第四話『少女、朽葉乱麗』
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「坊ちゃま、大会優勝、おめでとうございました」
「ああ……ありがとう爺。まあ、当然の結果だったろうね」
「どうか致しましたか。優勝したと言うのに、どうにも浮かない顔をしておいでですが」
「いや、そんなことはない。ただ、もうそろそろ終わりが近いのかと思ってね」
「終わり、でございますか」
「どうにも手ごたえがない。僕はこのまま順当にポケモンリーグに挑戦して、果たしてチャンピオンになるのかと思ってね。もちろん、慢心はあるだろう。しかし、そうなる予感がしている」
「壁を失って、どちらへ進めば良いか分からなくなっているのでございますね」
「そうかもしれない」
「大地坊ちゃま、世の中にはチャンピオンにならずに全国を放浪している輩や、地位や名誉に興味のないトレーナーもいると聞き及んでおります。それに、まだまだ日本は広いですので、悲観することはございません」
「そうだな……やはりもう少し、バトルに命を賭けている連中を探してみよう。賞金の金額を上げれば、地位や名誉に興味のないやつだって、目の色を変えるさ……」

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 瓢太の言っていた通り、深奥で取れた魚介類は美味しかった。朽葉湾でも海の幸には出会えるが、しかしながら鮮度は深奥地方の方が格段に高かった。夕飯を早めに食べ終え、時間的に余裕のあった朽葉乱鈴と紅々緑青は、連絡船である『ミロカロス号』の一等船室で帰ることにした。一日置きに関東と深奥を行き来している船であるが、快適な船旅をというモットー通りに、客室にはかなり余裕を持たせてあった。
「早速お父様と連絡を取らないと。緑青、あなたは休んでいていいわ」
 出港して間もなく、乱麗はすぐにノートパソコンを開いて、仕事をすることにした。傍から見れば多忙に見えるが、乱麗にとっては、鐡市での一件は休暇みたいなものだった。夕飯を食べ終え、乗船の手続きを取り、ようやく仕事に取りかかる、という気持ちなのだろう。乱麗が仕事をしている間は緑青が暇になり、休暇中には忙しい。そういう、ちぐはぐな関係だった。
「ではお言葉に甘えまして……」
「と言って、緑青を休ませると何をするのかは知らないのだけれど。確か『ミロカロス』には闘技スペースがあったわね。そこでバトルでもするのかしら」
「いえ、本日は護衛用のポケモンしか所持しておりませんので」
「対戦用と護衛用は分けているのね。覚えておくわ」
「不必要な知識でございます」
「ねえ、そう言えば、緑青のポケモンのこと、私ほとんど知らないわ。例えば、どういうポケモンを連れているの?」
「お嬢様には分かりかねるかと」
「馬鹿にされているのかしら」
「いえ、専門的で、多少珍しいポケモンですので。例えば、ローブシンでございます」
「……本当、知らないものね」
「あとはガブリアスでしょうか」
「全く知らないわ。関東産ではないの?」
「そうでございますね……関東地方出身でお嬢様がご存じのポケモンと申しますと、カイリューくらいでございましょうか」
「ああ、あのドラゴンよね。強いの?」
「それなりには。逆に強いと言うことも出来ます。メタに対するメタと申しますか、裏の裏は表と申しますか。タイマン戦でなら相当な効力を発揮することでございましょう。伊達に六百族ではないぞ、というところでしょうか」
「……なるほど、よく分からないけれど、緑青が楽しそうで何よりだわ。それに、強そうということも伝わってきたし」
「申し訳ございません。退屈なお話をしてしまいました」緑青は首を振り、溜息をついた。「私、少々夜風に当たって参ります。お嬢様にこんな無駄話をしてしまうとは……」
「いいえ、決してそんなことはないのよ。私、ポケモンをする時間も、育成する時間もないし、体質的にバトルなんて出来ないから。そういう話が聞けるのは楽しいわ」
「私は――ポケモンバトルをしているときの私は、お嬢様の知っているような人間ではありません。大変醜い人種であるのです。それをお嬢様に知られるのは、あまり喜ばしいことではございません」
「そう……それは、残念だわ」
「どうぞ、お時間が遅くなる前に、当主様にご連絡を。私は少しの間失礼致しますが、ご用がありましたらすぐにでもご連絡ください。すぐに参りますので」
「ええ、ありがとう。そうするわ」
「それでは失礼致します」

