18
十六歳の誕生日に、僕は青藍兄さんからプレゼントとして、指輪をもらった。その当時の感想は、これは色気づけって意味なんだろうなあ、くらいしか抱かなかった。その時、一緒にトレーナーカードももらった。僕が今使っているトレーナーカードは更新に更新を重ねたせいで青藍兄さんにもらったものとは違っているけれど、僕がこうしてトレーナーとして歩き始めているのは、青藍兄さんのカードのプレゼントがあったおかげで、どちらかと言えばカードの方が印象が強かった。
そして僕がポケモントレーナーとなり、各地を転々とするにあたって、僕は指輪に対する認識を次第に変えた。ああ、アクセサリーというものは、ただのお洒落ではなく、どんなに遠くにいてもその人を感じられるものなんだ、と気付いた。それは何もアクセサリーに限ったことではないけれど、その小ささや、そのふとした拍子に目に付く存在は、誰かの存在を記憶しておくという力があるのだと気付いた。
別に、青藍兄さんを完全に忘れてしまう日があったりしたわけではないけれど、ふとした拍子にその存在を思い出したりすることが、あった。それはとても心地良い出来事で、やっぱり青藍兄さんのセンスや生き方には敵わないなあ……なんてことを、思っていた。
青藍兄さんは、この指輪のことについて、一切触れなかった。プレゼントしてくれたときにも、詳細は語らなかった。ただプレゼントだよ、と言って渡されただけ。それよりも、トレーナーカードについての説明の方が多かった気がする。
旅の最中、豊縁にある青藍兄さんの研究所に寝泊まりしたときも、指輪については何も語られなかった。ただひと言、
「それ、ちゃんとつけておけよ」
と言われただけだった。その時はもう既に、指輪に対する認識を変えていた頃だったし、指輪がはまっていないと落ち着かない精神状態にもなっていたので、外そうという気持ちすら起きていなかったけれど。
しかし――
「……これは、一体」
「やっぱりそうかあ」
不思議そうにしている僕とハクカを気に掛けることなく、男は神妙に頷いた。
「お兄さん、動揺してるみたいだ」
「いやっ……これは、どう考えても、動揺せざるを得ない。何が起きているのか、僕にはさっぱり――」
「メガシンカって、聞いたことない?」
「……ない」
僕は正直に答える。
メガシンカ……メガ進化?
いや、さっぱり聞いたことがない。
「まあ、『フェアリー』も知らないくらいだ、メガシンカを知らなくても不思議はないか……海外の文化だから、日本人には馴染みがないのかも」男は頭の後ろで手を組む。「しかし、よくそんな状態で条件が揃ったもんだ」
「条件って?」
「うーん、タダで教えるのも忍びない、勝負に勝ったら教えよう……と、思ったけど、『フェアリー』も『メガシンカ』も知らないんじゃ、あまりにフェアじゃない、か。特別に教えちゃおうかなあ」
「これもその、カロス地方……だっけ、その地方の特色なのかな」
「まあ言ってみればそうやんね。カロス地方の伝承のひとつ。というか……カロス地方でしかメガシンカに必要な道具が手に入らないってことが、一番の問題かな」
「道具ってのは……えっと、この指輪、なのかな、もしかして」
「そっそ。指輪だから、『メガリング』に分類されるだろうけど――そもそもは『キーストーン』っつー石が埋め込まれてて、そいつが反応してるわけだ」
「何に?」
「何って、『メガストーン』だよ」
メガストーン。
……なんだか陳腐な名称だが、そうではないのか。カロス地方産のアイテムだから、いっそ当たり前の名称なのかもしれない。日本原産の『炎の石』とかと同じ、ただの名称に過ぎない、のか。
しかし。
思い当たる節は、実際、あった。そもそも、ハクカの変化――いや、『メガシンカ』か――を見て起こった動揺から少し冷静になった今、昨日の僕とハクカの間になくて、今の僕とハクカの間に起こった変化は、二つ思い当たる。
一つは、対戦相手がカロス地方出身であるということ。
そしてもう一つは――今朝、朽葉財閥令嬢、朽葉乱麗の執事であるところの紅々緑青から渡された、謎の石の存在。
あれが、『メガストーン』ということか。
「……なるほど、偶然なのか、はたまた青藍兄さんの陰謀なのか――怪しいとこだなあ」
「お兄さん、ほんっとーにまったく全然身に覚えがないみたいな顔してるけど、これってすっげーレアなことだよ? 全く普通に指輪をしていて、偶然もらった何なのか分からない石を、適当にアブソルに持たせた……でしょ?」
「まあ。でも一応、もらった人にはアブソルに持たせれば、みたいなことは言われたかなあ……って、そう言えば緑葉ももらったんだっけ」
