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『不意打ち』『剣の舞』『しっぺ返し』『横取り』――それが、僕の分身と言っても過言ではないポケモン、アブソル――名をハクカという――の持つ、ギャンブルの種類だった。
まあ、言ってしまえばポケモンバトル自体が大きなギャンブルみたいなものではあるのだが……その中でも飛び抜けてギャンブル性の高い技が、いくつかある。
例えば『指を振る』。
ポケモンが取るであろう行動のうち、どれかを選択し、実行するという、謎多き技。何が出るかは分からない、そんな、ルーレットを回すような技。
例えば『大爆発』。
こちらのポケモンが力尽きることは確定しているが、相手のポケモンも倒せるかもしれないという、そんな博打技。しかしながら、『大爆発』を持つポケモンの数は限られているので、相手がそれを危惧して逃げるかどうかを選択出来る。一か八か、という言葉が似合う技と言えるだろう。
そんなギャンブル性の高い技がいくつも用意されているポケモンバトルであるが、ハクカの技は、そんなギャンブル性の高い技の中でも輪を掛けてギャンブル性が高い。
相手の動きに依存する、という点で、非常にギャンブル性が高い。それが『横取り』。
相手のポケモンが、自身の能力を上げたり、体力を回復したり……という技を使った際、それを文字通り『横取り』出来るのが、この技だ。『自己再生』だろうが『気合い溜め』だろうが『身代わり』だろうが、問題なく横取りする。当然、『願い事』にしたって、例外ではない。
もっとも――そうした自己変化系の技を持つポケモンを相手にした場合でなければ、技スペースをひとつ無駄にする非常にリスキーな技ではあるのだけれど、僕がわざわざそんな技を選択して、それを使用したのは何故か。ギャンブルが好きだから、というのもあるが、加えてひとつ。
そのリスクの高い読みを通した瞬間に、戦況は一気にこちらに有利に働くことがあるからだ。
「『横取り』とは……まあ、驚きだ」
男は明らかに動揺した様子で、息を吐いた。実際、僕以外でアブソルにこんな技構成をさせているトレーナーがいるなら見てみたい。そのくらい異色な組み合わせだろう。まあ、一般的に『最適解』とされている技の組み合わせを、僕は好まないのだけれど。
「しかし、アブソルの防御はさほど高くない。まさかの受けタイプってんなら別だけど、『剣の舞』を持ってるくらいだ、底上げなんだろうなあ。三回積んでぶっぱなしてくるってんならあれだが、アブソルにはこれといったメインウェポンもないわけだし」
「まあね」
僕は余裕を見せながら、頷く。
明らかな動揺。
口数も増えている。
これを起点にして、相手の精神を切り崩していけば――タイプ相性の有利不利は、簡単に覆せる。『フェアリー』が『悪』に強くて、プクリンの特攻が高くて、ハクカの特防が弱いとしたって――それでも、一矢報いるくらいのことは、出来るはずだ。
『願い事』を一度は潰した、そんな戦況。
さて、どう出るか。
「ここまで来たら、マジカルシャインのゴリ押しが賢明だとは思うけど……それは当然誰でも読む筋。かと言って、リスクを考えると……って感じだねえ」
見るからに、冷静を装っている風は見て取れた。ていうか、取り乱しすぎだ。案外、崩れると脆いのかもしれない。口に出さないと不安なのか、それとも整理出来ないのか。こんなおかしな技の読み合いを強いるトレーナーが、今まで身近にいなかったのかというくらい、動揺している。
「あー……お兄さん、準備は?」
「僕? いいよ、バッチコイ」
「……いや、やっぱちょっと待って」男は帽子を脱いで、頭を掻いた。「賞金があるからなあ……真剣に考えたい」
その話を持ちかけたことだって、相手の精神状態をおかしくする手段のひとつだった。何かを『賭けた』試合よりも、何かを『賭けられた』試合の方が、人間は動揺する。もちろん、どちらにせよ精神がブレるのは当たり前だけれど、後者の方が、何故か人間は狼狽える。
失うことよりも、得ることに慎重になる。
それは言うなれば、人間は常に欲求を優先する生き物で、所有した時点である程度の満足をしてしまう生き物だからだろう。それはある種、ポケモン交換がごくごく当たり前に行われている現状と共通する部分が多くあるのかもしれない。
