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「や、どうも」
僕の元に現れたのは、桐島だった。今は仮面を外している。このオークションに参加する人間には素性は知れている。もう、する必要がないということなのだろう。
「どうも」
「残ってくれて光栄だ。是非君を招待したくてね」
哀野は僕の膝の上に座っていたが、反応を示さない。この屋敷に住んでいるなら、交流がある、どころの関係ではないはずだ。一体どういう反応なのだろう。
「僕には高尚すぎます」上手い言い方が思い浮かばず、皮肉めいた発言をする。「どうして僕を?」
「何、心配しなくていい。悪いようにはしないさ。ただ、ちょっと参加して欲しいんだ、オークションにね」
「僕が? 僕は何も売るものは……」そう言いながら、仮面に手を掛ける。「いや、これを手放すつもりはありません」
「大丈夫だよ。君の仮面にも、その、逢阪の人形にも手を出すつもりはない」桐島は、テーブルの上に置かれたジュペッタに目を向けて、言う。「ただ、そう――一つ、珍しい人形があってね。それについて、一言加えて欲しいんだ」
「人形?」
「逢阪了が作った――と、言われている人形だ。正確なところは分からない。だがね、私は逢阪製と睨んでいる。ただ確証がない。それについて、是非君から、証言を得たい」
つい数時間前、深月が言っていた言葉が過ぎる。
『嘘をついていただきたいんです』
――それは。
「桐島さん」
「何かな?」
「僕に嘘を言え、と?」
「まさか! 私はそんなことを求めているわけじゃないさ。いや、まあ、捉え方によってはそう思われてしまうかもしれないな……うん、では、こう言い換えよう。君が気に入る人形かどうかを、判断して欲しい」
「……僕に見る目はありません」
「いいんだ。君が感じた通りの答えが返ってくればね。強要はしないさ。ただ、何かが好きな連中っていうのは、そういう感覚を気にする人種が多い。もちろん私の中では彼の作品だという自信がある。連中たちも、そうだと思う者が出てくる。その時、背中を押す一言が欲しいんだ。連中だってバカじゃないからね、自分が疑うものに大金は出さない。自分を納得させる、勇気を分けて貰いたいというわけだ」
納得出来るような、そうでもないような、妙な理屈だった。少なくとも僕には当てはまらないものだ。
「もし偽物だった場合、恨まれたりしませんかね?」
「確実に偽物だという判断が出来れば、もちろん代金は返すつもりだ。私は別に、贋作を売りつけて金儲けをしようというわけではない」
「では、何故売るんですか?」
「私はおかっぱ頭の人形以外はコレクションするつもりはなくてね」桐島は少し不機嫌そうに言う。照れ隠しだろう。「その人形は長髪でね。私の趣味ではない」
「分かりました。どこに伺えば?」
「ああいや、ここにいてくれて構わないよ。出番になったら呼びに来る。あまり、目の届かない……例えば個室かなんかに行かないでくれればね」
「分かりました」
「それじゃあ、またあとで」
桐島は簡潔に用件のみを僕に伝えると、迅速にその場をあとにした。
「……なんで喋らなかったんだ?」僕は置物のように膝の上にあった哀野に尋ねる。「不気味だったよ」
「面倒だから」
「会話が?」
「何かあったのか? とか、不審者がいたのか? とか、そういうことをまず尋ねられるの。だから、何も言わなければ、安全という意思表示になるの」
「ふうん。恋、君は僕が想像している以上に、重要な仕事をしているみたいだね」
「持ち物検査に警備役の黒子が何人もいるのだから、事件なんて起きるわけないのに」
「……でも恋、さっき、事件は終わってる、とかなんとか言ってたよな」
「ええ」
「どういう意味なんだ?」
「詳しくは知らない」恋は少し不機嫌そうな口調になる。「でも、お姉様が言っていたの。もう、全部終わっているって。あとは時間が過ぎるのを待つだけ、とも言ってた」
「彼女が?」
「そう」
「何か知ってるのか?」
