一章――Party
 遠出は久しぶりだった。何年前に着たのかも覚えていないようなスーツに身を包み、コートを着て、電車から降りた。もう周囲は暗くなりつつある。とても良い季候だった。秋も深まって、もう冬に近い時期であるのに、凍えるほどは寒くない。僕はコートのポケットの中に、ボールを忍ばせていた。ジュペッタのねぐらだ。流石に、電車に乗る時は、出しっぱなしには出来まい。僕もようやく、飼い主としての自覚が出て来た頃だった。
 パーティの会場である『仮面屋敷』までの道のりに不安はあったが、黒塗りの車であったり、正装をして歩く人々が周囲に多かったため、道には迷わずに済みそうだった。一つ気がついたのは、周囲を歩く人物が、軒並み仮面を付けて顔を隠していたことだ。もう、ここからパーティは始まっているらしい。街路樹に身を隠し、僕も仮面を付ける。人形師、逢阪了が作ったと言われる仮面。中でも一番無難な、木彫りのものを選んだ。朱色に塗られた、額から鼻先までを隠す仮面だ。全体を見ると天狗面に近いが、鼻の形状は少し高いだけで、異常というほどではない。鼻の高い外国人、というレベルだろうか。和のテイストは極限まで抑えられているため、スーツによく似合う。他のものは、狐面だったり、鬼面だったりで、スーツには似合いそうにはなかった。何より、パーティというからには食事も出るだろう。いちいち着脱しないで済みそうなこの仮面は、大変実用的に思えた。
 仮面の群れに身を潜め、一人会場へと向かった。こんなに大勢の人々と同じ空間にいるのは、久しぶりのことだ。以前、客人を三人招いた『スケープゴート事件』ですら、賑やかだと思ったほどだ。今回、僕は客人の一人で、その他大勢の中の一パーツだとは言え、それでも何名かの人間とはすれ違うのだろう。それを思うと、今から少々、緊張してしまっていた。
「ようこそお越し下さいました」
 屋敷には待機列などというものはなかった。皆がスムーズに入場している。まるで一流ホテルのよう。もはや、会場の規模は『屋敷』というよりは『城』に近かった。石造りの建物。収容人数がどれほどになるのか、想像もつかない。少なくとも、同じ仮面に同じ正装を施した、屋敷の者と思われる黒子役が、エントランスだけで十人はいた。僕はそのうちの一人に声を掛けられ、歩み寄る。
「どうも」
「お名前を頂戴しても?」
「立花戦と申します」
「立花様――逢阪巴様のお連れの方ですね。ようこそお越し下さいました」
「ああ、それで、逢阪は……」
「お伺いしております」
 黒子は、鴉をモチーフにしたような仮面だった。鼻先が尖っていて、嘴のようだ。黒と白の印象が強い。
「規則ですので、持ち物検査をさせていただきます」
「ああ……どこまですればいい?」
「お荷物は?」
「特には。ああ、ボールが一つ」ポケットからボールを取り出す。「あと、財布」
「他にはお持ちではありませんか?」
「どうぞ」
 僕はコートを脱ぎ、両手を上げて、触確を許す。慣れた手つきで僕の体を検査した『鴉』は、「どうぞお楽しみください」と、礼儀正しい声で言った。どうやら許可が下りたようだ。脱いだコートは、そのまま『鴉』に回収された。財布とボールをポケットに入れ直し、ホールへと向かった。
『逢阪屋敷』の五倍はありそうな建物だ。いや、僕の認識していない空間を考えれば、十倍でもおかしくはないのかもしれない。田舎者にとっては有名ではないが、おそらく、この地方では知らぬ人はいないほどの有力者なのだろう。桐島究。どんな人物かは見当が付かないが、少なくとも、これだけの人数が集まっているところを見ると、よほどの人格者か、実力者であるようだ。
 既にパーティは始まっていた。開会の挨拶がなされていないだけだろう。細いグラスを持った給仕が、機械的に人の間を縫っている。勧められるがままにグラスを受け取り、例を述べる。月を溶かしたような色のシャンパンは、未知の味がした。
「さて……想像以上だな」
 人混みを眺め、思わずそんな言葉を漏らした。ざっと目算しても、参加者は百はくだらない。そこら中に部屋の戸も見える。こんなところで、リーチェを見つけるのは至難の業だ。加えて、全員が仮面を被っている。僕が仮面を外せば、あるいは向こうは気付くかもしれない。しかし、このパーティ、制約はほとんど一切存在しないが、ただ二点――入場、退場の際の身体検査と、滞在中、素顔を晒すレベルでの仮面の着脱が許可されていない。例外的に、気分が優れない場合であるとか、個室での着脱は許されているようだが、少なくともこの大ホールでは、僕はこの仮面を取ることは許されない。
