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「お帰り戦。収穫はあったかな?」
二日後、僕は『逢阪屋敷』を再び訪れていた。
一度家に帰り、荷物は全て置いてきた。
ジュペッタも含めて。
「ああ……彼女には会えたよ」
「そっか、良かったね。話し合いも出来たのかな」
「まあ……それより、今日ここに来たのは、巴に聞きたいことがあるからなんだ」
「!」巴はお茶の準備も早々に切り上げて、僕の隣に座った。「何かな何かな! なんでも聞いてよ!」
「僕は……」
何を、どう聞けばいいのか。
いくつか迷った挙げ句に、尋ねる。
「僕は、巴と同じような体質か」
「ん……除霊師、ってこと?」
「いや、どちらかと言えば、霊媒師か」
あるいは単純に、『霊感が強い』とでも言うべきか。
「……何かあったのかな、戦」
「そうだ、順を追って説明する必要があるよな……どこから話せばいいかな」
「どこからでもいいよ。戦が話したいところからで」
「じゃあ、単刀直入に聞く。ジュペッタは、死んでいたんだな」
「……」
巴は飲み物に口を付け、しばらく視線を逸らしたあと、「うん」と言った。
「一ヶ月くらい前かな。ジュペッタの中から霊力みたいなものを感じなくなったんだ。すっかり抜け殻になっていて、成仏でもなく、誰かに除霊されたわけでもなく、魂が染み込んで、また溶け出したってことが分かった。でも……」
「でも、僕はそれに気付かずに、ジュペッタを生きているものとして扱っていたわけだ」
僕が言うと、巴はゆっくりと頷いた。
「戦は、ジュペッタに話しかけていたし、ジュペッタの鳴き声を――それは幻聴だったと思うけれど、聞いていたようだった。だから私は、戦が気付くまで黙っていようって決めたんだ。もしかしたら残酷な仕打ちかもしれないと思ったけど、戦が認め切れていないだけだったかもしれないし、だから戦が自分でそれを理解するまで、私は合わせることに決めてた」
「そうか……」
しかし僕は気付かなかった。ずっとずっと、ジュペッタが生きているものだと、信じ込んでいた。あるいは僕の視点から見れば、それが現実だったのだ。
「なあ巴、おかしなことを言うと思うかもしれないけど、聞いて欲しい。僕は……ジュペッタが、本当に生きているように見えていた。声も聞こえていて、動いているようにも見えて、たまに顔を動かしているようにも見えた」
「うん。そう、私はそれを見過ごしていたんだ。戦は……小さい頃から、そういうところがあったよね。霊感が強かった。静お婆ちゃん側の血だろうね」
逢阪静――旧姓、藤堂静。彼女は霊媒の力に長けていた、らしい。まあほとんどは憶測みたいなものだ。死して尚、あの和人形に定着して、逢阪屋敷に住み続けている逢阪静。それは、霊媒の力に長けていたからだろうとするのが、僕らの見解だ。
「対する私は、藤堂二助さんの血が強かった。除霊の力だね。だから私は、霊の存在を感じ取ったり、除霊したりは出来ても、怪奇現象に見舞われたりすることはあんまりなかった」
「ああ」
「けど、戦はそういう人だった。だから私は、何度か呪いの人形への対抗策をいくつか教えたよね。普通の人には、ああいうことは起きないから、戦に教えたんだ」
「うん」
野生生物に嫌われることが、僕にだけ起こる特殊な現象だというのと同じように――また、ラップ現象やポルターガイストは、本来であれば、僕の周囲でしか起きない現象だった。
それをいつからか、当たり前の現象として信じ込むようになっていたのだろう。
いつからだろう?
