三章――Steal
 大半の客は、停電騒ぎから身元が割れること、あるいは何らかの介入があることを恐れ、ほとんどが動きが取れるようになってからすぐに、帰路についてしまった。そして残りは今夜、この『仮面屋敷』に泊まって行くことになる。努力すれば全ての宿泊客の顔と名前を覚えることが出来るくらいの人数だったが、僕はそれをしなかった。面倒であるというのもあったし、単純に、誰も同じ場所でくつろごうとはしなかったのだ。元々、身分を隠して訪れる客が多いのだろう。残っている客ともなれば、尚更だ。
「ああ、立花君」
 電気は復旧していたが、照明はいささか頼りないものだった。夜だからか、それともまだ供給が不安定なのかは分からない。もう、時刻は夜の十二時を回っている。だというのに僕は、このまま用意された部屋で眠る気になれなかった。幸いながら、眠気はない。恋の姉である、ハウスキーパーの愛に用意してもらった酒を、閑散とした大ホールの中で、一人で飲んでいた。
「ああ……どうも」
「わざわざ立たなくて良いよ」桐島は上品な笑顔を浮かべる。「私もご一緒していいかな」
「ええ」
「グラスと、何か強いものを」
 桐島は、周囲に誰もいないのに、そう呟いた。しばらく、桐島は口を開かなかった。僕も何も言わず、グラスの氷を溶かしてみる。するとしばらくして、トレイにグラスとボトルを載せて、愛がやってきた。どういう仕組みになっているのか、酔いが回った頭で考える。そこに恋が介入しているのではないかと思いついた。彼女はまだ寝ていないのだろうか。
「ありがとう」
「氷を取り替えます」愛はてきぱきと作業をする。「ご主人様は、何時頃お休みに?」
「まだ分からない。恋は起きているんだろう?」
「そろそろ、活動限界かと」
「分かった。じゃあ、一時間しても僕が顔を見せなければ、迎えに来てくれ。多分、酔いつぶれている」
「かしこまりました」
 愛は丁寧にお辞儀をして、去って行く。
「大変なことに巻き込んだ」
「いえ……」実際、そうは思っていなかった。僕はただの招待客であるし、やましいことをした覚えもない。「でも、大変でしたね」
「ああ」
「何か分かったんですか? つまり、故意の停電だったのか……」
「大元がね、やられてしまった」
「断線ですか」
「そうだ。屋外のケーブルだね。今はなんとか、この程度の照明は維持出来ているし、他の機器類……あるいは水場であったり、客室への供給なんかも可能な状態にある。しかし、しばらくは派手なことは出来ないかな。電気系統に限らず」
「ええ」
 僕は多くは語らないことにしていた。
 不審と言えば不審で、気になることは多かったが、どうにも、深月と事件の関連性を探れずにいた。屋敷からなくなったものは何もない。何もないのに、何故こんなことが起きたのか? いや……そう言えば、僕に銀色黄金と名乗った『子爵』は、姿を消したのだったか。それについて訊ねてみようと思うが、上手い切っ掛けが掴めない。そもそも、彼と僕の関連性を、桐島は知らない。
「それにしても、大事がなくて良かったですね」僕は遠回しに、彼のことについて訊ねることにした。「何かなくなったわけでもないみたいですし」
「ああ。オークションは仕切り直しだな。まだ金銭のやりとりをする前で良かった。商品の受け渡しもしていないしね。ああ、これ、いただいていいかな」
 桐島は僕がつまんでいたカシューナッツを指さした。「あなたのお屋敷のものですから」と言って、皿を中心に寄せた。
「ところで立花君」
「なんですか?」
「実はね、何かなくなったわけではない」
「そうなんですか」僕は知らない振りをした。「もしかして、オークションの品物が?」
「いや、人がいなくなった」
「人、ですか」
「そう。これが奇妙でね」
 しかし桐島はすぐには続きを話さない。ゆっくりとボトルを傾けて、静かになった大ホールの中を見回している。僕もその静寂に付き合うことにした。どうにも、寝付けない。それに、『逢阪屋敷』よりも広いこの空間は、なかなか経験出来るものではない。
「立花君にも、ここに来た時、荷物検査をさせてもらったと思う」
「ええ。所持品は全て」
「財布と携帯電話、あとはパートナー……そして仮面だね。基本的にこの四つ以外のものの持ち込みは遠慮してもらっている。保管所もあるが、ほとんど招待客はそれを持たずにパーティに来た」