 2

「わあ、素敵なホテルなんですね!」
 泊まる予定だった寿市のホテルをキャンセルして、玉虫知恵は澪市にある『タタラ・イン』というホテルに滞在していた。大会で準優勝という成績を収めた彼女は、旧知の仲である山吹大地に誘われ、ディナーをご馳走になっていた。
「今日は素晴らしいバトルだった。光栄だよ」
「こちらこそありがとうございました。やっぱり大地様はお強いのですね」
「いやあ、そんなことも……なくはない、かな。しかし、知恵ちゃんの対策には驚いた。こう言ってはなんだけれど、自軍を強化するために道具を持たせる参加者が多かったからね。知恵ちゃんのように、きちんと相手の長所を塞ぐ対策を練ることの出来るトレーナーはすごい。それだけで、もうワンランク上のトレーナーと言って良い」
「エリートトレーナーの大地様に褒められると、とっても照れますわ」
 知恵は大地のことを、とくになんとも思っていない。歳が離れているせいもあるだろうが、知恵の博愛主義が、大地の多少世間とずれた部分を認知していないのだ。それに、確かに大地はポケモンバトルが強い。人生の半分をポケモンバトルに割いている知恵にとっては、大地は憧れの対象だった。
「ただ、あまり期待していたような収穫はなかったのが事実だ。そろそろ、海外も視野に入れなければならないかもしれないな……」
「期待とは、どのような?」
「うん。僕の目的はねえ、知恵ちゃん、強いトレーナーチームを作ることなんだ。ポケモンバトルを、もう一段階、底上げしようとしているんだ。世界レベルでね」
「……どういうことでしょう?」
「知恵ちゃんはそういう意味では、その世界に一歩足を踏み入れている。ただ……そうだね、例えば、知恵ちゃんは、三値という言葉にすぐ反応出来るかい?」
「はい! パパに教えていただきました」
「玉虫教授が? へえ……意外だ」
「パパは若い頃にトレーナーとして慣らしたものだと言っていました」
「そうか。まあ確かに、三値の概念は古くから――存在していたと言うしね。ポケモンの大量発生や大量失踪も、それに絡んだものだと聞いたことがある」
「ほえー、そうなんですかあ」
「しかし、それを知っている連中っていうのは、案外少ない。精々、タイプ相性くらいなものだろう。あるいは、このポケモンは物理耐久が高くて、このポケモンは素早さが早い……というような、漠然とした認識だけかもしれない」
「ですね!」
「僕はそれじゃ満足出来ない。全ての人間にそれを理解してもらって、全てのトレーナーが、その限界に挑戦してもらいたい。言ってしまえば、フェアじゃないんだ。例えば――悲しいことだけれど、三値を熟知した人間が、ただレベルを上げたポケモンで旅をしているトレーナーを餌食にして、金銭を巻き上げるという、弱い者いじめみたいなことが横行している」
「そんなことがあるんですか」
「そう。だからね、出来ればそれをなくしてしまいたい。フラットな状態で、ある程度土俵を揃えたい。もちろん、安定した強さなんてものはないけれど、少なくとも、自分の使うポケモンを、まずは戦わせるレベルまで合わせるということがしたいわけさ」
「それで、これを?」
 知恵はポケットから、四つ折りにされたパンフレットを取り出した。『山吹ポケモンクリニック』と書かれていた。『ワンランク上のトレーナーに! ライバルに差を付けよう!』という文句が書かれている。
「そう。今のところ、僕の力ではこれが精一杯だ。結局、強くなろうとか、どうして勝てないのかって考える人間じゃないと、三値とか、調整とかの概念に行き着かない。レベルは同じなのに何故か勝てないとか、自分の動きが読まれているように負けてしまうとか。それを『仕方ない』で済ませて欲しくないんだよね、僕はさ」
「わあ、素敵な考えだと思います!」
「そうかい? ありがとう知恵ちゃん」
「でも、そういう意味では、私は大地様に怒られてしまう立場かもしれません」
「ん? どういう意味だい?」
「私は、自分が強くなるためには、相対的に他のトレーナーが弱ければと思います。自分に出来る限界を迎えたら、あとはもう運に頼るしかないじゃないですか。最終的に運で決まってしまう戦いなら、コインでも投げればいいや、って思ってしまいますから……自分が百パーセントの努力をしたなら、あとは対戦相手が九十九パーセントの努力で諦めないと、ただの運の戦いになってしまいます」
「運ゲーか……確かに、その通りだね。知恵ちゃんの言っていることは間違っていないよ。そもそも、ポケモンバトルというものは運要素が強い。そうだなー、確かにそう考えることも出来る。うん。しかし僕は、強くなりたいのに負けてしまう人がいるなら、手を貸したいと思う。そうすることで、自分がもっと高められる気がするからね」
「それは本当に、素敵な考え方だと思います」
「知恵ちゃんの考え方ももっともだよ。僕はもしかしたら、知恵ちゃんほど勝敗に意味を見出していないのかもしれないね」
 謙遜ではなく、本当に勝利にさほど興味がないのかもしれない、と大地は思った。もっと、しのぎを削ったギリギリの戦いをしたい、その一瞬に身を投じたいという、ある種の私欲的な願いなのかもしれない。