 果たして――
 僕はどれほど、彼女を記憶しているのか。
「長らくお待たせ致しました」
 肉声だった。スピーカーやメガホンのような道具は持っていない。ホールの奥、左右に展開する扇状の階段の下で、一人の男が声を上げた。白いスーツに、白い、短いマント。頭髪は白髪と黒髪が、上品なバランスで同在していた。スタイルがとても良い。彼のしている仮面は――白く、僕と同じように、鼻から下がない。オペラ座の怪人を彷彿とさせるデザインだった。
「皆様、ようこそお越し下さいました。今宵は『仮面舞踏会』と題しまして、皆様に、心ゆくまで悦楽の随を極めて頂きたく、パーティを企画致しました。気心が知れた仲であれば、あるいは本日のパーティを機に知り合った仲であれば結構でございますが、根底は、匿名での催しとなってございます。初対面の方――特に、参加者の半数を占める麗しき女性の方々には、野暮な詮索はなさらぬよう、ご注意願います」
 小さな笑いが漏れる。確かに年齢は高そうだ。この発言を、二十やそこらの若造が言ったところで、年長者の不満を買うだけだろう。場慣れしているらしい。
「開会の挨拶を務めますのは、『仮面屋敷』と呼ばれて久しい当屋敷の主、桐島究でございます。おっと……失礼致しました。自己紹介をしてしまっては、匿名という本日の趣旨にそぐわぬところです。今の失言は聞き流して頂ければ幸いです」
 この発言には、僕も少し笑ってしまった。周囲の参加者は、大きく笑っている者もいる。パーティというものは、想像以上に楽しめるものらしい、と、僕は思っていた。
「長い挨拶はパーティの質を落とすとされております。ですので、その一点だけをお守り頂ければ、あとは心ゆくまで楽しんで頂くことが、私への何よりものお礼と思って頂ければと思います。それではただいまより、『仮面舞踏会』を開催致します!」
 大きな拍手が起きた。グラスの中身が溢れぬ程度に、僕も、音が鳴らない程度の拍手を送る。ホールの隅、支柱を背にしている。とてもやる気のない参加者に見えることだろう。それは決して間違いではない。
 開催宣言が終わると、参加者のうち二割が、桐島の元へと向かった。同時に、弦楽団による演奏が始まる。いくつかの丸テーブルが配置された群と、楽団の位置する、舞踏用のスペースに別れていた。僕は飲食用のスペースで、さて、今後をどう発展させていくかについて、思案を巡らす。
 このパーティの規制は緩いらしい。事実、今、僕の目の前を、ガーディを連れた老紳士が通り過ぎた。数は少ないが、ペットを連れ歩いていたり、肩に留まらせている参加者も少なくはない。そこで、ふと気付く。あるいはそれこそが、目印になるかもしれない。僕はポケットからボールを取り出し、そっと、ジュペッタを放出した。
「ぎゅるる」
「退屈だっただろう。悪かった」
 空になったグラスをテーブルに置き、ジュペッタと手を繋いで、パーティの渦の中へと繰り出す。あてのない散歩だった。リーチェがいるのかどうかを確かめる術はない。ただ、いるにせよいないにせよ、こちらからアプローチする手段がないのであれば、パーティを楽しむ他ないだろう。
 歩いている途中、僕を見る視線がいくつかあった。じろじろ、というほどではないが、ちょっとした驚きと興奮を混ぜ合わせたような視線だ。それが、ジュペッタと僕、どちらに向けられていたかは分からない。あるいは、仮面に向けられていたのかもしれない。ふと、巴の言葉を思い出す。「気をつけてね」と、仮面を借りる際、彼女は言っていた。桐島が『人形愛好会』の会長だというのなら、そうした人種も、僕が思っている以上に集っているのかもしれない。中には、この仮面を、文献や、インターネットを通じて見た者もいるかもしれない。何かを問われたら、レプリカと答えるのが良さそうだ。
「ジュペッタ、飼い主さんの匂いは分かるかい?」
 もちろん返事はない。言葉の意味さえ分かっていないのだから当然だ。立食形式のパーティだったので、歩きながら、目に留まったものをつまみ歩く。どれを食べても外れがないというのは、普段体に悪い生活をしている僕にとっては、最高だった。サーモンのマリネがあるテーブルで足を止め、暇そうにしているジュペッタを放置し、食事に勤しむ。
「――いやあしかし、桐島さんは今日のお姿も凛々しくていらっしゃる」