「僕もその一人です。ジャケットだけ預かってもらっていますが」
「なるほど。いや、しかしパートナーが見当たらないね。それに仮面も」
「仮面は部屋に置いてきましたし……ジュペッタは、今はボールに入れています」
「ふむ。失礼なようだが、君はあまり相性が良くないと聞いていた」
「巴からですか?」
「ああ。何か特別な出会いがあったのかな」
 深月との一件は知らないようだった。もちろん、巴が口を滑らすとも思えないし、深月が自分から罪を告白するとも思えない。
「まあ、色々と」
「そうか。パートナーが得られるというのは、いいことだ」
「少し聞きたいことがあるんです」話が逸れそうだったので、軌道修正を試みる。「どうして僕に、こんなに親しくしてくださるのか」
「巴君の知り合いだからね」
「巴ちゃん、じゃないんですか?」
「あれはからかっただけだよ。頼まれたとも言えるかな」桐島は薄く笑う。「とにかく彼女にはよくしてもらっている。それに、こんな言い方は失礼かもしれないが、どうにも力になりたいと思わせる業を背負っているからね」
「まあ……そうですね。人付き合いも、あまりありませんし」
「そういうところに惹かれる」
「しかし、僕によくしてくださっても特にプラスに働くことはないかもしれませんよ。僕が実は、悪人という可能性も」
「深月弥生くんとも親しいようだ」
「まあ」僕は言葉を濁す。
「それなら悪人であるという可能性は低い。何より、もし悪人であったとしても、今回の件とは関係がないように思える」
「だといいんですが……」
「何か心当たりが?」
「いえ」深月に言われたことを思い出したが、酒と一緒に飲み込む。「ただ、僕が舞台にいた時、丁度説明が終わってすぐ辺りに停電が起きましたから」
「舞台袖からじゃあ屋敷全体の電気を落とすことは出来ない。それに、あんなところで電気を落としても、何も出来ないだろう」
「そうですね。実際、何も起きてないわけですし」
「まあ、起きたと言えば、起きたんだ」
 桐島は酒が回ったのか、それとも単純に先ほど言いかけたことを思いだしたのか、そんなことをもう一度言った。僕はすぐに、「確認が取れないということですか?」
「そう。つまり、消えたんだ」
 桐島は核心を告げる。
「消えた、ですか」
「あの停電の間に、一人消えた。連絡も未だついていない。心配になるだろう」
「僕が知っている人でしょうか」
「いや、どうだろう。何と名乗っていたかな……」言いかけて、桐島は僕を見る。「そもそも、立花君の知るような者は、こうした影のあるパーティには参加しないのではないかな?」
「かもしれません。元々知っていたのは深月さんだけですし……」強行突破だった。「あとは、恋ちゃんと、そのお姉さんの愛さんを知って、桐島さんも知りましたし……ああ、あと、銀色黄金と名乗る方と多少お話をしました」
「銀色黄金」
「子爵、と恋ちゃんは呼んでいました」
「彼か」
 桐島はそう言って、心配になるほどの勢いで、グラスを空にした。一口で飲んで良い量ではなかった。何かを精算するような飲みっぷりだった。
「大丈夫ですか」
「……実は、彼が消えた」桐島は諦めたように言った。「そうか、面識があったか」
「深月さんに会いに行ったときに一度。あと、オークションが始まる前に会いました。それ以外では詳しい話をしていません。名前も、恐らく偽名でしょうし」
「君の言う通り。しかし……なら、何か特別な話をしたりはしなかったのだろうか? 例えば、この事件に関連するような……何か些細なことでもいいんだが」
「いえ、特には」僕は多少オーバーリアクション気味に首を振る。「ただ、オークションがある、という話を聞いたのは、彼からです。桐島さんの行動を思い出せば、僕はオークションに出ることが決まっていたような気もしますが……」
「そうだね。予め、お願いしようとは思っていた。だから、子爵が何か君にまずいことを言った、ということではない。しかし……余計に気になるな」
「気になる、ですか」
「実を言うと彼は、今日ここに来た時から少しおかしかった」
「おかしかった」
 僕は桐島のグラスに酒を注いだ。遠くで時計の鐘が鳴る。午前一時を報せていた。
「彼は、元々人形愛好会のメンバーなんだ」
「そうなんですか」
 多少の違和感。
 酔っているせいだろうか。
