9
ポケモンセンターの窓枠を飛び越えて、自分の家の前を通過し、僕は何の考えもなしに、自然と姥目の森に向けて、歩を進めていた。
常識的に考えよう。
女医さんが倒れている。これがまず問題点。
咄嗟のことだったので詳しく見ていられなかったけれど、血を流しているとか言うわけじゃないし、眠らされているだけと考えるのが良さそうだ。それに、刺すとか、殴るとか、そういう野蛮な方法を取ったのならば、僕らに悲鳴くらい届いていても、不思議じゃない。
そしてそれを行ったのは誰か。
さっき話に出てた何とか団だろうか。なるほど、考えられる。幻のポケモンであるセレビィを盗むために、女医さんを襲った。ふふん、有り得そうだ。というか、こういう非現実的な出来事を現実的に解決するためには、そうした野蛮な組織の介入という結末が、一番似つかわしい。
けれど。
セレビィの存在を、その何とか団が知っているはずはないのだ。
何故なら――セレビィがポケモンセンターにいることを知ることが出来る人間は、そういう何とか団に所属しているような人ではない、檜皮の住人だから。
いや……もし檜皮の住人の中にスパイ的な人がいるなら、話は変わってくるけれど。それは有り得ないと思う。
有り得ないと言うよりは、もう少し現実的な解決方法があるから、か。
セレビィがポケモンセンターにいることを知っている人間。
僕、少佐、緑葉、赤火、お婆ちゃん、筑紫、檜皮の住人、巌鐵さん、鉄さん、トクサ少年、蜜柑。
そして僕と少佐と緑葉と赤火とお婆ちゃんと筑紫は一緒にいて、ありきたりな言い方をすれば、アリバイが存在している。
じゃあ檜皮の住人?
巌鐵さん?
鉄さん?
トクサ少年?
蜜柑?
……ま、考える必要もないほどに、筑紫が伏線張ってたもんなぁ。
これで実は、『木炭の材料を得るためには、セレビィの力が必要だったんだ!』なんていう、鉄さんの自白が聞けたなら、僕はもう少し、この面倒事について、様々な解決案を選ばなければならなかったのかもしれないけれど。
鉄さんは――そんなことをする人ではないと、僕は信じている。
巌鐵さんにしてみても、同じ事だ。
「だから……なぁ」
考えられるのは、トクサ少年と蜜柑の二人か、もしくはどちらか一方、と言うことになる。
トクサ少年は――どういう理由なのかな。
蜜柑については、欠片も想像つかないけど。
「想像はつかなくても、想定出来る範囲の理由なんだろうな」
まあ、それは実際に、辿り着いてみれば分かることか。
僕はとにかく、檜皮を抜けて、考えもなしに、姥目の森を目指した。
一応――トクサ少年と蜜柑だけで動いているのだとすれば、最悪の場合でも、力づくで何とかなるだろう。僕はこう見えて、体力がないとか、運動不足とか、自分で言っているけど――最低限の基礎能力は持っている。
だから、トクサ少年が恐ろしいほどの怪力の持ち主でない限り。
例えば、二秒間に千発のパンチを繰り出したりしない限りは、大丈夫だろう。
「よっ」
垣根を越えて、僕は檜皮と姥目を繋ぐ連絡路の戸を開けて入り、そのまま閉めずに姥目の森に飛び込んだ。
昨日の夜と変わりない、いつものままの姥目の森。
僕はそんな森の中に佇んで、少しだけ、耳を澄ます。
この森は、迷いの森に近い。よほどの方向感覚を持っている人物か、あるいは幼少からこの森に慣れ親しんでいる人物以外は、この森を簡単に抜ける事は、かなり困難だと言っていい。
壁――と言うよりは森の幹伝いに歩いていても、かなりの時間をかけなければ抜けることは出来ない。
そしてセレビィを盗んだ誰かさんがこの森を逃走経路として選んだのならば――そしてその誰かさんが巌鐵さんや鉄さんでない限り――まだこの森の中で、迷っていることだろう。
「東の方、かな」
聴力で憶測を立てる。まあ、僕はただの人間だから、距離や方角までを理解出来るほど高性能な聴力は持っていないけれど、それでもどの辺で何が行われているのかくらいは、大体予想がつく。
違う足音が、二つ聞こえる。
何度か迷って、足を止めながら。
僕は足音を向こうに聞こえさせる事に何の危機感も持たずに、僕は狩る側として、姥目の森を、駆け抜ける。
ざわざわと、蠢く森。
僕は何の動機も持たないままに、セレビィの安否を心配した。助けたいなんて、欠片も思っていないのに。
「――ふう」
気負いすぎなんだろうか。
少佐と僕、どちらが誰かさんを追い詰めるのに適しているのかを考えた結果、少佐は機動力はあっても森に詳しくないから、自然と僕が動き出したという、ただそれだけの事なんだけど。
「まあ、みんなに悲しい思いをさせるのは、僕も辛いしな」
出来れば穏便に。
有り得ない可能性として、誰かさんが僕にセレビィをただ返してくれる未来が、一番有り難い。
そのまま森を突っ切って、音のする方に、ただ闇雲に走った。がんばれば僕も、走れるじゃないか。もちろん息はとてつもなく上がっているけれど。
