第七話『秀才、山吹大地』
0
「なあ爺」
「いかがなさいましたか、坊ちゃま」
「さっきの乱麗ちゃんのことだよ。僕の計画を聞くだけ聞いて、帰っていった。なんだか、様子がおかしくなかったか?」
「そうでございましょうか。確かに、協力的な姿勢ではなかったかもしれませんが、様子がおかしいというようには見受けられませんでしたが……」
「そうか……ならいい。気にしないでくれ」
「しかし坊ちゃま、このような言い方は失礼かもしれませんが……様子がおかしいと言うのであれば、坊ちゃまこそそう見受けられます。建設計画のお話を大きくするばかりで、どうも中身を伴っておられないのではと」
「ああ……確かに爺の言う通りだ。いつもなら、口にするより行動するタイプだからね。行動出来ずにいるのは、そうだな……調べていくうちに、どんどん奥が深くなっていったから、すぐに実行に移せないでいるんだよ」
「深くとは……何がでございましょう?」
「ポケモンバトルというものがだよ」
1
「大変お綺麗でいらっしゃいます、お嬢様」
「ありがとう。緑青も似合っているわ」
「……もったいないお言葉でございます」
朽葉乱麗と紅々緑青は、山吹市内の高級レストランで向かい合っていた。乱麗はドレスに着替えていたし、緑青は普段通りの燕尾服ではなく、カジュアル寄りな服装をしていた。どちらもつい先ほど購入したばかりのものだ。「海外に行くのだから私服の一つでも新調しましょう」という乱麗からの指示だった。服を選んだのも乱麗である。もっとも、カジュアルに寄っているだけで、基本的にはネクタイにジャケットは外せなかった。髪型だけが若干遊んでいる。
「今日は何か収穫があったかしら?」
「私のお話など退屈なものでございます」
「せっかくなのだから、楽しいお話をして頂戴。デートなのだから」
普段通りに言えただろうか、ということを、乱麗は心の中で確認する。告白してから意識的にそうしたワードを避けていたが、それまでにも冗談半分でそうした言い方をしてきていた。結婚だの、デートだの、あるいは破局だのと言ったこともある。
「そうでございますね……ではお話させていただきます。私は本日、玉虫様にお目に掛かりましたが、そこで玉虫様の元教え子という方とお会いしました。東北で高校教師をされている方のようでした」
「どんな方だったの?」
「ええ、とても……興味深い方でした。独自の存在感があると申しますか」
「歳は近いのかしら?」
「いえ、もう……そうでございますね、三十歳は超えているであろうという風に見受けられました。しかしながら、若々しいというわけでもなく、老けているという風でもなく……なんとも不思議なお方でした」
「ポケモン関係の方なのかしら」
「どうしてでございますか?」
「緑青が楽しそうに話すから」そう言って、乱麗はすぐに訂正する。「いえ、他意はないのよ。考えればすぐに分かることなのだけれど、そうなのかしら、と思って」
「ええ……恐らくはそうかと思われます。玉虫様も、育成もバトルも、一流だというように表現しておられましたので」
「へえ……どうしてそんなに優れた人が、高校教師なんてやっているのかしら」
「僭越ながら、私が執事をやっているのと似た理由かと思われます」
「生活のためということ?」
「いえ、現在の仕事に誇りを持っているということでございます」
ミネラルウォーターの入ったグラスを、あと少しで倒してしまうところだった。時折、緑青は唐突にこんなことを言う。今までは普通に流せたことも、一度自分の中にあった好意を認識してしまうと、それも難しくなる。もっと好きになってしまうじゃないか、と、勘違いしてしまう。
「そう……たった数時間だったのでしょうけれど、職業への誇りが感じられるような方だったのね」
「休日に一人の生徒を見舞うというのは、普通とは思えません。もちろん、恩師と話しに来たという側面もあるようでしたが……」
料理が運ばれてくる。ディナーはコース料理ではなく、いくつかの料理を注文するスタイルにした。大皿に乗せられた料理を、緑青が小皿に取り分けた。恋する乙女となりかけている乱麗は、こうして緑青と食事をしているだけで、なんだか不思議と気分が高揚した。うっとりしている、と言っても問題はなかったかもしれない。
「お嬢様はいかがでしたか? 外で仕事をされるのは珍しいことではございませんが、最近ではあまりなかったのではないでしょうか」