もう、その起源は思い出せない。
思い出せないくらい、以前から、僕はそういうものと付き合っていて――同時に、その『普通』をすりあわせるべき人間関係に恵まれずに育った。
幼少期から、大人になるまで。
ほとんど、巴としか交流を持たなかった。
「僕は、体質からそれを敏感に感じ取るんだろうか」
「ごめん戦、きちんとした説明は出来ないんだ。科学的に証明出来ることではないし、戦の気のせいかもしれない。でもね、例えば、何らかの偶然で落下した人形を、戦は動いたと思ってしまうかもしれないし、戦が自分で動かした人形を、動かしたことを忘れて、『人形が勝手に動いた』と思うことだって、あるんだよ。だから戦には教えたよね――『目を逸らさなければ大丈夫』って。思い込みの問題なんだ。『物理的に起きないことなんだから大丈夫』って思えば、怖いことなんか起きない。安心出来るものがあれば、怖いことなんて起きない。だって戦は、私といるときに、人形に襲われたりしたことはなかったよね?」
「ああ……」
幻覚――幻聴――あるいは幻想か。
僕はいつの間にか、それを共通の現象だと思い込んでいたのかもしれない。けれど仕方がない……普段接点のある人間関係なんて、巴くらいのものなのだから。巴は、唯一の理解者である僕を、異常者として扱いたくはなかったのだろう。だから巴は、きっと、僕に何も言わなかった。僕がそうした体質であることも、それが僕に原因があるということも。
「でも、戦がそれを自分で理解したなら、仕方ないことだね……これからはちゃんと説明するべきだと、私は思う。もちろん、全てが全て、戦の幻覚じゃないよ。私だって、静お婆ちゃんが動いているとしか思えない現象に立ち会ったことはあるし。呪いの人形は実在する。けれど、それと同じくらい……いや、それより多い割合で、戦は怪奇現象と親密になってしまうんだ」
それはもしかしたら、それこそが『藤堂家』の人間にだけ起こる怪奇現象なのかもしれない。どこまでが本当で、どこからが幻覚なのか――分からない。
「まあ……とにかく、色々と、理解出来て良かった。まだふわふわしてるけど、結局僕はジュペッタの死を受け入れられないまま、生きているものと認識していた。そして、怪奇現象についてもまた――同じように、認識していた。結局僕の方がおかしかったんだ」
「そういう言い方は感心しないよ戦。戦は別に、おかしくなんかないんだから。ちょっと人と違うだけだよ」
「分かったよ。巴もそうだもんな」
「うん。だからおかしくなんてないよ」
僕は巴の頭に手を置いて、何度か撫でた。ジュペッタにしていたのと同じことを、あるいは巴にすることこそが、本家だったような気もするが。
「でも、戦が晴れ晴れとした表情になっているし、色々解決はしたんだよね。戦が会いに行った人とも、話し合いは出来たんでしょ?」
「ああ……彼女は、桜祭心花さん、というらしい。本名ではないらしいけど、少なくとも長い間、そう呼ばれていたようだ」
「心花さんかあ、いい名前だね! まだそのおうちに住むのかな。一人暮らしだろうし、心配だな。山奥なんでしょう?」
「あれは彼女の所有物らしいからね。それに、色々思いでも詰まってるんじゃないかな」
「戦、結局二日くらい滞在していたのかな?」
「ああ……いや、一日だけだよ。一日泊まらせてもらって、帰って、一旦家に帰ってひたすら寝ていたからね。心の整理もつけたかったし」
「ああ、それもそうだね。ジュペッタは?」
「家にいるよ。いや、ある……だな。一応……うん、まだそれについてはふんぎりがついていないのかもしれないけど、そのうち落ち着けるとは思う」
「そうだね、哀しいことは永遠には続かないから」なかなか含蓄のある言葉だった。「じゃあ、心花さんはもう、降霊の儀式をしたり、人形蒐集をしたりはしないのかな」
「とは言っていた。実際のところ、もう人形にもあてがなくなってきていて、手の打ちようがないらしい。桜祭雛さんが亡くなってから約一年間、ガムシャラに動いて来たけれど、今は暇をしているらしいよ」
「ふうん、そっか。でも良かった、降霊なんて良いことないからね。私の仕事が増えるくらいで、百害あって一利なしだよ」
「……まあ、そうだろうなあ」
