでも勝ったら、バッジは貰えるでしょ」
道場破り。
まあ、つまりは、月に一度行われる『ポケモンリーグ公認ジムバトル』ではない日に、ジムリーダーに直接ポケモンバトルを仕掛けて、勝利を収められたらバッヂを獲得する……という、せっかちさんのための戦い方の呼び名である。
そんな道場破りの利点は何なのかと言うと、自分の好きな時に――特に、ポケモンのコンディションとかが良い時に――自由に挑戦出来る、というものなのだけれど、しかしジムリーダーにとっては準備が整っていない時に突然挑戦されるのだから、対応に困る。
そもそもジムリーダーってのは、相手のレベルに合わせてポケモンを使ってくることが多い。空気の読めないジムリーダーもいるにはいるけれど、大体そうだ。多分筑紫も、そのタイプだと思う。
けれどそれは『ポケモンリーグ公認』の場合。準備が出来ないうちに道場破りが来た場合には、育成中のポケモンではなく、ある程度育ったポケモンを使うことになる。
だから今回の場合なら――さっきから居合い斬りを連発していたストライクが、少なくとも戦いの場に出てくるものだろうと、僕は思っている。
「まあ、君は鋼タイプが好きみたいだし、虫には有利だから何とかなるんじゃない」
「何とかならないと、困るんですけどね……」
――と、僕とトクサ少年が実りのない会話をしている間に、照明が順番に点って、バトルリングが照らされた。『準備』とやらは、整ったらしい。
「……それじゃ、行ってきます」
「うん、がんばってよ」
トクサ少年は言って、階段を上ってリングの中央へと歩み寄って行く。
旅人らしい風貌に、戦をかいくぐってきたような雰囲気を纏って、一歩ずつ、踏みしめる。
「うーん……この前の時とは大違いだなぁ」
少年って生き物は、成長が早いもんだなぁ、とか、何とか。
十五歳なのにそんな年寄り臭いことを思いつつ……さて、僕も準備をしなければいけないようだ。
準備というほどでもないけれど、とりあえずは審判役として、審判席に座っておく必要がある。まあ、お互いにポケモントレーナーとしての常識があれば、審判なんて必要ないとは思うんだけど……それでも一応、ジム戦だし、しっかりと務めさせてもらうことにしよう。
審判なんて、大半は観戦していればいいわけだしね。
「お待たせしました!」
そんなことを思っていると、トクサ少年と反対側の階段を、急ぎ足で駆け上る筑紫の声が聞こえた。腰にはモンスターボールが三つ。トクサ少年と同じ数だけつけられていた。
とは言っても、それは一般的な紅白のそれではなく、青緑色の半球に黒いネットがかかった亜種で、ネットボールと言う種類だった。基本的な性能はモンスターボールと同じなのだけれど、水辺のポケモンや、虫ポケモンを捕まえることに特化された物である。
確か……一個千円くらいしたっけなぁ。
やっぱジムリーダーって、結構儲かるんだろうか。
なんて不埒なことを思っているうちに、筑紫はバトルリングの中央に到着したらしく、姿勢良く起立している。対するトクサ少年は、未だに筑紫がジムリーダーであることを信じられていないのか、疑うように俯瞰していた。
「あ、えっと、ジムリーダーの筑紫です。よろしくお願いします!」
「…………ポケモントレーナーの、トクサだ」
無愛想にトクサ少年は言って、距離を取る。
しかし筑紫は動かずに、腰につけているモンスターボールに手を置いて目を瞑ると、何やら小さな声で呟き始めた。
ここからじゃ分からないけれど……多分、試合前の気合い溜めとかだろうと思う。
「それじゃ……ハクロさん、お願いしますね」
目を瞑ったままの筑紫が僕に言う。何だろうか、とても凄い気合いが――というより、オーラか。そんなものが筑紫から感じられるほど、僕は筑紫に魅せられていた。
「それじゃ、始めようか」
僕が言うと、筑紫はトクサ少年と同じだけの距離を、目を瞑ったままの状態で取る。
真剣な雰囲気。
見ている分には――とても、心地が良い。
「それじゃ、二人とも、ポケモン出して」
僕の合図と共に、トクサ少年は腰のモンスターボールを外して、大きさを戻し、無言でボールを放る。
