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僕はパーティが終わるまでの時間を、ゆったりと眺めていた。少しずつ帰路につく招待客、消えて行くテーブル、場所を移す料理。増えたのはアルコールのグラスだけだ。僕は子爵がいなくなったあとも、テーブルについたまま、パーティの行く末を見つめていた。
表向きは、煌びやかなパーティ。
しかしその実態は――非合法な売買。
それが完全な悪なのかどうかは分からない。ただ、非合法。法律では禁止されている行為だ。人道的に、道徳的にどうなのかという話は別だ。そして僕は、そうしたものを準拠する人間である。法律がどうこうということは、僕にとって、あまり重要ではない。要は、許せるかどうか、ということ。それが美しいかどうか。それが、心地良いかどうか。僕が深月に対して抱く感情というものは、そういうバランスで成り立っている。つまり、人形を盗むという悪行よりも、自分のパートナーを置き去りにしたという一点で、彼女を憎んでいる。もっとも、その憎悪の感情すら、怪しいところだ。僕はそのおかげで、今、とても幸福な生活を送っているのだが。
夢の中にいるような、ぼやけた思考の合間で、桐島はマイクを取り、パーティの終わりを合図した。それは始まりの合図でもある。僕はテーブルから動かない。ただじっと、周囲を観察していた。みんな、楽しそうにしている。その楽しさは、二種類存在していた。この一日を素晴らしい日と定めたもの。そして、この一日が素晴らしいものになるよう、祈っているもの。
「隣、よろしいかしら」
「あなたのために開けておきました」
酒は飲んでいなかったが、明らかに空気に酔っていた。深月が隣に座っても、二人とも顔を合わせない。
「なんだか元気がなさそう」
「真相を知ってしまったんです」
「どんなことかしら。教えてくださる?」
「生き物に値段が付くらしい、と」
「お喋りがお好きな方がいらっしゃるのね」
「何故教えてくれなかったんですか?」
「そちらには私は関与しないのだけれど、あまり好きではないの。物に値段が付くということが」
「失礼ですが、あなたがそういうことを思う人だとは」
「泥棒なのに?」
「あなたのもう一つの罪です」
「置き去りにしたことを仰っているのね」深月は僕の足に座るジュペッタに手を伸ばす。「とても生き物らしくなっているわ」
「売り買いが嫌いなんですか?」
「価値を数値化してしまうことが嫌いなの。数値化された瞬間から、相場というものが出来上がってしまうでしょう。そうすると、そのものの価値が定まってしまう。数値化された価値がもたらす悲劇はすなわち、『いつか手が届く』という希望だわ」
「望みがある方が……」
「いつか手が届くから、今でなくても良い。そんな言葉で、情熱は冷めてしまうわ」
「分からないな。どうしても手が届かないものより、いつか手が届くものの方が、まだ愛せる」
「愛することと欲することは別だわ」
「例えば……もう一度会いたい人がいて、その人と関わり合いのありそうな集まりにわざわざ出向くというような行為は……どっちですかね」
「どちらかしら」深月は口元に笑みを見せる。「もし会えたとき、再び離ればなれにならないよう、逃がさなければ、それは欲望になるのではないかしら」
「参考にします」僕は言った。
僕と彼女の会話の間に、屋敷の人間の数は驚くほど少なくなった。当然と言えば当然のことだ。裏事情を知らされないような人間であれば、そもそも残ることを許されないだろうし、その裏事情は、多くの人間が知るべきではない。僕が知らされたのは、人脈が全て。あるいは、その出生か。
「このホールで行われるんですか?」
「きっとそう。私も、あまり参加する方ではないから、詳しくはないの。お金持ちというわけでもないですし」
「それは僕も同じです。一体、何のために参加するのか……いや、本当に、あなたは何のために参加するんですか? まさか、人形を売りに出す側……とか?」
「いいえ。さくら、のようなものかしら。あるいはお手伝い。売り買いには参加しないの」
「そうだったんですか。少し安心しました」
「どうして?」
「何か狙いがあるわけではないようですから」
「ええ、少なくとも、私は」
含みがある言い方は、彼女にとっては普段通りだ。僕は特に気に掛けることもなく、時を待った。
