四章――Corpse
「もう夜だよ戦」
 金に糸目をつけずに最速での移動を心がけた結果、『桜花亭』にたどり着いた頃にはもう完全に日が沈んでいた。山道を懐中電灯で突き進み、たどり着いた。巴は疲れ切っている様子で、息を切らしていた。
「電気がついていない……いないのか」
「ここに住んでいるのは心花さんだけなんだよね?」
「ああ」
「じゃあ緊急事態だし、お邪魔しよう」
 巴はのんびりとした足取りを崩さずに、玄関の鈴を鳴らした。が、返事はない。
「出かけているとかかな?」
「かもしれない。でも、自ら生け贄になろうとしていたら、出ないだろうな」
「可能性は高いね」
 巴は玄関に手を掛けた。が、案の定鍵が掛かっているようで、開こうとしない。
「……ダメか」
「戦、一応開いている窓があるか見てきてくれる?」
「ん? ああ……それもそうだな」
 幸い、『桜花亭』は二階部分の存在しない建物だった。僕は一周して、木枠の窓を全て調べた。が――開いている窓はひとつもなかった。
「ダメだ巴。全部閉まってる」
「そっか、じゃあ仕方ないね」
 巴はそう言うと、小さい身体の、細い脚を振り上げて、思い切り、玄関を蹴り上げた。
「おいおいおい」
 静かな森の中に、暴力的な音が響く。
「ほら戦も手伝って」
「いや……壊す気なのか?」
「そうだよ?」
 また一発、巴は玄関を蹴り上げる。
「人の命に比べたら安いものだよ」
「まだ中にいると決まったわけじゃないが……」
「いたら大変じゃないか。ドアくらいすぐに直るよ。ほら、戦」
 巴は正論を口にして、また玄関を蹴りつける。が、力の弱そうな巴では、木製のドアを蹴り破ることは出来ないようだった。
「……分かった、僕がやる」
 巴を引き下がらせ、深呼吸を一つしたあと――僕は玄関を思い切り蹴り抜いた。
「おお、流石戦だね」
「あ……いや、こんなに威力があったとは」
 鍵か、あるいはドア自体が古かったのか。僕が想像していた以上に、この攻撃には威力があった。木製のドアというのもあってだろう、ところどころ修復不可能なくらいに壊れてしまったが、形は留めていた。
「と、とにかく入ろう」
「そうだね」
 暢気な様子で家に入る巴について、僕も足を踏み入れた。真っ暗な室内を、懐中電灯で照らす。人形たちに襲われた――と思い込んでいた――時と同じ状況だった。恐怖はなく、不信感もない。
「心花さんがいるとしたらどこかな?」
「多分寝室だ」
「場所は?」
「分かる」
「どうして?」
「行こう」
 巴を連れて一歩踏み出し――嫌な感触。
「どうしたの、戦」
「……僕、今、何か踏んでるか」
「え? ああ……人形だね」
 僕が脚を上げると、巴はそれをさっと抜き取った。除霊師なだけあってか、まったく臆する様子がない。あるいは、人間よりも幽霊の方がよっぽど与しやすいのだろうか。
「ああ、ジュペッタだ」
「ジュペッタ?」
 懐中電灯でそちらを照らす。巴の手に握られていたのは、ジュペッタだった。
「戦のジュペッタとはちょっとディティールが違うね。でも形は同じだ。頭のひょろっぱも共通しているし、本物だろうね」
「ひょろっぱって?」
「ポニーテールみたいなやつだよ」
 巴はその『ひょろっぱ』とやらを掴んで、亡骸であるジュペッタをその辺に放った。巴がやると、粗末な扱いというよりは、同格の扱いという気になるから不思議だった。手慣れているというか、愛情がこもっているというか。いやいっそ、巴は何に対してもそうなのかもしれない。
「戦、大丈夫だよ、私が一緒にいるから。幽霊なんて怖くないからね」
「ああ……」
 なんだか、懐かしい響きのする言葉だった。
 あるいはそれは、小さい頃、巴からよく言われた言葉だったのかもしれない。
「こっちだ」
 廊下を走り、食堂を抜け、懐中電灯を心花さんの部屋に向ける――と、そこかしこに、ジュペッタの残骸が見えた。廊下の至るところに、ジュペッタが。まるで心花さんの部屋から溢れるようにして。
「……」
「ただ落ちてるだけだから大丈夫だよ戦。怨念は感じないし」
「……うん」
 一歩、一歩と進み、部屋のドアノブに手を掛け、開く。
 室内は――やはり暗いままだ。
