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「ゼブライカ!」
凛々しい声とともに、繰り出されたのは――ゼブライカ、というポケモン。一応、予習だけはしてあった。イッシュ地方のポケモン。全ポケモンを把握したというわけではないだろうけれど、それでも、ある程度は。だから、僕はこのゼブライカというポケモンを知っていた。シママ、というポケモンから進化した、電気単一タイプのポケモン。
四足歩行で、馬に似ている。
いや――縞馬か。
ゼブラだもんな。
「僕っぽいかな」
と、ちょっとだけ思う。
白と黒の、シマシマポケモン。
ちょっと興味が沸いた。
「ふうん、ハッサムなの」
「馬鹿力」
「みがわりっ!」
お互い、指示を出すまでは一瞬だった。流石にカミツレさん、イッシュ地方ジムリーダーというだけあって――バトル慣れしている。当たり前なのだけれど、第一印象があまりにアイドルすぎたせいで、少しだけ見誤っていたのかもしれない。
僕のハッサムが先に動いた。はっきり言って、僕のポケモンが先手を取れないなどという状況は、相手が初手に先制技を選択した時くらいなものだ。そもそもにして、成長度合いから違いが分かる。もちろん、カミツレさんが繰り出したゼブライカはジム戦用に育成されたものであり、本気パーティのそれではないのだろうから、当然なのだが――
それでも成長差が、あまりにあった。
だから僕のハッサムは、ただただ、猪突猛進で、あまりに直線的で、いっそ暴力的で、力まかせな一撃を、ゼブライカに向けて放った。『馬鹿力』という、ありきたりなネーミングは、しかしそれ以外では表現しきれないくらいにぴったりと、その景色に似合った。
ハッサムが持つ、赤い大鋏。
それを鈍器として、ハッサムは利用した。
「――――」
たった一瞬の出来事だ。
様子見なんて、本当は愚かしかった。
本当は、全力でぶつかってくるべきだった。
それを、ジムリーダーの職業病と取るか。
それとも、ただ単に詰めの甘さと取るか。
「……あら」
と、カミツレさんは言った。
胴を全力で撃ち抜かれ、一撃で沈んだゼブライカを横目で見ながら、あら、そう、と。こんなこともあるのね、と、さほど驚いた様子もなく、言った。冷徹というよりは、冷静というべきか。冷酷と言ったら、それは言い過ぎなのかもしれないけれど。
それでも。
「……うふ」
冷笑を浮かべて、
「マッギョ、頑張って」
次のポケモンを繰り出した。
これは――僕はまだ、知らないポケモンだった。見たこともないポケモンだった。マッギョ、という、なんというか腐抜けた名前も、実際に腐抜けたその造型にも、馴染みはなかった。平べったい、ヒラメのような姿で……一見したところでは、それが電気タイプを有しているようには、見えなかった。
どちらかと言えば、地面っぽい。
そんな感覚を、経験と知識で、味わった。
果たして僕は、一瞬のタイムラグを経る。
『馬鹿力』という技は、そのあまりに直線的で、暴力的で、考えなしの一撃の代償として――自身の攻撃力と防御力を下げてしまうという特性を持つ。それはつまり、強さに頼って『馬鹿力』を連発すると、最終的な攻撃力は、平均的なポケモンよりも劣ってしまう可能性がある、ということだ。一回使えば一段階、二回使えば二段階――攻撃力と防御力が下がっていく。
だから考える。
さて、どうするべきか、と。
しかし、相手のマッギョが速攻をするとは思えないし、素早さの観点から見れば、ハッサムが劣るとも思えない。
同時に、一段階攻撃力が下がったところで、マッギョを沈められないほどの低威力になってしまった、ということでもない。
ならばここは――名前の通り。
考えなしに、馬鹿っぽく。
「もう一度、馬鹿力」
と、命令を下した。
そしてその命令に呼応するかのように、
「マッギョ、メロメロ」
と、カミツレさんは命令を下した。
――だからここで。
まあ、本来なら、予想するべきだったのだろうけれど。
カミツレさんという――女性ジムリーダーの使用ポケモンがメスである可能性を考慮して、僕のハッサムがオスであることをカミツレさんが想定するということを考慮すれば、メロメロという可能性を頭の片隅にでも置いておくのは当然で――否、可能性ですらない。考えてみれば、他のポケモンに比べて、ハッサムは雌雄の判別がつきやすいのだから――ジムリーダーにして、他国のポケモンにも精通しているであろうカミツレさんが、僕のハッサムをオスだと判断したのなら、カミツレさんにとって、ここでの『メロメロ』の判断は、絶対的。それを僕が読み誤ったのは……いくら、マッギョが初見だったとは言え、実力不足。だからそれは素直に諦めるとして。
