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「あー……どうも、ご紹介に預かりました、天狗です」
僕はそんな間の抜けた挨拶をしなければならなかった。ステージの上に立って、僕はある人形と一緒に、並んでいる。ガラスケースに入った和人形。僕は見たことがない、逢阪了の作品とされている、和人形。どこか、逢阪屋敷の階段で座っている人形に似ていた。
「こちらは、かの有名な『逢阪屋敷』の管理者を兼任していらっしゃる方です。本日は特別にお招きして、こちらの、リストに載っていない人形が本物かどうかを確認していただこうというわけですね。さ、どうぞ、ご覧になってください。良ければケースも開けましょう」
「ああ、では、お願いします」
いつの間にか『逢阪屋敷』自体の管理者になってしまっていたようだ。こんな紹介をされたのでは、いくら名前を隠したところで意味がないような気がするのだが、その辺の責任はどう取るつもりなんだろうか。
僕の目の前で、深月のサポートでガラスケースが開けられていく。一瞬にして外気に触れた人形特有の芳香は、僕に馴染みのあるものだった。
「ああ……なるほど」意識したつもりではなかったが、それらしい言葉を口にする。「確かに……これは、そうですね。逢阪製のような……詳しく観察しても良いですか?」
「ええ、もちろん」
僕が期待通りの働きをしているからだろうか、桐島は嬉しそうだった。深月は完全にサポートに徹するつもりなのか、ステージの脇へ逸れて、じっと立っていた。どうにもやりにくい。顔を前に向ければ、椅子に座った金持ちたちが、興味深そうに僕の鑑定を眺めている。居心地の悪さにも程があった。
しかし、実際、この人形がどうなのかと言えば、一目見た限りでは、逢阪製と言い切ってしまっても良さそうに思えた。特徴を掴んでいる。しかしそれは、似顔絵と似たようなもので、贋作にはありがちな特性だ。色合い、造り、モチーフ、そうしたものが似ているからといって、同じ系列だと断言するのは難しい。
「いかがですか?」
催促するような桐島の声。
どういう発言が正しいだろう?
僕はすぐに計算をしてみる。完全に違うという発言は、桐島を敵に回すだろうし、評価を下げることになるだろう。一方、完璧にそうだと言ってしまって、結果的に違ったとなった場合、逢阪屋敷の沽券に関わるのではないだろうか。僕はあくまでも、巴に迷惑を掛けるつもりはない。その辺の塩梅は、難しいところだ。
僕はちらりと、深月を見る。
彼女は妖艶に微笑んだ。
仕方がない、と、覚悟を決める。
「見た所、非常に本物である可能性が高いと見受けられます」自然、口調も堅苦しくなった。「会場にいらっしゃる皆様は、逢阪製の人形の特徴……つまり、霊的なお話について、詳しいのでしょうか」
会場から頷きと、相槌の言葉がまばらに聞こえる。
「逢阪屋敷にある人形というものは、一度そうした、霊的な問題が起きたことのあるものです。つまり、そうしたものと関係なく、普通に作られ、普通に売られ、逢阪から離れていった人形は数多く存在すると思われます。そう考えてみると、この人形が逢阪製であるという可能性は非常に高い。私自身、最初はどうして屋敷の人形が、と目を疑ったほどの類似性を見ました」
感嘆の声と、値踏みするような嘆息が聞こえた。もう少し喋っても良いだろう。
「しかし、やはり天才人形師と謳われた逢阪の人形です。贋作である可能性も捨てきれません。しかし、人形を管理する私にとっては、それが本物であるかどうかというのは、あまり関係のないことです。私にだって、管理している人形が本物であるという確証はない。けれど、人形には情が移ります。もしこの人形を一目見て、愛情を注ぎたいという方がいれば、持ち帰るかどうかを検討しても良いのではないでしょうか。少なくとも、人形としての完成度は、逢阪製のものと同列です」
僕の発言が終わると、小さく拍手が起こった。僕は頭を下げ、舞台袖に捌ける。桐島が司会を担当し、次に観客が舞台に上った。僕は深月の隣に行って、溜息をついた。
「お疲れ様」
「僕の仕事は終わりですか?」嘘をついて欲しい、という発言に対する質問だった。「それとも、まだ何か?」
「どうかしら」深月は楽しそうに笑う。「けれど、立派な批評でしたわ。聞いていて、私も欲しくなったくらい」
「犯罪はいけませんよ」
「ええ。今回は私は、手は出さないわ」
「じゃあ、何を出すんですか?」
「口でも出そうかしら」深月は可愛らしく、人差し指を唇に当てた。
舞台袖は、観客席からは見えない配置になっている。一方、舞台袖からはステージから観客席の半分ほどが見えるようになっていた。熱心に人形を観察している富豪たち。一体いくらで取引されるのか、というところに、少しだけ興味が沸いた。
「深月さんはこれからは?」
「いくつかお手伝いをして、そうしたら、お酒を飲んで、そうね……泊まって行こうかしら。立花さんもいかが?」
「素敵なお誘いですね」
瞬間。
室内から明かりが消え失せた。
「きゃっ」
深月の声。素の反応なのだろうか? と疑っている自分が嫌いになりそうだ。僕はすぐに深月の身体を探る。腕を取って、彼女を捕まえた。それは何の理由によるものだったのだろう。逃がしたくないのか、離れたくないのか。
桐島のアナウンス。携帯電話の光。復旧はしない。停電なのだろうか。或いは何か作為的な……。
「あの、立花さん」
「はい?」
「大丈夫ですよ。もう、離していただいても」