バトルリングの中央から少しトクサ少年に寄った場所で、モンスターボールが炸裂し、中からは――ボスゴドラが現れた。
その成長度合いを見る限りでは、ルカリオと比べると、未だ発展途上ではあるようだけれど――しかし絶対的に見れば、中々に育っているようだった。
全体の四割程度ではあるけれど……しかしそれでも、この三ヶ月で育てたのなら、十分過ぎるほどだった。
「――――行きます」
と。
そんなボスゴドラに対して何の感想も漏らさないまま、精神統一が終わったのか、筑紫は静かに宣言して、モンスターボールを放る。
実年齢より幼く見える、天真爛漫な子ども――という印象は、今の筑紫からは既になくなっていた。あるのは、ジムリーダーとしての戦意だけ。
優雅に放物線を描いた後、バトルリング上で炸裂したモンスターボールからは、筑紫のポケモンが――檜皮ジムリーダーの最初のポケモンが――光に包まれながら、威風堂々と、出現した。
「……」
「……」
そこに含まれている二人分の沈黙の内訳に、無論筑紫は入っていない。
三人存在する檜皮ジム内で。
僕と、トクサ少年だけが。
絶句していた。
「……」
「……」
「今日は手加減しなくていいからね、ハルバード」
恐らくはニックネームなんだろう。ハルバードという、一見すると鳥の名前かと見紛うような、武器の名前。そんな斧槍の名を冠した、筑紫のパーティの中で先陣を切ったポケモン。
黄色の体色に、毒々しい黒を纏った、森の暗殺者。
「スピアー……?」
スピアーだった。
尾に一つと、両手に一つずつ。猛毒を有した針を構えた、戦闘本能をむき出しにした、蜂。
――スピアーもポケモンの一種である以上、ルールを逸しているわけではないし、特に問題があるわけでもない。
どんなに弱いポケモンであろうとも、どんなに弱いポケモンであろうとも、勝ち残る術はある。
生き残る術はある。
とは、言ったとしても。
そんなのは大抵の場合、詭弁でしかないはずで――
「……バカにしてんのか」
トクサ少年は呆れたように、ジムリーダーに向かって、そんな暴言を吐いた。
「……何のことでしょう」
さっぱり分からない、とでも言うように、筑紫は首を傾げる。しかしその瞳に、さっきまでのような敬意は灯っていない。
或いは敵意か。
駆逐すべき敵を目の前にして、それをお預けされた筑紫は、わけの分からない質問を浴びせてきたトクサ少年に対して、不快感をあらわにしていた。
……不穏な空気が、流れている。
僕はこういうの、得意じゃないんだけど。
「……ああ、もしかして、ニックネームですか?」
「そうじゃない、ポケモンだ」
刺々しい言葉が交わされている。
どのポケモンが強くて、どのポケモンが弱いか。一概には分けられないとは言え、大々的な分別くらいは、分かっている。ポケモントレーナーなら、そのくらい知っている。
曰く、虫ポケモンは弱い。
特に幼虫。キャラピーやビードルを筆頭とする、戦闘意欲のないポケモン。
そんなポケモンの進化形であるスピアーは、しかしそれらに比べると十分戦場で生き残る術を持っているポケモンではあるのだけれど――それにしたって、ジム戦でお目にかかるようなポケモンではなかった。
弱者の位置に存在して然るべきポケモン。
「ポケモン、ですか?」
「ポケモンの選択が、バカにしてんのか、って言ったんだ」
「……すみません、どういうことか、よく分かりません」
「……お前が虫ポケモン使いとは言ったって、スピアーっていうのは、あんまりなんじゃないのか、って言ってんだ」
精神的には大人になったようで、子ども相手であろうと、力の加減を間違えるようなトクサ少年ではないと思うけれど。
遠回しに「弱い」と宣告されているような、現在の状況には、流石に寛大ではいられないようだった。
甘く見られている、と認識して気分を害したトクサ少年と、いちゃもんをつけられて不快になった筑紫。
その双方が視線を重ねて――数瞬、時が流れて。
「ああ、そういうことですか」
筑紫は言った。
「コクーンの方が、良かったですか?」
「…………――――てめぇ」
そんな言葉を合図に、ポケモンリーグ非公認檜皮ジム公式バトルが、始まった。
ていうか僕、審判やる意味、あるんだろうか。
◇