「ええ、そうね、実を言えばあんまり進まなかったわ」
「そうでございましたか。私でお力になれることがありましたら、何でもお申し付けください」
「ええ。あ、ありがとう」小皿を受け取り、微笑む。「緑青も自由に食べて。あまり気負わないようにしましょう」
「かしこまりました」
自分の話題になり、芋づる式に、山吹家でのことを思い出してしまった。特別、何かがあったというわけではない。山吹大地による壮大な、バトルフロンティア建設計画を聞かされただけだ。しかしながら、その磐石な思想は、打ち崩すのが困難であるように思われた。唯一の収穫は、まだ何も、現実的な進展がなかったということ。つまり、大地が『白銀山』への入山許可証を手に入れたというだけで、あとはそれを大地が実行出来るという許可を、彼の父親である山吹家当主からもらったというだけのこと。大地にしては珍しく、言ってしまえば夢物語を聞かされただけだった。
恐らく、各方面から反対意見の署名でも集めていけば、『白銀山』を保護する働きをかけることも出来るだろう。しかし、それには時間がない。海外から戻って来るまで計画を中断してもらうように頼み込むべきだろうか。いや、実はこれはお節介なのかもしれない。緑青に聞けば、「それも運命かもしれません」というようなことを、言うのかもしれない。しかし……。
「ねえ緑青」
「なんでございますか」
「仮の話なのだけれど……『白銀山』がなくなったりしたら、やっぱり、悲しいかしら」
「……」
唐突にそんなことを言われ、緑青は考える。
玉虫教授から聞いた話を、恐らく乱麗も知っているのだろう、ということ。『白銀山』が失われるかもしれない、という計画。大地から聞いたのかもしれないし、他にも漏れる経路はいくつでもある。だがあえて、緑青は知らない振りをすることにした。
「悲しいというよりは、惜しい、という感想になるでしょうか。私の人生の第一目標は、今となってはお嬢様が素敵な女性になられることと、お嬢様が幸せな人生を送られることですが……常に心の片隅にあったのは、いつかは故郷を見てみようという気持ちだったものですから」
「そう……そうよね。普通、そうなるわよね。ごめんなさい、変なことを聞いて……」
「いえ、決してそのようなことは」
料理を口に運びながら、乱麗は考える。
どうも自分は、他人の気持ちを考えるという回路が欠如しているように思う。他人の気持ちになって考えるということが、出来ないような構造になっている節がある。
考えよう。
どうするのがベストなのか。
大きく息を吸って、
――決断する。
何かを決めるなら、速い方が良い。
「海外に行く前に、暇な日ってあるかしら」
「暇な日……でございますか。準備や、緊急の用件があっても対処出来るよう、少し余裕を持たせてありますので、そういう意味では海外に向かうまでは目立って忙しいという日もございませんが」
「明日……は、今日進まなかった仕事をしておく必要があるわね。じゃあ、明後日ね、緑青は『白銀山』に行って頂戴」
「……明後日、でございますか?」
「そう。ほら、深奥に行ったとき、瓢太さんとお話したでしょう。『白銀山』は銀山だったかもしれないっていう」
「え、ええ……伺いましたが」
「掘ってきてくれとまでは言わないけど……そうね、調査が出来るような土地なのかということを調べてきて欲しいのよ。もし現実的なら、朽葉で動くわ。確か、正式な申請が通れば、一般人でも通行は出来るのでしょう?」
「そう、でございますね……研究目的などであれば。しかし、調査の名目を絡めれば、専門家に依頼をした方が宜しいかとも思いますが――私が炭鉱におりましたのは、もう随分と昔の話でございますので」
「緑青に行ってきて欲しいの」
乱麗は肘をついて、首の前で手を重ねる。
「勘違いしないでね。これは休暇じゃなくて、仕事よ。許可証を申請しても、すぐに降りるか分からないし。だったら、せっかく持っている資格を生かすべきでしょう?」
「その通りでございますね……かしこまりました。お嬢様がそうおっしゃるのでしたら」
なんとなく、察しは付いた。けれど緑青は、何も言わなかった。主人の優しさが、ただ心地良かっただけだ。
2
「お帰りなさい、パパ」
玉虫博士が帰宅すると、玄関に一人娘の知恵の姿があった。帰りを待っていたようだ。
