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「失礼致します」
煌びやかなパーティの喧噪に疲れていたということもあって、僕は深月と共に、彼女と会った部屋で休んでいた。哀野が運んできた食事に手をつけながら、である。この部屋はパーティの休息所的な場所かと思っていたが、意外にも、その女性が入ってくるまで、来訪者はいなかった。どのくらい時間が経ったのか。僕と深月は仮面も外し、オープンな空間に蔓延していたくだらない世間話は一時的に中断され、僕と深月の視線は、ドアに向けられた。
「はい……」あれ、と僕は思う。その女性は仮面をしていなかった。「なんでしょう?」
「当屋敷よりご案内です。あと一時間ほどで、パーティは終了となります。その後もご歓談していただいて構いませんが、ご帰宅される方のリストを埋めているところなので、ご協力いただければと」
「ああ……なるほど。深月さんは?」
「桐島さんに、残るように言われていますの。というより、それがメインイベント」
「なるほどね。僕は……どうしようかな。正直、あなたに会うというところまでしか考えていなかったので、その後どうするか、というのが、曖昧なんですよ」
「情熱的なんですね」
「ひとまず、保留という形でよろしいですか?」女性は口を開く。侍女の一人だろう。よく見れば、服装もそんな感じだ。深月の服とは、カラーリングこそ似ているが、見た目はまるっきり違う。「また後ほどお伺いしましょうか」
「この人たちは帰らないよ」口を開いたのは哀野だった。「みんなお泊まり。ね?」
「いや、帰るつもりだけど……」
「どうせ遅くなるもの。明日になったら、屋敷の人間に送らせれば良いよ」
哀野は僕の隣で好き放題言っている。どうやら彼女に懐かれたらしい、という自覚があった。こんな子どもに好かれても、あまり嬉しくはないのだが。
「困ったな……」
「いいじゃありませんか立花さん。桐島さんも、あなたが残ればお喜びになるわ」
「仮面のことで?」
「もちろん人間性でも」深月は口元で笑顔を魅せる。「それに、恋ちゃんが離してくれないわ」
「うん」
「それで困ってるんだけどな……」
「すぐに決めて頂かなくても構いません。パーティ終了後もいらっしゃるというようにお伝えしておきます。ご安心ください、全ての参加者の方が宿泊を希望されても、部屋は足りておりますので」さらっと怖ろしいことを言って、女性は頭を下げる。「それと、恋ちゃん、あまりお客様を困らせないようにね」
「困らせてないよ」
「失礼致しました」
女性が去ったあとのドアを見つめながら、しばし呆然とする。
「知り合い?」
「お姉ちゃん」哀野は困惑するような事実を口にする。「ハウスキーパーって言うんだって」
「ああ、メイドってやつかな……あまり馴染みはないけど、そういう文化が残っている地域もあるんだなあ」
「メイドって、もっと一般的な概念じゃないかしら」
「そうなんですか? いや、僕は世間に明るくないですからね。基本的に、閉ざされた洋館の中で、古い知識を蓄えているだけです」
「純粋培養なのね」謎の言葉を深月は呟いた。
しかし、実際のところ、僕は帰宅するのは面倒だと考えていたところだった。行きと同じ時間をかけて帰る。しかし帰る頃には真夜中だ。駅から家までは遠いし、逢阪屋敷だってそんなに近くもない。仮面を返す手間を考えれば、巴のところで寝泊まりするのが得策だろうが、如何せん、面倒だ。普段から運動不足なだけあって、ちょっと歩くだけでも疲労の色が見えて来る。
「そう言えば、桐島さんには何て?」
「今後の予定ですか?」
「ええ。興味があれば、覗いて行こうかなと」帰りたくない自分を納得させる理由を見つけることにした。「もちろん、僕の参加が許されるなら、ですが」
「歓迎されると思いますわ。人形愛好会の集まりと、ペット自慢がありますけれど」
「ペット自慢ですか?」
「この地域はいない珍しい生き物だったり、希少価値が高いものだったり……そうしたものを見せびらかす集まりですわ。色違いであったり、特殊な進化系であったり」
「それはちょっと……僕はいない方が良さそうだ」
「もちろん本命は人形愛好会の集まりです。あの逢阪屋敷に暮らしている人形の管理者ともなれば、すぐに気に入られますわ」
「管理者? 僕がですか?」
「こういうのは言ってしまったもの勝ちですから」深月は笑う。「もっとも、ガードは甘いみたいですけれど」
以前の事件のことを言っているのだろうか。それとも僕の、彼女への甘さか。どちらにせよ、間違いではない。僕は肩を竦め、返事に代えた。反論はあり得ない。