 近くをおべっかが通り過ぎる。ふと視線をやると――ああ、思っていた通り、桐島だった。彼の隣を、小太りな仮面が歩いている。どこででも見られる、ありきたりな光景だ。
「今日の仮面は怪人をイメージしておりますからな、私のことは『怪人』と呼んでいただけるとありがたい」
 少々迷惑がっているのがよく分かった。偉くなると、色々と面倒なことも増えるのだろう。
「ああ、それは失礼。そうでしたな、今宵は仮面舞踏会……」
「ええ、野暮な詮索は御法度です。おや……ちょっと失礼」
 何故同じ魚でもこうも味が変わるものだろうかと考えていると、僕の手元に、細身のグラスが置かれた。視線を上げる。なんということだろう、隣にやってきたのは、桐島究だった。
「こんばんは、朱い仮面の方」
「どうもこんばんは、『怪人』さん」
「これはどうも、嬉しいご挨拶だ。野暮な詮索は御法度……としておきながら、私は当主であるから、そのルールを破らせていただくよ」口元には髯が蓄えられていた。無精とまではいかない、悪い中年を思わせる量だ。「朱い仮面の方、あなたはもしや……巴ちゃんのお知り合いかな?」
「……巴、ちゃん?」
 僕の腹部が内心穏やかでないのは、その呼び名が馴れ馴れしいからではなく、呼び方に慣れている風だったからだ。
「おっと失礼、逢阪さん、とお呼びするべきだった」桐島は明朗に笑う。「あっはっは、なるほど、巴ちゃんの言った通りだ」
「何か?」
「いや失礼。彼女からね、君の前でそう呼ぶと、どういう反応をするかと聞かれていてね。これは報告に値する反応だった」何がおかしいのか、桐島は笑顔を崩さない。「ようこそいらっしゃった、立花戦くん」
「僕のことをご存じで?」
「名前はね。姿までは知らなかった。だが、仮面を見てピンと来た。その仮面、逢阪了作の『欠けた天狗』だ。それは当時、村の祭で使われたものだと聞く。まだ彼が若かった頃の作品だ。天狗面は本来鼻が長くあるべきだが、当時の彼は資金面で苦労していたらしくてね。口元と鼻を欠くという発想で新しい仮面を作り上げた。贋作はいくらでも見てきたが、それは『逢阪屋敷』で見た本物だ。うむ、傑作の一つだよ」
「へえ、そんな逸話があったとは」
「知らなかったかね?」
「あまり。先祖の作った人形は好きですけどね、歴史は自分で調べるほどでは」
「ふむ。まあ、人形が好きなら、君は良い人だな」桐島は頼りがいのある、包容力の強い笑みを浮かべた。「うん、楽しんで行ってくれたまえ。それと、もし出来れば、あとで、その仮面を楽しませてもらえると嬉しいが……」
「構いませんよ」
「やっぱり君は良い人だ」
「せっかく招待していただいたんですからね。ですが、もし許されるなら、代わりと言ってはなんですが……」僕も大概、悪い男だ。「一つ、お尋ねしたいことが」
「何なりと。君が気に入っているらしい料理の味は、コックに聞かねば分からんがね」
「弥生、という名の女性……この屋敷にいますか?」
「ふむ」少々考え込むようにして、桐島はグラスを持った。「個人情報はあまり公開したくないのだが」
「ちょっと縁のある女性で」
「どういう縁かね?」
「運命の相手なんです」
 僕がそんな言い方をしたのは、本当にそんな酔狂なことを考えているからではない。ただ、この桐島という男は、面白いことが好きそう、という漠然としたイメージを持っていたからだ。少なくとも、そうでなければ、こんな大それたパーティは開かないだろう。
「運命? それは赤い糸という意味かな?」
「いえ、もっと強いもので結ばれています。愛情と、憎しみ。それに、魂、ですかね」
「エクセレント」桐島は口元を歪める。「それほど強いもので結ばれているなら、すぐに逢えるだろう。そう、弥生くんは、ここに来ているよ」
 桐島はそう言って、空になったグラスをテーブルに残して、去って行った。
「聞いたかい、ジュペッタ。君の飼い主は、ここにいるようだ」
「ぎゅる?」
「リーチェさんは、ここにいるってさ」
「!」
 ジュペッタが言葉を理解したのかどうかは分からないが、それでも、その反応を見る限りでは、喜んでいることは確かだった。
 サーモンの欠片をジュペッタの口に放り込み、再び手を繋いで、仮面の群れに溶けていく。
 この莫大な人混みの中、どこにいるのか。少なくとも、彼の言う通り、僕の自意識過剰でなければ――彼女との縁は、二人を再び巡り合わせるには、十分な強度を持っているはずだ。

戯村影木 ( 2012/11/15(木) 20:47 )