――まあ、そんなことを考えるようになったのも、そんな手段を講じるようになったのも、全ては旅のおかげなのだけれど。
「……よし、決まった」
男は緩やかに帽子を被って、右手を出す。
「後出しウェルカム! プクリンちゃん、マジカルシャインで!」
「おっ」
男は自分の迷いを断ち切ろうとしたのか、それとも自分の合否を僕のせいにしようとしたのかは分からないが、指示を先制した。
当然、ポケモンバトルのルールとして、指示は同時に行うべきである。例えば今がまさにその状況だが――『マジカルシャイン』という攻撃技に対して、僕が『不意打ち』を指示すれば、後出しの指示であっても、先制攻撃が可能となる。加えて、プクリンは素早さが極端に低いため、いかに指示を早く下そうと、先手を取れるかどうかは稀だろう。
そんなルールを無視して、彼は指示を先んじた。
勝敗の行方を、僕になすりつけた。
「……なるほどね」
ならば僕は考える。
どれだけ卑劣であろうと、どれだけ卑怯であろうと、僕は勝負に一切の手を抜かない。
相手がそれを許すなら――僕は長考を実行しよう。
『マジカルシャイン』に対して。
一発耐える勇気があれば、『剣の舞』をさらに積んでも良い。それが怖ければ、『不意打ち』を選ぶべきだろう。この択は、ほぼ二択。『しっぺ返し』と『横取り』は、ほとんど意味をなさない。
しかしここで考えるべきは、『剣の舞』がどれほどの威力を約束してくれるか。読まなければならないのは、このターンの勝利ではなく、全体での勝利だ。『不意打ち』は必ず先手を取れるが、相手が攻撃技を出していなければ不発に終わる。つまり、基本的にはプクリンが『マジカルシャイン』を選ばなければ、ハクカの攻撃は通らないということになる。
ならばこちらは『不意打ち』を連発して、プクリンが『マジカルシャイン』を連発してくれれば、勝敗は簡単に見えて来そうだ。が、そうはならないだろう。加えて、こちらが『不意打ち』を選んで、プクリンが『マジカルシャイン』を選ばなかった場合、ある問題が浮上する。
『不意打ち』の不発とは別に、起こるべくして起こる現象が、一つ。
『不意打ち』のパワーポイントが、削れる。
パワーポイント――などというと、まるで機械的な話だが、ようはポケモンの体に限界が来る。格闘技経験者であるところの僕はなんとなく理解出来る話であるが、例えば人間の場合、百メートルの全力疾走を、果たして連続して何本行えるか? 大きな休憩を挟まず、常に張り詰めた状態で、何度走り込めるか?
格闘技で言うならば、全力での正拳突きを、何回打てるか? ということ。体を鍛えていない一般人が、例えば全身全霊の力を込めて、慣れない正拳突きを虚空に突き出すなり、瓦に打ち込むなりしてみれば、恐らく五回も持たないだろう。筋肉に限界が来て、すぐにペンも握れなくなる。
それよりもさらに全身を利用した攻撃を、ポケモンは行うことになる。一般的に『不意打ち』は、五回が限界。それを僕は薬物(もちろん合法的なものだ)を利用して、八回使えるところまで、底上げしている。
僕が万が一、八回『不意打ち』を失敗させれば、パワーポイントが枯渇して――いわゆるPP切れで、プクリンへの攻撃手段を失うことになる。
彼もそこまでは、当然、読んでいるはずだ。
『不意打ち』は、それなりにメジャーな技である。五回から八回で使用制限が掛かることも、彼は理解しているはず。その上で、最初の一回を、タダで譲った。
きっと彼も測ろうとしているのだろう、果たして、『剣の舞』を一度積み、『メガシンカ』を終えたハクカの『不意打ち』の重さを。
「……っと」
考えるのはこの辺にしておかないと大変なことになる。これ以上考えると、逆に僕が囚われることになる。
「まあ僕も気になるからな……ここは素直に、乗っておこう。ハクカ、不意打ち」
もっふもふになってしまったハクカは、僕の指示にこくりと頷くと、プクリンの『マジカルシャイン』に対して、『不意打ち』を見舞った。
結果――ハクカはプクリンの体力を、意外にも六割近く減らすことが出来た。
タイプ不利にもかかわらず――無論、元々の火力に加え、『剣の舞』で底上げしているとはいえ――この火力。
メガシンカ。
