一章――Party
 驚いた、という表現では些か陳腐で、また真意を突いてはいない。僕は勧められるままにソファに腰を下ろし、呆然と、彼女を見ていた。もちろん、数ヶ月前、リーチェと名乗った女性をだ。彼女は以前より露出の多いドレスを着ていた。しかし、色合いは以前のものとあまり変わらない。白、黒、赤、と言った分かりやすい色が好みなのかもしれない。彼女の仮面は、薄い蒼色をしていた。高貴な色合いで、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
「何か飲み物を?」
「いえ、その……ああ、どうなってるのか」正直な気持ちを口にする。「まさかこんなに簡単にあなたに逢えるとは、正直、考えてもいませんでした」
「ということは、お探しになっていたの?」
「他に僕がここに来る目的が?」
「あら」リーチェはゆっくりと笑う。「相変わらずなのね」
「二人、知り合いなの」
 哀野は複雑そうな声色をしている。無論顔色は覗えないままだ。
「ええ、恋ちゃん。この方には、以前お世話になったことがあるの」
「ふうん。つまんない」
「あら、どうして?」
「わかんない」
 僕も相当に分からないことがあった。けれど、それを尋ねるには、哀野の存在は少し問題がある。実情は知らないが、幼い子だろう。犯罪の話をするべきではない。
「ところで立花さん、私、お聞きしたいことが……」
「それは構いませんが、その前に一つ。なんとお呼びすれば?」
「あら」リーチェは唇の前で指を立てる。「そうでしたわね、感謝致しますわ」
「何に?」
「恋ちゃんは知らなくてもいいことなのよ」
「つまらないわ」
「大抵の方は、私のことを深月とお呼びになります」
「フランクに?」
「いいえ、深月は姓なの。名前は弥生」
「深月って、苗字だったの? 私、初耳だわ」
 哀野が言う。初耳なのは僕もだった。
「そうね、どちらとも取れる名前だから。恋ちゃんは、苗字しか知らなかったかしら。普段、お姉様、と呼んでくれるものね」
「うん。みんな、深月さんって呼んでたし」
「なるほど。では、今日はそのお名前で呼ばせていただきますよ、弥生さん」
「何かしら、戦さん」
 挑戦的な返答だった。
「……あなたがそうお呼びになりたいなら」
「いいえ、ごめんなさい、この呼び方は、特別な時にとっておくべきですわね」彼女は妖艶に笑う。「立花さんこそ、お好きにお呼びになって」
「今日はあなたにお話があって来たんですよ、深月さん」
「桐島さんが機嫌を損ねるわね」リーチェ――いや、深月は――ソファから立ち上がり、窓の外へ視線を向ける。「中庭でも何か催しをしているみたい。大規模なのね」
「深月さんはどうしてここに?」
「招待されたの、桐島さんに」
「愛好会繋がりですか」
「ええ。お世話になっているわ」
「ただそれだけ?」
「理由というものは、いつも複雑だわ。そしてとても曖昧。それとも、もしそういう@摎Rがあったとして、立花さんは私を止めにいらっしゃったの?」
「いや……僕は」
 僕は、一体何がしたかったのか。
 こうして、実際に目の前に彼女を見据えると、色々とあった複雑な感情が揺らいでしまう。目的、彼女にこそ会うことで、それ以外のことではないということが。否、もちろん何かしらの理由はあったはずだ。そう、深月の言う通り、理由というものはいつも複雑で曖昧だ。けれど真意というものは常に存在している。
「……一つ、聞きたいことが」
「何かしら」
「話しても?」僕は哀野に目を向ける。
「構わないわ。この屋敷の中で、内緒話なんて出来ないに等しいもの。ねえ、恋ちゃん」
「室内とか、耳打ちだったら分からない」哀野は憮然と答える。「でも、つまらなそうだから、外に行こうかな」実に不満そうだった。少し不憫でもある。
「ごめんなさいね、恋ちゃん」
「別に」
「ねえ、あなたにお願いがあるの。何か軽いものを運ばせてくれない? 飲み物と、食べ物を。実はまだ何も口にしていなくて」
「私も一緒に食べていい?」
「ええ、それまで少しだけ我慢していてね」
「わかった。またあとでね、立花」
「ああ……またあとで」
「名前」
「分かったよ、恋」