「いいえ。教えてくれないの。でも、少なくとも、私はそれを察知していないし、お姉様の嘘かもしれないし。私はお姉様が好きだけど、この屋敷で事件を起こさせるつもりもないわ。いくら相手がお姉様でも、見過ごせない」
「なのに、事件はもう終わってるって?」
「そう」
複雑怪奇。妙な気持ちだった。世界は平常通り運行しているように思える。かと思えば、その裏で、様々な思惑が交錯しているのだろうか。いや……分からない。一体、彼女が何を企んでいるのか。彼女は今回、何も盗むつもりはない、と言っていたが、果たしてそれをどこまで信用して良いものか。しかし、僕の記憶が正しければ、あるいは僕の記憶が自分にとって公正であるなら、彼女は今まで一度も、僕に嘘をついたことはないはずなのだが……。
「戦」
「何?」
「オークションに興味はないの?」
「ああ……いや、僕は生憎、生き物に畏怖される存在だからね。きっとオークションが滅茶苦茶になる」
「そうなの?」
「ああ。あまり距離が近くなければ大丈夫みたいだけどね。だから、君のズバットたちも、すぐ近くまで来たら、拒否反応を示すかもしれない」
「そうなの……私には想像も出来ないわ、パートナーのいない生活なんて」
「僕も、視界のない生活は想像出来ない」
「あなたに言われても、あまりカチンとこないのね」哀野は少し楽しそうに言う。「でも、あなたにはパートナーがいるじゃない」
「つい最近ね。ゴーストが相手だと、その特性は緩和されるらしいということが分かったんだ」
「良かったわね」
「君も悲観するのは早いよ」
「そうかしら」
「僕だって、二度とあり得ないと思ってたんだ」
「そうね。希望を持つのは良いことかも。でも、別になくても良いとは思ってるわ」
「僕もそう思っていたよ」
眺めているオークションのステージから、深月がはけていく。僕はそれを目ざとく捉え、哀野を下ろすと、腰を上げた。
「どうしたの?」
「ちょっと、トイレに」彼女には見えていないだろうと思っての発言だったが、どの道彼女に声を掛ければ判明することだ。「ついでに、彼女に会ってくる」
「どちらが本命なのかしら」
「女性関係の話?」
「早く行ったら」
呆れたような口調で哀野が言った。将来に興味を持たせる性格であるようだ。
僕が深月を追おうと考えたのに、深い理由はない。しかしながら、妙な胸騒ぎがあった。事件勘とでも言うべきか。本当は何も始まっていなくて、何も終わっていないのではないかと思わせる。それ自体がミスリードなのだろうか。
すぐに追いついた。彼女の背中のラインが魅力的だ。
「深月さん」
「あら、立花さん。偶然ね」
「意図的ですよ」
「何か御用?」
「二人きりで話がしたくて」
「まあ……どうしましょう。素敵なお誘いだけど、時間があまりなくて」
「何をしに?」
「商品を運びに来たんです。オークションに出される商品は、一度屋敷で保管して、順番に出されることになっているの。休憩も兼ねて、少し舞台裏に……」
「お手伝いしましょうか?」
「ねえ、口説いていらっしゃるの? それとも、疑っていらっしゃるのかしら」彼女の口調は、少し不機嫌だった。「後者であれば、少し、つまらないわ」
「前者の理由の方が、比重は多い」
「少しは疑っていらっしゃるのね?」
「事件は既に終わっている、と」
「恋ちゃんが?」
「ええ」
「とても懐かれているのね」深月は可笑しそうに言う。「ねえ立花さん、そんなに仮面を気にしなくても、盗んだりしないわ」
「素性を隠すように、アドバイスをもらったんですよ」
「そう、正しいアドバイスだわ」
「事件が起きたんですか?」
「いいえ、まだ」
「事件は終わったと」
「事件って、一体、どこからどこまでをさすのかしら。例えば、殺人事件が起きて、それを解決するのは、事件の間? それとも、殺害という行為自体が事件で、そのあとは、ずっと、事件ではない?」
「あなたの仰りたいことの意味が」
「少なくとも、私はこれからはもう、怪しいことはしないわ」深月は僕の唇に、人差し指を立てる。「ねえ、最初に言ったことを覚えているかしら」