言葉がなくなった。パーティの撤収が始まると同時に、メインイベントの準備が整えられていく。仮面たちが踊っていた舞台に、椅子が並べられていく。そして、その前に、台。オークション形式なのだろう。僕と深月は、言葉を交わさずに、それらが出来上がっていく様を眺める。
屋敷を眺めても、桐島の姿はなかった。子爵の姿も見当たらない。どこか別の場所で、何かしらの談合をしているのか。単純に忙しいのか。
ふっと彼女に視線を向ける。仮面をつけていなかった。匿名のパーティだというのに、大丈夫なのだろうか。不思議に思ったが、言葉は出てこない。僕は自分の仮面に触れる。独自の手触り。それが、今目の前で起きていることの非現実さを増加させる。
しばらくして、『鴉』が二羽やってきた。僕たちのテーブルに、ドリンクを置いて、去って行く。言葉は一言も発されない屋敷内。不思議な空間だった。時折、正装に仮面を纏った客が、移動をしていく。恰幅の良い人物が大半をしめていた。金持ちの印象は、どこも同じようなものなのかもしれない。
「ぎゅる」
あまりに退屈になったのか、ジュペッタが訴えるように、僕の足を叩く。僕はジュペッタを拾い上げて、膝の上に座らせる。深月が以前そうしていたように。
「羨ましいわ」
深月が独り言のように言った。
以前同じ光景を見たわけではないのだが、それでも、会場の設置がほぼ完成に近づいている、ということを、本能的に悟った。既に席につく客も多く、隣同士で談合が始まったりしている。
階段の方から、一人の『道化師』がやってくるのが見えた。付き人はいない。金持ちや有名人の多い場所に、子どもが一人いるのは、妙にアンバランスだった。僕は軽く手を上げる。視線は定まらないが、哀野の仮面はこちらを向いていた。だから、彼女を引き寄せるつもりだった。
しかし、彼女は階段を下りたところで、立ち止まる。完全に停止してしまった。何かを探るようにして、音の波に埋もれている。
「どうかされました?」深月が問う。手を上げていることに対する質問だろう。
「ああ、哀野が見えたから……」
「恋ちゃん? ああ、そう……ですわね」何かを言いかけて、深月は口を閉ざす。「恋ちゃん、こっちよ」そして、遠く離れた場所の哀野に向けて、言葉を発した。
果たして、哀野は僕らの元にやってくる。遠く離れた位置からでも、音を聞いている。彼女が言っていた通り、音を監視しているのだろう。しかし、妙な違和感が、僕の中にあった。
「お待たせ」言葉は僕に向けられていた。「ねえ、座って良い?」
「席がないよ」
「あなたの上がいいのだけれど」
「僕の膝の上には……」
ジュペッタがいるんだが、と、言いかけて、ああ、僕はようやく、そのことに思い至った。あるいはそれに気付くべき瞬間は、今までに何度もあったのかもしれない。それを意識出来ずにいたのは、僕が鈍感なせいか、それとも、仮面という非日常的なアイテムのせいだろうか。
僕はジュペッタをテーブルの上に乗せる。抗議するようなジュペッタの視線を受け流しながら、哀野を抱き上げ、膝に乗せた。
「なあ、君……」
「名前」
「恋、君は……目が見えないのか」
僕は言う。
「ええ、そう。どうして?」
「いや、聞いてみたかっただけだよ」
「別に、目が見えなくても、生活に支障はないのだから、いいの」哀野は、本当になんでもないように言う。「驚いた?」
「いや、特には。ハンディを背負っている人間とは、縁があるからね。僕もそのうちの一人だ」
「そうなの? それじゃあ、気が合うわね」
会場に大勢が集まる。大勢と言っても、パーティに参加していたうちの何パーセントか。潤沢に用意された席も、全ては使われていない。
「私はお手伝いに」深月が言って、立ち上がる。「立花さん、よろしくお願いします」
「何をですか?」
「あなたが想像出来ないことを」
彼女はそう言って、立ち去ってしまう。このテーブルには、いつまで座っていて良いのだろう。少なくとも、指摘されるまでは、構わないだろうか。
「なあ、恋。君もこれに参加するのか?」
「参加というか、家だから、いるだけ。一人でいるのもつまらないもの」
「なるほどね。何か事件が起こるらしいけど、監視役としては、聞き逃せないんじゃないか?」
「そのことだけどね、戦」
哀野は僕に言う。
「もう、事件は終わってるよ」
そして、オークションは始まった。