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「郵便屋さんでーす」
と、控えめな声が響いて、僕は目を覚ます。
郵便屋さんとは何だろう。きっと手紙を運ぶ仕事をしている人種のことだ。僕はベッドの中で『郵便屋さんなら郵便屋さんらしくポストに手紙を入れて帰れよな』と念じて、再び睡眠の体勢に入る。基本的に僕は、一人でいる時は生活リズムが悪い。
「……郵便屋さんでーす」
二度目の自己紹介を終え、次はノックの音まで追加される。うーん……勘弁してくれ。僕は基本的に横着者なんだ。面倒なことは出来るだけ避けて生きて行きたいお年頃なんだ……。
「……えっと、んーっと……ど、泥棒だぞー。入っちゃうぞー」
三度目の自己紹介で、職業が百八十度転回した。物を届ける郵便屋から、物を奪う泥棒とは――随分、思い切った転職を試みたものだ。僕はその辺で意識が強制的に覚醒し、仕方なく、泥棒に応対することにした。くそう、根負けだ。
ベッドから這い出て、まだ寝ていたい目とやる気の無い足を無理矢理活動させ、玄関へ向かう。まだ目をこすっていたい手に強引にドアノブを掴ませて、扉を開けさせる。
「おはようございます木蘭さん……手紙だけ下さい」
郵便屋さんの木蘭さんは、ご自慢の自転車とポケモンを引き連れて、元気にそこに存在していた。ちなみに木蘭さんが連れているポケモンは、郵便屋さんだからデリバード――なんていう安易な発想を打ち砕くような、個人の趣味丸出しである。
「あ、ハクロ君おはよう……えっと、アブソル、今日のお手紙はどれ?」
よだれ掛けのように首元に括り付けられた袋の中から、アブソルは手紙を何枚か咥えて取り出し、木蘭さんに差し出した。四速歩行のくせに、何でこんなに知能が高いんだこいつ。
「えっと……はい、これあげるね」
「ああ、どうも」
あげるねっていうか、そもそも手紙を渡すのが仕事だろうに。何でこのお姉さんは、いつもこうフレンドリーすぎるんだ。
「あとね、お父さんがね、またうちに来なさいって……」
「そうですね、気が向いたら行こうと思います」
僕は渡された手紙の差出人に軽く目を通しながら、木蘭さんに応対する。
木蘭さん。
例の、山吹格闘道場の師範を父に持つ、十九歳のお姉さんである。郵便局に就職して現在こうして手紙を配っているのだが、何故か僕には毎回手渡ししてくる。そんなに親父さんの伝達をしなければ気がすまないのか。このファザコンめ。
「あとね、私も来て欲しいかなー……なんて」
「そうですか、大変ですねえ」
話半分に僕は木蘭さんに答える。一人暮らしのせいか、親戚からの気遣いの手紙だったり、両親の財産を乗っ取ろうとする手紙だったりが多くて嫌になる。まあ、そこまで親戚が多いわけじゃないから、困るほどではないんだけれど。
「ハクロ君ならね、立派な道場の師範になれるって……」
「へーそうなんですか、それはおめでたい話です」
完全に話が噛み合っていないと承知の上で、僕は木蘭さんを無視する。年上だろうが何だろうが、寝起きの僕は、一人の人物を除いて止めることは出来ない。
親戚、親戚、発電所、ポケモンリーグ、勧誘、親戚、親戚…………どうやら、緑葉からの手紙はないようだ。
「……お、お父さんも、ハクロ君なら道場を継いでくれるだろうって……!」
「それじゃ、お仕事お疲れ様です。おはようございました。おやすみなさーい」
ガチャリ。
扉を閉めて、心にも鍵をかける。今の僕には何も聞こえない。
しかし、まあ、格闘技の筋が良いってだけで師範になれるはずがないし、そもそも僕は両親に言われて通っていただけだしなぁ。もう二年くらい行っていないし、筋力も衰えていることだろう。そもそも僕が師範になったら…………まあいいか、面倒な話はまたいずれ考えれば。
僕は寝室に戻って、迷惑メールと生活費の明細なんかを捨てる。いつもうざったい内容(主に遺産乗っ取り計画)を書いてくる親戚からの手紙も捨てた。
残ったのは三通。親戚からが二通と、ポケモンリーグからが一通。
「ポケモンリーグ……ねえ」
前から誘われているけれど、応える気はない。まあ協力っていう形ならやらないこともないけれど、正式にリーグに就職するって形だと、僕は断らざるを得ないのだ。特に最近、ポケモンリーグに入りたいって言う知り合いが、多いし。
前以上にやりにくい。
……ま、その手紙は一旦置いておくことにして、次は親戚からの手紙を見る。一つは本当にただの親戚。子供がいない家庭で、僕のことをよく気にかけてくれる。でも内容に興味があるってほどでもないし、申し訳ないけど、寝て起きたら読むことにする。
そんでもう一通は――お婆ちゃんからだった。ポケギアもポケッチも使いこなすハイテクなお婆ちゃんなのに、手紙を送ってくるなんて珍しい。
「何かあったのかな……」
僕は封筒から便箋を取り出して、読んでみる。
……。
……。
ああ、お爺ちゃんの墓参りか。