「期間も、言葉も、選択肢が多すぎます」
「事件が起こる心当たりがある。そして、それはあなたかもしれない……と」
「言われたかもしれません」
「少なくとも、今日は、あなたではないわ」と、彼女は言う。「そして、私でもない」
「なぞなぞですか?」
「すぐに分かるわ。あと一時間ほどで、オークションも終わってしまう。そうしたら、謎は解ける。いいえ、もしかしたら、あなたは気付かないかも。だって、無関係の人なんですもの」
「僕に嘘をついて欲しい、と」
「その時が来たら。来ないかもしれないわ」
「今日のあなたはよく分からないな。とても難しい。言葉そのものと対話しているみたいだ。考えても考えても、真意に辿り着けない」
「まあ……とても素敵。一度、立花さんに本気で口説かれてみたいわ」
「いつも、割と本気なんですけどね」
「もっと素敵になれるわ」深月はそう言って、動き始める。「ごめんなさい、そろそろ商品を持って戻らないと」
「手伝いますよ。これは、疑いとは無関係の、シンプルな提案です」
「ありがとう。でも、小さなものだから、大丈夫。台車もあるし……ああ、でも次は、そうね、立花さんに持って行って頂いた方が良いかしら」
「なんですか?」
「人形です。逢阪製、という噂の」
彼女は部屋の隅から、ガラスケースに入った人形を取り上げる。桐島が言っていたように、髪の長い人形だった。逢阪屋敷に眠っているものたちのような、独特の禍々しさは感じられない。しかし、造りは確かに、逢阪のそれに近い。あくまでも、雰囲気だが……。
「本物ですか?」
「少なくとも私はそう思います」
「あなたがそう思うなら……本物なんでしょうね」
「私は見る目があるかしら?」
「分かりません。何故なら僕に見る目がありませんからね。ただ、あなたがそうだというなら、僕がそう判断するのも、やぶさかではありませんね」
「お手伝いしていただけるの?」
「これはあなたのお願いする嘘ですか?」
「いいえ、だって、それは本当のことだもの」
僕は彼女が用意してくれた台車にガラスケースを乗せ、ゆっくりと通路を進む。途中、一室から、妙ななきごえがいくつか折混ざって聞こえてきた。
「ここは?」
「生き物が集められている部屋です。彼らも、オークションに出される運命」
「生き物の売買ですか……」
「誰でもしていることだわ。法が認めていないというだけ」
「それはそうなんですけどね。なんというか、釈然としない。というか、したくない」
「仕方がないことですわ。法ですら、人が敷いた理不尽なルールなのですから」
彼女の言い分はもっともだ。そして、恐らく彼女の言葉の方が、真理に近かった。
「そう言えば……深月さん、仮面は?」
「もう、必要ないのではないかと思って」深月は笑う。「私はもともと、偽名ですし」
「深月弥生も、偽名なんですね」
「本当の名前をお知りになりたい?」
「ええ。いつかは」
「そうなることを期待していますわ」
人形を運んでいくと、通路の向こうに桐島の姿があった。僕に気付き、笑顔で迎えてくれる。
「ありがとう」
「すみません、探しましたか?」
「いや、恋に聞いたよ」簡潔な答えだった。「それじゃ、悪いが、ちょっと手伝ってくれるかな。もちろん、高値が付けば、君にも分け前は渡すよ、天狗殿」
「そんなつもりでは……」
「いやいや、いいんだ。私の目的は財産ではなく、もっと大きなものだからね。さあ、一緒にステージへ」
「はあ……」
この隙に、彼女がさっと姿を消してしまえば、僕はもっと彼女を疑うことが出来ただろう。しかし彼女はまったく微動だにせず、上手の通路から僕たちを眺めていた。
事実、この時既に事件は終わっていた。
より正確を期すなら、トリックは使われていたのだ。
だが、今までの情報だけでそれを知るのは不可能と言って良いだろう。だから、これはフェアではない。彼女の言葉もまた、フェアではない。
しかし少なくとも、
僕はこの時、まだ嘘をついてはいなかった。