 3

『ミロカロス号』の一等船室から外へ出ると、当然裕福層が闊歩している。緑青は手すりに体重を掛けて、懐から煙草のケースを取り出した。悪い子ども時代を過ごしたせいで、こういうものに抵抗がなかった。むしろ、煙草や酒が大人の証だった。まだ緑青は十八歳であるが、初めて煙草を吸ったのはもっと昔のことだ。そして未だに、辛いことがあると吸いたくなる。
 果たして辛いこととは何だったのか。
 最近は、こうした逆転現象が多くある。煙草を吸いたくなったから、きっと辛いことがあったのだろう、という順序だ。マッチ棒で火を灯し、紫煙を吐いた。携帯用灰皿は所持している。理解ある朽葉家当主にプレゼントされたものだ。今は、どこでも喫煙者は肩身が狭い。当主と使用人という立場でありながら、そうした繋がりがあった。きっと当主も、喫煙していることはひた隠しにしているのだろう。
 辛いこと。
 恐らくは、ポケモンのこと。
 どうしようもない嗜好というものがある。緑青には、ポケモンしかなかった。産み落とされ、拾われ、生きるために様々な仕事を転々とした。仕事、と言うのは本来であれば不適切かもしれない。あれは、居場所、と言うべきだろう。集団に属している必要があった。帰る場所が必要だった。炭鉱を掘り、少ない賃金でポケモンのための環境を整えて、路上バトルで日銭を稼ぐ日々。そんな生活をしながら、大人になろうと必死になった。が、ある日炭鉱は封鎖され、職を失った緑青は若くして放浪の身となり、非公認のポケモントレーナーとなった。トレーナーズカードを持たない身分ということだ。そうした状態では、対戦拒否をされることも多い。人一倍ポケモンバトルについての知識を詰め込んだ緑青だから、戦うことに対しては並々ならぬ自信を持っていたが、それを拒絶されては生きていけない。だから、裕福な家を狙って物乞いをするしかなかった。今思えば、敷地に上がり込んで食料を恵んでくださいというのもおかしな話だろう。きっと、当時の緑青には、「何かを恵んでもらうのだから、自分から訪ねるのが礼儀だ」という幼い義理があったに違いない。
 八歳の頃、そんな風にして朽葉家に殴り込んだ緑青は、当主にポケモンバトルの腕を見初められ、雇われることになった。警察がハッカーを雇うようなものだろう。脅威となる人間が飼い慣らす、という朽葉家当主の機知が功を奏した。緑青は歳の近かった乱麗の遊び相手にされ、いつしか専属執事としての立場となった。当然、使用人となるための苦労は想像を絶するものだったが、今となっては良い思い出と言える。
 なら、何が辛いのか。
 緑青が仕える朽葉乱麗という女性は、『球体恐怖症』という珍しい体質の持ち主だ。球体のデザインのものに触れることを、極度に拒む。しばらくそれを持っていようものなら、意識を失うこともある。つまりは、モンスターボールに類するものだ。だから乱麗は、生まれついて、ポケモンを所持出来ない。放し飼いにすればボールを使う必要はないのだが、それでも、ポケモンバトル――それも公式なものとなると、参加が不可能である。そんな体質であるから、乱麗は結局この歳になるまで、一度もポケモンを所持したことがない。ポケモン文化が遅れた地方であればまだしも、ポケモンリーグ総本山のある関東地方で暮らしていてポケモンを持っていないというのは、かなり珍しいと言えた。
 どれだけ興味を持ったとしても、どれだけ望んだとしても、決してポケモントレーナーになれない乱麗。彼女に仕えながら、ポケモン以外に能のない自分。その対比を、恐らくチャンピオンを踏破したことで、また思い出してしまったのだろう。何度か苦悩して、何度か処理したことを、また思い出した。
「ふう……」
 煙と溜息を吐き出した。
 煙草の煙は、胸の中にある嫌な気持ちを絡め取って、一緒に吐き出してくれるような気がする。だから、辛いときには、吸いたくなる。
「結局、ポケモンが強かったところで、私はお嬢様を幸せには出来ないのだろうか」
 誰に向けた言葉ではなかったが、自然と本音が漏れた。
 船という特別性にはしゃぐ子どもが散見される。配慮して、煙草を灰皿に捨てる。あの頃の自分は、もっと荒んでいた。いわゆる『廃人』だった。戦って勝つことだけを望んでいた。それが今現在、何かの役に立ったのだろうか。
「――精々お嬢様の足になれたくらいか」
 ポケットのCギアの音に気付き、タブレットを一口含んで、緑青は部屋へ向かった。

