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「ごめん戦、突然呼び出して」
巴の代わりに参加した『仮面舞踏会』から、二ヶ月ほどが経過した頃だった。僕は巴に呼び出しをくらって、『逢坂屋敷』までやってきていた。最近の巴は働き詰めの反動でか、長く休暇を取っていた。しかしながら、そもそも巴は『逢阪家』の現当主としての地位にあるので、結構な遺産を相続しているはずである。本来であれば、そこまで働き詰める必要はない。その上で除霊師として仕事をしているのは、先祖の後始末という側面もあるだろうが、それ以上に、暇をしているかなのだった。
そんな巴が休暇を取っているというのはすなわち、仕事より重要な作業があるということに他ならない。
「構わないよ」
「ああ、ジュペッタも来たんだね。こんにちはジュペッタ。君は私にも懐いてくれるからいい子だね」巴はジュペッタの頭をぽむぽむと叩くと、さっと拾い上げた。「あれ……まあいいや、さあ入って」
僕は『仮面舞踏会』が終わってからしばらくの間、自分でも病的だと思うほど、桜祭雛という女性のことについて調べていた。
桜祭雛という女性は――既に、この世にはいない。一年以上前に、亡くなっている。
人伝に聞いた情報によれば、桜祭というのは、百年ほど前に運搬業で栄えた家柄であるようだった。しかしすぐに科学の進歩によって物資の移送は簡略化され、人力による運搬に限定した桜祭家の稼業はそれ以上利益を伸ばすことなく、いつからか町中から営業所を撤退、山奥でひっそりと暮らすようになったということだった。
負けを確信してから無駄に足掻かなかったのが正解だったのだろう、桜祭家は大きな損害を被ることもなく、それからは静かな暮らしを突き詰めることになった。財産は質素な生活をするには十分すぎるほどあったのだろう。先祖が残した財産を元に、桜祭家は優雅な生活を続けていた。
しかしいくら財産に余裕があったとしても、それを継ぐ者に自覚がなければ意味がない。桜祭家の直系で生まれた一人娘は、婿を取ることもなく、養子を迎えることもなく、その財産を一つの趣味に当てた。
それが、人形蒐集。
「今お茶を持って来るからね。ジュペッタにもカップを持ってきてあげるね」
「ぎゅるぎゅる」
僕はソファに腰掛け、ジュペッタを専用のスツールに座らせた。ジュペッタには、僕のパートナーになってしまった時点で、たくさんのお友達を作るという選択肢は失われている。必然的に、ジュペッタの交友関係は、僕と巴に限定されることになっていた。だからこのように、箱入り状態で可愛がられるのもやむなしと言ったところだろう。
「随分と巴にも慣れてきたみたいだね」
「ぎゅ」
ジュペッタは足が短いので、脚の短いスツールに腰掛けても、絨毯に足がつかない。少しでもバランスを崩すとすぐに後ろに倒れてしまうので、気が気ではなかった。たまに背中に手を当てて、支えてやる。
「お待たせ」
巴はてきぱきと僕と自分用のカップを並べたあと、プラスチック製のマグカップをジュペッタの前に置いた。飲み物はもちろん入っていない。ジュペッタは飲食をする必要がなかったからだ。しかし、おままごと感覚なのだろう、ジュペッタはたまに僕や巴の真似をして、カップを持ち上げて口元に近づけたりするようになった。が、最近はその遊びにも飽きたのか、自分からカップを持つことは少なくなっていた。
紅茶を一口含む。
さて、本題に入ろう。
「それで、用事ってのは?」
「うん、あのね、色んなところから情報を仕入れてみたら、結構、新情報が判明したから、戦に伝えておこうかと思って」
「桜祭家のことか」
「どちらかと言うと、逢阪家かな」
全く想像していない返事だった。
「逢阪家?」
「うん。戦はあんまり、本家に詳しくないよね」
「まあ……」
言われてみればそうだ。
僕の名前は、立花戦という。立花という家は、そもそもはこの逢阪家の分家に当たる。詳しい家系図を紐解いたことはないのだが……漠然としか知らないのが事実。
「簡単に説明しようか?」
「お願いしていいかな」
「うん。任せてよ!」巴はティーカップを少し強めにソーサーに置いて、僕との距離を詰めた。「よく聞いてね戦」
「お手柔らかに頼むよ」
「まず逢阪家が始まったところから説明するけど……逢阪家が非凡な家系になったのは、了お爺ちゃんの存在が要だよね」
逢阪了。
人形師。