 いや……。
 僕は、彼を、人形愛好会のメンバーではないのではないか、と判断した。その発言に対し、彼は、その通り、という旨の返事をしたように記憶している。
「桐島さん、人物が食い違っているかもしれません」
「どうしてそう思うのかな」
「彼は自分を子爵と言って、銀色黄金と言って、そして僕にこう言いました。生き物の売買がある、そして自分はそれに参加する、と」
「ああ、なら間違いはない」桐島は手を大きく振る。「彼は今日ここに来て、今日は人形の競りには出ない、とこう言ったんだ」
「何故ですか?」
「理由は単純だ。今日は欲しいものがない、と。彼は結構、色んな人形を持っていてね。もちろん、逢阪製の人形は人気も価値も高いが、そればかりが人形というわけじゃない。基本的に、オークションの参加者には、予めリストを作成して配布する。しかしどうやら今回は気に入る作品がなかったようだね。代わりに、自分の持ってきた、ヒトモシの珍種を、競売してくれと頼んできた。今日になって急にだよ。もっとも、そうしたものは歓迎していたから、快く引き受けた。しかしそう言えば、ヒトモシは彼が持ったままだったな……」
「ああ、確かにお持ちでしたね。僕も見ました。ヒトモシという種類についてはあまり詳しくないですけど……色違い、というやつでしたっけ」
「ああ。どうやって手に入れたのかは知らんがね」
 妙だった。
 そもそも僕が銀色の失踪を知ったのは、深月と恋を経由してのことだった。停電が一部だけ復旧し、安全確認のため三人でテーブルについていたところ、愛が恋と深月に説明したのを、僕が教えてもらった。その時、深月は「知り合いが巻き込まれるというのは、少々気になりますね」と、神妙そうな面持ちで言っていた。子爵を鬱陶しがっていたように見えた恋も、「突然のことだったから私も監視出来てなかったし、心配」と、実に子どもらしい態度だった。
「何か動機が思い浮かびますか?」
「どういう意味かな」
「子爵が消えた理由です」
「身元がバレることを恐れて逃げ出した……」桐島はそこまで言って、首を振った。「いや、そんなことをしたら逆に怪しまれることは分かっているはずだ。かと言って、さらわれるほどの要人でもない」
「抜け出すこと自体は簡単なんですか?」
「オークション中も出入り口は封鎖されていない。誰でも途中で好きな時間に帰宅出来るように。流石に停電ともなれば、セキュリティは甘くなるかもしれないな……だから抜け出すこと自体は、簡単だったはずだ。しかし、それをする理由が思い浮かばない」
「それもそうですね。何か盗んだわけでもない」
「そう。それが問題だ。何かが盗まれたなら、気にならない。しかし、何も変化はない」
 つまみはなくなっていて、二人で酒を酌み交わすだけになった。
 少しだけ、僕は桐島に、深月に関する話を聞いた。彼女の生い立ちや、人形愛好会に入ったこと、どうしてこの屋敷において、それなりの発言権を持っているのか。予想していた通り、素性はほとんど隠されたままのようだったが、興味深かったのは、この一点だ。
「実はある女性の紹介でね」
「ある女性」
「元々、愛好会のメンバーとして活動していた女性だ。諸事情あって活動に参加出来なくなったということで、代わりに弥生君が顔を出すようになった。弥生君は当時、知識こそ少なかったが、目が肥えていた。若く、また美人ということもあって、すぐにメンバーに気に入られてね。特にこの屋敷では、恋に気に入られたというところが大きい。恋に気に入られるということは、すなわち愛の恩恵も受けられる」
「ああ」僕はこうして一人、大ホールで酒を飲んでいることを思い出す。「僕もその一人かもしれません」
「のようだね。何か弥生君と似たところがあるのかもしれない」
「雰囲気ですか」
「いや、話し方かな」桐島は溜息をついた。
 遠くで扉の開く音がして、愛がやってくるのが見えた。少しだけ距離を置いて立ち止まり、深々と頭を下げる。
「もう一時間か?」桐島が言う。「それなら、そろそろ私も休もうかな。立花君はどうぞ、そのまま」
「いえ、僕もそろそろ部屋に戻ります。ご迷惑でしょうし」
「構いません」愛が言った。「しかし、お部屋に戻られるようでしたら、どうぞそのままで。ご希望であれば、お部屋までお持ちします」
