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「お邪魔します」
「いらっしゃい……おやあ?」
意外な接点を見つけた僕は、『荻野屋』という質屋にやってきた。以前知り合った荻野六という男性が働く店で、そこは稼業と言って良いような場所だった。質屋の息子というだけあって目が良く利く男で、逢坂製の人形についても、良質な人形であることを見抜いていた。
「立花さんだ。お久しぶり」
「こんにちは」
「どうしたんだ? いやあ、来てくれて嬉しいよ。今はどうも暇をしてるから、中に入ってゆっくりして行ってくれよ」
「いえ、立ち話で結構なんですけど」僕はポケットから小さな紙片を取り出す。「ええと……唐突ですみません。荻野久作という方は、ご存じですか」
「久作さんか。そいつはうちの先祖だね。二代前の店主だから……俺の曽祖父に当たる人だ。それがどうかしたかな」
「実は古くに逢坂家と懇意であったと」
紙片は、十数年前に逢坂家に送られてきた手紙だった。もう既に逢坂家が人形販売から撤退していた頃である。
「へえ、これは……あのお屋敷にあったってことか」
「ええ。そう言えば荻野さんには詳しく話していませんでしたけど……僕はその、今は立花姓ですけれど、元を正せば逢坂の血筋です。調べているうちに荻野という名前を見つけて、もしかしたら、と思いましてね」
「なるほど。質屋には悪いものも流れてきているから、わざわざ逢坂さんのところに確認しに行ったりしていたのかもしれないな。昔は今に比べて、鑑定方法に乏しかったからねえ。ネットもないから、制作者本人に尋ねるなんてこともあったようだ」
仕事中であるようだが、荻野さんはあの時と変わっていなかった。ずっと真っ直ぐに、こういう性格なのだろう。誰に対してもこのように人なつっこいという印象がある。それが不遜にならないところが、彼の魅力だろう。
「そうだ、それと、荻野さんに個人的に渡したいものがあって、持ってきたんですよ」
背負っていたリュックをおろして、紐を緩める。
「……ぎゅる」
中からジュペッタの顔が出てきた。
「苦しかった?」
「おや、ジュペッタだ」
「ええ。ただ、お渡ししたいのは別にあってですね……」ジュペッタを引っこ抜いて、リュックの下部にしまっておいた酒瓶を取り出す。「せっかく荻野さんに会うんだからと、持ってきました」
「おお、こいつは……」
それなりに高価な種類のお酒だった。手紙の発掘ついでに屋敷を荒らしていたら発見されたものだ。荻野さんは両手で瓶を受け取ると、嬉しそうに顔をほころばせた。
「いやあこれはありがたい」
「以前はご迷惑をおかけしましたから」
「迷惑をかけたのはこっちだよ。楽しかったけれどね。ところで立花さん、そのジュペッタは……」
「……ああ、そう言えば、荻野さんは知らないですか。というか、そうですね……みなさんが帰ってから知り合ったんだったか」
「いやね立花さん、失礼な想像だとしたら申し訳ないんだけど、彼女とあれから一緒だっていうことかと……」
「いや、あの、違うんですよ」
そう思われても仕方ないなと思いはした。羞恥心を打ち消すかのように、ジュペッタの頭を連打した。
「まあ、彼女に置いていかれたやつなので、彼女のものと言えば、そうなんですが」
「ふーむ。でも確かあの時の話を思い返すと、ジュペッタは囮にされて、バラバラになったんじゃ?」
「まあ話せば長くなるというか……あまり、気持ちの良い話ではないんです。ついでに言えば、僕がこうして旅支度をしている理由を聞けば、荻野さんは僕を軽蔑するかもしれませんよ」
「そりゃまたどうして」
「あのあと彼女とは色々あって、僕は今から、彼女の家に行こうとしているからです」
「なるほどストーカーだ」荻野さんは明朗に笑った。「ということは、そのジュペッタをあの人のところへ届けに?」
「まあそんなところですかね。それとは別に、個人的にまた会いたいというのもあります」
「なるほどね。なんだか俺は楽しい気分だよ。立花さんたちはね、なんとなくお似合いな気がする」
「だといいんですけどね」
再びジュペッタをリュックに詰める。
「さて……すみません、他にも寄ろうと思っているところがあるので、用事が済んだらさっさと行きます。お仕事中でしょうし」
「いや仕事はいいんだが……悪い、一つ聞いておきたいことがあるんだ。どうしてうちの手紙なんかを掘り出したのか、ちょっと気になってな」