それが恐ろしく強大な変化であることを、僕は認めざるを得ない。しかも、プクリンは体力と防御に徹していたはずだ。それを貫く当たり、恐ろしい変化なのだろう。
「くう……半分持ってかれたか。だけどこれで……」
と、男が言ったと同時に、プクリンの閃光がハクカを貫いた。先ほどゾロアークを沈めたのと同じ『フェアリー』タイプの技であったが――
――しかし。
ハクカは辛うじて、体力を残した。
「げっ」
あと一撃で――ともすれば、状態異常のダメージで力尽きてしまうだろうというような体力ではあったけれど、それでもまだ戦闘を続行出来るだけの体力を、残した。
同じ『悪』タイプで、同じ『特防』のゾロアークとハクカ。それを分かったのは、『メガシンカ』というよりは、単純に、レベルの差だったのだろう。七割を軽く越える成長を済ませたハクカに対し、新入りのゾロアークは、まだ五割をようやく越えた程度。
いくらハクカとゾロアークの防御面が弱かったとしても、防御に育成を割いたらしいプクリンの攻撃では、タイプ相性の有利性を所持した上でも、一撃で沈めることは敵わなかったようだ。
「――マジか、マジかあ」男は明らかに狼狽しながら、頭をかきむしった。「一発確定だと思ったんだけどなあ……」
「その反応を見る限り、メガシンカの恩恵……ってわけでもなさそうだね」
「アブソルは防御面は成長しなかったはずだからなあ」男は腕を組み、溜息をついた。「うーん……あんまり好きじゃないけど、こりゃ道具を使うべきか?」
「それもありだと思うけどね」
当然、それも戦術のうちのひとつだ。野良バトルなのだから、ポケモンに対して道具を利用したって、ルール違反ではない。もっとも、明確な力の差を感じたときは、トレーナーは道具を使うことはほとんどない。道具の使用は、本当に勝つか負けるかどうか分からない、極限の局面でのみ行われる。だからその選択は、彼がまだ勝ち目がある、と踏んでいることに他ならない。
実際、その可能性はあるだろう。傷薬なんかで体力を回復さえしてしまえば、そのターンハクカの『不意打ち』は不発に終わるし、使用したのが高級な回復剤であれば、次のターンは全快の状態から戦える。もっとも、その間に『剣の舞』を上手く積めれば、今度こそ『不意打ち』一発で、一撃で沈めることが出来るようになるかもしれないが――一巡あってその間に『マジカルシャイン』を撃たれたら、今度こそハクカは耐えられない。横取りした分回復したところで、全快には至らない。
確かに、まだまだ彼に勝ち目はある。
気の抜けない戦況だ。
けれど、そうした戦況というのは、とかく泥沼化しやすい。どちらかが道具を利用し始めると、今度は回復剤投与の応戦になることだってあるのだ。結局、『一撃で倒せる』という確証がない状態では、安定行動としては、一ターンごとに全回復させていけば良いことになる。メリットがなさそうな気もするが、これはやはり、パワーポイントを無駄打ちさせる効果もあるので、在庫が許せば実践的な戦法だ。
しかし――ここで簡単な計算をしてみると、僕が提示した賞金の十万円と、価格が常に一定であるポケモンリーグ公認の回復剤――恐らくプクリンの体力は、『回復の薬』か『満タンの薬』でなければ追いつかないだろうから、安い方の『満タンの薬』を使ったと考えて――一回につき二千五百円の損得は? もし四個使ったとしても一万円なので、なるほど、儲けは出ると考えて良いだろう。一回の戦闘で、下手すれば数百円しか賞金がもらえないこともある野良バトルだ。万単位の賞金が得られるなら、それだけの価値はある。
やはり、考えれば考えるほど、泥沼化する。
彼の選択としてベストなのは、ここは一度『回復の薬』なり『満タンの薬』を利用して、一度体勢を立て直すこと。それを素直に読んでこちらが『剣の舞』を選択すれば、ことは有利に運ぶ。が、それをさらに読んで向こうが『マジカルシャイン』を撃てば、ハクカは瀕死になるだろう。ならば、とこちらが『不意打ち』を撃とうとすれば、一巡して相手の回復行動に空かされる。
結局のところ、こちらの安定行動は、恐らく『しっぺ返し』になる。どれだけ減らせるかは分からないが、『マジカルシャイン』を選ばれた場合には先手を取って微々たるダメージを与えられるし、もしかしたら倒せるかもしれない。回復行動を選ばれたとしても、それなりのダメージを与えておける。が、多分倒せないだろう。致命傷とは成り得ない。
