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「少佐……すみません、お伺いしたいことが」
「なんでも聞けよ」
「なんで僕はサングラスの金髪四十路男性と二人きりで観覧車に乗っているのでしょうか」
道中の野生のポケモンたちをダブルバトル形式でばったばったとなぎ倒し(ていうかほとんどがダークライによる昏睡からの少佐のエレキブルの粉砕パンチでのKOだったので戦闘行為すらしていないのだけれど)フキヨセからホドモエシティを戻って、ライモンシティへと帰ってきた。ライモンシティは最初は素通りしただけだったのでほとんど観光らしい観光はしていなかったのだけれど、東の方に遊園地があった。そして何が起きたのか僕には全く分からないのだが、気づけば僕は少佐と共に、観覧車に乗っていた。
二人きりで。
男同士で。
……暑苦しい。
「面白そうだからに決まってるだろ」
「そうですね、少佐はそういう方です。僕は分かってるつもりだったんですけど……いやー、忘れてたんですかね、僕も二十歳を過ぎて、どういうわけか、温厚になりました」
「そういや二十歳だもんなあ。怖いよなあ。豆粒みたいだったのにな」
「少佐と出会った頃にはほとんど身体が完成していた気がしますけどね」
「大人になるもんだ」少佐は窓の外を眺めながら言った。「今、下にある建物見えるか?」
「あー、はい。ジェットコースター的なものが見えますね」
「あれがライモンジムだ」
「……いやいやいや、 どう見てもあれ、遊園地ですよね」
「関東のジムリーダーがいかに大人しいかがよく分かるだろう。ジムの中が遊園地であり、ファッションショーが出来そうなステージにもなっている」
どうなってんだよ。
上都は檜皮、筑紫のジムが可愛く見えるレベルだ。ジェットコースターのジムってどういうことなんだ。意味が分からない。
「どうしてジムリーダーって変態ばかりなんですか」
「変態に直接聞いてみたらどうだ?」
「だから少佐に聞いてるんですよ」
「んなもんお前……なんでだろうなあ?」
困惑したように眉を顰める少佐。こいつ、自覚がないのか……なんということだろう。変態は自覚がないからこそ変態なのだろうか。僕は自分の行為を逐一客観視していこうと決意を新たにする。
「で、僕たちは観覧車をあと何周するわけですか?」
「フウロと嬢ちゃんが来るまでだ」
「? よく分からないですけど、観覧車で見張る必要があるんですか?」
「あー……どっから説明するかな。この街のジムリーダーはカミツレっつーヤツなんだが、さっき会ったフウロってやつと仲が良いんだよ。俺の読みだと、フウロは嬢ちゃんを連れてライモンに来る。で、フウロは脳天気な女で……ぶっとんでる。ぶっとびガールと呼ばれるくらいだからな」
「少佐のイナズマアメリカンみたいなものですか」
「俺の場合は現在進行形で黒歴史だな。ていうか俺、もう四十路だし……」
「落ち込まないでください」
「とにかくぶっとんでるやつだ。だから他人の都合とか色々は別に考えない。ていうか物事を深く考えない。多分さっきの思考回路も、『わあ可愛い女の子!』と嬢ちゃんを見て思って、『今日暇だから誰かと遊びたい!』と思って、『カミツレちゃんに紹介しよう!』くらいなものだと思うぞ」
「ていうかなんでそんなに熟知してるんですか。海の向こうの人間なのに」
「俺の顔の広さを甘く見るなよ? お前の知らないところで実は何度もイッシュに出張に来てたりはするんだよ。愛しのハニーにも会いたいしな」
「ああ、そう言えば……なるほど、もしかしたら日本の他の地方のジムリーダーより付き合いが長いのかもしれない感じですか」
「そうとも言えるなあ。とにかくフウロは気前が良いっつーか、懐が広いっつーか、滑走路を駐車場感覚で借りてるわけだ。船でイッシュ来るとか絶対やりたくないしな」
「朽葉港管理者が何を……」
「それに、ここのライモンジムのジムリーダーのカミツレってのは、電気タイプ使いなんだよ」
「へえ、そうなんですか」と、僕は素直に驚いた。「やっぱりタイプが同じだと接点が生まれたりするものなんですか?」
「だな。まあそんなわけで、あの娘たちの同行は大体読める。そこんところを狙い撃ちするわけだ」
「狙い撃ちですか」
「カミツレのジムは出禁にされてるからな」
「……あんたさあ」
二十歳になって、言葉遣いには敏感になったはずだったけれど、そんな風に言ってしまうくらい、このおっさんは、アレだった。
言葉も出なかった。
いやそれでこそ少佐だけど。
母国でまでかよ……!
