一章――Party
「ちょっといいかしら」
 リーチェを探索中、僕は一人の女性に呼び止められた。女性だと判断したのは、小柄な体と、甲高い声のせいだった。それに口調もあるだろう。少なくとも、外見上は、少年のようにも見える。ショートカットで、背が低く、良く言えばスレンダーな体型だった。恐らく僕を呼んでいるのだろうと思い、「こんばんは」と、当たり障りのない返事をした。
「それ」
「はい?」
「その仮面」
「ええ」
「天狗だわ」彼女は言う。「欠けた天狗」
「知ってるの?」
「知らない人がいるのかしら」
 彼女も、逢阪了について何らかの造詣が深いらしい。あるいは人形愛好家の一人なのか。彼女はピエロのような仮面をしていた。瞳の下に、雫の模様がある。
「それはどうも」
「あなた、どういう人?」
「詮索は野暮だと」
「知らない」彼女は不服そうに言う。「ルールに従う気はないの」
「それはそれは……」
 会話の最中に、どうやら彼女は他人の意向を無視するタイプの人間であるらしいことが分かる。僕はどういうわけかこういう女性に縁がある。巴だって、下手に出ているようで、その実は自分の意志を押し通すタイプの人間だ。
「ねえ、答えてくれないの?」
「当ててみるのも一興かもしれない」
「面白くない」大変腹立たしい女性だ。「そういうの、子ども相手にすれば?」
「……失礼、レディでしたか。仮面で見分けが付きませんでした」
「むっ」
 腹に一発。軽いパンチを頂く。小さい頃の巴のブロウに比べてば綿のようだが、食事中の胃には結構響いた。
「失礼だわ」
「失礼致しました……」
「そう、つまり、あなたが言いたいのはこういうことでしょう、天狗さん。名を尋ねる前にまず名乗れ、って」
「似たようなことを言う予定だった」
「哀野恋だわ」
「色恋沙汰が好きそうな名前だ」
「あい、は、恋愛のあいじゃなくて、悲哀のあい。哀しい恋の名前よ」
「ああ、その自己紹介は素晴らしいな」
「あなたは?」
「立花戦。何の面白みもない名前だよ」
「ふうん。いくさ?」
「戦いの、戦」
「野性的ね」哀野は初めて笑ったような声を出す。「ほら、これでもうお友達だわ」
「詮索も合法だと?」
「そうね。ルールに従うつもりはなかったんだけど……」彼女は近くのテーブルに腰掛けた。「座りましょう?」
「いや、僕は……」
「人捜し?」
 彼女は素早く言う。
「……どうして?」
「態度や動きで分かるわ。それに、独り言も漏らしていたし。誰か探しているんでしょう? 力になれるかも」
「どうだろう。こんなに人が大勢いては」
「人形愛好会の人じゃなくて?」
 僕は無言で、彼女の隣に座る。ジュペッタは、さらに隣のテーブルに置いた。座らせる、という表現よりは、置く、という表現が似合う無機物っぷりだ。
「何故それが?」
「ただの想像。あなたは『欠けた天狗』をつけていて、私が聞いたことのない声をしていて、桐島さんと話してたから」
「近くにいたの?」
「ううん、聞いていたの。ほら」
 哀野は、背もたれに後頭部を乗せるようにして、天井を見上げた。僕もそれに釣られ、視線を上部に向ける。
 ――怖ろしい光景が広がっていた。
「蝙蝠……」
 天井の四隅、あるいは線上、またはシャンデリアの付近――天井の至るところに、黒ずくめの生き物が並んでいる。ぶら下がり、監視するように、下界を見下ろしている。
「ズバットよ」彼女は種族名称を口にする。「気付かなかった? ううん、普通、気付かないわよね。こんな高いところにいる生き物に」
「あれは一体……」
「監視役なの」天井を指さしながら、哀野は視線を僕に戻した。「そして私は、その主。全部の、主」
「君……この屋敷の人間なの?」
「そうよ。だから言ったでしょう、あなたは聞いたことのない声をしている。普通なら分かるもの、一度聞いた人の声は」
「それは――それは。つまり、一体? あのズバットと、僕が桐島さんといたことがどう……」
「にぶちんなのね。私はあのズバットたちを通じて、この屋敷のあらゆる音を『監視』しているの。そこら中のお喋りの声が、今、私の耳に届いているわ。だから、ね、人捜しを手伝えるかもしれない――って」
「なるほど。本当だとしたら怖ろしいことだ」
「本当だわ」彼女は不服そうに言う。
「でも、だとしたら、僕は探し人の名前を口にしているはずだけどな」