「……はぁ、はぁ」
もう少し。
足音と一緒に、誰かさんの息遣いや存在感すらも、伝わってきていた。
「……はぁ、はぁ」
いざとなったら――
覚悟を、決めないと。
「……はぁ、はぁ」
そして――
「…………や、こんにちは」
僕は目の前で、行き止まりに困惑していた二人の人物に、声を掛けた。
出来るだけ、優しい口調で。
「……ハクロさん」
何のひねりもなく。
いや――ある意味では、ひねりがない方が、よっぽどマシだったか。
「トクサ少年、どうしたの、こんなところで」
トクサ少年と――顔を合わせるのは初めての、蜜柑が居た。
トクサ少年は、その手にタオルでくるまれた何かを持って。
「ハクロさんこそ……どうしたんですか」
「うん、おかげさまで目が覚めてね。トクサ少年を捜しに来たんだよ」
「はぁ……」
必至に、必至に。
トクサ少年は、自分の負い目を、何処かに追いやろうとしていた。
「そしてこちらが、蜜柑さんかな?」
「あ…………えっと……」
「初めまして、昨日お電話した、ハクロです」
僕は穏便を望んでいた。
僕に見つかったことで、トクサ少年と蜜柑が、セレビィを連れていくことを諦めてくれるなら、それでいいと、そう思って。
トクサ少年が、「脱走したセレビィを保護したんです」という、見え見えの嘘をついてくれて、僕はそれを、理解した上で、「そうなんだ! ありがとう、じゃあ、早くポケモンセンターに連れて行こう」という、嘘で返して。
それで済むのなら、僕はそれで良かった。
それを望んでいた。
完全に。
それだけを。
「初めまして……」
「ハクロさん」
なのに。
蜜柑が僕に挨拶を返した直後、トクサ少年は、タオルにくるまれていた――事件の原因である妖精を、僕に見せた。
「セレビィです」
「……あれ、どうしたの?」
僕はそれでも、トクサ少年が逃げるための逃げ道を、トクサ少年に差し出した。
むしろ――今すぐに、逃げて欲しかった。
言葉の上で、僕の示した逃げ道に。
「奪いました」
トクサ少年は、そう言った。
間違いなく、奪いました、と。
「トクサ君……」
蜜柑は心配そうに、トクサ少年の奇行を止めようとするが……しかし、止まらずに。
「すみません、ハクロさん」
「……」
「どうしても、奪わなきゃいけなかったんですよ」
いや、意味が分からないから。
トクサ少年がセレビィを奪う理由が、全く分かんない。
分からないし――出来れば、分かりたくない。
「百パーセントが僕の意志、というわけじゃないんですけどね」
じゃあ、やらなきゃいいじゃん。
「こういう機会は、滅多にないですから」
もういっそ、一生、なければいいのに。
「幻のポケモンと出会えるという――そんな状況は」
トクサ少年は、狂気染みる。
僕には分からない禍々しさを、その体に内包して。
「そっか…………うん、まあ、いいよ、それは」
何も良くないけど。
何とかいつも通りに、僕は還ろうとして、言葉を選ぶ。
「とにかく、帰ろうよ」
「無理ですよ」
トクサ少年は言う。
「ねえ?」
そして、隣にいる蜜柑に、意見を求めた。
「うん……あの、ハクロさん……」
蜜柑は頷くと、僕に向けて、言葉を紡ぐ。
「見逃してください……」
…………。
…………。
…………。
…………。
出来るわけねぇだろ。
「えっと、なに?」
その、駆け落ち寸前の恋人同士みたいな行動は。
「ごめん、ごめんね、ちょっとよく分からなくてさ……」
目頭を押さえ、僕は頭の中身を、何とか整理する。
「トクサ少年がセレビィを奪う理由が、分からない。蜜柑さんが一緒にいる理由も、よく分からない」
突然すぎて、突然すぎるから、予想してなかったし、想像も出来なかったから、よくは分からない。全然、全く、わけが分からない。
「それに、一番よく分からないのは、そんなトクサ少年を目の前にしている僕が、悲しい気持ちになっていることだ」
別にただの知り合いの一人だろうに。
筑紫が同じことをしても、きっと僕は、悲しい気持ちに、ならないだろうに。
「……」
「ちょっと、分かりやすく話してくれない?」
僕は退路に注意を払いながら、トクサ少年と蜜柑の行動を、注視する。
光が差し込んでいるのは、後方。
僕にとっては視界が開けているし、邪魔になる太陽も、僕に味方している。
トクサ少年達にとっては――逆光、か。
「分かりやすく、ですか?」
トクサ少年は言う。
「うん、出来るだけ」
「……それじゃ、簡単に、話しましょうかね」
「トクサ君……」
「大丈夫だから」
蜜柑と言葉を交わしてから、トクサ少年はセレビィを預け、一歩前に、出て来た。僕はその動作に、一歩後退する所だったけど、何とかとどまる。
「ハクロさん」
「はいよ」
