二章――Depend
「どうぞ、座ってお待ち下さい」
 その立ち居振る舞いは、哀野愛というメイドのそれに似ていた。
『桜花亭』に通された僕は、見るからに応接間という部屋に通され、座り心地の良い、脚の低いソファに座っていた。隣には、リュックから出て来たジュペッタが、四肢をだらりと投げ出して座っている。暇なのか、それとも周囲の異様さに困惑しているのか、口のファスナーは開きっぱなしだった。
 異様さ。
 それがまず目に付く。
 室内は、人形だらけだった。メイド服を着た人形が三体、目を伏せるようにして、並んでいる。部屋の奥には、揺り椅子に座って、編み物をしている途中の人形があった。どれも西洋風の顔立ちである。時折、和風な人形もいたが、今まで見た限りでは、全体の二割にも満たない。室内にいる人形はどれも背が高く、『逢阪屋敷』の主と言っても良い、逢阪静の人形のように、実寸大だった。
 他にも、ガラスケースに飾られた小型の――いや、それが普通の大きさなのだが――人形が、何体か点在していた。ガラスケースの中にある人形は、どちらかと言えば大人しい。ポーズを取らされているわけでもなく、また、着せ替えをさせられているようでもない。ただの嗜好品として、飾られている。
「お待たせしました」
「……ありがとうございます」
 銀色のトレーにティーセットを載せた彼女は、僕の前にそれらを並べた。そして、トレーを胸の前に抱えて、僕の横に立つ。
「……座ってください」
「この家では、私はそうした態度を取れません」
「……そんな態度を取る必要はないはずです。ご主人は、亡くなっているのですよね」
 僕が尋ねると、彼女は、いつものような笑みを浮かべる。ああ良かった、と僕は思った。今まで、もしかしたら彼女は、人間ではないのではないか、と思っていたからだ。
「立花さん」
「何ですか」
「もしかして、私を追って来てくださったのかしら」
 彼女はトレーをテーブルの上に置くと、僕の前のソファに腰を下ろした。白と黒で配色されたエプロンドレス。いっそメイド服、と呼んだ方が、本当は正しいのかもしれない。その上、肘まではありそうな白い手袋もつけていた。露出がまったくない。見えているのは、顔だけのようだ。
「正直に言えば、そういうことになります」
「嬉しいです」彼女は口元に手を近づける。そして、人差し指を立てた。「とは言え、あまり褒められた行為ではないですね。私も人のことを言えた義理ではないですけれど」
「それについては、申し訳ないと思っています」
「では、二度に渡ってご迷惑をお掛けしたことは、これでなかったことにしていただけるかしら?」
「僕はもともと、あまり気にしていないんですけどね。それで手を打っておいた方が、貸し借りなくて済みそうですね」
「では、これでチャラですね」
「ぎゅる」
「……何だ?」
 ジュペッタから不満の声を聞いた気がして視線を向けると、ジュペッタはやはり不服そうに僕を見ていた。
「どうかしました?」
「ああ……ジュペッタが暇そうにしているので」
「もしかしたら、行きたいところがあるのかもしれません」彼女が言う。「この子はもともと、この家に住んでいましたから」
「……ああ」
 そう言われてみると、確かにジュペッタは、ここにいたのだ。ジュペッタは最初、『スケープゴート事件』の際に、生け贄として利用された。それ以前のことを、僕は失念していたというか、考えていなかった。ジュペッタは、あの時、巴による修復で生まれたと感じていたからだ。
「いいよ、行ってきて」
 僕は言葉に出しながら、応接室のドアを指さした。しかしジュペッタは動こうとしない。よく考えたら、ドアは一人では開けられない。
 僕はジュペッタを拾い上げると、ドアの向こうに放してやる。
「ほら、久しぶりに探検しておいで」
「ぎゅる……」
「ドアは開けておくから、気が済んだら帰っておいで」
 ジュペッタを廊下に下ろして、ドアを少し開けた状態で、僕はまた彼女の前に座った。そのやりとりが面白かったのか、彼女は微笑んでいた。
「……二人きりになりましたね」
「ええ」
「立花さんと二人きりになるのは、実は初めてなんですね」彼女は上品に笑う。「いつも、他の方の目がありましたから」
「僕はあなたを何と呼べばいいですか?」
「リーチェとでも、深月とでも」
「出来れば、あなたの本当の名前が知りたい」
「……どうかしら」
 彼女は、視線を逸らす。
 きっと視線は絨毯を見ていた。
「本当の名前なんて、あるのかしら」
「……どういうことですか?」
「そのままの意味ですわ。それでも、もし私が長い間呼ばれていた名前を本名とするなら、こう呼んでください」
 白い手袋を抜き取りながら、彼女は言う。
「桜祭心花、と」
「こはな……ですか」
「ええ」
「桜祭という苗字を聞く限りでは、恐らく、本名――では、ないのですよね」
「ええ、そうです」
 二つの手袋を抜き取って、それをテーブルの上に畳んで、彼女は微笑む。
「私は、雛様に拾われた、孤児でしたから」


戯村影木 ( 2013/07/16(火) 19:15 )