「弥生さん、でしょう?」怪しいが、哀野はその名を言い当てる。「そうね、でも、私はその名前を聞いたことはない。桐島さんは知っていたようだったけれど」
「君は……」
「名前で呼んでくれないかしら?」またも不服そうに、哀野は言う。「恋と呼んでくれていいの」
「そう、じゃあ……恋ちゃん」
「ばかにしているの?」
「年の差を考慮したんだよ」
「十二歳。もう立派なレディだわ」
「ああ……それは失礼。けれど一回りも歳が離れている。敬称をつけるのは、逆に失礼かと思ってね」
「呼び捨てで構わないわ。れ、ん、ってね。さあどうぞ」
 意外な申し出だったが、彼女がリーチェに近づくために必要な人材であることは確かだ。幸い、あちら側から近づいて来てくれている。機嫌を損ねるのは得策ではないか。
「恋」
「なにかしら」
「弥生、という名前を知らないと言っていたけど……君はその、人形愛好会の人間じゃないの?」
「答えは曖昧なの。私はそのメンバーだけど、その会合に出たことはないの。会議はあるんだけどね」
「それは曖昧だ。幽霊会員か」
「そんなところかしら」
「しかし、桐島さんは言っていたよ、弥生さんはいるってね。もっとも、偽名かもしれないし、桐島さんが違う人と勘違いしている可能性もある、か」
「偽名の線が濃厚かしら。それか私が忘れてしまっているか。私、人を声で判断するから。顔と名前を結びつけるということがないの」
「なるほどね。でも、それじゃあ恋に人捜しをお願いするのは難しいかもしれないな」
「どうして?」
「会合に出たことがないんだろう? じゃあ、知り合いじゃないんだろう。まあ、こんなに大勢いたとしても、パーティの間には見つけられるよ。なんとか、自力で探してみるさ」
 僕は席を立つ。哀野も釣られるようにして、席を立った。
「待って、人形愛好会のいる部屋へ連れて行ってあげるわ」
「ん?」なんだか不思議だった。僕は彼女にそれだけのことをされる謂われはない。「ありがたいけど、無償の施しは気が進まないな。何か狙いがあるの?」
「いいえ、別に」
「尚更手を借りにくい。それに、どうして人形愛好会のいる部屋なんてものを知ってるの?」
「メンバーだし、『音』で分かるわ。個室の中までは無理だけど、どの辺で、どういうグループが話をしているかは分かるの。連れて行ってあげる」
「もし本当に善意で連れて行ってくれるのだとしても、気が進まない。無償の善意ってのは、子ども時代にしか通用しないんだ。嘘でも良いから理由が聞きたいね」
「なんの?」
「僕を助けてくれる理由だよ」
「あなた、かっこいいもの」
「ああ……それは、仮面をしている時に言われても、あまり嬉しくはないな」
「顔は分からないけど、声が素敵だわ。それに、言葉遣いも」
「こっちの理由は光栄だね」
「私はね、『音』が主体なの。だから必然的に、『言葉』も要素の一つになるわ。それで、あなたのこと、少し気に入ったの。どうせパーティも監視役で退屈しているところだし、連れて行ってあげる。そこで聞いてみましょう、弥生さんのことを」
「……」
 正直言って、彼女の突飛な申し出や、あまりにこちらにとって都合の良すぎる展開に、嫌疑をかけていた。けれど、まさかその連中に捕まってこの仮面を盗まれるということもないだろうし、こんな大規模なドッキリもないだろう。ここは素直に、彼女の言うことを信じても良いのかもしれない。
「それじゃあ、お願いしようかな」
「いいわ。はい」
 彼女は手を上げた。
 僕の方に向かって、突き出すように。
「何、これは」
「エスコートして。パーティだもの」
「ああ、なるほど……」エスコート。エスコートね。この年の差では、ただの誘導にしか思えないが。「分かりましたよ、お嬢さん」
「子ども扱いしないで」
「まさか。丁重に扱っているつもりだよ」
 彼女の手を取る。瞬間、ちょっと行きすぎの反応が返ってくる。まるで、初めて生き物にさわる子どものような、筋肉の収縮。びくんと跳ねた手は、しかしすぐに落ち着いて、僕の手をそっと握り返す。なんだかんだで、子どもなのだろうか。
「行きましょう。私が誘導するから」
「お手柔らかに」
「……!」
「うわ、なんだ」
 僕が歩き出すと、何かを訴えるように、ジュペッタが僕の足にしがみついてきた。何を訴えているのか三秒考えて、自分とは手を繋がないのか、という訴えだと思い当たる。