彼が、この屋敷にある人形や、世界中に散らばる『逢阪製』の人形を作った張本人だ。そのあまりの精巧さと、何時代をも先取りしたセンスで、当時の人形界を制圧していたと言っても過言ではない。
「で、その了お爺ちゃんの奥さんの静お婆ちゃん」
「階段にいる人形だよね」
「うん。それと、娘さんの鈴ちゃんの三人が、私たちの家系のはじまり。逢阪家の最初の構成だね」
先祖の逢阪鈴をちゃん付けをしているのには、一応理由がある。
逢阪了は親族に恵まれない不幸な体質をしていた。現代ではあり得ないことなのだろうが、当時は獣と人間の交わりが極希に行われていたという。その結果、おかしな能力を持った人間が生まれることが時折あったそうだ。先祖の逢阪了も、そうした不幸を背負った人間の一人だったのではないかと伝えられている。
その結果、逢阪了は肉親を早死にさせる呪いの体となった。父を亡くし、母を亡くし、そして、妻の逢阪静と、娘の逢阪鈴をも、早くして失うことになった。妻の静は、娘の鈴を産んでしばらくして。鈴は、五歳になるかどうかという辺りで亡くなった、ということを聞いたことがある。詳しく聞いていたわけではないので、多少のずれはあるだろうが、まあ許容範囲だろう。
だから巴は、先祖であるのだが、幼くして亡くなった逢阪鈴のことを、鈴ちゃんと呼ぶ。巴にとっては、小さい娘という印象なのだろう。霊は死んだ時の年齢で外観が固定されるらしいので、除霊師である環境も手伝って、そう考えているのだろう。
「早いうちに静お婆ちゃんと鈴ちゃんが亡くなってからも、了お爺ちゃんは健康体で、独り身のまま、長いこと人形師として活躍を続けたわけなんだよね」
「みたいだね。当時にしては随分長寿だったって聞いたよ。まるで家族の命を受け継いだようだった……と」
「うん。そして、逢阪家の反映の影には、藤堂家の存在が不可欠だったんだ」
藤堂家。
また珍しい名前が飛び出した。
しかし僕はその藤堂家に関しては、逢阪家と同様に、多少なり詳しいつもりだった。
言ってしまえば、巴にしたって同じなのだけれど――藤堂家というのは、現在の逢阪家の、正しい意味での元になっている存在だ。
立花家は、逢阪家の分家であると同時に、藤堂家の直属である。これはまったくややこしい家系になっているのだが、前述した通り、逢阪了は自身の不幸な体質のせいで、妻と子を失ったあとは、親族をそれ以上増やそうとしなかった。生涯独身を貫いた形だ。親密になれば死ぬことが分かっていたし、同じ悲しみを背負う気力もなかったのだろう。しかし、逢阪了の存在で、直近の逢阪姓はほぼ潰えていたので、このままでは逢阪の家系が途切れてしまう。それを案じた藤堂家から、娘が一人、養子に出された。
「藤堂家の、令お婆ちゃん。彼女が逢阪家の養子になって、それから、令お婆ちゃんは了お爺ちゃんの人形を売買するようになった」
「聞いたことがある。店を始めてから、藤堂令は、逢阪姓を名乗るようになったって」
「うん」
では何故、逢阪家に養子が出されたのが、藤堂家の出身者だったのか。
そもそも、当時逢阪了が暮らしていた村には、藤堂二助という同い年の男がおり、この男は村で神主をしていた。逢阪了と幼い頃から腐れ縁で、変わり者同士、気が合ったようだ。
と同時に、藤堂二助は逢阪了の妻、逢阪静の実兄でもあった。今の僕からすると、結婚相手が友人の妹というのは随分と狭い人間関係だなという印象なのだが、一つの村で一生を終えることも多かった当時を鑑みれば、普通のことだったのかもしれない。
「その令お婆ちゃんがお婿さんを貰って、逢阪家はどんどん大きくなったんだよね。親戚を増やして、財産を蓄えて、こんな立派なお屋敷まで建ててさ」
「そうみたいだね」
逢阪了の家族を短命にする呪いは、養子である逢阪令にまでは及ばなかったのだろう。その後逢阪家は繁栄したのだ。この屋敷や、巴の持つ財産がその証である。
「そのうち人形の専門店を開いて、職人さんも何人か雇った。そこにいた立花姓の職人さんが令お婆ちゃんの娘さんと結婚。そのあと独立して、大工さんになったんだっけ?」
「何かしらの職人ではあったらしいけど、詳しいことは知らないな。確か修理工とか、そういうものじゃなかったかな」
「そっか。まあそれでそのあと、私は直系でここまで来て――今、当主としての座におさまっているわけなんだけど、私と戦の体質は、元を正すと藤堂の血筋なわけなんだよね」
「うん、まあそうなるな」