 酒のことを言っているのだろうと思った。僕はグラスを満たして、「これだけ頂いていきます」と、グラスを手に持ち、立ち上がった。桐島もゆっくりと立ち上がる。
「好きなだけ屋敷にいてくれて構わない。明日は世間的にも休日だしね。私は挨拶出来ないかもしれないが」
「感謝します」無意味にグラスを上げる。
「それに、良ければうちにある人形を見て行ってもらえると嬉しい。まあ、自分のコレクションを偽物だと疑っているわけではないが、どうも歳を取るとそういう審美眼は衰えてしまってね。君の率直な意見が聞きたい」
「分かりました。明日、帰りにでも」
「愛、彼を案内してやってくれ」
「いえ、大丈夫ですよ」
「君を気に入っている」
 桐島の意見の真意は理解出来なかったが、僕は愛による案内を受け入れることにした。グラスを手に持ち、案内されるままに、歩き出す。少し、酔いが回っていた。
「お持ちしましょうか?」
「グラスの身になると、その方がいいかもしれない」結局僕はそのグラスを愛に任せた。「すみません」
「仕事ですから」
「わざわざ案内なんて」
 大ホールから出て、廊下を案内される。僕の部屋は三階部分にあった。どうやら、一階二階は一つのフロアとして共有されているが、三階から上は完全に客室として機能しているようだった。
「桐島は疑うことを好みません」
 唐突に、愛が言った。自主的に発言することが、少々意外だった。
「疑うこと、ですか」
「鍵はお持ちですか?」
「部屋の?」ポケットを探る。「さっきいただいたものが」
「各部屋のマスターキーは、桐島が所有しています」
「まあ、そうでしょうね」
「本来であれば、普通は、我々のようなメイドが管理するべきものです」
「……まあ、利便性を考えればそうですかね」どちらが正解とも言い難い。「例えば僕が鍵を紛失したら、桐島さんを夜中に起こす必要があると」
「はい。ですので、普通は責任ある立場の人間が管理するべきです」
「何故桐島さんが?」
「疑いを減らすためです」階段を上がる。「例えば立花様のお部屋から私物が消えた場合、鍵が掛かっていれば、それは立花様の勘違いであるか、桐島自身が盗んだということになります」
「まあ」
「しかし桐島自身は、後者の可能性の正誤を判断出来ます。桐島だけは、余計な疑いを持たずに済むということです」
 分かるような、分からないような、なんとも不思議な理論だった。
「人を疑いたくないと」
「そうです。私が今、立花様をお部屋までご案内しているのも、そうした理由からです」
「しかし、それじゃあ桐島さんが確認したことにはならない。愛さんを信用しているなら、マスターキーを任せても良いはずだ」
「例えば動物に鍵を任せられるでしょうか」
 さらに階段を上がり、三階へ到達する。
 僕の部屋は廊下の奥にあった。
「動物?」
「恋の素性についてはご存じかと思われます」
「監視役」
「はい。恋が使役するのはズバットと呼ばれる蝙蝠の変種ですが、彼らに鍵を預けられるでしょうか」
「それは無理だ。彼らには手がない」
「しかし、その監視能力は信用に値します」何を言わんとしているのか、なんとなく理解が始まる。「私も同様に、セキュリティとして機能しています。何故なら私には証拠が残るからです」
「証拠?」
「立花様が真っ直ぐお部屋に帰ることを、桐島は望んでいます。寄り道をしないで欲しい。つまり、疑いを排除したい」
「なるほど。道中で僕が道を逸れればあなたから連絡が行く。あなたを気絶させでもすれば、あなたに証拠が残る」
「そういうことになります」
「合理的なようだけれど、少し寂しいな」
「決して哀しい話ではありません。しかし、妙な停電騒ぎが起こり、桐島は人を疑わざるを得ない状況にあります」
「事件は何も起こっていない」
「そうかもしれませんが、そうではないかもしれません。その時点での疑いで、桐島は精神的に、疲労しています」
「これ以上何も起こってくれるなと」
「はい」
「分かった。協力するよ」
「感謝致します」
 僕は部屋の前まで案内され、ポケットから取り出した鍵で部屋への移動を確保した。
「お仕事お疲れ様です」
「ありがとうございます」
 抑揚のない応答だった。しかしそれが彼女には会っていると思う。
「もし、僕がこれから、誰かの部屋に向かうようなことがあった場合、誰かが監視しているのかな」