専門家である巴の言葉は、妙に安心感があった。少しだけ揺れていた、『ジュペッタの魂を元に戻せないか』という思いを、真っ向から否定してもらえた気持ちがしたからだ。
「とにかくこれで、彼女はようやく呪縛から解かれたのかもしれない。良かったよ」
「どんな話し合いで彼女を解放したのかは興味があるけどね?」
「別に、普通に話しただけだよ」
「そうは思えないなあ。戦は心花さんのことが好きみたいだったし、大人同士色々あったんじゃないかなあ」つまらなそうに、拗ねた様子で、巴は言った。「綺麗な人だし、どうせ二人きりだったんでしょう。一泊して、何もなかったなんて信じられないよ。私もこう見えて大人だからね、色々知ってるんだよ」
「別に……お互い同じような境遇になって、理解し合って、もう人形を媒体にするのはやめようって話をしただけだよ」
「同じような境遇って?」
「ああ……だから、たった一人の主である桜祭雛さんを失った彼女と、唯一のパートナーだったジュペッタを失った僕は、その魂を呼び戻したいっていう気持ちを理解し合えるようになったってことだよ。気持ちが分かったからなんだって話ではあるけれど……それでも、嘘偽りない説得が出来たと思っている」
「……んん、ちょっと違うな」
巴は眉をひそめて、首を振る。
「確かに心花さんの場合、ご主人様が亡くなってしまったわけだから、降霊したいという気持ちはある。で、その降霊が危険だから、私たちは止めたかったんだよね」
「ああ」
「でも、ジュペッタの魂は、消滅したわけじゃないよ」
「……どういうことだ」
僕は、自分よがりな考えを抱く。
ジュペッタの魂が消滅していないのなら。
また逢えるのだろうか? と。
「ジュペッタの魂はね、戦に取り込まれたんだよ」
「僕に?」
「霊感とか、霊媒とか……そういうのは要するに、霊的なものと交信しやすくなるってことなんだよね。うーん、オカルトちっくな話になるけど、霊界や異界との接点が持ちやすくなるってこと。つまり戦には、魂を受け入れる素質があるってことなんだ」
「……待ってくれ、ジュペッタの魂は僕の中にあるってことか?」
「そうだよ。考えてもみなよ戦、ただ人形になるべくして作られた人形と、霊媒体質の人間、どちらに憑依したくなるかなんて、一目瞭然だよね。私たちがもし死んでしまって、もう一度現世に戻ろうとしたとき、人形みたいに不便な容器よりも、人間になりたいと思うのが当然だもんね」
巴はにっこりと笑い、人差し指を立てる。
「だからジュペッタが死んでしまったのは、同時に戦と一体化したってことだよ」
「……よく分からないな」
「長い共同生活の中で、ジュペッタが戦に憑依したってこと。うーん、というか、もう一体化してるんだよ。除霊しようにもしようがないんだ。ぴったりくっついてしまっているからね」
「僕が取り込んだって言うのか?」
「そうだよ。うーん、そうだね、人形の話ばかりしていたから意識の外だったのかもしれないけれど、降霊って本来は人間に対して行われる儀式なんだよ。人形を媒体として、魂を定着させる。人の形をしているわけだから、家具とか動物なんかよりも、憑依はしやすいよね」
「ああ……それは、そうだが」
「でも、『人の形』をしている人形よりも、『人』自体の方が憑依はし易いんだ。人形はあくまでも代替品。もちろん、一度憑依した霊が別の媒体に憑依し直すなんて滅多にないことだけど、戦はそういう素質があったから、あり得たんだろうね」
「……待ってくれ、それはつまり、例えば僕が降霊の媒体になれば、憑依されるってことか」
「そうだよ。口寄せとか、イタコとか、あるよね。あれと同じ。戦は興味ないとは思うけど、修行を積めば出来るようになる素質はあると思うよ。でも、普通の人間がやったら乗っ取られちゃうかもね……うわ、どうしたの」
僕は返事をせずに巴の手を持って立ち上がらせると、そのまま『逢阪屋敷』を出た。
「ねえ、戦? 突然どうしたの?」
「それが現実的に可能なのだとしたら、心花さんは自分を降霊の対象にする可能性がある。というか、次の媒体となる人形にあてをなくした彼女なら、やりかねない」
「……あ、そう言われればそうだね」
「巴も一緒に来てくれ。知識がある人間が一緒の方がいい」
「でも、私は人には嫌われるよ?」
「人が死ぬよりはいいよ」
「まあ、同意見だけどさ」