三章――Steal
 ノックの音で目を覚ました。
 二日酔い、という現象には馴染みがあまりなかったが、恐らく今自分はその状態にあるのだろうと判断出来た。
「はい……」
 ドアを開ける。僕はバスローブ姿だった。昨晩、バスルームのドアを開けたところまでは覚えているが、そこからの記憶が曖昧だ。どうやって着替えたのかは、まるで覚えていない。事実、室内灯は付いたままだった。
「おはようございます立花様」
 愛だった。彼女はいつ寝ているのだろう、と疑問に思う。
「おはようございます」
「朝食をご用意いたします」
「ああ……そうですね、ホテルじゃないんだ、バイキングとかがあるわけではない」僕は頭をゆっくりと動かす。「どこに行けば良いですか?」
「ご希望であれば、お部屋にお持ちします」
「いえ、もう部屋には戻りません。皆さんはどこかで?」
「ホールを一部朝食用に」
「ではそちらに向かいます」
「どうぞ」新しい下着とシャツを渡される。「お使いください」
「どうもこういうことをされるのに慣れていません」
「桐島の指示ですので」
「……では、ありがたく」それを受け取って、部屋に戻り、代わりにグラスを手に取った。「これ、申し訳ないんですけど」
「ご丁寧にありがとうございます」
「恋は起きてますか?」
「はい」
「深月さんは?」
「朝早くに発たれました」
「なるほど」分かってはいたことだ。「ところで、今、何時ですか?」
「午前九時です」
「健康的だ」
「まだおやすみになるようでしたら……」
「いや、もう起きます。着替えたら、ホールに。鍵はどうすれば?」
「開けたまま、室内に置いておいていただければ。こちらで清掃いたしますので」
「何から何まで」
「ご迷惑を掛けたのはこちらですので。それでは、お待ち申し上げております」
 一礼し、愛は去って行く。ご迷惑というのは、停電に関することだろうが、僕はさほど迷惑とは思っていない。もっとも、オークションに参加するつもりで来た招待客にとっては、迷惑だったのだろう。
 着てきたワイシャツはどうするべきかと思案したが、渡された衣類の中に、小さな袋があるのを見つけた。これに入れて持ち帰るということだろうか。何から何まで気が利いていた。すぐに着替えて、上着を抱え、昨日と同じスーツを着た。上はサスペンダーとワイシャツだけの簡素な服装になった。ネクタイも締めない。サイズは及第点だった。よく観察している。
 ふと、昨晩のことを思い出す。
 僕は、気付いてしまった。
 事件の容貌。
 あるいは真相という名の構図。
 これは誰に打ち明けるべきなのだろうか。
 それを思案する。
 桐島に言うのは、気が重い。
 適任なのは愛だろうが、いささか、反応が薄い気がした。
 僕は仮面をどうするか迷ったが、一緒に袋に入れてしまうことにした。部屋を出て、昨日来た道を戻る。良いが完全に回る前だったからか、まだ記憶が鮮明だった。ところどころにいる鴉に頭を下げる。彼らはもう、仮面をしていない。パーティは終わった。そして、事件も、一夜の恋も。
 ホールには、ほんの数人、客がいた。その約半数の給仕がいる。僕が姿を見せると、愛が気付いて、僕をテーブルに案内した。
「やあ恋」テーブルには恋が先に座っていた。「君も朝食?」
「そう。あなたを待っていたの」
「待たせて悪かった」
「ご希望はございますか」
「一番時間がかからないもので」
「かしこまりました」
 愛は姿を消す。他の客も、僕のことなど気に掛けていなかった。
 恋を見る。もう仮面はつけていない。素顔は割と端正だった。瞳は閉じられている。けれど、眠っているような安らかさだった。
「深月さんは帰ってしまったみたいだね」
「ええ。私が起きた時にはもういなかったわ」
「君は随分気に入っていたみたいだったのに、残念だね」
「そうなの。今後いつ会えるか分からないし」
「君によろしくと言っていたよ」
「いつ?」不穏そうに、彼女は言う。
「夜に」
「そう、やっぱり会ったのね。なんだか一人だけ除け者にされたみたい」
「そんなことはないけど、君はもう寝ていたからね」
「子どもって嫌だわ」
