ポケモン4。
 或いは少し――思い出話でも、語ろうと思う。
 僕の旅の中での、ジムリーダーたちとの、逢瀬のことを。それも、とくに、馴染みのある人たちとの――邂逅。それは別段、特別ということではなくて、まったく普通の、いっそ予定調和のようなものだけれど、それでも少し、思い出話として語ってみるのも、悪くはないと思う。
 例えば――枝梨花さん。
「すみません、約束を果たすのが遅れてしまって」
「いえ、いいんですよ。こうしてちゃんと、果たしにきてくださったのですから」
 と。
 僕が単身、玉虫ジムに向かって、枝梨花さんに挑戦をする時、枝梨花さんはそんな風に、優しく笑って言った。
「大変だったそうですね、双子島の件……」
「ああ、まあ……でも、なんともなくて、良かったです。なんともって言うのはつまり……怪我をしたりしなくて、良かったです。誰も、死ななくて」
「ええ、そうですね」
「というわけで、枝梨花さんに挑戦をしに来たわけなんですが……一つ、言い訳というか、訂正を」
「あら、なんでしょう?」
「以前、枝梨花さんと会った時……初対面の時なんですけれど、僕が軽装だって仰っていましたよね。それを訂正しないと、と思って……あの、僕、ポケモン、一匹しか持っていないんですよ」
「あら、そうだったんですね。良かった」
「……何がですか?」
「いえ、お恥ずかしい話ですけれど」
 枝梨花さんは口元を押さえる。
「一匹だけでも、勝てる気がしていなかったので、二匹以上いたら、戦うのが嫌になるところでした」
 と、枝梨花さんは言った。
 それは僕をバカにしているわけではなくて、当然、からかっているわけでもなくて――まったく、言葉通りの意味。まったくそのままの、意味だった。戦うのが嫌になる。その気持ちを、僕は知っている。ある種、枝梨花さんの抱いているものとは別のものなのかもしれないけれど――似た感情を、僕は持っている。
 勝敗が分かってしまうから。
 勝敗を分かってしまうから。
 勝敗で分かってしまうから。
 戦う前に、勝敗が。
 戦う事で、勝敗を。
 戦う末に、勝敗で、力量差が、分かってしまうから。
 戦うことが、嫌になる。
「それでも一匹なら――」
「ええ、可能性があるかな、と、私は思います」枝梨花さんは和服のままで、すっと、反動もなく、無駄な動きなんて一切なく、立ち上がる。「万に一つの可能性ですけれど」
「そんな……僕、挑戦者じゃないですか」
「ポケモントレーナーはいつだって、挑戦者なのですよ」
 と、枝梨花さんは言って。
「お願いします」
 そう、深々と、頭を下げた。
 もちろん勝敗は、僕の勝利だったけれど――
 それでも学ぶべきことは、多すぎた。あるいは僕が、学ぼうと思ったからこそ、学べたことなのかもしれないけれど、それでも特別に、学ぶことが、多かった。
 僕は枝梨花さんに、感謝してもしたりない。
 緑葉のこともそうだし。
 僕自身のことだってそうだ。
 ジムリーダーは、だからつまり、一介のポケモントレーナーを成長させるために、存在しているのだろうと、思った。それは深奥であろうと、豊縁であろうと、上都であろうと、関東であろうと、全く、一切合切関係なくて――ともすれば僕は彼らのことを、四天王になれずにいる強者という程度にしか思っていなかったかもしれないけれど――彼らはトレーナーを成長するために、仕事をしているのだ。
 だからそれは、とても素敵な職業だなと思った。
 だから、まあ。
「イッシュの姉ちゃんはいいケツしてんだよなー」
 とか言っている少佐のことも、今までのように、即座に最低だと思わない程度に、僕は成長していた。
「だめですよマチスさん、そういうこと口に出しちゃ」
「ん、んー……そうか? じゃあ、心に秘めておくか」
 緑葉に叱られて、困ったように頭を掻く少佐。
 いやー……どういう光景だよ。
 しかし緑葉、少佐に対して物怖じしなくなったよなぁ……十五歳で付き合いが始まって、それから結構頻繁に会っていたら、こうなるもんかな? まあ、慣れたということなのかもしれないけれど……僕だって、最初は少佐のこと、ちょっと怖がってたからなあ……なんて。
 そんなことを思いながら、僕たちは、現在電気石の洞穴とやらを抜けて、道なりに進行中だった。
 空を飛べば一発らしいのだけれど、僕や緑葉はイッシュ地方のバッジを持っていないので空を飛ぶことは出来ないし、せっかくのイッシュ地方、飛んで行ってしまうのは味気ないというわけで、ひたすらに、ただただ、歩いていた。
「結局どこに向かってるんですか?」
「んー、フキヨセシティだ」
「フキヨセ……ああ、ジムあるところですよね」
「ああ。そいつにもちょっと会っとくかって感じでな。それに、滑走路勝手に使ってんだ」
「滑走路……ですか?」
「ああ。そこにジェット機停めててな」