「僕は、このセレビィの件を除けば、全てが、全て、ハクロさんの想像している通りの、僕です。実は僕が悪名高き人間だったとか、何処ぞのマフィアと関わっているとか、親父が悪の組織の親玉とか、そういうことはありません」
「そっか……それは、まあ、今のところ信じるよ」
「ありがとうございます。それで……いや、それと、か。それとこれとは、話が別、ということなんですよ」
「ふうん? よく分からないけど」
「ハクロさんには、分からないでしょうね」
と、トクサ少年は、少し怒気を強めて、僕に言った。
「僕には分からない、って?」
「そうですね。色々と、ハクロさんが理解出来ないことはあると思いますけど……これに関しては、きっと、もっと分からない」
「分からない、か。まあ、事実分かってないんだから、それで正しいんだろうけど」
自分の口調が少し乱れている事を知りながらも、僕は直さず、トクサ少年を見据えていた。
トクサ少年の右手が、少しだけ反応しているのも、知った上で。
「だから……僕がセレビィを連れ去った理由を知っても、きっとハクロさんは、理解しませんよ」
「理解か。出来ないだろうね。出来たためしがないし」
「それでも、一応、言っておきますけど……」
トクサ少年は、僕には理解出来ない答えを告げる。
「ただの物欲です」
そう、単純に告げた。
「ポケモンマスターって、知ってますか」
「ああ、当然知ってる」
「ポケモントレーナーの中で、ポケモンマスターに憧れない人間は、一人としていない。現実的に無謀だと知っていながらも、心の何処かで、夢を見るものです」
「うん、それも分かる」
「だから僕は、ただの物欲で、セレビィを手に入れたいんですよ。ただそれだけです。本当に、ただそれだけ。蜜柑だってそうですよ。きっと、緑葉さんだって、同じことを考える。筑紫だって、きっとそう。幻のポケモンは、『一人に一人用意されているわけじゃない』んですから。だから、幻のポケモンを手にすれば、僕は選ばれた存在になれる」
それは――
それは、想像しようと思えば、いくらでも、想像出来うる動機。
「もし幻のポケモン、伝説のポケモン、希少価値のあるポケモン、といったものが、一人に一匹ずつ用意されているのなら、僕はこんなことしませんよ。ましてや死にかけのポケモンです。無理はさせたくありません」
「……けど、無理をさせてる」
「そうです。僕はルカリオや、ボスゴドラ、エアームドを、駒とは思ってません。これは、ハクロさんに教わったことですし、旅の中で、自分自身、理解したことです」
「そいつは……いいことだ」
「けど、セレビィはただの『希少価値』でしかありません。僕にとっては、それだけです。自分で育てて戦わせるつもりなんてありませんし、きっと、未来永劫、パソコンに預けっぱなしにしておくんでしょうね。一度たりとも育てない。一度たりとも戦わせない。そんな未来が、容易に想像出来る。だから――別に、どうだっていいんです。正直なことを言えば、自己満足でしかないです。そうすることで、僕はより、自分の夢に近づける。これをそのための道具として扱える。でも、僕はこれが間違っているなんて、全く思いません。何故なら、ほとんどのトレーナーは、僕と同じ状況にいたら、同じことをするであろうから、です」
「……蜜柑さん、は?」
「私も……大体は、トクサ君と同じ意見です……」
蜜柑はセレビィを抱いたまま、静かにそう頷いた。
やっぱ、僕には分かんないや。
トクサ少年の言う通り、分からなかった。
「だから、見逃してくださいと、頼みます」
「……受け入れられない、かな」
トクサ少年は、本当に同じだ。
いつもと何ら変わりない、いつも通りの、少し硬派なポケモントレーナー。
それは変化でも豹変でもない。
トクサ少年は、内にそういう性質を持っていたという、ただそれだけの話。
「何故ですか」
「僕には分からないから。そんなことをして、最終的にどうするつもり?」
「ポケモン図鑑を、完成に近づけるためですよ。幻のポケモン――それを持っていれば、僕はポケモンの研究に貢献出来る。希少価値のあるポケモンを捕まえて、発表する。そうすれば、リーグ員にもっと近づける」
「ああ……」
そっか。
ポケモン図鑑の完成は――研究者達の夢だもんな。
「だから、出来れば止めないで欲しいんですよ」
「確かに、僕が止めれば、トクサ少年はポケモンリーグに入る可能性を、一つ失うわけだ」
「そうです」
「でも駄目だ」
僕は言う。
「……僕が言うのは、失礼だと重々承知で、言わせてもらうよ」
「? どうぞ?」
「ポケモントレーナーってのは、そういうヤツのことを言うんじゃない」
「……へぇ」
馬鹿にしたような、呆れたような、そんな溜め息を、トクサ少年は吐いた。
「自分が称号を得るためにポケモンを道具として使うのなら、それはポケモントレーナーじゃない。主従関係でしかない」