「やあ……遅くまで起きているんだね」
「まだ十時ですよ」
「知恵はまだ九歳なんだけどね」博士は靴を脱ぎ、リビングへと向かう。「今日も大地君のところへ行っていたのかい」
「はい。聞いてください。今日はなんと、乱麗さんもご一緒だったのです」
「乱麗ちゃんが? へえ、珍しいね。知恵が誘ったのかい」
「いえ、偶然山吹でお会いして……私が大地様のことをお話したら、大変興味深そうにしていました。それで、でしたらご一緒に、と」
「なるほどね」乱麗にはあまり知らせたくなかったな、と博士は思う。「それで、その計画っていうのは大きく進んでいるのかい」
「いえ、まだ現実的にはなっていないみたいです。私がお邪魔しているということは、計画を膨らませている段階ということでしょうし」
「なんだ、分かっているんだね、知恵」
「どういうことですか?」
「計画が実行段階になったら、話し合いをしている暇なんてないっていうことだよ」
「それもそうですね」知恵は博士の上着を受け取って、ハンガーにかける。「パパ、お夕飯は?」
「何か適当にお腹に詰めるよ」
「それはいけません。食べるなら食べる、食べないなら食べないで決めてください。適当な間食が一番いけません。ママも悲しみますよ」
「いや、一子さんは私と似た不規則な生活を送っていたよ。研究者なんて大抵そんなものだ」
「娘の理想を壊さないでください」知恵は眉を下げた。「とにかく用意しますから、ちゃんと食べてくださいね」
「別にいいのに……もう遅いんだよ」
「土曜日ですよ?」
「土曜日だといいわけ?」
「金曜日と土曜日の夜は夜更かししても良いことになっていますから」
「へえ、知らなかったな。誰に教わったの?」
「九夜様です」
「ああ……知恵、いいことを教えてあげるよ。彼の言うことはね、八割が適当だ。信用しちゃいけないよ」
「そんなことはありません。九夜様は立派なお方です」
「しかしね、彼の言うそういう突飛なルールの元ネタは、八割が私だ」
「さっき『知らなかった』ってパパが自分で言ったじゃありませんか」
「だからね、ルーツからして適当なんだよ」
「もっとしっかり生きてください」
「出来ればそうしたいものだね」
3
乱麗の中では、計画を止められるにせよ、止められないにせよ、海外に発つ前に緑青を『白銀山』に行かせたいという気持ちが先立った。それ以上の気持ちがあったわけではない。言ってしまえば頭の悪い、原始的な理由だっただろう。とにかく緑青を『白銀山』にさえ行かせてしまえば良いというような、いっそ暴力的な提案だったとも言える。しかし、緑青はそれを受け入れてくれた。喜んでくれると思っていたわけではない。受け入れてくれただけで、乱麗にとっては良い結果だった。
仕事を一切遠くに切り離す。結局、休日のような一日を過ごしてしまった。明日はそれを取り返さなければならない。そのためにも、早く休もうと思った。
生まれた場所、という感慨は、果たしてどういうものなのだろう。
乱麗には、それが分からない。玉虫の病院で生まれ、朽葉の実家で育ち、現在は山吹の一軒家で暮らしている。それを普通だと思っていたし、程度の違いはあれど、みんなが同じように生まれたのだと思っていた。それがまさか、『白銀山』などという、自然の中で生まれたというのだ。俄には信じがたい。しかし緑青が嘘をついているとも思えない。
『白銀山』で生まれた、などということは、なんの自慢にもならない。少なくとも乱麗にとっては、なんら特別性のないことだ。
その生まれ故郷は一般人は立ち入りを許されない場所であり、長年、緑青は足を運べなかった。それが、念願叶って許可証を得られた。ならば行かせるべきなのだ。自分の判断は間違っていないはずだ、と、乱麗は思う。それが緑青にとってプラスになるかどうかまでは分からないが、行かせずに取り返しがつかなくなるよりは良い。
布団をかぶって、丸くなる。
これでいいのだ。
海外行きを遅らせたり、山吹グループを相手取るのは難しい。現状出来る最高の選択だったはずだ。
きっと緑青も分かってくれているはずだ。
そんな風に自分を慰め、乱麗は目を閉じた。
4
翌日、山吹大地は大きなリュックサックに荷物を詰め込んでいた。服装も、いつも着ているようなフォーマルなものではなく、アウトドアを目的とした機能的なものだった。