話だけを聞いていると、僕と巴の体質は、親族が早死にするという逢阪了の体質が遺伝しているようにも感じられるが、そうではない。実のところ、逢阪の本筋の血統は完全に絶たれている。だからつまり、僕らの体質がおかしいのは、藤堂家も藤堂家でおかしな血筋だったということになる。
これについては諸説があるが、曰く、神通力が使えるとか、呪術師の末裔だとか、そんな感じらしい。一説には、この屋敷に飾られている逢阪静の人形は、その影響で莫大な霊力を保持しているのでは……とされている。あんなに元気に動けるのも、生前の霊能力が高かったからかもしれない。
「まあ家系のおさらいは分かったよ。それで……それがどう桜祭家と関係してくるんだ?」
「了お爺ちゃんや令お婆ちゃんの代はそこまで人気じゃなかったけど、そこからさらに代を経て……うーん、八十、九十年前、くらいかな。その辺りで、逢阪家は、普通に人形屋として知名度が高くなった時代があったんだよね。了お爺ちゃんの作品はもう打ち止めになっていたけど、ブランドだけで生きていた時代があったわけ」
「なるほど」
「その時、どうも桜祭家と親交があったみたいなんだ」
「へえ?」
意外な繋がりだった。
まあ、繋がりがなければ、巴も話さないだろうけれど。
「ああ、そう言えば、桜祭家は運搬業って言ってたっけ」
「うん。雛人形とか、五月人形とか、そういうものは目録で買っていた人も多かったみたいだからね。今でいう通販みたいなものだけど、そういう時は桜祭家に運搬してもらっていたみたい。かなり大量な取引の記録が残ってたから、専属契約だったんじゃないかな」
「へえ」
「それから、色々と付き合いがあったみたいだよ。逢阪家も桜祭家も、繁栄があれば衰退もあるから、落ちぶれた時期があったみだいだしね。その時にお互いに助け合っていて、付き合いは濃かったみたい。まあ、桜祭家が完全に廃業してからは、密な付き合いはなくなってしまったみたいなんだけどね。どうかな」
「なるほどね」
「……みたいなんだけどね。どうかな?」
巴は大きな目をぐりぐりと僕の視線に押しつけてくる。どうやら褒めて欲しいようだった。確かに、桜祭家と逢阪家の繋がりが知られたのは良いが、正直言って有益な情報とは言い難い。僕はおざなりに、巴の頭に手を置いた。
「まあ、役には立ったかな」
「えへ」
「でも、それだけじゃ進展はないな」
「ぎゅる……」
ジュペッタから不満の声が聞こえた気がしたので、僕はジュペッタを拾い上げて、右隣に起き、頭の上に手を置いた。右手に幽霊、左手に除霊師。体がどうにかなりそうだった。
「あんまり役に立たなかったかな……」
「もっと具体的な情報の方がありがたいかな。いや、まあ、頑張って調べてくれたのはありがたいんだけどね」
「そっかあ」
「例えば……そうだなあ」
言う寸前で、まるでストーカーのようだなと思ったが、色々な言い訳を展開してそれを打ち消す。一応、逢阪製の人形を一体盗まれたという過去もある。
「……うん、例えばさ、桜祭家の住処とか、現在の消息とか、そういうのだったら役に立つかもしれない。でも、巴は桜祭雛さんの自宅は知らないんだよな」
「うん。桐島さんも知らないって言ってたし、仕事の話をした時も、家まではお邪魔しなかったし……あ!」
「どうした」
「そうだ、色々付き合いがあったんだし、もしかしたら手紙のやりとりくらいしてたかも。逢阪の親族は当時はこの屋敷で暮らしていたから、もしかしたら書庫に手紙が残ってるかも。手紙じゃなくても、仕事関係で色々やりとりをしていただろうし」
「ああ……可能性はあるか」
「なーんだ! ちょっと見てくるね!」
巴はぶわっと起き上がり、二階へ駆け上がっていった。しかし階段の途中に腰掛けている逢阪静の人形の前で一旦立ち止まることは忘れない。
「ぎゅ?」
「突然走り出してびっくりしたか。巴はね、まあ……なんだろうな、人に頼られることがないから、というか人と接する機会がないから、嬉しいんだと思うよ。それに、なんだかんだで、逢阪家が好きだからね。歴史を紐解いて、新しい一面を見られることが楽しいんだと思う」
ジュペッタの頭を少し優しく頭を撫でる。言葉は多分通じていないけれど、表情や、口調や、触れる動作で、気持ちを伝えられることが最近理解出来てきた。
「ぎゅるる」
「戦ー! あったよー! おいでー!」
二階から大声が上がったので、僕はジュペッタを拾い上げて、二階へ向かうことにした。
果たして僕は何がしたいのだろう。ただ彼女にもう一度会いたいのか。それとも、彼女にかかった呪いを、払おうとしているのか。