スピアーとボスゴドラ。
一見すると、双方の力の差は、火を見るよりも明らかだ。
しかし、ポケモンバトルにおいて勝敗を決するのは、何もポケモンの選択だけじゃない。
ポケモンの成長度合い。
タイプの優劣。
戦闘用に選ばれた四つの技。
トレーナーの戦闘技術。
そして――運。
筑紫が繰り出したスピアーは、虫と毒タイプのポケモン。対するボスゴドラは、鋼と岩タイプを有した、防御に特化されたポケモンである。
タイプの優劣で言えば、完全にボスゴドラの方が有利ではあるのだけれど――それを覆すほどの力が、スピアーには存在していた。
ボスゴドラは、四割程度。レベルに換算すれば、四十とか、そんな具合。強さとしては、まあまあなレベルだ。
全ての人間が、全てのポケモンを、完全に育成出来るものではない。だから、自分とは全く違う生物の力を四割程度引き出すだけでも、それは凄まじい努力と才能が必要とされるものだろうと思う。
しかし。
対するスピアーの場合は、六割以上の育成が、既に完了していた。
そこにある絶対的な力量差は、筑紫の天才性を物語るのに十分な情報だった。或いは、スピアーとの付き合いの年月、だろうか。
本来のジム戦ではないからこそ、ジムリーダーの本領を見ることが出来る。タイプの差や、ポケモンの性能を覆すほどの、圧倒的な力。
しかし、それを、『見た』だけで判断出来るほどトクサ少年は天才性に優れてはおらず、タイプの優劣のみを考慮して、戦闘を開始した。
「ボスゴドラ、アイアンヘッド」
「ダブルニードル」
双方の宣言が下された後、最初に動いたのは、スピアーの方だった。
いくらスピアーが恵まれないポケモンだったとしても、全ての能力が最低なわけではない。機敏さでボスゴドラを上回っているスピアーは低空飛行のままボスゴドラに接近すると、両手――というよりは、二対の槍をボスゴドラの腹部対して、垂直に突き刺した。
が――鋼と岩、というタイプ以前に、ボスゴドラは物理的な攻撃に対しての防御力を特化させたポケモンである。スピアーの単純で単調な攻撃方法にも、少量のダメージを受けるだけで、要塞のように頑丈な造りのボスゴドラの肉体は、槍が突き刺さったものの、対して傷ついた様子はなかった。
そして反撃は始まる。
二対の槍を腹部に受けたボスゴドラは、突き刺したその状態で停止していたスピアーに向かって、振りかぶっていた頭部を――思い切り、スピアーに対して、打ち付けた。否、打ち抜いた、と言ったほうが正確なのかもしれない。そのくらい、またスピアーと同じように、単純で単調な攻撃。力任せに、或いは自分を護る鉄壁の装甲を攻撃に転じさせるような、攻撃。
一瞬で、スピアーはバトルリングに叩き付けられ、突き刺していた二対の槍も、ボスゴドラの体から抜けきる。まだ息はあるようだが、しかしスピアーの防御力とボスゴドラの攻撃力では、その差はあまりに大きいようだった。
「もう一度、アイアンヘッドだ」
トクサ少年は勝ち誇ったように、ボスゴドラに対して、同じ技を指示する。恐らくは瀕死状態にほど近いスピアーであるから、どんな技であれ、或いはスピアーに不利なタイプの攻撃であれ、沈めることは容易であるはずだったが――しかし万全の攻撃を、トクサ少年は選んだ。
激昂していたとしても、相手になめてかからない。
それはトレーナーとして、とても重要なことだ。相手をバカにして足下を掬われることにもなりかねないし、ましてやトレーナー戦。いつ回復薬を使われるかも、分からない状況だった。
そして筑紫は、しかし――回復薬を使ったりはせずに、攻撃宣言をする。
素早さではスピアーが勝っているのだから、当然だ。
しかし筑紫が宣言したのは――
「ハルバード、がむしゃら」
がむしゃら。
未知の攻撃手段であり、あまりに特殊すぎるものだった。
それがどういう原理で行われる攻撃なのか、確かなことは分かっていないらしい。
言ってしまえば、本能なのか。それともポケモンにのみ共通する、掟なのか。
相手の体力から、現在の自分の体力を差し引いた分、ダメージを与えるという、不可思議なもの。