「ぎゅ」
「悪いジュペッタ、レディファーストだ」
「ぎゅる」
「両サイドにそのサイズじゃあ、どうにもバランスが悪いだろう?」
「なにか言ったかしら?」
「ああいや、こっちの話でね」
「ぎゅる……」
「……あとで何か楽しいことをしてあげるよ。今は我慢して、ついてきて」
「!」
 ジュペッタはそんな透度の高い約束で満足したのか、嬉しそうに僕の後ろをついてくる。主体性がないわけではないのだ。ただ、このジュペッタ、人見知りが極まっているようで、僕と会話をする以外では、生物らしい一面を見せようとしない。
「なあ恋、こう言うのはなんだが、もう少し前を見て歩いた方が良い。みんなが避けて通ってる」
「いいのよ。みんな私を知っているから」
「顔が広いの?」
「屋敷に来たことがある人はみんな知ってるわ」
 仮面をつけているのに知れているということは、この態度とサイズのせいかな、と一人合点する。無論、そんな失礼なことは決して口にはしないが。
「二階に部屋があるの。出入り自由だわ」哀野は不安定な足取りで、二階へと向かう。「ところで、その弥生さんという方に、どんな用なのかしら」
「野暮用だよ」
「詮索するわ」
「ちょっとした運命で結ばれていてね。糸が解れる前に結び直すか、あるいは断ち切ってしまうか……そういう感じ」
「ああ、そういう感じね。私にも覚えがあるわ、大人だから」
「恋、君ってジョークが上手いね」
「私、怒りやすいのだけど」
「それは失礼」
 話しているうちに、どうにも僕は奇妙な既視感に苛まれていた。いや、あるいは既聴感とでも言うべきか……それともこうしたパーティに慣れた人間は、全部が全部そうなのか。
 哀野の語り口調は、
 リーチェのそれに似ている。
 もっとも、発言の中身は似ても似つかないが、口調自体は、とても似ている。
「ここに、私がよく知っている人がいるみたい」二階の、部屋が連なった廊下で、哀野は立ち止まる。「ノックして」
「僕が?」
「ええ」
 渋々了解し、一つのドアをノックする。すぐにドアノブが捻られる。
「ハァイ、こんばんは」
「あ、どうも……こんばんは」
「こんばんは、子爵」
「や、蝙蝠姫じゃないか。ご機嫌麗しゅう」
「あなたのせいで散々だわ」
「これはこれはご挨拶……やあどうも、あなたはレディのエスコートですかな?」
 子爵と呼ばれた男性は、悪魔的なデザインの仮面を付けていた。歳はそれなり。少なくとも三十、もしかすると四十近いかもしれない。僕の仮面に反応を返さないということは、少なくとも危険はなさそうだと判断した。
「ええ、連れ回されていまして」
「ははは、そいつはお気の毒。彼女のお気に入りにされると、屋敷を出るまでまとわりつかれる。まさに洞窟においての蝙蝠のようだ。そして、一度それを味わうと、屋敷に来るのが怖くなるのでね」
「じゃあ、あなたはもう帰ったら?」
「いやいや、姫にはどうも悪態をつきたくなってしまう。年甲斐もなく、気になる女性にはいじわるな性分でね。いやしかし、ここは彼女の言う通り、退散するとしようかな。少し、下界の連中とも話さなければ」子爵は僕の横を通り過ぎ、部屋を抜ける。「それにどうせ、君のお目当ては彼女だろう、姫」
「そう。あなたはお呼びじゃないの」
「だろうね。それじゃあ……朱い面の君、姫のエスコートをよろしく。機嫌を損ねないようにね」
「はあ……」
 肩を軽く叩かれ、子爵は廊下を消えて行く。どうにも自信に満ちた人種が多いようだ。僕がポカンとしながら子爵を見送っていると、握っている手がぐいと引かれた。
「お姉様、お久しぶりです」
 哀野が言った。それは、室内にいる人物に向けられた言葉のはずだった。僕は引かれるままに部屋に入る。そして、中にいる女性を見つけた。
 猫を模したような、僕がしているのと同じように、顔半分だけを覆う仮面だった。ヒゲもなければ耳もついていないのに、どうして猫だと思うのか。それは記号的な解釈に過ぎないのだろう。瞳と、鼻先。それだけで、仮面は猫を彷彿とさせる。部屋の中にいた女性は、とても美しいスタイルで、とても美しい姿勢で、腰掛けていた。
「あら恋ちゃん、それに」
 女性は僕に視線を向ける。そして、口元を楽しそうに歪ませた。
「お久しぶりですわ、立花さん」

戯村影木 ( 2012/11/22(木) 21:59 )