「いやハクロお前なあ! カミツレを知らないからそんなこと言えるんだよ! レベルが違うんだよレベルが! そりゃ日本人的な美しさは俺は好きだがよ。枝梨花みてーなのを眺めるのは楽しいし、ああいうおっとりした上品な美ってのも良いとは思う」
「何を熱弁してんですかおっさん」
「だがなあ! カミツレはジムリーダー業とモデル業を兼業してるんだ。生命体としての造形はジムリーダー界随一! 外人の肌のきめ細やかさと透明感を見ろ! これが我慢していられるかってんだよ」
「へえ……あのフウロさんよりですか?」と、僕は実直な感想を述べる。少佐の言う造形という意味に曖昧なところもあるけれど、ナイスバディ、という言葉は多分あの人のためにあるものではないだろうか。「すごい恰好とスタイルでしたけど」
「否定はしないが、うーん、ありゃ男から見れば完成されたスタイルだろ。カミツレの場合はなんつーかな、人類から賞賛を浴びるタイプだ」
「へえ……見てみたいですねえ」
と。
僕が言ったかどうかというところで、丁度観覧車は頂点を過ぎたところだった。ライモンシティの全景が見通せる高さ。どうやら面積の広い施設が多くあるようだ。ライモンシティの中心にはその他の施設よりさらに巨大な建物も配置されている。
「都会ですねえ」
「まあ確かに、賑わってる街だな。ヒウンも都会は都会なんだが、企業の本社とか、店が多くあるって感じで、お祭り感には欠けるんだよなあ。多分、イッシュ地方で一番賑わってる街って言えば、ライモンだろうな」
「関東で言う、玉虫と山吹の違いみたいなものですか」
「あー、言い得て妙だな。確かに都会は山吹なんだけど、盛り上がってる感じはしねーよな。あそこもそういや、本社があったか」
そんなくだらない会話をするために僕はイッシュ地方に来たんだっけ、と若干の疑念を抱いてみるけど仕方がない。まあ久々にこうして少佐と言葉を交わすというのも乙なものだ。実際、旅人として生活している間は、こうした会話に飢えていた部分もある。もっとも――なんというか、僕がポケモントレーナーとして名乗りを上げて、エリートトレーナーとしての実績を積んで、なんとなく自信がついてから、正式に緑葉に告白なんかして……まあ今考えるとそんなこと言うまでもなく僕たちは通じ合っていたような気もするんだけれど……それでもちゃんと告白して、付き合うようになって、彼氏と彼女という関係になって、結構色々と、まあ仲良くなって――それは精神的にも、肉体的にも、近づいてという意味だけれど――それでも緑葉は緑葉として、僕は僕として、一人のトレーナーとしてお互いにそれぞれ遠いところにいて、それでもお互いなんとなく、一度そうした関係になってしまうとやっぱり頻繁に電話なんかしたりしてしまって、だから日常会話なんかは緑葉とはもう本当に毎日のようにしていたわけだけれど――それでもこういう、気の知れた同性の知り合いというのは僕には少ないから、少佐のような人と話していると、救われるというか、癒されるというか、そういうところも、確かにあった。
「おい見ろ!」
唐突に、少佐が言った。興奮している様子だった。少し普段と様子が違う。それは、ただ可愛い子がいるからという雰囲気よりも、何かただ事ではない、少佐が予想していなかったようなことが起きたという雰囲気だった。僕は慌てて、少佐の目線を追うように、窓の外を覗き見る。
「どうしたんですか」
真面目な様子で、訊ねる。
少佐の目は、男の目をしていた。
こんなに真面目な少佐の顔を見るのは、いつ以来だろう。
仕事をしている時の目。
ジムリーダーとしての顔。
僕の約二倍の人生を生きてきた、大人としての顔。