 4

 出来ればもう少し、緑青を知りたいものだ、と、乱麗は考える。
 言葉にすることはないが、乱麗は、自分が緑青に依存している自覚があった。好意や、恋愛感情とはまた種類の違う依存だ。あるいはそれこそが恋愛感情の本質と言えるのかもしれないが、乱麗にとっては、物的な依存であった。それは、少し冒険して緑青に与えた一週間の休暇が証明していた。
 緑青には恩義を感じている。朽葉家のボディガードという名目で雇った緑青を、自分の専属にして欲しいと父親に交渉したとき、緑青はそれを後押ししてくれた。「私もお嬢様のお役に立ちとうございます」というようなことを言ってくれていた。それからはほとんどずっと一緒にいた。わざわざ一週間の休暇を与えたのは、自分の感情がついに限界に達しようとしていたことに気付いたからだ。一度距離を置いて頭を冷やそう、と。しかし、結果的に分かったことは、自分が緑青に依存しているということだった。それからというもの、どういうわけか、緑青の人間性が気になって仕方がない。緑青の休暇中に部屋に無断で入ったり、Cギアを覗いてみたり。許されることではないのは分かっているが。止まらない。まるで愚かな女と一緒ではないかと苦悩してみるが、どうしようもない。
 だから、ポケモンの話をする緑青が、実は一番輝いているということにも、つい最近気付いたばかりだ。そういう緑青を見ているのは楽しいのに、緑青はあまり、それを楽しく思っていないらしい。
 うまく行かないものだ、と思う。
 自分はダメな女なのだろう、と乱麗は思う。緑青がポケモントレーナーとして優秀であり、尚且つその道で大成する可能性があるのなら、執事などさせておかずに、いっそトレーナーとして進んで欲しいと願ってしまう。だが、緑青はそれを認めないだろう。緑青が思っているほど、乱麗は自分の体質のことを深く考えていないのだが、その度合いは緑青にしか分からないものだ。
 自分が無能でなければ、と悔やむ。
 自分がポケモンをある程度かじっていれば、大地や知恵と同じように、専門的な会話を出来たはずだ。緑青はどうも、自分の能力をひた隠すところがある。それも自分に原因があるのかと思うと、やるせなくなる。前まではそこまで強く思わなかったことを、一週間ぶりに出会ったことで、思ってしまう。楽しくポケモンの会話がしたいのに、と思う。知恵のように、自分も餞別がもらいたい、と思う。
 どうすればいいのだろう。
 改善策は?
 無能な自分なりに、考えてみる。どうすれば緑青が好きなように暮らせて、自分が好きなように暮らせるのか。遠慮し合っていては、永遠に距離を置いたままだ。気の置けない関係というものになってみたい、と思う。そうすれば、緑青が一緒にいなくても、耐えられるはずだ。物理的な依存性を薄くするために、もう少し、精神的に、依存したい。
 それは果たしてどういう意味か。
 まあ、思っていることを言えばいいだけだろう。
 父親へのメールを送り、パソコンの電源を落として、Cギアで緑青を呼んだ。