振り返ると、少し離れた場所にいた緑葉も自分がそれを手にしたことを思い出したのか、バッグから黄色い石――恐らくは『メガストーン』を、取り出していた。
「お、お連れのお姉さんも持ってるんだ。ふーん……だけどそれが何の『メガストーン』かは分かってないみたいだ」
「何のって……種類があるわけ?」
「そりゃもう。ポケモンごとに石は一種類。いやもっとも、メガシンカが出来ないポケモンもいるけどね。全種類メガシンカ出来るなら、今頃プクリンちゃんも強化してるもんね」
「ぷくぅ」
そりゃそうだ――という気はした。メガシンカなるものがどれほどまでに恐ろしいものなのかは知らないけれど、それでも見た限り、強くなっているのが見て取れる。ハクカともそれなりに長い付き合いをしてきた。僕のメインポケモンとしてしまっても良いくらいの育て方をしてきた。そんな僕だから、感覚的に分かる。
ハクカの力は上がっている。
それも、『剣の舞』での上昇分とは別枠で。
「まあしかし、いくらメガシンカをしたところで、『フェアリー』と『悪』の相性問題が解決されるわけではないし……大した痛手ではないかな。むしろハッサムがメガシンカした方が痛いくらいだったし、初っ端からメガシンカされるんじゃないかって、びくびくしてたくらい」
「ハッサムもメガシンカ出来るんだ」
「おっと……無料情報公開はここまでにしときましょっか」男はやれやれ、とでも言いたげに首を振った。「あんまり色々言われても、冒険の愉しみが減っちゃうし」
「でも……ハッサム戦でそう思ってたってことは、最初からメガシンカ出来ることを知ってたってことなのか」
「そりゃもう。最初に声を掛けたときから。最初に、お洒落な人だって言ったしね」
「……ああ、そういう意味か」
どういう意味かと思っていたけれど――どころか、バカにされているのかとすら思っていたけれど、そういうわけではなかったらしい。
「そ。お洒落の都、カロスデザインの指輪だったから。しかも、『キーストーン』が埋め込まれてるのはかなーり値が張るからねえ」
「へえ……」
なるほど、青藍兄さんらしい選択だ。
青藍兄さんが『メガシンカ』とやらのことを知っていたかは定かではないけれど――いや、きっと知っていたんだろうなあ。研究やら仕事やらで海外に渡った時に買ったのかもしれない。今度機会があったら、ちゃんと聞いてみよう、と思った。そして同時に、改めてお礼を言おう、とも思った。
「さて……そろそろ戦闘に戻ってもいいかな、お兄さん」
「あ、ああ……ごめん、びっくりしてつい。基本的に性能が変わっただけみたいだし、バトルに大きな影響はないみたいだし、続けよう」
「ほんじゃ、やらせていただきますかあ」
「あ、それで、せっかくだから一つお願いがあるんだけど……賭けをしない?」
「ほい?」
「僕の手持ちはあと四体。でも、その四体の中には、こいつと、あともう一体……合計で二体の『悪』単タイプがいるんだ。『フェアリー』に対して明確に不利な『悪』二体で勝負に勝ったら、緑葉――君が言うところの僕の連れの持ってるメガストーン、何なのか教えてくれる? ていうか、判別出来るのかな」
「まあそりゃ……自分は結構メガシンカには詳しい口なんで、さっきちらっと見ただけで何の石かは分かったけど。しかし、『悪』タイプで? 舐められてる、ってわけじゃなさそうに見えるとはいえ、プクリンちゃんはほぼ体力全快だけど」
「もちろん舐めてなんかないよ。ただ等価交換で情報が欲しいだけ。この石をくれた人はもうここにはいないし、他に詳しそうな知り合いもいないしね。その代わり、『悪』二体で勝てなかったら、そこで試合終了。僕は降参するし、賞金も払う」
「そいつは……まあ、こっちも旅の身、一人旅。一匹だとなかなか勝率も悪いんで、賞金がもらえるのは嬉しいっちゃー嬉しいけど」
「じゃあ、今回は負けたら十万出すよ」
「おっほ」
男は帽子を指で弾くと、にやりと笑う。
「それなら話は別。勝たせてもらいますかね……無駄な読み合いなんかせずに、ゴリ押しさせてもらっちゃうかな。しょーじき最近、金欠でね」
「そっちの方が、僕としてもやりやすい」
それにこんな言い方はなんだけれど――十万程度の出費、負けても痛くはない。
成金キャラにはなりたくないけれど、必要な出費は惜しまずに生きて行きたいところ。
「さてほんじゃ――行きますか」
「よし、気合い十分。メガシンカとやらの性能を溜めさせてもらうかな。準備は?」
「いつでも!」
僕と男は目で合図をして、互いに右手を前に出した。そして同時に、宣言する。
「プクリンちゃん、願い事!」
「ハクカ、横取り!」
互いの宣言に、ポケモンたちが動き出す。
そして一瞬の間のあと、男は不敵に笑って、
「お兄さん……そりゃギャンブルすぎるわ」
と、心底楽しそうに言った。