一言で言えば、つまりは現在の自分と同じ状態まで、相手を貶めるというような攻撃方法だった。とあるポケモンが持つ特性である、『シンクロ』と似たような現象なのかもしれない。相手と自分を、同じ所まで弱らせる。相手の攻撃を弱い防御面で受けきって、それを攻撃に転じさせる。言うなれば、スピアーは結局のところ――ボスゴドラを狩るための、囮なのかもしれなかった。
トクサ少年の表情は、濁る。
そして実際、スピアーが何をしたのか――どんな行動を取ったのか、それは僕ら人間には、理解出来ないようなものだ。
スピアーが、ボスゴドラに触れる。
ただそれだけだった。
もはやそれは、掟と言う他――ルールと言う他、ないような、そんな攻撃。がむしゃらに、相手を痛めつけるのではない。がむしゃらに、暴れ出すのではない。
ただ触れるだけ。
それだけで――しかしボスゴドラは、如実に体力を失った。
「くそ……」
体力を失い、意識を朦朧とさせながらも、しかしボスゴドラの受けた指示は生きたままで、結果としてボスゴドラを行動をさせる。疲れ切った様子で、ボスゴドラは頭部を振りかぶって、先ほどと同じように――スピアーを打ち抜いた。
「……っ」
ぐしゃりと、スピアーの頭部が陥没する音が響いて、一メートル弱の蜂は、リングに沈む。
小さく呟くトクサ少年に対し、筑紫はただ、冷ややかな視線で、スピアーの散り様を見届けるだけだ。
「ありがとうハルバード、もういいよ」
ともすれば――死んでしまったのではないかと思えるような様子で横たわっていたスピアーに、筑紫はモンスターボールが発する紅線を浴びせて、収納した。そこには愁いも、喜びもない。ただ戦況を見極めるジムリーダーとしての顔だけが、存在していた。
そして筑紫は、間髪入れずに、二匹目のポケモンを繰り出す。淡々とモンスターボールを炸裂させ、筑紫の持つ虫ポケモンが繰り出される。
「頑張って」
現れたのは、ヘラクロスだった。
虫、格闘タイプを有した、ポケモン。ヘラクロス。
鋼、岩タイプのボスゴドラに対して、格闘タイプの攻撃は、あまりに致命的。
一本先取しているはずのトクサ少年ではあるが、そこに精神的余裕などはない。何しろ、トクサ少年の手持ちのポケモンは、鋼タイプが圧倒的である。ルカリオと、もう一匹。そのもう一匹が何なのかは定かではないが、雰囲気からでも、鋼タイプのポケモンであると、容易に想像が付く。
「ヘラクロス、瓦割り」
そして筑紫は、命令する。
対するトクサ少年は、格闘タイプの攻撃を宣言され、回復薬を投与することよりも、目先の安全を、優先した。というよりは今のところ、手段がなかったのかもしれない。
「ボスゴドラ、まもれ」
トクサ少年からボスゴドラへの指示は、攻撃ではなく、『守る』という、完全防御だった。多少変形した呼称ではあるが、意思疎通が図れているのなら、それで問題はない。技名は呼称であり、記号である。僕のようにポケモンとの意思疎通が完全であれば、そもそも指示を出す必要性すらないのだから、『まもる』と『まもれ』の間に、問題視するほどの疑問は、もたれなかった。
それは、だから、同様に。
筑紫の場合であっても、同じだった。
「……あはは」
筑紫は笑った。
ヘラクロスも心なしか――いやらしい笑みを浮かべたような、そんな気がした。
一瞬。
一体何が起きたのか、その現象を僕とトクサ少年が理解するよりも前に、完全防御態勢に入っていたボスゴドラは膝から崩れ落ち、完全に瀕死状態に陥った。
「な……」
「……え?」
トクサ少年と僕は、理解が遅れる。
『まもる』ことは、最大級の防御だ。どんな攻撃も受けず、攻撃の意志を捨てて防御のみに徹することで、一度に限り、全ての攻撃を無に還す。
全て?
全て――じゃあ、ない。
トクサ少年より数秒早く、僕は理解した。
フェイント――――
「何を呆けているんですか?」
筑紫がトクサ少年に言う。
フェイント。
フェイント?
防御面に優れたボスゴドラに対して――あまりに攻撃力に乏しく、鋼と岩のタイプを苦手とする、ノーマルな攻撃であったにも関わらず。ヘラクロスのフェイントで、スピアーの罠に嵌められていたボスゴドラは、その鉄壁性を、しかし破られた。
そこまでして……。
そこまでして、相手の裏をかく必要が、あるのだろうか?