「……いや、ハクロさん。ですから、僕はルカリオやボスゴドラ――」
「同じことだろ」
目の前の馬鹿に、僕は言う。
放っておけばいい。力づくでセレビィを取り返して、あとはどうとでもなれと、思えばいい。
なのになんで気に掛けるんだろう、僕は。
僕は彼のことが、好きなんだろうか。
一人前になって欲しいから――と言う、そういう願いなんだろうか。
一人前ってなんだよ。
やっぱり、何処かで思っているのかもしれない。
――ポケモントレーナーの終着点は、僕自身だと。
そんな不遜で、生意気なことを。
「……はあ。もういいから、とりあえず、かかってくれば?」
「……ッ!」
「ジム、リーグ、四天王。全部強さで決まるんだろ? 全部が全部、強さで選ばれる。だったら強いヤツが正しいポケモントレーナーだ。お前が言ってんのは、そういうことだ。努力をして結果を残したヤツだけが、ポケモントレーナー。そう言ってるんだよ」
「……煽っても無駄ですよ。僕は挑発には乗らない。挑発に乗っていい目を見たことなんてない。だから、僕は変わったんですよ。一番労力を使わずに済む方法で、行動する」
「その結果が、治療中のセレビィの奪取か」
「……」
「頭悪いだろお前」
挑発してるつもりなんてない。
思ったことを言うだけだった。
「一番労力を使わないなら、セレビィの存在に気づく人間が増える前に片付ければ良かったんだよ。昨日僕が倒れている間とか。いくらでもあっただろ。その間、何してた?」
「逃走経路の確保です」
「それで知り合いのお姉ちゃんに頼ったわけか。自分のなりたいリーグ員のお姉ちゃんに」
「……まあ、そうですね」
目の前の少年は、必至に怒りを堪える。
「それで、手に入れて、どうするつもりだった? 僕に嫌われ、緑葉に嫌われ、筑紫に嫌われ、色んな人に嫌われる。そのまま旅を続けて、楽しいか?」
「……それだけの価値が、幻のポケモンにはあるんですよ。だから僕は、人に嫌われたって」
「ほら、やっぱりだめだな」
分かってないよ。
僕なんかより、ずっと分かってない。
「所有権が他人にあるポケモンを奪うのは、犯罪だろ」
「……それは、知ってます」
「犯罪者にこき使われる、その三匹のポケモンの事を、一度でも考えたことはあるのかよ」
「ぁ……あります。それでも、それでも幻のポケモンは……」
「幻のポケモン一匹のために、お前のポケモン全員が汚名を被るんだよ」
そして何も言えずに、目の前の馬鹿は、口を閉ざす。
閉ざしたまま、返す言葉を、失った。
「あの…………ハクロさん……、トクサ君は……」
「黙れ」
話してる途中だろ。
お前はいいからセレビィを大事に抱いてろ。
「だから……僕は、そういう馬鹿を、更正するよ」
「……煽っても、無駄ですって。分かってるんですから。ハクロさん、モンスターボール、持ってないじゃないですか」
「ん?」
言われて、僕は気づく。
そう言えば僕は、目覚めた時から、ダークライの存在を、近くに置いていなかったんだったか。モンスターボールも、その中身も、どっちも。
飼い猫がどっかに行ってるような気分。
全然気にしてなかったけど。
「ああ……なんだ、そんなことか」
「そんなこと、って……どっちがポケモンを大事にしてないんですか」
「大事? 大事にしてるさ。どっかの馬鹿よりは、遙かにね」
「そうやって煽って、人体に危害を加えさせて、僕を犯罪者に仕立て上げるとか、そういう算段ですか」
ああ、なんだ。
やっぱり、分かってない。
「もう最初っから犯罪者じゃん。なんで僕がそんな、非人道な行為をしなきゃいけないわけ?」
「じゃあかかってこいって、何ですか。まさか殴り合い? はっ、しませんって、そんなこと。野蛮すぎる」
「そりゃそうだ。だからポケモンに決まってんだろ。いいから早くしろよ、数少ない、僕の見せ場なんだから」
僕は言って、一歩、後ずさる。
「……はぁ。分かりました。じゃあ、言う通りにしますから、満足したら、見逃してくださいよ」
「いいよ、僕が負けたら、見逃す。……そんじゃ、試合の前に一つ約束」
「……懐かしいですね」
三ヶ月前と同じ。
「これで負けたら、自分が全てだなんて思わないようにしてくれ。どれだけの人が自分と関わっているか、考えてくれ」
「……分かりました。分かりましたよ」
「そして知っての通り、僕と君は相性が最悪」
「そして今回は、三対――一、でいいんですか? ダークライ、見当たりませんけど」
「今のところ、三対○。だから、それでも勝てないって理解出来たら、色々と――世界を、見直してくれ。僕は、絶対に許さない。君がそんな手段で成功することを許さない。正々堂々と、正真正銘のポケモントレーナーとして、リーグ員としての資格を得なければ、絶対に、許さない」
ポケモンについては、彼の方が正しいのかもしれないけど。