何が起きたのかと、僕は思う。
そして、少佐は言った。
「カミツレの野郎……黒髪になってやがる」
よくわからないことを言った。
もうどうでもいいやと思った。
もうどうにかなってしまえと思った。
「帰って良いですか、関東に」
「いや驚けよ! あ、お前はカミツレの金髪時代を知らないのか! 衝撃なんだぞこれは! くそ……流石に国外のモデルの情報なんて日本にはほとんど入ってこねーからなあ……俺も最近はチェックを怠っていたからな」
「ていうかそもそもしてたんですか」
「これはなんていうか、そうだな……俺が軍服を脱いで黒髪の七三分けでスーツを着たような変化だ」
「うわ、嫌だ」素直に言う。
「ところがそれが似合ってる方への変化だったわけだ……くそ、なんで俺は観覧車になんて乗ってる。早く下ろせ! 責任者出て来い! 実力行使に出るぞ!」
「自分で乗ったんでしょう。それに、責任者ってあのカミツレさんなんじゃないんですか」
「よく考えたらそういうことになるな」少佐は落ち着いたようで、どっかりと椅子に腰を下ろした。「しかしカミツレの野郎、外に出て来たはいいがどこかに行く様子はねえな。おー……見ろ、一般客がカミツレに吸い寄せられていくぞ。電磁石か何かかあいつは」
「知りませんけど」
「ふうむ……まあ多分フウロから連絡があって、外に出てこいとでも言われたんだろうな。さっき話したと思うが、あのジムの中は複雑な構造だから、カミツレに会いに行くのも一苦労なんだよ」
「ああ、ジェットコースターがどうとか。あれ? でもそれなら少佐が覗きをするのも難しいですよね。なんで出禁になったんですか」
「イッシュ地方だとジムトレーナーに顔が割れてねえからさあ、普通に挑戦した」
「あんたはモラルを持とう」
「うわー、二十歳そこそこのガキにあんたとか言われて怒られたー」
などという、もはや伝統芸能レベルの軽口の応酬を済ませ、僕たちを乗せた観覧車はゆっくりと下降し、僕たちを地面へと連れて行った。その間少佐はいかにカミツレさんが美人か、人気者か、そしてポケモントレーナーとしても一流かという話をしていたのだけれど、それはなんだか美人に興味津々のおっさんというよりは、自分の娘を自慢するおっさんのようにも思えた。そう言えば、少佐にはお子さんはいらしたんだろうか? そういう話を、あまり、深くした覚えがない。まあ、無理に聞くことでもないのだろうけれど。
「というわけで、ハクロ」
地面に降り立ち、数メートル先にカミツレさんとその取り巻き(目算で百人ほど)を見据えた状態で、少佐は僕の名前を呼んだ。
「なんですか?」
「ど派手な第一印象を決めてこい」
そう言って、僕の背中に手を置く。
「えーと……なんですか?」
「カミツレはただのファンなんかに興味は持たないからな。お前が優れた人材だということを示さんと多分興味を持ってくれないからな」
「いや、別にカミツレさんと懇意になるつもりはないんですが……」
「嬢ちゃんの利益にも繋がるのになー、イッシュのジムリーダーとコネが出来れば有力だろうになー、そうしたら嬢ちゃんは喜ぶだろうになー」
もう顔面パンチを決め込みたくなるような鬱陶しいことを言う少佐。しかしながらそう言われてしまっては引くに引けないのが僕という男だ。はあ……自分で自分が情けない。しかしそれで良いんじゃないか、と最近諦め気味の僕も、確かに存在していた。
「具体的に、どうすれば良いですか?」
「お前の長所はなんだ?」
「……強さ、ですかね」
「言うようになったなあ」
そして少佐は思いきり息を吸い込んで、前方の大群に向かって、叫んだ。
