終章――Revival
 当たり前と言えば当たり前のことだが、桜祭雛の肉体は墓地に埋められていた。
 巴の受け売りだが、ちゃんと供養され、正規の手続きを踏んで弔われた魂は、怨念となってこの世を彷徨うということがないらしい。まあ宗教のことは分からないのでなんとも言えないが、漠然とした死後――天国とか、極楽浄土とか、そういう側へ渡った魂は、霊魂として現世には留まらない。だから、桜祭雛の魂が現世に留まっているかも分からない以上、心花さんのしていたことは、まったくの無駄足だった可能性もあるということだった。
「すみません、お手伝いをさせてしまって」
 桜祭家の墓地は、『桜花亭』のさらに奥に存在していた。過去に栄えた一族であるからか、桜祭家の墓がほとんどだった。時折姓の違う墓があったが、恐らくは分家だろう。
「いえ、構いませんよ」
 墓参りを兼ねて、今は雑草を抜いたり、掃除したりといった作業を行っていた。桜祭雛が眠る墓の周囲だけは、他と比べて整っていた。それをさらに整えようとしているところだ。
 心花さんは当然、主の眠る墓を必要以上に清潔にはしていたが――それよりも、きちんと参ってやるのが大切なんだということだった。巴が言うんだから、間違いはないだろう。死んでしまったのなら、無理に魂を弄ぶよりも、きちんと線香を上げてやろう、と。
「立花さんにも、逢阪さんにも、ご迷惑をおかけしてしまって……」
「貴女が無事ならそれで良かったですよ」
 手作業で雑草を抜いて、墓の周りを一周した。心花さんは墓に水をやり、供物を捧げ、線香を上げていた。フランス人形や、ゴシック調の調度品を愛していた桜祭雛も、死んでしまえば日本のやり方で弔われる。その事実に、もしかしたら、彼女自身、人形になることを諦めたのかもしれない。
「このあとも、本当にお手伝いしていただいてよろしいんですか?」
「ええ、どうせ暇ですから。それに、ドアを壊したのは僕ですし」
 墓参りを済ませた僕と彼女は、玄関の壊れた『桜花亭』に向かった。例の俗世離れした食堂で、彼女の作った昼食をごちそうになることになっていた。そしてそれが終わったあとは、玄関の修理と、『桜花亭』の掃除を手伝う予定だった。
 ――実を言えば、心花さんはかなり危険な状態にあった。
 病院に担ぎ込み、診断してもらってから、しばらく入院生活が続いた。というのも、睡眠薬が原因というわけではなく、桜祭雛が亡くなってからの生活――今までと打って変わって多くの人に会い、太陽の下に身をさらし、慣れない食生活を続け、あちこち飛び回ったことで、自覚ないストレスが溜まっていたようだった。二週間ほど、健康的な生活を強要され、そしてようやく、彼女は自由に動き回れるようになった。
「すみません、あり合わせのものですけれど」
「とんでもない」
 僕は彼女と向かい合わせになって、昼食をとった。細長いテーブルだったが、向かい合わせに座れば、気にならなかった。むしろ、部屋が広い分、距離を近くに感じられたかもしれない。
「修理をしてくださる、と言って頂けて感謝しています」
「自分のせいですから」
「でも、せっかく直していただくのにこんなことを言うのもなんですが……実はこの家は手放そうかと思っているんです」
「ああ……そうだったんですか。一人で住むには大きすぎますからね」
 別に、止めようとか、もったいないとか言うつもりはなかった。むしろ、彼女なりに、亡き主人との別れを受け入れられたのだと思い、穏やかな気持ちになれたくらいだった。
「引き取り手が見つかるかは分かりませんけれど……本家の方たちと連絡を取れば大丈夫だと思います。なかなか素敵な家ですから、ここは」
「桜祭家の方々は、今はどこに?」
「恐らく関東の方に。雛様の葬儀でお目に掛かりましたけれど、それ以来会っていませんね。私は元々は、余所者ですから」
「一人暮らしなさるんですか」
「そうしようかなと思っています。幸い、慎ましく生きて行くだけの財産を、雛様は残してくださいました。けれど……そうですね、どこかでお仕事が出来ればとも思っています」