人間関係や、人間としての善悪は――僕の方が正しいという自信がある。
だから、叩き直すのが、お兄さんの役目ってもんだろう。そうに決まってる。
たとえ僕の考えが、子どものそれだとしても。
強さこそが正義の世界なら。
「そんじゃ行こうか」
「分かりました」
目の前でモンスターボールが炸裂し、先陣を切ったのは、ボスゴドラ。
こうして対峙すると、その大きさは想像を軽く超えるほど。このままでは間違いなく、僕が攻撃されて、あっと言う間に昇天するだろう。
だからこちらも、迎え撃たなくては。
「本気で行くぞ」
僕は声をかける。
大親友になりたい、友達に。
或る意味では、この上なく、主従関係。
或る意味では、この上なく、放任主義。
或る意味では、この上なく、唯一無二。
だから――――目に見える場所にいなくても、何の心配もない。
「ダークライ」
そして、太陽を背にした僕の影から――
白と黒を基調とした、悪のポケモンは、現れた。
◇
少し前の話になるけれど――
三ヶ月前、僕とトクサ少年が戦った時の話。
ルカリオ一匹と、ダークライ一匹。とても分かりやすい戦いを、とても分かりやすい相性の悪さの元、僕らは行った。
結果は、当然、僕の勝利。
完膚無きまでに。もはや、反論の余地も、勝敗の予知も、ないくらい。そのくらい、一瞬のうちに、勝敗はついた。
ダークホールからの――夢喰い。
一瞬の出来事。
或る意味では、眠ってから、トクサ少年は何らかの策を練っていたのかもしれないけれど……。
そのどの策すらも日の目を見ることなく、最速で、勝敗は決まった。
だから、僕にとってあの戦いは、戦いと言うよりは、ショーに近いものだったし、トクサ少年も僕も本気であったとは言え、あまりに粗末な決闘だったとは思う。
が。
それが今回に作用するのなら――それはまた、話が別だ。
三対一。
フリーバトル。
公式戦では――当然、ない。
公式戦でないと言うことが、どういった作用をもたらすのか。それについて、簡単に説明するなら、道具の有無、ということになるだろう。
道具。
ポケモンに道具を持たせるという、戦術。
それは近しい戦いを例に出せば、筑紫とトクサ少年のジム戦。筑紫が『気合いの襷』をヘラクロスに持たせていたことと同じように、トクサ少年も、何らかの道具を、ポケモンに持たせている可能性がある。
ちなみに僕も――――一応、持たせてある。
ダークライへの、感謝の意も含めて。
だからと言って、ポケモンに道具を持たせることは、別段、公式戦で禁止されている事ではない。問題は、複数匹ポケモンを扱う場合だ。
同じ道具を、二つ以上ポケモンに持たせてはいけない。
つまり、効果的な道具を乱用させないために、公式ではそういった規定が取られている。例えるなら、そう、筑紫が使った『気合いの襷』のような、熟練トレーナーならほぼ必須と言っていいような道具は、自分のポケモンに全て持たせてはいけないという、規律がある。
或いは、戒律と言ってもいいのかもしれない。
ポケモントレーナーとして、破ってはいけない『ルール』だ。
それが、こうしたフリーバトルの局面で、『同じ道具を全てのポケモンに持たせる』という、法には触れずともトレーナーとして無粋である意味合いで見られる事も、しばしばある。
だから、もしトクサ少年が、僕への対策を完璧にしている場合。
三匹ともに、同じ道具を持たせている可能性が高い。
そして――例えば、それが何を意味するのか、と言うと。
睡眠対策。
それに尽きるだろう。
トクサ少年は、僕のダークライの技を、二つしか知らない。
ダークホールと、夢喰い。
そして、対する僕は――筑紫の戦闘を見ていたことから、いくつかのアドバンテージを、持っている。
例えば――ボスゴドラ。
アイアンヘッド、守る。
残り二つは、不明。
さらに――エアームド。
燕返し。
残り三つは、不明。
そして――ルカリオ。
神速、ボーンラッシュ、龍の波動、波動弾。
まあ、ルカリオの技構成に関しては、この三ヶ月の間に技の入れ替えがなされていなければ、の話ではあるけれど、ヌケニンに対して攻撃手段がなかったところを見ると、その考えで良いのだろうと思う。
つまりは、圧倒的なレベル差と、相手の手の内を知っている事で、僕はトクサ少年に対して、いくらかの有利を手にしている。
属性の相性は――まあ、取るに足らない事実だろう。
しかし、もし彼のポケモンが、僕との対戦を見越して、道具の入れ替えを、セレビィを奪い取る以前に、行っていた場合。
読めない戦況を、読まなければならないハメになる。
それについては――運頼み、か。
「ボスゴドラ」
そして。
「泥かけ」
トクサ少年は、良く言えば躊躇せずに、悪く言えば考えなしに、ボスゴドラに対して命令を下した。
三つ目の技は、泥かけ、か。
三匹いるから、一匹目で、敵の能力値を下げる。