「室内や廊下を直接監視はしておりませんし、今は恋も眠っています。ですが、別階へのルートは担当の者が常駐しておりますので、移動をお断りするかと」
「客室間なら良いというわけだ」
「何かご予定が?」
「いや、心当たりなら」僕はそう言って、ドアを開けた。「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
 部屋には当然、誰もいなかった。私物もない。僕は受け取ったグラスをテーブルに置く。一気に疲れがやってくる。しかしベッドに横たわる気分にはなれない。
 事件は起きているはずだ。
 僕はそれを知っていた。
 では何が起きたのか。それを理解出来ないでいる。違和感や、ヒントは、既に出揃っていたはずだ。何故ならもう、事件は終わっていたのだ。では何があったのか。僕はそれを考える。解決するつもりではない。ただ、知りたかった。真意とは何なのかを。
 銀色黄金。
 彼が中心人物だ。
 停電と共に姿を消した人物。人形に興味がないようなそぶりを見せた人物。理由は分からない。色違いのヒトモシ。色違いのヒトモシ――
「立花さん」
 ふいに、ノックもなしに、ドアが開いた。相手は深月だった。期待していなかったかと言えば、嘘になる。
「こんばんは」
「どうも」
「お邪魔して良いかしら」
「鍵は閉めてください」立ち上がらないまま、僕は言う。「誰かに開けられでもしたら面倒です」
「はい」
 従順そうな口調に、思わず冷静さを心がけた。酔っていることを理由にするのだけは避けたかった。
「どうしたんですか」
「眠れなくて」
「気が合いますね」部屋には椅子は一つしかなかった。「座りますか?」
「ベッドに座っても?」
「構いません」
 深月はドレスを着たままだ。僕もスーツを着たままでいた。部屋にはバスローブが備え付けてあるのだろう。一階、二階のアンティーク趣味に反して、客室は現代的だった。バスルームが設置してあるし、ドアも近代的なロックシステムが採用されている。
「お話をしても良いですか?」
「ええ。僕もそう思っていました」彼女の方を向く。グラスが遠ざかった。「まず、あなたが何故僕が部屋に戻ったことに気付いたか」
「恋ちゃんに借りたの」
「何をですか?」
「ズバットを」深月は微笑んで見せる。「廊下の天井に潜ませておいて、戻ってきたら私の部屋に来るように、って」
「躾けられるんですか?」
「恋ちゃんにお願いしたわ」
「恋は寝てるんですよね」
「ええ。寝る前に」
 主人がいなくても、命令を果たす、ということのようだった。そうした機械的な存在に、少し意外性を見る。
「そうまでして僕と話を?」
「積極的な言い方」
「失礼。つまり、話したいことがあったのかと」
「ええ。特に、子爵さんについて」
「銀色黄金」
「そうです」
「彼は何者なんですか?」
「この事件の犯人」
 深月は、楽しそうに言う。
「……理解しかねます」
「そうかしら」
「つまり停電を起こしたのが彼だと? しかし、事件というには事件性に欠ける。いや、修復作業についての労力や費用を考えれば、事件と言えるかもしれません。けれど、ただの愉快犯じゃありませんか。何かが盗まれたというわけでもない」
「いいえ。立花さんなら、きっと分かるわ」
「僕を過大評価しすぎていますね。僕は探偵なんかじゃない。頭の回転はそれほど優れてはいないんです。それに知識もない。人形についての知識も、あるいは生き物についての知識も」
「ジュペッタのことはご存じだったわ」
「本当にごく一部です。そう、以前……リザードについても知っていたし、マニューラについても知っていた。幼い頃は引っ越しが多かったですから、まったく興味がないという人よりは、知っているかもしれない」
「ええ」
「でも、知らないことは知らない。ズバットのことだって、姿は知っていたけれど、名前までは知らなかった。子爵が連れていたヒトモシに関して言えば、姿も名前も知らなかった。ごく一部なんです。前回は、色々な点が上手く噛み合って、気付いた。気付かされた、というべきかもしれません」
「そんなことないわ」深月は座り直すようにして、僕に近づいた。「本当は、気付いていらっしゃるのでしょう?」
「まさか」
「嘘を教えてあげましょうか?」
「嘘?」
「立花さんがついた、嘘」
 僕は返事を躊躇う。
 嘘?