けれど、まさかハッサムの『馬鹿力』が、一段階攻撃力を下げた上での『馬鹿力』だったとしても、
「ウブェ」
と、マッギョの平たい頭を殴っただけで、一撃で葬り去ることがなかったのだということに、僕は心底驚いた。まさかあんなに平べったいポケモンに、そんな耐久性があるとは思えなかった。けれど、それは実際に、僕の目の前で起こった。
そして一撃の攻撃に耐えたマッギョは、
僕のハッサムを、
――メロメロにした。
「うふ」
と――同時に。
僕は気付いた。
知らない間に、僕のハッサムが、麻痺していることに。
「これでキミのハッサムの機動力は激減ね」
そう――だから、やっぱり僕は、見誤っていた。どころか、慢心していたと言って良い。
相手は、ジムリーダーだった。
それを、こんな人混みの中で、白昼堂々戦うとなれば、準備をしていないのだと思っていた。軽く戦うだけだと思っていた。まさか相手も、僕のようなトレーナーを見て、瞬時に『強敵だ』と判断しないと思っていた。
簡単に勝てると思っていた。
否――最終的には、勝つのだろうけれど。
それでも、辛勝するのだろうけれど。
「……」
一度、深呼吸をしよう。
そして、体勢を整える。
いやあまさか……まさか、こんな逆行になるとは。
思えば、関東、上都、豊縁、深奥の四地方にあった日本のジムを、一つを除いて制覇してから、ジムリーダーとは戦っていなかった。冷静に考えれば分かることだ。僕はここ最近、格下のトレーナーとしか戦っていなかった。日和っていた。甘えていた。休んでいた。海外旅行になんて来るくらい、退屈していた。
ポケモンを変えることも可能だ。
回復役を投入することも出来る。
だからと言って――僕はそれをしない。
「ふう」
息を吐く。
目を覚ます。
さあ、戦いの時間だ。
「マッギョ、めざめるパワー!」
そう高らかに宣言したカミツレさんの勢い、あるいはその謎のポーズから鑑みるに、それは僕のハッサムにとって、致命的な攻撃なのであろうことは、火を見るよりも明らか――いや全くもって、読んで字の如く、だからつまり、『火を見るよりも』、明らかだった。
炎タイプ。
その熱源を、前方から感じる。
『めざめるパワー』は、まあその名称からも想像出来るように、ポケモン個々に眠るパワーを目覚めさせたものだ。だから、誰が、どんなタイプの技を使うのかは分からない。僕はあいにくと自分のポケモンにめざめるパワーを覚えさせていないので分からないのだが、極希に、その『めざめるパワー』の有無で、劇的に有用性を帯びるポケモンもいる。例えば攻撃手段に乏しくとも、四倍ダメージに匹敵する属性の一致があれば、弱小ポケモンであれど、生き残る術はある。それは例えば、『飛行』と『ドラゴン』を有するカイリューに『氷タイプ』の攻撃が有効であることのように。『地面』と『岩』を有するイワークに、『水タイプ』の攻撃が有効であることのように。
『虫』と『鋼』を有するハッサムには。
『炎タイプ』の攻撃が、致命傷になる。
もし、僕が普通のトレーナーだったら――恐らくここで、ポケモンを入れ替える。
炎に強いポケモンは、いないわけでもない。
炎タイプ(まあ十中八九そうだろう)の『めざめるパワー』を受けても動じないポケモンに入れ替えて、様子を見る。その上で、対策を練る。ターン数稼ぎと言えばそうだ。あるいは、完全に窮地に立たされている状況だったら、そうした選択肢を取るのが、本来、エリートトレーナーとしては、正解だ。模範的回答という意味では、正解。
回復薬を投入して、麻痺を治すのも良い。メロメロを受けてしまった以上まだ行動の自由は利かないが、それでも次のターン、先手を取れるだろう。いや、行動してみるまで分からないが――マッギョとハッサムでは、成長差の違いも手伝って、麻痺をしても先手を打てるという可能性だって、ないわけではない。
だから、本来であれば、
こんな命令を下すべきではない。
一撃で葬り去られないかもしれないとは言え、もし炎タイプの攻撃なら、致命傷。だったら、大人しく交換するか、麻痺を外すかをするべきだ。僕はマッギョがどのくらい素早さを持っているのか知らない。ハッサムは速いけれど――麻痺状態になってまで先制を取れるほど速いかどうかは、分からない。
大体、四分の一に素早さは削られる。
にも関わらず。
いやだからこそ。
「ハッサム、気合い入れて当てろよ」
僕は告げた。
それは、恐らく、初心者の一手。
常識的には悪手。
プロの世界では通用しない根性論。