 少佐の言っていることが上手く飲み込めないままだったけれど、僕は適当に頷いておいた。
「しかしさっきの……電気石の洞穴でしたっけ。少佐好みな感じの洞窟でしたね」
 進行の邪魔になるから、という理由で、スプレーを撒き散らしての進行となったけれど、遠目にも、全く馴染みのないポケモンたちが見て取れた。
「おー、だろ? 昔はよく遊んだもんだ」
「へー、やっぱりそうなんですか。でも、少佐こっちのポケモンって全然使いませんよね?」
「そりゃまあなあ……俺がジム戦で使うポケモン覚えてっか?」
「えーと……」
「マルマインとライチュウとエレブーですよね」
 僕の代わりに緑葉が答えた。
「流石は緑葉だ」と、少佐は嬉しそうに頷いた。「あいつらはな、関東地方で出てくるポケモンなんだ。一応、そのジムのジムリーダーは、ジム戦ではその地方のポケモンを使うように決まってんだ」
「へー、そうだったんですか」
「つっても、お前どうせ知らないだろ」
「……ですね」
 そりゃそうだ。
 僕は『道場破り』という形でしか、ジムリーダーと戦ったことがない。だから、そのジムリーダーがどんなポケモンをジム戦で利用しているかということを、知らずにいる。
「緑葉は分かる?」
「え、うん、そうだなー……言われてみればそんな感じかも。その地方の特色に合わせてポケモン使ってる感じかな」
「ポケモンバトルってのはさ、育てればいいだけじゃないだろ」
「というと?」
「勝つためにはさ、対策をしなきゃいけねーだろ? だからその地方で目にするようなポケモンじゃなきゃダメってことだ。その地方でしばらく生活してりゃ、ジムリーダーの使うポケモンがどんなか分かる。でも、関東でイッシュのポケモン使ったら、困るだろ?」
「あー……なるほど」
 結構、考えられてんだなあ、ポケモンリーグ。
 確かに、ジムリーダー、一応タイプで固めているから何タイプかということは分かるけれど――複合タイプだったら、お手上げだからなあ。
 色々と、そういう問題も、あるわけか。
「つーわけで、ついたぞ」
 と、少佐がいったところで。
 僕たちは、ようやく、フキヨセシティに、やってきた。
「へー……なんか、一転して、閑散としてますね」
「まあ、田舎町だな」少佐は何でもないように言った。「ホドモエも田舎っぽいけどなー、あそこは店が多いからあんまり過疎ってるイメージないかもしれないな。交通手段もでかい橋だし……まあいいとしてだ」
 少佐は素早い足取りで、一番目に付きやすい場所にある建物に向かって、歩き出した。外観からしてフキヨセジムだろう。僕と緑葉も、なんとなく、そのあとに続く。ジムに挑戦するつもりなんて毛頭なかったけれど、それでも、ジムリーダーの顔くらい見ておこうか……と。
「……あ」
 少佐の進行方向で、一人の女性が、こちらに気づいて、声を上げた。
 うわ……露出度たけえ。
 そして胸がでけえ。
 僕の第一印象はそんな感じだった。
 いかんいかん。
 緑葉が隣にいるというのに……。
「マチスさん」
「おーフウロ! いやー相変わらずグラマラスな」
 殴られた。
 グローブ越しの拳で、がっつりと。
 ……いや、少佐だから、あえて受けたんだろうけど。
「滑走路を勝手に使わないでください!」
「……すまねえ。思い立ったのが朝だったから連絡も付けようがなくてよ」
「だったらジムが開く時間に合わせて来てください!」
「返す言葉もねえ」
 珍しく頭を下げる少佐。
 いやでも……知り合いのようである。
 つうか、どう考えても、ジムリーダーか。
「俺のジェット機どうした?」
「移動させておきました」あり得ないようなことを、彼女は簡単に言う。「でも、急にどうしたんですか? 何か仕事でもあったんですか?」
「あーいや、休暇っつーか、私用なんだけどな。船旅とかなげーだろ? だからさっと飛んできたわけだ。フウロ、お前忙しいのか?」
「別に忙しくないですけど……あら、こちらのトレーナーさんは?」
 と。
 ようやくその女性は――フウロさん、というらしい。変わった名前だ――僕と緑葉に、視線を向けた。うーわおっぱい揺れてるよ……とか、そんなことは僕は一切思っていないことを、ここに名言しておく。
「ああ、俺の知り合いだ。二人ともエリートトレーナー……だったよな?」
「あ、ええ……初めまして。ポケモントレーナーの……じゃないや。エリートトレーナーの、ハクロです」
「同じく……緑葉です。二人とも、関東から来ました」
「わあ、初めまして! 遠いところからいらっしゃい! 私はフキヨセジムリーダーのフウロ! よろしくね!」
 うわー……明るい人だ。
 第二印象は、そんな感じ。
 ジムリーダーじゃなきゃ一生接点なんて生まれないような、そんな関係性だった。
「よろしくお願いします……」
「よろしくお願いします!」
 僕とは対照的な、緑葉の返事。