……悪くない選択ではあると思う。
だけどそれも、やっぱり、ボスゴドラを捨て駒に使っているようにしか、僕には思えない。
「ダークホール」
そして僕はセオリー通りに。
言い換えれば――単調で、尚かつ、嫌らしい攻撃を、ダークライに命じた。
勝つことにのみ特化する。
言っていることと、やっていることが、ちぐはぐかもしれない。ポケモンを道具のように扱うトクサ少年に対して怒りを持っている僕が、こんな心のない選択をすることは……もしかしたら、滑稽なのかもしれない。
それでも勝つためには、最善手を。
その考えに、誤りはない。
当然のように、謝りも、ない。
「……」
そう言えば。
蜜柑には、消えてもらっている。
と言うより、安全で、尚かつ逃げ場のない場所に、追い詰めてある。
理由は簡単で、男の決闘に、女が邪魔だから。
……基本的には、女尊男卑だけど。
男女が入り乱れていても、なんだか締まりが悪い。
「……、」
眼前の少年は、射殺すような眼で僕を刺す。
それが、強者に対しての恨みなのか。
それとも、平等な者への威嚇なのか。
まして、弱者に対しての嘲笑なのか。
僕には分からない。
分からないけれど――戦況は確実に、僕に有利に進んでいく。
どうやら……睡眠対策の持ち物は、持っていなかったようだ。
ボスゴドラは、重量感がある割には機動的な動きを見せた。ダークライが動くより前に、右手で地面を抉りダークライに対してぶち撒けようとした。が、動き出すのが速くても、動き自体は、ダークライの方が、よほど速かった。
ボスゴドラは地面に手を差し込んだ状態のまま、闇に堕ちた。
比較的高度な、拘束。
状態異常の中でも、ほとんどの行動を制限される、恐ろしいものだ。
「……まあ、予定通りですか」
負け惜しみなのか、思った通りの言葉なのか。
トクサ少年は、そんな言葉を吐いた。
「まあ、ね」
そして僕は――再び、戦術を選ばなければならなくなる。
「……」
威圧的な少年に対して。
その獰猛な面の下に、もしかしたら、口の端を釣り上げている少年がいるかもしれないから。
「ダークライ」
何も道具を使えるのは、ポケモンだけじゃないのだから。
トクサ少年が、道具を使って、ボスゴドラを起こすという可能性は、考えられる。と言うより、僕の戦術を知っているトクサ少年にとって――ここで眠気覚ましを使うことは、当然の選択だろう。
何故なら眠っていない生き物は、夢を視ないから。
そして、夢を視ない生き物の夢は、喰えないから。
「……」
一瞬の困惑。
戸惑い。
ここで夢喰いを実行させ、トクサ少年が眠気覚ましを使った場合、僕は攻撃の手段を、逃す。とは言っても、それで優劣が転回するということは有り得ない。
――相手の思考を、思考しろ。
トクサ少年は、僕の手の内を知らない。
だとしたら、どう考えるだろう。ダークライが通常の攻撃を取らないと、思っているのだろうか。否、ボスゴドラなら打撃攻撃は一撃分耐えると、そう考えているのかもしれない。特殊攻撃の場合は素直に諦める、という手はずなのかもしれない。だとすれば、このターンで夢喰いを受けようが、打撃攻撃を受けようが、眠気覚ましを使うことで、次のターン、ボスゴドラは、戦場に残る。そして、通常の特殊攻撃だった場合は、どちらにせよ、一撃で沈む。ならば、前者二つの可能性だった場合、『アイアンヘッド』でもなく、『泥かけ』でもなく、『守る』ですらない、起死回生の一手が――――ボスゴドラの場合、それが本当に『起死回生』であるとは考えられないが――――あるのかもしれない。
しかし、それでダークライが、一撃で沈んでしまうとも、考えにくい。
「……どうしました」
と、トクサ少年からの、命令の催促。
……ああ。
ちょっと、考えすぎたか。
僕が思考を展開したその間二秒――とか、そういうことをやりたかったんだけど。
「ごめんごめん」
僕は謝罪を入れる。
それは、待たせた事に対してではなくて。
「やっぱ、早めに終わらせようか」
最善手と言う名の――卑怯な戦法を。
むしろ、相手のポケモンを『堅めて』しまう事に対して、謝った。
誠心誠意。
ごめんなさい、と。
「ダークライ」
いちいち命令の前に名前を呼ぶのは。
道具じゃないと、思いたいから。
「差し押さえ」
そして僕は命令を下した。
トクサ少年と、ボスゴドラに対し、道具の使用を許可するな、と。
「…………」
「そんで、夢喰い」
連続的な。
継続的な。
断続的な――面も、持ちながら。
「おやすみ」
ボスゴドラは、悪夢に魘された状態のまま、静かに躯を伏せた。
「さ、次のポケモン、頼むよ。早いとこ、終わらせたいんでしょ」
「……エアームド」
挑発には、もう乗らないようだ。
その点については、僕は彼を、評価したい。
「金属音」
「ダークホール」
そしてほぼ同時に、僕らは命令を下し合い。
