三章――Host
 少し過去の話になるけれど、『逢坂屋敷』で怪奇現象に見舞われるようになってから、いくつかのルールを、僕は巴から聞かされていた。主に、呪いの人形たちが、人間に対して、どのような行動を起こすのかについて。
 第一に、彼らは人の見ている前では動かない。しかし、視界に入らない場所であれば、物理的に可能な動きであれば行動する、というものがある。霊的なものがそもそも物理的ではないだろう、という疑問はあるかもしれないが、やはり『人形』という媒体を介さなければ動けないから、壁を通り抜けるとか、空を飛んだりということは不可能であるようだ。
 第二に、人形たちは憎悪の感情で動くことがほとんどである。時折いたずら心で動く人形もいるにはいるが、大半が憎悪を主軸にして動く。人間に対する復讐心で動く。粗末に扱われたり、自分の望まない利用をされたりした場合、そうなるらしい。『逢坂屋敷』で人形たちの主として君臨している『逢坂静』は、自分の定位置から動かされると怒り出す。そういう、意にそぐわない待遇に対しての怒りだ。まあ、あれはわがままと表現するくらいが丁度良いのかもしれないが――
 第三に、人形たちは基本的には集団で行動する。人形同士で意思の疎通を図り、協力し合うことがある。理由は、単純に非力であるからだろう。実際に、『逢坂屋敷』でも、小さな人形たちが協力し合って、人形部屋と呼ばれる部屋のドアを開けたことがある。利害が一致すれば、人形たちは協力を惜しまず、また、自らの犠牲も厭わないのである。
「だから、もし戦がこの屋敷で人形たちに襲われることがあるとしたら――その時は、壁を背にして、個室に逃げ込むのが一番だよ。人形は絶対に、戦の見ている方向から向かってきたりしないし、物理的に持てないもの……例えば、一キロも体重がないような人形は、包丁を持ったり出来ないから、武装もしないことがほとんどだしね。ただ、物理的に可能なら、ロープを張るとか、刃物をまき散らすくらいのことはするかもね」
「……恐ろしいな」
「だからやっぱり、私たちに出来る対抗策はと言えば、視野の狭い場所に逃げ込むことしかないね。相手が一匹だけなら、ずっと監視してればいいだけなんから簡単だしね。ただ、人形が多いところは気をつけた方が良いよ」
「多すぎて監視出来ないからか?」
「それもあるけど、囮になる人形もいるからね。一匹、すごく危険そうな人形がいて、これには気をつけようと思って監視していると――後ろからざっくり、なんてこともなくはないから。本当に、気をつけてね、戦。まあ、この屋敷にはそこまで危険な人形はいないけどね。どちらかと言えばいたずらっ子ばかりだから、命の危険はないけどさ。それに、憎悪の感情が高まれば、人形の形状を維持出来なくなるし」
「壊れるのか?」
「ううん、ジュペッタになるんだよ」
「ああ……呪いの人形か」
 そんな会話が、思い出された。
 呪いの人形……憑依された人形。あれらが原型を留めているうちは、まだ憎悪の感情に完全には支配されていない、ということらしい。憎悪の感情が強ければ強いほど、霊体は人形を喰らい、結果として主導権を握る。いつだったか、霊体は自分好みの人形にしか憑依しない、という説を聞いたことがあったが、そういう意味で言うなら、人形ありきの憑依、という点が、逆転するのだろう。
 感情ありきの生命体になる。
 それが、ジュペッタ。
『物体』から『生物』への変化。
 それが起きる。
 そういう意味で言えば……今、この『桜花亭』の中で僕に敵意を向けている人形たちは、そこまで強い憎悪の感情を抱いているわけではなさそうだ。むしろ、心花さんとの生活で、呪いの人形にはなってしまったものの――第二の運命を、それなりに楽しんでいたのだろう。
「しかし、慣れてはいても……怖いな」
 ジュペッタがいればまだましだったかもしれないが、今は僕一人だけ。一歩進むにも、かなり用心しなければならない。何しろ、人形たちに対して完全に後ろを向いてしまえば、一気に距離を詰められるからだ。
