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「……い、いえ……その……」
心花さんは立ち上がると、俯いたまま、
「ぐ、グラスを持って来ます……」
と言って、部屋から出て行ってしまった。
僕は、自分で言っておいてなんだとは思うけれど、放心してしまった。まるで、自分の気持ちの整理が唐突についてしまったような、そんな、不思議な感覚だった。多分、僕はそういう気持ちで、こういう動機でここに来たのだろう、という感覚を味わった。
勝手に気持ちの整理がついた僕は、妙に冷静になって、一人で食事の続きを食べ始めることになった。なんだか、とても不思議なこと……そう、謎が解けた時のような気持ちだった。
自分勝手と言うのなら、今の言葉が、まさに自分勝手だっただろう。少しずつ、後悔が押し寄せる。けれど、それは正しい気持ちだったのだろう。認めていなかったわけではないはずだ。僕は恐らく、最初に出会った時から、そう思っていた。にも拘わらず、それを押し込めて、彼女と向き合っていたのだ。それはとても――とてもずるいことだ。けれど、それを口にすることも、また勝手だった。
誰かに恋をするという行為は、いついかなる状況においても、きっと身勝手なことなのだろうと、僕はそう思わずにはいられなかった。
――どれくらい時間が経ったのかを、僕はしっかりとは観察していなかった。少なくとも、僕の料理はすっかり食べ終わってしまっていた。心花さんも、ジュペッタもいない部屋。一人には慣れているのに、とても、とても静かだった。
立ち上がり、彼女たちを探すことにする。そっとしておこう、というには、あまりに時間が経過しすぎた。僕の気持ちを聞いて、嫌だと思ったという可能性だって、ないとは言い切れない。僕だって、絶対に受け入れてもらえるなどと思っていたわけでもない。
食堂の扉を開いて、廊下に出た。
「……っ」
僕はすぐに、動きを止めた。
目の前には――
――――。
――――。
何故か、人形がいた。
人形たちが。
人形たちが、集まっていた。
「……心花さんが動かした……わけじゃないな、きっと」
覚えがある。というか、よく知っている。憑依した人形。それは、『逢坂屋敷』においての逢坂静の人形のようなもの。どこにいても、どこに保管されても、定位置に戻る習性のある人形のようなもの。
だから、それ自体に、僕は驚いたりはしなかった。
ただ……その人形たちは、そのドアの前で、僕の顔の高さに視線を揃えて――並び立っていた。まるで僕を責め立てるようにして。敵意を向けるようにして。
いくつもの眼球が、こちらを見ている。
そして数体が、刃物を持っていた。
霊体の憑依した人形の共通点として、人間の目に触れている間は物理的に動かない、というものがある。それが掟なのか、それとも僕らの目にその行動が映らないだけなのかは分からない。だから、この人形たちも、僕が見ている間に何かしようとはしないはずだ。けれど……。
「……怒らせたかな」
人間が複数人集まれば知恵をつけるように、文化を築くように、呪いの人形が多く集まれば、それだけ、知識も増えるし、そこに文化は生まれる。
もし、桜祭心花さんが……僕が好意を持ち、ここから連れ出そうとしている彼女が、この人形たちにとって、唯一の気を許せる人間であり、自分たちの手入れを、管理を、日常的に行ってくれている人なら。子どものおもちゃになるでもなく、誰かの宝物になるでもなく、ただ蒐集され、ただ保管され、一つの屋敷に放置されてしまっただけの人形たちを、唯一、大切に扱ってくれる人間なのだとしたら。
人形たちは、僕に敵意を向けているのだ。
人形としての喜びを失った、コレクションアイテムとしての人形たち――その飼い主を奪おうとする、僕を。
「もしそうなら……悪いとは思ってる。でも、僕も、そうやすやすとは引けないんだ」
僕は食堂のドアを閉め、人形をかき分けて、『桜花亭』の中、心花さんとジュペッタを探しに向かった。