その命令が実行されたのは――一方だけだった。
しかしその一方は……。
僕ではなく、トクサ少年。
「グ……ア、ゥ……」
と。
聴力を、鼓膜を、空気を破壊するような、そんな金属音が、姥目の森一帯を支配し、ダークライに対して、精神的なダメージを与えていった。
しかしそれは、体力を奪うほどのダメージとはならない。
ただ――圧倒的に、免疫力を下げた。
ダークライの、特殊攻撃に対し。
それはやはり、最後のルカリオでダークライを沈めるという、トクサ少年の戦術であり、また、宣言だった。
「残念ですね」
と、トクサ少年は言った。
ダークホールの不発に対して。
「ああ、残念だね」
百パーセント成功する技とは言い難い。何しろ、一つの生命の主導権を握るなんてことは、そんなに簡単に成功して良い物ではないからだ。
「同様に、金属音」
「こっちも同様に、ダークホール」
熱い気持ちなど欠片もなく。
僕とトクサ少年は、互いに冷静な命令を、下し合う。
「グバァアアアァァァァァ――」
そして迎える――二度目の、不発。
「ア、ガ……ハ――ァ」
トクサ少年に、女神が味方をしているのか。
それとも、女神が、僕に愛想を尽かしたのか。
「絶不調ですね」
「おかげさまで」
ダークライは、精神的に、追い詰められていく。
方向感覚が――もしダークライにも備わっているのなら三半規管が――狂って壊れてしまうほどの聴覚異常を受けて。
……うーん。
負けるつもりはないけれど。
そろそろ、戦術を変えないといけないのかな。
あと一回失敗したら、変えてみよう。
「スピードスター」
そして。
トクサ少年は、攻撃に転じた。
特殊攻撃。
絶対必中。
「ダークホール」
一撃で沈むとは、思えない。
思えないからこそ、不安になる。
思えなかったから、実際にスピードスターを受けて、瀕死になった時の対処法を、僕は考えていないから。
だから――――
「……ちっ」
と、トクサ少年が舌打ちをした時。
僕が安堵の溜め息を漏らすのは、当然の事だった。
「土壇場で強いですね。やっぱり、最終的に、ルカリオとダークライとの一騎打ち、ですか?」
トクサ少年は、既にエアームドを見捨てたような、そんな発言をした。
「一騎打ち、か」
まあ、言葉の上ではそうなんだろうけどさ。
「差し押さえ」
僕は完全な対処を、エアームドに対して行う。
「別に、道具で起こそうなんて思ってませんよ」
「それでも、一応、ね」
そして目覚めないエアームドの体力を、ダークライの『ナイトメア』が、如実に削っていく。
「やっぱりハクロさんは、強いですね」
「だろうね。これでも天才だから」
出来れば言いたくない台詞で、僕はトクサ少年に応える。
「それでも、僕は努力してますから、負けるつもりはありません」
「そう? そうなんだ」
「金属音が二発入った」
トクサ少年は、笑みを浮かべながら、そう言う。
「それは今回、僕に対して有利に働く」
「……ふうん、そう」
馬鹿にしたような。
見下したような。
そんな、そんな卑劣な視線を、僕はトクサ少年に向けて。
「ダークライ、あれ」
僕は言葉にせずに。
ダークライに、指示を送った。
「……?」
一瞬にして、姥目の森を覆っていた霧は、噎せるように濃くなり。
黒く、暗く、濃く。
「――まさか」
「どうだろう。君と僕が対等になるには、まだまだ差がありすぎると思うけど」
不遜な態度で言い放ち。
「二度目の夢喰い」
エアームドは、ボスゴドラ同様に、沈んで行った。
ダークホールを二発外すなんていう奇跡が起きて。
ようやく二発、僕のダークライに状態異常を起こさせたのに。
そんな過去を、黒い霧によって、白紙に戻されて――
「……ふざけてる」
「僕が? ……そっちがふざけんな」
僕はいつでも大真面目だよ。
勝つ事に対してだけはね。
何故って、負けたくないから。
「攻撃手段が夢喰いだけ……? 頭おかしいんじゃないんですか、そんな技選び。相手が不眠だったら、どうするつもりですか……!」
「相手が不眠だったら?」
真剣勝負の間に、なんて質問をするんだ。
仮定の話なんて、失礼な。
失礼すぎて、呆れ返る。
「相手が不眠じゃないから、戦ってるんだよ」
「馬鹿にして……――!」
僕を。
もしくはダークライを狙うように、トクサ少年は、勢い良くモンスターボールを投げつけた。
そしてそれは、地面で炸裂して――
「ルカリオ、波動弾!」
トクサ少年は、迷う事なく、波動弾を選択した。
その意味する所を、僕は読もうとしない。
セオリー通り、ダークホールを撃っても良かった。
奈落に堕としても、それでも良かった。
だけど僕は、トクサ少年の意志を読もうとせずに、僕自身の意図すら読もうとせずに、何となく、適当に、どうでも良いから、気が向いたので、不意に、唐突に、突然に、思いついて、思い立って、思い切って、こんな事をしてみようという、こんな事もしてみようという、こんな事をしてみたらどうだろうと思い、別段、別に、故意には選ばず、無理には選ばず、ほんの気まぐれで、