だけれど……僕は、多分、そうありたい。どんな肩書きになっても、何歳になっても、無理を通して、抜け目を縫って、可能性に賭けて、意味の分からない可能性を、0か1かの二択を通したい。完全で完璧な戦術が強いのは分かっているけれど。こんなの、ただの運ゲーでしかないのだけれど。こんなのを喰らって負けた日には、ポケモンバトルの在り方とか、ポケモン育成の意味とか、そういうものを呆然と考えてしまいそうだけれど。試合を放棄して、思考を破棄して、ただただ悪態をついて、責任転嫁をしてしまいそうだけれど――
それでも、これって、運ゲーだからさ。
「バレットパンチだ」
僕の視界に、ギャラリーは映らない。
いっそ、対戦相手のカミツレさんすら、ぼんやりとしか映っていない。
ただ認識しているのは、ハッサムと、マッギョだけ。
そして、果たして、結果的に――先に行動したのは、僕のハッサムだった。先制技、という分類にある『バレットパンチ』ならば、麻痺をしていようと、素早さが遅かろうと、先制が取れる。けれどその結果に至るまでには、通さなければならない無理が、山ほどあった。
そもそも相手は電気タイプのポケモン。いくら僕のハッサムが『鋼タイプ』による、『バレットパンチ』の属性一致に加えて、『テクニシャン』という特性による攻撃力強化をしていたとは言え、マッギョは恐らく電気タイプ。威力は半減してしまう。一撃で沈められるかどうかは、怪しいところだ。
その上、麻痺を受けたことで、行動に制限が掛けられている。素早さの弱体化に加えて、高確率での行動制限。麻痺という状態異常の名称通り、麻痺が起こる。それだって、超えなければならなかった。そんな博打。
そして、『メロメロ』という、さらなる行動制限もあった。だから単純に、大雑把な割合として考えれば、五十パーセントの確率で行動制限を掛けられる『メロメロ』に加えて、二十五パーセントの確率で動けない『麻痺』があることで、動ける確率を考えれば、二分の一掛ける四分の三で、八分の三。大体、三十八パーセント……ぐらいか。
まあ、その程度。
分かりやすくいえば、『催眠術』が外れるのと、同じくらいの確率。
……そう言うと、なんだか当たりそうに聞こえるけれど。
とにかく僕は、それを選んだ。
そして結果として――
「………………」
マッギョは、沈んだ。
途方もないくらい、偶然性に頼った勝ち方。それは、いっそ『汚い』と言ってしまっても良いくらいの問題行為だった。少なくとも、エリートトレーナーの行為としては、あまり美しくない。実際、僕もそう思う。けれどその戦い方は、やはり、一般的に見た場合の、『ジムリーダー』と『一般トレーナー』の戦いとして見た場合、
根性の勝利だった。
「うおおお!」
「すげえ!」
「あいつ、すげえ無理を通しやがったぞ……」
そんな声が聞こえてくる。
歓声のような、嬌声のような。
僕はそこでようやく、倒れたマッギョとハッサム以外の命を認識した。呆気に取られたようなカミツレさんと、ギャラリーたちの声。
「……ふう」
カミツレさんは、そんな割れんばかりの歓声の中でもよく通る声で、溜息をついて、
「これは、私の負けね」
と言った。
それは――もう戦えるポケモンがいなくなった、という意味ではないように思えた。ジムリーダーが、たった二匹のポケモンだけを持って外をうろつくとは思えない。だからまだ隠し球はいるのだろうけれど、それでも今、この状況を見て、恐らくカミツレさんは判断した。
これ以上戦うべきではない。
あるいは、今の空気は、勝ちを譲るべきだ、と。
「……ありがとうございます」
だから僕は頭を下げる。
これも大人になった証拠なのか。
「ビギナーズラックというわけでもなさそう」
「はは……どうですかね」
僕とカミツレさんは同時にポケモンを回収する。恐らく、周囲の目にはこう映ったことだろう。『日本からやってきた旅人が、ジムリーダーをフリーバトルで破った』という風に。
「ところで、後ろのクマの知り合いなのかしら」
「クマ? ああ……少佐ですか」
振り返る。少佐はそれに気付くと、白い歯を見せながら、親指を突き立て、ウインクをばっちり決めた。もう四十歳もいいところなのだから無理をしないでください、と切に思った。
「まあ……そんなところです」
「そう。あなた、興味深いわ。是非ゆっくりとお話がしたいわ」
「……光栄です」
「それに……ああ、そう、待ち合わせをしていたのだったわ」
カミツレさんが軽く手を挙げる。視線の先には、ぶっとびガールことフウロさんと、あまりの人だかりに困惑している緑葉の姿が見えた。まあ、なんというか――エリートトレーナー二人と、ジムリーダー三人というこの構図、どこからどう見ても異質の一言に尽きたのだけれど、今の僕は、そういう場所にいることに対して、以前よりも居心地の悪さを感じない。
僕はエリートトレーナーで。
バッジ所持者で。
四天王に挑戦出来る権利も持っていて。
だから――堂々としていていいのだ。
冷めやらぬ歓声に包まれながら、僕はそう思った。