 僕は嘘をついた覚えはない。
 それは、無自覚での嘘、という意味なのだろうか。それとも、意識的についた嘘……いや、僕は、嘘をついた覚えはない。
「嘘はついていません」
「いいえ。つい先ほども」
「まさか。それに、もし何か言っていたとしても、それは嘘ではなくて、勘違いです」
「誤解ということ?」
「そう。例えば――僕はそう思い込んでいて、その正確性を判断しないままで、言葉にしてしまう。自覚のない嘘は、嘘というべきではありません」
「故意でなければ?」
「そうです。例えば僕が、桐島さんに、あなたに会いに来ましたと言えば、嘘になる」
「どうして?」
「他に理由があったからです」
「是非お伺いしたいわ」
「あなたは知っているはずです」
「ええ」深月は笑う。「どうして困らせたくなるのかしら」
「僕をですか?」
「そう」
「困ります」
「反応が素敵なのね」
 深月は立ち上がり、僕のそばまで来る。そして、僕の肩越しに手を伸ばし――背後にあったテーブルから、グラスを取り上げた。
「もう、盗まれたものは戻ってきません」
「盗まれた?」
「この屋敷からなくなったものがいくつかあります」
「まさか。桐島さんも言っていました。なくなったものはないと。それとも、桐島さんが僕に嘘を?」
「いいえ。けれど、立花さんは気付いていらっしゃいます」
 深月はグラスに口をつける。
 彼女の喉が脈動した。それを間近で見る。
「強いお酒がお好きなのね」
「酔いたい気分だっただけです」
「どうして?」
「あなたの言う通りかもしれない」
「どういうことかしら」
「疑念があった」
「何に対して?」
「あなたに」
「やっぱり、気付いていたのでしょう?」
「それも気付かされたことなのかもしれません。あなたの言葉を考えれば、意味が見えて来る」
「そうかもしれません」
「いえ、きっとあなたのしたことは、罪とは直接は繋がらない。あるいは、この屋敷で行われたパーティのやりとりとしては、当然とも思えることです」
「ええ」
「子爵は人形愛好会のメンバー」
「そうです」
「最初、あなたと一緒にいた」
「ええ」
「恋の監視が行き届かない位置で、二人だけで話をしていた」
「内緒話をしていただけですわ」
「僕は少し気になりました」
「妬いてくださったのかしら」
「そうかもしれない」
「立花さん?」
「そして、その時にあなたが何らかの仕込みを終わらせた。そして事件は始まって、終わった」
「あの……立花さん」
「そして僕は、気付いたことを、気付かないようにした」
 それは――
 どうしてだろう。
 嘘――とは。
 なんだろう。
 僕は気付いていたのだろうか。
 あるいは確かに、その存在を、途中から見失った。
 まるで舞台から捌けたように。
 その存在を視界から失った。
 けれどそれは――気にするようなことではなかった。
 パーティは終わったのだから。
 舞踏会は終わった。
 踊ることもなく。
 だから、僕はその喪失に、
 違和感を覚えなかった。
 あるいは自分ですら、
 その存在を見失った。
 桐島は、気付けただろうか。
 あるいは恋は? ――いや。
 そう、確かに、気付けない。
 けれど僕は気付けたはずだ。
 僕はグラスを、奪い取った。
 そして、残りを飲み干した。
 それは当初からあったもの。
 けれど今はなくなったもの。
 グラスは手から滑り落ちる。
 重厚な絨毯に吸い込まれた。
 彼女の肌は夜へと透き通る。
 この距離を感じられるのは。
 この感触を感じられるのは。
 僕たちが素顔だったからだ。
 失われたから有り得たこと。
 そしてそれは――
「……あの」
「なんですか」
 また、会話の出来る距離まで開いた僕と深月は、お互いを、見つめてしまう。
「怒っていらっしゃるの?」
「そうかもしれません」それは嘘なのだろうか。「気付いてしまいました」
「何にですか」
「この屋敷からなくなったものを、僕は知っていた」
「最初から?」
「いえ、疑念が確信に変わりました」
「だから、怒っていらっしゃるの?」