色々悩んではみたけれど――ギャンブル好きで、今まで散々ギャンブルな技を利用してきた僕ではあったけれど、実を言うと道具を利用する野良バトルが好きじゃない。道具を使うことは否定しないけれど、長引くだけのバトルは、億劫だ。だから最終的に僕は、ひとつの結論を下すことにした。恐らくこのままでは、お互いに回復薬の過剰投与で泥沼化するであろうという読みでの行動だった。恐らく彼も安定行動を通すだろう、という読み。回復してくるだろう、という読みで――こちらは無償召喚を、試みる。
「よっし、ここは回復させてもらうわ」
僕が思ったのとほぼ同時に、男は回復薬の使用を宣言した。だから僕も安心して、こちらの行動を、実行に移す。
「そんなら僕はポケモンを交代する」
「へっ」
ハクカをボールに戻し、流石に少しくすみはじめたモンスターボールを取り出す。
「ダークライ」
そして――もう、その重さも、その軌道も、全てを知り尽くしたパートナーをフィールドに放ち、一瞬だけのアイコンタクトで、全てを通じ合わせる。
「はっ――ダークライ、っすか」
男はそれを見て、小声ではあったけれど、確かに言った。
やはり、知識が尋常ではない。
大抵のトレーナーが知らないはずのダークライを見て、その名を呼んだ。
「同じ『悪』でも……そいつはただの『悪』じゃない。そりゃちょっと、反則級じゃねえの、お兄さん」
「野良バトルにルール違反も何もないよ」
「そりゃごもっとも、だけど、なあ……」
既に回復剤を使用して、全快となったプクリンの頭に手を置いて、男は言う。
「しかしここまで来て積まれるのも癪だ。ごりごり行くしかねーか。マジカルシャインだ、プクリンちゃん」
「やって、ダークライ」
僕が顎で促すと、まるで僕の体の一部であるかのように馴染んだダークライの固有技が、指示を下すまでもなく、繰り出される。
空間に広がる闇。
暗い暗い範囲。
プクリンのいる座標を封じ込めて、ダークライの力が、意識を混濁させる。
そしてプクリンは静かに奈落へと落ちる。『マジカルシャイン』を撃つことも出来ず、何らかのアクションを起こすことも出来ず、プクリンは絶対的な睡眠を余儀なくされた。
「はいはい……ここまでは安定として、果たしてこのあと出るのは――『悪の波動』か『夢喰い』か……全快状態なら耐えられるか……いや、特性で少しダメージを受けて――だけど」
未だに勝利を諦めていないらしく、彼は色々と、計画を練っているようだった。『ナイトメア』によって微細なダメージを負ったプクリン。あちらの最適解は恐らく『回復の薬』による睡眠解消と体力回復の両立だろうけれど――けれど、それを選択したところで、恐らく勝利は叶わない。
『悪の波動』も『夢喰い』も、一撃死とは成り得ないと見ての長考だろうけれど、熟成しきった――完成してしまったダークライの前では、そのレベル差は圧倒的だ。
ダークライは一度振り返り、僕にどうするかを尋ねた。僕としては、初手『ダークホール』すらも不要と思っていたけれど、臆病で、安定志向のダークライは、相手の動きを封じることを旨としたのだろう。その選択を責めるつもりもないし、咎めるつもりもない。結局ダークライの選択は、常に正しい。
けれどそれでも、ダークライが指示を請うなら、僕は宣言する。
「今度は僕が先に宣言させてもらうよ」
『悪』が効かずに、道具を利用されて『夢喰い』も安定しない状況なら、これ以外の選択肢はあり得ないだろう。
「ダークライ、はかいこうせん」
僕が宣言すると、男はついに敗北を受け入れたのか、両手を上げて言った。
「あ、そりゃ多分受けきれないわ。降参するよ。そのダークライ、育ちすぎだもん」
そして、眠っているプクリンの額に手を置いた。
「寝てるプクリンちゃんにはかいこうせんなんて、そりゃ酷ってもんだ、お兄さん。こーさんこーさん。やめにしよう」
「勝負はついたかな」
「不服だけども、なあ」
プクリンがボールに回収されると同時に、僕もダークライを回収した。
男は帽子のツバに手をかけると、それを少しだけ下げて、緩やかに首を振った。敗北を喫したような態度だったけれど、僕は心のどこかで、負けた気持ちになっていた。