「おーいカミツレ! 日本からチャレンジャーだ! 一丁相手にしてやってくんねえか!」
と、豪快に叫んだ。
瞬時に僕を向く大群。
そしてその中心にいる、一際背の高い、すらりとした女性。
「日本から?」
鬱陶しいBGMやアトラクションの稼働音に満たされていても、遠くにいるはずのカミツレさんの声は僕に届いた。姿はよく見えないけれど、声は確かに届く。
「ふうん、面白そう。いいわよ」
カミツレさんがそう言うと、群衆が少しだけ、距離を取り、僕の方に、視線を向ける。
「……大丈夫ですかね、少佐」
「別にジムリーダーとはジムでしか戦っちゃいけないなんてルールはねーよ」
「いえ、そうじゃなくて……これから公衆の面前で、ジムリーダーを倒しちゃうわけですが」
「……」
少佐は僕の顔をまじまじと見てから、一気に破顔する。
「あっはっは! もう最初から勝つ気満々かよ。いやー、長旅を経て、自信もついたってことか。俺もお前と戦いてえなあ。けど、まあまずはカミツレからだな。あいつは打ち解けた方が面白いヤツだから、さくっと戦ってこい」
「それじゃあ……まあ、そうですね」
僕は、どうしたものかと、思案する。
僕は、ポケモントレーナーになった。
僕は、エリートトレーナーになった。
ダークライ一匹で、それだけで戦いを続けて、勝ち続けて、勝利を収め続けて、連勝に次ぐ連勝を重ね、もう自分でも覚えていないけれど、恐らく生まれた頃から一度も負けたことなんてなくて、それは絶対に揺るぎないものだと確信していて、だからこそ今回も勝ってしまうのだろうと、否応なく、自然の摂理のように、まるで当たり前に、なんの不安要素もなく、勝利を手にしてしまうのだろうと――僕は分かっていて、だからこそ、思案する。
どうやって勝とうか。
何で勝とうか。
実を言えば僕は――大人になった。
成長してしまった。
それはもしかしたら、哀しい成長なのかもしれない。
或いは、幻滅するような成長なのかもしれない。
美しさを失って、
儚さを手放して、
僕は大人になった。
ダークライ、という、唯一無二の親友を手に入れた僕ではあったけれど、それだけでは足りないのではないかという危惧があったわけではないし、それだけでは物足りないと思ったこともなく、ただひたすらに、がむしゃらに、一匹と一人という関係性で生きて行くことも、やぶさかではないと思っていたのだけれど。
それでもポケモントレーナーとして、
それでもエリートトレーナーとして、
思うところは多くて。
だから僕は、パートナーを増やした。
だからこの場で――例えばダークライを先頭で出してしまえば、それで勝敗はついてしまう。けれどそれはつまらないから、面白くないから、見ていても、退屈だから――
僕は選ぶ。
電気タイプの、ジムリーダー。
少佐の知り合い。
イッシュ地方のポケモンには詳しくないけれど――それでも僕は、選ぶのだ。
「行くよ、ハッサム」
切っ掛けはなんだっただろうか。
赤くて格好いいな、なんて想像もあった。
シュッとしていて、単純に、デザインが格好いいなと思った。強そうだとも想ったし、何より、端的に、その造形が好きだった。
けれど、それに至った理由はまた違う。
虫。
鋼。
その二タイプを併せ持つポケモン。
どうしても、筑紫と木賊が、思い出される。
檜皮ジムでの一戦。
その時に感じた、ジムリーダーの尊厳。
或いは、年齢を超えた才能。
戦いって面白いと、改めて認識した一戦を思い出す。
そしてそれを忘れないためにも、選んだ、僕のパートナー。
僕はきっと、負けないだろう。
それでも僕は、いつでもこう思う。
絶対に、勝ちたい。
「今日も一緒に、頑張ろう」