「かもしれません。けれど、あなたがそれをしなくても、別の人間が手引きをしたかもしれない。事実、屋外からでなければ、故意に停電を起こせないでしょう。これだけの騒ぎをしていて、屋内の管理室に出入り自由ということはない」
「ええ」
「だから彼には他にも仲間がいたはずです。しかしあなたも手を貸した。それはそうすることで、あなたが何らかの利益を得られたからです。違いますか?」
「そうであって欲しい、ということですか」
「つまり?」
「子爵さんに、私が好意で手を貸したとしたら、立花さんは困りますか?」
「困りはしません」
「そう。残念ですわ」
「けれど、気にするでしょう。そして疑いはじめます。あなたと子爵の関係を」
「特別な関係なら?」
「困りますね」
 いつの間にか、深月は僕の上に座っていた。僕の膝の上に、交差するように、膝を揃えて座っている。身体は横を向いているが、顔だけが僕を見ていた。重さは感じない。
「ごめんなさい立花さん」
「どうして謝るんですか?」
「また、あなたの前で悪いことを」
「元々計画していたことなのでしょう」
「ええ」
「そこに僕が偶然現れた」
「もしかしたら、という期待もありました」
「仕方がありません」
「本当に、そう思っていただけているのかしら」
「僕が怒っているのは、手助けをしたことに対してではありません」
「怒っているのね」
「少しだけ」
「ごめんなさい」
「僕が怒っているのは、あなたがまた、新しい人形を手にした、ということです」
 僕が言うと、深月は顔を背けた。
 その、幼稚な仕草が、とても魅力的だった。
「ご存じなのね」
「逢阪さんに聞きました」
「ああ……」
「前の人形は、依り代には合わなかったんですね」
「ええ」哀しそうに、深月は言う。「私はそのために、手段を選ぼうとは思いません」
「交換条件だったわけですね」
「ええ。子爵さんから、人形をいただきました」
「事前に?」
「いいえ、受け取るのは後日」
「姿は消えてしまいましたが」
「言い訳は出来ますわ。お屋敷からは、何もなくなっていないように見えるのですから」
「確かにそうですね」
「それを私は公表出来ます」
「弱みを握っている、と」
「ええ」
「けれど、先に僕が公表してしまったら?」
「構いませんわ」深月はすぐに答える。「いずれにせよ、約束は果たしてもらえますから。契約書もありますし」
「あなたに被害は?」
「ただ交換をしただけですもの」
「しかしその手段が危険だ」
「そうかもしれません」
「僕の胸の内に秘めた方が良いかもしれない」
「あなたを束縛したくはありません」
「僕は構いません」
「依存してしまいます」
「それもいいかもしれない」
「ああ、分かりました。どうしてそんなに積極的なのか……立花さん、酔っていらっしゃるのね」
「この前とは逆ですね」
「もう、お休みになって」深月はもう一度、今度は場所を変えて、僕と近づいた。「もう遅いわ。二時を過ぎています」
「明日はきっと、あなたに会えない予感がしています」
「きっと」
「また会えますか?」
「どうかしら」
「また会いましょう」
「喜んで」
 僕は深月を立ち上がらせる。別れるのが惜しかったが、仕方がなかった。寂しいからこそ、物足りないからこそ、また出会いたくなる。
「恋ちゃんによろしくと」
「分かりました」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 静かにドアを閉め、何故か床に落ちている空のグラスを拾い上げた。
 僕は嘘をついた。
 そう、しかしそれは、期待のある嘘。
 もしかしたらそうなのではと。
 しかし現実は違った。
 この屋敷から消えたもの。
 それは彼女の仮面だった。
 それを僕は気付いていた。
 しかし僕は言わずにいた。
 どうしてなのだろう。
 恐らく、無関係だと思い込みたかったから。
 実際、彼女は事件とは直接的な関わりを持っていなかったのかもしれない。
 けれど彼女の仮面は――仮面、と呼ぶべきではないのかもしれない――利用され、そして事件を巻き起こした。
 再びのスケープゴートとして。
 あるいは命令に忠実な、マリオネットとして。

戯村影木 ( 2013/05/08(水) 21:51 )