 ただ、その部屋にも、ジュペッタの残骸があった。ソファに、サイドテーブルに、そして床に。
「心花さんは?」
「この部屋の隣が寝室になってる」
「よく知ってるね」
「行こう」
 懐中電灯を持ったまま、寝室へのノブを回す。巴はまったく怖れていないようだ。懐中電灯がなくても構わないに違いない。呪いの人形のいる屋敷で生活することもある僕は、やはりどこかで、怪奇現象を恐れていたようだった。本物を目の前にすると、あまりの平坦さに驚く。
「心花さん――」
 眠っている可能性を考慮しながら、声を掛け、ドアを開いた。
 そこには――祈りを捧げるように手を組み、美しいドレスを身に纏った心花さんの姿があった。
「心花さん!」
「戦、電気を付けて」
 巴の迅速な発言に、僕はすぐに部屋の電気をつける。一帯に犇めいていたジュペッタの姿はなく、簡素な部屋の中に、彼女の姿があるだけだった。
「完璧に儀式の準備が整ってるね」周囲を見回しながら、巴が言った。「ただ幸いなのは、まだ何も憑依してないらしいことだよ」
「分かるのか?」
「なんとなくね。必要以上に魂の入っているものは、もっとごちゃごちゃしているから」
「――僕がそうなのか?」
 僕が問うと、一瞬、空気が止まる。
 そして巴は、
「戦はそうだよ。けど、悪いことじゃない」
 と言った。
 そして僕と巴はすぐに、床に転がっていた、空になった薬瓶を見つけた。それも一つではない。心花さんはそれを飲んで、眠りについたのだろう。呼吸もしているし、脈もある。死ぬつもりはないはずだ。死んでしまったら、桜祭雛が憑依出来なくなる。単純な睡眠――それを決行したのだろう。しかしこの騒ぎでも目を覚まさない深い睡眠は、異常だった。
「命に別状はない……みたいだな」
「大丈夫だと思うよ。でも、一応病院に連れて行った方が良いんじゃないかな」
「それもそうか……それにここは危険なんだろう?」
「結界? みたいなものがあるね。簡易的なもので、素人作りだけれど」と、巴は玄人じみた発言をする。「儀式についてもそうだよ。この部屋、湿度がすごいよね」
「言われてみればそうだな……」
「それに部屋の窓はわざわざテープで密閉されているみたいだし、予め準備は整えられていたみたいだ。睡眠中に憑依するのもそう、意識が混濁していた方が良いからね。でも、こんなことをしても、私は憑依が成功していたとは思えないなあ」
「どうして?」
「私はよくは知らないけど、桜祭雛さんはきっと良い人だったんだろうと思うから」
「良い人だった……か」
「心花さんが身を捧げてまで蘇らせようとする人なんだから、きっと素敵な人だったんだよ」
 巴の言うことももっともだった。僕も桜祭雛のことは知らないままだが――過去に桜祭家を掌握していたほどの才覚があったのだとしても、人間としては優れていたのだろうと容易に想像がつく。人形に傾倒していたとしても、他にどんな悪事を働いていたとしても、少なくとも心花さんを犠牲にすることはないだろう。
「さ、戦、病院に連れて行こう」
「ああ……」
 僕は心花さんを抱き上げ、巴に先導されながら寝室を出る。一体、彼女はどれくらい眠りこけていたのだろうか。決心を固めたのはいつだろうか。僕がこの家を後にしてすぐか、それとも今日のことなのか。
 廊下に散らばるジュペッタの残骸たちを払いのけ、僕たちは『桜花亭』を出た。
「さて……里までどうやって降りようか。山道だもんね」
「いいよ、このまま行こう」
「流石に戦が疲れちゃうよ。私は体格からして心花さんを担げないし……」
「いや、大丈夫だ。早く連れて行かないと」
「……そう? じゃあ私が先導するね。無理はしないでよ、落っことしたりしないでね。疲れたら休もうね」
「大丈夫だって」
 あるいはそれは火事場の馬鹿力とでも言うものだったのかもしれないが、僕は疲れを感じなかった。心花さんが軽いというのもあるだろうが、それにしても、気が動転していたのだろう、疲労も何も感じていなかった。
「無事で良かったね」
 振り返らないまま、巴が言った。
「巴のおかげだよ」
「へへ」
 そしてきっと、僕のせいだった。


戯村影木 ( 2014/01/25(土) 12:54 )