そんな、成功しないかもしれない手段でまで――
「さあ、早く次のポケモンを出しましょうよ。あなたが何かを考えてることは、僕に思考の時間を与えることに、ほかなりませんから。それじゃああまりにも、つまらないでしょう?」
「……くそっ!」
冷静にならなければ勝てない。しかしトクサ少年は、冷静になろう、と考える冷静さすら、失っている様子だ。
指示なんて呼称でしかない。
だから、『瓦割り』が『フェイント』をするための記号として代用されているのなら――
それはもっとも効率的で、賢い方法。
卑怯と言っても――もしかしたら、いいのかもしれないが、しかし戦闘において、卑怯などというバカげた言葉は通用せず、その言葉を口にした瞬間、どれほどの手練れであっても、一瞬で精神的な敗北を味わう。
だからトクサ少年は口にしない。
口にせず、素直に二匹目のポケモンを繰り出した。
現在、バトルは実質的な優劣がないまま、互角の状況で進んでいる。
しかし相手のポケモンを見てそれに有利なポケモンを選べるという点では、トクサ少年がいくらか優勢だったのかもしれなかった。
そして実際に、その現象は有利に働く。
「エアームド」
トクサ少年の二匹目は、エアームドであり、
「燕返し」
そして即座に、トクサ少年は指示を出した。
虫、格闘タイプのポケモンに、飛行タイプの必中攻撃。
それはボスゴドラに対する格闘攻撃と同じく、凄まじいほどの相性の悪さを――ともすれば、良さを――秘めた、攻撃だった。
「ヘラクロス、耐えてね」
しかし筑紫はそんな言葉を、ヘラクロスへと投げかけ――
成長度合いの差は、圧倒的にヘラクロスへと有利に働いていた。そして鋼の翼を持っているエアームドと、昆虫であるヘラクロスでは素早さの面でも、圧倒的にヘラクロスに、有利に働いた。
だから実際――先手はヘラクロスが取るべきであった。ヘラクロスの攻撃を受け、エアームドが反撃をし、トクサ少年は恐らく、戦いをルカリオに託すように、戦況を読んだはずだ。
一歩先の展開を読む。バトルにおいて重要なことの一つだ。そしてポケモンごとの特性――この場合では、ポケモンが有するそれではなくて、トレーナーがポケモンに託す、一種の『ひな型』――を熟知すること。その二つが、トレーナーに必要な技術として存在する。
ヘラクロス。もはや定形化したポケモンだ。
戦術は山ほどある。その中でも、流行り廃れがあるとは言え、『代名詞』ともなる戦術が、どのポケモンにも一つは存在している。
それが、堪えると起死回生。
『まもる』とは違い、ダメージを受けるが、しかし必ず余力を残す防御方法の『堪える』。それに、自分が窮地に立たされている時にもっとも効果を発揮する『起死回生』を重ねることで、最大限に力を発揮する戦法は、ヘラクロスの十八番と言っても、間違いなかっただろうと思う。
用心すべきはそれだ。或いは、『気合いの襷』と呼ばれる、科学的な証明はないにせよ、ただひたすら、気合い、本能、精神力、そういったもので自己の意識を保つアイテムを持たせることで、『堪える』の手間を省かせ、起死回生を繰り出す戦法もある。だけど、それには『気合いの襷』が発動する可能性と、相手がヘラクロスよりも先手を取るという前提条件が必要になる。
その二つの可能性を読んで、もっとも効率良い攻撃を、トクサ少年は選んだのだろう。
緑葉との戦い、そして僕との戦いで、僕はトクサ少年のルカリオの技を熟知している。神速、ボーンラッシュ、龍の波動、波動弾。そのうちいくつか戦闘用に入れ替えられた技があったとしても、神速を切るということは、考えにくい。
だからルカリオは、この『燕返し』で一撃死を誘えなかった場合でも、必ず無傷でヘラクロスを倒せるという確証が存在した。素早さで劣っていたとしても、『神速』によって、その問題は解消される。
一対一ならば、必ずルカリオが勝利すると、トクサ少年は信じているのかもしれない。それが油断だとしても、今回に至っては、それは事実である。
だからトクサ少年は、エアームドに燕返しを指示した。ヘラクロスに対してもっとも効果的な技。上手く行けば一撃で葬り去る。『堪える』や、『気合いの襷』の選択肢があったとしても、優劣は同様のまま、最後の一対一の対決に持ち越せる。