「仕事……そうですね。僕も何かして暮らそうかなあ、と考えているところです」
「立花さんは、今はどこに住んでいらっしゃるんですか?」そう尋ねて、彼女はふっと笑った。「おかしいですね、今頃そんなことを聞くなんて……」
「今は、『逢阪屋敷』の近くで、母と暮らしています。でも、二週間のうち数日は『逢阪屋敷』にいますから、どれが本当の住居なのか」
「そうですか……あの、パートナーがいなくなってしまって、環境が変わったでしょうし……立花さんも、お引っ越しされるのも、良いんじゃないでしょうか。気分転換になるかもしれません」
「え?」
「いえ……」
「そうですね、何か仕事を見つけて……そうしたら、どこかで暮らそうかな。少し広めの家で……」
「ええ……そう、ですね。素敵だと思います」
「どの地方に住もうとか、考えていますか」
「私は世間知らずですから、知人が近くにいた方が良いかなと……」
「そうですか……屋敷の近くは良いんじゃないですか。僕も、力になれますし」
「ええ……そうですわね。考えてみます。いえ、出来るだけその方向に……」
 なんとなく沈黙のまま、昼食を終えた。お互いに妙に大人しく、いつかの夜とは別人のようだった。
「少しお休みになられてから」と言われ、僕はそれに甘んじることにした。疲れはなかったが、彼女といる時間をもっと大切にしたかった。すぐに修理に取りかかって帰宅するのでは、つまらなすぎる。
『桜花亭』は、やはりところどころに人形の姿があった。が、それらは決して僕を敵視していない。どころか、ここにある人形はどれも呪いの人形ではないと、巴が断言していた。なんとなく、そのうちの一体に触れてみる。恐怖心はないが、漠然とした冷たさを感じた。それは、あるいは人形が持つ本来の恐怖かもしれなかった。
 生気を感じない。
 人の形をしているのに、生きていない。
 そんな当たり前のことが、むしろ怖ろしかった。
「立花さん、どうかしましたか?」
「あ、いえ……人形って、怖いなと思って」
「怖い……そうですね、確かに怖いものかもしれません。呪いの人形なんてものもありますからね」
「いや、それより、生気がないのが」
「ああ……そうですね、言われてみれば」
「こんなことを言うと笑われるかもしれませんけど」
「なんですか?」
「僕は、霊感が強い人間らしいです」
「…………はい、そうだと思っていました」
 彼女は、「今更何を」とでもいう表情で僕を見た。わかりきっていたことを、とでも。
「どうしてですか?」
「あれ、よく言いませんか? 霊感の強い人は動物に嫌われるって……」
「……そうなんですか? いや、初めて聞きました」
「まあ……そうでしたか。雛様はよく仰っていたので、立花さんと初めてお会いしたときから、そういうものかと……」
「へえ……まあ、実際のところは当たっています。僕はそのどちらもありますから。そのせいで色々とひどい目には遭ってきましたし……今は幸せですから、構わないんですけどね」
「私も、今は自分が幸せであると認識出来ます」
 生気のない日本人形を目の前に、僕と彼女は、少しだけ、お互いのことで頭をいっぱいにした。果たして何が幸せで、何が不幸せなのか。大切なものを失うことか、大切なものを得ることか。分からない。勝手な理屈で言えば、最終的に満たされるなら、失うことも、それは幸せへの架け橋なのか。
「……そう言えば、ここに飾られている人形は、ほとんど日本人形ですね」
「ええ……西洋人形……特にフランス人形は雛様のお気に入りでしたから、ほとんどがジュペッタになってしまいました」
「そう言えば、例のジュペッタはどこに?」
「囲まれているのも気が滅入るので、倉庫にしまいました。自分勝手な話ですけれど、やはり罪の意識に耐えられなくなるので……ご覧になりますか?」
「倉庫ですか」
「ええ、外にあるんです。あの、実は……整理も手伝っていただけるとありがたいんです。高いところにあるものとか、重い物は苦手で……いつか整理しようとは思っていたのですけれど、そのままにしてあって」
「分かりました。じゃあ、行きましょう。鍵をつけるのはすぐ終わりますから、あとでもいいでしょう」