 哀野は唐突に僕を呼び捨てにして、部屋から出て行ってしまう。妙な少女に懐かれたものだ。前にいる深月も、口元に手を添えて、笑っていた。
「お話を……何かおかしいですか?」
「懐かれてしまったのね」
「そう見えますか?」
「そう。恋ちゃんは、お話の面白い方が好きみたいだから」
「妙な趣味ですね」
「私に似たのかしら」
「話をしても?」
「ええ」
「差し上げた人形について、お尋ねしたいことがあるんですよ」
「リーチェのこと?」
「名前をあげたんですか?」
「いつもそうしているわ」
「このジュペッタにも?」足下でじっと動かずにいたジュペッタを抱き上げ、膝に乗せる。「それを一番聞きたかったんです。このジュペッタも、どこかの、誰かの人形なのでは?」
「ええ、そうですわ。でも、ごめんなさい、名前を教えるつもりはないの」
「置き去りにするなんて」
「ひどいと思われるのは承知ですわ。でも、本心では、この子を自由にしたかったの」のらりくらりと、僕の言葉を躱していく。「私と一緒にいても未来はない。そうは思いませんこと?」
「使い捨てのようだ」
「そう思われてしまうのも仕方のないことだとは思います。でも、あの屋敷に残すことが、その子にとって一番賢い選択だと思ったの」
「どうしてですか?」
「本当は、そのジュペッタ、とっくに除霊をされていると思っていたのだけれど……」深月は悲しむような笑顔を、ジュペッタに向ける。「それ、逢阪了のお人形なの」
「…………え? これが?」
「ええ」
「つまり、過去に買い手のあったものですか? いや、でもそれなら、霊魂が宿るなんて考えにくい。逢阪了の人形の中で依り代となるものは、全て回収したと……」
「何事にも例外はありますわ、立花さん。百年の歴史の中で、逢阪了シリーズとして名付けられなかったものは、数多く」
「……深月さんが仰るならそうなのかもしれません。僕は、あまり、先祖について詳しくありませんからね。でも、これがそうだというのは……」
「逢阪了の作品のうちリスト――これは愛好家の間で便宜的に作られたリストの話ですが――に載っていない作品には、大きく分けて三種類の理由があります。まず一つ、晩年の逢阪了が、『逢阪了』という呪縛から逃れるため、名を変えて作り、世間に発表した作品」
「偽名ですか」
「そう。期待から目を背けるためであるとか、作品そのものを評価されたいという欲求があったと考えられているようです。その次に、彼が駆け出しだった頃、仕事ではなく、習作として作った作品。立花さんがお顔につけているそれも、その一つですわよね」
「やはり分かりますか」流石だと思った。
「以前、逢阪屋敷で拝見したことがあります。『欠けた天狗』という作品。それは――」
「若かりし頃、材料不足に悩まされていた時の作品……なのですよね。桐島さんに聞きました」
「ええ。現代においても異彩を放つ作品。とてもお似合いですわ、立花さん」彼女の口元が歪む。「そして最後に、彼が私的な目的で作ったとされる人形です」
「私的な目的?」
「立花さんがお抱えになっていらっしゃるジュペッタですが……元は、逢阪了の娘のために作った人形とされています」
「娘……確か、逢阪鈴、ですか」
「流石にご存じなのですね。そう、逢阪了とその細君、逢阪静の間に生まれた子ども。とても若くして亡くなったと聞き及んでいます」
「らしいですね。五歳か、六歳か……その彼女の人形だと?」
「そうです。もっとも、今現在では、正確には百パーセント逢阪了の作とは言えません。何らかの事情で壊れていた人形を、誰かがあとから修復したものであるようです。それが、そのジュペッタ」
 僕は、手の中にいるジュペッタをまじまじと観察する。
 当然、ジュペッタとなっている現時点では、その素材であるとか、造りは判然としない。むしろ、そんな高価な(売り物に出来るはずもないが)人形の背を割き、マニューラを身代わりにするなどという芸当をやってのけた彼女に驚いていた。
 人形愛好家にも、色々いるのか。
「そういう経緯があって、あのお屋敷に残して行こうと思ったの。勝手であることは承知の上ですけれど、それが最善かと思って」