 5

「わあ、大地様、大人ですね」
 大地の部屋に通され、知恵と大地は向かい合っていた。山吹家の老執事が、それを微笑ましく見守っている。話題は、ディナーから継続して、ポケモン一色だった。
「お酒かい? うん、最近ようやく飲めるようになったからね。今後のためにも、慣らしておこうと思って、飲むようにしているんだ」
「かっこいいです。私なんて、まだ九歳ですから」
「本当に驚いちゃうよ。知恵ちゃん、まだ九歳だなんて言うんだもんなあ。爺、爺は何歳だい?」
「今年で七十歳になります」
「約八倍か。凄まじいね」
「大地様、今回のようなイベントを関東で開かれるご予定はあるのですか?」
「うん。次は関東、その次は上都……豊縁にもまた足を伸ばそうかと思っているよ。父上には、事業拡大の名目で行っているけどね」
「私も協力させていただけませんか?」
「協力? 知恵ちゃんが?」
「はい! 私のような子どもでも勝てるのはどうしてか、って不思議に思う方もいると思うんです」
「なるほど……それは確かにそうだな」
「もしご迷惑でなければ……ですけど」
「うん。提案してみる価値はありそうだ。家系が家系だから、多少面倒なことにはなるかもしれないけどね。爺、どう思う?」
「俗に御三家と呼ばれる家々が手を取り合い、ポケモン界の未来を照らそうとする。爺は……爺は坊ちゃまの成長を喜ばしく……おお……」
「何も泣くことはないだろう……」
「ご立派に成長なさって、私は大変嬉しゅうございます坊ちゃま……うう……」
「まだ何も達成されてはいないんだ。何年かかるか分からないしね。僕のしようとしていることは、ジムやポケモンリーグの在り方さえ変えてしまおうということなんだから。ポケモンをはじめたばかりの少年少女から、引退間近のベテラントレーナーまで、全部ひっくるめて、狂戦士にしようということなんだからね」
「ですが……大地様、それを実行したとして、山吹家に何か利益のようなものが発生するのでしょうか?」
「利益? ……いや、そんなものはないよ。ただ、全員が同じレベルで一つのことに集中出来れば、面白いと思わないか。大会でも開けば、全国から猛者たちが集まる。日常会話のほとんどが、専門用語のオンパレード。幸い、ポケモンバトルという土壌はほぼ完成されているんだ。それをもっと劇的に面白くしてしまえば、世界はもっと面白くなる」
「なるほど……」
「そうだね、しかし……利益が生まれないと話は通らないか。ならこうしよう。今言ったことに自分からヒントを得たけれど、ポケモンバトル、それもとてもレベルの高いポケモンバトルを行う大会を増やして、それを山吹家が主催すれば良い。幸い、何度かのイベントでコツは掴んだしね。今のところ主催の僕が優勝しているから、損益もない。最初は参加費やグッズで儲ければ良い。シルフカンパニーとも提携すれば上手く行くだろうね。それに山吹家が展開している宿泊施設を会場として利用すれば、それだけでも利益は出るだろう。行く行くは観覧料も取ればいい。そうだな……三対三くらいが丁度良いだろう。強いトレーナーを三人集めて、絶対的なバトル集団を作る。それを倒せば、一般家庭の年収くらいの賞金が得られる。最初のうちは賞金と利益がとんとんくらいかもしれないが、どうにかなるはずだ」
「素晴らしいです! もし良ければ、そのバトル集団というものに、私も参加させていただければ……と」
「うん。是非参加してもらいたい。知恵ちゃんは、今回のイベントで準優勝という実績もあるし、誰も止めないだろう。あと一人、誰か目立った人間を据えて、関東地方で試験的に行ってみるのも良いかもしれないな。爺、誰か良い人選はあるかな」
「いっそのこと、知名度を集めるという名目で、関東御三家でチームを組んでみてはいかがでしょうか。山吹家から一人、玉虫家から一人。あとは朽葉家からどなたかを選出すれば……」
「んん、なるほど、いいアイディアだ。しかし乱麗ちゃんはポケモンには一切興味がないようだったから――そうだな、なんとか、朽葉家の執事君を口説き落としたいところだね」