 うーん……緑葉はジムリーダー向きかもしれない。
「でも、マチスさんの飛行機、一人乗りですよね?」
「あー、こいつらは船で来たんだ。観光客なんだよ。俺が暇だったんで、連れ回してんだ」
「ああ……」フウロさんはとても同情するような目を、僕らに向けた。「大変だね、君たち」
「ああ……ええ、分かっていただけますか」
「うん。同情するよ」
「おめーら勝手なこと言ってんじゃねえぞ」
 少佐は僕の肩をぐいと引いて、自分の側に引き寄せる。
「そういやカミツレはどうしてる? 忙しいのか?」
「カミツレちゃんも今はあんまり忙しくしてないんじゃないかな? あ、でもジムの話だから……モデルのお仕事は分かんないなあ。マチスさん、ライモン寄ってこなかったんですか?」
「いや、あそこうるせーからさ、素通りしてきた。ふうん……ま、いいか。つーわけだからさ、しばらくジェット機置いといてくれよ。一週間くらいで帰るから」
「えー……いいですけどぉ」
 いいのかよ。
 いいですけどなのかよ。
 なんか、なんつーか……うーん、失礼な言い方なのかもしれないけれど、男好きする感じの人だなぁ、なんてことを、思ってしまった。いや、実際女性関係がどうなのかは、知らないけれど――うん、そんな感じがした。決して僕が、フウロさんに対して、恋い焦がれているとかそういうことではないのだけれど。
「んじゃそういうことだから。さて、行くか」
「行くかって……え、用事これだけですか?」
 僕は思わず訊ねてしまう。
 ジムリーダーに会っておいて、用事これだけって……と。
「ん、まあ……でも、知らない地方なんだから、歩くだけでも楽しいだろ?」
 と、少佐は全くもって正しいことを言ってきやがる。
 そりゃまあ、楽しいですけれども……。
 なんだか主人公っぽくない。
 何のだよ、って突っ込みはなしで。
「あ、イッシュ地方は初めてなんだ? ふうん、せっかくだから、挑戦していけばいいのに」と、フウロさんはにこやかに言う。「二人とも、エリートトレーナーなんだから、すごく強いんでしょう? ジムにおいでよ!」
「だから今は俺の遊びに付き合ってもらってんだって。悪いけどまた今度な。このままセッカまで行くつもりなんだ」
「えー、私も暇なんだけどなあ」
 フウロさんはそう言いながら、名残惜しそうに――緑葉を、見ていた。
「えっと、緑葉さん、だよね?」
「あ、はい、そうですけど……」
「んふー」嫌らしい笑顔だ。「私と出かけない?」
「え、えーと……え?」
「今日もどうせ挑戦者なんて来ないしさ、遊びに行こうよ」
 と、フウロさんは言って、緑葉の手を取る。
「え……うぇ?」
「あー、まあそれもいいんじゃねえの?」
 よ、よくねえよ。
 よくねえのだけれど、僕にそれを止めるだけの勇気はなかった。何故ならなんだかそれはそれで面白いんじゃないかという意識もあったし、フウロさんというジムリーダーと知り合いになってしまうことで、緑葉にとって、プラスに働くことがあるのではないかと思った。そうした打算的な考え――いや、ある意味では自分の刹那的な楽しみよりも、緑葉にとっての幸せを優先するようになったのは、そしてそれを意識的に、手放しで喜べるようになったのは、僕が成長した証拠なのかもしれなかった。
「は、ハクロー……」
「楽しんで来てね、緑葉」
「えー!」
「さ、お出かけしよー」
 フウロさんは緑葉を引きずる形で、ジムの中に向かって行ってしまった。ああ、どこかで見たことのある光景だ。それにしても何故、美人且つ地位も名誉もあるであろう女性ジムリーダーの面々は、こうも可愛い女の子に目がないのだろう。どうかしているとすら思う。その行動力には、ただただ感服するのみだ。
「さて、んじゃ俺たちも行動するか」
「相変わらずただの日常なんですね、拉致が」
「手っ取り早いだろ?」少佐はそんなあくどいことを平然と言ってのける。「さて、じゃあライモンだな」
「あれ? セッカってところに行くんじゃなかったんですか? ていうかライモンって通り過ぎましたよね」
「フウロと嬢ちゃんは多分ライモンに来るからな。先回りしようぜ」
「セッカの用事は良いんですか」
「用事なんてねえよ?」
 クソ大人は全く不思議そうに首を傾げて、困惑していた。僕が握力七十くらいあったら頭蓋骨を粉砕しているところだが、力で少佐に勝てる道理は万が一にもあり得ない。
「あー楽しいなー、人生って素敵だなー」
 少佐はどうにももう意味の分からない感じのテンションのまま、今来た道を颯爽と戻っていく。まあ僕は少佐の後に付いていくのがお似合いなのではないだろうか、と自分を客観視してみたりした。どう足掻いたところでそれは変えられないし、実際僕も、こうした計画性のない生き方みたいなものを、楽しいものだとして認識してしまっているのだろうから。

戯村影木 ( 2013/05/19(日) 21:10 )