 倉庫は食堂を通って裏口から外に向かい、石畳を経た場所にあった。しかし、倉庫と言ってもかなりの広さがあった。いっそ、蔵と呼んだ方が良いかもしれない。階段や床はないものの、二階建てに相当する高さがあり、引き戸を開けた先には――恐らくこの『桜花亭』で犠牲になったのであろうジュペッタが、綺麗に並べられていた。
「壮観ですね」
「移動させるのが大変でした」
「かなり天井が高いですね。確かに上のものを取るのは大変そうだ……大半が人形を入れていたケースのように見えますけど」
「ええ……ほとんどはそうですね。あとは海外で買った珍しいものとか……」
「全部下ろして見てみましょうか」
「大変じゃありませんか?」
「意外にも僕は体力があるみたいで」
 梯子を利用して、高い場所に収納されているケースや箱を下ろし、それを心花さんが『桜花亭』へと運んでいった。一面にジュペッタの残骸が並んでいる光景は、まるでそういうデザインのぬいぐるみが売られているようにも見えた。
「お茶でも飲みながら品評会でもしませんか?」
 僕が下ろし終えると、彼女は小さな箱を持っていった。僕はいくつかの箱を積み上げ、一度に三、四つ持ち上げ、それに賛成した。昼食を終えたばかりなのに、もうお茶会になるようだ。けれどそれが楽しかった。今日ももしかしたら泊まって行くことになるかもしれない。そんな予感がしていた。どちらも、何も言わなくても。
 お茶の準備に取りかかった心花さんの代わりに、僕は一人で蔵と『桜花亭』を往復した。形状がまちまちなケースを移動させるのは非効率的だったので、手間ばかりがかかった。
 全て運び終えたかどうか確認するため、ジュペッタたちを動かし、取りこぼしがないか確認してみる。と――隅の方に一つ、小さなケースがあった。丁度、指輪か何かを入れておくようなサイズのケースだ。小さいものだったので、もしかしたら上の棚から落ちていたのかもしれない。そう思えるほど、無造作に転がっていた。僕はそれを拾い上げると、蔵の戸を閉め、『桜花亭』に戻った。
 量が量なので、ケースの類は全て食卓に並べられていた。長いテーブルが初めて僕の中で役に立った形だった。
「ありがとうございます」
「いや、気にしないでください。僕も人形とか、それについたケースを見るのは好きなんですよ。昔のものって、凝ってますからね。あるいは人形本体よりも好きかもしれない」
「私も分かります。箱の内側にも贅沢にシルクが使われていたりとか……それは?」
「これは落ちていたのを拾って来ました。綺麗な箱だったので」
 まるで指輪でも渡すように、心花さんにケースを渡した。実際、指輪のケースと同じような構造だったらしく、蓋は背側の蝶番で留められていた。
「宝石みたいですね」
 蓋を開け、中身を観察しながら、彼女が言う。
「宝石ですか。海外土産ですかね」
「ええ……箱の裏にフランス語で何か書かれていますが……流石に読めません。どこの言葉かを判断するのが精一杯で」
「僕もです」
「あとで調べてみませんか。確か辞書があったはずです」
「是非そうしましょう。僕も知りたい」
 心花さんからケースを受け取り、中身を見た。なるほど、何か禍々しい色の小さい宝石のようなものがあった。綺麗な球体で、とても魅力的だった。
 僕は思わず、それを手に取り、太陽に透かすようにして――窓の方に向けて、手を伸ばした。真っ黒に見えた宝石は、光を受けると、紫色であることが分かった。そして、太陽の光を吸収するように宝石が輝くと――
「……ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる」
 僕の背後で、そんな懐かしい笑い声が響いた。僕が背を向けると――僕の影の中には、黄色い影と、いくつかのファスナーが浮かんでいた。そして今まさに、その影から這い出ようとするように、揺れ動く。

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戯村影木 ( 2014/01/25(土) 12:54 )