「そう言えば、恋、君は?」
「何?」
「今日はここに残るのかい?」
「私はいつもここにいるわ」哀野は淡々と呟く。「ここで暮らしているの。お姉ちゃんと一緒に」
「さっきの人か。あの人も、哀野?」
「哀野愛。愛情の愛ね」
「姉妹揃って恋愛か。いや、年齢を考えると、愛恋なのかな。僕たちと同じくらいか、少し若く見えたね」
「十歳離れているから、二十二歳」
「ふうん。でも……」
僕は少し気になったが、あえて口にしないことがあった。深月に対する哀野の接し方は、姉に対するそれだ。一人っ子が、親戚の年長者に甘えるような行為。それは僕に対しても発揮されている。しかし、実姉がいるのに、何故そうした行動に出るのか。仕事で忙しい実姉には甘えられず、深月にその代用を求めているのだろうか? なんだか複雑そうだ、と、僕は思考を止める。
「どうなさいますか、立花さん」
「何ですか?」突然の質問に返事を失う。「すみません、思考が暴れていました」
「人形愛好会の集い。参加されますよね?」
「ええ、ええ……まあ、あなたとご一緒出来るなら」半ばやけ気味に言う。「とは言え、僕は人形の知識なんてありませんけど」
「必要なのは、人形の知識より、ここです」
深月は頭を指さす。
「どういう意味です?」
「さっき言ったじゃありませんか。心当たりがある、と」
「何かが起こると?」
「ええ、かもしれません。その時、あなたがまた解決してくれるのではないかしら」
「まさか……僕はそこまで頭は良くないですよ」
「でも、以前は」
「偶然です。まぐれは二度も起きません」
「必然ということもありますわ」
「あの、僕が探偵役を?」
「ねえ立花さん」
深月は立ち上がり、僕の近くまでやってきて、耳元に口を近づけて、耳打ちする。
「実は、事件は既に始まっているんです」
どうしてわざわざ耳打ちなんてするのだろう、と、僕は思った。背筋から、下半身にかけて、淫靡な刺激が迸る。彼女の声は麻薬だ。それも実体がなく、限度がない。すっかり、言葉の意味を忘れてしまうくらいだった。
「――立花さん?」
「ありがとうございました」
「何がですか?」
「何の話ですっけ?」僕は咳払いで過去を帳消しにする。「ああ、思い出しました。しかし……」
「どうしてそんなことが、と思われるかもしれません」
「まったくその通りです。納得いく理由があるとするなら、犯人があなたでなければ」
「そうかもしれませんね」深月は笑う。「でも、人形を盗むつもりはありません。本当に、心当たりがあるだけなんです」
「何の話?」哀野が不機嫌そうに尋ねる。
「恋ちゃんには難しい話かしら」
「また子ども扱い」
「可愛いんですもの」深月は悪気なく言う。「ねえ立花さん、だから、お手伝いしていただけないかしら」
「僕に何を?」
「嘘をついていただきたいんです」
「嘘を?」
「そう。ああ、でも、難しく考えないで。きっと、立花さんはその通りに行動していただければ良いの。結果的に、嘘をつくことになるかもしれないけれど……」
「深月さん、あなたが何を仰っているのか分かりません」
「私の名前を呼ぶことだって、嘘の種類の一つだわ」
偽名についてのことを言っているようだった。確かに彼女の言う通りだ。彼女の名前が偽名であるなら、僕は彼女によって嘘をつかされている。しかしそれは僕の中では真実なのだ。嘘をついている、という表現は、似つかわしくない。
「まあ、いいですよ。あなたに操られるのは、嫌いではありませんから」
「依存してしまうわ」
「歓迎しますよ」
「ねえ、私、いるのだけど」
哀野が不服そうに言った。
「とにかく……分かりました。何かが起こるというのは。ただ、僕はまんまと踊らされるつもりはありません。自分のしたいようにさせていただきますよ」
「結構ですわ。それより、パーティを楽しんでいらして。もう、終わってしまうようですし」
彼女の言う通り。もう終わってしまうなら、余韻に浸る前に、本番を少しは楽しむべきかもしれなかった。僕は空いた食器を持って、立ち上がる。
「少し世間に触れてきます。何か持ってきましょうか?」
「いえ、大丈夫。私もそろそろ、この部屋を出ますから」
「分かりました。落ち合うのは……ホールで?」
「ええ。すぐに分かると思いますわ。参加者のうち、一パーセントほどしか残りませんから」
「どこか行くの、戦」
「ちょっとふらっとね。君も残るんだろう?」
「ええ、ずっと」
「じゃあ、その時にまた会おう」
部屋から出る。まだパーティは続いていた。けれど、どこか盛り上がりに欠ける。佳境、という言葉がよく似合う。