 朝食が運ばれてくる。愛が食事をする光景を見たことがなかったので、どうするのか、と少し気になったが、料理を運んできた愛が、恋に細かく料理の説明をした。どこに何があるか、どういう味か。恋は満足そうに、ともすれば、やや子どもっぽい笑顔を浮かべて、ありがとう、と姉に言った。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
 愛が去って行くのを見届けてから、スプーンに手を伸ばす。
「仲が良いんだね」
「お姉ちゃん?」
「そう」
「姉妹なんだから、当然じゃないかしら」
「詳しい話はしたくない?」
「私たちの?」
「うん。詮索は野暮かと思って」
「別に構わないわ。妹が監視役で、姉がメイドだから、気になるのでしょう。けれどただの適材適所というだけ。ここで働いているのは、そうしないと生活出来ないから」
「両親がいないの?」
「そう」
「なるほどね。僕も父親がいない」
「共通点が多いのね」
「屋敷に住んでいるしね」
 僕が言うと、恋は頬を緩ませる。案外、子どもらしい表情をするのだと思った。
「いくつか話したいことがあるんだ」
「どうぞ」
「君はズバットで監視している」
「ええ」
「つまり、視覚的情報は得られない」
「そうね」
「深月さんの仮面がいつから外れていたか、君は知らないよね」
 僕が言うと、恋は少しだけ手を止めた。しかしすぐに、スプーンでスープを掬う。実に上品な食べ方だった。音に敏感だからこそ、気をつけているのかもしれない。
「誰がどんな仮面をつけているか、私は確かに分からないわ」
「だから、彼女の仮面の色も知らない」
「お姉ちゃんを呼んできて」天井に向けて、恋が言った。「何の話か分からないけれど、重要なお話みたいね」
「君だけでも良かったんだけど」
「私、これでも、仮面屋敷の監視役なの。正確な情報をまとめないと」
「そうだった」
 すぐに愛がやってきて、頭を下げる。自分の妹に対してこのような態度を取るのは不思議なようだったが、それはもしかしたら、他の従業員に対する模範なのかもしれない。
「お姉ちゃん、座って」
「はい」従順に、恋の隣に腰掛ける愛。「どうしました?」
「戦が何か気になっているみたい」
「私にお答え出来ることでしたら」
「いやあ……どこから説明しようかな」サラダを口に運ぶ。「まず、深月さんのことについて」
「何なりと」
「彼女のつけていた仮面を覚えていますか」
「猫の仮面です」
「その色は?」
「黒色でした」彼女は言う。「それが?」
「僕が近くで見た時は水色に近かった」
「私の見間違いかもしれません」
「ひとまず置いておきましょうか」僕は天井を見上げる。「今回のパーティは、不要なものを持ち込めないようになっていました。携帯電話とか、財布とか、そういうものと……あとは仮面とボールくらい。身体検査の時に、誰が何を持ってきているかを管理していたように思います」
「その通りです。パーティ終了後に高価な物品を取り扱うため、出来るだけ危険がないようにと。桐島の性格によるものです」
「そのリストを見たい」
 愛はすぐには答えなかったが、恋が「戦は大丈夫」と根拠のない説明をした。愛は少し離れた場所にいた鴉に指示を出す。僕がスープを飲み終わるまでに、リストが用意された。
「恋、流石にお客様の個人情報を見せるのは問題だわ」
「戦は何が知りたいの」
「僕の項目には何と書いてありますか」
「立花様は……」愛がリストをめくっていく。「所持品が仮面、携帯電話、財布、ジュペッタ一匹、となっています。オークションへの参加については空欄。つまりご存じではいらっしゃらないということです。宿泊についても、空欄になっています。お預かりしているものが、コート一着」
「どうも。では、深月さんを」
「お姉ちゃん、読んであげて」
 渋々といった様子で、愛はまたリストをめくった。彼女の本名が書いてあるとも思えないし、それを知りたいというわけでもなかった。
「所持品は、仮面と、お財布だけです。立花様同様に、コートもお預かりしておりました。もっとも、深月様の場合は、こちらにいくつか私物をお預かりしておりますし、何泊かされても問題ないとは思われますが」
「そこに、そうですね……例えばオークションと無関係な生き物の記載がありますか? 例えば……」