「坊ちゃま、差し出がましいようではございますが、やはり何人かお付きの者を……」
「お付きと言ったって『白銀山』に行くんだから、許可証がなければならないんだよ、爺。それとも今から、チャンピオンになれる人材でもいるのかい?」
「開発調査との名目で許可証を得ることも出来ます。数日お待ちいただければ……」
「いや、もう少し自分を見つめ直したいんだ。だから、一人で行かせてくれ」
「坊ちゃまがそうおっしゃるのでしたら……」
「どうにも最近の僕はおかしい。もちろん、この計画を諦めるつもりはないんだが……開発すれば、関東と上都から何千何万という利用者が見込める土地なのに、何故『白銀山』が未開の土地として長年保護され続けているのかが謎なんだ。野生ポケモンを駆除するのは僕ら人間が古くから行ってきた罪だろう? 『白銀山』だけが特別視されるのはおかしい」
「強大なポケモンが住んでいるからと聞き及んでおりますが……」
「いくら強大であろうと、相手は野生だ。戦術も何もない。何かもっと別に、理由があると思うんだ。いや……理由ですらないのかもしれない。『違い』かな」
準備を整えた大地は、リュックサックを背負い、モンスターボールを六つセットした。
「短くても一泊、長くても一週間……いや、もしかしたらしばらく帰ってこないかもしれない。心が決まるまでは、滞在していようと思う。とにかく、父上によろしく伝えておいてくれ。心配はないと」
「心配ではございますが……ご無理をなさらぬよう。ご武運をお祈りしております」
「うん。気持ちの整理がついたら、戻って来るさ。そうしたら計画を実行に移そう。大丈夫、爺も僕の強さは知っているだろう」
大地は手を振り、『白銀山』へ向けて歩き出した。
5
「お嬢様、失礼致します」
午後二時頃だった。緑青は乱麗の部屋に、資料を持って訪れた。海外での大まかな作業スケジュールをまとめるよう言われていた。
「ありがとう。置いておいて頂戴」
「ヒウンシティのホテルを手配しております。他にご要望がありましたら……」
「特にはないわね。ああそう、Cギアは海外でも大丈夫だったのよね?」
「以前の海外生活での失敗を活かしての機種変更でございますので、大丈夫でございます」
「そう。じゃあ特にはないわね……ありがとう」
「とんでもございません」
「……ねえ緑青」
「なんでございましょうか」
「とても失礼なことを言っていたらごめんなさい。でも、聞いてみたいことがあるの」
「なんなりと」
「緑青にとって、『白銀山』が生まれ故郷なのだとしたら、それって、実家みたいなものなのかしら。例えば、私にとっての『朽葉邸』のようなものなのかしら……生まれた時からずっとあって、多分これからもずっとある、というような」
「……そういう意味で言えば、少し違うかもしれません」緑青はあごに手を当てた。「私にとって、故郷と申しますと、幼少期を暮らした炭鉱の小屋か、少年期を過ごさせていただいた『朽葉邸』でございます。思い上がりも甚だしい次第ではございますが、私にとって、朽葉家の皆様こそが、愛すべき家族であり、故郷でございます」
「そう……じゃあ、緑青にとっての『白銀山』って、どういう存在なのかしら……私には分からないことだから、教えて欲しい」「そうでございますね、強いて言えば……母親のような存在でございます。母の存在は知っていますが、見たこともなければ、名前も知らない。ですから、幼い頃私は、チャンピオンロードやポケモンリーグからうっすらと覗く『白銀山』の景色を見ては、そこに母性を感じておりました。生き別れた母のような存在、とでも申しましょうか……大変分かりにくい説明になってしまい、申し訳ありません」
「ううん、ありがとう。よく分かったわ」乱麗は笑顔を浮かべる。「失礼なことを聞いてしまってごめんなさい。参考になったわ」
「恐縮でございます」
「そんなところに仕事で向かわせるのは、もしかしたら嫌だったのではないかと思って」
「決してそんなことは。こちらこそ、そのような機会を与えていただき、仕事の合間に『白銀山』を少しでも理解しようと思っていた次第でございます。不出来な執事で申し訳ありません」
「調査報告もそうだけれど……お土産話も期待しているわ」
「かしこまりました」
「明日は朝早くから行くのでしょう? 私の世話はいいから……気をつけて行ってくるようにね」