 6

「お待たせ致しましたお嬢様」
 緑青が部屋に戻ると、出たときよりも照明が薄暗くなっていることに気付いた。機械類も起動していない。ドアを閉めてしまうと、微かに聞こえていた波や風の音も失われてしまった。
「おかえり」
「……いかがなさいましたか?」
「座って頂戴」
 いつもと雰囲気の違う乱麗に促され、緑青は椅子に腰掛ける。乱麗はベッドの上で、クッションを抱いていた。
「昨日、確か、休暇が欲しいと言っていたわよね」
「ああ――ええ、確かにお願い申し上げましたが、もう宜しいのです。なんとか都合をつけて、向かいますので」
「どこへ行くつもりだったの?」
「――いえ、特に目的があるわけではなく。ただ、なんと申しますか、長期休暇後の憂鬱に襲われただけでございます。一週間も休みを頂きますと、働きたくない、というような気持ちになりまして。ええ、もちろん、一日働いたら、すっかりそんな気持ちも消えましたが」
「私はね、ポケモンのことは、ほとんど興味はないの。ただ、それを気にされるのは、嫌なのよ。緑青はもっと、べらべらと、自分の楽しんでいることを喋っていいわ。それを聞いていると、私はなんか、楽しいのよ。自分の知らない世界を見ているようで」
「ですが……先ほども申し上げましたが、ポケモンバトルに熱中している時の私は、お嬢様が思っているような私ではございません。もっと醜く、汚いものでございます」
「じゃあ、それを見せて頂戴」
「出来かねます」
「どうして、私には見せてくれないのかしら。全国のジムリーダーたちは、それを知っているのでしょう? あなたと対戦した人たちは、あなたの本性を知っている」
「……まあ、そういうことになりますが」
「ポケモンバトルが出来ない私は、一生緑青の本性に触れられないということ?」
「お嬢様は興奮しておいでです。どうか落ち着いてくださいませ」
「どうして雇い主の私が、使用人のことをよく知らないのかしら。私こそ、緑青のことをなんでも知っているべきでしょう?」
「――いえ、お嬢様、執事にも秘めるべきことがございます。執事も一人の人間でございますので」
「あ……」
 乱麗はすぐに、自分の失言に気付いた。そんなことを言いたかったわけではない。傲慢な雇い主ではいたくない。それを同じことを、つい言ってしまった。恐らくは、羞恥心から。
「ごめんなさい緑青。今のは違うの」
「はい、存じております。お嬢様は、そのようにして人を傷付ける方ではありません」
「そうね、主人と執事だからあなたのことを教えなさいというのは、とても、とても失礼な言い方だったわ。ごめんなさい」
「もう忘れてしまいました。どうかお嬢様も、お忘れになってくださいませ」
「そう……私が言いたかったことはね、違うの。緑青、あのね、ちゃんと話すから、ちゃんと聞いて頂戴」
「かしこまりました」
「どういうわけか……しばらく会わないうちに、緑青のことが、どうしようもなく、好きになったの。だから、あなたのことを、たくさん知りたいの。あなたの興味のあることや、あなたの過去や、本当のあなたを知りたいの。だから、私だけ仲間はずれにしないで。楽しんでるあなたや、何かに真剣に向かっているあなたを、私に教えて。緑青のことが好きだから――好きな人のことが、気になるだけなの」


戯村影木 ( 2013/08/22(木) 01:49 )