 彼女の仮面の色を思い出す。
「メタモン、とか」
「ございません」
 愛は即座に否定した。
「どうしてメタモンが出てくるの?」
「僕の体質の話をしていなかったね。僕は、生き物に嫌われやすい体質をしている。獰猛な生き物なら僕に敵意を向けるし、臆病なものなら、萎縮してしまう。そういう、なんて言えばいいんだろう……とにかく、体質をしている。避けられるか、忌み嫌われるか。二つに一つというね」
「大変そうね」
「私は聞き及んでおりました」愛が言う。「ですが、立花様はパートナーをお持ちのようです」
「そう。それが、ゴーストタイプに限っては、無関係だということが分かった。あるいは、ゴーストタイプの中で、元が人間であったものなら……ということ」
「それが?」
「深月さんがつけていた仮面は、メタモンだ」
 僕の発言に、二人ともすぐには理解を示さない。話の統合性が取れていない、とでも思っているのだろう。
「どうして?」
「深月さんと会ったあの部屋で、僕は彼女の仮面の色を見た。水色だったんだ。けれど、実を言えば、それはあまり似合っていなかった。彼女の趣味とも思えなかった。それに、愛さんは黒色だと言っている」
「確証はございません」
「しかし恐らく正しいでしょう。つまり、僕が近づいたことで、メタモンによる擬態が狂った。色が元の色に戻ろうとしていたわけです。触れでもしたら、元に戻ったことだろうと思います。あの時は、深月さんにまんまと避けられてしまいましたが……」
「私は色については分からないわ」恋が言う。「お姉ちゃんは分かる?」
「ええ……はい。ですが、メタモンは普通、紫色をしているかと思われます」
「僕もそれは知っています」
「では何故水色なのに」
「銀色黄金……子爵さんのリストを読み上げていただきたいのですが」
 愛はすぐにその作業に取りかかった。そして、「……おかしいですね」と呟いた。
「ヒトモシの項目がありますか?」
「ございません」
「出品したい、と言い始めたのは、いつ頃のことだったか、分かりますか?」
「正確には分かりかねますが、桐島による開会の挨拶より以前だったかと」
「多分、その間に、誰かが持ってきたヒトモシがいることを確認したんじゃないでしょうか。擬態先を確保して、あとでそれに化けさせるつもりだったんでしょう」
「なんでそんなことをする必要があったのかしら」恋が言う。「私にはよく分からない。結局、何がしたかったのか」
「何かが盗まれたんだよ」
「何が?」
「すぐには分からない。でも、盗まれたあと、メタモンによる擬態が行われて、そのまま交換された。子爵はその何かを持って屋敷を出て、逃げたのだろうね」
「わざわざヒトモシを出品しようとした理由が分からないわ」
「オークションに参加する必要があったんだろうね。僕のように、鑑定役として呼ばれでもしなければ、入札側か、出品側でしか出られない。そうじゃありませんか?」
「基本的には。ですが銀色様ほど親しい方であれば、ただ観覧していくということも可能だったとは思いますが」
「用事がないのにオークションに出れば、疑われます」
「よく分からないわ」
「オークションの商品は、倉庫のような場所からわざわざ運んでいた。停電を起こしたとして、その倉庫まで目当ての商品を取りに行って……というのは難しいだろう。つまり狙うなら、商品が舞台に出ている最中」
「停電が起きた時間帯に出品されていたものは、逢阪製と思われる人形と、特殊なラプラスの卵だったかと思われます。オークションは二通りですから、そのどちらかが狙われたと?」
「僕の予想では、人形」
「目を欺くために、人形ではないオークションに参加したということ?」
「その可能性が一番信用出来る」
「でも、私なら可能かもしれないけれど、停電が起きたら、みんな見えなくなるのでしょう? そういうところを、簡単に歩けるとは思えないのだけれど」
「それは僕も分からない。最初は、恋が協力しているのかも、と思ったけれど……そんなことはないんだろう?」
「怒られるもの」
「だから、子爵の仮面には暗視ゴーグルか何か……そういうものがついていたんじゃないかな、と僕は思う。わざわざ仮面をつけて着たんだ。そういう装置を利用してもおかしくはない」