「何をですか?」
「え、立花さんですよね?」
「さあ」何故僕はこんなくだらないいじわるをしてしまうのだろう。「どうでしょう」
「立花さん」
怒ったような深月の声に、背筋に電流が走る。
「冗談です」
「もう」
「しかしこれは深月さんの作案ではない」
「ええ。偶然じゃないかしら」
「本当にそう思いますか?」
「理由は分かりません。でも、この屋敷に頻繁に出入りする人間ならそんなことはしないはずです」
「どうしてですか?」
「恋ちゃんがいますから」
「ああ」
そう言えばそうだ。彼女は元々目が見えない。目が見えない人間にとって、普段の生活も、暗闇の生活も、あまり変わらないのだろうか。もちろん、周囲の人間が狼狽えているせいで、多少動きにくいのかもしれないが――彼女はズバットとの交信で物体の位置を把握していると言っていた。だったら、確かに、この屋敷の電気を落とすということは、意味がない。
「復旧するでしょうか?」
「そうしたら、手を離してくださる?」
「分かりません。離したくなくなるかも」
「もうずっと暗いままで良いかもしれませんわね」
「本心ですか?」
「掴む位置を変えてくださいませんか?」
僕が掴んでいたのは彼女の腕だった。手触りの良い手袋の上を掴んでいる。それをなぞるように動かして、彼女の手を握る。
「なんだかドキドキしませんか?」
「明かりがついたら、人に見られてしまいますわね」
「誰も僕たちを心配しませんね。僕たちも人の心配をしていませんから、人のことは言えませんが」
「今は私のことだけですか?」
「今だけじゃなくても構いませんけれど」
「まあ嬉しい。それが本心ならもっと嬉しいですわ」
次第に、明かりが強くなり始める。蝋燭の明かりだ。懐中電灯のようなものも見える。深月の手が緩んだので、僕はついに手を離した。彼女とこんなに距離を失うと、流石に緊張していたようで、汗ばんでいた。
「お怪我はございませんか?」
やってきたのは屋敷で働く侍女だった。見覚えがある。暗がりですぐには分からなかったが、恋の姉だったはずだ。もしかしたら、恋から様子を見に行くよう頼まれたのかもしれない、と気づく。
「ええ、大丈夫です」
「僕も大丈夫です」
「失礼ですが、緊急事態です。お名前を頂戴してもよろしいでしょうか。フルネームでお願い致します」
僕と深月は交互に名乗る。彼女は深月弥生という名を名乗った。僕も立花戦と名乗る。名簿を照らし合わせる予定なのだろう。
「そうですか。こちらの燭台をお渡しますので、移動される場合はお使いください。出来ればその場でもうしばらくお待ち頂いた方が安全かと思われます」
「原因は分かりますか?」
「ブレーカーが意図的に落とされたものかと」
深月の発言に答える侍女。それはすなわち、深月がこの屋敷において、ある程度の知名度と発言力を有していることの証左だった。そしてその知人である僕も、ある程度、信頼を置かれている様子だ。
「それでは、失礼致します」
僕の手で燃える蝋燭。深月の顔を、妖しげに照らしている。
「どうしますか?」
「恋ちゃんが心配だけれど、きっとお仕事をしているでしょうから、もう少しここにいましょう」
「そうですね。僕もそう思っていたところです」
「私たち、気が合うみたいですね」
深月はもう一度、僕が使っていない方の手を握る。その上で、空いたてを使って、僕の仮面を剥いだ。
「どうしましたか?」
彼女は何も言わないまま、仮面を自分に重ねた。彼女がつけると、無骨だったはずの仮面が、どうしてこんなに魅力的に見えるのだろう。僕はその答えをすぐには導き出せない。
「もうオークションは終わりかもしれませんね」
「どうしてそう思うんですか?」
「問題が表面化してはいけないでしょう? それに、名簿を取ったら、困る方もいますから」
「ああ。じゃあ、僕たちは抜け出しましょうか?」
「それも素敵。だけど、出たら怒られちゃう」
「困りましたね」
「何か楽しいお話をしてくださらないかしら。退屈してしまうわ」
「そうですね。じゃあ、最近の僕とジュペッタの話でも」
「まあ、楽しそう」
すぐには停電は復旧しなかった。
次第に明かりは増していく。けれど大元の明かりは戻らない。ブレーカーが落ちただけではこんなことにはならない。もしかしたら、電源の元から断線したのかもしれない。明らかに故意に。つまり事件は起きた。
そして実際に、この時事件は起きていた。
起きて、そのまま、終わった。
だから本来であれば、ここで物語は終わっても良い。事件が起きて、それが防がれて、終わってしまった。とても複雑な物語だ。揃っていたのは、環境と、道具だけ。それが使われることもなく、それを凶器や、例えば停電のための道具として使われたわけではなかった。説明が難しい。とにかく事件は起きて、起きたけれど、起きずに、終わった。僕は話すのが上手ではない。だから、きちんと話すつもりだ。だけれど、上手に伝えられるかは分からない。
この場から失われたもの。
この場にいなかった存在。
そして再びのスケープゴート。
それらの要素を踏まえて、事件は起きた。けれど最初から最後まで、僕すら、その事件――停電ではない、その後に起きた事件――に、気づかなかった。本当の意味で気づいていたのは、とても少数。
けれどなぜ、そうも簡単に、彼女は自分のものを、犠牲にしてしまうのか。
とにかく、この時――停電が起き、屋敷で働く者たちによる調査が済んで、名簿を書き終え、参加者の安全確認を終えた時――僕が二度会った、子爵こと銀色黄金は、姿を消していた。