「ああ、それは……」
何か、情報が入るのではないか、という淡い期待が膨れ上がった。あちこちを出歩いている荻野さんは、顔が広そうだ。
「あの、荻野さん、桜祭という名前を知っていますか」
「桜祭? ああ、もちろん。うーん、立花さんの口からその名前が出るのは、ちょっと意外だなあ。いや、ものすごく自然と言えば、自然なのか」
「どういう意味ですか?」
「桜祭雛さんのことでしょう。今、桜祭と言ったら、その人以外には考えられない」
「ああ、やはりご存じだったんですか」
顔も広いが、知識も豊富だ。あるいはネットなんかより、人間の知識の方がまだ役に立つという証左なのか。
「何度かうちで人形を買って行ったことがあるからね。線の細い女性で、まあ本人も人形のように綺麗だったから、よく覚えている。ただ、随分前に病に臥せったと聞いて、それから全く見なくなったなあ」
「そうですか」知らせるかどうか迷ったが、隠すことでもないだろう。「桜祭雛さんは、一年ほど前に亡くなったそうです」
「ああ……そうだったか」
穏やかな表情で、荻野さんは息を吐いた。
「あの人も良い眼を持ってる方だった。人形にしか興味がないみたいで、生き物の話なんかはてんで通じなかったけどね。まあ、かなりの資産家らしくて、割と良い値がついていた人形も買ってくれたよ。うちにあった良質な人形は、全部買われて行ったんじゃないかな」
「へえ……そんなことが」
「この界隈じゃ割と有名な人だったよ。こういう仕事をしている連中には特にね。まさか亡くなっているとは知らなかったが……まあ、お客さんの私生活なんて、ほとんど知る機会はないからね。訃報なら尚更だ」
「買いに来る時は、いつもお一人でしたか?」
「最初のうちはね。しばらくしてからは、うちの親父が目利きして、良いと思ったものは全部買い込んでいたらしい。何度か家に行ったことはあるかな」
「随分遠いですよね。森の中とか」
「ああ……知ってるのか」
「実は、その家に、このジュペッタの飼い主がいるんじゃないか、って気がしていて」
僕はジュペッタを拾い上げる。
僕の腕の中で、ジュペッタが膨れていた。
「……まさか、彼女が桜祭さんというわけじゃないよな。幽霊とか、そういう……」
「ええ、違うみたいなんですが……もしかしたら住んでいるんじゃないか、という希望的観測です。でも、恐らく、いるでしょう」
「なんだか訳ありそうだ。ただ会いたい、というだけじゃなさそうに見える」
「まあ、そんなところですね……」
ジュペッタをリュックに詰めて、それを背負う。まだ、回らなければならないところが多くあった。
「それじゃ、またお酒でも飲みましょう」
「ああ。楽しみにしているよ」
「そう言えば……リザードは? お店には出ていないんですか」
「ああ……あいつは、ちょっと体調を崩してまた寝込んでるんだ。まあすぐよくなるよ。いつものことだからな」
少しだけ困ったような笑顔だった。あまり良くないんだろう、という言葉に受け取った。僕は、そうしたことを、本当はもっと知らなければならない。パートナーを持つということ。それを一生続けて行くということを。
「帰りにでも、また寄らせてもらいますよ。リザードに、何かお見舞いを持ってきます」
「いや、本当に気を遣わなくていいんだ」
「ジュペッタには、何も上げられないですから」
何かをしてあげることや、一緒にいることは出来るが、人形である以上、何かを取り込ませることは出来ない。
「僕もたまには、そういう店に行ってみたいんです」
「……そうか、ありがとう」
「様子を見たら、もっと悪くなりそうですから、お見舞いの品だけでも。それまでに元気になっていれば、もっといいんですけどね」
「ああ。そうなるように言っておくよ」
「すみません。それでは、また」
リュックをもう一度背負い込んだ。
ジュペッタの確かな重量。
しかしこれは憑依していて、本当は何なのか分からない。
小さい頃から、ほとんど何も手に入れられなかったから、僕は失うということに慣れていないのかもしれない。
だから今、自分のために、僕は彼女に会いに行こうとしているのだろうか。
それとも、ジュペッタのためなのか。
「ジュペッタ、もう何件か寄るところがあるけど、飽きないようにね」
「ぎゅる……」
もう飽きているみたいで、僕は少し笑った。それと同時に、この穏やかな日々にもいつか終わりが来ることを改めて認識したせいで、とても、切なくなった。