「桐島に報告して参ります」
「もう少しだけ」僕は愛を引き留める。「これだけ伝えると、まるで深月さんが協力者のように思える。けれど、多分それは違う。深月さんは事件に関与せず、ただ子爵と取引をした」
「最初に私たちが向かったところで?」
「そう、あの場所で受け渡しについての相談でもしていたのかもしれない。恋に聞こえない内緒話。そして、僕が深月さんと別れたあとで、それは行われた。色違いのメタモンを必要としたのも、何かに擬態させることで、出品アイテムとして使うつもりだった。そしてさらに、盗むべき人形の身代わりとして利用するつもりだった」
「つまり深月様は事件には無関係だと仰られているわけですね」
「そう願いたい」
「なんでわざわざパーティで受け渡したのかしら」
「予め受け渡せば疑われる。例えば、子爵が仮面に擬態させると、今度は――まあこれは僕の想像だけれど――暗視ゴーグルという手段が使えなくなる。だから子爵が指定したのかもしれない」
「そうかも」
「報告して参ります」愛は立ち上がる。「貴重な情報をありがとうございました」
「くれぐれも、子爵の起こしたことだと」
「留意致します」
 愛が去って行く後ろ姿を眺める。心に余裕があったせいか、綺麗な歩き方だ、と感じられた。
「ねえ戦」
「なんだい」
「分からないことがいくつかあるわ」
「うん?」
「人形が盗まれたのよね」
「そうだね」
「パーティの最中に盗めなかったの?」
「怪しい物音は君に聞こえるだろう」
「それもそうね」
「それに、人の数が減っていた方が逃げるのが楽だと思ったんだろう。明るい場所なら、人は多い方が良いけれど、停電していれば、少ない方が良い」
「確かにそうかも」
「恋と子爵は仲が良さそうだったから、恋の耳を欺く計画を練っていたんだろう。詳しくなければそれは出来ない。だから子爵の起こした事件だと思った」
「戦って頭が良いのね」
「ヒントをもらいすぎた」
「誰に?」
「誰かな」過去の会話を思い出す。「問題は、何故子爵はあの人形を欲しがったかということだね。まあ、あの人形が本当に盗まれたという確証はないんだけど」
「子爵は人形コレクターだもの」
「らしいね」
「子爵は少しおかしいの」
「おかしい?」
「お金があれば全部蒐集に使っちゃうんだから。最近も、お金には困っていたみたい。でも、どんどん新しいものを欲しがるの。よく、古いコレクションを手放して新しいものを手に入れようとしていたし。どうしても欲しくなっちゃったんじゃないかしら」
「そういうものかね」
「コレクターって、みんなそういうものよ」
 深月を思い出す。
 彼女もある意味では、コレクターと言えるのかもしれない。
 欲しいものは盗んで手に入れる。
 やっていることは、子爵と変わらない。
 だから僕は、子爵のことを罰しようとはしないのだろうか。それとも、深月だけを特別視しようとしているのだろうか。
「さっき、戦が近づけば色が変わるって言っていたわよね」
「ああ」
「人形に触れば分かるんじゃない? 本当に盗まれたのかどうか」
「そうかもしれない。帰りに、桐島さんのコレクションを見て行くように言われていたし、そのついでに、真偽を確かめようかな」
「私が案内してあげるわ」
「本当に? 嬉しい申し出だね」
「どうせ暇だもの」
「監視で忙しいんじゃないの?」
「クビになるかもしれないわ」何でもない風に、恋は言う。「もし窃盗が本当に起きたなら、私のミスだもの。どうなるか分からないから、私が自由に出来るうちに、案内してあげる」
「君のミスではないはずだ」
「責任は取らないといけないわ」
「大人なんだね」
「最初に言ったでしょう?」
 僕は何も言えない。僕は、恋のように大人としての考え方が出来ない。大人なのに、大人としては振る舞えない。
「でも、もし本当に恋が解雇されるようなことがあれば、口添えするよ。恋が子爵に脅されていた、とでも言ってね」
「嘘はよくないわ」
 恋は言う。
 ああ、その通り。嘘は良くない。
 けれど僕は嘘をつきたくなる。
 嘘をつくことで救われるなら。
 それは良いことなのではないかと、そう思った。

戯村影木 ( 2013/05/09(木) 01:04 )