物理攻撃を得意とするポケモンであるからこそ、エアームドは燕返しを取得していて、そしてそれを放った。特殊型の飛行攻撃ではない。あくまでも物理的な、飛行攻撃。
それが僕の一方的な考えとは言え、トクサ少年の攻撃は、行動は、その実決まり切ったものだったのだろう。ポケモンを繰り出したと同時に、攻撃の指示。それは敵対するポケモンのことを熟知し、自分のポケモンを理解していなければ出来ないことだ。
だからこそ――ヘラクロスに先手が取れたことに、最も違和感を感じていたのは、トクサ少年のはずだった。
こちらが耐えるつもりで、トクサ少年はエアームドに指示を出したはずだったのに。
「耐えてね」、と、筑紫は言った。
「堪えてね」、では、なく。
そうした筑紫の願いは、予定調和のように、エアームドの燕返しを――空を裂く程の圧倒的な打撃を――もろに受けたにも関わらず、叶えられた。
虫、格闘に対しての、飛行ポケモンが繰り出す、純正の飛行タイプの攻撃。
有利不利、などという言葉では言い表せないほど、絶望的なまでの窮地に立たされていたヘラクロスであったのに。
――そしてヘラクロスは、耐えた。
予測通り、『気合いの襷』で。
そして反撃を行った。
起死回生――では、もちろんない。
エアームドと対峙した場合では、ヘラクロスは先手を取れるポケモンだ。
だから筑紫は、起死回生を選択しなかった。
後手に回り、運に任せ、それでも尚、相手に思考の余地を与えないがためだけに、筑紫は起死回生とのコンボではなく。
――カウンター。
相手の物理攻撃を、倍返しにする、格闘攻撃。
或いはそれこそが――ヘラクロスの真骨頂だったのかもしれない。
鋼、飛行タイプに対し、格闘攻撃。
威力を倍返しにした、反撃。
それで果たして、エアームドは沈むのかと言えば――結果としてエアームドは、一撃で、葬り去られた。
「……な」
問題は何だっただろう。
レベル差に違いなかった。
四割にも満たないエアームドに対し、五割以上は行っているであろうヘラクロス。
もしほんの少しエアームドのレベルが高くて、ほんの少しヘラクロスのレベルが低ければ、エアームドは少量の体力を残して生き残り、また別の駆け引きが行われたのかもしれないが。
結果として、エアームドは倒れた。
対するヘラクロスは、風前の灯火だけを残して、未だバトルリングの上に立っている。
ではこれで、形成は逆転したのだろうかと言えば――そういうわけでもない。
ヘラクロスは、どちらにせよ、次の攻撃で倒される。
だとしたら何故、早急にエアームドを処理したのだろうか。
何故一ターンでの決着に拘ったのだろうか。
筑紫の読みが、僕には分からない。
物理攻撃ではなく、特殊攻撃である可能性もある。そもそも攻撃技でない可能性だってあった。だと言うのに、あの状況で、カウンターを選択した筑紫。
何がしたいのだろう。
トクサ少年を、どうしたいのだろう。
「……っ、エアームド」
トクサ少年が、力尽きたエアームドを戻す。自分の選択ミスでないからこそ、混乱は混乱を生む。
そしてトクサ少年が、三匹目であるルカリオを繰り出した――と、同時に。
「こっちも、お疲れ様」
言いながら、筑紫はヘラクロスを、手元に戻した。
それが意味するところを、僕とトクサ少年は理解した。
――ああ、自爆要因か。
残りの体力が限界値まで引き下げられていたとは言え、それでもまだ戦闘可能な状態であれば、ヘラクロスは戦闘員の一匹として認められる。
ポケモンの残りが限られるトレーナー同士のバトルでは、生き残った方が、勝ちだ。
だから、相手が一匹になった直後に、自爆要因のポケモンを繰り出すことは、常套手段だった。
そして――しかし――筑紫が繰り出した最後のポケモンは――
「………………」
「……」
トクサ少年が有する、ルカリオの戦闘用の技は、四種類。
神速、ボーンラッシュ、龍の波動、波動弾。
対して現れたポケモンは。
「ヌケ……ニン」
……。
……。
トクサ少年の声にならない声が、喉から零れたところで。
当たり前のように、勝敗は決した。