「まあ……いいですよ。ええ、正直言って、僕は、怒りとか、憎しみとか、そういう感情だけで動いてるわけじゃない」
「少しはある、ということかしら」
「あなたが言ったんですよ」
「そうでした」彼女は抱き締めたくなるような笑顔をする。「理由は複雑で、曖昧」
「僕は……そう、以前話したと思いますが、動物から拒絶される体質だ。けれど、ジュペッタはそうじゃない。それだけで、僕は、感謝すらしている。こうやって、パートナーを得るということは永遠になかったかもしれない。それは、個別に感謝しています」
 僕は頭を下げる。ジュペッタは、僕の頭を回避するように、姿勢を低くした。
「……おやめになって。罪悪感が芽生えてしまうから」
「それでも気持ちは本当です。でも……」
「でも?」
「そういうことは、今後一切して欲しくない」
「人形を盗むこと?」
「そうです」
「どうしようかしら」
 彼女は仮面を外す。
 蒼色の、猫の仮面。
 脚の低いテーブルに置かれる。音はしない。彼女の顔が露わになる。ああ、美しい。そう、彼女に会いたい、という純粋な願いも、僕が彼女に会いに来た理由の一つ。残酷な性格に憤るようで、美貌の虜になっているようで。いよいよ、僕にも僕が分からない。
「何故仮面を?」
「それを拝見しても良いかしら」
「天狗ですか」
「そう」
「まあ……」仮面を外し、彼女に差し出す。「この距離では盗めませんからね」
「うふ。やっと立花さんのお顔が見られたわ」
「何の変哲もない顔ですよ」
「私には素敵に見えるの」
 どこまで本気なのか。彼女は天狗の仮面を手に取って、顔にはつけずに、ゆっくりと触れる。
「……とても軽いわ」
「らしいですね。僕も、その猫の仮面を拝見しても?」
「もちろん構いませんけれど……気をつけてくださいね」彼女は仮面から顔を上げずに言う。「壊れやすいし、高価なものですから」
「やめておきます」僕は両手を軽く上げる。「君子危うきに近寄らずですね」
「賢明な判断ですわ」深月は興味深そうに仮面を観察する。「……正直なことを言うと、人形以外には造詣が深くないの。けれど、この仮面からも、確かに逢阪了という職人を感じるわ。塗られているのは漆かしら。百年以上経っても、生きているよう……ほら、ご覧になって、指紋が残るわ」
「指紋って、普通は残るものでは?」
「この仮面の場合、指紋をつけても、しばらくすると消えるの。つまり、皮脂ではなくて、上塗りの液自体が凹凸を作っている……例えばゼリーのような」
「なるほど。小さい頃、まだ僕の体質がここまで強くなかった頃、ニョロモで遊んだりしたことがありますが、皮膚に指紋がついた気もする。ああいうものですかね」
「それに、例えばメタモンとか」
「ああ、そんなのもいましたっけ。確かに、あっちの方がゼリー的だ」
「お返ししますね」僕は深月から仮面を受け取る。「本当のことをお話しても、私では信じるには値しないとは思います。けれど、今回は本当に、何かを盗るつもりはないの」
「誰かに誓えますか?」
「あなたに」
「光栄ですが――信じがたいな」
「うふふ。でも、信じて頂いて構いません。それに、以前頂いたお人形は、まだそのままなの。何も必要としていない。ただ、パーティを楽しみに来ただけです」
「それだけの理由ですか?」
「もちろん、あなたに逢えるかもしれないという予感も」
「僕をあまりからかわないでください」
「でも、もし盗難騒ぎがあったとしても――」深月は仮面を片手で持ち、顔の前に翳す。その仕草は、とてもミステリアスだ。「どうか、驚かないでくださいね?」
「どういう意味ですか?」
「そうした事件が起こる、心当たりがあるの」
「あなたが犯人ではないのに?」
「もしかしたら、それはあなたかも」
 彼女のその意味深な言葉の意味を、僕はどれだけ想像出来ていたのか。彼女のいつものジョークか、それとも嘘のパターンなのか。
 けれど、確かに事件は起きたのだ。
 仮面屋敷。
 その、宴の後で。
 僕は再び、不可解な謎に狩り出される。あるいは、その謎を呼んだ張本人として。
 役者だらけの屋敷の中で、それは起きた。

戯村影木 ( 2012/11/29(木) 21:50 )