ふと、天井を見上げる。ズバットが犇めいていた。恐怖のようでもあり、彼らがいるなら事件など起こらないのではないかという安堵もあった。そもそも、入場時の検査は入念だった。何かを持ち込むことも、また、何かを持ち出すことも、不可能なのではないだろうか。そう思わずには居られない。
手頃なテーブルに食器を置いて、椅子に座る。数秒後には、『鴉』が食器を回収していった。彼らにはどのくらいの報酬が出ているのだろう。と、他愛もないことを思いつく。
ポケットから出したボールを転がり、ジュペッタを繰り出す。ジュペッタはじっとして、僕の革靴の上に腰掛けた。頭を上げ、僕に視線を向ける。退屈の眼差しだ。
「やあ、さっきの紳士さん」
声がした。僕を呼んでいるのは明らかだ。顔を上げると、さっき、部屋で会った男がテーブルに手をついていた。
「どうも、子爵さん」
「やあどうも。お姫様は?」
「彼女と一緒です」
「ああ、なるほど。振られたのかな」
「まあ、そんなところですね」適当に言葉を濁す。「失礼、お名前をお伺いしても?」
「私は銀色という者だよ。隣、いいかね」
「ええ」
「名前は黄金と言ってね。まあ、どっちつかずな名前だ。君は?」
「立花と言います」あえて名前は名乗らなかった。「あなたは、人形愛好会の方ではない。違いますか?」
「いや、その通り。よく分かったね」
「その辺の方は、僕の仮面を見ると、すぐに反応したものですから」
「ほう。とすると、それは高価なものなのかね」
「らしいです。僕には値段はさっぱりですが」
「なるほどねえ。ということは君も? いやね、私はもう一つの集まりの人間なんだよ」
「ああ……希少価値の高い生き物を?」
「そう。見たまえ」
彼はスーツの内ポケットからボールを取り出し、床に放る。小さな蝋燭が現れた。生きているらしい。見たことのない生命体だ。
「これは?」
「この地方では珍しいだろう。ヒトモシという、いわゆるゴーストだ」
「ゴースト……」どうにも僕は霊体に縁があるようだ。「この地域では珍しい、と?」「いやいやそれだけじゃない。炎の色が違うんだ。色違い、というやつでね。非常に希少価値の高いものだ」
「へえ、そんなものが……つまり、そういうものを見せ合って、情報交換……悪く言えば、自慢し合う、というところですか?」
「いや、君の言い方は、決して悪い言い方ではない」
「もっと悪い言い方があるんですか?」
「ああ。格段にね」
子爵は周囲を憚るようにして、僕に近づく。深月にされたのとは全く違う要素が背中を抜ける。
「こいつらを、売り買いするんだよ」子爵は僕の耳元で囁いた。「それがこの仮面舞踏会のメインイベントさ。私のこのヒトモシに、莫大な金を積む輩もいる。表向きは『交換』という形を取るがね。それ以外に、金がたんまりと積まれる」
「売り買い……ですか」
「もちろん、非合法だ。しかしこの屋敷には、政府の目は届かん。我々は、ペット、パートナーと、金銭の持ち込みを許可されている。そして絶対になくてはならないものが、この仮面だ」
「つまり、素性を知らせないために……?」
「その通り。名乗ってすぐだが、銀色黄金なんて、もちろん偽名さ」子爵は小声のまま、続ける。「君のその仮面も、売りに来たんじゃないのかい?」
「いや、僕は……」
「まあいい、詮索はしないよ。表向きは煌びやかなパーティだがね、裏ではそんなやりとりが行われている。ここは、光と闇の終着点さ」
「あの、なんで僕にそんな話を……?」
「ん? いやあ、とくに意味はないよ。ただ、姫に気に入られているようだったからね。興味があっただけさ。それに、なんの説明もされていないんだろう? 気をつけないと、そのジュペッタも危ないと思ってね。仮面もそうさ」
「ジュペッタが? どうしてですか?」
「んん? いや、この辺じゃあまり見かけない生き物だからね。老婆心ってやつだ。いくら警備が厳重とは言え、この世には例外なんていくらでもある。気をつけなさいよ」
子爵はそう言って、席を立つ。
「また会うだろう。出来れば、偽名を一つ、考えておくと良い。立花なんて、本名じゃないのかい? 出来るだけ、素性は明かさない方が良い」
「匿名の、スムーズな売買のために、ですか?」
「いや、目をつけられると、パーティのあと、狙われるからね。過去に、高価な人形を購入した参加者の一人が、後日盗難にあってね。その人形は、未だに見つかっていないそうだよ」
怖ろしいことを言って、子爵は人混みに消える。
気になって、周囲を見渡してみた。彼の言う通り、参加者の視線が、まるで値踏みをしているように見えて来る。怖ろしいところに紛れ込んだらしいことに気付いた僕は、ようやく自嘲気味に笑うことが出来た。