 こんな非科学的な現象を真剣に考察するのもちょっと馬鹿げている気がするが、実際に起こっていることなのだから仕方がない。ジュペッタとか、ゴースとか、ムウマとか……僕の知っている霊体だけでも、本来は恐ろしいはずだ。しかし、どういうわけか、ジュペッタたちは恐怖とは縁遠い場所にいる。呪いの人形の上位種であるはずのジュペッタが怖くなくて、今僕の目の前でじっと僕に視線を合わせている人形たちが怖いのは……本能的なものなのか。
「……とりあえず、応接室か」
 全ての部屋を見回ったわけではなかったが、食堂から一番近いのは、僕が最初に通された応接室である可能性が高い。僕は、出来るだけ人形たちを自由にしないよう、食堂の前にいた人形たちに視線を合わせ、ゆっくりと進んでいた。
 こうした不可解な状況に追い込まれることに、最近、慣れている気がする。どうも、『スケープゴート事件』から、妙なことに巻き込まれる割合が増えた。
 来て早々に『桜花亭』を見学しておかなかったことが悔やまれる。
 そもそも、ジュペッタはどこに行ったのだろう。久しぶりに帰ってきた実家――みたいなもの――だからと、探索に出したはいいものの、そのまま消えてしまった。流石に外には出ていないとは思うが、こんな状況では、人形たちの上位的存在であるジュペッタの力が借りられないのは、残念だった。
 応接室のドアを開け、廊下に視線を向けながら、ゆっくりと閉める。ここに鍵がついていたことは、日中の観察で分かっていた。内鍵を掛けてしまえば、廊下の人形たちは入ってこられない。
「……ふう」
 部屋の電気を付ける。明るくなった室内には、ジュペッタも心花さんもいなかった。いや――それだけではない。
 この部屋に飾られていた人形たちも、全ていなくなっていた。
 ケースだけが残って、空っぽだった。
「総動員か……」
 ソファに腰掛けて、溜息をつく。これで結構、僕は動揺していた。『逢阪屋敷』で慣れているとは言ったって、あの生気のない人形たちが僕に敵意を向けていたら、誰だって怯えるはずだ。
 部屋の周囲を見渡す。人形の気配はない。カーテンは閉まっている。視界を遮る方が危ないと感じ、あえてカーテンを開けた。窓の向こうは夜で浸っている。幸い、外にも人形の気配はない。
 それから、簡単に室内を調べて、どこにも人形がいないことを確認した。このようにして、ひと部屋ずつ調べていく、というのが一番効率が良さそうだ。
 ソファに腰掛け、溜息をつきながら、視線を床に落とした。
 ナマクビ。
「……勘弁してくれ」
 ソファの下から顔を出し、人形がこちらを見ていた。
 笑顔の人形。
 生気の無い笑顔。
 ここで目を逸らせば負けになる。あえてその人形をソファから引きずり出し、持ち上げる。と――
「……いつの間に」
 ――テーブルの上に、人形がいた。
 首を傾げ、鎮座している。
 思考が鈍くなる。
 判断力が低下する。
 呼吸が乱れる。
 頭が真っ白になる。
 引きずり出した人形を、テーブルの上に、並べて座らせた。落ち着こう、と努力する。いっそ、これが二体ともジュペッタなら、そこまで怖くないのに……と思った。視線を逸らさないようにしなければならない。が、視線を逸らさないと、他の場所が危険になる。
 ソファから立ち上がり、そのまま、ドアの方へと後ずさった。テーブルの上の人形を見据えたまま。流石に、人形たちは動かない。一体、どこにいたんだ……いや、ソファの下から出て来たんだから、ソファの下にいたんだろう。
 ドアと壁に肩をぴったりとつけて、部屋全体が見渡せるよう、視界を広く持った。右耳は、ドアにぴったりくっつくように近付いていた。
 恐ろしいのは――人形との接し方で一番恐ろしいのは、見ている以上人形は動かないから、僕がこうして監視している以上、もしかしたらこの部屋にいるかもしれない三体目の存在を、僕は見つけられないということだ。
 しかしどうすることも出来ず、乱れた呼吸を整えながら、一度、大きく深呼吸を――しようとしたところで、右耳に、いくつもの小さな手が、無造作にドアをノックするような、そんな振動が聞こえた。
 目を閉じたくなる。
 耳を塞ぎたくなる。
 必死に、巴との話の続きを思い出そうとする。除霊の心得はなくとも、『逢阪屋敷』を管理していた身として、あるいは『逢阪』の血統として、僕にも人形を制御するための術は備わっているはずだった。


戯村影木 ( 2013/08/07(水) 23:32 )