「差し押さえ」
と、気づけば口をついていた。
その時のトクサ少年の顔を。
僕は一生、忘れないのだろう。
そして――差し押さえの命令が行き届いた後。
ルカリオが繰り出した波動弾を――通常通り、と、言うか、一応にして、必中攻撃であるその技を、ダークライは受けて、即死せず、立ちはだかった。
効果は、抜群だった。
即死はしないものの。
かなりの痛手では、あった。
「どうかした?」
絶望の渦中にいる、とでも言いたげな、トクサ少年に対して。
僕は絶望の言葉を、軽々しく吐く。
「……何故、差し押さえを、先に使ったんですか」
「別に、意味は無いけど?」
例えば、もしこれがゲームなら、押すボタンを間違えたとでも言うような、軽快なミス。
例えば、もしこれがスポーツなら、パスする相手を間違えたとでも言うような、気まぐれなミス。
その程度の、ミス。
ミスにすら成り得なかったのだけれど。
僕という人間が、気まぐれで、選んだ。
「ダークライに対して、波動弾は、致命傷になる」
「確かに。一撃で倒れる事はなかったけどね?」
「……ハクロさん、ルカリオの技構成を、ちゃんと記憶してるんですか」
「記憶? ああ、してるよ」
それが何だって言うんだろう。
まさか、僕が選択を誤ったとでも思ってるんだろうか。
こんな大局で、戦法を見誤るとでも?
「安心してかかってきなよ」
「小馬鹿にして……楽しいんですか」
「ダークライ、ダークホール」
僕はトクサ少年の言葉を無視するように、気まぐれから解放された頭で、ダークホールを、選択した。
「そしてここで睡眠……」
トクサ少年は、諦めたような声で言う。
諦めたような表情も、とってつけて。
「ルカリオ、頼む。神そ――――」
く。
と、言い切る前に。
トクサ少年が視た光景は。
一体、彼の目に、どう映ったのだろう。
一体、彼の目に、ダークライは、どう映ったのだろう。
何か。
何かわからない。
何かわからない、何かを。
何かわからない、何かを、バリバリと。
恐らくは見たことなど一度もないような、そんな何か見知らぬ物体を――物体、ですらない、その何か、暗澹とした、暗黒色の何かを、バリバリと貪って、ダークホールを技として完成させる前に、一服を済ませましたと、そう言わんばかりに、ダークライは細く長い腕を折り曲げて、口――なのか、それとも何か他の器官なのか、ともかく人間であれば口があるべき場所に手を向けて、何かをポリポリと、小さく音が聞こえる程度に。
『食べていた』
その結果として――
ダークライの命が繋がったかと言えば。
全く、そういうわけではないのは、確かだ。
何故なら、波動弾ごときで瀕死に追い込まれるダークライではなかったし、ルカリオとダークライには、圧倒的なレベル差が、存在していたから。
しかし。
それでも。
何か『木の実』を。
謎の『木の実』を。
――食べたことで、ダークライの体調が、僕のようにポケモンを観察する眼力を持っていなくても分かるくらいに優れたのだから。
トクサ少年は――いや、トクサは。
自分がこの勝負――ではなく、この一ターン、負けたことを、悟った。
「く……、くそ!」
恥ずかしいくらいに、恥ずかしい台詞。
そしてルカリオの神速は、謎の『実』を食べ終わったダークライに対して効果を発揮した。が、ダークライは当然のように、悠然と、そこに立ち続けた。
そして、その光景を見届けた次の瞬間に、大きな声で、
「外れろ、外れろ!」
と、
不格好にも、彼は叫んだ。
冷めていることが冷静なのではないと。
そういうことに、気づいたのか、それとも無意識なのかは、分からなかったけれど。
「……僕好みだ」
僕は呟いて。
そしてダークライによるダークホールは、ルカリオを堕として。
「夢喰い」
僕は小さく、そう命じた。
「ルカリオ! 起きろ!」
「起きないよ」
「うるさい!」
反抗的な目つきで、反論をする彼は。
とてつもなく、僕好みな姿勢。
「男だから、流石に難しいけど」
と、前置きしてから。
「ポケモンが倒れたら駆け寄って泣けるくらいが、ポケモントレーナーとしちゃ、丁度良いんだと思うよ」
僕が小さい頃、そうだったから。
「ルカリオ! 起きろって!」
「いいよダークライ、躊躇しないで」
僕は、突然目の前で取り乱し始めた少年に困惑しているダークライの背中に触れて、軽く押してやる。
やっぱり、優しいポケモンなんだと、そう思う。
だけど、ダークライに眠らされたポケモンを長時間放置する方が、よっぽど酷だから。
「――おしまいだ」
無理矢理魅せられる悪夢の幕を早めに降ろすことが。
誰にとっても、一番幸せなことなのだろうと、僕はそう思った。